【本能寺の変】明智光秀/惟任日向守を語る4
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年
2011/08/20(土) 12:33:36.37ID:qitcoN5Q通称は十兵衛。
父は明智光綱のほか、明智光国や明智光隆の説もある。
さらに信長に仕えるまでの前半生には不明な点が多いが、
明智軍記では美濃明智城主として斉藤道三に仕え、その没後は諸国を遍歴したとされる。
-------以上wikipediaより転載---------
その他秀満や光忠などの明智一族、
斎藤や妻木や溝尾や藤田などの家臣も話題も歓迎。
■武家家伝_明智氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/aketi_k.html
■前スレ
【本能寺の変】明智日向守光秀【山崎の戦い】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167303526/
【本能寺の変】明智光秀/惟任日向守を語る2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1298723473/
【本能寺の変】明智光秀/惟任日向守を語る3
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1307845255/
■関連スレ
天海=明智光秀だった!!!
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1151671577/
本能寺の黒幕は朝廷だった!
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1305979699/
0184中山出雲守
2011/12/29(木) 18:43:07.07ID:Pm2DrQ0W0185人間七七四年
2011/12/30(金) 10:51:43.69ID:mcfViRu6明智光秀こそ織田信長の黒幕。
織田信長が明智光秀。
したがって本能寺の変など起こらなかったし起こるはずもなかった。
こういう論調で進めて欲しいね。
0186人間七七四年
2011/12/30(金) 10:59:00.36ID:AQ32WB8t0187人間七七四年
2011/12/30(金) 19:52:38.46ID:ke+CWghbその子供にとって一番良いと思う事をやればいい。
自分を捨てる事が逆にその職業で生きる道になる。
0188人間七七四年
2011/12/31(土) 01:44:47.62ID:1xer/rkT0189死
2011/12/31(土) 04:42:37.48ID:0ONUb276信長は殺せてもその後苦しいの分かる筈なのにな
賢い明智のみっちゃんならそこまで考えて行動すれば良かったのにな
0190人間七七四年
2011/12/31(土) 11:50:13.04ID:DFuqOBjT0191人間七七四年
2011/12/31(土) 13:43:53.09ID:N1ZMqx5Q【学習歴の記録】
美幌幼稚園 卒園 美幌小学校 卒業 美幌中学校 卒業 美幌高校 卒業 ※高校は途中転入で、しかも不登校でした!
順天堂大学 体育学部 健康教育学専攻 卒 業 ※ガンガン勉強しました!
青山学院大学 第U文学部 教育学科 卒 業 ※幼稚園での教育実習も行いました!
東洋大学 第U文学部 教育学科 卒 業 ※養護学校の教員免許を取得しました!
立教大学・大学院 文学研究科:博士課程(前期) 教育学専攻 修 了 ※良き学師たちに巡り合えました!
カリフォルニア神学大学院日本校 博士課程 キリスト教神学 修 了 ※神様の深き愛の素晴らしさを学びました!
米ニューポート大学大学院 博士課程 教育学専攻 修 了 ※論文執筆に燃えました!--------------------------------------------------------------------------------
0192人間七七四年
2011/12/31(土) 18:57:08.73ID:1xer/rkT0193人間七七四年
2012/01/01(日) 01:01:11.21ID:niDrPxSx千載一遇のチャンスに飛びついた印象。
とにかく目の前にめったにないチャンスがあって見切り発車した感じ。
本来の光秀らしくない行動の為に隙が生まれてああいう結果になったと思う。
もし彼が謀反を用意万端に整えた上に起していたら結果は違ったものに
なったかもしれない。
>>199
でも晴天の霹靂のような謀反を起した光秀に味方してくれと
言われても躊躇するのが普通だと思う。
主君殺しなんて戦国時代でも褒められたものではないし、しかも光秀のやり方
が暗殺に近い。
味方しなかったのが誤算というより味方してくれると思う方が甘いと思う。
0194人間七七四年
2012/01/01(日) 18:30:13.76ID:NyladVeY>味方してくれると思う方が甘い
これかなり同意。
しかも細川筒井にとりわけ期待してたって話が事実なら相当甘い。
細川は信長にやたら恩を感じてる家だし(「綿考」ではその雰囲気。光秀と親友ってのも小説の創作だし)、
筒井だって大和の人でしょ?
