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【疑問】スレ立てるまでもない質問8【戦国時代板】

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0001人間七七四年2011/07/21(木) 06:43:19.61ID:o8YxOcq8
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【疑問】スレ立てるまでもない質問【戦国時代板】
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【疑問】スレ立てるまでもない質問 2【戦国時代】
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【疑問】スレ立てるまでもない質問 3【戦国時代】
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【疑問】スレ立てるまでもない質問 4【戦国時代】
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【疑問】スレ立てるまでもない質問 5【戦国時代】
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1263114279/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 6【戦国時代】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1274877247/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 7【戦国時代】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1296473917/
0944人間七七四年2012/01/11(水) 17:32:58.89ID:npDQ3DqI
>>922
違う違う
近年における海水準曲線の変動推移調査によると
気候の温暖化における海水面上昇は1110年頃に最高潮を向かえ
これ以降の年代から海水面は急速な衰退期に入っており、寒冷期の始まりが示されており
やがれそれは戦国時代となる15、16世紀でバリア海退とよばれる海水面減退の頂点を迎えており、
戦国時代が寒冷時代であった事を示している
そして、16世紀末から海水面は再び上昇に転じていき、小氷河期は終わりを告げる、というのが
海水準曲線から見た日本戦国時代の気候的背景であって
これを見る限り日本戦国時代は寒冷時代の極点を背景としていた事がうかがわれるぞ
0945人間七七四年2012/01/11(水) 18:26:55.65ID:n7higtCE
>>944
パリア海退って鎌倉末期(14世紀)じゃない?

海水準曲線変動から見れば戦国時代(16世紀)は海進してる
だから戦国寒冷期の反証にしかなってないと思うのだけど……
0946人間七七四年2012/01/11(水) 18:33:28.13ID:npDQ3DqI
>>945
なんで?
バリア海退と戦国時代日本気候の関係は普通に山本氏とフォアブリッジ氏に基づいてるが
君のは何が論拠?
てか、こっちも16世紀末、つまり戦国時代終焉期には上昇してると書いてる
君のいってる事は正直、相手のいったことから抜き出して自分に都合よく反証とさせてるだけにみえるけど?
とりあえず論拠頂戴
0947人間七七四年2012/01/11(水) 19:08:43.13ID:n7higtCE
>>946
>戦国時代が寒冷時代であった事を示している
山本武夫先生、こんなこと言ってったっけ???

根拠も何も、戦国時代まっただ中(16世紀中旬)には海進おきてるじゃん
「これを見る限り日本戦国時代は寒冷時代の極点を背景としていた」
…なら、この海進の原因は何??

つか16世紀末から北半球の寒冷化が始まり、17世紀にはアルプスの氷河成長が問題になったのに
あなたの説(16世紀が寒冷時代の極点)によれば、暖かい時期はどこにあるの??
0948人間七七四年2012/01/11(水) 23:12:06.71ID:UNKBaRjn
つーか、どの中世寒冷期説も微妙なんだよな
樹の年輪を分析しても、文書から見た異常気象の分析でも、
どの時代が最も寒かったかとか、研究によって食い違う
0949人間七七四年2012/01/12(木) 00:12:55.55ID:YRGr66DA
記録の多い戦国後期からは温暖化はだいたい一致してるが
どこが谷かはまだ確定はしていない
冷害の記録も暖かいことが原因の長雨だったりとかな
0950人間七七四年2012/01/12(木) 01:31:19.64ID:sNnW6cTh
>>944、946は”パ”リア海退じゃなく”バ”リア海退?の話をしてるな……
0951人間七七四年2012/01/12(木) 15:08:21.77ID:Q0JlhDl9
>>943
くぐればここに
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1057256495
0952人間七七四年2012/01/15(日) 00:39:11.81ID:jhjNW+yM
戦国時代の東北と中世ヨーロッパってどちらの血縁関係がより複雑なの?

