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戦国ちょっと悪い話27

レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
0001人間七七四年2011/07/12(火) 22:18:10.41ID:tSU9HVMm
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話26
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1304362000/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話27
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1307622844/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0835人間七七四年2011/09/10(土) 10:14:44.58ID:eRLa3vpP
>>832
近江を手に入れたころには相撲に嵌まってたからなあ
けっこうそういった連中を好んで傍に置いてたんじゃないかな
0836人間七七四年2011/09/10(土) 10:40:48.86ID:UyI0ka2x
>高さは2尺5寸。





匍匐前進しないと通れねえwww
0837人間七七四年2011/09/10(土) 10:54:46.80ID:FgxTN5EO
光秀って三木城攻めに参加してたんだ。
0838人間七七四年2011/09/10(土) 11:11:18.25ID:nB0XvDKG
こんなのが大手門って、いったいどんな城やねん!

でも、掲載されている原文ではそのまま弐尺五寸となってます。
二十尺五寸と書きたかったのだと思うけど・・・
大げさが売りの軍記物だし、まあ雰囲気で読み替えてみてくださいな。
0839人間七七四年2011/09/10(土) 12:07:38.97ID:VwN8Ej82
>>805
で、出典は?
0840人間七七四年2011/09/10(土) 13:51:41.32ID:5UYp8Tkr
>>839
ヒント:近デジ
0841人間七七四年2011/09/10(土) 19:37:01.06ID:+aqI29u/
明応のころ、堺に菜屋という豪商があった。主人が朝鮮へ渡海して商売するほどの家だったが、その留守の間に
女房は間男と密通を重ねていた。

ある雪の夜、菜屋の女房を訪ねて来た男があった。間男が来たと思った女房は、使用人に言って自分の部屋まで
案内させると、みずから部屋の戸を開け、男の手を取った。部屋から漏れる明かりに照らし出されたその顔は、
間男のものでは無かった。

「わしは、そなたの亭主と懇意の者だ。ご亭主が帰って来たら、全て話してやろうか?」
「そ、そんな・・・金なら出します、どうか主人には!!」
しかし行商人姿の見知らぬ男は、女房の願いに承知せず、女房の部屋に上がり込んだ。


その後、主人が朝鮮から帰って来るとの報が入り、女房は家中の大掃除をさせた。自分でも主人の部屋の掃除など
していたが、そのうち菜屋の家宝である名笛が無くなっているのに気づいた。使用人たちにその事を聞くと、
「ああ、いつかの雪の夜に来た旦那様の知人とか言う男が、持って帰りました。」

女房は男を捜して会い、笛を返してくれるように頼んだ。
「何を言う。この笛を証拠に、そなたの密通のこと、詳細にご亭主に伝えてくれるわ。」

困った末に女房は、実父で同じく堺の豪商である臙脂屋(べにや)に相談した。娘の不始末が菜屋に知れたら、
最悪、娘の命に関わるばかりか、自分の堺衆への聞こえも悪い。やむを得ず、臙脂屋は男に会った。
「金でも物でも好きなだけ差し上げます。どうか、娘をお許しくだされ。」

「そうか。実はわしは今でこそ、このような行商人の姿をしているが、畠山政長公にお仕えしていた者だ。
政長公の遺児を奉じ、再起を図っておるが、金穀が不足しておる。臙脂屋どのの、お力を借りたい。」

大義名分を得た臙脂屋は、喜んで莫大な金穀を男に与えた。畠山尚順が紀伊で挙兵したのは、間もなくの事だった。
(応仁後記より)

菜屋の関係者によると男は「木沢」と名乗ったという。
畠山でKIZAWAというと、「あのお方」のパパとか親戚であらうか・・・
0842人間七七四年2011/09/10(土) 21:05:02.14ID:GZBZ0WZW
ああ、戦国5大長政の内の1人か
0843人間七七四年2011/09/10(土) 21:13:41.64ID:FrvOW5Bq
天皇「公家一統……?」



1573年、足利義昭を追放した織田信長は、幕府の権威を借りられなくなったため、今度は朝廷に急接近し、
「公家一統」なるものを唱え出した。

権大納言・三条西実枝などは喜び
「信長は公家一統の政治を500年前のように行うようであります。
 鳥羽上皇以来の代々のご無念もこれで天運が改まるというものです。
 悦びとおそれで薄氷を踏むような気持ちです」
と書いている。

安国寺恵瓊が信長について「明年辺(あたり)は公家などに成らるべく候かと見及び申し候」と書き送ったのも、ちょうどこの頃である。

翌1574年3月、天皇から信長に蘭奢待が下賜され、信長と朝廷の関係はいよいよ深まった。
この時のやりとりについて関係者は次のように明かしている。

「『奈良の東大寺に収蔵されている香木の蘭奢待をいただきたい』
 と宮廷に申し出られたところ、3月26日、勅旨の日野輝資殿・飛鳥井雅教殿が、かたじけないことに、ご院宣を伝えられた。
 奈良の僧徒らはかしこまってお受けした」
(織田家家臣 O田G一氏)

「相談もしてこないことを断るわけにも参らぬので、何なりともやりたいようにしたらよかろう。
 公家一統にと、きれいごとを申した舌の根も乾かぬうちにこんな体たらくでは、先行き一体どうなることやら。
 この一事にて万事が見えたというものだ。
 こんなずさんな手続きで勅封の蔵を空けるとは、いにしえの聖武天皇の御憤りもいかばかりであろうか」
(日本国天皇 O親町氏)

そもそも、信長が部下の塙直政を派遣して蘭奢待の存在を確かめさせたのが3月22日。
切り取ったのは3月28日。
わずか6日という短期間で、正式の勅使も派遣されないまま、信長は蘭奢待を切り取ってしまったのである。

信長が朝廷の事をどう思っていたのか、なんとなく分かる話。
0844人間七七四年2011/09/10(土) 21:17:52.25ID:futfDRv/
そーはいっても、院宣のほうが勅命より重いでしょ
0845人間七七四年2011/09/10(土) 21:30:43.39ID:f+VavbC2
ただの飾りが何勘違いしちゃってんのw
0846人間七七四年2011/09/10(土) 22:31:19.42ID:zWnHOmf/
これだから信長厨狩りはやめられねぇ
0847人間七七四年2011/09/10(土) 22:45:38.83ID:RIPsFW01
これは悪い話だw

三斎細川忠興の遺産 其ノ弐
http://www.shimada-museum.net/event.html
http://www.shimada-museum.net/img/event/005/back.jpg

> 【古典古物を楽しむ講座】
> □9月29日(木)
>
> 『ガラシャ夫人を見捨てた男、稲富一夢』

稲富さん(ノ∀`)
0848人間七七四年2011/09/10(土) 22:53:31.29ID:L/I1HESf
ひでぇ題名だw
0849人間七七四年2011/09/10(土) 23:17:39.46ID:kMx9XFc2
さすがにこれはwww
0850人間七七四年2011/09/10(土) 23:19:24.10ID:1WnkfC7u
見捨てた男というのはひどいなw
0851人間七七四年2011/09/10(土) 23:20:13.13ID:H7j31K3R
さすが戦国のヘタレ王www
0852人間七七四年2011/09/11(日) 02:09:40.69ID:NUMYI2pc
これは同情を禁じえ、、、それほどでもないや
0853人間七七四年2011/09/11(日) 04:21:21.09ID:ofsoMQ+N
こういうのって「近世砲術の祖」とか持ち上げるのが常なのに
ここまであからさまにdisったタイトルつけるのは珍しいなw
0854人間七七四年2011/09/11(日) 07:44:00.90ID:YWJa+l78
山形城吉字構

元和8年、最上義俊の代に御家騒動から最上家は改易となる。
同年、鳥居元忠の子忠政が22万石をもって新たな山形領主となった。

忠政が山形に入ると鍵路や通りの要所要所に砦の様な寺社の軒が連なっていた。

「平穏な世にこの街構えはいけない。これではいつ一揆勢が城の内に集まるかわかったものではない」

三の丸内にあった三割の寺社が破却され、残った多くの寺社も山形城から離れた場所へと移築された。

寺社を大切にした義光の思いが鳥居家の移封にとっては邪魔となった悪い話。
0855人間七七四年2011/09/11(日) 13:49:16.08ID:e56Rhpnz
拠点となる寺社の破却は為政者としては当然の行為だな。
特によそ者の鳥居さんからしたらね。

逆に最上は戦国威風の残る鮭さまの時代から何一つ変われなかったから取潰されたとも言える。
馬鹿な家臣と馬鹿殿ファミリーのお家騒動だもんなあ…
0856人間七七四年2011/09/11(日) 14:13:14.07ID:2NYFZg17
まぁ最上側とすれば、いざ戦時となれば、
その寺社等も防衛拠点にするつもりだったんだろうな。
でも、新規に入る側の鳥居側からは邪魔でしか無いよなぁ。
0857人間七七四年2011/09/11(日) 20:03:09.14ID:+iXHpmGe
マット県山形は自身で滅びればよかったのに
0858人間七七四年2011/09/12(月) 09:59:57.07ID:mvjzbvpi
家康の個人的好き嫌いから潰された感もあるけどな<最上家
徳川四天王と言われた榊原でさえあの仕打ちだ

>>857
意味が解らない
0859人間七七四年2011/09/12(月) 10:05:58.22ID:vGGWbGV7
>>858
最上家取り潰されたとき家康はもう死んでおるがな
0860人間七七四年2011/09/12(月) 11:07:56.03ID:lbhPOM6K
江戸幕府が起こしたあらゆる改易も鎖国も
何もかも家康のせいにしないと気がすまない人って多いよね
0861人間七七四年2011/09/12(月) 14:16:59.39ID:mROD1oIY
司馬先生のことか?
0862人間七七四年2011/09/12(月) 14:25:49.87ID:a1/Lx+88
>>858
榊原康政に関しては嘘か本当かは知らないが、
関ヶ原後に加増の打診が家康からあったけど、武功が無いから受け取れないって断ったとか、
老臣権を争うは亡国の兆しつって自ら中央政界から身を引いたとか、
そういう話もあるからなあ。

本当なら、武人として潔くてかっこいいと思う。
0863人間七七四年2011/09/12(月) 15:52:06.20ID:m2YsDk9P
>>861
司馬さんは福島家・加藤家の取り潰しは家康の遺言によるものと断定したうえで
取り潰しは家康の「歯茎の臭さ」を表してるとか、訳のわからないことを言ってたな

家康の遺言なら秀忠の側近は反対しないだろうし、そもそも目障りな大名を取り潰して
なんの問題も発生させなかった秀忠の政治的手腕を褒めるべきだと思うんだがねぇ
0864人間七七四年2011/09/12(月) 16:29:47.56ID:rFnfqXj7
司馬さんの価値観はともかく、取り潰しが何の問題も発生させなかったなんて大嘘だろ
島原・天草の乱は加藤・小西浪人の一大蜂起だし、由比正雪の乱だって食い詰め浪人のクーデター
幕府の無茶な取りつぶしで浪人たちが押し込みに走り治安が猛烈に悪化した
浪人問題に関して秀忠のどこを褒めるべきなのかさっぱりだわ
0865人間七七四年2011/09/12(月) 19:35:39.65ID:vGGWbGV7
むしろ「その程度ですんだ」って見方もできると思うよ?

牢人問題ってのは戦国時代から繰り返し起こっているもので、滅びたり改易された家の牢人が
大規模一揆を起こしたり敵対勢力に味方したりして治安を混乱させることはいくらでもあった。

そこから考えれば島原や由井正雪の乱程度の、ごく局地的事件で押さえ込んだというのは凄いことだよ。
0866人間七七四年2011/09/12(月) 19:54:54.21ID:5mIcbVS+
そもそも浪人生まないために大名を存続させるというのも馬鹿げた話だね
戦が無いんだから能のない浪人は皆殺しがベスト
それが駄目だと言うなら逆にどうすりゃ良かったのか聞きたいくらい
0867人間七七四年2011/09/12(月) 20:08:37.37ID:ORTb75nW
福島正則はやっぱり秀忠をなめてたんだろうか
どっちかといえば、秀忠の方が家康よりも非情な判断するよね
それと比例して温情な判断もするけど
0868人間七七四年2011/09/12(月) 20:19:03.50ID:n+xFkh1y
舐めてたんだろうな。
一度は跡継ぎにすえて、徳川からの嫁が縁付いた甥っ子を
自分の子が生まれたからって、閉じ込めて餓死させたりしたんだから。
そんな秀吉の悪いところは真似なくてもよかったのに。
0869人間七七四年2011/09/12(月) 20:22:49.08ID:ORTb75nW
>>868
そういやそんなことやってたな正則 あの話はかなり引いた
実子が生まれたら、養子が冷遇されるのはよくある話だけど
なにも餓死させなくてもよかろうに
0870人間七七四年2011/09/12(月) 20:23:03.87ID:dyA0kRwO
由井正雪の乱はともかく、島原の乱は日本史上でもデカい乱の一つだろう
0871人間七七四年2011/09/12(月) 20:45:33.26ID:fkp1UZIo
島原の乱はでかいな一揆軍38000人が籠城したわけだし
大将の天草四郎は秀頼の遺児という説もある馬印が千成瓢箪だったと言うのが基らしいけど
0872人間七七四年2011/09/12(月) 20:47:10.88ID:1drb3muR
>>870
規模としては大きいが基本的には島原地域の外に広がったわけではなく、
その勃発の理由も含めて局地的事件である事自体は間違ってないと思う。
0873人間七七四年2011/09/12(月) 20:48:57.01ID:a+jcZLow
>>866
後の幕府はその「馬鹿げた」政策にシフトチェンジしていくんだがね
0874人間七七四年2011/09/12(月) 20:54:20.16ID:5mIcbVS+
なる程、最初からその政策やってでも大成功していたわけだね(笑)
0875人間七七四年2011/09/12(月) 20:56:43.27ID:5mIcbVS+
そもそも加藤小西を取り潰さなきゃ島原の乱が起きずに平和だったのかっつう話
0876人間七七四年2011/09/12(月) 21:11:53.90ID:5mIcbVS+
更に言うなら加藤小西を潰さないとまでして起こしちゃならない反乱だったのかという話
0877人間七七四年2011/09/12(月) 21:13:34.79ID:YFYOX2Pf
>>855
家臣団が義俊を支えよという幕府の裁定すら蹴ってしまったからな。
家親が毒殺されただの、山野辺を擁立しようだのとごたごたが続いた挙句この有様。

>>856
上杉の米沢城なんてさらにその傾向が顕著だしな。
0878人間七七四年2011/09/12(月) 21:25:47.67ID:1drb3muR
正則は改易の使者が屋敷を訪れた時に「自分は特別扱いされて当然なのに!」みたいなことを言ったと
藩翰譜にあったなあ。
事実がどうかはともかく関ヶ原以降の正則の徳川に対する態度を見れば、そういう意識はやはり
持っていたのでしょうね。
0879人間七七四年2011/09/12(月) 21:26:42.56ID:qUuiY04c
なんかアホが涌いてるなあ
大名は潰す
浪人の失業対策もする
両方やらなきゃならんのが天下人だ
0880人間七七四年2011/09/12(月) 22:15:15.04ID:5mIcbVS+
それは現代人の理屈だろ
まだまだ生産力が低く不安定な世の中なんだから必要ない人間は間引かざるをえない時もある
段々と生産力が高まって安定化して初めて弱者は救済される訳で
0881人間七七四年2011/09/12(月) 22:16:41.24ID:YD4bMr0Z
失業対策=一箇所に集めてまとめて処分
0882人間七七四年2011/09/12(月) 22:33:03.62ID:bM3EUKHk
渡航制限がなければ海外移民になったかもしれんが無理だったのかな
0883人間七七四年2011/09/13(火) 01:18:38.83ID:v0ZnwD/G
そもそも浪人なぞ大問題になって無いし。
大部分はおとなしく帰農してる訳で。
0884人間七七四年2011/09/13(火) 02:03:31.13ID:rBXdSK6G
>>882
初期はそうしていたっぽい。
で、ある程度浪人が海外へ行った後に鎖国。・・・えげつねぇ。
0885人間七七四年2011/09/13(火) 02:48:48.17ID:K5awWihN
>>884
上手いことやってんな
0886人間七七四年2011/09/13(火) 07:45:34.66ID:3hfp0ZHs
口減らしえげつねぇな、さすが徳川家、やることがry
0887人間七七四年2011/09/13(火) 08:35:16.97ID:2UvSWXKI
棄民政策かよ
0888人間七七四年2011/09/13(火) 09:51:32.78ID:iacclD5E
禁教が主目的ってことになってるけど、裏にはそういった目論見もあったのかな
東南アジアの日本人町はかなり荒っぽくて、各国とも苦労していたみたいだし

>>858
>>857は現代の話だと思うよ
妖怪マットがとある中学校に現れてね
都会からの転校生を窒息死させたんだよ
0889人間七七四年2011/09/13(火) 10:01:36.11ID:Jgy8zOoc
山田長政みたいなのは例外で基本的に海外に行ったところで倭冠にでもなるしかない連中だしな
0890人間七七四年2011/09/13(火) 10:21:37.92ID:a7OpkvL7
東南アジアに日本人街がいっぱいある時代だよ
0891人間七七四年2011/09/13(火) 10:53:52.40ID:OdRIQCwH
スペインにも兵隊として雇われ・買われてたそうだしね
鎖国されて兵隊補充するのに苦労したそうな
0892人間七七四年2011/09/13(火) 11:13:55.14ID:/gp4nOGx
秀忠時代は、浪人の追い出す先があったから躊躇なく取り潰しもできたってことかね
で、鎖国の完成で言い方悪いが捨てる場所が無くなったから、政策も変えたと
08931/22011/09/13(火) 13:30:47.55ID:ipR7QIQ0
大阪陣後、徳川大阪城の普請の折のことである。

黒田家は西宮で石垣に使う石を割らせ、これを浜から海上に搬出する作業をしていたのだが、
この時、吉田七左衛門という者の組が担当する石場と、黒田二十四騎にも数えられた村田出羽守吉次の組が
担当する石場から引き出された石が、丁度同じ道に入る入口で出会う形となった。
双方とも、その道まで5,6町(約5〜600メートル)ほどになった所で、吉田七左衛門の組の石のほうが
少し先に進んでいるように見えた。と、この時村田出羽、使いを吉田方に遣わして言うには

『我々が石を先に通すので、貴殿の組の石はそれまで待っているように。』

こんな事を言われて吉田七左衛門、納得などできようものか
「これは近頃聞いたこともない使いだ!互いに引かせ、先に進んでいる方を先に通すのが当然である!
それを、待っているように、とは、全く理解出来ない使いである!」

だがしかし、この村田出羽、問題児の多い黒田家中でも札付きの問題児であった。彼は吉田の返答を聞くやいなや
ただ一人走り出て、七左衛門組の石の綱先一町(約100メートル)ほどの道の真ん中で、なんと寝転がってしまった!

この時吉田七左衛門とその組頭たちは後ろの方にいてこの事態に気がつかなかったが、先にいた
小頭たちは驚きすぐに走り寄って

「ここは石を引く道です!どうかお退き下さいませ!」と申し上げるも、それに返事もせずギロリとその方に
眼を向けるだけで動きもしない。しかし小頭たちも再三にわたって懇願する。それにも
「石を引いているなんて誰でも知っていることだ!オレを盲のように言うな!」
と聞き入れない。そうこうしているうちにも吉田七左衛門組の石はどんどん近づいてくる。

「石がもう、あんなに近くまで来ました!お怪我の心配もあります。どうか急いでここからお引き下がり下さい!」
それでも村田出羽
「ここは芝生が綺麗でな、それで寝たくなったから寝たんだよ。それを起こすとは推参な奴だ!」
と言って猶も起き上がらない。

この頃には吉田七左衛門も前方の状況に気がついていた。彼はそもそも性格もおとなしく冷静な人物なのだが、
村田出羽が寝っ転がっているのを見てさすがに頭に血が上った
「憎き所業かな!起き上がらないというのなら、私が起こしてやろう!」

と、走りだそうとする所を吉田組の組頭の者たち
「これは一体何という事ですか!あのキチガイとゴタゴタを起こすなんて、御主君のためにも良くないことです!
(是はいかなる事にて候ぞ、例の気違に御取合ひ候事、主君の御為め、旁以て然るべからず候)
きっと村田様も何か誤解をされているのでしょう。私たちが意見して来ます!」
08942/22011/09/13(火) 13:31:32.31ID:ipR7QIQ0
そうして6人の組頭のうち2人が吉田七左衛門を抑えつけ、4人が村田出羽のところに駆けつけた!
「村田様、これは沙汰の限りです!御身に似合わぬ所業ではありませんか!
それに石も近づいてきています。どうか急ぎ起き上がって下さい!」と叱りつけたが狸寝入りして返事もしない。
それでも押し返し押し返し申し上げれば村田出羽

「うるさいなあ。それならこの出羽の上を引いていき。オレを殺せ」

説得している組頭たちもこの時代の武士である。これを聞いて皆『うわ、こいつの頭轢き潰してえ』とは思ったが
(物頭共も心底きつき者共なれば、頭を切割りたくは思へども)
『変に大騒ぎにしちゃいけないよなあ』と考えなおす。吉田七左衛門の所に戻って彼をなだめ、
「とにかくここは、あんな気違い相手には変に手出ししないのが最善です」と笑いながら言うが、吉田七左衛門は
納得しない。彼は本当に怒っている

「ええい!急いで石を進ませろ!進ませれば起き上がるに決まってる!
だいたいあんな奴に礼儀正しく接しようとするから、付け上がってこんな慮外を働くんだ!
急いで引け!!」
この下知を受けた組頭たち、「心得候」と返事したもののわざと急がず、しばらくモタモタしているうちに
村田出羽組の石の方が先に進み、吉田組の石の先に行く勢となった。
これを見極めた村田出羽、やわら起き上がると「ふぁ〜あ」と大あくび、そして

「ここの芝生はとても綺麗だから昼寝をしていたのに、わめきちらす連中が無理に起こそうとするから
寝ることも出来やしない。しょうがないからもう起きるか。」
そう言って何事もなかったかのように自分の組の石の方に戻っていった。

この事は当然問題になり、村田出羽は黒田家の年寄衆に呼びつけられ叱られたが、村田は
「私は少しも悪意があってあんなことをしたのではありません。毎日の仕事に草臥れたので、
あそこで寝ていただけなのです。七郎左衛門が腹を立てているのなら、いかようにも謝りますので
どうか良きようにしてください。」と、抜け抜けというので、年寄衆も絶句して、かえって笑い出した。

その後吉田七左衛門を呼んで意見を聞けば
「あの村田出羽の慮外の働きは今に始まったことではありません。彼の被害にあったものは
私一人ではないのです。ですが、殿様がそれを許すとおっしゃるのであれば、家臣として
この事にこれ以上こだわりません。」と神妙に申し上げた、実に分別家である。
ただ、吉田七左衛門はこのような分別家に見えて心の中は猛々しく、なにかおかしなことが
起こらないようにと、組頭の者たちが暫くは日夜、彼の行動に気をつけていた。
しかしこれでは埒があかないと組頭が年寄衆に泣きつき、吉田に重々意見をしてもらったので、
この件では何事も、起こることはなかったそうだ。
組頭の皆さんも、最後までご苦労様なお話である。
(古郷物語)
0895人間七七四年2011/09/13(火) 14:13:12.60ID:e+HuxKfg
黒田の面々はやっぱおかしい
吉田さんは災難だったね…
0896人間七七四年2011/09/13(火) 14:26:40.46ID:jpb6mjx7
石垣普請の逸話ってこんなのばっかりだなw
どこもしょっちゅう喧嘩してる
0897人間七七四年2011/09/13(火) 16:05:34.37ID:RZ5pO4aI
真田地蔵の祟り?


以前いい話スレで出てきた真田地蔵(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-682.html)のちょっと悪い(?)蛇足。

真田信繁を討ち取った越前松平藩士・西尾仁左衛門宗次。
彼が自分の菩提寺に造立した地蔵菩薩像は「真田菩薩」と呼ばれ、信繁の鎧袖を埋めて供養したものと伝えられた。
(なお、信繁の首の方は真田一族に奪い返されることを恐れて福井城下の某所に埋葬し、その場所は西尾家一子相伝の秘密としたという。)

やがて年月を経て地蔵菩薩は摩耗し、いつのころからか首が破損し落ちるようになった。
これを元通り載せようとするとその者は必ず熱病に悩まされたという。


蛇足の蛇足。
ちなみにこの西尾宗次は信繁所用の兜・薙刀・采配等も戦利品として持ち帰ったとされ、現在でも一部が越葵文庫に収蔵されている。
(平成23年9月6日〜10月30日福井市郷土歴史博物館で展示中)
采配は紙の房に血液と思しき染みが残っており、「幸村血付きの采配」と柄に記されている。
仙台真田家に残る「真田幸村公死持の采配」(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4843.html)とは別物の模様。
0898人間七七四年2011/09/13(火) 16:51:25.09ID:aAZmI2Lu
弟くんは崇徳院並みの祟りパワーの持ち主だな
0899人間七七四年2011/09/13(火) 18:31:21.73ID:eljRNU1c
>>866
大阪の陣の後の落ち武者狩りはすごかったそうな
0900人間七七四年2011/09/13(火) 18:35:55.10ID:eljRNU1c
>>884
ある程度行った後にって、計画的みたいだけど、人間の往来に幕府が危機感を感じて鎖国なんだけど
0901人間七七四年2011/09/13(火) 19:18:58.05ID:e+HuxKfg
信繁でこれなんだから、他の討死した人のはどうだったんだろう
0902人間七七四年2011/09/13(火) 19:59:08.28ID:/9LP5Rq5
村田出羽が黒田家の朱槍朱具足か
キチガイって言われるほどじゃなければ認められないものだったのかな
0903人間七七四年2011/09/14(水) 00:17:20.42ID:kDc81oUu
>>898
でも親切心で首を元通りに直そうとする人を呪っちゃうあたりやはり空気が読めてない
0904人間七七四年2011/09/14(水) 09:33:07.03ID:er70wXAS
吉田七左衛門は、吉田壱岐長利の息子の又助こと吉田重成ですな
最初の妻が後藤又兵衛の妹だったり、後妻が毛利秀包の娘だったり、
長政四男の付家老だったり、島原の乱の傷が元で亡くなったりした吉田重成ですね
0905人間七七四年2011/09/14(水) 19:31:35.38ID:k/3N0HH4
なら敷き殺しても問題なかったんじゃね
その前に逆切れされて殺し合いになりそうだけど

つーか俺の中で村田出羽のイメージが
ヒャッハーとかギャハハとか跳刀地背拳とかになりつつある
0906人間七七四年2011/09/14(水) 19:46:36.98ID:qvRybJjs
村田出羽って若き日の井口兵助でしょ
出奔騒ぎ起こしたこともあるし、このくらいは想定の範囲内かも
0907人間七七四年2011/09/14(水) 20:08:36.13ID:6od0IFry
ttp://blog.goo.ne.jp/kuroda-bushi/e/4cc65b95a65d1e11a4d7f74adae8a132
0908人間七七四年2011/09/14(水) 20:30:37.45ID:jv5yxqhl
>大坂城天守台の石垣普請の命を受け難なく普請の奉行を勤めた。
・・・難なく?
日本語って難しいなw
0909人間七七四年2011/09/15(木) 05:20:20.59ID:/kWSUb2b
>>908
小学生以下かよおまいはw
0910人間七七四年2011/09/15(木) 11:17:23.49ID:SJMbkTnk
>>909
0911人間七七四年2011/09/15(木) 14:37:29.65ID:poTPjlnf
>>903
空気読める人ならあの時点の大坂城には入らないとw
0912人間七七四年2011/09/15(木) 18:05:42.56ID:Pj+cpiWl
でも入らなかったら後世でこんなにヒーロー化されることなく終わっただろうし
名を上げるという意味では最高に空気読めてたと思う
0913人間七七四年2011/09/15(木) 18:06:44.86ID:X9cJJGcw
毛利勝永だって入ったのに……
09141/22011/09/15(木) 18:22:27.53ID:9TW0y1e0
黒田家の村田出羽守吉次といえば、大人として立派な所は少しもなく(人がましき儀は少しもなく)が、
覚悟というものをよく知っていて心任せの働きをする人物であり、友人の中で似た人間といえば、母里但馬(太兵衛)
くらいのものだったという。
こんな村田出羽だが、重臣筆頭とも言うべき栗山備前利安の事だけは恐れていた。

ある時のこと。普請場で栗山が見回っていると、村田出羽が例によって高言をしているのが聞こえてきた。曰く

「わしが当家において恐ろしいのは殿様だけだ!年寄衆なんて、ヘチマの皮とも思わねえよ!」

これが耳に入った栗山、静かに村田へ歩み寄り、静かに言う

「おい出羽よ、わしが居る所でそんな事は言わさせねえぞ?
殿が許しているからって誰にも彼にも慮外を働きやがって。お前は御家の邪魔者だ!(御家の邪魔になる奴なり)
以後、よくその事を心得ろ!」
そうみっちりと叱りつけた。

これには村田も苦々しく思い反論した
「これは備州殿の御言葉とも思えぬことを。わたしは誰にも慮外なことをしたことなんでありません。
第一、御家の邪魔になった事なんて絶対にありえない!
宿老筆頭に似合わぬ申しようです!」

が、栗山
「おのれがどう見られているか知らないから、そんな風に思うのだ。
いいか、お前ほど邪魔になっている者は、当家の事は言うに及ばず、他家にもありえないほどだ!
若い頃追いつき首の1つ2つ拾った事を鼻にかけ、でかいツラしやがって!
殿様はお許しになっているかも知れないが、この備後は許さぬぞ!
さあ、家中に恐ろしい者があるのか無いのか、ほざいてみろ!(家中に恐ろしき者があるかなきか、一言吐いてみよ)」

そう言うと短刀を抜いて、変な動きでもするか、屁理屈でも言おうものなら一打に殺してやる!という覚悟。
これに村田出羽、頭をうなだれその場に座り込んでしまった。しかし栗山ここで手を緩めるような男ではない。
村田の頭の上から「推参至極な奴めが!いつもの人もなげな息を吐いてみろ!」と踏みつけんばかりの勢い。

この時居合わせた者たちは素早く集まってきたが『村田のやつあんなみっともない姿をしているが、油断のならない
悪戯者だ。ああやって栗山殿の前で恐れいった体で散々に叱られているが、そう油断させて栗山殿を斬りつける
つもりに違いない!その時は我らが出羽に取り付いて簡単に目的を果たさせないぞ!』と一同心に誓った。
流石村田出羽。信頼感はゼロである。

と、栗山が叱るだけ叱りつけ、そろそろいいかな?という頃合いに村田はようやく声を上げた
「さてさて、道理至極にて御座候。当家に恐ろしき者など居ないといったのは、近頃不届至極、沙汰の限りの
発言でした。この事に関して、この出羽も謝罪します。どうかお許し下さい。」
そこで栗山「なら、さっさと引っ込め!」と言ったので、これを塩に村田、すごすごと立ち退いた。
09152/22011/09/15(木) 18:23:04.68ID:9TW0y1e0
それから暫く後、

村田はこころやすい友人たちと語り合っていたとき、相変わらず高言をし、懲りもせず
「恐れながら殿より他には誰も恐ろしい者は居ない!」
とぶち上げていた。これにはさすがに友人たちも呆れて口々に

「おい出羽、あんまり大口を叩くなよ?この間備後殿に斬られかけた時が、流石にみっともなかったぞ?
お前が殿様にあそこまで叱られた話は聞いたことがない。浅ましくて見苦しい姿だったぞ!」

と言ったがこれに村田出羽、笑って
「あれはお前らが言うように、見苦しかったなあ。俺もな、これは堪忍できないと思っていたのだが、
少しでも反論した斬ると言いかねぬ勢いだった。
ジジイめ、あのジジイのことは俺が子供の頃から能く知ってるが、とにかく動きがキビキビしていて、
太刀さばきも妙に早い奴なんだ。
で、うっかり俺が斬られたとしよう。殿様はこれを両成敗になんかしてくれないよ?逆に

『村田のやつは悪戯者だから首を切りたいと思っていたのだが、子供の頃から召使いあれほど
人がましく取り立ててやった以上、不憫に思って今まで助け置いていたのだ。それを斬るとは、さすが備後!』

なんて誉めるぜ!?

その上あのジジイは『しかし村田の子供を助け置いては将来心もとない』なんて言って追放にして、
子供まで野垂れ死に。俺の一類共に死に果てる、というわけだ。
あの男に斬り殺されるなんてのは、犬に食い殺されるような不名誉なことだ!
そう思って堪忍成りがたきを耐えていたのさ。

能く聞いておけ、いつ何時でも、あのジジイには叶わねえ。もし俺が又あのジジイの腹をたてるようなことを
してしまったら、この出羽はどうにかしてその機嫌をとり、それでも機嫌が治らなければ、もう逃げるより他に
道は無い。
これは俺一人に限った話じゃないぞ!?今後一体誰があのジジイの機嫌を損ねるか知らんが、
とにかくあいつは喧嘩好きの恐ろしい奴だ(兎角喧嘩好きの恐ろしき奴めなり)。
お前たちも用心するんだぞ!」

こんな事もあり、村田出羽は栗山備後だけは恐れたが、その他に者には相変わらず無茶なことを
ふっかけていたそうである。

栗山備前怖い。というお話。
(古郷物語)
0916人間七七四年2011/09/15(木) 18:37:17.02ID:REmqb7Y9
栗山さんが生徒指導の先生みたいだ
0917人間七七四年2011/09/15(木) 18:39:36.05ID:X9cJJGcw
>流石村田出羽。信頼感はゼロである。
なんで黒田武士って奴は…

黒田家の話がでる度に
自分の中の、栗山備後さんの株がどんどん上がっていく
0918人間七七四年2011/09/15(木) 19:03:29.90ID:B4f6fVaP
>その時は我らが出羽に取り付いて簡単に目的を果たさせないぞ!』と一同心に誓った。
って、黒田家の人は栗山さん好きだねぇ
アイコンタクトで頷き合う皆さんを想像したw

ところで殿様ってngms?ngmsって恐れられてたの??
0919人間七七四年2011/09/15(木) 19:12:36.65ID:X9cJJGcw
如水さんでは?
0920人間七七四年2011/09/15(木) 19:30:54.50ID:TvNm0z4o
あんま関係ないけど遠賀川と洞海湾を結ぶ堀川作った栗山大膳って備後さんの孫とか曾孫?
0921人間七七四年2011/09/15(木) 19:40:25.42ID:gdJb56VG
大膳は備後の長男
0922人間七七四年2011/09/15(木) 19:53:33.96ID:TvNm0z4o
>>921
ありがとう、小学校の社会の授業の時に黒田藩の堀川の話が出て、
大膳さんだけ名前が出てくるんで妙に印象に残ってんのよ。
0923人間七七四年2011/09/15(木) 19:57:47.81ID:Z/uKzV5p
栗山大膳ったら栗山大膳事件だろ
あれもちょっと悪い話
0924人間七七四年2011/09/15(木) 20:52:23.24ID:HDc85GKv
もう黒田家がDQN高校にしか見えない
0925人間七七四年2011/09/15(木) 21:34:00.22ID:X2uopfih
魁 黒マティ高校
0926人間七七四年2011/09/15(木) 22:52:00.29ID:FCsq89Gf
   、ミ川川川彡                 ,ィr彡'";;;;;;;;;;;;;;;
  ミ       彡              ,.ィi彡',.=从i、;;;;;;;;;;;;
 三  ギ  そ  三            ,ィ/イ,r'" .i!li,il i、ミ',:;;;;
 三.  ャ  れ  三    ,. -‐==- 、, /!li/'/ 村田l'' l', ',ヾ,ヽ;
 三  グ  は  三  ,,__-=ニ三三ニヾヽl!/,_ ,_i 、,,.ィ'=-、_ヾヾ
 三  で       三,. ‐ニ三=,==‐ ''' `‐゛j,ェツ''''ー=5r‐ォ、, ヽ
 三.   言  ひ  三  .,,__/ 栗山   . ,' ン′    ̄
 三   っ  ょ  三   /           i l,
 三.  て   っ  三  ノ ..::.:... ,_  i    !  `´'      J
 三   る  と  三  iェァメ`'7rェ、,ー'    i }エ=、
  三   の   し  三 ノ "'    ̄     ! '';;;;;;;
  三   か  て  三. iヽ,_ン     J   l
  三  !?    三  !し=、 ヽ         i         ,.
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    彡川川川ミ.   l        _, ,   | ` ー、≡=,ン _,,,
              ヽ、 _,,,,,ィニ三"'"  ,,.'ヘ rー‐ ''''''"
                `, i'''ニ'" ,. -‐'"   `/
               ヽ !  i´       /
               ノレ'ー'!      / O
0927人間七七四年2011/09/15(木) 23:03:29.75ID:O3B3TDip
大坂の陣の後の大坂城普請だとすると
村田出羽の言う殿はngmsの事か?

村田出羽は若い頃からの近習だというけど
恐れられるようなところがあったのか?
0928人間七七四年2011/09/15(木) 23:30:00.03ID:Evhmt26N
>>918
子供の頃から〜とか言ってるから長政ですね
村田は如水が息子の遊び相手にほとんど誘拐同然に連れてきた家臣だから、長政もこいつには甘い

つか、長政時代の黒田家ってああいう逸話はあるけど、基本長政専制的なんだけどね
0929人間七七四年2011/09/15(木) 23:54:09.90ID:B4f6fVaP
>>928ありがd
読み直したら栗山さん「ジジイ」呼ばわりされてるので、
ああ、もうngmsが家督した後なんだろうなーとぼんやり思ってました

如水さんは、村田といい又兵衛といい、
エキセントリックなのを息子にあてがう癖があったのか・・・
0930人間七七四年2011/09/16(金) 00:07:48.53ID:CDRE0Chl
とりあえずngmsが先頭で突っ込まない程度の配慮だったりして

ところでngmsや菅正利の賤ヶ岳での活躍は無いですか?
0931人間七七四年2011/09/16(金) 00:21:33.59ID:UTiraLRZ
>>929
獅子は我が子を千尋の谷に落とす的な試練だよ。多分。
0932人間七七四年2011/09/16(金) 00:38:38.70ID:IjqqNn1F
長政の賤ヶ岳の顛末ならまとめにあるよ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3536.html

ここでも栗山さんががんばっているのであった
0933人間七七四年2011/09/16(金) 01:00:21.66ID:CDRE0Chl
ありがとうございます
村田出羽との話しのあとだからか味わい深いですね
0934人間七七四年2011/09/16(金) 06:41:04.64ID:jJD+o/dC
>「わしが当家において恐ろしいのは殿様だけだ!」
色々問題ある人のようだけど主君に対する忠義はあるみたいだから問題ないな
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。