【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その14
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0001人間七七四年
2011/11/07(月) 17:56:41.52ID:gc+MSXxX徳川家・松平家と家臣団まで包括するスレです。
人の一生は
重荷を負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし
人はただ 身の程を知れ 草の葉の
露も重きは 落つるものかな
0245人間七七四年
2011/12/12(月) 21:52:35.48ID:c456iTTGつうか都市ってのは川沿いや海沿いに発展することが多いから、
横長縦長ってのは珍しくない
0246人間七七四年
2011/12/13(火) 12:28:19.66ID:mYItY/Jrぶっちゃけ聞いた事無いかもw
東京みたいに放射状に広がれない巨大都市って
交通網とかどうなってんだろうな。
0247人間七七四年
2011/12/13(火) 13:47:59.92ID:gsv/4uWM同士の交通が発達しなくて近いけど遠いとかね。
家康は攻撃されるのを防いでいたから
巨大交通路の整備はわざと発展させなかったんだろな。
0248人間七七四年
2011/12/13(火) 16:13:29.60ID:Rz+M8dHp0249人間七七四年
2011/12/13(火) 21:12:01.01ID:sWuujZ3v0250人間七七四年
2011/12/13(火) 21:36:38.16ID:gsv/4uWM作ったけどそういう通常の交通路じゃなくて
巨大な橋とか海上交通用の巨大船とか
そういうのは許可しなかったでしょう。
姫街道やらそういうレベルでの整備じゃなくてさ。
0251人間七七四年
2011/12/13(火) 21:45:10.14ID:Rz+M8dHp千住大橋、六郷川、矢作川と多くの橋を架けていますが
架けなかったのは主に技術的な理由
船も弁才船は三千石クラスの大型船も建造されている
規制は基本的に軍用船
0252人間七七四年
2011/12/13(火) 22:07:56.87ID:00cYVP5j廻船があまり大きくなかったのは、沿岸航海で効率よく荷物を運ぶにはあれが
経済的に最適サイズだったから。
帆装については見直す意味があったけどね。逆風で走れないし。
明治に入って幕府の規制がなくなっても、和船の帆装だけ洋式にしたのが走りまわってた。
船体についてはいわゆる千石船で経済規模に対して十分だった証拠になると思う。
(明治政府の船に関する法律が洋式船だけを対象にしてて、和船は好き勝手できたって
理由もあるらしいけど)
和船が消滅するのは機帆船が普及する昭和を待たなければいけない。
0253人間七七四年
2011/12/13(火) 22:52:33.33ID:Rz+M8dHp下の帆桁がないから逆三角帆にして
0254人間七七四年
2011/12/13(火) 23:21:24.29ID:Cseogoc3ちんぷんかんぷんだから、人馬鉄道路で頼む!
0255人間七七四年
2011/12/15(木) 23:34:00.10ID:RefOvdhV0256人間七七四年
2011/12/17(土) 13:07:43.26ID:f4tmWkyb0257人間七七四年
2011/12/17(土) 13:14:03.93ID:W3z/16fJ0258人間七七四年
2011/12/17(土) 16:32:48.09ID:MeZrXIOl橋が架けられない川ってのはがあるんだよ
架けても架けても流されてちゃ金がいくらあっても足らん
0259人間七七四年
2011/12/17(土) 17:18:56.55ID:oC7DDb/y白い布をかけておけば十分
0260人間七七四年
2011/12/17(土) 19:17:12.26ID:lag8z4BLどんどん流されてもまた作ると言うのは普通じゃないかな。
だから技術上とかお金がないというよりはやはり