あと戦国と少しずれてるけど江戸時代の農民が閑農期に微分積分で遊んでたってのは本当なの?
たまに2chで聞くけどどうも信用できない
0953人間七七四年2012/01/15(日) 00:47:11.55ID:/GzKCLv8
>>952
和算でググって自分で判断しろ。
0954人間七七四年2012/01/15(日) 04:11:48.32ID:PnXnnzPl
>>952
2ちゃんで聞いて信用出来ないことを2ちゃんで尋ねるって馬鹿かお前は
0955人間七七四年2012/01/15(日) 09:06:56.05ID:Z3q2/nh7
>>952
そういう農民さんがいたのは記録にあるけど
「みんなが」というわけではない。
微分積分というかパズルの解き方ってことで
自分で努力工夫したと言う話があるということね。

それと江戸時代の数学ー和算自体はかなり進んでいたのは事実。
だから寺子屋なんかで先生が「これはとけるかな」みたいなのは
やてたろうし、中には賢いのが自力で解いちゃったかもしれない。
そういうのは田畑の面積、年貢の歩合、と実用にもなったから
今のわしらよりよほど実用的であった、ということね。
このぐらいでいいかな。
0956人間七七四年2012/01/15(日) 09:26:40.29ID:jhjNW+yM
>>954
同じ2chでもvipとかνで聞いた話だからさ

>>955
ありがとう
おらが村の秀才ならまだしも、殆どの農民がかなりの数学できたんだぜ!的な書き方が信用できなかったんだ
0957人間七七四年2012/01/15(日) 10:28:14.54ID:L4NFrw4P
義務教育が敷かれてる現代ですら微積分できない人が大勢いる事を考えれば分かるかと
0958人間七七四年2012/01/15(日) 19:46:43.37ID:OUNrAj+H
今は室内で仕事してる人が多いけど昔は
山や海で働いてたから逆に数学と言うか
天文気象力学算数みたいなのは体で覚えた
必需ルールでもあってそれはある意味今以上って
言い方もできるかも知れないんだよね。
田畑の水運なんてのは村の運命にも関わるし
段々畑だと台形立方体の体積分割とかそういうのも
関係してくるかもしれない。
おらが村の秀才の尊敬のされ方は尋常じゃなかったろうなぁ。
0959人間七七四年2012/01/15(日) 21:52:31.68ID:tIPswftl
>>958
だが、基本的に和算はパズル以上のものでは無い。和算が出来ても同好の士以外には尊敬もされない。
実用って言ってもせいぜい鶴亀算みたいのくらいだろう。
0960人間七七四年2012/01/15(日) 23:35:44.64ID:79GQvJVc
暦とか和算で作られているんだけどなー
0961人間七七四年2012/01/16(月) 00:10:13.02ID:vJMlLGjE
暦は一般人が勝手に作っていい物じゃないだろ。
0962人間七七四年2012/01/16(月) 12:08:54.52ID:CbQsCTY0
958だけど、タネをいつまくかとか実用的なものは
必要でしょう。だから暦でなく気象天文にしたのだけど
そういう私暦みたいなのは計算はされてたとは思うよ。
0963人間七七四年2012/01/16(月) 13:10:00.92ID:C//vCHAb
和算は実用的なものだよ
年貢の換算や検地、堤防や水路などの土木計算、揚水装置の設計、天文や地図作成の測量など
色々な面で使用されていた
むしろ数学の研究が本格化したのは維新後に西洋数学が入って来てから
0964人間七七四年2012/01/16(月) 13:13:57.33ID:ELgndS79
私暦=myカレンダー みたいなもの??
自分の予定表作るのにExcelのマクロ計算使います、って言ってるくらい無理が……
0965人間七七四年2012/01/16(月) 16:39:30.94ID:CbQsCTY0
>>964
田んぼといっても日当たりは違うわ
場所、地域、地方によって違うし
同じ品種でも収穫手法が当然違ってくるでしょう。
だから村総出で順番に稲刈りする時でも
「もう3日あと」とか経験則で数えて判断してたということね。
早いと少なくなるし遅いと台風が来るかもしれん。
公式の暦とは別に実用段階でのマイ暦を作ってたろうな
ということで、別に無理とかそういう問題じゃないのだけどね。
0966人間七七四年2012/01/16(月) 17:03:58.07ID:ELgndS79
>>965
>経験則で数えて判断してたということね
それのどこに”和算”の入る余地が……
0967人間七七四年2012/01/16(月) 22:57:18.52ID:vJMlLGjE
>>965
>経験則で数えて判断してたということね。
そういうのは種まき爺さんのような雪形などとして伝承してるけど、和算と何の関係が?
0968人間七七四年2012/01/16(月) 23:10:25.38ID:EN6BA9ZV
つか>>955で答え出てるよな
0969人間七七四年2012/01/16(月) 23:58:58.89ID:0eQUYzYm
つーか算数使わなくても足りる日常の習慣に
わざわざ和算だのマイ暦だの使ってたら、逆にバカとしか思えないがw
0970人間七七四年2012/01/17(火) 03:00:35.02ID:usP3r4si
武田家の御旗と楯無は今現在は喪失されてしまったのでしょうか?
0971人間七七四年2012/01/17(火) 03:12:48.94ID:ONrrEHat
菅田天神社の小桜韋威鎧鎧じゃだめなの?
0972人間七七四年2012/01/17(火) 20:53:38.04ID:lyjZIa1X
公家も剣術習っていたというけど
剣の達人の公家ってどんな人がいる?
0973人間七七四年2012/01/18(水) 14:56:37.65ID:zespbTXx
>>970
御旗は甲州市塩山上萩原の雲峰寺に、
楯無は>>971のとおり。
0974人間七七四年2012/01/19(木) 15:35:16.66ID:9WEAwUVo
>>972
北畠は代々そっち方面で有名。
公家でありながら、後に戦国大名に名を連ねる。代表格は北畠具教。
0975人間七七四年2012/01/20(金) 09:02:38.93ID:DHmDQ/T8
このまえの信長番組で火縄銃の値段がポルトガル人から買った時は
一丁1000両(1150万円) 量産化に成功した信長は一丁1000文(50万円)
ってやってたんですけど、これだと計算上は
1両が1万1500円、1文が500円ですよね? 小判一枚が一万円札、最低通貨の1文が500円玉感覚なんですか? 
そうなると23文で1両になっちゃいますよね?