大和といったら信長大好きの地域。光秀に味方したら地元民から反発受けるって予想は当然したと思う。
0195人間七七四年
2012/01/01(日) 19:24:51.66ID:9DGEmAZX羽柴の動きがなければゆるゆる近畿を抑えて、行けたであろう。
じじつ近江、美濃は短時間のうちに抑えたのである
0196人間七七四年
2012/01/01(日) 19:34:31.69ID:nrl3Cusr筒井さんは一旦は南方衆を光秀の近江攻略戦に参加させていたが、秀吉大返し
の報告を受けて郡山に引き返している
それでは、筒井さんが秀吉・信孝方に味方したかといえばそうでもなくって、山崎
合戦当日も信孝から「信長公に忠誠を誓っていたのなら、大和から出兵しろ」って
お叱りの書状を受ける始末
大返しがなければ筒井さんはそのまま味方になったと思うね
0197死
2012/01/02(月) 00:45:40.31ID:2zRsVnVK織田家壊滅、織田家臣の末路も悲惨
秀吉にいいアシストしただけだったな、みっちゃん
我慢すれば一国の主にはいれたかも知れないのにな
0198死
2012/01/02(月) 00:54:26.09ID:2zRsVnVK謀反だから援軍来る可能性はゼロに近いし
黙って待ってても四方から攻め込まれるのは目に見えている
なら、信長の敵対勢力である毛利や、長宗我部に保護を求めて
進軍するのも一つの手だったかも知れないぞ
秀吉が大返しして来る前に秀吉の所に攻め込めばいいね、その後は毛利と合流や
0200死
2012/01/02(月) 01:08:33.26ID:2zRsVnVK攻め込んで来るの分かってるのに
のんびり京都で身を構えてても不利になるだけなのにな
毛利か、長宗我部と合流するのを考えた方がいいだろうに
0201人間七七四年
2012/01/02(月) 08:36:22.84ID:NCBGxDXr家康とは和議を結ぶだろう。
柴田ぐらいは勝てる自信あったろうし。
時がたてばたつほど日和見が味方になるだろうし
なんと言っても朝廷と連絡がついてるのが大きい。
京にいれば家康が攻めてきても「京守護」みたいな
勅をもらっておけば市中には攻めてこれないだろう
さすがに。
だから光秀がそんなに成算が無いとか
ノイローゼとかひどい状況だったとも思えないとこはある。
秀吉だけが想定外の異常のおったまげた猿だったと。
0202人間七七四年
2012/01/02(月) 09:27:06.32ID:0U7GfIJg首都の京を中心に、信長王国の中心部をあっという間に制圧した感じ
秀吉軍を撃退すれば恐らく明智政権が出来てたかもしれない・・・
0203人間七七四年
2012/01/02(月) 13:52:23.61ID:oVkgxBzP見込んだとすれば、その根拠は?
見込めないとすれば(安土城兵が逃げ出さないとすれば)信長を倒した後、安土城の城攻めを想定していたのか? これは容易なことではない。
ここが良く分からない。
0204人間七七四年
2012/01/02(月) 14:25:19.07ID:X1NMAsFN信長信忠を討てば安土城を落とすのもたやすいと考えたのだろう。
実際京に近い近江坂本は明智領、近江の動向をつかむのも早いはず。
あとは普通にいけば秀吉は毛利と、勝家は上杉と対峙、旧信忠軍団、新興信孝軍団は瓦解すると考えたし概ねその通りになった。
実際光秀も近江方面に兵を備え柴田勝家、織田信雄、旧信忠軍団の動きを把握できるようにしている。
0205人間七七四年
2012/01/02(月) 15:52:03.23ID:oTPlGtb1信長の一報(一左右)で備中に出陣する直轄軍が、安土城やその周囲にいたことになっている。
0206死
2012/01/02(月) 16:24:07.53ID:BRPtVLR9そこが甘いんだよなぁ、すぐには動けなくてもいづれ動いて来るのは
目に見えてるのに、北から柴田、西から秀吉、東から家康が攻めかかれば
苦戦するのは必至
上杉が相手してるから、毛利が相手してるから動けない、と結論づけるのは安易なんだよな
3方から攻められたらまず勝てない
毛利か、長宗我部方面に進軍した方が面白くなったと思うね
0207人間七七四年
2012/01/02(月) 16:26:41.42ID:JLKpsioa0208死
2012/01/02(月) 16:26:42.62ID:BRPtVLR9そこで秀吉軍団を挟み撃ちにして撃破、毛利と同盟を結んで
京に戻ればいい
0209死
2012/01/02(月) 16:31:15.93ID:BRPtVLR9それを逃れる為にも中国方面に進軍するのは利益がある
中国方面に進軍すれば敵は秀吉一個師団のみ
敵対中の毛利と挟み撃ちにすれば撃破の可能性は高い
毛利にとっても逆転の好機到来だ、光秀の処遇は秀吉を撃破したあと考えればよい
京都はほったらかしにしてても問題ないだろ、京を離れた隙に柴田か家康に占領を許しても
秀吉を撃破した後、毛利と合流して決戦に臨めばよい
3方から敵に攻め込まれる京都在留よりよっぽど勝機はあるさね
0210死
2012/01/02(月) 16:37:21.35ID:BRPtVLR9例え史実で山崎の戦いで秀吉相手に善戦しても(撃破は出来ないと思う)
時間が経過すれば北から柴田がやってくるんだぜ?
