【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その14
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0001人間七七四年
2011/11/07(月) 17:56:41.52ID:gc+MSXxX徳川家・松平家と家臣団まで包括するスレです。
人の一生は
重荷を負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし
人はただ 身の程を知れ 草の葉の
露も重きは 落つるものかな
0161人間七七四年
2011/11/22(火) 08:12:28.89ID:vwd165Si引き出物もでかけりゃいい、って新幹線の中でよく顰蹙かったもんだ。
三河というか尾張の方がすごい気がする。
0163人間七七四年
2011/11/22(火) 14:56:31.01ID:8UNHW7cY0164人間七七四年
2011/11/23(水) 10:00:41.48ID:6OXhfx1f唐の頭を付けておしゃれするとか、首をとられたときに恥をかかないように、
新品のふんどしを使うとか
信長を蒲原御殿に招待したときは、それなりに豪勢にしたみたいだけど…
0165人間七七四年
2011/11/23(水) 10:47:21.99ID:pVqALr/70166人間七七四年
2011/11/23(水) 12:37:30.98ID:gSlXITcQ関ヶ原の戦いは単なる語呂合わせのパロディ
http://2nd.geocities.jp/jmpx759/0203/39/266_1.html
http://3rd.geocities.jp/jcon_tline/02/k/k10.html
目的は、島津氏率いる薩摩の滅亡。
日付は、「平将門の乱」と一致。
東京政府の方針は、今日も、何も変わらない。
( http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/02/p001.html )
0167人間七七四年
2011/11/23(水) 13:14:34.78ID:sv8hW1L6駿府城なんて徳川家の威信を見せ付けるためにものすごい派手だったらしいから
ただ派手すぎて再建を諦めちゃったんじゃないかねwww
家康死後だしさすがに3回もあんな金かけられんと
0168人間七七四年
2011/11/23(水) 13:41:18.18ID:KeWpT/lqそりゃまだまだ戦国時代だから、戦場がターゲットなのも当たり前なんじゃ?
秀次事件時の細川忠興に金貸したのだって、人心掌握だろうし
これこそが、ここぞという時に使う金だろう
0169人間七七四年
2011/11/23(水) 13:46:38.32ID:sv8hW1L6恩を感じないわけが無い
関が原で唐突に家康派になったわけじゃない大名多し
0170人間七七四年
2011/11/23(水) 13:50:50.58ID:t+A9w713よく考えると蒲生氏郷はガチガチの前田利家派だからな
0171人間七七四年
2011/11/23(水) 13:52:21.61ID:KeWpT/lq0172人間七七四年
2011/11/23(水) 15:19:11.07ID:pVqALr/7その蒲生も家康に城造りのアドバイスを受けている
曰く、多聞櫓は良いとか、総構に塀は要らないとか
0173人間七七四年
2011/11/23(水) 18:40:15.94ID:KeWpT/lq0174人間七七四年
2011/11/23(水) 22:38:29.86ID:cKWvstPe1868年から現代まで、徳川時代に冷飯を食わされていた薩長が今の社会の上流にいる。
面白いもんだな。
0175人間七七四年
2011/11/24(木) 08:02:03.27ID:B2sIX7xK0176人間七七四年
2011/11/25(金) 15:21:52.04ID:RtZd6Xvgって話題があるんだけど、みんなならどうする?
俺なら、西三のご先祖様のとこ行って商人で成上るw
0177人間七七四年
2011/11/25(金) 16:22:18.84ID:EW/YV1tC0178人間七七四年
2011/11/25(金) 18:47:08.36ID:GVpdNMev0179人間七七四年
2011/11/28(月) 15:56:39.07ID:VtH5Hs/cおかしくない?
