徳川秀忠 その2
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0001人間七七四年
2011/07/15(金) 23:59:29.98ID:TVTDkJzqスレタイはシンプルに
というわけで、
徳川二代将軍について揉めてください。
前スレ
【凡将か?】徳川秀忠を本音で語れ!【名将か?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156998657/
0038人間七七四年
2011/07/24(日) 20:47:02.27ID:Uf69bWbb「江の生涯」と「誰も知らなかった江」
作者の想像部分は飛躍した部分もあるが情報収集にはいい二冊だよ
0039人間七七四年
2011/07/24(日) 22:22:43.72ID:+/3Gwa3pああその二冊は自分も読んだ
江の生涯は半分以上はちょっと無理があったけど、それ以外は割とよかったよね
誰も知らなかった江は良かったけど、ちょっと家康を綺麗に書きすぎじゃね? と思った
山岡荘八の徳川家康思い出したよ
0040人間七七四年
2011/07/25(月) 01:15:34.77ID:ABYYpIVc終了後の秀忠ってそんな仕事任されるような立ち位置だったっけか
0041人間七七四年
2011/07/25(月) 03:50:43.33ID:RRQLHXSE(この直前にあの有名な後継ぎ決定イベントが記載)
六年正月 御父子とも大坂の西城にましまし。大小の政事を沙汰し給ふ。
三月三 日豐臣中納言秀頼大坂城の西城に。 御父子を迎へ奉り。申樂を設け饗し奉らる。かへらせ給ひて後秀頼西城二丸にまかりて。 御父子の御來臨を謝せら る。
廿四日 公には大坂二丸を出て伏見に移り給ふ。廿七日 公ならびに秀頼。ともに大納言にのぼり給ふ。(一 に廿八日につくる。)
廿九日 公御參 ありて拜賀し給ふ。御同母弟下野守忠吉朝臣も。この日從四位下侍從に叙任したまふ。
九月晦日公第二 君。(珠君。)を加賀中納言利長の弟猿千代利 常。(後中納言。)に嫁し給ふ。此月 公伏見を出て江 の城にかへらせ給ふ。(台徳院御実紀)
後継ぎに無事決定した秀忠は
戦が終わった後も上方に一年近く滞在して親父と政務をこなしたようですね
0042人間七七四年
2011/07/25(月) 20:10:29.88ID:ABYYpIVc九月晦日ってことはほぼ10月上旬にようやく江戸に帰れたのか
だから勝姫から初姫生まれるまで年の開きがあるんだな
それ以外はほぼ毎年、お江さん子供産んでるし(ただ史料によってまちまちだけど)
0043人間七七四年
2011/07/25(月) 20:30:21.91ID:RRQLHXSEだった気がするんだが
福田氏が督姫のことをどう思っているのか気になって仕方ない
0044人間七七四年
2011/07/25(月) 20:37:10.01ID:ABYYpIVc督姫は前夫の北条氏直と仲よかったらしいけど
池田輝政も懐深い逸話多い人だから、やっぱ仲良くやっていけたのかな
0045人間七七四年
2011/07/26(火) 22:13:40.38ID:o3NPGuPP誰か教えて下さい
0046人間七七四年
2011/07/27(水) 07:32:34.71ID:QyI3PtB3http://s1.shard.jp/rabbit1/0204/43/289_2.html
徳川の戦いには最終的な決着がない八百長戦争の代表的なものが多い。
( http://book.geocities.jp/japan_conspiracy/0202/p002.html )
0047人間七七四年
2011/07/28(木) 00:58:53.57ID:viZYe7BZ「東照大権現祝詞」ってどの程度信用できる史料なのかな。
幕閣(秀忠の乳母子にして老中、松平信綱の舅にもあたる)の横死を「天罰だ、ざまあ」みたいな
論調で触れたり、家光室への中傷じみた文言や、さらには秀忠夫妻が家光をないがしろにした挙句
家康の怒りを買ったみたいな文章を公然と書き残したりできるものなんだろうか。
0048人間七七四年
2011/07/28(木) 01:22:46.73ID:KRqtNZq3仮にも幕府にいる人の言葉とは思えんし、何のために残っているのかも理解不能だ
0049人間七七四年
2011/07/28(木) 14:34:43.21ID:ibjb5hjIちくごって何物なんだろう
0050人間七七四年
2011/07/28(木) 17:53:26.69ID:lRiOOi0Q0051人間七七四年
2011/07/28(木) 18:05:59.76ID:ibjb5hjIかな文字でも男性でいいなら筑後守?
筑後に住んでいる人?
よくわからん
0052人間七七四年
2011/07/28(木) 18:11:51.28ID:lRiOOi0Q「ちくご女」と呼ばれていた可能性は高いな。
0054人間七七四年
2011/07/28(木) 19:20:36.78ID:KRqtNZq3高価な巻物20巻分て、かなりの金額だよね
そんな金額動かせるとしたらどっちだろうか
0055人間七七四年
2011/07/28(木) 23:22:15.53ID:ibjb5hjIあまり知名度は高くない女性・・・・・・・・朝倉局かなやっぱり
駿府博物館の学芸員はちくごが誰かについて検討つけているのかね?
0056人間七七四年
2011/07/31(日) 21:45:17.66ID:IuMySzk3隆慶先生の秀忠と比べるとどうだろうか 秀忠の方が上かな
0057人間七七四年
2011/07/31(日) 23:47:46.41ID:HBM+cPmd江が千に
「お父上は意外と執念深いお方なのです」
とか言ってた
0059人間七七四年
2011/08/01(月) 00:45:26.09ID:Gox95JF/植松三十里という方の最近出た本
秀忠ファンが読んで楽しいかは微妙だけど
執念深い・・・ 晩年の話か
0060人間七七四年
2011/08/01(月) 00:58:27.94ID:OTpmCHBwありがとう ちょっと読んでみようかな
秀忠のは執念深いというか、徳川の治世を脅かすものは誰であろうと断固許さん
みたいな強固な姿勢があるから、執念深いとはまた違うか
0061人間七七四年
2011/08/02(火) 20:54:45.93ID:kFNU1xNdのこの手紙見てると、凄く優しい文字で書いてるなあと感心する
なんでも鑑定団に出てた、7歳の頃の習字の文字は、凄く力強く書いてる印象あったから
年齢の違いにもよるけど、相手に対して筆使いも変えるって、昔の人気配り上手だよね
0062人間七七四年
2011/08/06(土) 07:47:52.46ID:CQa9yuH7親しい人にはかなり情のある男に見える。仕事面では容赦ない感じ。家康と違う自分を良く知って、幕府の体制を整えるためにあえて厳しかった。
子供の頃のお習字、のびのびした気持ちの良い手蹟だと思った。数え七歳なら今の5〜6歳くらいか。
残っている手紙なんかも全体的に雰囲気が柔らかく優しい。
前に徳川美術館で秀忠のいろいろを見たが、なんとなく巷のイメージと違って違和感があった。本当に凡庸な人には思えなかった。
自分が書道で生きてるからかもしれないが、文字で人を見てしまう。
誰か秀忠のイメージを払拭する小説を書いてくれないかな。
0063人間七七四年
2011/08/06(土) 18:27:52.92ID:hCUZ13C5同作者の「真田信之」「立花宗茂」の秀忠もブレることなく、この人の描くいつもの秀忠像で実に良かったな
この人はあまり通説にとらわれずに、作者独自の人間像で書くので結構好きな作家さんなんだけど
お江さんが通説通りの、家光を毛嫌いしてたり、気が強かったとした設定なのでがっかりしたな
通説を持ちいらないこの作者さんなら、と期待していたんだけど、それ故落胆が激しかった
いや、歴史研究者の考察本じゃないんだから、小説の中くらい好きに書かせてやれと言われればそれまでなんだけど
いつかこの人の書く秀忠主人公の本を読んでみたいなあ、と思っていただけに、期待が大きすぎたかな
0064人間七七四年
2011/08/06(土) 18:43:30.44ID:uXmvWPl2最近はどうでもよくなってきた
どう描かれようとその人本人が変わるわけじゃない
0065人間七七四年
2011/08/06(土) 19:00:36.35ID:FGRJ6Vq0興味を持った人が史実まで追えばいいんだ
創作物はイメージ拡散ツールとして強力だから
描かれようが気になるのも分かるが
0066人間七七四年
2011/08/06(土) 20:33:31.46ID:hCUZ13C5大河ドラマや小説だけ読んで、それが史実と信じている人もいるから
その人に「それはあくまでフィクションでね…」と言っても、信じてもらえず
自分の好きな歴史上の人物が、いつもいつも罵倒されているのが悔しくてねえ
ちゃんと調べれば、暗愚でもなんでもない、立派な人だとすぐ分かるのに
どうしてそれを信じず、いつまでも創作者の情報だけで語ろうとするのかなーと
酷いのだと、ちゃんと史実的な偉業も、○○オタの妄想とか言われてしまうのがオチだし
0067人間七七四年
2011/08/06(土) 20:47:36.53ID:FGRJ6Vq0ttp://www1.e-hon.ne.jp/content/sp_0031_taidan_201103.html
小和田氏によると
「秀忠は多くの史料から、大人しく頼りない感じを受けますが」
「竹千代が冷遇されているので、家康が自分で引き取り
養子にしようと考えていたらしい、という資料」だそうだが
具体的にどんな史料なんだ?
0068人間七七四年
2011/08/06(土) 20:55:35.14ID:uXmvWPl2「見る必要はなくて不快な気分になることが予想できるもの」(人物描写がアレなドラマや小説や個人ブログやツイッターなどの俗説だらけの歴史妄想話) を目に入れないようにしたらどう?
なんかそういうのでイライラするのは時間の無駄
小説やドラマは所詮娯楽なんだから好きな人物が良く描かれているものだけ見れば良い
ブログやツイッタは知識不足で適当なこと言ってる人がほとんどだから信頼できる所以外は見ない
史料と研究本と創作物は自分が気に入ったものだけ
周りにあるのはこれだけでいいじゃん
0069人間七七四年
2011/08/06(土) 21:07:48.61ID:uXmvWPl2家光に関しては東照大権現祝詞だろ
君をするがへよび御申候て、ごんげんさまの御こにあそはされ、三代せうぐんにこれあるへきと上意御さ候間、やうやくするかへ御のほり候ハんかと下々もよびし申うちに、ごんけんさませんげあり
という一文がある
秀忠の性格に関しては知らない
というかよくわからない
0070人間七七四年
2011/08/06(土) 22:11:16.85ID:hCUZ13C5そうだね そういうのはスルーしとけばいいね
史料にもとづいて、ちゃんと考察しているサイトもあるし、そういうのを見て満足しとけばいいか
0071人間七七四年
2011/08/08(月) 22:17:52.33ID:x+s2Mzah千姫をすっげえ痛烈に批判しててびっくりした
そこまで言わんでも…とちょっと引いた
0073人間七七四年
2011/08/08(月) 22:51:32.15ID:x+s2Mzahそれにしても、これ書いてる時、何か嫌なことあったの?
と聞きたくなるような辛辣さでうわぁ…ってなっちゃった
何でここまで言う必要が? と疑問に思っちゃったよ
0075人間七七四年
2011/08/08(月) 23:02:55.33ID:x+s2Mzah春日局が息子を忠長にも預けているのを、小説で知ったっていうのがあって唖然としたわ
小和田さんは江の考察本も書いているのに、江周辺のことあまり知らないかあまり興味ないのかな
小説じゃなく、考察本にすら、俗説を上げてそれにそって解釈してるし
考察本なら史料優先で解釈してくれよと
0076人間七七四年
2011/08/08(月) 23:46:35.45ID:4NH3KBXt人物叢書『徳川家光』でも「忠長には乳母はつけられていない」と書かれていた。
0077人間七七四年
2011/08/08(月) 23:53:51.98ID:x+s2Mzah最近の研究者の人すら、忠長の乳母の名前や存在すら知らない人が多いと言っていたな
何でこうまで興味持たれないんだろうか 真面目に研究する人いないのかな
0078人間七七四年
2011/08/09(火) 12:40:42.83ID:S1t5Oah2興味がないなら放置でいいよ
変な本描かれるよりはいい
0079人間七七四年
2011/08/09(火) 16:39:37.71ID:nCf3WjjG過去の大河とか、有名な戦国ドラマで、長丸出てたのあったっけ?
隆慶一郎氏なんかは、江が長丸殺したなんて描いてるようだが
長丸ってなんか忘れられてるような・・・・
0080人間七七四年
2011/08/09(火) 18:33:12.47ID:S1t5Oah2お江の子だったり、いなかったことにされたり
徳川さんちの子として扱われた形跡があるのに隠し子ポジションにされたり
証拠もないのに秀忠や江に冷遇されたなどと描かれたりするのが
長丸くんだから
それだけ描かれ方が違ったら存在は定着しにくいと思う
しかし長丸が隠し子ってのが一番意味わからんわ
九ヶ月で死んだ隠し子の墓を増上寺に造るかよ、といいたい
隠し子が早世したら存在自体無かったことにされるだろ
0081人間七七四年
2011/08/09(火) 19:53:45.80ID:ZN13Gnpg葵徳川三代に出てるよ 江以外の女性の子として
長丸って名前つけた辺り、もし江が嫡男産めなかったとしてのキープだろうな
でもそのキープが早々に死んじゃったから、なかったこと扱いな気がする
しかし亡くなり方も八ヶ月後だったり、二年後だったりと相変わらず曖昧な記録しかないしなあ
0082人間七七四年
2011/08/09(火) 20:19:01.44ID:S1t5Oah20083人間七七四年
2011/08/09(火) 20:50:40.18ID:nCf3WjjG長丸ってお灸で死んだってあるけど、お灸で死ぬもんなんだな
それにしても幼児にお灸なんてするのか?お灸を全身において、大火傷負ったのか?
こんな死に方だと、罰せられた人いて、そういう文献とか残っててもいいと思うんだけど
なんか長丸に関して、母親がどんな人とかも、あんま残ってないみたいだね
母親は側室になってもないな
0084人間七七四年
2011/08/09(火) 20:57:45.64ID:ZN13Gnpg合戦あるし、いつ帰れるか分からんし、なるべく子供作っとかなきゃ…と思ったのかな
それにしては一人ってのは少ないと思うが
0085人間七七四年
2011/08/09(火) 21:02:33.08ID:S1t5Oah2まあ秀忠の母親が何者かに殺害されたとか書かれた史料もあったりするくらいだから
死因についてはよくわからんなあ
0086人間七七四年
2011/08/09(火) 21:09:22.68ID:ZN13Gnpgその場合誰か得する人いたっけ?
0087人間七七四年
2011/08/09(火) 22:45:44.24ID:S1t5Oah2ソースが柳営婦女伝系だからな・・・あまり信用できな・・・
ただ家忠日記にも喧嘩にまきこまれて〜とか書かれているのがすごい気になるんだよね
>>77
忠長の乳母が知られてないのなら
家光の部下に浅井&淀の関係者がいることはもっと知られてないのだろうな
0088人間七七四年
2011/08/09(火) 22:56:48.89ID:ZN13Gnpg道房って江の孫だし、まだ生まれてもいないしと突っ込みどころ多いよね
でも家忠日記のは気になるな 家忠さんのなら結構信憑性が高い印象あるし
0089人間七七四年
2011/08/10(水) 00:35:00.04ID:04IBY3Jd以貴小伝→市は信長の従姉妹と書いてある
家康の四女の母親がお勝になっている
幕府祚胤伝→長丸の灸死亡話を記載
女性の略歴を載せた代表的史料の気になる部分
0090人間七七四年
2011/08/10(水) 01:09:20.17ID:JOkBuaO0江戸時代のちゃんとした史料すら、年代バラバラだったりとアテにならないからなあ…
なんかそこまで行くと、二次創作な臭いもするわ
0091人間七七四年
2011/08/10(水) 03:46:31.35ID:04IBY3Jd出典を調べてみるのは大事だよな
ところで「日本歴史」という雑誌の正之家光忠長、三兄弟についての記事読んだ人っている?
0092人間七七四年
2011/08/11(木) 14:15:32.07ID:qJo7ltBL大姥局と江との間に対立があったとかいう人って小説やドラマの見すぎだよな
0095人間七七四年
2011/08/12(金) 18:32:38.49ID:kvYsXv6g一年後に、お江さん施主で養源院で大阪の陣戦没者の供養も許しているし
豊臣家に対して、家康もどう思っていたのか読めないけど、秀忠も読めない
0096人間七七四年
2011/08/15(月) 21:06:00.10ID:XHN+qBTJあの絵の秀忠ってちょっとかっこいいな
0097人間七七四年
2011/08/15(月) 21:42:03.77ID:LNrrdclm0098人間七七四年
2011/08/15(月) 21:55:40.16ID:LNrrdclmttp://metro2.tokyo.opac.jp/tml/tpic/imagedata/toritsu/ukiyoe/2/2407-001-02.jpg
こんなのが出てきたんだけど、これどんなシチュなんだろう
0100人間七七四年
2011/08/15(月) 22:19:15.42ID:LNrrdclm見れた ありがとう 確かにあれ格好いいよね
これ鎧着てるから、合戦の時を描いたのかな 上田合戦と大阪の陣どっちだろう
0101人間七七四年
2011/08/15(月) 22:31:47.24ID:XHN+qBTJだぶん
0102人間七七四年
2011/08/16(火) 17:13:54.54ID:sa4e9trihttp://s1.shard.jp/rabbit1/0203/39/267_1.html
日本の歴史、特に徳川幕府の歴史から関わっていた。
( http://park.geocities.jp/jpcdebate/0203/p033.html )
0104人間七七四年
2011/08/17(水) 06:42:31.48ID:14M0G3zB0105人間七七四年
2011/08/17(水) 15:36:10.28ID:hF/llaZ0正装に着替えて持て成して帰したんだったね
0106人間七七四年
2011/08/18(木) 12:20:10.89ID:4CeaXw4/批判の中にサラッと根拠のない妄想を混ぜこんで史実の人物を悪くいう人は
大河スタッフと同じで歴史上の人物に敬意がないな
そういう人が多くて呆れる
0107人間七七四年
2011/08/18(木) 15:47:22.29ID:94lWaVIw自分もそう思う
アンチスレでドラマ批判している中に、己の無知を棚に上げて
マンガやドラマなどの俗説だけの知識を取り上げて、史実の人間すら馬鹿しているコメント書く人は
しょせんあの大河の脚本家と似たり寄ったりな人だよなあ
そういうの見るの嫌だから、あそこも見なくなったわ
0108人間七七四年
2011/08/18(木) 16:48:13.25ID:w+1rTGCdあの大河見てたら、特に江とかはあんな下品な姫にされ
当時の感覚を持ち合わせず
豊臣に保護されてるのに反抗的な我侭娘にされ
大河ひどい、史実の人に同情っていう流れになりそうだと思ったんだが
史実の人まで馬鹿にする人がいるのか・・・・
大河で、良い風に描写されてるの、茶々位じゃね?
0109人間七七四年
2011/08/18(木) 16:55:07.42ID:94lWaVIw一人のわがままの為に、豊臣滅ぼした悪女ってレッテル貼られてるように見えるが
今期の大河に便乗しての悪口は、江とか茶々とか秀忠のも見えたね
まあ大抵は、今までの通説を更に歪曲したような言い方だったけど
0110人間七七四年
2011/08/18(木) 17:23:48.05ID:4CeaXw4/秀忠を冷静な男に描くということは関ヶ原遅参はわざとということになるのか?
この二つにはマジ呆れた
0111人間七七四年
2011/08/18(木) 18:10:48.28ID:w+1rTGCdでもその浪費だって、経済活動に文化を発展させたのを思えば
一概に責められるものじゃないと思うけど
まぁそれにしても、あんなファンタジーでコメディなのを大河ドラマって枠でやるから
便乗叩きも増えるんだろうし、残りをしっかりしたのを作って欲しいわ・・・・
この先、江は嫉妬深く、秀忠は恐妻家って風にならなきゃ
えー違うだろ!!って叩くのかな・・・・
0112人間七七四年
2011/08/18(木) 18:13:45.86ID:4CeaXw4/間違いなく
0113人間七七四年
2011/08/18(木) 18:19:40.99ID:94lWaVIwなんで頑なに大奥のような設定を持ちだす人がいるんかなあ
別に大奥を批難するつもりはないけど、その設定みたいのなら大奥みればええやんと思うが
江主人公ならせめて、従来とは違った見せ方してほしかったのに、本当にがっかりだ
0114人間七七四年
2011/08/18(木) 18:31:11.00ID:w+1rTGCd秀忠は側室は持たなかったわけだけど、江を愛したわけじゃなく
ただ江を恐れて側室を持たなかっただけの恐妻家って大体されるし
ここらの時代を著わすのに、単に仲が良いでは面白くないからか
春日局にしたってバトルがあった事にする方が受けるからかな
0115人間七七四年
2011/08/18(木) 18:46:58.82ID:94lWaVIw家光生まれた時点で、お江さんもう30過ぎだし
それでもその後に忠長・和子と産んでる辺り、普通に夫婦生活は良好だったと見えるけど
そもそも、秀忠の数々の逸話見る限り、この人絶対女性の尻に惹かれるような性格してないと思うわ
0116人間七七四年
2011/08/18(木) 19:48:02.26ID:4CeaXw4/それにしても江が死んだ後も秀忠が妻を恐れ続けていたなんて解釈するのはいくらなんでも・・・・・・・
>>114
大奥は和子が登場しない、大坂方スルー、お振の方が登場しないという
歴史モノとは言い難い代物だから
まあ大奥が史実云々いう人が現れるたらそれを指摘すればいいよ
男女のドロドロドラマとしては面白いけど歴史モノとしてはみていない
0117人間七七四年
2011/08/18(木) 20:10:10.82ID:wJInJDFbそんなに嫁が嫌なら、秀吉死後誰憚ることなく城の一角にでも隔離すればいい話
よしんば秀忠がヘタレだったとしても、家康や家臣がそうするだろう
「恐妻家」って、まるで江戸時代の下級武士以下か
現代の一戸建てor4LDK住まいのサラリーマンみたいな感覚だ
0118人間七七四年
2011/08/18(木) 20:22:52.16ID:4CeaXw4/実際秀忠を「恐妻家」と呼ぶ輩が現れたのは明治時代のようだしな
というか大大名の子息として生まれ育った秀忠が
一応格上から嫁いできた妻とはいえ「女を恐れ」たりするのかね
女にヘコヘコするなんて有り得る話なんだろうか
「気を遣う」とかならわかるけど
0119人間七七四年
2011/08/18(木) 20:43:15.28ID:94lWaVIw秀忠の行動の解釈が、なんか一々悪くみせるように解釈してるのがなあ…と
お江さんが忠長を自分の母乳で育てたってのも、いかにも近代的な解釈だと思う
あの時代は、自分の子にはより良い乳母をつけるのが、最高の愛情だろうに
歴史研究家の人だってそれ知ってるはずなのに、何故かお江さんの考察本には
忠長の乳母のことには一つも触れずに、自分で育てたみたいに書くのが解せない
0120人間七七四年
2011/08/18(木) 21:11:56.78ID:w+1rTGCd特に近代入って処女性重んじられてきたし、そんな女に惚れこむなんて有り得ねー
江を恐れていたからに違いない、ってもなったのかな???
でも特に歴史研究家なら、秀忠が権力失った豊臣の養女にいつまでも遠慮してた
ヘコヘコしてた、って解釈するのが変だとは思わないのかって思うんだけど
0121人間七七四年
2011/08/18(木) 23:19:34.18ID:4CeaXw4/あとお江の火葬の件もどうにかならないのか
0122人間七七四年
2011/08/18(木) 23:27:06.04ID:94lWaVIwそれこそミステリーの読みすぎと失笑したもんだ
お江さんはゆっくりゆっくり、体調崩していって、寝込んだ上での崩御だし
当時の火葬がどれほど手間暇と金かかるか知らないんかな
この火葬の様子が詳しく書かれているのを読んでも、豪華な火葬だなと分かるのに
0123人間七七四年
2011/08/19(金) 12:59:01.83ID:Ibqfp+ws江が死んだ後、側室置いたりして、せっせと女に入れ込んでるでるだろうに
0124人間七七四年
2011/08/19(金) 13:34:23.80ID:vSpXtfY8享年が江と同じ54歳だなんて これだけでロマンを感じる
この夫婦は、今までの通説などなければ
普通に仲の良い夫婦だったと言われてもおかしくない要素が沢山あるのに
本当に勿体無いなあと思う 誰のせいだよ
0125人間七七四年
2011/08/19(金) 19:35:31.22ID:eLDSw48T長丸くんが慶長五年十二月生まれなら秀忠が不在で江だけがいる江戸城で生まれたことになるよな
秀忠は九ヶ月から八ヶ月前に江戸にいたとすると生母が江戸で出産したのは間違いないし
慶長六年説もあるからややこしいが
0126人間七七四年
2011/08/19(金) 22:43:51.34ID:vSpXtfY80128人間七七四年
2011/08/20(土) 00:35:24.46ID:rfCAxFBwどうも孕ませたタイミングが、どちらも嫡子に恵まれないから仕方なくって感じにも見えるんだけど
長丸の時は、関ヶ原の戦い中だし、死んでしまうかもしれないから、今の内に子供作っておかないと
として適当に家女選んだとか(それにしても一人は少ないけど)
正之も、家光生まれる前から関係あったみたいだが、家光生まれてからはそういう関係は切ったんじゃなかろうか
正之が生まれたと知った時、入浴中でめっちゃ驚いてたみたいだから
お静さんが妊娠してたことすら知らなかったんじゃないの?
その後の冷遇っぷり見ても、大切にしてたとは思えんし、結局会うこともなかったしな
0129人間七七四年
2011/08/20(土) 01:10:22.32ID:W4tth79Jすまん「家光が生まれる前から関係があった」というのが初耳なんだが
保科正之についての情報も史料によってバラバラだから
断定できんことばかりだよ
静の父親の身分
柳営婦女伝系→ 大工
幕府祚胤伝→ 農人
幕府や会津系→元北条家の家臣 とか
妊娠の経緯
柳営 以貴小伝→はからず(予想外の)も懐妊
会津系→二度も妊娠させるくらい何度も会ってた
生まれた場所も父の実家と足立郡と二通りあったはずだし
見性院の話題は出るけど信松院が出てこないとか、なぜか信松院の話題しか出ないとか
言ってることが違いすぎて混乱する
0130人間七七四年
2011/08/20(土) 10:46:43.38ID:WuCbHv+i側室ならともかく、一女中の記録がそうそう残るとは思えないし
(長丸生母ですらあの有様だし)
第一、身籠った時点では男子が産まれるとも
その子が立派な人物になるとも知る由がないわけで
>>128の「〜みたい」で語られる情報は初めて聞いた
0131人間七七四年
2011/08/20(土) 12:39:20.10ID:Kbp73bh5生母も可哀相な人って悲劇性を出して同情誘おうと
二度も妊娠、一度目は流産させられたとか
喧伝したんじゃないか、っていう可能性あると思うんだけどな
まぁ分からないけど
0132人間七七四年
2011/08/20(土) 13:05:34.52ID:W4tth79J0133人間七七四年
2011/08/20(土) 17:39:00.22ID:3zAU5/NX0134人間七七四年
2011/08/20(土) 21:01:28.88ID:MS6G4J51やっぱりあまり間をおかずに出産を繰り返してたから、体調も崩れていったのかも。
もしかしたら和子の後あたりから体調崩していったのかな〜?
この二人ならあと2人くらいはいてもおかしくなさそうだからw
ごめん、ここ秀忠スレだったw
>>124
不覚にも涙でた
0136人間七七四年
2011/08/21(日) 00:05:56.59ID:ucfN/SHp実際はどうだったんだろう 家光生まれた時は安産だったと書いてあったような
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