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戦国ちょっと悪い話27

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0001人間七七四年2011/07/12(火) 22:18:10.41ID:tSU9HVMm
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話26
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姉妹スレ
戦国ちょっといい話27
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鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0862人間七七四年2011/09/12(月) 14:25:49.87ID:a1/Lx+88
>>858
榊原康政に関しては嘘か本当かは知らないが、
関ヶ原後に加増の打診が家康からあったけど、武功が無いから受け取れないって断ったとか、
老臣権を争うは亡国の兆しつって自ら中央政界から身を引いたとか、
そういう話もあるからなあ。

本当なら、武人として潔くてかっこいいと思う。
0863人間七七四年2011/09/12(月) 15:52:06.20ID:m2YsDk9P
>>861
司馬さんは福島家・加藤家の取り潰しは家康の遺言によるものと断定したうえで
取り潰しは家康の「歯茎の臭さ」を表してるとか、訳のわからないことを言ってたな

家康の遺言なら秀忠の側近は反対しないだろうし、そもそも目障りな大名を取り潰して
なんの問題も発生させなかった秀忠の政治的手腕を褒めるべきだと思うんだがねぇ
0864人間七七四年2011/09/12(月) 16:29:47.56ID:rFnfqXj7
司馬さんの価値観はともかく、取り潰しが何の問題も発生させなかったなんて大嘘だろ
島原・天草の乱は加藤・小西浪人の一大蜂起だし、由比正雪の乱だって食い詰め浪人のクーデター
幕府の無茶な取りつぶしで浪人たちが押し込みに走り治安が猛烈に悪化した
浪人問題に関して秀忠のどこを褒めるべきなのかさっぱりだわ
0865人間七七四年2011/09/12(月) 19:35:39.65ID:vGGWbGV7
むしろ「その程度ですんだ」って見方もできると思うよ?

牢人問題ってのは戦国時代から繰り返し起こっているもので、滅びたり改易された家の牢人が
大規模一揆を起こしたり敵対勢力に味方したりして治安を混乱させることはいくらでもあった。

そこから考えれば島原や由井正雪の乱程度の、ごく局地的事件で押さえ込んだというのは凄いことだよ。
0866人間七七四年2011/09/12(月) 19:54:54.21ID:5mIcbVS+
そもそも浪人生まないために大名を存続させるというのも馬鹿げた話だね
戦が無いんだから能のない浪人は皆殺しがベスト
それが駄目だと言うなら逆にどうすりゃ良かったのか聞きたいくらい
0867人間七七四年2011/09/12(月) 20:08:37.37ID:ORTb75nW
福島正則はやっぱり秀忠をなめてたんだろうか
どっちかといえば、秀忠の方が家康よりも非情な判断するよね
それと比例して温情な判断もするけど
0868人間七七四年2011/09/12(月) 20:19:03.50ID:n+xFkh1y
舐めてたんだろうな。
一度は跡継ぎにすえて、徳川からの嫁が縁付いた甥っ子を
自分の子が生まれたからって、閉じ込めて餓死させたりしたんだから。
そんな秀吉の悪いところは真似なくてもよかったのに。
0869人間七七四年2011/09/12(月) 20:22:49.08ID:ORTb75nW
>>868
そういやそんなことやってたな正則 あの話はかなり引いた
実子が生まれたら、養子が冷遇されるのはよくある話だけど
なにも餓死させなくてもよかろうに
0870人間七七四年2011/09/12(月) 20:23:03.87ID:dyA0kRwO
由井正雪の乱はともかく、島原の乱は日本史上でもデカい乱の一つだろう
0871人間七七四年2011/09/12(月) 20:45:33.26ID:fkp1UZIo
島原の乱はでかいな一揆軍38000人が籠城したわけだし
大将の天草四郎は秀頼の遺児という説もある馬印が千成瓢箪だったと言うのが基らしいけど
0872人間七七四年2011/09/12(月) 20:47:10.88ID:1drb3muR
>>870
規模としては大きいが基本的には島原地域の外に広がったわけではなく、
その勃発の理由も含めて局地的事件である事自体は間違ってないと思う。
0873人間七七四年2011/09/12(月) 20:48:57.01ID:a+jcZLow
>>866
後の幕府はその「馬鹿げた」政策にシフトチェンジしていくんだがね
0874人間七七四年2011/09/12(月) 20:54:20.16ID:5mIcbVS+
なる程、最初からその政策やってでも大成功していたわけだね(笑)
0875人間七七四年2011/09/12(月) 20:56:43.27ID:5mIcbVS+
そもそも加藤小西を取り潰さなきゃ島原の乱が起きずに平和だったのかっつう話
0876人間七七四年2011/09/12(月) 21:11:53.90ID:5mIcbVS+
更に言うなら加藤小西を潰さないとまでして起こしちゃならない反乱だったのかという話
0877人間七七四年2011/09/12(月) 21:13:34.79ID:YFYOX2Pf
>>855
家臣団が義俊を支えよという幕府の裁定すら蹴ってしまったからな。
家親が毒殺されただの、山野辺を擁立しようだのとごたごたが続いた挙句この有様。

