大阪の陣の総指揮は秀忠に移譲されたものの、妻である江の説得に
より急遽停戦に。
江戸幕府は存続するものの、この停戦で徳川氏の全国への統治力は
著しく後退し、京都を緩衝地帯として東国は徳川(江戸)幕府、
西国は豊臣(大坂)幕府として日本が分裂することになる。
秀忠はこの事態をうまく処理する能力を持ち合わせておらず、徳川
の縁戚関係にあった伊達政宗が政治の中枢に参画するようになり、
正式に副将軍として権勢を揮うに至る。
一方、豊臣幕府は秀頼を頂点に置き、その補佐役として最大の
功労者である信繁を執権に据えた。地方には毛利氏・長宗我部氏・
島津氏を三管領として中国・四国・九州を統治させた。