この時代の通貨単位や価値について教えてください
※以前本で読んだ時(これも内容メチャクチャ)
1文
1朱 (1部の4分の1、何文なんだよ)
1部=250文
1貫=4部=千文 
1両=4貫=16部=4千文
(両は金貨銀貨の数え方なので銀1両、小判1両、大判1両かで変わる)
0976人間七七四年2012/01/20(金) 14:49:22.19ID:aM4rQmP3
室町時代の15世紀後半〜16世紀中頃
一文は100円程度。
一貫文(1000文)が約10万円
一両に相当する金4匁〜4匁5分が30万円
*大判が金45匁で作られ、後にこれが小判10枚相当ということから
   
   一両という貨幣は当時は無いから重さで取引されていた。
   当然金の質に差があるからどこの産かで価値は違う。
   銀は当時から金の5分の一ほど。

これで行くと>>974の金額はデタラメということになるが??
0977人間七七四年2012/01/20(金) 14:52:40.06ID:aM4rQmP3
おっと失礼>>975だね。
0978人間七七四年2012/01/20(金) 15:03:00.25ID:UQIfc1yt
975は江戸時代の通貨制度だからな
戦国時代へそのまま適用はできない

大体、江戸時代の通貨も時代によって価値が全然違うし、
何を基準にするかで現代での価値も相当変わってくる
一両あたり、米価換算なら四万円、給与換算なら30〜40万円、そば代換算なら12〜13万円
http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_faq.htms
0979人間七七四年2012/01/20(金) 16:05:15.50ID:n2O+vQTX
信長の撰銭令(1569)だと金10両=銭15貫文、銀10両=銭2貫文
当時の金銀銭交換レートを反映してると思うからコレを元にして……

都(1582頃)豆腐一丁3文 ナス10個で一文 日払い日当20枚くらい
「時代を超えて野菜の値段はそうは変わらない」と思うので”ナス”基準で以下計算
現在スーパーで長ナス一本50円、つまり信長は一丁ナス10000個→50万円相当で購入
これは>>975の数字にあってるね

で、種子島時尭は1挺金1000両で購入(1543)これは銭150万ナス1500万個
つまりナス換算で一丁7億5千万円で買ったことに……

なんか「1000両=1150万円」の計算の元が気になるねぇ
0980人間七七四年2012/01/20(金) 17:03:02.80ID:IXuB1Hw5
ナス換算は初めて聞いたな、おもしろい。
魚も記録が残ってるからできそうだな、イワシレートとか。

江戸は長いしテレビなんかだとかなり後期のプライスだから
戦国には合致しないだろうなぁ、300年立ってるし。
ソバは固定で末期に値上がりしたからわかりやすいのだけど
やはり外食だからか米レートとは結構違ってくるよね。

信秀が寄進したのが3000貫とか信長が本願寺に
要求したのがそのぐらいとか、それだと一貫10万以上というのは
ちと高すぎるようにも思うのだよね。

仕事人さんは1両で引き受けるけどそれ思うとゴルゴさんは
ぼったくってるよな。
最初は1000万ぐらいだったけど最近はいくらぐらいになってるのかな、
ヒットマン料?
0981人間七七四年2012/01/20(金) 17:06:48.05ID:HmIo6lKP
一両の価値は上でも出ているように何の品目の物価を基準にするかで大きく違ってくる
金自体の価値も現代は下がってるし米等もエンゲル係数が馬鹿高かった時代
その中では職人の日給から算出した30万〜50万円が感覚的に一番しっくり来ると思うよ
ただ物価も現代と違って京と関東で2倍の差が付く場合があるとか
地域格差が大きいとかも考慮に入れないといけないが
09829722012/01/20(金) 17:23:06.05ID:F6rZ1Vrs
>>974
遅レスごめん そうか北畠さんがいたか ありがとー
0983人間七七四年2012/01/20(金) 18:28:16.20ID:lrtMNoma
精銭1枚1文で換算するので鐚銭だと1貫4000枚か。
これじゃあ決済や持ち運びにも苦労するな。
外人との取引は高額決済(金や銀や米札)や相応の価値のある輸出品との物々交換だったのかなあ?
0984人間七七四年2012/01/20(金) 20:15:24.78ID:mOG4Q2mM
かつて見たアニメで
昔は私的に作った硬貨も価値が大幅に下がるだけで
市場で使用可能だったと描かれていたのですが
戦国時代にはそうした硬貨はどの程度出回っていたのでしょうか?
0985人間七七四年2012/01/20(金) 21:41:51.05ID:UQIfc1yt
私鋳銭ね
いわゆる「びた一文まからない」のびた一文ってのが私鋳銭含むびた銭(=粗悪な銭)
それこそ、大名や時代によって換金率や使用の有無まで変わってくるから、
一概にどうとかは言えないな
0986人間七七四年2012/01/21(土) 07:48:07.83ID:e9B5AfmV
今日明日で、京都・伏見、大津・膳所・石山あたりを周ります。
09879752012/01/21(土) 08:26:38.16ID:rEEHK+rj
詳しい情報ありがとうございます
それで、また別の番組で言っていた事で、信長は平氏の子孫だと言うのですが

とある歴史マンガにて「我が織田家は源氏の流れをくむ由緒ある家柄、それをあいつら〜〜」
夢幻の如く(信長がモンゴルにて)「俺の先祖の者がチンギスハンと名乗りかつてこの地を治めたのでな、子孫の俺がまた来たわけだ」

複数のマンガで織田家は源氏の子孫ということになっていますがどっちが正しいのでしょう? ちなみに番組では

平氏を倒したのは源氏、それを倒したのが平氏の子孫の北条、それを倒したのが源氏の子孫の足利
それを倒したのが平氏の子孫の信長、それを倒したのが源氏の子孫の光秀
それを倒したのが平氏の子孫を名乗った秀吉、それを倒したのが源氏の子孫の家康、と言ってました

秀吉も平氏じゃなくて「実は俺は源氏の子孫で」って言ってませんでしたっけ?
それで「俺は本来源氏の人間だから」っていう名分で足利家の養子になろうとしたんじゃ……
母親が将軍家に奉公に行った時に間違いが起きて母が身ごもってしまって、その時生まれたのが自分だと言ったとか

連続質問すいません
0988人間七七四年2012/01/21(土) 08:51:22.31ID:/LEmYAYT
最近では忌部氏と言われとるね
0989人間七七四年2012/01/21(土) 09:00:02.58ID:b5GfBEbl
平信長でしょ
0990人間七七四年2012/01/21(土) 12:27:33.41ID:GA35w0jv
まあ実際の出自はともかく信長が平氏を強く意識していたのは間違いない
0991人間七七四年2012/01/21(土) 14:33:52.84ID:OkTlvihO
織田は藤原を名乗っていた。
信長も尾張統一以前の文書には「藤原信長」の署名がある。
1571年には「平信長」となった。
平親実から始まる家系図もこのころ作られたんじゃないの?
家系図はホントにいいかげん。
0992人間七七四年2012/01/21(土) 15:05:56.87ID:rJgb+r7o
>>991
> 平親実から始まる家系図もこのころ作られたんじゃないの?

それはなんとも言えない。元々平姓だったのが何らかの理由で一時的に藤原を名乗っていた
という可能性もこの時代考えられる。
0993人間七七四年2012/01/21(土) 17:28:13.54ID:LH+pqmVQ
次スレね
【疑問】スレ立てるまでもない質問 9【戦国時代】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1327134476/
0994人間七七四年2012/01/22(日) 00:45:42.00ID:XP6yoERN
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。