>>856
上杉の米沢城なんてさらにその傾向が顕著だしな。
0878人間七七四年2011/09/12(月) 21:25:47.67ID:1drb3muR
正則は改易の使者が屋敷を訪れた時に「自分は特別扱いされて当然なのに!」みたいなことを言ったと
藩翰譜にあったなあ。
事実がどうかはともかく関ヶ原以降の正則の徳川に対する態度を見れば、そういう意識はやはり
持っていたのでしょうね。
0879人間七七四年2011/09/12(月) 21:26:42.56ID:qUuiY04c
なんかアホが涌いてるなあ
大名は潰す
浪人の失業対策もする
両方やらなきゃならんのが天下人だ
0880人間七七四年2011/09/12(月) 22:15:15.04ID:5mIcbVS+
それは現代人の理屈だろ
まだまだ生産力が低く不安定な世の中なんだから必要ない人間は間引かざるをえない時もある
段々と生産力が高まって安定化して初めて弱者は救済される訳で
0881人間七七四年2011/09/12(月) 22:16:41.24ID:YD4bMr0Z
失業対策=一箇所に集めてまとめて処分
0882人間七七四年2011/09/12(月) 22:33:03.62ID:bM3EUKHk
渡航制限がなければ海外移民になったかもしれんが無理だったのかな
0883人間七七四年2011/09/13(火) 01:18:38.83ID:v0ZnwD/G
そもそも浪人なぞ大問題になって無いし。
大部分はおとなしく帰農してる訳で。
0884人間七七四年2011/09/13(火) 02:03:31.13ID:rBXdSK6G
>>882
初期はそうしていたっぽい。
で、ある程度浪人が海外へ行った後に鎖国。・・・えげつねぇ。
0885人間七七四年2011/09/13(火) 02:48:48.17ID:K5awWihN
>>884
上手いことやってんな
0886人間七七四年2011/09/13(火) 07:45:34.66ID:3hfp0ZHs
口減らしえげつねぇな、さすが徳川家、やることがry
0887人間七七四年2011/09/13(火) 08:35:16.97ID:2UvSWXKI
棄民政策かよ
0888人間七七四年2011/09/13(火) 09:51:32.78ID:iacclD5E
禁教が主目的ってことになってるけど、裏にはそういった目論見もあったのかな
東南アジアの日本人町はかなり荒っぽくて、各国とも苦労していたみたいだし

>>858
>>857は現代の話だと思うよ
妖怪マットがとある中学校に現れてね
都会からの転校生を窒息死させたんだよ
0889人間七七四年2011/09/13(火) 10:01:36.11ID:Jgy8zOoc
山田長政みたいなのは例外で基本的に海外に行ったところで倭冠にでもなるしかない連中だしな
0890人間七七四年2011/09/13(火) 10:21:37.92ID:a7OpkvL7
東南アジアに日本人街がいっぱいある時代だよ
0891人間七七四年2011/09/13(火) 10:53:52.40ID:OdRIQCwH
スペインにも兵隊として雇われ・買われてたそうだしね
鎖国されて兵隊補充するのに苦労したそうな
0892人間七七四年2011/09/13(火) 11:13:55.14ID:/gp4nOGx
秀忠時代は、浪人の追い出す先があったから躊躇なく取り潰しもできたってことかね
で、鎖国の完成で言い方悪いが捨てる場所が無くなったから、政策も変えたと
08931/22011/09/13(火) 13:30:47.55ID:ipR7QIQ0
大阪陣後、徳川大阪城の普請の折のことである。

黒田家は西宮で石垣に使う石を割らせ、これを浜から海上に搬出する作業をしていたのだが、
この時、吉田七左衛門という者の組が担当する石場と、黒田二十四騎にも数えられた村田出羽守吉次の組が
担当する石場から引き出された石が、丁度同じ道に入る入口で出会う形となった。
双方とも、その道まで5,6町(約5〜600メートル)ほどになった所で、吉田七左衛門の組の石のほうが
少し先に進んでいるように見えた。と、この時村田出羽、使いを吉田方に遣わして言うには

『我々が石を先に通すので、貴殿の組の石はそれまで待っているように。』

こんな事を言われて吉田七左衛門、納得などできようものか
「これは近頃聞いたこともない使いだ!互いに引かせ、先に進んでいる方を先に通すのが当然である!
それを、待っているように、とは、全く理解出来ない使いである!」

だがしかし、この村田出羽、問題児の多い黒田家中でも札付きの問題児であった。彼は吉田の返答を聞くやいなや
ただ一人走り出て、七左衛門組の石の綱先一町(約100メートル)ほどの道の真ん中で、なんと寝転がってしまった!

