>>119
戦国時代に「大義名分の無意味」という事例は多くあったけど中期には
まだ多少大義名分を戦略に利用する風潮があった。

西日本の火薬庫大名の大内は周防介の家系ながら
大陸貿易利権で対立していた細川と張りあうことに熱心だったので
細川の右京太夫に対抗して左京太夫を欲して
従三位大内義興、従二位大内義隆どちらも任官されている。
他にも少弐(武藤)と対立していたときは大宰大弐に任官されることで大宰少弐討伐の大義名分としている。
乱世といえど大勢力な上に大義名分があれば国人の懐柔も容易になる。
例えば田手畷の戦いで敗戦した大内は大宰大弐に就任後、龍造寺を懐柔して少弐を滅ぼしている。
戦術で負けて戦略で勝った例があります。いくら合戦がうまくても戦略的不利は覆すのは難しい。
そんなわけで大スポンサーの大内が健在なころは官位に需要があった。
なので後奈良天皇は「金で官位を任命するのは嫌」と上から目線だった。

ところが大内が部下に弑逆される事件が勃発すると、「やっぱ大義名分意味ないじゃん」
と周囲が再認識してしまい、大金を貢いでまで官位を欲するより軍備増強に目を向けられるようになった。
需要がなくなると朝廷は財政難が深刻化し、次の正親町天皇の時代になると
「官位買ってください」の年中閉店セールの紳士服屋状態。
即位式で2000貫献金をした毛利はものすごく感謝されて家系はたいしたことないので従四位どまりだったものの
死後、従三位を贈位されている。(明治以降どさくさに紛れて正一位にもなってますが・・・)。
献金しまくり、公家援助しまくりの大内親子が死後贈位されかったのと比較すると
朝廷の対応が雲泥の差です。