大軍が一気に攻めてこないような足止めの意味も
あってかけなかった場所もあるんじゃないだろか。
0261人間七七四年
2011/12/17(土) 20:07:45.87ID:ho7pm2x9って思うかも知れんけど、当時の人で考えたら
生まれて初めて流された! だからなぁw
0262人間七七四年
2011/12/17(土) 20:21:41.99ID:lag8z4BL藤木の飢饉一覧表見ると日本は悲惨な国だけど
同じ場所で数年に1回なら自然災害みたいなもの。
ましてや今の千年に一回レベルでの国政の議論は
前例も何もなくて、特別、で処理してしまえばよいとは
思うんだよな。
0263人間七七四年
2011/12/17(土) 22:41:54.74ID:PDPudzYh0264人間七七四年
2011/12/17(土) 23:46:22.43ID:2W6xtf+t年に何回も災害が起きるようなら諦めるしかないし
0266人間七七四年
2011/12/19(月) 08:53:27.16ID:Ngp8jBlQ0267人間七七四年
2011/12/19(月) 13:19:13.88ID:6Q3jm7D2交通量が多い街道に用いるには不安が多すぎる
0268人間七七四年
2011/12/19(月) 23:39:03.22ID:E7x0Ehhg技術研究機関なんてなかったし
そもそも建設は諸藩に投げっぱなしだし
0269人間七七四年
2011/12/25(日) 15:02:41.73ID:6nv8wpQi去年は岡崎城登城後まで気付かなんだが(´・ω・`)
0270人間七七四年
2011/12/25(日) 18:38:11.30ID:E6Ei/OEs0271人間七七四年
2011/12/26(月) 01:28:12.35ID:9H2ILplC今回も安いケーキが無かったので、
ここ何年もケーキでお祝いできずに残念。
0272人間七七四年
2011/12/26(月) 01:29:53.65ID:1D/E7GXk権現様お誕生日おめでとー
0273人間七七四年
2011/12/28(水) 08:53:02.32ID:zSt24DUR権現様は結局すごいお方なの
0274人間七七四年
2011/12/28(水) 10:24:36.31ID:Mws3pA6+0275人間七七四年
2011/12/28(水) 10:28:17.19ID:/D0IQFV90276人間七七四年
2011/12/28(水) 12:08:21.84ID:3yQJu4GA低いと言うか平凡と言うか
家康はそんな自分を知っていたのが勝因
0277人間七七四年
2011/12/28(水) 12:10:57.57ID:Mws3pA6+0278人間七七四年
2011/12/28(水) 12:47:48.25ID:24jg0h9v武芸でも文芸でも従事者は有力者に免許を与える事で権威や報酬を得るのに必死だった
家康は同時代の武将と比べてこれと言ってぱっとした実績が何もない
細かな積み重ねで成功したんだよ
0279人間七七四年
2011/12/28(水) 15:19:59.55ID:XGh6Vcra長久手で秀吉を
あっと言わせてないか?
0280人間七七四年
2011/12/28(水) 15:38:20.69ID:/jCQVieg脱糞して涙目姿を絵に残すことは普通はできない。
黒歴史は消したいものが心理
0282人間七七四年
2011/12/28(水) 17:02:01.58ID:dK7L/5JU姉川で信長に誉められたのは高天神衆
後に家康は功臣である高天神衆を見殺しにする醜態を晒している
小牧長久手も非常に締まりが悪い
戦術ではやや優位に立ったものの戦略で簡単に覆された
相手が悪かったと言うのもあるだろうけど
だいたいどの戦いでもぐだぐだになる
上手くいったのは対今川氏真戦ぐらいか
0283人間七七四年
2011/12/28(水) 17:19:09.75ID:lfiB7ZtQだねー
姉川では大軍の朝倉を見事破りその後苦戦中の織田を救援して
信長に「この戦の勝利は徳川のおかげ」と言われたり
小牧長久手の戦術的大勝利は秀吉を大層震え上がらせ
思わず身内を人質にかけて何とか徳川に和議を持ち込ませた
でもやっぱ凄いと思うのは政治力だね
泰平200年の基盤を作ったのはそうそう出来ることじゃない
0284人間七七四年
2011/12/28(水) 21:26:26.23ID:suNE31ye0285人間七七四年
2011/12/28(水) 22:04:12.98ID:/D0IQFV9特に意味は無い
名前を選んだ崇伝は最初に家忠を推したが、花山院の元祖にその名があるとし
新たに七つの案を提出し、家光が選ばれた
0286人間七七四年
2011/12/29(木) 10:58:05.06ID:I1J9YJtwこういう事を本気で思ってる奴が結構いるんだよな。
0287人間七七四年
2011/12/29(木) 12:34:30.07ID:qOTBkmyS0288人間七七四年
2011/12/29(木) 12:53:38.97ID:ex5iZjOTども。義満にかけたのかと妄想してた・・
>>286
平山さんじゃないが地震の影響も大きく解釈されるようになったし
最初から和議しかないような家康と和戦両様の秀吉と
どちらが有利だったかも面白いとこだし
身内を人質に出すというのは単なる婚姻政策を超えた
秀吉らしさとは思うけどね。
0289人間七七四年
2011/12/29(木) 13:07:09.56ID:I1J9YJtw本気でこういう勘違いをしてる人間が沢山いるっていう証左なんだよな。
0290人間七七四年
2011/12/29(木) 14:31:27.15ID:ex5iZjOT単に解釈の問題ではなくて
100%こうだという決定事項があるということ?
小牧長久手以降の事実関係は確定として
それをどう捉えるかという点に関しては
それなりに解釈問題とは思うけど。
事実がこうだからこうなんだよというのも
たまに見かけるけどそれはあくまで両者の関係の背景でしかなくて
それが何を意味するかに関してはまた違う話じゃないかということなんだけどね。
0291人間七七四年
2011/12/29(木) 15:13:05.15ID:I1J9YJtwあのさぁ、勘違いって言われたんだから、少しくらい調べようよ。
小牧・長久手は徳川が人質を差し出して講和してるわけ。それで終了。
大政所や朝日の話はそれより随分後の話。
解釈だとかそういう問題じゃないの。理解出来る?
あとね、主語が無く、「こう」だの「それ」だのばかり使われても
何を言いたいのかさっぱり分からない。
態と自分の主張を不明瞭にして突っ込まれ難くしようとしてるのかも知れないけど。
0292人間七七四年
2011/12/29(木) 16:27:28.22ID:ex5iZjOTさんきゅ、そういうことね。
ここは徳川スレなんだけど負けた秀吉ファンが
暴れにくるところでそれを懐の広い徳川ファンが見守るスレ
みたいにどっかで言われてて勘違いというのは
どっちがどういう意味で語ってるのかわからないということでさ。
小牧の後の家康臣従あたりまでをトータルで語ってるのではなくて
徳川が人質出して小牧は終了と言うのはわかりやすくていいなと。
最初に283は大政所やそのあたりを語ってるでしょう。
そこまで行かずに小牧のけじめを徳川が人質出したというので
終了させるのが正しくてそのあとのことまでごっちゃにするのは
勘違いというのは、小牧長久手の捉え方としては明解だもんね。
徳川臣従あたりまでを小牧の影響下ということで総論的に
話してるように思ってたわ。
0293人間七七四年
2011/12/29(木) 16:33:16.08ID:w2x9j/Crどんな人質出してたんだ?
0295人間七七四年
2011/12/29(木) 16:38:00.69ID:I1J9YJtwはぁ?だから小牧と家康臣従は別なの。理解出来るか?
トータルとかそういう問題じゃ無いんだよ。
> 最初に283は大政所やそのあたりを語ってるでしょう。
だからそもそもが小牧・長久手の講和と家康の臣従の時の事を
勘違いしてるって指摘なんだっつーの。馬鹿?
無知なのは仕方ないけどめちゃくちゃな日本語使って誤魔化そうとすんなよ。恥ずかしい。
ところでさぁ、お前ってよく出没する「だもんで」とか使う奴?
文体が似てるからちょっと気になったんだけど。
0296人間七七四年
2011/12/29(木) 16:39:04.05ID:ex5iZjOT間違いがあったね。細かい話なんだが。
0298人間七七四年
2011/12/29(木) 23:13:01.47ID:lj+cXLLb殺したければ殺せと言わんばかりだし
0299人間七七四年
2011/12/29(木) 23:56:46.04ID:cDwxUTT40300人間七七四年
2011/12/30(金) 08:16:38.89ID:gFXZnKOXすぐには認知しなかったし お母さんがやりまん説が出ている
逆に淀(茶々)はほんとに秀吉の種で孕んだかずいぶん怪しいと思うんだけど、
大坂城にはすでに大奥みたいな男子禁制のエリアがあり、秀吉は
自分の種であったことにそれなりの自信があったとこないだテレビでやってた
0301人間七七四年
2011/12/30(金) 11:01:19.64ID:PZ2BPtUG秀吉にしても殺すメリットなんざ無いし。
ただ、その後秀吉が四国や九州で躓いてしまい、
大逆転のチャンスが転がり込んできたら分からないよね。
北条の意向なんかもあるし。
そういった意味では人質として殺される可能性ってのも十分想定してただろうね。
0302人間七七四年
2011/12/30(金) 16:47:45.45ID:yIcH3ioJ面白かったと思ったw
0303人間七七四年
2011/12/30(金) 18:08:54.85ID:v8x/7Kgt徐々に怪しくなったらとりあえず送り返してると思うよ
戦の前に正室を離縁というパターンはあったし
突然の叛旗だったりしたら見せしめで殺されちゃう可能性はあるけど
0304人間七七四年
2011/12/30(金) 20:27:11.45ID:68J78dq2というかドライな感じがする。
0305人間七七四年
2011/12/31(土) 00:19:43.17ID:jc74g2KG信康みたいに背かれるのを警戒していたのだろうか
0306人間七七四年
2011/12/31(土) 01:02:46.12ID:ykG7ZBvs0307人間七七四年
2011/12/31(土) 01:54:51.49ID:1xer/rkTだから忠輝、忠直は、殲滅するのだ
0308人間七七四年
2011/12/31(土) 02:01:10.84ID:ykG7ZBvs秀忠のやり方もよく分からないんだよな
秀忠は忠直をどういう立ち位置にしたかったのかね
0309人間七七四年
2011/12/31(土) 03:36:08.82ID:n76RcxQlう〜ん、家康の冷淡さは愛情ある厳しさではなく、本当に冷たさ
を感じさせるんだよねえ。
家康が早くから両親と離れ人質生活を送っていたという環境が
少なからず影響してるのかそれとも元々の気質か。
家康は三大英傑の中ではあまり残酷エピソードは少ないし、家臣
とか敵将とかに対して心温まるようなエピソードが結構残ってるから
余計実子に対しての仕打ちというか対応の温度差が不思議。
0310死
2011/12/31(土) 04:08:50.01ID:Q/mIVUm2晩年は信長の事聞かれても殆ど答えなかったと読んだ事あるけど
武将としてもどんな評価してたのかな?すっごい知りたい
0311人間七七四年
2011/12/31(土) 04:43:26.47ID:8l6VwdWd身内びいきなのがよく分かってたからでしょ。
0312人間七七四年
2011/12/31(土) 04:43:57.34ID:8l6VwdWd6日昼にBSプレで信康映画やるっぽいぞ。
0313人間七七四年
2011/12/31(土) 09:29:12.93ID:uEhyJY+Z秀吉はもちろん、信長公も自分の子にはやたら甘かった
家康公が天下をとったのはやはり運じゃない ちゃんとしてたからだな
0314人間七七四年
2011/12/31(土) 12:46:45.20ID:ykG7ZBvsそう言われてみるとそう感じるけど
そういう身内に対しても、もしかしたら優しくしていたけど
それはあまり人目に見せないやり方だったのかもしれん と思ったりする
京都にいる秀忠が所労や腫物で寝込んだ時、家康も伏見から上洛して見舞いに来たり
秀忠が藤原定家筆の和紙懐紙が見たいと望んだら、冷泉為満さん呼んでくれたりしてるんだけど
やはり何かしら会話らしい会話や伝聞がないと、どういう心境だったのかも分からないからなぁ
0315人間七七四年
2011/12/31(土) 13:55:23.44ID:n76RcxQl人間的には家康は信長はあまり好きではなかったろうなと思う。
家康の本能寺の変とか光秀に関する少ない言葉を読むと、本能寺の変
は信長側に落ち度があったような意見に思える。
勿論信長が死んだお蔭で天下統一出来たという部分があるからそういう
部分は差し引く必要もあるけど、長く信長の同盟相手としてこき使われて
色々思う事もあったと思うよ。信長は人使いが荒いからね。
でも武将としては評価していると思うよ。
最晩年に秀忠に送った訓戒状みたいなものに「織田殿は智略にも武略にも
優れ、よく人を使い、近世の名将だった」と書いていたし(かなり昔に
読んだ手紙なので内容はうら覚えだから正確ではないけどこんな感じ
の内容だった)。
秀吉についても書かれていたけど信長以上に褒めていた。
野人から天下人になった事を褒めていて古今東西きっての名将だと。
まあなんだかんだいいながらも信長が桶狭間て義元を討ち取ったから
独立出来たし、信長の同盟相手だったから天下に近かったから
家康にとって信長は好嫌の感情がまじり過ぎた複雑な相手だったのでは
ないかな。
0316人間七七四年
2011/12/31(土) 14:06:07.83ID:uEhyJY+Zほかの人間なら信長もバカ、秀吉も大バカ、自分だけが優れた天下人って
言うところなのになあ〜 ほんとに家康公の自制心は凄まじいわ
0317人間七七四年
2011/12/31(土) 14:42:51.89ID:n76RcxQl秀吉が天下取って本来ならそのまま豊臣家の天下が続く
と思いきや、色んな幸運が重なって自分が天下を取れる
チャンスが巡り天下が取れたら、自分が優れていたから
というより何か天の意志かそういう類のものによって取れた
と謙虚になると思うよ。
0318人間七七四年
2011/12/31(土) 14:56:44.72ID:ykG7ZBvsそんな手紙もあるんだなぁ 史料本や研究本読んでも
最近はどれも似たような内容しか取り上げないから
手紙特集みたいな本も作ってほしいわ
0319人間七七四年
2011/12/31(土) 18:32:51.69ID:kM6X99Ynどちらも優れた人間だから人もついていったが
それだけでは長きお家存続には結びつかないと。
秀吉臣従後は少しは大人しかったけど死後すぐに
豹変するところがなんか凄みを感じるわ。
あれで関が原で負けてたら日本一のアホ裏切り者に
なったろうしね。
いい年でよくあそこから勝負したもんだ。
0320人間七七四年
2011/12/31(土) 18:56:35.61ID:n76RcxQl>いい年でよくあそこから勝負したもんだ。
これは思う。当時50幾つだっけ?当時の50代なんて老齢だろう。
よくまあ家運をかけた博打にうってでたと思う。
関が原は勝って当然の戦ではなく、本当に紙一重だったからなあ。
おっしゃるように秀吉死後に豹変してるけど、いつから家康は
天下への野心をはっきりと持ち出したんだろうなあ。
元々家康は信長の天下統一事業に早くから携わっていて「天下」というもの
へのが意識が他の五大老よりも違ってたんじゃないかなと思うけど。
0321人間七七四年
2011/12/31(土) 19:43:50.70ID:crPn243i一門の叔父連中でも戦目付けにして
「真田はスルーしろ!」って厳命しとけば良いだけじゃん。
0322人間七七四年
2011/12/31(土) 19:46:37.14ID:uEhyJY+Z10倍20倍の戦力でも半年ぐらいは平気で持ちこたえるもんですよね
0323死
2011/12/31(土) 20:09:38.34ID:PFSwDUDG人に慕われる人ではなかった、明智の反乱は
トラに襲われそうになった人間が
トラから逃れる為に起こしたようなものだつってたけどな
0324人間七七四年
2011/12/31(土) 20:31:26.45ID:n76RcxQlまあ、、、その信長評は当たってるワナ。
秀吉が明智の反乱をそう評するという事は秀吉自身も
明智に共感する部分は多分にあったんじゃないかな。
0325死
2011/12/31(土) 20:35:48.36ID:PFSwDUDG外道ついに滅ぶ と書いてたみたいだしな
やはり慕われる人間ではないんだろうな
0326人間七七四年
2011/12/31(土) 20:56:00.57ID:kM6X99Ynよくその話になるけど、かなり早くに野心をもって行きたい
気がする。秀次、出兵で内部がぐらついだあたりはもう
「ラッキ」って作戦ねるぐらいでじっとチャンスを待ってたんじゃないかな。
これはもちろん自分が秀吉より年下というぐらいしか根拠は無いのだけど
だからこそあっという間の行動だったからね。
それと将軍もらってからの政治構想なんかは思いつきで
できるものではないだろう。
反面教師を考えた上で長期安定政権を作るのはどうしたらいいか
朝廷、寺社、外様、農民、商人、それと外人も。
これを60すぎてから完璧にこなすなんてのは
タダものじゃないわな。
0328人間七七四年
2011/12/31(土) 21:07:29.43ID:n76RcxQl基本細やかな心使いの出来る人ではあったんだろうなあとは思う。
だから小姓等の信長の側で仕える人間若しくは尾張からの家来は信長
のそういう「柔」の面がわかってるから慕う人間も多くいたと思う。
でもそれ以外の人にとってはとにかく猜疑心の強い、外道にしか映らん
だろうな。
0329人間七七四年
2011/12/31(土) 21:12:33.09ID:ykG7ZBvs信長政権にとってよい影響もらってた公家さんは悲しんだだろうし
逆に信長を邪魔に思っていた公家さんは、ざまぁと思っていただろう
前者は近衛前久とか
0330人間七七四年
2011/12/31(土) 21:14:14.17ID:n76RcxQl豊臣家滅亡の史実を知っている後世の人間から見たら何故秀吉は
あんなに家康を優遇し信頼したのかと思うけど、家康は
秀吉が死ぬまでは本当に律儀だっんだろうなと思う。
家康の変貌振りは凄いよね。
やはり天下を前にすると人は変わるんだろう、秀吉しかり、信長しかり。
0331人間七七四年
2011/12/31(土) 21:18:07.81ID:kM6X99Ynただ他の日記の残るような公家さんはみな改竄欠損だらけだから
よほどつい本音がでたんだろなと。
「不可驚事也」なんて残ってるのは黒幕説に利用されかねんわ。
0332人間七七四年
2011/12/31(土) 21:21:16.95ID:Kn5WWRKH最近聞いたばかりの
面従腹背
という感じだろう
秀吉にしても自分を悪いようにはしないのは分かってたから
それなりに従っておけばどんどんと自分を取り立てるはずと分かってた
それで力を蓄えていった
ただそうはいっても秀吉が先に死ぬかは本当に運だったから
そこも備わってたのは間違いなし
0333死
2011/12/31(土) 21:22:58.64ID:PFSwDUDGその面しか見ない人には信長は外道に見えるんだろうけど
>>330
秀吉は甘いよな
あれだけ目を掛けてやったのに死後手のひら返して大阪滅ぼすなんてよ
秀吉の墓までぶっ壊したんだろ、やり過ぎだよな
0334人間七七四年
2011/12/31(土) 21:23:56.78ID:kM6X99Ynあれさ、秀吉がボケて信用したのか
そこはマジで信用したのかどっちだろうね。
もし家康がだましきったのならそれこそタヌキなんてもんじゃない
もんな。
ただ50代後半だしあそこから家康がすべてをかけて勝負に来る
なんてのも確かに想定はしにくいわな。
そのままだって大老筆頭格で何の不満もなかっただろうし。
だから天下を目の前にしたというかかなり前から想定はしてたんじゃ
ないかな。自分が先に死んだら仕方ないが相手が先に死んだら
勝負だって。じゃないと幕府解説後の完璧さが説明できないもんな。
0335死
2011/12/31(土) 21:26:57.08ID:PFSwDUDG福島なんて、家康抑えの為の兵糧まで家康に提供しちゃうんだぜ?w
そもそも家康抑えの為に尾張に配置したのに、兵糧ごとごっそり寝返るなんてな
0336人間七七四年
2011/12/31(土) 21:31:40.52ID:kM6X99Yn家康はどういう作戦で行ったかね。
無理やり私婚繰り返してアヤをつけたかな。
0337死
2011/12/31(土) 21:37:34.28ID:PFSwDUDG史実と同じじゃないのか?