東から家康が来る、挟み撃ちにされてお終いだよ、3方から攻められたら勝ち目は無い
秀吉撃破のついでに毛利と合流を目指すのはいい手だと思うんだけどな
0211死
2012/01/02(月) 16:46:58.99ID:BRPtVLR9毛利と合流以外にいい手はないな
後は籠城かw
安土城籠城でもするか?
0212死
2012/01/02(月) 16:53:54.65ID:BRPtVLR9明智のみっちゃんってどんな人だったの?
人物像がイマイチピンと来ない家康は狸だけど
信長、秀吉、家康はピンと来るけど光秀の人物像はピンと来ない
大人しい人だったのかな?目立たない感じがするんだけど
武将としての実績は凄いものがあるし
でも地味なのが不思議
0213人間七七四年
2012/01/02(月) 19:03:33.88ID:zYSFb9Jv惟任、羽柴、柴田の割拠と見た連中も少なくなかった。
0214人間七七四年
2012/01/02(月) 20:58:15.06ID:2KzMlT/mそこで迷探偵「浅井江」が活躍がはじまる。
幼いながらも伯父殺しの犯人を捜しに乗り出す。
まず最初はアリバイがあり被害者とも見られた徳川家康と伊賀越えに同行し家康を探る。
しかし確信が持てぬままにこんどは直接の下手人光秀を尋問する。
なおも疑問が解けぬうちに母の婚家にかこつけ勝家を探る。
それで最終的に最も怪しい秀吉の周囲を探ることになった。
そうこうしている内にようやく江は晩年に至りことの真相を知る。
それを語ったのが天海。
しかし天海は江がかって尋問し顔見知りの明智光秀ではなかった。
問 天海とは誰?
0215人間七七四年
2012/01/02(月) 22:43:15.68ID:S6lEuFoL続きをぜひw
0216人間七七四年
2012/01/03(火) 15:46:02.92ID:2jXKIUh0その信長が死んだからみんな逃げてしまったのでしょう
直轄軍もどき。光秀は安土城の中までよく知って軍がいないことを
知ってたろうから奪取は可能と思ってたんでしょ。
例え信忠がいたとしても美濃から攻めてくるのに安土あたりで
迎撃できるからこれは光秀有利じゃないかな。
叡山信者も多いだろうしね。
0217人間七七四年
2012/01/03(火) 15:54:14.88ID:2jXKIUh0このぐらいは勝たないとどうしようもない。
家康はいったん軍は出したがそこまで長期で光秀と
戦う気があったかどうか。長期化すれば東がこわい。
光秀は、毛利、四国で三方囲めば秀吉はなんとか
なると思っただろう。
光秀ー家康が講和して美濃は光秀、尾張は徳川、と
こうなるのが普通の想定じゃないのかな。
家康は信濃、駿河、尾張の支配で満足だろうし、毛利四国は
自陣安堵さえしてもらえれば拡大には動かないだろう。
そうすると光秀は近江、京、美濃制覇で新幕府設立の可能性すらある。
年からいってこのあたりで光秀は死ぬだろうからあとは
やっぱり徳川が幕府解説かな。
なんか面白くないが。
0218人間七七四年
2012/01/03(火) 20:32:08.09ID:FtSiNovc0219人間七七四年
2012/01/03(火) 22:14:46.67ID:g38P4nxU0220人間七七四年
2012/01/03(火) 22:28:33.60ID:8I28AhyB0221人間七七四年
2012/01/03(火) 22:47:10.67ID:FtSiNovc0222人間七七四年
2012/01/03(火) 22:49:11.59ID:8I28AhyB0223赤垣伝兵衛
2012/01/03(火) 23:09:59.62ID:FtSiNovc0224人間七七四年
2012/01/03(火) 23:16:21.04ID:g38P4nxU三七信孝、惟住長秀を大将として攻めることとし、なんの相談もなかった
のが不服だったからだと思います。
0225人間七七四年
2012/01/04(水) 00:06:33.70ID:IDDWac5I無くはないかも。
0226死
2012/01/04(水) 02:44:27.95ID:C9mlvrcR明智も細川や筒井が味方になってくれる計算も建ててたみたいだし
そういうのって普段から信長に不満募らせてないと無いもんな
0227人間七七四年
2012/01/04(水) 08:37:26.16ID:fQU5EqS3そもそも明智光秀は優秀な武将なのでしょうか?
彼特有の武勇伝や政治活動は何がありますか?
丹波平定戦の事も信長に面目をほどこした、
などと周りの評価が下がり気味だったように感じられます。
あまり特筆されるほどの優秀な武将ではないのではないでしょうか?
0228人間七七四年
2012/01/04(水) 11:31:51.36ID:GFh8xJ79むむ たしかにいろんな説があるだろうけど、明智光秀は秀吉のライバルと言えるほどの
優秀な武将だったというのがよくある意見 光秀は凡将、というのは逆説、異説になるだろう
もちろんそれもおもしろいので研究を進めて欲しいものです
織田家における光秀の最大の功績は武装上洛作戦の成功じゃないでしょうか
織田家はあれで一気に首都圏をおさえ、戦国レースの単独トップに躍り出ました
ぜんぶ信長公の手柄になってますがあの作戦を立案、実行したのは光秀です
明智光秀は織田家を地方の大名から天下人にした武将だと思ってます
0229人間七七四年
2012/01/04(水) 12:27:01.60ID:mKTmDHUx嫌われてたというか わけわからん何しよんねんこのオッサン 気味悪がられてたんじゃないかに一票
0230人間七七四年
2012/01/04(水) 13:03:35.01ID:xidYDTom0231人間七七四年
2012/01/04(水) 18:48:28.41ID:VLAieHJm丹波平定を周りの評価が下がったというのは斬新な
とらえかただけどそれなら秀吉も信長もみんな
たいしたことなかったことになってしまう。
信長と義昭を結びつけたのは光秀だし
その信長を倒してるし、その間15年、ほぼ完璧に出世街道
まっしぐら。
しかも百韻読めるほどの学問までおさめてる。
秀吉と家康がバケモノだったので一番損な役回りになってしまったが
この両者以外では信玄謙信以上に天下に近づいたすごいやつだったかもしれない。
秀吉もだが30過ぎまで正体不明でそっから成り上がると言うのは
それだけででもすごいことだろなぁ。
0232人間七七四年
2012/01/04(水) 21:16:10.38ID:8wu9zean>ぜんぶ信長公の手柄になってますがあの作戦を立案、実行したのは光秀です
全く根拠が無いのに言い切りましたね
0233死
2012/01/05(木) 00:08:32.43ID:+l3KIX3l家康と秀吉はもっと凄い事やったけど
0234人間七七四年
2012/01/05(木) 00:12:57.16ID:G3qsM9I7動機のひとつでも、おかしくはないわな
斉藤利三がいるわけだし
とゆうか、これも含めて光秀の単独犯だと思うが
0235人間七七四年
2012/01/05(木) 00:50:22.58ID:KZTC6ULJ0236人間七七四年
2012/01/05(木) 10:44:12.81ID:8l7aJsaVもっと光秀どんを評価しなけりゃな。
例えば四国攻めだってあれは光秀どんが計画し信長に薦めた。
光秀どんは面子がどうのということはない現実的理想家だった。
しかし光秀どんにも欠陥はある。
あまりに先を見すぎて斉藤利三の不満を軽視し利三の単独犯行を招いてしまった。
本能寺に第三の馬揃えために駆け付けた光秀はすべてが終わったことを知った。
是非二及バズ
この時の光秀どんの心境をまるまるパクリをしたのが大田牛一。
光秀どんの短いが、しかし本当の「本能寺の変」がこれから始まった。
0237人間七七四年
2012/01/05(木) 12:05:46.22ID:Coj05OML信玄謙信を差し置き表舞台に出てきているあたり完全にこいつらより上
0238人間七七四年
2012/01/05(木) 18:10:34.85ID:e1LI/Rba日和見系たちが全部秀吉につくとは想定外だったんだろう。
筒井は当日まで悩んでるぐらいだし。
秀吉に味方したのは、能力、ではなくて単に「若さ」だったのでは
ないかとも思う。もちろん、お金、もあるだろうし。
敵討ちとか忠臣とかそういう観点から見ると光秀が悪者に
なってしまうけど、信長にうらみのあるのも多いだろうから
もっと味方が増えると思ったのに秀吉の方にそれがついてしまう
とは「オレって猿以下・・?」とかなり悲しかったろうな。
0239人間七七四年
2012/01/05(木) 18:40:11.71ID:1BHz/InW何が何でも西京の水際で羽柴秀吉軍を阻止したいと考えたのであろうか。
0240人間七七四年
2012/01/05(木) 20:25:28.27ID:KZTC6ULJ0241人間七七四年
2012/01/05(木) 21:07:17.29ID:/94PK3gp後詰がなければ自滅するだけだと言われているのに。
0242人間七七四年
2012/01/05(木) 22:22:37.42ID:KZTC6ULJ0243ソリマチ
2012/01/06(金) 00:46:28.91ID:7a3U3ZSB0244人間七七四年
2012/01/07(土) 22:37:29.43ID:VKiDYCi4敗因、というようなことを書いています。順慶だけでなく、池田、高山、中川はじ
め、優勢な方に付く姿勢でいたことは間違いなさそうです。毅然として光秀の誘い
を蹴ったことになっている細川も、毅然どころか、逃げ道を残しています。
勝家と家康について。
勝家は、後になってわかることですが、光秀を挟撃する余裕など無かったはずです。
変から2週間以上経って近江に出てきたとき、佐々、佐久間、前田は北陸を動けず
おいてきています(上杉、および畠山旧臣の反乱、一向一揆などへの対応のため)。
しかも、このとき、5日前明智が倒れたことを知らなかったといいます。勝家は、
ほとんど有力与力も連れず、近江がどうなっているかも分からず(明智が支配して
いると思っている。それがどこまで拡大したか分からない)、手探りで近江に出て
きたのです。勝算のおぼつかない悲壮な出陣でなかったはずがありません。ドラマ
では、このとき、勝家が「仇討ちレース」に破れて「サルに先を越されたか」と悔
しがることになっていますが、お笑いとしか思えません。明智が倒れたと聞いて、
勝家陣営は喜びの声が上がったに違いないはずです。
家康が仇討ちレースの1人というのも眉唾です。織田家臣ではない家康にとって、
「仇」を討っても、確実に手に出来るものなどありません。家康が「確実」なもの
として狙ったのは、喉から手が出るほど欲しい尾張(またはその一部)のはずです。
家康が出陣した鳴海は、今川義元が尾張攻略の拠点としたところです。秀吉が恫喝
をかけて追い返しましたが(重臣会議を岐阜でなく尾張で行ったのも、家康への警
戒から尾張を空けたくなかったのが理由の一つと考えられます)。
後から見ての結果論ですが、短期的には、やはり京畿の武将の取り合いが、勝負所
であったと思われます。
0245人間七七四年
2012/01/08(日) 09:25:22.80ID:1n5H2YAV> をかけて追い返しましたが
それ何の史料に載ってるの?
0246人間七七四年
2012/01/08(日) 16:07:51.40ID:3sW9HeRg0247人間七七四年
2012/01/08(日) 20:58:28.90ID:i8bc7Gfh0248人間七七四年
2012/01/09(月) 03:34:11.74ID:yU8pxm5r0249人間七七四年
2012/01/09(月) 03:35:01.84ID:pxr1B8HEが恫喝をかけて追い返しましたが
>それ何の史料に載ってるの?
この部分は、その位置や解釈は当然論点になるとしても、史実評価については、そ
れほど評価が別れないのではないかと思い記憶でかいています。もし、ここも別の
見解があるなら、すぐには取りかかれないものの、調べてみます。
わたしの理解は以下です。
「鳴海」が今川方の進出拠点であったことについては、『信長公記』や、桶狭間合
戦についての様々な解説で、それほど違いがないように思います。今川方の鳴海砦
と、それに対する信長方の付城とが対峙している状況があって、そこに今川軍が接
近してきたという状況だったと記憶しています。
秀吉が家康を追い返したというのは、確かに「追い返し」のところは強調ですが、
これも、一般的な見解ではなかったでしょうか。
また、これが違っていて、家康が自分から帰った(?)とすれば、史実は違うこと
になります。ただし、この場合も、わたしがここでのポイントに置いた「仇討ちレ
ースはなかった」こととはあまり関係しないのではないでしょうか。明智が倒れた
のでお帰り願うようにと織田方=秀吉方が勧めた(あるいは強要した)か、家康が
諦めて自分から帰ったのかは、仇討レースだとしても、尾張侵攻だとしても、どち
らの場合でも、双方ありうることだからです。なお、家康はすぐには引き上げず、
すこしぐずぐずしていたと記憶していました。
>>246さんは、鳴海砦や織田=秀吉方の動きについて、これとは違う、別の「史実」
を把握しておられるのでしょう。
出して貰うと有益です。
0250人間七七四年
2012/01/09(月) 11:24:09.94ID:w8THOsU0横だが、恫喝、の部分に問題があるんだろう。
お互いの立場を考慮すると秀吉が「追い返した」というのは
強調よりも誤謬に近いぐらいかもしれない。
後は織田家中のことなのでどうかお引き取りください、って
とこだろう。
秀吉がすぐに徳川の行動を把握考慮してたのはさすがだが
それを「追い返す」というのも少し結果論と感情入ってるし
そこから「恫喝」とかに結びつけるのも行きすぎと言うかね。
事実としては、鳴海説と熱田説がある、家康はいったん岡崎に戻り
そこから浜松へ、と若干様子見の姿勢を見せた、とこのあたりは普通か。
0251人間七七四年
2012/01/09(月) 11:32:09.34ID:w8THOsU0尾張支配の損得関係であることは間違いないだろう。
タラレバだがもし信忠が生きてたら光秀ー家康の連携すらあったかもしれない。
光秀ー美濃、徳川ー尾張、というのは利害が一致する、とこれは
黒幕説になりかねないからイヤなんだが、すべてをリードしたのは
やはり秀吉の迅速な行動でこれはこれでさすがと言える。
0252人間七七四年
2012/01/09(月) 14:13:01.85ID:6yWNd/DL清盛、法皇娯楽淫説が堂々と罷り通るなら
斉藤利三、徳川草説だって十分ある罠。
0253人間七七四年
2012/01/09(月) 14:42:24.38ID:nOyDQi/h0255人間七七四年
2012/01/10(火) 10:22:41.18ID:gvClMf+P尾張にはもう信忠はいないし戦にはならないだろうから
あくまで鎮圧用の兵だろう。
光秀と話がつけばそのまま尾張を支配下における。
もう少し秀吉が手間取ってたら清洲あたりを守護の名目で
押さえてたかもしれない。そうなった時に秀吉が「お帰りください」と
言えたかどうか。
このあたりはタラレバだがきわどいタイミングで歴史が進行していったのは
おもろい。
0256人間七七四年
2012/01/11(水) 02:09:30.89ID:QKUlxfzyどこまでいっても謀反人は謀反人
それも、信長の警護が手薄なのを狙っての犯行
評価出来るところなんざ、これっぽっちも無い
0257人間七七四年
2012/01/12(木) 18:18:13.67ID:qU0YAFtG太閤立志伝で信長殺したあとに同じような状況になった。
よくわかる。
0258人間七七四年
2012/01/12(木) 19:39:26.44ID:IXHeid6w泥棒だな。でもマスコミも民主も韓国人だから抗議しない。
もうだめなのか日本は?
http://www.youtube.com/watch?annotation_id=annotation_720065&feature=iv&src_vid=RnnLj7ChmL8&v=sW4H2PGj6JU
0259人間七七四年
2012/01/12(木) 20:13:09.91ID:fhBhd6Au2012年01月12日 > IXHeid6w
使用した名前一覧 書き込んだスレッド一覧
人間七七四年 19:34:02.85 ID:IXHeid6w 〜19:53:23.37 ID:IXHeid6w
【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その14
世界最強騎馬軍団を率いた武田信玄公を讃えるスレ1
【権六】柴田勝家 その2
凡将を名将のように説明するスレ3
【本能寺の変】明智光秀/惟任日向守を語る4
加藤清正は名将です、疑う余地はありません
戦国時代の南部氏について語り合うスレ
日本刀
◆◇◆幻の戦国大名 出雲尼子氏(其ノ六)◆◇◆
関東の戦国時代を語るスレ
【治部】石田三成総合スレ 10【佐吉】
関が原の合戦、西軍100パーセント必勝法
凸凸凸日本の城総合スレ凸凸凸Part16避難所
鎧や甲冑が欲しい!
★景勝VS勝頼VS輝元を語る★
0260人間七七四年
2012/01/12(木) 20:59:39.15ID:dFkR+BDM光秀は別に過激なことをしたわけではない。
むしろ戦国武将としてはごく当然のことをしたまで。
信長には最後まで忠臣だった。
しかしその死を確認したからには織田家に忠誠を尽くすいわれはない。
まして信長の死の責任を問われる以上信忠を攻めるのは当然。
豊臣恩顧の大名が秀吉没後あっさりと大坂夏の陣で徳川方につく。
それと同じ。
むろん光秀は非常時の決断。
その違いだけ。
0261人間七七四年
2012/01/12(木) 22:22:09.29ID:IXHeid6w真似しかできないの?wバカチョンwwwwww
ところでさあ、どうしてお前のバアチャン乳さらけ出してたの?バカじゃねw
0262人間七七四年
2012/01/12(木) 22:24:12.55ID:IXHeid6w乳出しチョゴリwww
http://jeogori.web.fc2.com/
0263人間七七四年
2012/01/12(木) 22:25:27.47ID:IXHeid6w{_|三/ ー- -‐ |
==(_ミ{_ 。。 | >259 バアチャンの乳しゃぶるニダw
| | -=ニ=- !
__∧ ヽ `ー' /_
/:::::::::::\\`ー─ '/7::::::ヽ
/:::::::::::::::::::::\\ //::::::::::::::i
|:::::::::::|:::::::::::::::\\//:::::::::/:::::|
|:::::::::::|:::::::::::::::::/ i | i:::::::::::|:::::::|
|:::::::::::| ̄ ̄ ̄ r | |/ ̄ ̄ヽ::::l
|:::::::::::|、 @ ノ__l || ◎.ノ::::|
l:::::::::::{>─- ─L!|.` ー┤:::::|
ヾ::::::::`ヽ_______,}:::::::l
./\::::::::::\ i | l! ./:::::::|ヽ
/ \:::::::::::> .| l /:::::::/ \
/ \/ \ / ̄ ̄l \
./ ヽ_!_!_j_} └|_!_!_!j
みな乳出しチョゴリを着ていた
0264人間七七四年
2012/01/12(木) 23:11:56.14ID:fhBhd6Au0266人間七七四年
2012/01/13(金) 00:17:00.42ID:CSzFbC7Fこの老齢説から、
光秀自身は老齢なのに息子はまだ14〜5歳だった事もあり、
自分の死後、信長が息子を取り立ててはくれないのではないか?と悲観し、
信長を討ったと言う推論を展開している人もいるな。
0267人間七七四年
2012/01/13(金) 09:06:03.01ID:1wkEflD6戦の活躍とかみると68歳では大変だったろうとかも
言われるし難しいな。
自分はシブロクで55歳の方。
0268人間七七四年
2012/01/13(金) 10:14:11.94ID:ymmJxzDs光秀は信長の師匠だぞ。
0269人間七七四年
2012/01/13(金) 10:19:02.13ID:gxx46dXHあんなものを信じるほうがどうかしてるw
0270人間七七四年
2012/01/13(金) 13:12:30.07ID:1wkEflD6年寄りだから気を遣った、というのも傍証にしかならない。
丁度一回り違うからエトからの類推だろうし
60すぎのお爺ちゃんがあれだけこき使われたというのもなぁ。
もっと老人っぽい描写が公記なんかに見られても
いいようには思う。ま、水掛け論だが。
0271人間七七四年
2012/01/15(日) 12:42:51.87ID:vryUtXO/ルイス・フロイスが信長は相当恐れられていたと「日本史」に書いて
いたけど、それが足かせになってたのでは?
0272人間七七四年
2012/01/15(日) 13:35:47.86ID:p8Eh99L/他の誰かに殺されてた可能性大。
あんなにやたらと敵作るような信長の性格
から思うに天寿は全うできなかったろうな。
0273人間七七四年
2012/01/15(日) 13:41:39.50ID:vryUtXO/本能寺の変は本当に大ラッキーチャンスだつたんだと思う。
0275人間七七四年
2012/01/15(日) 17:13:58.88ID:p8Eh99L/家康は腹の底はともかく、律儀殿とか言われてたし、
信長みたいにあからさまに敵作ったする行為は
なるべく控えてる。
結局、世の中腹黒い大善人のふりした人が生き残るのが
古今東西の乱世の真理だと思う。
0276人間七七四年
2012/01/15(日) 17:42:17.71ID:vfi97Puuそりゃ主君や同盟者が無防備な状況を作って
部下に寝首をかかれてるのを知ってるんだから
あんな油断はしないだろ。
秀吉は1人で出歩いてた、なんてエピソードもあるようだが。
0277人間七七四年
2012/01/15(日) 19:27:00.90ID:MWMjhGgW裏切られる回数みりゃ
信長に魅力、人望信用がなくて
家康秀吉以下ってことでしょw
秀吉は人間的に魅力があったから周りの人間は尽くした
0278人間七七四年
2012/01/15(日) 19:49:18.30ID:OUNrAj+Hわかってるから簡単には裏切れない。
決して人望とかお花畑世界じゃないだろう。
その点信長はまだナメられてたというか
独裁というには程遠いかわいいとこがあったんだろな。
0279人間七七四年
2012/01/15(日) 20:40:46.87ID:h0x+icb0どれだけ敵を作っても魅力人望信用でどうにかなると?
馬鹿も休み休み言いたまえ。
秀吉に人間的に魅力があったってのも同意しかねる。
0281人間七七四年
2012/01/15(日) 22:40:34.60ID:vryUtXO/信長は人望はまあともかく、カリスマ的な人間的魅力はあった人だと思うよ。
ただ性格的に人から抱かれる感情が好き嫌いの真っ二つに分れる人だと思う。
>>279
人たらしではあっただろう。
でなきゃ幾ら運に恵まれたといっても野人から天下人なんてなれないと思う。
0282人間七七四年
2012/01/15(日) 22:41:22.87ID:MBUTkw4V織田家中の一部が信長への奉公に不熱心なのを目撃した時は、
自らはそうではない事をアピールするために涙まで流し、
その涙は真実の涙に見えるほどだった・・・なんて感じの評があるが、
なぜフロイスは光秀の「不忠」「嘘泣き」を見破る事ができたんだ?
と言うのが素朴な疑問。
0283人間七七四年
2012/01/15(日) 23:10:06.11ID:MWMjhGgWいやw信長が敵を作ったってw
それはライバルを増やしたってことだろw
光秀や荒木や信行は敵だったのか?
家臣や仲間に裏切られたから人望カリスマ信用度がなかったのw
>>280
孔明が劉禅に尽くしたみたいにかw
ねーよw
蜀も孔明も実際は政争で動いていたの
政治家として劉禅を押すことで自分の地位を守っていた
まー信長が消えた後の織田家家臣
だれも織田家を立てようとしなかったのは酷いけど
0284人間七七四年
2012/01/15(日) 23:27:53.35ID:h0x+icb0>家臣や仲間に裏切られたから人望カリスマ信用度が〜
こんなもん、人間全てが無私無欲の善人で、なおかつ人を見る目が完全に確かでなけりゃ成立せんわ。
あと>>280へのレスが解答になってねーぞ。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています