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【疑問】スレ立てるまでもない質問8【戦国時代板】

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0001人間七七四年2011/07/21(木) 06:43:19.61ID:o8YxOcq8
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【疑問】スレ立てるまでもない質問【戦国時代板】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150022967/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 2【戦国時代】
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1195567708/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 3【戦国時代】
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1234172504/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 4【戦国時代】
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1251802299/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 5【戦国時代】
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1263114279/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 6【戦国時代】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1274877247/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 7【戦国時代】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1296473917/
0006人間七七四年2011/07/31(日) 14:08:34.95ID:xE2VJVw6
一次資料一次資料って連呼する奴なんなの?特にIFスレなのに連呼する奴。
普通に当人の気持ちなんて資料に乗ってる筈がねえと思うんだけど。
一次資料は教科書作るには必要だが、IFスレやレスでこの人物が取るべき根拠として用いる物でもねえだろ。
当時の常識や過去の似た様な事例から推測することも必要だと思う。第一、改竄された物だったらどうすんだよ?

俺の親父なんて真実は公式文書には残らないとまで断言してる。
当時の人間が、「あ、この事実はそのまんま残したらやべえわwwwwww」で嘘を書いてる可能性は十分考えられるんだが?
0007人間七七四年2011/07/31(日) 15:14:18.82ID:qcSnurm3
一次資料以上に価値のある資料が存在しないから仕方ない
空想で議論しても水掛け論になるだけだし
少なくともお前の親父の言葉よりは信頼できる
0008人間七七四年2011/07/31(日) 15:21:49.03ID:wihRKvpL
妄想を根拠にIF語るならそれこそ自分で小説でも書いてろって感じだな
0009人間七七四年2011/07/31(日) 15:42:58.13ID:xE2VJVw6
>>7
じゃあ公式文書はほぼ確実に事実と受け取って何の問題も無い訳?
常識的に考えたらおかしい様なことでも?
0010人間七七四年2011/07/31(日) 15:52:42.97ID:PcBAs8cc
>>9
一次資料も当時の人の誤認や故意に異なる事を記述していることはある

ただし、それを否定するには別の一次資料を引き合いにだす事を求められる

二次資料を元に一次資料を否定するならば、それは膨大な検証作業と
なぜ、その一次資料が事実と異なる内容を記述したかという合理的な説明
さらに自論に対する批判を論破する理論構築を行わなければならない
0011人間七七四年2011/07/31(日) 16:42:17.55ID:27QM8Dgn
こういう質問が来ると夏休みを感じるねえ
0012人間七七四年2011/07/31(日) 18:49:44.01ID:Q+pzqqSu
>>5
萩藩士として村上氏がやってきているなら末裔の可能性は充分あるわけですね。
ありがとうございました。
0013人間七七四年2011/07/31(日) 21:54:35.87ID:9gS4Fmd0
>>9
公文書ってのをそもそも勘違いしてると思われる
いついつに誰々を何々に任じる(辞令)、とか
誰々はこれこれいう罪を犯したので罰する(判決・判例)、とか
そういうのが公式文書って奴
その書類の性格上、嘘を付くメリットなんて殆ど無い

ただし、一次資料に公文書が含まれるのは確かだけど、私文書も当然含まれる
0014人間七七四年2011/07/31(日) 23:50:30.95ID:wr+bHr8e
日記なんかは一次資料でかつ私文書の筆頭だわな
こちらは執筆者の誤解や偏見から伝聞に改ざんまで様々
001562011/08/02(火) 10:38:56.17ID:IkY5qjWi
>>9
公文書ってのはいわゆる当時の政権が纏めた歴史書みたいなのは入らないの?
後、判決文だけど、誰々が謀反を企んでいた為切腹を申し付けた、ってのがあったとして
その謀反を企んでいたと記された人物が、状況的に謀反をする状況とは考えらず、同時代の人間の
義理堅い云々と言う評価が残されていたら、無実や謀略の可能性の方が高い、と考えるのが自然じゃねえかな?
0016人間七七四年2011/08/02(火) 12:31:03.98ID:o12crti/
>>15
それは「事実」のレベルが異なる
そのたとえで言うのなら、公文書に記された
「人物Aは、謀反を理由に処刑された」ということが事実
事件(謀反)が本当のことなのかどうか、の真偽はまた別の問題
0017人間七七四年2011/08/02(火) 12:33:28.99ID:lr5r6NgA
>>15
お前は一次資料と公文書を勘違いしていると考えられる。
あと

> その謀反を企んでいたと記された人物が、状況的に謀反をする状況とは考えらず、同時代の人間の
> 義理堅い云々と言う評価が残されていたら、無実や謀略の可能性の方が高い、と考えるのが自然じゃねえかな?

そういう傍証が多くあればそうなる。ただ、この質問の意味はさっぱり解からん。
0018人間七七四年2011/08/02(火) 12:42:18.26ID:4zFg7zfW
海賊衆というか水軍衆と大名の関係を教えて下さい。
河野は大名でありながら河野水軍は瀬戸内海に勢力を持っていたと聞きます。
村上水軍は河野の傘下ながら、厳島の戦いのように他家の争いにも関与するなど独立色が強く見えます

一方で、武田水軍といわれるように大名家の名を冠した水軍も存在しています。
こういう大名家の水軍も村上水軍のように単なる協力者的な立場だったのでしょうか?
それとも武田信玄の傘下の国人のような一定の支配下だったのでしょうか?
0019人間七七四年2011/08/02(火) 12:59:11.56ID:izc3DB9v
>>18
国人だって元々は自立性が強かったのが大名との力のバランスが変化して支配下に
組み込まれて行く訳で、それと同じでしょう。
0020人間七七四年2011/08/02(火) 13:47:11.19ID:jnxqwzSd
伊勢、三河、駿河らの国々にいた水軍出身者が信玄の招きに応じて、武田水軍になった
よって武田水軍は村上や九鬼のような土着のものではないので、信玄の支配下にあったと見ていい
0021人間七七四年2011/08/02(火) 14:07:11.52ID:o12crti/
ケースバイケースとしか言えないなあ>水軍衆の地位
0022人間七七四年2011/08/02(火) 14:30:12.00ID:lr5r6NgA
水軍に限らず戦国大名の配下には、半独立と言っていいほど自立性の強いものから
主家に完全に従属しているものまで様々。そのへんが徐々に整理され家中に統合されていく過程が
近世化という現象。
0023人間七七四年2011/08/02(火) 18:15:07.08ID:ziu5X49r
>>20
信玄が水軍を必要としたのは駿河に進出する前後だろうから伊勢や三河はともかく駿河の者は
土着じゃないの?それとも将来の駿河進出を期してあらかじめ招聘しといたの?
0024人間七七四年2011/08/02(火) 18:35:24.51ID:Xyv6cBgZ
東海道の水軍は伊勢水軍を雇用した傭兵みたいなもの
自然、東海道では水軍同士がガチでやりあった例は少ない
0025人間七七四年2011/08/02(火) 18:35:41.35ID:0IghadM4
>>23
河野や村上、九鬼のように、水軍として完結した組織としての参入ではなく
出身がどこであろうがあくまで個々の技術者としての参加なんだから、話は全然
違うだろ。少しは考えろ。
0026人間七七四年2011/08/02(火) 18:58:28.04ID:ziu5X49r
>>25
だから全部個人なのかと確認したんだろが。頭悪いな。
0027人間七七四年2011/08/02(火) 19:33:29.90ID:2zlQR8IA
皆様ありがとうございます。
向井正綱・向井忠勝親子は今川水軍→武田水軍→徳川水軍となり
最終的には6000石の旗本だそうです。
おなじような海賊稼業で名を馳せた水軍武将でも
徳川に仕えた向井は大出世し、毛利に仕えた村上は辺境で没した。
戦国時代は運ですなあ。
0028人間七七四年2011/08/02(火) 20:49:59.82ID:SuTAACId
九鬼も三田に移されちゃったしなー
0029人間七七四年2011/08/02(火) 20:52:41.07ID:K1mWLxAQ
ネットで時たま見かける、今川氏真の
「それは私に関係のある話ですか?」の元ネタ(逸話?)がどんなものか教えてください。
0030人間七七四年2011/08/02(火) 22:01:14.25ID:TFl9cWLd
>>27
村上武吉の場合は独立傾向が強かったのが裏目に出たと思われる。
0031人間七七四年2011/08/02(火) 22:54:36.96ID:F7lQq65R
水軍といっても普段は漁業や交易をやってたらしいからねえ。
大名の領地内で漁業の独占権を得てた代わりに有事には協力する。
町衆とそれ程大差はないかと。
0032人間七七四年2011/08/02(火) 23:50:43.44ID:HEo8Ei4K
四方を海に囲まれてるんだから海賊も多かった気がする。
0033人間七七四年2011/08/03(水) 06:47:57.81ID:SHUBxNg5
どうしても気になるので二つ質問したいです。

・もし竹中半兵衛が長生きしていたらどうなっていたでしょうか?

天下取っても、官兵衛みたいに野心もなさそうだから冷遇されそうにもないし、唯一朝鮮出兵を止めることが可能だったのかな?

もう一点は…
・前田利家がもっと生きていたら?

関ヶ原の戦いはなかったんでしょうか?
0034人間七七四年2011/08/03(水) 07:18:41.22ID:CsbWvo1z
ifスレでも立てて同好の士と好きに妄想してください
0035人間七七四年2011/08/03(水) 10:40:15.88ID:r1wRZeOi
そもそも竹中半兵衛が「軍師』として活躍したというのは後世の創作。
実態は良くも悪くも信長から秀吉に付けられた与力武将の一人にすぎん。
0036人間七七四年2011/08/03(水) 12:40:12.83ID:BROvF78Z
>>33
朝鮮出兵、というか唐入りは秀吉個人の野心はもちろんだけど、
治安改善・雇用対策という側面を持ってる、つまりは公共事業だね。
でなぜ治安が悪化したかといえば雇用が悪化したからで、
失業者が増えたのは国内で戦争がなくなって派遣社員ならぬ派遣武士がリストラされたから。
その問題に対する豊臣政権の答えが増税してその金で普請やら戦争やらの公共事業。
つまり放置の許されない重要政策なのであって、止めるとか止めないとかそういう問題じゃない。

ちなみにその問題に対する徳川政権の答えは、敗者の黙殺。
0037人間七七四年2011/08/03(水) 12:51:09.90ID:DCJo884R
>>36

>ちなみにその問題に対する徳川政権の答えは、敗者の黙殺。

全然違う、家康の頃は傭兵として海外に、その後は大開発による帰農が江戸幕府の回答
農民になるのが嫌で浪人していた奴も一杯いるけど
0038人間七七四年2011/08/03(水) 15:56:46.12ID:DZw4xjWH
家康が幕府主導で海外へ傭兵派兵政策をやってたと言うソース下さい
0039人間七七四年2011/08/03(水) 17:01:51.98ID:POzY5TNw
>>37
きれい事言ってんじゃないよ腹黒たぬき

サラリーマンやってた人間が、
はい明日から仕事ないんで農業でもやって下さい
と言われて食っていけると思ってんの?

家康は腹の底では、あはは、邪魔くさいの死んで欲しいのら
と思ってた
0040人間七七四年2011/08/03(水) 17:06:44.92ID:r1wRZeOi
ID変えながら遊ぶなクソガキ
ID:BROvF78Z
ID:POzY5TNw
0041人間七七四年2011/08/03(水) 17:08:59.62ID:BROvF78Z
>>40
言いがかりはやめてほしいね
0042人間七七四年2011/08/03(水) 18:00:28.45ID:DCJo884R
>>38
渡航を積極的に推し進めたという話はないが、渡航邦人が犯罪を働いたら好きに処分して良いとある
つまりそういった連中が海外に大量に流出している事を認識していたということ
0043人間七七四年2011/08/03(水) 18:37:19.80ID:sJjdeuON
>>39
当時はいまみたいに百姓が国にゆすったりたかったりできないから農作は大変だったろうなあ。
凶作は自己責任。工業や商業の税が再分配される現代はなんと幸せなことか。
0044人間七七四年2011/08/03(水) 18:52:52.79ID:eMwORmEd
>>43
豊臣政権は検地と共に税収向上のために
畿内の進んだ技術の全国への輸出をしていたし
豊臣大名も各地で導入してた。
城下町と治水などで石高の目覚しい向上があり
中間搾取の不正も無くしている。
対して徳川幕府は国内自給経済と海禁政策で商業を軽視し経済成長モデルによる資本主義の発達を阻止し
職にあぶれた不逞牢人が跋扈し世情不安で世直し待望で溢れ
その矛盾が島原の乱・寛永の大飢饉・由井正雪の慶安の変で爆発してる。
0045人間七七四年2011/08/03(水) 18:57:08.87ID:DCJo884R
色々言いたいけど、そういうスレではないので言いません
0046人間七七四年2011/08/03(水) 19:08:07.49ID:eMwORmEd
豊臣政権の大消費社会による経済拡大と領地の大開発による
石高の上に胡坐をかいていたら
時と共に貧しくなっていったのが徳川政権。
北条がなんら開発してなかった幕府の膝元たる
江戸近郊の田舎を開発しただけで
雇用対策なんて言い出すのは捏造。
そもそも江戸の人口増加こそが
地方の民力の大疲弊から農村が抱えられない人口の
首都への逃亡に他ならない。
豊臣時代には見られなかった地方の疲弊ぶりだ。
そして江戸開発は幕府の政争の具となって
老中の失脚狙いの事業停止などが相次いでいて
まさに失政続きの腐敗ぶりだった。
これも豊臣政権には見られないものだ。
0047人間七七四年2011/08/03(水) 19:21:54.41ID:DZw4xjWH
徳川幕府のせいで
くだらない政争とヘタクソ外交と経済オンチと
無責任解決先送りや働かない公務員
なんて日本の体制を決定づけたからなー
0048人間七七四年2011/08/03(水) 19:50:02.36ID:Z4lK3hT+
アンチ徳川のキチガイが一人でID変えつつ連投中
0049人間七七四年2011/08/03(水) 20:36:16.10ID:cVdoFE/Y
日本の戦国時代は欧州におけるルネサンスと(構造的には)良く似ている気がします。