難癖つけて、攻め込むぞ!って脅す
前田をそうしたように、上杉をそうしたように
そして全て配下に収めた後に、大名の取り潰し実行する
これが家康のやり方だね
ま、家康に250万石も持たせたのが敗因かもな
100万石程度の武将だったら発言力あっても
周囲が束になれば勝てない相手ではなかった、兵の動員力が違うからな
0338人間七七四年
2011/12/31(土) 21:53:44.31ID:n76RcxQl近衛前久は徳川の時代になっても信長の追悼句会開いている。
信長は彼を嫌う人間にはとことん嫌悪、憎悪されるけど、
心酔する人間は彼の死後も長く慕ってるんだよ前田利家とか細川忠興とかね。
>>333
秀吉自身が大恩を受けた織田家を乗っ取り、あの仕打ちだよ。
事実上織田家を崩壊させたのは秀吉だからなあ。
同じような事を家康にされても文句は言えないだろう。
>>334
>ただ50代後半だしあそこから家康がすべてをかけて勝負に来る
なんてのも確かに想定はしにくいわな。
そうだよなあ。。。。言われてみれば。。。。
歴史の事実だから違和感を感じなかったけど当時から見れば
「まさかの行動」だったんだろう。
0339人間七七四年
2011/12/31(土) 22:24:50.74ID:ykG7ZBvsそこから新たに幕府立てて朝廷対策して豊臣政権崩壊て
数年単位じゃ無理だろうし、途中で家康が死ぬかもしれないし
そりゃ健康に気を使うよなぁ
0340人間七七四年
2011/12/31(土) 22:29:05.47ID:dbcp6HbH家康の関東転封は、秀吉としては、体よく左遷したつもりだたんだろう。
要衝の東海道から僻地の関東に移し、しかも全くの新領土だから、経営に手間取って、力を削げる位に考えていたろう。
関東の支配を短期間で固めた家康と家臣団の力量が凄かったんだが、そこまでは予測できなかったんだろう。
0341人間七七四年
2011/12/31(土) 22:39:05.41ID:crPn243i0342人間七七四年
2012/01/01(日) 03:13:46.06ID:wrXd3Iz/皇紀2670年だっけ?
じゃあ西暦200年前後と言われる卑弥呼の時代とか何してたんだよという話。
なんで天皇が統治してたのに邪馬台国と言う独立国を勝手に作られちゃってるんだよ?wという話。
はっきり言うと、天皇の歴史は1000年以上サバ読んでて、実在確認されてる天皇は西暦500年ぐらいの人だよ。
神武天皇から漏れなく「漢」字で名前が付いていることには目をつぶるお前ら、いい加減理解しろよ。
紀元前600年とかの日本にいた架空の原始人にとりあえず「チャーリー」とか「ミヒャエル」とか「ロドリゲス」とかそういう名前付けてるのと一緒なんだよ。
松本智津夫と同レベルのインチキ祈祷師の洗脳から早く醒めろよ。
0343人間七七四年
2012/01/01(日) 14:05:34.89ID:y2H+TTsX■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています