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徳川秀忠 その2

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0001人間七七四年2011/07/15(金) 23:59:29.98ID:TVTDkJzq
前スレが落ちてたので立ててみた
スレタイはシンプルに

というわけで、

徳川二代将軍について揉めてください。

前スレ
【凡将か?】徳川秀忠を本音で語れ!【名将か?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156998657/
0038人間七七四年2011/07/24(日) 20:47:02.27ID:Uf69bWbb
>>37
「江の生涯」と「誰も知らなかった江」

作者の想像部分は飛躍した部分もあるが情報収集にはいい二冊だよ
0039人間七七四年2011/07/24(日) 22:22:43.72ID:+/3Gwa3p
>>38
ああその二冊は自分も読んだ
江の生涯は半分以上はちょっと無理があったけど、それ以外は割とよかったよね
誰も知らなかった江は良かったけど、ちょっと家康を綺麗に書きすぎじゃね? と思った
山岡荘八の徳川家康思い出したよ
0040人間七七四年2011/07/25(月) 01:15:34.77ID:ABYYpIVc
乱紋読んでて、関が原後の戦後処理を秀忠がしてたとあったけどそうだっけ?
終了後の秀忠ってそんな仕事任されるような立ち位置だったっけか
0041人間七七四年2011/07/25(月) 03:50:43.33ID:RRQLHXSE
慶長六年正月からの秀忠の動き
(この直前にあの有名な後継ぎ決定イベントが記載)

六年正月  御父子とも大坂の西城にましまし。大小の政事を沙汰し給ふ。
三月三 日豐臣中納言秀頼大坂城の西城に。  御父子を迎へ奉り。申樂を設け饗し奉らる。かへらせ給ひて後秀頼西城二丸にまかりて。  御父子の御來臨を謝せら る。
廿四日  公には大坂二丸を出て伏見に移り給ふ。廿七日  公ならびに秀頼。ともに大納言にのぼり給ふ。(一 に廿八日につくる。)
廿九日  公御參 ありて拜賀し給ふ。御同母弟下野守忠吉朝臣も。この日從四位下侍從に叙任したまふ。
  九月晦日公第二 君。(珠君。)を加賀中納言利長の弟猿千代利 常。(後中納言。)に嫁し給ふ。此月  公伏見を出て江 の城にかへらせ給ふ。(台徳院御実紀)


後継ぎに無事決定した秀忠は
戦が終わった後も上方に一年近く滞在して親父と政務をこなしたようですね
0042人間七七四年2011/07/25(月) 20:10:29.88ID:ABYYpIVc
ありがとう やはり戦後処理が一番忙しいんだなあ
九月晦日ってことはほぼ10月上旬にようやく江戸に帰れたのか
だから勝姫から初姫生まれるまで年の開きがあるんだな
それ以外はほぼ毎年、お江さん子供産んでるし(ただ史料によってまちまちだけど)
0043人間七七四年2011/07/25(月) 20:30:21.91ID:RRQLHXSE
そういえば秀忠の異母姉の督姫も高齢出産の子沢山
だった気がするんだが
福田氏が督姫のことをどう思っているのか気になって仕方ない
0044人間七七四年2011/07/25(月) 20:37:10.01ID:ABYYpIVc
二女の珠姫だって子沢山なのにね そういや完子も7人産んでるんだっけ
督姫は前夫の北条氏直と仲よかったらしいけど
池田輝政も懐深い逸話多い人だから、やっぱ仲良くやっていけたのかな
0045人間七七四年2011/07/26(火) 22:13:40.38ID:o3NPGuPP
名将言行録の中で秀忠編が載ってるのが、どれなのか分からない
誰か教えて下さい
0046人間七七四年2011/07/27(水) 07:32:34.71ID:QyI3PtB3
独特の戦法を考え付いたのが徳川家康

http://s1.shard.jp/rabbit1/0204/43/289_2.html

徳川の戦いには最終的な決着がない八百長戦争の代表的なものが多い。

( http://book.geocities.jp/japan_conspiracy/0202/p002.html )
0047人間七七四年2011/07/28(木) 00:58:53.57ID:viZYe7BZ
>>35
「東照大権現祝詞」ってどの程度信用できる史料なのかな。
幕閣(秀忠の乳母子にして老中、松平信綱の舅にもあたる)の横死を「天罰だ、ざまあ」みたいな
論調で触れたり、家光室への中傷じみた文言や、さらには秀忠夫妻が家光をないがしろにした挙句
家康の怒りを買ったみたいな文章を公然と書き残したりできるものなんだろうか。
0048人間七七四年2011/07/28(木) 01:22:46.73ID:KRqtNZq3
しかもそれを東照宮で言ってるって意味分かんない
仮にも幕府にいる人の言葉とは思えんし、何のために残っているのかも理解不能だ
0049人間七七四年2011/07/28(木) 14:34:43.21ID:ibjb5hjI
http://sbs-bunkafukushi.com/museum2/2011/03/post-8.html

ちくごって何物なんだろう
0050人間七七四年2011/07/28(木) 17:53:26.69ID:lRiOOi0Q
ごく親しい女性だった感じではあるな
0051人間七七四年2011/07/28(木) 18:05:59.76ID:ibjb5hjI
筑後局?
かな文字でも男性でいいなら筑後守?
筑後に住んでいる人?
よくわからん
0052人間七七四年2011/07/28(木) 18:11:51.28ID:lRiOOi0Q
秀忠の息子忠長の乳母をつとめた朝倉局は朝倉筑後守宣正の妻なので、
「ちくご女」と呼ばれていた可能性は高いな。
0053人間七七四年2011/07/28(木) 18:16:10.90ID:ibjb5hjI
>>52
今調べたら井上正就さんの弟も筑後守なんだな

朝倉さんか井上さんの関係者と考えるのが自然か
0054人間七七四年2011/07/28(木) 19:20:36.78ID:KRqtNZq3
息子の乳母か、乳兄弟の弟の正室? か
高価な巻物20巻分て、かなりの金額だよね
そんな金額動かせるとしたらどっちだろうか
0055人間七七四年2011/07/28(木) 23:22:15.53ID:ibjb5hjI
金まわりが良く、秀忠と親しくてもおかしくない身分だけど
あまり知名度は高くない女性・・・・・・・・朝倉局かなやっぱり

駿府博物館の学芸員はちくごが誰かについて検討つけているのかね?

0056人間七七四年2011/07/31(日) 21:45:17.66ID:IuMySzk3
『駿河城御前試合』はなかなかの外道っぷりだったけど
隆慶先生の秀忠と比べるとどうだろうか 秀忠の方が上かな
0057人間七七四年2011/07/31(日) 23:47:46.41ID:HBM+cPmd
千姫の小説を立ち読みしたら
江が千に
「お父上は意外と執念深いお方なのです」
とか言ってた
0058人間七七四年2011/08/01(月) 00:11:43.45ID:OTpmCHBw
>>57
どの千姫の小説だろうか 教えて下さい
あと秀忠の執念深さは別に意外では…と素で思ってしまったw
0059人間七七四年2011/08/01(月) 00:45:26.09ID:Gox95JF/
>>58
植松三十里という方の最近出た本
秀忠ファンが読んで楽しいかは微妙だけど

執念深い・・・ 晩年の話か
0060人間七七四年2011/08/01(月) 00:58:27.94ID:OTpmCHBw
>>59
ありがとう ちょっと読んでみようかな
秀忠のは執念深いというか、徳川の治世を脅かすものは誰であろうと断固許さん
みたいな強固な姿勢があるから、執念深いとはまた違うか
0061人間七七四年2011/08/02(火) 20:54:45.93ID:kFNU1xNd
>>49
のこの手紙見てると、凄く優しい文字で書いてるなあと感心する
なんでも鑑定団に出てた、7歳の頃の習字の文字は、凄く力強く書いてる印象あったから
年齢の違いにもよるけど、相手に対して筆使いも変えるって、昔の人気配り上手だよね
0062人間七七四年2011/08/06(土) 07:47:52.46ID:CQa9yuH7
仕事に対する姿勢と、すっぴんの秀忠はイメージが違う。
親しい人にはかなり情のある男に見える。仕事面では容赦ない感じ。家康と違う自分を良く知って、幕府の体制を整えるためにあえて厳しかった。

子供の頃のお習字、のびのびした気持ちの良い手蹟だと思った。数え七歳なら今の5〜6歳くらいか。
残っている手紙なんかも全体的に雰囲気が柔らかく優しい。

前に徳川美術館で秀忠のいろいろを見たが、なんとなく巷のイメージと違って違和感があった。本当に凡庸な人には思えなかった。
自分が書道で生きてるからかもしれないが、文字で人を見てしまう。


誰か秀忠のイメージを払拭する小説を書いてくれないかな。
0063人間七七四年2011/08/06(土) 18:27:52.92ID:hCUZ13C5
秀忠主役じゃないけど、志木沢郁の「結城秀康」に出てくる秀忠は、実に自分の理想とする秀忠だった
同作者の「真田信之」「立花宗茂」の秀忠もブレることなく、この人の描くいつもの秀忠像で実に良かったな
この人はあまり通説にとらわれずに、作者独自の人間像で書くので結構好きな作家さんなんだけど

お江さんが通説通りの、家光を毛嫌いしてたり、気が強かったとした設定なのでがっかりしたな
通説を持ちいらないこの作者さんなら、と期待していたんだけど、それ故落胆が激しかった
いや、歴史研究者の考察本じゃないんだから、小説の中くらい好きに書かせてやれと言われればそれまでなんだけど
いつかこの人の書く秀忠主人公の本を読んでみたいなあ、と思っていただけに、期待が大きすぎたかな
0064人間七七四年2011/08/06(土) 18:43:30.44ID:uXmvWPl2
小説やドラマでの描写など
最近はどうでもよくなってきた

どう描かれようとその人本人が変わるわけじゃない
0065人間七七四年2011/08/06(土) 19:00:36.35ID:FGRJ6Vq0
そうだね
興味を持った人が史実まで追えばいいんだ

創作物はイメージ拡散ツールとして強力だから
描かれようが気になるのも分かるが
0066人間七七四年2011/08/06(土) 20:33:31.46ID:hCUZ13C5
みんな大人だなあ 自分のそれくらいの域にいられればいいんだけど
大河ドラマや小説だけ読んで、それが史実と信じている人もいるから
その人に「それはあくまでフィクションでね…」と言っても、信じてもらえず
自分の好きな歴史上の人物が、いつもいつも罵倒されているのが悔しくてねえ

ちゃんと調べれば、暗愚でもなんでもない、立派な人だとすぐ分かるのに
どうしてそれを信じず、いつまでも創作者の情報だけで語ろうとするのかなーと
酷いのだと、ちゃんと史実的な偉業も、○○オタの妄想とか言われてしまうのがオチだし
0067人間七七四年2011/08/06(土) 20:47:36.53ID:FGRJ6Vq0
ところで
ttp://www1.e-hon.ne.jp/content/sp_0031_taidan_201103.html

小和田氏によると
「秀忠は多くの史料から、大人しく頼りない感じを受けますが」
「竹千代が冷遇されているので、家康が自分で引き取り
養子にしようと考えていたらしい、という資料」だそうだが
具体的にどんな史料なんだ?
0068人間七七四年2011/08/06(土) 20:55:35.14ID:uXmvWPl2
>>66
「見る必要はなくて不快な気分になることが予想できるもの」(人物描写がアレなドラマや小説や個人ブログやツイッターなどの俗説だらけの歴史妄想話) を目に入れないようにしたらどう?
なんかそういうのでイライラするのは時間の無駄

小説やドラマは所詮娯楽なんだから好きな人物が良く描かれているものだけ見れば良い
ブログやツイッタは知識不足で適当なこと言ってる人がほとんどだから信頼できる所以外は見ない

史料と研究本と創作物は自分が気に入ったものだけ
周りにあるのはこれだけでいいじゃん
0069人間七七四年2011/08/06(土) 21:07:48.61ID:uXmvWPl2
>>67
家光に関しては東照大権現祝詞だろ

君をするがへよび御申候て、ごんげんさまの御こにあそはされ、三代せうぐんにこれあるへきと上意御さ候間、やうやくするかへ御のほり候ハんかと下々もよびし申うちに、ごんけんさませんげあり
という一文がある

秀忠の性格に関しては知らない
というかよくわからない
0070人間七七四年2011/08/06(土) 22:11:16.85ID:hCUZ13C5
>>68
そうだね そういうのはスルーしとけばいいね
史料にもとづいて、ちゃんと考察しているサイトもあるし、そういうのを見て満足しとけばいいか
0071人間七七四年2011/08/08(月) 22:17:52.33ID:x+s2Mzah
古本屋で買った、永井路子さんの本読んでたら
千姫をすっげえ痛烈に批判しててびっくりした
そこまで言わんでも…とちょっと引いた
0072人間七七四年2011/08/08(月) 22:34:55.76ID:4NH3KBXt
>>71
建礼門院とかもだけど、主体性が乏しい(と見た)女性に対しては結構辛らつだな。
0073人間七七四年2011/08/08(月) 22:51:32.15ID:x+s2Mzah
>>72
それにしても、これ書いてる時、何か嫌なことあったの?
と聞きたくなるような辛辣さでうわぁ…ってなっちゃった
何でここまで言う必要が? と疑問に思っちゃったよ
0074人間七七四年2011/08/08(月) 22:58:22.79ID:+MyDTHYX
小説家は多かれ少なかれ思い込みが激しいから当てにならない
かといって、学者も>>67みたいなのとか居るし
0075人間七七四年2011/08/08(月) 23:02:55.33ID:x+s2Mzah
>>67を読んでびっくりしたのが
春日局が息子を忠長にも預けているのを、小説で知ったっていうのがあって唖然としたわ
小和田さんは江の考察本も書いているのに、江周辺のことあまり知らないかあまり興味ないのかな
小説じゃなく、考察本にすら、俗説を上げてそれにそって解釈してるし
考察本なら史料優先で解釈してくれよと
0076人間七七四年2011/08/08(月) 23:46:35.45ID:4NH3KBXt
どういうわけか、研究者間でも忠長周辺の話って案外知られてないみたいだな。
人物叢書『徳川家光』でも「忠長には乳母はつけられていない」と書かれていた。
0077人間七七四年2011/08/08(月) 23:53:51.98ID:x+s2Mzah
自分が江周辺のことで参考にしているサイトがあるんだが
最近の研究者の人すら、忠長の乳母の名前や存在すら知らない人が多いと言っていたな
何でこうまで興味持たれないんだろうか 真面目に研究する人いないのかな
0078人間七七四年2011/08/09(火) 12:40:42.83ID:S1t5Oah2
興味がない上、まともに研究もしていないのに何故本を書く
興味がないなら放置でいいよ
変な本描かれるよりはいい
0079人間七七四年2011/08/09(火) 16:39:37.71ID:nCf3WjjG
長男の長丸、この大河でじっくり秀忠江周辺調べるまで、実は自分知らなかった・・・・
過去の大河とか、有名な戦国ドラマで、長丸出てたのあったっけ?
隆慶一郎氏なんかは、江が長丸殺したなんて描いてるようだが
長丸ってなんか忘れられてるような・・・・
0080人間七七四年2011/08/09(火) 18:33:12.47ID:S1t5Oah2
>長男の長丸、この大河でじっくり秀忠江周辺調べるまで、実は自分知らなかった・・・・

お江の子だったり、いなかったことにされたり
徳川さんちの子として扱われた形跡があるのに隠し子ポジションにされたり
証拠もないのに秀忠や江に冷遇されたなどと描かれたりするのが
長丸くんだから
それだけ描かれ方が違ったら存在は定着しにくいと思う

しかし長丸が隠し子ってのが一番意味わからんわ
九ヶ月で死んだ隠し子の墓を増上寺に造るかよ、といいたい
隠し子が早世したら存在自体無かったことにされるだろ
0081人間七七四年2011/08/09(火) 19:53:45.80ID:ZN13Gnpg
>>79
葵徳川三代に出てるよ 江以外の女性の子として
長丸って名前つけた辺り、もし江が嫡男産めなかったとしてのキープだろうな
でもそのキープが早々に死んじゃったから、なかったこと扱いな気がする
しかし亡くなり方も八ヶ月後だったり、二年後だったりと相変わらず曖昧な記録しかないしなあ
0082人間七七四年2011/08/09(火) 20:19:01.44ID:S1t5Oah2
美女いくさは長丸の扱いが上手かったと思う
0083人間七七四年2011/08/09(火) 20:50:40.18ID:nCf3WjjG
葵徳川三代にはちゃんと出てたんだ、自分あんましっかりみてなかった・・・

長丸ってお灸で死んだってあるけど、お灸で死ぬもんなんだな
それにしても幼児にお灸なんてするのか?お灸を全身において、大火傷負ったのか?
こんな死に方だと、罰せられた人いて、そういう文献とか残っててもいいと思うんだけど
なんか長丸に関して、母親がどんな人とかも、あんま残ってないみたいだね
母親は側室になってもないな
0084人間七七四年2011/08/09(火) 20:57:45.64ID:ZN13Gnpg
まあ、お静さんすら側室になっていないから、初めから側室持つつもりないけど
合戦あるし、いつ帰れるか分からんし、なるべく子供作っとかなきゃ…と思ったのかな
それにしては一人ってのは少ないと思うが
0085人間七七四年2011/08/09(火) 21:02:33.08ID:S1t5Oah2
>>83
まあ秀忠の母親が何者かに殺害されたとか書かれた史料もあったりするくらいだから
死因についてはよくわからんなあ
0086人間七七四年2011/08/09(火) 21:09:22.68ID:ZN13Gnpg
なんで西郷局が殺されなきゃならんのだ…
その場合誰か得する人いたっけ?
0087人間七七四年2011/08/09(火) 22:45:44.24ID:S1t5Oah2
>>86
ソースが柳営婦女伝系だからな・・・あまり信用できな・・・
ただ家忠日記にも喧嘩にまきこまれて〜とか書かれているのがすごい気になるんだよね
>>77
忠長の乳母が知られてないのなら
家光の部下に浅井&淀の関係者がいることはもっと知られてないのだろうな
0088人間七七四年2011/08/09(火) 22:56:48.89ID:ZN13Gnpg
「柳営婦女伝系」て秀勝が死んだ後、江は九条道房に嫁いで二女設けたとか書いてるアレな本だよね
道房って江の孫だし、まだ生まれてもいないしと突っ込みどころ多いよね
でも家忠日記のは気になるな 家忠さんのなら結構信憑性が高い印象あるし
0089人間七七四年2011/08/10(水) 00:35:00.04ID:04IBY3Jd
柳営婦女伝系→江は四回結婚したと書く 西郷局の死因の謎

以貴小伝→市は信長の従姉妹と書いてある
家康の四女の母親がお勝になっている

幕府祚胤伝→長丸の灸死亡話を記載

女性の略歴を載せた代表的史料の気になる部分
0090人間七七四年2011/08/10(水) 01:09:20.17ID:JOkBuaO0
>>89
江戸時代のちゃんとした史料すら、年代バラバラだったりとアテにならないからなあ…
なんかそこまで行くと、二次創作な臭いもするわ
0091人間七七四年2011/08/10(水) 03:46:31.35ID:04IBY3Jd
>>90
出典を調べてみるのは大事だよな

ところで「日本歴史」という雑誌の正之家光忠長、三兄弟についての記事読んだ人っている?
0092人間七七四年2011/08/11(木) 14:15:32.07ID:qJo7ltBL
春日局はともかく
大姥局と江との間に対立があったとかいう人って小説やドラマの見すぎだよな
0093人間七七四年2011/08/11(木) 15:23:53.52ID:oMNhPsGw
>>92
そんな説いま初めて聞いた
そういう人って、嫁姑戦争とかのゴシップが大好きなんだろうな
0094人間七七四年2011/08/11(木) 17:49:43.84ID:qJo7ltBL
>>93
説ですらないよ
0095人間七七四年2011/08/12(金) 18:32:38.49ID:kvYsXv6g
秀忠は豊臣家が滅んだ後に秀の字を捨てて改名しようとは思わなかったのかな
一年後に、お江さん施主で養源院で大阪の陣戦没者の供養も許しているし
豊臣家に対して、家康もどう思っていたのか読めないけど、秀忠も読めない
0096人間七七四年2011/08/15(月) 21:06:00.10ID:XHN+qBTJ
月が描かれた扇子を持った秀忠が描かれた浮世絵?があるけど

あの絵の秀忠ってちょっとかっこいいな
0097人間七七四年2011/08/15(月) 21:42:03.77ID:LNrrdclm
ネットで見れるかな? ぜひ見てみたい
0098人間七七四年2011/08/15(月) 21:55:40.16ID:LNrrdclm
秀忠 浮世絵 で検索してみたら
ttp://metro2.tokyo.opac.jp/tml/tpic/imagedata/toritsu/ukiyoe/2/2407-001-02.jpg
こんなのが出てきたんだけど、これどんなシチュなんだろう
0099人間七七四年2011/08/15(月) 22:13:52.96ID:XHN+qBTJ
>>96
築土神社のサイトで見れるぞ

画像やURL貼りに自信がないので許せ
0100人間七七四年2011/08/15(月) 22:19:15.42ID:LNrrdclm
>>99
見れた ありがとう 確かにあれ格好いいよね
これ鎧着てるから、合戦の時を描いたのかな 上田合戦と大阪の陣どっちだろう
0101人間七七四年2011/08/15(月) 22:31:47.24ID:XHN+qBTJ
大坂の陣だろう

だぶん
0102人間七七四年2011/08/16(火) 17:13:54.54ID:sa4e9tri
3月20日にこだわる日本政府

http://s1.shard.jp/rabbit1/0203/39/267_1.html

日本の歴史、特に徳川幕府の歴史から関わっていた。

( http://park.geocities.jp/jpcdebate/0203/p033.html )
0103人間七七四年2011/08/17(水) 02:19:22.43ID:IK31RLwp
>>98
例の家康が送った女中を、一切手を付けずに送り返したって話の絵だろ
0104人間七七四年2011/08/17(水) 06:42:31.48ID:14M0G3zB
寝る前にしてはキッチリ衣装を身につけているんだな
0105人間七七四年2011/08/17(水) 15:36:10.28ID:hF/llaZ0
寝ようと思っていたけど、客が来たので
正装に着替えて持て成して帰したんだったね
0106人間七七四年2011/08/18(木) 12:20:10.89ID:4CeaXw4/
今年の大河批判するのは自由だが
批判の中にサラッと根拠のない妄想を混ぜこんで史実の人物を悪くいう人は
大河スタッフと同じで歴史上の人物に敬意がないな
そういう人が多くて呆れる
0107人間七七四年2011/08/18(木) 15:47:22.29ID:94lWaVIw
>>106
自分もそう思う
アンチスレでドラマ批判している中に、己の無知を棚に上げて
マンガやドラマなどの俗説だけの知識を取り上げて、史実の人間すら馬鹿しているコメント書く人は
しょせんあの大河の脚本家と似たり寄ったりな人だよなあ
そういうの見るの嫌だから、あそこも見なくなったわ
0108人間七七四年2011/08/18(木) 16:48:13.25ID:w+1rTGCd
アンチスレは見てないから分からないけど、今の所
あの大河見てたら、特に江とかはあんな下品な姫にされ
当時の感覚を持ち合わせず
豊臣に保護されてるのに反抗的な我侭娘にされ
大河ひどい、史実の人に同情っていう流れになりそうだと思ったんだが
史実の人まで馬鹿にする人がいるのか・・・・

大河で、良い風に描写されてるの、茶々位じゃね?
0109人間七七四年2011/08/18(木) 16:55:07.42ID:94lWaVIw
そうかなぁ 茶々も性格とか本当の所は分かってないのに
一人のわがままの為に、豊臣滅ぼした悪女ってレッテル貼られてるように見えるが

今期の大河に便乗しての悪口は、江とか茶々とか秀忠のも見えたね
まあ大抵は、今までの通説を更に歪曲したような言い方だったけど
0110人間七七四年2011/08/18(木) 17:23:48.05ID:4CeaXw4/
江って浪費家だったんだよね

秀忠を冷静な男に描くということは関ヶ原遅参はわざとということになるのか?


この二つにはマジ呆れた
0111人間七七四年2011/08/18(木) 18:10:48.28ID:w+1rTGCd
浪費家と言われるのは、娘の和子じゃないか?
でもその浪費だって、経済活動に文化を発展させたのを思えば
一概に責められるものじゃないと思うけど

まぁそれにしても、あんなファンタジーでコメディなのを大河ドラマって枠でやるから
便乗叩きも増えるんだろうし、残りをしっかりしたのを作って欲しいわ・・・・

この先、江は嫉妬深く、秀忠は恐妻家って風にならなきゃ
えー違うだろ!!って叩くのかな・・・・
0112人間七七四年2011/08/18(木) 18:13:45.86ID:4CeaXw4/
なるだろ
間違いなく
0113人間七七四年2011/08/18(木) 18:19:40.99ID:94lWaVIw
本来そっちの方が間違っている(というか信憑性にかける)のに
なんで頑なに大奥のような設定を持ちだす人がいるんかなあ
別に大奥を批難するつもりはないけど、その設定みたいのなら大奥みればええやんと思うが
江主人公ならせめて、従来とは違った見せ方してほしかったのに、本当にがっかりだ
0114人間七七四年2011/08/18(木) 18:31:11.00ID:w+1rTGCd
秀忠江夫婦は、仲が良いという風には解釈されないよね
秀忠は側室は持たなかったわけだけど、江を愛したわけじゃなく
ただ江を恐れて側室を持たなかっただけの恐妻家って大体されるし

ここらの時代を著わすのに、単に仲が良いでは面白くないからか
春日局にしたってバトルがあった事にする方が受けるからかな
0115人間七七四年2011/08/18(木) 18:46:58.82ID:94lWaVIw
そんなに仲悪かったら、家光生まれた時点でもう床は共にしないと思うんだけどな
家光生まれた時点で、お江さんもう30過ぎだし
それでもその後に忠長・和子と産んでる辺り、普通に夫婦生活は良好だったと見えるけど
そもそも、秀忠の数々の逸話見る限り、この人絶対女性の尻に惹かれるような性格してないと思うわ
0116人間七七四年2011/08/18(木) 19:48:02.26ID:4CeaXw4/
夫婦仲の良し悪しのイメージなんて小説やドラマでの書かれ方が広まってしまっただけの話だからなあ
それにしても江が死んだ後も秀忠が妻を恐れ続けていたなんて解釈するのはいくらなんでも・・・・・・・


>>114
大奥は和子が登場しない、大坂方スルー、お振の方が登場しないという
歴史モノとは言い難い代物だから
まあ大奥が史実云々いう人が現れるたらそれを指摘すればいいよ

男女のドロドロドラマとしては面白いけど歴史モノとしてはみていない
0117人間七七四年2011/08/18(木) 20:10:10.82ID:wJInJDFb
大大名や将軍が「恐妻家」なんてセコい立場に身をやつす理由が分からんな
そんなに嫁が嫌なら、秀吉死後誰憚ることなく城の一角にでも隔離すればいい話
よしんば秀忠がヘタレだったとしても、家康や家臣がそうするだろう

「恐妻家」って、まるで江戸時代の下級武士以下か
現代の一戸建てor4LDK住まいのサラリーマンみたいな感覚だ
0118人間七七四年2011/08/18(木) 20:22:52.16ID:4CeaXw4/
>>117
実際秀忠を「恐妻家」と呼ぶ輩が現れたのは明治時代のようだしな

というか大大名の子息として生まれ育った秀忠が
一応格上から嫁いできた妻とはいえ「女を恐れ」たりするのかね
女にヘコヘコするなんて有り得る話なんだろうか
「気を遣う」とかならわかるけど
0119人間七七四年2011/08/18(木) 20:43:15.28ID:94lWaVIw
あの家康の世継として育てられた秀忠が、女に及び腰な訳ないわな
秀忠の行動の解釈が、なんか一々悪くみせるように解釈してるのがなあ…と

お江さんが忠長を自分の母乳で育てたってのも、いかにも近代的な解釈だと思う
あの時代は、自分の子にはより良い乳母をつけるのが、最高の愛情だろうに
歴史研究家の人だってそれ知ってるはずなのに、何故かお江さんの考察本には
忠長の乳母のことには一つも触れずに、自分で育てたみたいに書くのが解せない
0120人間七七四年2011/08/18(木) 21:11:56.78ID:w+1rTGCd
江さんが、6つも年上で、秀忠と婚儀あげるまで、二度の結婚歴あり、子供1人ありって身なのが
特に近代入って処女性重んじられてきたし、そんな女に惚れこむなんて有り得ねー
江を恐れていたからに違いない、ってもなったのかな???

でも特に歴史研究家なら、秀忠が権力失った豊臣の養女にいつまでも遠慮してた
ヘコヘコしてた、って解釈するのが変だとは思わないのかって思うんだけど
0121人間七七四年2011/08/18(木) 23:19:34.18ID:4CeaXw4/
豊臣との関係の変化に着目してないことが多いかな

あとお江の火葬の件もどうにかならないのか
0122人間七七四年2011/08/18(木) 23:27:06.04ID:94lWaVIw
お江さんの火葬は、毒殺されたのを隠すためとか
それこそミステリーの読みすぎと失笑したもんだ
お江さんはゆっくりゆっくり、体調崩していって、寝込んだ上での崩御だし
当時の火葬がどれほど手間暇と金かかるか知らないんかな
この火葬の様子が詳しく書かれているのを読んでも、豪華な火葬だなと分かるのに
0123人間七七四年2011/08/19(金) 12:59:01.83ID:Ibqfp+ws
恐妻家だというのが正しいとして、側室持ちたかったのに我慢してたとかなら
江が死んだ後、側室置いたりして、せっせと女に入れ込んでるでるだろうに
0124人間七七四年2011/08/19(金) 13:34:23.80ID:vSpXtfY8
それどころか側室もおかずに、晩年は(江が眠る)増上寺に埋葬しろと指示して
享年が江と同じ54歳だなんて これだけでロマンを感じる
この夫婦は、今までの通説などなければ
普通に仲の良い夫婦だったと言われてもおかしくない要素が沢山あるのに
本当に勿体無いなあと思う 誰のせいだよ
0125人間七七四年2011/08/19(金) 19:35:31.22ID:eLDSw48T
まあみなさん落ち着けよ

長丸くんが慶長五年十二月生まれなら秀忠が不在で江だけがいる江戸城で生まれたことになるよな
秀忠は九ヶ月から八ヶ月前に江戸にいたとすると生母が江戸で出産したのは間違いないし
慶長六年説もあるからややこしいが
0126人間七七四年2011/08/19(金) 22:43:51.34ID:vSpXtfY8
伏見にいたのを、江戸に呼び寄せたという話もあるよ
0127人間七七四年2011/08/19(金) 23:14:58.73ID:eLDSw48T
>>126
それは慶長六年生まれの場合の話だな
0128人間七七四年2011/08/20(土) 00:35:24.46ID:rfCAxFBw
長丸といい保科正之といい
どうも孕ませたタイミングが、どちらも嫡子に恵まれないから仕方なくって感じにも見えるんだけど
長丸の時は、関ヶ原の戦い中だし、死んでしまうかもしれないから、今の内に子供作っておかないと
として適当に家女選んだとか(それにしても一人は少ないけど)

正之も、家光生まれる前から関係あったみたいだが、家光生まれてからはそういう関係は切ったんじゃなかろうか
正之が生まれたと知った時、入浴中でめっちゃ驚いてたみたいだから
お静さんが妊娠してたことすら知らなかったんじゃないの?
その後の冷遇っぷり見ても、大切にしてたとは思えんし、結局会うこともなかったしな
0129人間七七四年2011/08/20(土) 01:10:22.32ID:W4tth79J
>>128
すまん「家光が生まれる前から関係があった」というのが初耳なんだが

保科正之についての情報も史料によってバラバラだから
断定できんことばかりだよ

静の父親の身分
柳営婦女伝系→ 大工
幕府祚胤伝→ 農人
幕府や会津系→元北条家の家臣 とか

妊娠の経緯
柳営 以貴小伝→はからず(予想外の)も懐妊

会津系→二度も妊娠させるくらい何度も会ってた

生まれた場所も父の実家と足立郡と二通りあったはずだし
見性院の話題は出るけど信松院が出てこないとか、なぜか信松院の話題しか出ないとか

言ってることが違いすぎて混乱する
0130人間七七四年2011/08/20(土) 10:46:43.38ID:WuCbHv+i
それだけ不明な事が多いってことじゃないかな
側室ならともかく、一女中の記録がそうそう残るとは思えないし
(長丸生母ですらあの有様だし)
第一、身籠った時点では男子が産まれるとも
その子が立派な人物になるとも知る由がないわけで

>>128の「〜みたい」で語られる情報は初めて聞いた
0131人間七七四年2011/08/20(土) 12:39:20.10ID:Kbp73bh5
会津の方は、偉大な正之がそんな予想外の妊娠で生まれたんじゃない
生母も可哀相な人って悲劇性を出して同情誘おうと
二度も妊娠、一度目は流産させられたとか
喧伝したんじゃないか、っていう可能性あると思うんだけどな
まぁ分からないけど
0132人間七七四年2011/08/20(土) 13:05:34.52ID:W4tth79J
秀忠や家光だって幼少期の話が細かく残ってるわけじゃないからな

0133人間七七四年2011/08/20(土) 17:39:00.22ID:3zAU5/NX
まあおいらなんかヤラせてくれるなら誰とでもやっちゃうけどな
0134人間七七四年2011/08/20(土) 21:01:28.88ID:MS6G4J51
>>122
やっぱりあまり間をおかずに出産を繰り返してたから、体調も崩れていったのかも。
もしかしたら和子の後あたりから体調崩していったのかな〜?
この二人ならあと2人くらいはいてもおかしくなさそうだからw


ごめん、ここ秀忠スレだったw

>>124
不覚にも涙でた
0135人間七七四年2011/08/20(土) 23:02:07.99ID:W4tth79J
>>134
和子出産は難産だった
0136人間七七四年2011/08/21(日) 00:05:56.59ID:ucfN/SHp
『東福門院和子の涙』の和子出産の時は難産描写だったけど
実際はどうだったんだろう 家光生まれた時は安産だったと書いてあったような
0137人間七七四年2011/08/21(日) 00:06:29.77ID:ucfN/SHp
>>134
最近はもう、秀忠・江スレになっているから気にならないw
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