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小田原の役で後北条軍が豊臣軍に勝利する方法

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0001人間七七四年2011/09/23(金) 17:50:27.74ID:Blwz8JaE
かなりのムリゲーだけど徳川・伊達と組んでたら可能性はあるんじゃないかな
0048人間七七四年2011/09/27(火) 23:48:46.33ID:68HcYfN0
>>47
この場合、北条家が戦前の領国を維持出来たら勝利でしょう。
0049人間七七四年2011/09/28(水) 00:15:33.49ID:R8Y8D3PQ
「家康なんか先鋒にしたら北条に寝返って謀反起こしまっせ」
って三成が秀吉に讒言してなかったか?
秀吉は笑って受け流したって言うが
0050人間七七四年2011/09/28(水) 00:26:38.16ID:Vxsc42kS
秀吉は西日本平定後は家康の謀反を望んでいたんじゃないのかな。
北条征伐後の家康、信雄の国替えは二人して謀反起こしてもらってもう一回小牧長久手の戦いをやりたかったのかも。
0051人間七七四年2011/09/28(水) 01:02:28.47ID:WSGJKyEY
>>49
味方かどうか試すために先鋒にしてんだがな・・
戦国時代じゃ、国同士の対決はその境界線にいる大名・国衆が先鋒になるのが常識
その逸話は、石田三成が軍略に通じてないと貶めるための、数ある捏造話の一つだ
0052人間七七四年2011/09/28(水) 01:22:41.70ID:KviZNcv8
>>25
伊豆相模じゃなくて?
上総と下総(の南部)の安堵は里見氏だと思う
もっとも、こちらも惣無事令違反で反故にされたが
0053人間七七四年2011/09/28(水) 01:55:01.03ID:NibKp//G
>>52
伊豆相模じゃない
0054人間七七四年2011/09/29(木) 01:27:30.69ID:sOZWxgIS
北条も頑張れば8万くらい動員できたんだろ?
越後、信濃、甲斐、駿河国境の険しい峠道に2万ずつくらい配置してれば
関東に入れずに戦えたんじゃないのか?
0055人間七七四年2011/09/29(木) 01:41:34.90ID:/QjTxGmQ
この頃の秀吉は怪物で神がかってるからな
0056人間七七四年2011/09/29(木) 04:36:01.94ID:3k/DCKY+
>>54
北条家自体は相模・伊豆・武蔵・上総の一部にしか直轄領を持っていない、後は国衆
動員に応じない・豊臣方に寝返った国衆がおり、そうすればおのずと隣接する国衆も動けない
それと北条家は佐竹・宇都宮連合と交戦状態なので常陸・下野・上野周辺にも兵を置かねばならない
関東征伐に当たって北条家はかなり厳しい徴兵(少年や老人も引き抜く、まるで太平洋戦争末期のように)をしているが、
それでも足りなかった
0057人間七七四年2011/09/29(木) 07:38:52.14ID:LQPD1bFz
中途半端に拡大路線とって、各地に兵力分散した挙句
全てを守りきるのは無理だから小田原に全員集合〜!って要衝捨てちゃったんだもんな
合戦に持ち込まれた時点でもうどうにもならない
合戦になる前に外交努力で何とかするべきだった。
まあ・・・北条もいろいろ外交やってんだけど、秀吉がそもそも降伏案を飲むつもりがなかったんだろうな
通説では秀吉が大幅に譲歩してるのに、北条がなかなか降伏しないから業を煮やしたみたいな書かれ方だけど
秀吉がやる気満々だったのは明白だもん
0058人間七七四年2011/09/29(木) 09:53:47.68ID:+m92HzHL
>>56
南上野にも持ってる、沼尻でうまくせしめてたはず
それによって沼尻以前と以後では上野・下野に対する影響力も段違いになって、
横瀬・長尾、佐野、皆川、壬生といった諸氏に相当圧力かけて、宇都宮侵攻の基板になった

もっとも国衆中心というのはそのとおりだけどね
0059人間七七四年2011/09/29(木) 10:43:04.03ID:h3zy0ca0
武田→上杉→北条は信長の元々の構想

なんで上杉すっとばして北条だけ残ったかはしらん
つか武田も北条も大名復帰寸前に病死とはどういう事だよ
0060人間七七四年2011/09/29(木) 22:56:49.71ID:3k/DCKY+
>>58
秀吉との手切れ直前は、かなり優勢だね。氏照中心に攻めて関東制覇も夢ではなかった。
それだけに関東征伐の報は悪夢だったろうね
氏照の八王子衆その他の配置転換・撤退に苦労したろう
0061人間七七四年2011/09/29(木) 23:13:00.44ID:+m92HzHL
>>60
秀吉があと五年もたついてくれていれば、
あわよくば・・・って妄想ができるくらいにはな

それだけに本能寺以後の秀吉の速さには脱帽せざるを得ない
0062人間七七四年2011/09/30(金) 01:23:57.87ID:jlZxcMh6
つかそんな不穏な動きを止めなかったから見せしめにされたんだろうな
これ以降の九戸なんて根絶やしだし
奥州の連中が秀吉に逆らうと考えての籠城だろうが普通に見通しが甘かった
それは北条に限った事じゃないから、当時の情報伝達力の低さでも伝わるような合戦が必要だったんだろうな

秀吉側は22万の軍勢に70万石越えの兵糧
勝ち目がない
0063人間七七四年2011/09/30(金) 09:47:05.29ID:gfHXUepM
兵力差だけなら楠公の例もあるけど、やっぱロジスティックが勝利要因かね。
0064人間七七四年2011/10/01(土) 10:45:41.13ID:UUbl8Pvs
楠公だって天皇を担いでいた事と、全国で倒幕の気運が高まっていた事に後押しされていたから
時間を稼ぐ事が目的であっただけで楠公だけではどうやっても勝ち目はなかったよ
後北条氏の場合は何の後ろ楯もないし、時勢も後北条氏の方には向いてない
むしろ豊臣氏に朝廷の威光や時勢も向いていた
だから少しぐらい粘ってもどうにもならなかったよ
0065人間七七四年2011/10/01(土) 11:08:37.49ID:185pKx83
じゃあ北条も朝廷の誰かか、それとはまったく別の何かを担ぎ上げていれば
そこそこにいい勝負になったわけだ。
北条はそういうことマジメにやってこなかったからなあ。
0066人間七七四年2011/10/01(土) 11:54:20.81ID:tRbk5aRx
ある意味朝廷と一線を引くメッセージで北条を名乗ってるんじゃないの?
0067人間七七四年2011/10/01(土) 17:44:30.85ID:tRbk5aRx
あっそうだ、時勢はなかったかもしんないけど、朝廷の威光だけなら、
新田義貞にもあったよ。でも箱根で負けたよ。
0068人間七七四年2011/10/01(土) 23:31:49.26ID:6LkonQUv
小和田先生の秀吉軍兵站限界説は?
0069人間七七四年2011/10/02(日) 00:26:50.94ID:gTqVKhUv
3ヶ月しか篭城出来なかったのは城内の裏切りが原因だろうな

松田が裏切るとは・・・
0070人間七七四年2011/10/02(日) 05:09:51.72ID:zhh2AyKn
小和田って武田関連だとある程度参考になるが、それ以外だとてんでダメな人じゃん
0071人間七七四年2011/10/02(日) 08:52:15.45ID:/cMADr/T
>>69
松田憲秀は裏切り者の代名詞みたいな事に秀吉方にされてるけど
実際は明確に裏切ったわけじゃない。
(息子の方は真っ黒だけど)
0072人間七七四年2011/10/02(日) 15:47:21.05ID:PMk4Uaeu
大道寺のほうが可哀想
0073人間七七四年2011/10/02(日) 18:35:42.32ID:9PSbta+V
下野の連中や佐竹、里見がやっかいだね。
作戦を立てようにも魚の骨のように喉に引っかかる。
0074人間七七四年2011/10/02(日) 19:09:07.46ID:wehfGK9q
歴群関係のだと思うわけのわからん単行本を引っ張り出してきて読んだ。

先の先で、1、伊達と組んで越後侵攻。2、伊達に越後けん制してもらい全軍で
駿河甲斐信濃の3方向へ侵攻。3、全力で駿河に侵攻して、駿河東部を確保して
西方防壁(山中韮山足柄)の前に防御地帯を構築という氏邦さんの戦略が披露されてた。

おれは伊達は嫌いだから、3、しか選択しない気がするけどこれは意味ないよな。
0075人間七七四年2011/10/02(日) 19:59:10.57ID:PimrdnBO
箱根の山絶対防衛線を構築って仮想戦記もあったな。
現実にやると北国連合軍に小田原を叩かれると思うけど。
0076人間七七四年2011/10/02(日) 20:26:14.20ID:fBmb8ugN
どっかで決戦挑んで勝って伊達に動いてもらわないとジリ貧
0077人間七七四年2011/10/02(日) 21:11:30.72ID:51esCWXX
白装束「土下座の準備はできておるが?」
0078人間七七四年2011/10/02(日) 21:58:55.18ID:zhh2AyKn
>>74
てか、どの方法とるにしても佐竹達完全スルーされててかわいそうだw
0079人間七七四年2011/10/02(日) 23:41:27.07ID:mFNLsfLQ
>>74

1.越後に戦力を割いたところで、箱根経由の豊臣軍を阻止できない
2.少ない戦力で西に戦端開いても詮ない
3.防御地帯を確保しつつ終戦工作は悪くないけど、徳川に喧嘩売って誰に仲介して貰うのか
0080人間七七四年2011/10/03(月) 10:47:59.45ID:B8Dk+6gb
勝利条件を低くして、例えば半年籠城に耐えて豊臣軍と少し良い講和条約を結ぶ、
ということにすれば勝ち目はあったのではあるまいか
よく考えれば関ヶ原の負け組でさえ30万石ぐらいで生き残ったのだから、北条も
最低でも伊豆一国もらって生き残ることはできそうな話だが・・・
0081人間七七四年2011/10/03(月) 11:19:06.08ID:amMaGycu
相模一国安堵されるも信雄みたいに転封でゴネて改易
0082人間七七四年2011/10/03(月) 11:21:10.59ID:MnVx14ML
どうやっても裏切り者はでるだろ
そこは秀吉が一枚上手
0083人間七七四年2011/10/03(月) 11:39:42.75ID:9ksaXgT+
伊豆一国ってしょぼすぎだろ・・・
0084人間七七四年2011/10/03(月) 11:55:28.73ID:PFEafUYA
温泉以外なんもないところだからな
00852011/10/03(月) 14:58:45.17ID:SqCCR8fz
早く頭下げてりゃ所領安堵だったのにな、
家康が屈服する前に頭下げてりゃ家康領切り取って加増だったかも知れん
5大老の座もあったぞ、北条はアホ過ぎる
00862011/10/03(月) 15:11:51.98ID:SqCCR8fz
頭までは下げなくても協力的な姿勢を見せるだけでも全然違ったよね
背後から家康を警戒するから、早く畿内をまとめろ〜とか
縁談を申し込むとか、なんか手はあったべ
0087人間七七四年2011/10/03(月) 15:28:23.44ID:dBlxEXtm
伊達は貴種として名門のプライドがあったその境遇ゆえに判断が遅れてしまったのだろう
恐らく秀吉と交渉する時には一門が滅ぶ覚悟があったと思う
百姓のドゲザムライになるくらいなら誇りある死を選ぶ
利己的な考え方しか出来ない現代人には理解し難いとは思うがその生き様は戦国のラストサムライと言える
00882011/10/03(月) 15:30:07.04ID:SqCCR8fz
そう言えば島津も伊達も北条もすんなり降伏はしなかったよな、家康もだけども
すんなり降伏したのは大友宗麟くらいか?
あれは降伏じゃないと思うけど
0089人間七七四年2011/10/03(月) 16:15:33.58ID:gxR8Pxgm
>>83
伊豆国は律令制度でも下国
0090人間七七四年2011/10/03(月) 17:51:08.89ID:hMCHU/en
>>87
土下座しまくったじゃないか
0091人間七七四年2011/10/03(月) 18:11:26.96ID:amMaGycu
佐竹もあっさり臣従
伊達と北条に挟まれてたら仕方ないけど
0092人間七七四年2011/10/03(月) 18:18:06.99ID:1JiaYwt6
>>87

どんだけ迷ったって結果土下座してんだから、なんだろうその情状酌量。
おれ的には伊達は活きがった中途半端な不良が、喧嘩寸前でビビって侘び入れた感じ。
0093人間七七四年2011/10/03(月) 19:52:19.85ID:BlMrwjkm
小牧長久手の時の家康って小田原の役の北条の半分くらいの勢力だし
兵力も大したことなかったのになんで秀吉はアッサリ兵を引いたんだろ?
もちろん西にも北にも敵が残ってたのもあるけどあんな厄介な奴こそ潰したほうがよかったし
頑張れば潰せたんじゃないの?
0094人間七七四年2011/10/03(月) 19:56:19.07ID:dBlxEXtm
>>87は後北条だった何か書き間違えた
0095人間七七四年2011/10/03(月) 20:37:26.58ID:Zs2HKMfI
こら
0096人間七七四年2011/10/03(月) 23:20:29.79ID:Yr+uYIVA
>>93
天下がどう転ぶか予断を許さない状況だったから
0097人間七七四年2011/10/03(月) 23:22:56.61ID:OBn5W2e0
あれ以上徳川と長引かせてると、四国や九州がいつまでも平定できない。
とにかく西を固めて経済的な優位を確立させるまでは我慢するしか無い。
0098人間七七四年2011/10/04(火) 00:16:58.32ID:hu7ZjD3D
信雄を擁してたってのが1番大きいかな
実際、小牧長久手役の終結は信雄との講和だし
0099人間七七四年2011/10/04(火) 10:32:27.92ID:mDJRDOoH
>>94

なんだそうか。
0100人間七七四年2011/10/04(火) 11:38:35.28ID:TCiJdFg6
>>93
頑張ってまで(リスク背負ってまで)潰す必要が無かったのではないの?
小田原攻めは頑張らなくても(所詮は寄り合い所帯、城を枕になんてことは無さそう)落とせそうだから、やったんだろ?
0101人間七七四年2011/10/04(火) 11:47:06.03ID:ZudycEdG
寄せ集めの大軍とか統率取れないから支那なら死亡フラグ

0102人間七七四年2011/10/04(火) 15:23:32.52ID:21RRzC/U
城戦の得意な北条が山中城で、しかも強襲であっさり落とされたのがまず大誤算だったろうな。
九州の岩屋城なんかもっと過酷な条件であれだけ持ちこたえたのに
それより守備兵力も多く精鋭ぞろいで技術の粋を結集させた山中城が半日で落ちたのはなぜ?
あの調子だったら数が多いだけの小田原城も力攻めで落ちたかもしれんね。
0103人間七七四年2011/10/04(火) 15:40:07.14ID:mDJRDOoH
ぶっちゃけ山中城の構造で半日で落ちたことが納得できない。
現在の整備された山中城を見ての感想だけど、攻撃ポイントは一カ所登りの街道上のみ。
そこを挟むように出丸があって、完璧な堀と切岸。
旅順みたいに屍をきづいたんかな。
0104人間七七四年2011/10/04(火) 18:32:09.99ID:CmX/wI+s
家康も本拠地東海諸国を取られて人心定まらない関東に追いやられている上に前面には当時後継者だった秀次一派がいて背後には蒲生やら上杉やらがいて封じ込められてたようなものだった
ただ結局家康が上手い事関東を治める事に成功した上、秀吉がとち狂って秀次を殺し、蒲生を取り潰したからだわな
まあ何だかんだで秀吉は地方割拠の巨大勢力をそのまま許してる訳じゃないからな
0105人間七七四年2011/10/04(火) 22:15:36.34ID:+BvFooks
>>103
http://iiwarui.blog90.fc2.com/?mode=m&no=4858

信憑性は低いけどね
0106人間七七四年2011/10/06(木) 23:59:11.53ID:ZBfI2c1s
北条はどういう戦略なのか意味不明
八王子とか鉢形とか韮山は放棄して小田原
に戦力集中させれば良かったのに
0107人間七七四年2011/10/07(金) 02:20:45.87ID:g/eZ91lR
精鋭は小田原に集めてるよ
0108人間七七四年2011/10/07(金) 16:49:18.03ID:lBmsTWUL
>>106
逆に精鋭を小田原に集めちゃったから支城が軒並み落ちまくったわけですよ
比較的粘った韮山・鉢形・松井田なんかは、主将が居てその子飼いの精兵が居たからな
0109人間七七四年2011/10/07(金) 18:21:21.58ID:zN2rGxcA
戦力の基本
戦力は分散しちゃいけない
0110人間七七四年2011/10/07(金) 19:32:51.02ID:ue5oxrHF
おれも小田原に集めたことは失敗ではないと思う。秀吉がその上を行っただけの話。
どうにもなんないんだよなどう考えても。
0111人間七七四年2011/10/08(土) 11:48:50.26ID:Vl2X9ih3
バラしても確固撃破されるのはわかってたろうしな
長宗我部がそうじゃなかったか
0112人間七七四年2011/10/08(土) 17:23:33.33ID:NzdVqAwT
敵の戦力を分散させるためにこっちの戦力分散させちゃ意味ないしな
0113人間七七四年2011/10/08(土) 17:35:56.88ID:G0OGANEM
人材の差。氏照や氏邦じゃ役不足
0114人間七七四年2011/10/08(土) 18:23:31.42ID:SYy8QqrZ
役不足の意味あってる?

と陳腐な突っ込みをしてみる
0115人間七七四年2011/10/08(土) 19:13:00.23ID:cauOsglQ
テーマ変えたほうがいいんじゃない?
北条VS豊臣じゃなくて小田原城VS豊臣軍が力攻めしてたら。みたいな。
0116人間七七四年2011/10/08(土) 19:20:37.52ID:ce8SBhO0
だから籠城してたら勝ってたよ。
秀吉は和議破りしたんだから。
0117人間七七四年2011/10/08(土) 19:56:44.31ID:OeTi0NJH
さて和議破りなんて、どこがどのようにと教わりたい。
01182011/10/08(土) 21:44:47.28ID:vGPndi5K
>>93
小牧長久手で負けちゃったからだろ
だから家康潰せなかった
池田と森が戦死したのは痛いべ流石に
あの当時の両エースだもんな
持久戦してる内に旗色が悪くなるのを恐れて秀吉が和睦した
正解だったと思うね、家康潰すのに何年かかるか分からんわ
01192011/10/08(土) 21:50:53.77ID:vGPndi5K
でもさ、中国大返しとか賤ヶ岳での大返しとかド派手な作戦で勝利収めた秀吉でも
家康相手には手古摺ったんだからな
やっぱり当時の家康の力量もかなりのものがあったと思うね
中入り作戦やったけど家康には通用しなかったもんな
中入りで秀吉が勝ってたら大返しと同じ神戦法になったんだろうけど
01202011/10/08(土) 21:57:19.66ID:vGPndi5K
中入り失敗で池田と森が討ち死にしたら
戦力的にはもう家康相手に有利に戦えないわな
秀吉は上手く切り抜けたな、家康は逆転のチャンスを逃した格好とも読める
0121人間七七四年2011/10/08(土) 21:59:19.46ID:ce8SBhO0
>>117
上に書いてるだろ。
秀吉は上総と下総の安堵で北条と和訳を結んだが、小田原開城してぶっ殺したって話だ。
そんな掟破りをしなきゃいかんほど秀吉は追い詰められていた
01222011/10/08(土) 22:00:05.67ID:vGPndi5K
20万の軍勢で包囲されたら終わりでしょう
北条はとにかく空気が読めなかったね
0123人間七七四年2011/10/08(土) 22:38:51.53ID:TY2Ry60k
小田原の役で豊臣軍の補給が破綻していたとする資料が見当たらない
0124人間七七四年2011/10/08(土) 22:42:26.13ID:ce8SBhO0
それなら和議破りなんてしないね。
どう考えても補給が破綻していた証拠。
0125人間七七四年2011/10/08(土) 23:28:26.15ID:AxQBe/wX
補給難が和議破りという方程式が成り立つとは思わんな
証拠は、複数の一次史料の確認で初めて成り立つもので、妄想は、証拠にはならん。
0126人間七七四年2011/10/08(土) 23:40:44.97ID:ce8SBhO0
補給難じゃないならわざわざ悪名が高くなる和議を破る必要なんて無いわけで
0127人間七七四年2011/10/09(日) 00:02:53.17ID:l43fxpFJ
具体的に勝つってなんぞや
ただ北条だけが小田原城に引きこもったままずっと独立し続けるって事?
何の意味があるんだそれ
0128人間七七四年2011/10/09(日) 00:08:45.46ID:hDBPmzx3
>>126
でも証拠も、それを臭わす史料すらないよね。キミの頭の中だけの出来事だよ
0129人間七七四年2011/10/09(日) 00:10:47.39ID:1S7TWVXc
和議破りをしたってことは追い詰められてたってことだよな。
補給難がないなら2年でも3年でも囲えばいいじゃん。

文禄の役より多い軍を貼り付かせてんだから当然補給は厳しいわな
0130人間七七四年2011/10/09(日) 00:33:10.19ID:mLaxgC9y
豊臣軍の20万余ってのは補給部隊は除いた人数?
0131人間七七四年2011/10/09(日) 01:09:37.22ID:Aa8cbpRZ
仮に補給難だとして、そこまで追い詰められた豊臣軍の窮状を察知できず
降伏開城した北条ってすっごくマヌケ
0132人間七七四年2011/10/09(日) 01:25:43.60ID:WvPsgdTo
敵の弱点を簡単に察知できたら苦労は無いだろな
0133人間七七四年2011/10/09(日) 01:29:24.91ID:PWYNgzJi
>>132
なら北条の弱点をいとも簡単に見抜いて労せず勝利を収めてしまった秀吉は優秀でOK?
0134人間七七四年2011/10/09(日) 01:46:46.28ID:WvPsgdTo
>>133
簡単かどうかは別として、自軍の弱点を察知させずに勝利したんだから優秀って事だろうな
0135人間七七四年2011/10/09(日) 06:40:14.77ID:3PIfonEd
家康だって難癖つけて毛利潰そうとしたけど
あれも補給難だったんだね

コケにされただけだよ
そしてそれをくつ返すだけの国力も求心力も残ってなかった
たかだか三ヶ月で崩れる末期的な状態だったって事だろ
粘れたなら粘って見せりゃ良かった
だから黄金バラまいて集めといた数十万石の補給品も豪遊してても余って秀吉側も肩透かしだったろうな
0136人間七七四年2011/10/09(日) 12:53:15.20ID:mLaxgC9y
じゃあ島津取り潰すなんて夢のまた夢だな。
0137人間七七四年2011/10/09(日) 21:46:28.21ID:hDBPmzx3
>>129
実際に2年でも3年でも囲おうとする馬鹿な武将はいねーよ
現代でもお前くらいだ
0138人間七七四年2011/10/09(日) 22:44:06.03ID:1S7TWVXc
本願寺は数年やってたよねえ。月山富田も1年半。
0139人間七七四年2011/10/09(日) 23:36:53.53ID:mLaxgC9y
本願寺は補給が続いてたし月山富田は常に包囲され続けてたわけじゃないんじゃない?

小田原城は完全包囲状態でどれくらい持ちこたえる兵糧があったんだろう。
01402011/10/10(月) 04:33:14.85ID:17HZZB2x
籠城って相手が諦めてくれるのが前提の戦い方でしょ
援軍も期待出来ない状況で城に籠るって
死ぬまでの時間稼ぎにしか過ぎないじゃん
援軍の充てがあるから籠城する、というのなら分かるけど
0141人間七七四年2011/10/10(月) 05:16:23.37ID:6Oy0DQme
以前武田をアテにしたように
伊達や徳川をアテにしてたんだろうな

結局は孤立無援でしたー残念
0142人間七七四年2011/10/10(月) 08:26:11.18ID:bsKC2fXw
もうしばらく頑張ってたら鶴松が死んで秀吉泣きながら撤退してたよ。
逆上して総攻撃してきたかもしれんけど。
0143人間七七四年2011/10/10(月) 08:32:51.20ID:VMeK4buG
秀吉が老衰で死ぬまで籠城してれば勝てたろ、それを狙ってたんだよ北条は
秀吉さえ死ねば所詮烏合の衆だからな
01442011/10/10(月) 10:35:54.85ID:N1SdEgf0
北条は間抜けだ!間抜け!w

長篠で粉砕した勝頼の方が男かもな
城に引き篭もって死んだ北条は情けない
0145人間七七四年2011/10/10(月) 13:36:55.35ID:6Oy0DQme
>>142
後者な気がするw
0146人間七七四年2011/10/10(月) 18:10:16.19ID:NxYraiEO
小田原も海に面していたわけだから、海からの補給があれば
違ったかもしれない。
武田軍に艦砲射撃してた水軍は、小田原の役の頃は
どうなってたのだろう?
0147人間七七四年2011/10/10(月) 18:54:16.93ID:lmy2JpF5
>>145
大政所危篤の報を受けた秀吉は合戦そっちのけで大坂城に帰っているから後者はありえない

>>146
伊豆の各地で豊臣軍と戦い最終的には全て開城


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