・気候の温暖化で農業生産力が高まり地方の諸勢力が経済的に自立可能に。
・結果として従来の支配者(皇帝・教皇・領主・大名)以外の諸勢力(都市・傭兵集団・寺・たたら場とか)が武装し自治を確立
・戦争(小競り合いから大規模なものまで)も頻発したが一方で文化も発達(戦争遂行も文化の向上も生産力が高くないと不可能)
・宗教が自治確立や戦争の道具になった(石山本願寺による一向宗勢力拡大・領地獲得と支配の安定を狙った宗教改革)
・農業製品の数が過剰になると貨幣の価値が増大。商業に強い所が有利になる(これはこの時代に限った話ではないですけれど)

素人の浅知恵ですのでかなり的はずれな事を言っているかもですがこの認識はどうなのでしょうか?
もちろん戦国時代とルネサンスが全く同質の物だとは思っていません。構造として見た時に似ていると感じただけです。
0050人間七七四年2011/08/03(水) 21:11:13.70ID:5ksAIaWJ
>>49
そうすると応仁の乱を始め戦争も多かったけど東山文化なども花開いた室町時代を無視するつもり?
0051人間七七四年2011/08/03(水) 21:16:58.52ID:S6K4QzpT
>>49
会田雄次さんはあんたと全く同じようなことを言ってたなぁ。
かなり古典的な説だけど。

まあ、室町時代から戦国にかけて少し気温が高くなったのは事実らしい。
0052人間七七四年2011/08/03(水) 21:44:13.12ID:cVdoFE/Y
>>50さん

それに関しては中世末期の欧州も同じかなと思います。
ルネサンスに入る前から前兆はあったのだと思います。

同様に室町末期には戦国時代の前兆があったのではないかと。
欧州でも日本の朝廷と同様に教皇の権威が失墜していきます。

>>51さん

同じ事を言っている人がいた事自体ビックリです。浅知恵から出た質問なので・・・
しかも古典的なのですね。勉強し直します。

0053人間七七四年2011/08/03(水) 22:33:40.40ID:DZw4xjWH
その無理やり欧州史と関連づける史観は昔からあったでしょ。
特に90年代にはその流れは戦国史まで巻き込み
政教分離で中世から近世への扉を開いた革命児信長とか90年代の信長マンセーにつながった駄論。
西欧マンセ−思考で無理やり西欧史観を日本史に当てはめるのは20世紀だけで終わらせろ。
0054人間七七四年2011/08/03(水) 22:54:29.50ID:POzY5TNw
>>40>>48
とりあえず、言いがかりと現実逃避はやめろ腹黒たぬき

秀吉と後北条の猿真似しかできない経済オンチ家康
これは大半の知識人の見解であり、変わりようのない事実だ
なんで捏造しようとするのか分からん
0055人間七七四年2011/08/03(水) 22:57:18.71ID:cVdoFE/Y
うーん。別にこの論は西欧マンセー思考から出した物ではありません。

寧ろその逆で私個人としては日本のヒューダリズムや
西欧のヒューダリズムをそれぞれ別個の特殊な物と看做したり
どちらかに重きを置いて語る史観に反抗する意図を持って書いたつもりです。

同じ脳を持った人間ですから文化や生産力の発展には一定程度の共通性が
あるのではないかと思って建てた推論です。
0056人間七七四年2011/08/03(水) 23:05:32.44ID:5ksAIaWJ
>>55
それが西洋人の作った史観に則した歴史の見方だと指摘されてる訳だな。
0057人間七七四年2011/08/03(水) 23:16:45.21ID:cVdoFE/Y
>>56

なるほど。確かに唯物史観自体は西洋人であるマルクスが生み出した
思想ではありますが普遍性のある思想の様に思われます。

生産力に応じて社会が発展する。
別にこの考え方自体は何かを特別視したものではありません。

西洋を特別視して見るのと西洋生まれの思想を用いて推論を立てるのとでは
意味が大きく違うのではないでしょうか?現代の日本人が普通に扱っている
科学や計算方法も西洋やインド・中国等の外国由来の物ですし。
0058人間七七四年2011/08/03(水) 23:29:51.60ID:599/Lz64
どんなに離れているものでも、探せば似通った部分はある
同時に、会わない部分も当然ある

比較するのなら、似ている部分と似ていない部分の双方を挙げないと
都合のいい主観の論にしかならないよ
0059人間七七四年2011/08/03(水) 23:41:31.74ID:5ksAIaWJ
>>57
ごもっともな部分もある。でも数学を始め自然科学は普遍的だが、社会科学は必ずしもそうではない。
だからそれを比較研究する文化人類学が成り立つ訳で。
0060人間七七四年2011/08/04(木) 00:08:07.85ID:WXGvyUz7
>>58さん

仰る通りですね。違う部分を即座に持って来れない所に浅知恵と
私の論の稚拙さがあり反発を呼んでいるのでしょう。そこはやはり
勉強不足から生じている物です。長々と偉そうにすみませんでした。

>>59

そうですね。でもやはり文化人類学で得られた結果も唯物史観の修正・補強に
利用されている様に思います。というか唯物史観や社会学の定義・意義とかを
語り過ぎるとスレチになるのでこの辺にしておきます。
0061人間七七四年2011/08/04(木) 00:17:55.97ID:86vVobln
51だが、
そう何でもかんでも叩くのは建設的ではないよ。
>>49の見方にも、正しいところと、間違っているところがある。
どこが正しくて、ここが間違ってるとか言ってあげればいいんでない?
0062人間七七四年2011/08/04(木) 00:35:40.65ID:WXGvyUz7
あああ。すみません。肝心な事なのに忘れていました。
間違っている部分を指摘してくれると有難いです。
批判の中から進歩というものは生まれると思うので。

>>61さん

会田雄次さん調べました。彼の主張(歴史以外)には共感出来るものが多くて
驚きました。こんな人も居るのですね。今日は眠いのでここまでにします。
0063人間七七四年2011/08/04(木) 01:44:35.53ID:9dzV/rs5
殿様から、戦功で500石から1000石に加増すると言われた場合、加増分の500石は秋の収穫時まで待たなければいけないのですか?それとも、500石分の米かお金は速やかに貰えたのですか?
0064人間七七四年2011/08/04(木) 04:05:40.69ID:FKuFDjkf
なんで板名が戦国時代(仮)なの?
0065人間七七四年2011/08/04(木) 04:19:45.30ID:kM6a1sr0
夏だわあ
0066人間七七四年2011/08/04(木) 05:10:22.50ID:wyX/u8dv
次スレから他板のFAQスレにあるような注意書きテンプレに加えようかね

【質問者の心得】
・まずは検索してみましょう。簡単な検索でわかるようなことも結構あります。
・質問してもすぐに回答は出てきません。ゆっくり待ちましょう。
・質問に対して必ず回答があるわけでも、必ず正解が存在するわけでもありません。
答えてもらえなくても粘着しない。
・「○○と××、戦ったらどっちが強い?」などの比較質問は、人によって評価が違うので正解無し。
「○○がもし長生きしていたら歴史はどう変わる?」などのifを問う質問も人によって評価が違うので正解無し。
よってこの手の質問は不毛な議論を招くので禁止。

【回答者の心得】
・なるべく出典、参考文献などを明らかにしましょう。
・正確さを欠く回答があっても煽らずに冷静に補足してあげましょう。
・回答を出すのにレスを多く使いそうな質問は、適切なスレに誘導してあげましょう。
・あくまで質問に対する回答なので、議論と考察はほどほどにしましょう。

こんな感じで

0067人間七七四年2011/08/04(木) 09:57:36.09ID:HbSvako8
>>63
500石分の領地が貰える
収穫期までは当然出費だけ
0068人間七七四年2011/08/04(木) 10:33:08.00ID:gjgsfj31
まあ普通は領地からの収穫を担保に、金融業者から融資させるんだけどね。
0069人間七七四年2011/08/04(木) 12:32:08.72ID:US6qeXlB
元領主が転封される時に
蔵を封印して行くか
蔵の中の全てを持ち去るかによる。
命令者の指示が特になければ自己判断でOK

蒲生・上杉・黒田は全部持って移動
掘・細川は置いて行ったっぽい
転封費用がかなりかかるので持って行くのが当たり前のような気がするが。
ちなみに掘は転封費用を前田と上杉から借りてるほどバカで、
借金返済を上杉から促されて上杉の悪口を言っている。
細川も黒田にキレて、黒田家の船を略奪しようとした。
あとで悪口言ったりキレたりするくらいなら蔵の中のものは持って行くに限る。
誰も金を返してくれないし
蔵を封印した後にそこに移封してきた大名に請求しろと言われるだけだし
当然儲かった金は自分のものだから返すわけもない
0070人間七七四年2011/08/04(木) 13:36:28.53ID:9dzV/rs5
皆様ありがとうございます。

実はCSで功名ヶ辻を観ていて、一豊が50石の時には家来やその家族を食べさせる米がなくなるぐらい貧乏だったのに、信長から200石に加増された次の場面では馬も家来も増えていたので、信長から差額分の米か金をもらったのだと思ってました。

加増分を担保にお金を借りるのが普通だったのですね。

0071人間七七四年2011/08/04(木) 16:01:13.45ID:mYhYutNS
>>36
返事遅くなってすみません…
なるほど…国内の不安定な情勢を考えたら誰も止められなかったわけですね。
天下統一して武士が溢れて専業武士の維持費が厳しくなり雇用が悪化するのはわかりましたが。
なぜ治安悪化したのかは検討がつきません。
やはり雇用と被りますが職がなくなったことによる暴動や一揆が原因でしょうか?
0072人間七七四年2011/08/04(木) 17:14:41.28ID:vb7fHqhq
不逞牢人が都市部へ流入すると治安が劇的に悪化するからね。
0073人間七七四年2011/08/04(木) 17:37:06.28ID:2HCX4rPF
暴動や一揆まではいかないとしても、
暴行、盗み、押し買いのリスクが上がる

それに戦場では略奪をしてるわけで、
つまり強盗のプロがゴロゴロしてるようなもので
0074人間七七四年2011/08/04(木) 19:46:40.67ID:JHz2X2O/
たしかに最近で言うと戦後に朝鮮人の済州島の非差別部落の連中が身分差別から逃れるために
大量に日本に密入国して各地に朝鮮人街をつくったけど
その地域を中心に暴力団が組織されて治安が悪化しているなあ。
0075人間七七四年2011/08/04(木) 20:20:49.98ID:P73unRZS
福岡とか大阪の鶴橋とか?
0076人間七七四年2011/08/04(木) 22:02:28.03ID:mYhYutNS
>>72-73
レスありがとうございます。

末端の足軽兵士なんてゴロツキと変わらなかったって言いますし。
現代で言うなら、ニートや浮浪者が犯罪行為を頻発に行ってたってことになりますね…
0077人間七七四年2011/08/05(金) 15:08:33.29ID:mFrCJmlB
>>76
ニートや浮浪者は勤労意欲のないORできない状態にある人

リストラ強盗は勤労する気はあるけど職場の見つからない人のヒャッハー
0078人間七七四年2011/08/06(土) 05:29:43.07ID:XKPfc6pZ
キリシタンの宣教師と仏教の僧侶って面識とか交流ってあったんでしょうか?
全く正反対でなおかつ異教徒ではありますが。
0079人間七七四年2011/08/06(土) 08:15:18.92ID:Tce+ocfF
既出だとは思うのですが、教えてください。
浅井長政の読み方は昔は「あさい」が一般的だったと思うのですが、今はそろって「あざい」
になっていますよね。何かある時期に新事実の発見でもあったのですか?

同じく北政所も昔は「ねね」が多かったのが今はみなが「おね」と読んでます。
0080人間七七四年2011/08/06(土) 08:18:47.01ID:qfqeY8Sc
>>78
宗論といって、どちらの教えが正しいか議論してた。

>>79
滋賀県に残ってる地名の読み方がアザイだから。
当時の文書にネネと書くものがないから。
0081人間七七四年2011/08/06(土) 08:51:05.43ID:XKPfc6pZ
>>80
ありがとうございます。
ググってみたら、ロレンソ了西っていうキリシタン宣教師が反キリシタン僧侶の朝山日乗と討論して論破して朝山日乗を怒らせたと書いてあったけど。
宗論する時キリシタンは仏教をどう論破したんでしょうかね?
0082人間七七四年2011/08/06(土) 09:13:38.02ID:8EW34pzy
詭弁と屁理屈じゃね
ギリシャだったかローーマだったかの時代からそういう技磨いてたし
0083人間七七四年2011/08/06(土) 09:18:06.89ID:6dC85YIy
そもそも宗教自体が詐欺だしなあ。神仏を持ち出すとなぜか犯罪扱いにならない。
0084人間七七四年2011/08/06(土) 10:16:11.87ID:yqQw3NHY
>>79
北政所は手紙の署名が「ね」の一文字だからって話だけど、イニシャルのような感じで
一文字しか書かなかったんじゃないの、というのが俺の意見だ。
0085人間七七四年2011/08/06(土) 12:02:57.63ID:IAabU3Eq
小官みたいのもんか
0086人間七七四年2011/08/06(土) 12:09:33.12ID:nnxk/gJA
>>81
> ググってみたら、ロレンソ了西っていうキリシタン宣教師が反キリシタン僧侶の朝山日乗と討論して論破して朝山日乗を怒らせたと書いてあったけど。
> 宗論する時キリシタンは仏教をどう論破したんでしょうかね?

論破ってのはキリシタン側の記録にしか無く、ほかの中立的な人間はそういうことを一切
記録していないことは認識しておくべき
0087人間七七四年2011/08/06(土) 12:55:06.33ID:6dC85YIy
某創価学会の本でもよそを論破して大勝利って記述が多いよな
0088人間七七四年2011/08/06(土) 15:23:28.07ID:JzPmSMGV
でもキリスト教って日頃から議論慣れしててノウハウ蓄積あるからなあ
ガチで議論したらキリスト教側の方が有利だろ。
それに神って人格ではなく=宇宙意志みたいなもんだし
そこに死んだ人間が帰るとか言われたら
現代人でも信じるやついるだろ
0089人間七七四年2011/08/06(土) 15:51:11.62ID:tidTvBUU
日本人は農民からして理屈屋で布教が大変とも言ってるがな
0090人間七七四年2011/08/06(土) 16:38:35.51ID:6Dgv8Jyi
宣教師「信ジルモノハ救ワレマース、くりすちゃんニナリマショー」
百姓「信じない奴は?」
宣教師「地獄行キデース、デモ安心シテ下サイ、死ヌマデニ悔イ改メレバおkデス」
百姓「親父すっげぇ良い奴だったけど、もう死んでいない。親父は仏教徒だったから地獄行きか?」
宣教師「・・・」

みたいな話だったよな
たしかまとめサイトに詳しい話があったはず
0091人間七七四年2011/08/06(土) 17:31:10.38ID:XKPfc6pZ
もう日本人は文明、文化、民族のアイデンティティーを持ってたから仏教僧侶を論破したってのはあっちの勝手な都合で。
結局は平行線だったのが現実なんだね。

キリスト教が広まったのは当時のアフリカ、インド、東南アジア、南アメリカなど原始的なとこでしか信仰が容易にに行き渡らなかっただけで。
0092人間七七四年2011/08/06(土) 17:32:52.89ID:yqQw3NHY
>>90
そういう流れではっきりとそうだと言うマホメットはある意味すごいよな。

>>88
そんな宇宙意思なんて話、中世の宣教師に言ったら鼻で笑われんじゃないのか。
0093人間七七四年2011/08/06(土) 17:41:41.52ID:JzPmSMGV
話も聞かずに排除しようと弾圧するのではなく
興味を持ってそう言うふうに疑問をぶつけてくるから日本人は聡明だと言ってるのが宣教師だぞ。
だいたい論破しようとやってくる仏教に詳しいやつほど一度納得されてしまうとキリスト教布教に熱心になってる。
0094人間七七四年2011/08/06(土) 18:13:08.69ID:r7RCLov3
>>80 >>84
ありがとうございます。よろしければ続いての疑問ですが

「アザイ」「オネ」読みであることが昔からある資料で分かっていたのなら、なぜ
「アサイ」「ネネ」と昔は発音されていたのですか?

それと、それがいつなぜ改められたのですか?
誰か影響力の強い人が、「これまで間違った読み方していたけど、今度からは正しい
読み方に改めようよ」と提唱したのでしょうか。割と最近のことだと思いますが。
0095人間七七四年2011/08/06(土) 18:15:53.42ID:JzPmSMGV
アサイはアザイと読むのが正しいと主張したのは小和田だな
0096人間七七四年2011/08/06(土) 18:21:29.18ID:XKPfc6pZ
朝山日乗がフロイスからルシファーと称されちまったのは、始めからキリスト教に排他的だったからか…
0097人間七七四年2011/08/06(土) 18:25:46.06ID:nnxk/gJA
>>94
「アザイ」は小和田が「現在地元ではそういう発音だから当時もそうだ」と言っているにすぎんよ。
あと「オネ」も文書でそう書かれているが、それが即そう呼ばれていたとは限らん。

はっきり言うとどれも確証のない想像の範疇でしか無い。
0098人間七七四年2011/08/06(土) 18:32:19.05ID:6dC85YIy
文章で「ね」と残っていて
おみつ おふね おたえ
とかみたいに「お」をつけて「おね」って感じ?
だとしたらマ・クベ大佐が女で戦国時代なら「おま」になっちまうね。
0099人間七七四年2011/08/06(土) 18:43:57.97ID:yqQw3NHY
>>94
「おね」と書いたものは無い。「ね」と署名した手紙から本名は「ね」の一文字だろうという想定。
それで女性には「お」を付けて呼ぶのは慣習だから「おね」と呼ばれた筈、という話。
でもその説を受けて、名前の一文字だけ署名する事はあるけど「ね」なんて名前はあり得ない、
という反論もある。

>>98
女の子だったらそうだ。
0100人間七七四年2011/08/06(土) 19:02:30.33ID:AlAtHCRJ
>>49
構造として似ている、はちょっと不正確で、正しくは、
西洋史において、ルネサンスの意義・特徴的な事象と、対応するかのようなことがらが、
戦国期の日本にもある、ということではないでしょうか。

確かに西洋史と日本史は、部分的に切り取ってきて、ある観点の元に比較すると、
対応しているように見えることがよくあります。

この点について一番詳しく書いているのは、松岡正剛の『情報の歴史』だと思います。
ただ彼の場合、日本でのルネサンスに対応する事象を、江戸前期に見出してますけど。

大局的な観点から、日本史と西洋史を比較しているのは、梅棹忠夫の『文明の生態史観』です。
どちらの本も、あなたにとっては非常に参考になるかと思います。
0101人間七七四年2011/08/06(土) 19:05:56.98ID:AlAtHCRJ
>>91
インドは当時の先進国なんだけどね。
0102人間七七四年2011/08/07(日) 18:35:41.72ID:JlkAhTn3
鉄砲は槍や弓等と違って、かなり高価な武器だから、やっぱりそれなりの地位にある将兵(中級武士?)じゃないと、持たせてもらえなかったの?
0103人間七七四年2011/08/07(日) 19:01:39.52ID:Yaf95qM8
時期と鉄砲の種類による。
十匁以上の大口径銃は熟練技術が必要なので士分かそれに準じる専業軍人が使い
さむらい筒とよばれる。
三匁以下なら反動も少なく扱いやすいので農民兵に持たせて得れ
特に慶長の役では即席銃兵として大量投入した。
また早期の配備数が少ない時期は三匁でも家中で技量に優れたものに使わせていた。
0104人間七七四年2011/08/07(日) 21:47:40.50ID:JlkAhTn3
>>103レスどうも、なるほど時期によって結構、違うんですね。
0105人間七七四年2011/08/08(月) 08:22:59.51ID:d2FyiNsH
>>100さん

ご丁寧な回答ありがとうございます。
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