0180人間七七四年
2011/11/28(月) 17:12:14.04ID:c7/KZ8pd0181人間七七四年
2011/11/29(火) 01:26:50.25ID:8waheAWq0182人間七七四年
2011/11/29(火) 01:35:56.23ID:D1ZK1C3s0183人間七七四年
2011/11/29(火) 01:59:32.06ID:tfk2js7B0184人間七七四年
2011/11/29(火) 10:01:13.30ID:xFFAJVNB0185人間七七四年
2011/11/29(火) 11:29:34.27ID:Z0Fu1nsT0186人間七七四年
2011/11/29(火) 23:04:04.55ID:5TocpKCB家康は信長や秀吉のような極端に冷酷な逸話は無いし、まあ天下を取った故
というのを割り引いても人の心情を慮った逸話が割りと残っているけど
ど子供に対しては冷淡だよね。
秀吉は言うまでもないが信長は身内には甘かったけど、家康は晩年に生まれた
孫のような息子はともかくとして息子に対して意外にびっくりする位冷淡な逸話が残っている。
0187人間七七四年
2011/11/29(火) 23:39:08.80ID:L2lACqdD0188人間七七四年
2011/11/29(火) 23:40:34.63ID:0kWIMvnc0189人間七七四年
2011/11/30(水) 00:19:54.23ID:V2vLgaK40190人間七七四年
2011/11/30(水) 05:36:32.35ID:A1+pWm4r堀川城も何で領民まで立て籠もったのか意味不明だしw
0191人間七七四年
2011/11/30(水) 09:09:06.17ID:yb4D7ZBMその件と信長の対一向一揆については理解できるけど
秀吉の秀次一家惨殺は理解できん
0192人間七七四年
2011/11/30(水) 18:35:02.52ID:VWdjw8+M徳川の秀頼抹殺も似たような意味には思う。
国のトップにはトップなりの価値観が発生するんだろな。
0193人間七七四年
2011/11/30(水) 19:03:09.37ID:8gGebrwb秀次に子供がいればそっちに渡す可能性は高い
だけどそっちのほうが豊臣政権は長生きできたかもしれない
0194人間七七四年
2011/11/30(水) 19:52:59.85ID:k4mjKbOE伊達・上杉・武田・織田みんな殺してるw
0195人間七七四年
2011/11/30(水) 21:42:00.51ID:BEMdGPEP0196人間七七四年
2011/11/30(水) 23:52:50.09ID:VWdjw8+M国のトップ、もう少し言うと「氏」としての男系直系の後継の
問題が根底にあるようには思う。
秀次にはすでに男子がいたしかわいそうだったとは思う。
0197人間七七四年
2011/12/01(木) 00:10:10.18ID:Jpe0kiH7> 堀川城も何で領民まで立て籠もったのか意味不明だしw
戦時に領民が城に入るのは一般的な話だぞ。
城が明け渡された後に立て篭もった領民が捕らえられ女子供にいたるまで惨殺、
さらに村の家屋が全て焼き払われるなんてのはかなり苛烈。
0198人間七七四年
2011/12/01(木) 04:20:40.52ID:f0vCg/Ig珍しくは無いのは分かってるけど、
だったらなお更惨いことしたんだろうか?
ビビらせて近隣を降伏しやすくするとかか?
0199人間七七四年
2011/12/01(木) 09:29:05.01ID:7PhUdYAmこの場合、領民は積極的に徳川に敵対するものとして扱われたんだろう
0200人間七七四年
2011/12/01(木) 13:31:25.33ID:pwTqUUuh0201人間七七四年
2011/12/01(木) 16:41:40.27ID:7PhUdYAm0202人間七七四年
2011/12/01(木) 22:58:03.92ID:xARuP9xxゴタゴタし過ぎだろこれw
ウィキが冗長過ぎてワケ分からん。
誰か5行で概要まとめてくれ!
0203人間七七四年
2011/12/02(金) 00:47:27.70ID:CjrtLfKCいろいろ読んでるから何を読んでかは覚えてないが
やはりそれをやったために周辺豪族なんかも徳川に従いやすくなったと
どこでも同じじゃないかね、人間の心理は
0204人間七七四年
2011/12/02(金) 05:38:51.13ID:Q4LEaghPこないだ出雲の松江城に行ったら松江城主の松平なんとかは秀康の子だった
ちゃんと子孫いっぱい残ったんだな
0205人間七七四年
2011/12/02(金) 08:55:12.86ID:XLSp5UxK知らなかったくらいだから
影が薄かったのは事実だろうなw
0206人間七七四年
2011/12/03(土) 03:27:03.45ID:KQLaC+ZV0207人間七七四年
2011/12/03(土) 22:15:32.46ID:2WkcdPYb0208人間七七四年
2011/12/08(木) 18:45:29.56ID:LSqPwBGX家康はなんでエドは嫌だって言ってたのに
エドに本拠を定めたんですか
特に本人はその件については何も言ったりしてませんか
0209人間七七四年
2011/12/08(木) 18:50:28.44ID:6evRfFc1関八州に移された時、未開の地だった江戸は、逆に言えば開拓し放題
そして江戸は、東北などを監視する位置でもあるから
絶対に嫌だって訳でもなさそうだと思う
0210人間七七四年
2011/12/08(木) 19:26:59.47ID:N44PBbkf今川家臣だったときは全力で今川義元につくし、織田傘下にはいったら信長に尽くし、
秀吉に関東にいって江戸を開発せよと言われれば江戸こそ我が都と考えて
一生懸命開発した 信長、秀吉にくらべると地味だけど、やっぱすごいひとだよ
0211人間七七四年
2011/12/08(木) 20:08:10.39ID:u4ebqFt+答え方が明解なのではないだろか。
0212人間七七四年
2011/12/08(木) 20:35:17.69ID:6evRfFc1拒否して、信雄みたいに改易されちゃ敵わんし
0213人間七七四年
2011/12/08(木) 22:02:14.12ID:ZUCXwf4l実際は警察下命だと理解し、従ったのである
0214人間七七四年
2011/12/08(木) 23:02:17.90ID:LSqPwBGX江戸じゃありません穢土です
厭離穢土とまで旗に書いていれば
同音でエドじゃ縁起が悪いやってこれっぽっちも思わなかったのかってこと
改名しようとかさ
0215人間七七四年
2011/12/08(木) 23:16:40.42ID:u4ebqFt+江戸と命令されたらしゃぁないわなぁ。
しかしそこで消耗せずに関ヶ原に持ち込めるぐらいの
国力つけるのはさすがとしか思えん。
0216人間七七四年
2011/12/09(金) 00:15:13.14ID:Jqn4PATZ松平家の墓前で自害しようとした時に、お坊さんからこう言われて説得されたって話だったっけ
0217人間七七四年
2011/12/09(金) 10:48:48.78ID:jTC2MswL0218人間七七四年
2011/12/09(金) 10:51:58.34ID:i74uUkTg朝廷と同じように、配下に入り掛けてただけだろ。
>奥羽征伐もあるし家臣への知行地考えると
三河のままだったら、伊達と連携取り辛かったかもなwww
0221人間七七四年
2011/12/10(土) 00:23:11.68ID:Hcy5EI3a作左がいなけりゃ死んでたかも知れないよ
0222人間七七四年
2011/12/10(土) 00:23:57.60ID:gxsCVUwI0223人間七七四年
2011/12/10(土) 01:11:14.77ID:dD0lWujV0224人間七七四年
2011/12/10(土) 09:44:56.63ID:LzX0m8/qガラシャとかか? 逃げられたのか知らんけどw
0225人間七七四年
2011/12/10(土) 11:10:55.21ID:jGpa97L2主君だけが必死になってるような大名ならとっくに滅びてるわ
三河武士とかつまんない妄想要らないから
0226人間七七四年
2011/12/10(土) 12:51:33.58ID:9mfGMLUH頭が上がらなかったろう、みたいな話があっていかにもイマドキだと
思ったな。
0227人間七七四年
2011/12/11(日) 00:00:49.01ID:Y17cjTJm別な見方で、幕末の近代武器や産業革命、戦術は洗練されたものしか来なかったから
無駄に日進月歩に付き合わず済んだかもしれない。
0228人間七七四年
2011/12/11(日) 03:41:01.03ID:JC47pGpY0229人間七七四年
2011/12/11(日) 18:19:34.30ID:JV02TUEv0230人間七七四年
2011/12/11(日) 21:46:33.41ID:Cs6ym223まあ、吉宗の鎖国緩和政策をもっと踏み込んだものにしてもよかったとも思う
0231人間七七四年
2011/12/11(日) 22:16:58.03ID:wYv4jC6Cでかい戦もないから貴重な史料も結構残っているしな
0232人間七七四年
2011/12/11(日) 23:02:34.82ID:YB9eQBP9閉じ籠っていたからって国を守れるわけじゃない
外国より優れた技術を維持できるなら鎖国でもいいが
単なる引きこもりではむしろ国を滅ぼそうとしてるも同じ
自分は鎖国(秩序ある国交)を高く評価しているが、徳川の場合は発展途上国が何処でも行った蒙昧なる閉鎖であったと言わざるを得ない
0233人間七七四年
2011/12/11(日) 23:19:34.62ID:4nmkfzGl0234人間七七四年
2011/12/11(日) 23:38:23.58ID:9xm3SKVO0235人間七七四年
2011/12/12(月) 12:11:53.50ID:QqsOpibc完全に閉鎖していたなら技術の遅れも言い訳出来るが
現実には幕府だけ世界情勢を把握する事が出来た
にも関わらず幕府は何の手も打たず危機感も抱かず単なる引きこもりを続けた
それに幕府は人の移動を厳しく制限しており、鎖国令以降に出国した者は殆どいない
結局、鎖国は蒙昧な閉鎖なんだよ
外国人の入国制限をしたまでは良かったが、出国まで制限してしまったのはいかにも無能
まるで一昔前の共産主義国だ
秀忠の代までは侵略的意図を持った国を排除するのを目的としていたのに
それ以降は何故か単なる排他的行動に変わってしまった
0236人間七七四年
2011/12/12(月) 12:54:15.39ID:8xLHDWCh日本は遅れた後進国になった、というのは善悪としては難しい。
例えば、今でも銃が日本にないのは徳川の鎖国が大きいだろう。
いったん入ってしまうと追い出すのは不可能だし日本は
平和に働いて労働で世界に貢献、と意識してたかどうかは別だが
そういう役目を果たして現在でも別に野蛮国のままではない。
麻薬とかもそう。
出国も制限しないと「銃は必要ですっ」みたいな思想が入ってくるかもしれないし
お家が大事、という狭い視野の発想が意外と、平和で安全な国日本、に
結びついてるだろう。
維新日進日露、もちろんこないだの大戦とあって銃の必要さ重要さは知ってるだろうに
「あれは戦争時にほかで使うもの」みたいな発想でずっと現在まで続くのは
江戸期にその根があるようには思う。
0237人間七七四年
2011/12/12(月) 13:03:16.55ID:93Sr1dXtアヘン戦争で明確な危機感を覚えている
後、出国禁止の目的は武器輸出と同じく、傭兵の輸出禁止のため
0238人間七七四年
2011/12/12(月) 13:13:13.27ID:yDd94li+厳しい鎖国なんてして無かったんじゃあ?
0239人間七七四年
2011/12/12(月) 17:51:58.08ID:ovaJ7T+M物言いはともかく、概ね同意
当初はきちんとした目的のための手段としての鎖国だったのに、
時代が下っていくにつれ手段であったはずの鎖国が目的化してるのは目も当てられない
幕府の怠慢といえばその通り
ただ何もしてなかったわけではないし、危機感は持っていた
そこは認めるべきだと思う
0240人間七七四年
2011/12/12(月) 18:42:38.14ID:UXB2Ktg7↓誘導「鎖国ってどんなメリットがあったの?」
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1257848621/l50
0241人間七七四年
2011/12/12(月) 19:06:44.73ID:7UbjbhTM豊臣政権が存続したら大阪が首都だったのに
家康のせいで東京が首都になって悔しい
0242人間七七四年
2011/12/12(月) 19:31:48.95ID:QFPjfz1aあんたら飽きないね・・・
お互い過去レスコピペしとけばスレは進行するよwww
0243人間七七四年
2011/12/12(月) 19:37:27.36ID:U7YIPr35岡崎とかが首都で俺んちが半端無い土地長者だったかも知れんわwww
そうなったら多分、東西に広がりまくりだと思うが
横長の巨大都市ってあるの?鎖国は微妙に面白くないから、どうせなら
「関東左遷無しで天下とってたら、どこに幕府開いたか?」で妄想しようぜ?
0245人間七七四年
2011/12/12(月) 21:52:35.48ID:c456iTTGつうか都市ってのは川沿いや海沿いに発展することが多いから、
横長縦長ってのは珍しくない
0246人間七七四年
2011/12/13(火) 12:28:19.66ID:mYItY/Jrぶっちゃけ聞いた事無いかもw
東京みたいに放射状に広がれない巨大都市って
交通網とかどうなってんだろうな。
0247人間七七四年
2011/12/13(火) 13:47:59.92ID:gsv/4uWM同士の交通が発達しなくて近いけど遠いとかね。
家康は攻撃されるのを防いでいたから
巨大交通路の整備はわざと発展させなかったんだろな。
0248人間七七四年
2011/12/13(火) 16:13:29.60ID:Rz+M8dHp0249人間七七四年
2011/12/13(火) 21:12:01.01ID:sWuujZ3v0250人間七七四年
2011/12/13(火) 21:36:38.16ID:gsv/4uWM作ったけどそういう通常の交通路じゃなくて
巨大な橋とか海上交通用の巨大船とか
そういうのは許可しなかったでしょう。
姫街道やらそういうレベルでの整備じゃなくてさ。
0251人間七七四年
2011/12/13(火) 21:45:10.14ID:Rz+M8dHp千住大橋、六郷川、矢作川と多くの橋を架けていますが
架けなかったのは主に技術的な理由
船も弁才船は三千石クラスの大型船も建造されている
規制は基本的に軍用船
0252人間七七四年
2011/12/13(火) 22:07:56.87ID:00cYVP5j廻船があまり大きくなかったのは、沿岸航海で効率よく荷物を運ぶにはあれが
経済的に最適サイズだったから。
帆装については見直す意味があったけどね。逆風で走れないし。
明治に入って幕府の規制がなくなっても、和船の帆装だけ洋式にしたのが走りまわってた。
船体についてはいわゆる千石船で経済規模に対して十分だった証拠になると思う。
(明治政府の船に関する法律が洋式船だけを対象にしてて、和船は好き勝手できたって
理由もあるらしいけど)
和船が消滅するのは機帆船が普及する昭和を待たなければいけない。
0253人間七七四年
2011/12/13(火) 22:52:33.33ID:Rz+M8dHp下の帆桁がないから逆三角帆にして
0254人間七七四年
2011/12/13(火) 23:21:24.29ID:Cseogoc3ちんぷんかんぷんだから、人馬鉄道路で頼む!
0255人間七七四年
2011/12/15(木) 23:34:00.10ID:RefOvdhV0256人間七七四年
2011/12/17(土) 13:07:43.26ID:f4tmWkyb0257人間七七四年
2011/12/17(土) 13:14:03.93ID:W3z/16fJ0258人間七七四年
2011/12/17(土) 16:32:48.09ID:MeZrXIOl橋が架けられない川ってのはがあるんだよ
架けても架けても流されてちゃ金がいくらあっても足らん
0259人間七七四年
2011/12/17(土) 17:18:56.55ID:oC7DDb/y白い布をかけておけば十分
0260人間七七四年
2011/12/17(土) 19:17:12.26ID:lag8z4BLどんどん流されてもまた作ると言うのは普通じゃないかな。
だから技術上とかお金がないというよりはやはり
大軍が一気に攻めてこないような足止めの意味も
あってかけなかった場所もあるんじゃないだろか。
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