この時吉田七左衛門とその組頭たちは後ろの方にいてこの事態に気がつかなかったが、先にいた
小頭たちは驚きすぐに走り寄って

「ここは石を引く道です!どうかお退き下さいませ!」と申し上げるも、それに返事もせずギロリとその方に
眼を向けるだけで動きもしない。しかし小頭たちも再三にわたって懇願する。それにも
「石を引いているなんて誰でも知っていることだ!オレを盲のように言うな!」
と聞き入れない。そうこうしているうちにも吉田七左衛門組の石はどんどん近づいてくる。

「石がもう、あんなに近くまで来ました!お怪我の心配もあります。どうか急いでここからお引き下がり下さい!」
それでも村田出羽
「ここは芝生が綺麗でな、それで寝たくなったから寝たんだよ。それを起こすとは推参な奴だ!」
と言って猶も起き上がらない。

この頃には吉田七左衛門も前方の状況に気がついていた。彼はそもそも性格もおとなしく冷静な人物なのだが、
村田出羽が寝っ転がっているのを見てさすがに頭に血が上った
「憎き所業かな!起き上がらないというのなら、私が起こしてやろう!」

と、走りだそうとする所を吉田組の組頭の者たち
「これは一体何という事ですか!あのキチガイとゴタゴタを起こすなんて、御主君のためにも良くないことです!
(是はいかなる事にて候ぞ、例の気違に御取合ひ候事、主君の御為め、旁以て然るべからず候)
きっと村田様も何か誤解をされているのでしょう。私たちが意見して来ます!」
08942/22011/09/13(火) 13:31:32.31ID:ipR7QIQ0
そうして6人の組頭のうち2人が吉田七左衛門を抑えつけ、4人が村田出羽のところに駆けつけた!
「村田様、これは沙汰の限りです!御身に似合わぬ所業ではありませんか!
それに石も近づいてきています。どうか急ぎ起き上がって下さい!」と叱りつけたが狸寝入りして返事もしない。
それでも押し返し押し返し申し上げれば村田出羽

「うるさいなあ。それならこの出羽の上を引いていき。オレを殺せ」

説得している組頭たちもこの時代の武士である。これを聞いて皆『うわ、こいつの頭轢き潰してえ』とは思ったが
(物頭共も心底きつき者共なれば、頭を切割りたくは思へども)
『変に大騒ぎにしちゃいけないよなあ』と考えなおす。吉田七左衛門の所に戻って彼をなだめ、
「とにかくここは、あんな気違い相手には変に手出ししないのが最善です」と笑いながら言うが、吉田七左衛門は
納得しない。彼は本当に怒っている

「ええい!急いで石を進ませろ!進ませれば起き上がるに決まってる!
だいたいあんな奴に礼儀正しく接しようとするから、付け上がってこんな慮外を働くんだ!
急いで引け!!」
この下知を受けた組頭たち、「心得候」と返事したもののわざと急がず、しばらくモタモタしているうちに
村田出羽組の石の方が先に進み、吉田組の石の先に行く勢となった。
これを見極めた村田出羽、やわら起き上がると「ふぁ〜あ」と大あくび、そして

「ここの芝生はとても綺麗だから昼寝をしていたのに、わめきちらす連中が無理に起こそうとするから
寝ることも出来やしない。しょうがないからもう起きるか。」
そう言って何事もなかったかのように自分の組の石の方に戻っていった。

この事は当然問題になり、村田出羽は黒田家の年寄衆に呼びつけられ叱られたが、村田は
「私は少しも悪意があってあんなことをしたのではありません。毎日の仕事に草臥れたので、
あそこで寝ていただけなのです。七郎左衛門が腹を立てているのなら、いかようにも謝りますので
どうか良きようにしてください。」と、抜け抜けというので、年寄衆も絶句して、かえって笑い出した。

その後吉田七左衛門を呼んで意見を聞けば
「あの村田出羽の慮外の働きは今に始まったことではありません。彼の被害にあったものは
私一人ではないのです。ですが、殿様がそれを許すとおっしゃるのであれば、家臣として
この事にこれ以上こだわりません。」と神妙に申し上げた、実に分別家である。
ただ、吉田七左衛門はこのような分別家に見えて心の中は猛々しく、なにかおかしなことが
起こらないようにと、組頭の者たちが暫くは日夜、彼の行動に気をつけていた。
しかしこれでは埒があかないと組頭が年寄衆に泣きつき、吉田に重々意見をしてもらったので、
この件では何事も、起こることはなかったそうだ。
組頭の皆さんも、最後までご苦労様なお話である。
(古郷物語)
0895人間七七四年2011/09/13(火) 14:13:12.60ID:e+HuxKfg
黒田の面々はやっぱおかしい
吉田さんは災難だったね…
0896人間七七四年2011/09/13(火) 14:26:40.46ID:jpb6mjx7
石垣普請の逸話ってこんなのばっかりだなw
どこもしょっちゅう喧嘩してる
0897人間七七四年2011/09/13(火) 16:05:34.37ID:RZ5pO4aI
真田地蔵の祟り?


以前いい話スレで出てきた真田地蔵(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-682.html)のちょっと悪い(?)蛇足。

真田信繁を討ち取った越前松平藩士・西尾仁左衛門宗次。
彼が自分の菩提寺に造立した地蔵菩薩像は「真田菩薩」と呼ばれ、信繁の鎧袖を埋めて供養したものと伝えられた。
(なお、信繁の首の方は真田一族に奪い返されることを恐れて福井城下の某所に埋葬し、その場所は西尾家一子相伝の秘密としたという。)

やがて年月を経て地蔵菩薩は摩耗し、いつのころからか首が破損し落ちるようになった。
これを元通り載せようとするとその者は必ず熱病に悩まされたという。


蛇足の蛇足。
ちなみにこの西尾宗次は信繁所用の兜・薙刀・采配等も戦利品として持ち帰ったとされ、現在でも一部が越葵文庫に収蔵されている。
(平成23年9月6日〜10月30日福井市郷土歴史博物館で展示中)
采配は紙の房に血液と思しき染みが残っており、「幸村血付きの采配」と柄に記されている。
仙台真田家に残る「真田幸村公死持の采配」(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4843.html)とは別物の模様。
0898人間七七四年2011/09/13(火) 16:51:25.09ID:aAZmI2Lu
弟くんは崇徳院並みの祟りパワーの持ち主だな
0899人間七七四年2011/09/13(火) 18:31:21.73ID:eljRNU1c
>>866
大阪の陣の後の落ち武者狩りはすごかったそうな
0900人間七七四年2011/09/13(火) 18:35:55.10ID:eljRNU1c
>>884
ある程度行った後にって、計画的みたいだけど、人間の往来に幕府が危機感を感じて鎖国なんだけど
0901人間七七四年2011/09/13(火) 19:18:58.05ID:e+HuxKfg
信繁でこれなんだから、他の討死した人のはどうだったんだろう
0902人間七七四年2011/09/13(火) 19:59:08.28ID:/9LP5Rq5
村田出羽が黒田家の朱槍朱具足か
キチガイって言われるほどじゃなければ認められないものだったのかな
0903人間七七四年2011/09/14(水) 00:17:20.42ID:kDc81oUu
>>898
でも親切心で首を元通りに直そうとする人を呪っちゃうあたりやはり空気が読めてない
0904人間七七四年2011/09/14(水) 09:33:07.03ID:er70wXAS
吉田七左衛門は、吉田壱岐長利の息子の又助こと吉田重成ですな
最初の妻が後藤又兵衛の妹だったり、後妻が毛利秀包の娘だったり、
長政四男の付家老だったり、島原の乱の傷が元で亡くなったりした吉田重成ですね
0905人間七七四年2011/09/14(水) 19:31:35.38ID:k/3N0HH4
なら敷き殺しても問題なかったんじゃね
その前に逆切れされて殺し合いになりそうだけど

つーか俺の中で村田出羽のイメージが
ヒャッハーとかギャハハとか跳刀地背拳とかになりつつある
0906人間七七四年2011/09/14(水) 19:46:36.98ID:qvRybJjs
村田出羽って若き日の井口兵助でしょ
出奔騒ぎ起こしたこともあるし、このくらいは想定の範囲内かも
0907人間七七四年2011/09/14(水) 20:08:36.13ID:6od0IFry
ttp://blog.goo.ne.jp/kuroda-bushi/e/4cc65b95a65d1e11a4d7f74adae8a132
0908人間七七四年2011/09/14(水) 20:30:37.45ID:jv5yxqhl
>大坂城天守台の石垣普請の命を受け難なく普請の奉行を勤めた。
・・・難なく?
日本語って難しいなw
0909人間七七四年2011/09/15(木) 05:20:20.59ID:/kWSUb2b
>>908
小学生以下かよおまいはw
0910人間七七四年2011/09/15(木) 11:17:23.49ID:SJMbkTnk
>>909
0911人間七七四年2011/09/15(木) 14:37:29.65ID:poTPjlnf
>>903
空気読める人ならあの時点の大坂城には入らないとw
0912人間七七四年2011/09/15(木) 18:05:42.56ID:Pj+cpiWl
でも入らなかったら後世でこんなにヒーロー化されることなく終わっただろうし
名を上げるという意味では最高に空気読めてたと思う
0913人間七七四年2011/09/15(木) 18:06:44.86ID:X9cJJGcw
毛利勝永だって入ったのに……
09141/22011/09/15(木) 18:22:27.53ID:9TW0y1e0
黒田家の村田出羽守吉次といえば、大人として立派な所は少しもなく(人がましき儀は少しもなく)が、
覚悟というものをよく知っていて心任せの働きをする人物であり、友人の中で似た人間といえば、母里但馬(太兵衛)
くらいのものだったという。
こんな村田出羽だが、重臣筆頭とも言うべき栗山備前利安の事だけは恐れていた。

ある時のこと。普請場で栗山が見回っていると、村田出羽が例によって高言をしているのが聞こえてきた。曰く

「わしが当家において恐ろしいのは殿様だけだ!年寄衆なんて、ヘチマの皮とも思わねえよ!」

これが耳に入った栗山、静かに村田へ歩み寄り、静かに言う

「おい出羽よ、わしが居る所でそんな事は言わさせねえぞ?
殿が許しているからって誰にも彼にも慮外を働きやがって。お前は御家の邪魔者だ!(御家の邪魔になる奴なり)
以後、よくその事を心得ろ!」
そうみっちりと叱りつけた。

これには村田も苦々しく思い反論した
「これは備州殿の御言葉とも思えぬことを。わたしは誰にも慮外なことをしたことなんでありません。
第一、御家の邪魔になった事なんて絶対にありえない!
宿老筆頭に似合わぬ申しようです!」

が、栗山
「おのれがどう見られているか知らないから、そんな風に思うのだ。
いいか、お前ほど邪魔になっている者は、当家の事は言うに及ばず、他家にもありえないほどだ!
若い頃追いつき首の1つ2つ拾った事を鼻にかけ、でかいツラしやがって!
殿様はお許しになっているかも知れないが、この備後は許さぬぞ!
さあ、家中に恐ろしい者があるのか無いのか、ほざいてみろ!(家中に恐ろしき者があるかなきか、一言吐いてみよ)」

そう言うと短刀を抜いて、変な動きでもするか、屁理屈でも言おうものなら一打に殺してやる!という覚悟。
これに村田出羽、頭をうなだれその場に座り込んでしまった。しかし栗山ここで手を緩めるような男ではない。
村田の頭の上から「推参至極な奴めが!いつもの人もなげな息を吐いてみろ!」と踏みつけんばかりの勢い。

この時居合わせた者たちは素早く集まってきたが『村田のやつあんなみっともない姿をしているが、油断のならない
悪戯者だ。ああやって栗山殿の前で恐れいった体で散々に叱られているが、そう油断させて栗山殿を斬りつける
つもりに違いない!その時は我らが出羽に取り付いて簡単に目的を果たさせないぞ!』と一同心に誓った。
流石村田出羽。信頼感はゼロである。

と、栗山が叱るだけ叱りつけ、そろそろいいかな?という頃合いに村田はようやく声を上げた
「さてさて、道理至極にて御座候。当家に恐ろしき者など居ないといったのは、近頃不届至極、沙汰の限りの
発言でした。この事に関して、この出羽も謝罪します。どうかお許し下さい。」
そこで栗山「なら、さっさと引っ込め!」と言ったので、これを塩に村田、すごすごと立ち退いた。
09152/22011/09/15(木) 18:23:04.68ID:9TW0y1e0
それから暫く後、

村田はこころやすい友人たちと語り合っていたとき、相変わらず高言をし、懲りもせず
「恐れながら殿より他には誰も恐ろしい者は居ない!」
とぶち上げていた。これにはさすがに友人たちも呆れて口々に

「おい出羽、あんまり大口を叩くなよ?この間備後殿に斬られかけた時が、流石にみっともなかったぞ?
お前が殿様にあそこまで叱られた話は聞いたことがない。浅ましくて見苦しい姿だったぞ!」

と言ったがこれに村田出羽、笑って
「あれはお前らが言うように、見苦しかったなあ。俺もな、これは堪忍できないと思っていたのだが、
少しでも反論した斬ると言いかねぬ勢いだった。
ジジイめ、あのジジイのことは俺が子供の頃から能く知ってるが、とにかく動きがキビキビしていて、
太刀さばきも妙に早い奴なんだ。
で、うっかり俺が斬られたとしよう。殿様はこれを両成敗になんかしてくれないよ?逆に

『村田のやつは悪戯者だから首を切りたいと思っていたのだが、子供の頃から召使いあれほど
人がましく取り立ててやった以上、不憫に思って今まで助け置いていたのだ。それを斬るとは、さすが備後!』

なんて誉めるぜ!?

その上あのジジイは『しかし村田の子供を助け置いては将来心もとない』なんて言って追放にして、
子供まで野垂れ死に。俺の一類共に死に果てる、というわけだ。
あの男に斬り殺されるなんてのは、犬に食い殺されるような不名誉なことだ!
そう思って堪忍成りがたきを耐えていたのさ。

能く聞いておけ、いつ何時でも、あのジジイには叶わねえ。もし俺が又あのジジイの腹をたてるようなことを
してしまったら、この出羽はどうにかしてその機嫌をとり、それでも機嫌が治らなければ、もう逃げるより他に
道は無い。
これは俺一人に限った話じゃないぞ!?今後一体誰があのジジイの機嫌を損ねるか知らんが、
とにかくあいつは喧嘩好きの恐ろしい奴だ(兎角喧嘩好きの恐ろしき奴めなり)。
お前たちも用心するんだぞ!」

こんな事もあり、村田出羽は栗山備後だけは恐れたが、その他に者には相変わらず無茶なことを
ふっかけていたそうである。

栗山備前怖い。というお話。
(古郷物語)
0916人間七七四年2011/09/15(木) 18:37:17.02ID:REmqb7Y9
栗山さんが生徒指導の先生みたいだ
0917人間七七四年2011/09/15(木) 18:39:36.05ID:X9cJJGcw
>流石村田出羽。信頼感はゼロである。
なんで黒田武士って奴は…

黒田家の話がでる度に
自分の中の、栗山備後さんの株がどんどん上がっていく
0918人間七七四年2011/09/15(木) 19:03:29.90ID:B4f6fVaP
>その時は我らが出羽に取り付いて簡単に目的を果たさせないぞ!』と一同心に誓った。
って、黒田家の人は栗山さん好きだねぇ
アイコンタクトで頷き合う皆さんを想像したw

ところで殿様ってngms?ngmsって恐れられてたの??
0919人間七七四年2011/09/15(木) 19:12:36.65ID:X9cJJGcw
如水さんでは?
0920人間七七四年2011/09/15(木) 19:30:54.50ID:TvNm0z4o
あんま関係ないけど遠賀川と洞海湾を結ぶ堀川作った栗山大膳って備後さんの孫とか曾孫?
0921人間七七四年2011/09/15(木) 19:40:25.42ID:gdJb56VG
大膳は備後の長男
0922人間七七四年2011/09/15(木) 19:53:33.96ID:TvNm0z4o
>>921
ありがとう、小学校の社会の授業の時に黒田藩の堀川の話が出て、
大膳さんだけ名前が出てくるんで妙に印象に残ってんのよ。
0923人間七七四年2011/09/15(木) 19:57:47.81ID:Z/uKzV5p
栗山大膳ったら栗山大膳事件だろ
あれもちょっと悪い話
0924人間七七四年2011/09/15(木) 20:52:23.24ID:HDc85GKv
もう黒田家がDQN高校にしか見えない
0925人間七七四年2011/09/15(木) 21:34:00.22ID:X2uopfih
魁 黒マティ高校
0926人間七七四年2011/09/15(木) 22:52:00.29ID:FCsq89Gf
   、ミ川川川彡                 ,ィr彡'";;;;;;;;;;;;;;;
  ミ       彡              ,.ィi彡',.=从i、;;;;;;;;;;;;
 三  ギ  そ  三            ,ィ/イ,r'" .i!li,il i、ミ',:;;;;
 三.  ャ  れ  三    ,. -‐==- 、, /!li/'/ 村田l'' l', ',ヾ,ヽ;
 三  グ  は  三  ,,__-=ニ三三ニヾヽl!/,_ ,_i 、,,.ィ'=-、_ヾヾ
 三  で       三,. ‐ニ三=,==‐ ''' `‐゛j,ェツ''''ー=5r‐ォ、, ヽ
 三.   言  ひ  三  .,,__/ 栗山   . ,' ン′    ̄
 三   っ  ょ  三   /           i l,
 三.  て   っ  三  ノ ..::.:... ,_  i    !  `´'      J
 三   る  と  三  iェァメ`'7rェ、,ー'    i }エ=、
  三   の   し  三 ノ "'    ̄     ! '';;;;;;;
  三   か  て  三. iヽ,_ン     J   l
  三  !?    三  !し=、 ヽ         i         ,.
   彡      ミ   ! "'' `'′      ヽ、,,__,,..,_ィ,..r,',",
    彡川川川ミ.   l        _, ,   | ` ー、≡=,ン _,,,
              ヽ、 _,,,,,ィニ三"'"  ,,.'ヘ rー‐ ''''''"
                `, i'''ニ'" ,. -‐'"   `/
               ヽ !  i´       /
               ノレ'ー'!      / O
0927人間七七四年2011/09/15(木) 23:03:29.75ID:O3B3TDip
大坂の陣の後の大坂城普請だとすると
村田出羽の言う殿はngmsの事か?

村田出羽は若い頃からの近習だというけど
恐れられるようなところがあったのか?
0928人間七七四年2011/09/15(木) 23:30:00.03ID:Evhmt26N
>>918
子供の頃から〜とか言ってるから長政ですね
村田は如水が息子の遊び相手にほとんど誘拐同然に連れてきた家臣だから、長政もこいつには甘い

つか、長政時代の黒田家ってああいう逸話はあるけど、基本長政専制的なんだけどね
0929人間七七四年2011/09/15(木) 23:54:09.90ID:B4f6fVaP
>>928ありがd
読み直したら栗山さん「ジジイ」呼ばわりされてるので、
ああ、もうngmsが家督した後なんだろうなーとぼんやり思ってました

如水さんは、村田といい又兵衛といい、
エキセントリックなのを息子にあてがう癖があったのか・・・
0930人間七七四年2011/09/16(金) 00:07:48.53ID:CDRE0Chl
とりあえずngmsが先頭で突っ込まない程度の配慮だったりして

ところでngmsや菅正利の賤ヶ岳での活躍は無いですか?
0931人間七七四年2011/09/16(金) 00:21:33.59ID:UTiraLRZ
>>929
獅子は我が子を千尋の谷に落とす的な試練だよ。多分。
0932人間七七四年2011/09/16(金) 00:38:38.70ID:IjqqNn1F
長政の賤ヶ岳の顛末ならまとめにあるよ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3536.html

ここでも栗山さんががんばっているのであった
0933人間七七四年2011/09/16(金) 01:00:21.66ID:CDRE0Chl
ありがとうございます
村田出羽との話しのあとだからか味わい深いですね
0934人間七七四年2011/09/16(金) 06:41:04.64ID:jJD+o/dC
>「わしが当家において恐ろしいのは殿様だけだ!」
色々問題ある人のようだけど主君に対する忠義はあるみたいだから問題ないな
0935人間七七四年2011/09/16(金) 07:51:19.24ID:91s7Ex/Q
又兵衛「 (#゚д゚) 、ペッ 」
0936人間七七四年2011/09/16(金) 10:55:09.23ID:qC83DAIe
>>931
獅子は我が子に保険金をかけて千尋の谷に落とす?
0937人間七七四年2011/09/17(土) 01:24:05.70ID:+5LVXMQx
いい話に小姓の話があったので
江戸時代になっちゃうけど、後味悪かったお話

加賀藩主、前田綱紀の娘、節姫は
広島藩主、浅野吉長に輿入れした

姫は、浅野家の侍帳(職員録のようなもの)を見たいと言うので
家老がさっそく姫にそれを見せた所、児小姓の名前が帳面になかった
「如何(どうして)?」と尋ねると

「いたことはいたのですが、奥方様を迎えるので、全員元服させるか他所に出したのです」
(子小姓御座候へども、御入輿前、何れも元服仰付けられ、外様へ御出し遊さるゝ)

男色の対象となる側小姓が新郎の側に常に控えていては、新婦の心証を害し
新婦の実家前田家との関係にも悪影響を及ぼしかねない と考えたらしい
しかし、当の節姫は
「そんな気遣いは無用 私は児小姓が夫の側に侍っていても気にしません」
と、姫らしく毅然とした態度で受け入れる しかも

「やはり大名の身辺には、児小姓が必要でしょう」
(大名の御近所には、子小姓差置かれ、御心安く召仕はるゝ儀、宜しく候)
と言って、更に家中から美少年を選んで新たに児小姓に置き
彼らに支給する御仕着は、全て節姫の方で用意したという
(松雲公御夜話)

名君と言われる父、前田綱紀の影響もあってか、節姫も教養豊かな女性であり
嫉妬の感情を厳しく自戒し、夫の性癖もおおらかに受け入れていた様である
ここまではいい話
0938人間七七四年2011/09/17(土) 01:24:20.12ID:+5LVXMQx
そんな二人は、普通に良い夫婦関係であったというが
吉長は妻のおおらかさに甘えたのか、性欲奔放が地だったのか
ちょっと調子に乗り過ぎたのがいけなかった

ある日、吉長は新吉原の遊女を請け出したばかりか
芝神明前の蔭間を二人請け出した
しかも、国許に帰る際に遊女と蔭間を同伴しようとしたので
これにはさすがの節姫も激怒した

「大名が請出しする事自体は、ままあることなのでそれは問題ではありません
でもね、国許まで同伴するなど、あまりにも非常識でしょう!
第一、上様に聞こえたらどうするんですか」
(尤、大名の遊興の余り、遊び者を請出し玉ふ事は有りまじき事なれねど、
国元まで御供とは余り成事、第一上様へ聞え参らせて宜からず御事也)

しかしそんな妻の諫言は聞き入れられず、その遊女と蔭間は
華々しい装いを誇示しながら、藩主帰国の一行に加わった

そんな状況を無念に思った節姫は、一間に籠って書置を認めたのち
壮絶な割腹自殺を遂げてしまったという
(をしむべし五十一歳を一期として腹一文字にかき切伏し給ふ)
(続漸得雑記)
0939人間七七四年2011/09/17(土) 07:47:32.08ID:gayi3DnU
な、なんという…本当に後味の悪い話
理解を示したり懐の広いところを見せたりしても相手が
それに甘えるだけだと悲劇になりがちだよね
命をはって主君に諫言する重臣がいれば…
0940人間七七四年2011/09/17(土) 09:07:13.60ID:Ny1fE4fh
前田さんと浅野さんは絶縁になったりしないの?
0941人間七七四年2011/09/17(土) 09:07:25.60ID:PDlLczt6
こんなのが名君扱いされてたとか、欺瞞もいいとこだな
0942人間七七四年2011/09/17(土) 10:10:09.92ID:TVOCH3N5
>>941
素行が悪かろうがなんだろうが民に害をなさない君主は名君です
0943人間七七四年2011/09/17(土) 10:15:25.37ID:F/CRG+F/
うーん、児小姓まで全部自分であてがったってのはある意味全て管理下においてたってことだし、
Wikiみた限りでは側室は持たせてもらえなかったともある。
これ、けっこう吉長にとっては息苦しい環境だったんじゃなかろうか?

奥さん51ってことは長年我慢はしてたんだろうし、初めてハメはずしてみたらまさかの過激行動だったのかも。
それに、「上様に聞こえたら・・・」とは言うが、正室が腹切ったなんて聞こえた方が比較にならんほどヤバイし、
本当に理性的だったならこんな行動にまで出るかね?
筋の通った諫言で取り繕ってるけど、一方で『同性への』嫉妬も見え隠れしてるような・・・

あと、これもWikiからだけど前田家と相談の上急病扱いで処理したというから、実家から見ても吉長だけに
一方的な非があるとまでは見なかったんじゃないかな、大藩同士の大人の事情はあるとしても。
0944人間七七四年2011/09/17(土) 11:51:38.27ID:pVhxKH9L
今の時代の腐れ女子からすりゃ立派な女だろうが
子供がいればいるほど家の繁栄に繋がる時代に
同性愛の推奨ってだけでも忠信なら病死していただく準備が必要な位の亡国の女。
遅きに失したけど、お家断絶には繋がらなかったなら
メデタシメデタシですむんじゃね?
ていうか、その小姓を確認した時点で、腐臭がするんだが?
江戸時代の大名家にもBL好きの腐ていたのか?
0945人間七七四年2011/09/17(土) 11:55:47.25ID:I8KT5XBY
>>944
つ【衆道】
0946人間七七四年2011/09/17(土) 12:09:58.27ID:pVhxKH9L
>>945
衆道ってやってる当事者が楽しんでるもんだろ?
BLって女が見て喜ぶ為のもんだろ?
ちょっと違うんじゃね?
0947人間七七四年2011/09/17(土) 12:19:08.72ID:Jba91Cuy
端的に言うとこの時代、衆道と男女の愛情は全く別物と考えられていて、
夫の衆道相手に妻が嫉妬するというのは、非常に恥ずかしいこととされていた。
ちょっと極端だが現代的に例えると、旦那がかわいがってるペットに妻が嫉妬するとか、そんな感じ。
0948人間七七四年2011/09/17(土) 12:19:59.96ID:SFHlIBee
衆道は君臣関係にも大きな影響を与えるものだから
ぶっちゃけ個人の性癖だけの問題でなく
政治的な意味合いもあるものなのよ
0949人間七七四年2011/09/17(土) 12:29:37.43ID:qoCIrDCT
衆道も浮世絵も精力発散だろう
趣味が極まって芸術とか言われるようなもんかと
0950人間七七四年2011/09/17(土) 12:45:08.46ID:yk14zRps
300年後とかにヲタ文化や腐女子文化も芸術と呼ばれるようになるのか胸熱だな
0951人間七七四年2011/09/17(土) 12:47:22.45ID:Jba91Cuy
実は浮世絵は春画も含めて、相当な割合で女性向けだった節がある。
0952人間七七四年2011/09/17(土) 12:55:52.80ID:PDlLczt6
>>942
浅野吉長は農民一揆を起こされているんだが
それでも名君だと?
0953人間七七四年2011/09/17(土) 13:42:45.60ID:nhliwxMN
小姓は家の管理下にあるけど、遊女やら陰間は管理下にはない
だから怒ったんだろうよ
0954人間七七四年2011/09/17(土) 14:19:58.94ID:YkJH6cyO
猿面の男「つまり女をつくるならもっと上手くやれって事だ」
0955人間七七四年2011/09/17(土) 14:22:14.19ID:pVhxKH9L
想像でしかないが
側室の記録が無いところからして
前田家による浅野家乗っ取りが目的だったかも?
前田の血を持たない子供の存在を恐れて女が来るのを激怒したんじゃね?
0956人間七七四年2011/09/17(土) 15:12:07.14ID:+5LVXMQx
>>943
確かに奥方切腹だと、ますますメンツが潰れそうじゃね? とは思ったけど
これを許してしまっては、また繰り返すことにもなるから
まさしく命をかけた諫言だったんじゃないかね

>>944
あの時代の男色などは、性欲や愛欲とは別次元の関係であり、いるのが普通だから
奥さんも何でいないの? 普通いるでしょ? と思ったんじゃないかな
0957人間七七四年2011/09/17(土) 20:07:27.83ID:UsaXYbY1
戦国時代板の、よりによっていい悪スレに
>>944のような意見が出てきたことが素直に驚きなんだが。
「当時、衆道は常識」は基本中の基本の知識だと思っていた。
0958人間七七四年2011/09/17(土) 21:53:57.67ID:9LdKxVFj
他のスレでも「衆道が当たり前なんておかしい。じつは男装女子がいっぱいたんじゃね?」
なんて真面目に主張してるやつがいたぞw
0959人間七七四年2011/09/17(土) 22:00:06.59ID:rpGF+HQi
>>958
ふいたwwwwwww
これも田豚の影響か・・・
0960人間七七四年2011/09/17(土) 22:01:17.22ID:W5smCsPX
そういえば、中世の西洋では
古代ギリシャで男色が当たり前なんておかしい。よっぽど特殊だったから
記録に残っているんだ!と主張している人が結構いたとか
0961人間七七四年2011/09/17(土) 23:13:15.15ID:+5LVXMQx
そもそもなんで男色がおかしいと思うんだろうか
あれは主従の絆を強めることに置いても、武家社会なら発生してもおかしくない現象だし
まあそれが原因で色々揉め事も多くなってるんだけどね
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。