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戦国ちょっと悪い話27

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0001人間七七四年2011/07/12(火) 22:18:10.41ID:tSU9HVMm
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話26
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1304362000/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話27
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1307622844/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0671人間七七四年2011/09/03(土) 14:57:44.79ID:2qeS4u7Z
何となくなんだけど、権現様と織部の関係って太閤さんと利休の関係と被るんだよね。
茶の湯ってそこまで凄いものだったのかねぇ。
0672人間七七四年2011/09/03(土) 15:07:20.62ID:6RFc39b6
その織部も大坂の陣後秀忠に切腹させられてるからな
茶人の末路はせつない
0673人間七七四年2011/09/03(土) 15:08:17.25ID:IugRXrva
今の日本文化は茶の湯が作ったという人もいるからな

茶しばくだけじゃなくて、礼儀作法全般から、
書、絵、陶器などの美術品から、建築や作庭、装束まで網羅するとも言える
今みたいなただの趣味とは意味合いが異なる
0674人間七七四年2011/09/03(土) 16:02:05.00ID:akHi88yC
そういえば秀忠の茶の湯のブレーンは、山本道句といい金森可重といい、古田織部の弟子なんだなあ。
何故かその中に、あの佐久間信盛の嫡男で、信長から例の折檻状で「茶の湯やりすぎ!」って叱られた
佐久間信栄が、茶人として混じってたりするがw
0675人間七七四年2011/09/03(土) 18:19:52.62ID:vfoDCM4N
なんか古田織部は反抗のための反抗って感じで、利休と違ってあんまり同情できないんだよな
茶道のために筋を通したんならともかく他人の嫌がる様をみて喜んで、挙句の果てに大阪方に内通
いつか誰かに殺されてもしょうがない生き方だったと思うよ

まあ>>670の織部は、書き方もあってユーモラスに見えるけどw
0676人間七七四年2011/09/03(土) 18:37:43.88ID:ghZpOZWt
実際の古田織部がどうして内通したかは分からんが
へうげものの古田織部だと茶器を大阪城から盗む為に息子と共謀してたんじゃね?と思えてくる
不思議!
0677人間七七四年2011/09/03(土) 21:26:08.44ID:2qeS4u7Z
動機って点じゃめちゃくちゃ不自然な事件だとは思う。
既に勝負が見えてからの、真田信繁、後藤基次、塙直之。
当時の武将が何考えていたのか、損得だけで動機考えるのって無理があるかな。
ただね、織部が切腹した後の家康の反応がこれまた不自然。
それこそ長安事件と同じ匂いがするんだよね。
0678人間七七四年2011/09/03(土) 21:33:07.51ID:XW0Eps16
師匠の利休とはまた違う意味で、謎の多い死を遂げたのか織部
0679人間七七四年2011/09/03(土) 21:42:38.20ID:akHi88yC
しかし織部は大坂の陣の段階でも大物ってほどでもなく、利休のように政権に深く食い込んでいたわけでもなく、
コネクションがあると言ってもそれが即幕府の脅威になるようなものではなく、
やっぱり単純に、息子が何らかの形で豊臣と通じていたのが発覚して、責任とって連座で切腹、
ってことだと思うよ?
0680人間七七四年2011/09/03(土) 22:15:00.38ID:uz/LElpf
茶道筆頭でしょ? 当時の茶の湯の政治的重要性から考えると十分に重要人物だと思うが。
0681人間七七四年2011/09/03(土) 22:17:36.25ID:81XZEsGI
まぁそう思うだけなら故人の自由ですから
0682人間七七四年2011/09/03(土) 22:28:20.51ID:1e7JzRzD
まあ、マジで内通してたなら切腹じゃなくて斬首ものだよな。
0683人間七七四年2011/09/04(日) 00:16:22.80ID:SGh8Mp4H
へうげものや、上のリンクの逸話を知る前の古田織部のイメージ
・千利休の追放の際、細川忠興と二人で堂々と見送った剛の者
・歪な道具を好んだ粋な茶人
・武士としても活躍

あれ
0684人間七七四年2011/09/04(日) 06:22:18.12ID:a7ThJi9u
茶の湯の文化だけじゃなく、安土桃山の政治史への重要な関わりを知れば知るほど
韓国茶道ってばかみたいと思うの
0685人間七七四年2011/09/04(日) 07:55:39.83ID:J40O4g6A
織部切腹は、徳川家以外に権威があっては好ましくないから始末されたのだと推測
0686人間七七四年2011/09/04(日) 10:30:02.51ID:BZvGkTZF
織部の権勢なんて徳川からみたら屁みたいなもんだろ
0687人間七七四年2011/09/04(日) 10:43:33.72ID:pMlIvP4l
邪魔だから排除した、じゃなくていらないから捨てたってイメージ
0688人間七七四年2011/09/04(日) 12:50:33.00ID:lgImhBFC
切腹まで含めて織部の芸術なんだという気もする
0689人間七七四年2011/09/04(日) 12:53:54.74ID:UuF0Kzeq
へうげなら、最後はさぞ凄い顔芸して終わってくれるだろう
0690人間七七四年2011/09/04(日) 17:06:28.13ID:FiCafuW0
悪い話か微妙だが

浅野幸長が数奇屋を建て直した際、家臣の浅野内膳が使わなくなった建材をもらい受け、自邸に書院を建てた。
新書院お披露目にあたって、内膳は幸長の父・浅野長政と堀親良(秀治弟・長政婿)を茶会に招待した。

当日、内膳みずからの出迎えによって新書院に案内された長政は、その四方を見渡して眉をひそめた。
内膳自慢の新書院、内装は数寄を凝らし華麗を極め、茶器も高価な名物道具ばかりであった。

「内膳よ。千五百石の分限には、過ぎたる振る舞いよな。この長政、かかる贅沢は大嫌いじゃ。
こんな場所で、今日の接待に預かるわけには行かぬな。
真に馳走の志あらば、以前からの部屋でも、亭主が心をこめて接待すれば良いのではないか?」

「も、申し訳ござらぬ!まこと、大殿の仰せの通り。」
「ならば、この書院は要らぬな?」
「え?」
「おーい、みんなー!」

自分はおろか親良の従者まで集めた長政は、命じた。

「この書院を取り壊せ!!」

命に応じた屈強な従者たちは、さっそく袴を脱ぎ、着物の尻を端折って、竣工したばかりの書院を破壊した。
更地になった新書院を見届けた後、長政は以前からの書院で、心行くまで茶を楽しんだ。
(名将言行録より)
0691人間七七四年2011/09/04(日) 17:56:46.22ID:i0k4tUol



こ  れ  は  ひ  ど  い


0692人間七七四年2011/09/04(日) 18:08:45.19ID:UuF0Kzeq
これは

ひどい
0693人間七七四年2011/09/04(日) 18:11:43.72ID:2mN6vEsB
また長政sageかよ
0694人間七七四年2011/09/04(日) 18:12:11.35ID:j+dlDxLg
こんなのってないよ
長政さん的には説教のつもりだったんだろうが
0695人間七七四年2011/09/04(日) 18:14:48.13ID:UuF0Kzeq
浅野長政って、そんなに贅沢嫌いな人だったの?
0696人間七七四年2011/09/04(日) 18:16:49.99ID:eR7hWYuJ
秀吉の縁者の割りに大坂城とかも嫌いだったのかな
0697人間七七四年2011/09/04(日) 19:14:06.33ID:XCrDs8dV
縁者っていっても嫁の方だったよね?
0698人間七七四年2011/09/04(日) 19:20:21.12ID:DfgTYlFG
これは謀反起こしてもいいレベル
0699人間七七四年2011/09/04(日) 19:28:12.05ID:UuF0Kzeq
その後の内膳さんの様子が気になる
0700人間七七四年2011/09/04(日) 19:40:45.28ID:VBtu9ui5
>使わなくなった建材をもらい受け

本来なら捨てるところを再利用してるんだから褒めるべきだろwww
0701人間七七四年2011/09/04(日) 19:49:39.62ID:DfgTYlFG
取り壊される書院が量産型エヴァに食い散らかされた弐号機みたい

内膳「殺してやるっ!」
0702人間七七四年2011/09/05(月) 00:24:20.49ID:in8MiQF5
村重、出家する


信長に謀反して敗れ、天下に汚名を轟かせた荒木村重。
彼は反省するどころか、いち早く降伏して助かった高山右近を恨み、そのためにキリシタン嫌いになっていた。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。
荒木はキリシタンである小西行長を讒訴した。
が、これは失敗し、小西は何ともなかった。

しかし懲りない村重。
ある茶会で秀吉と同席した時、秀吉が右近の話をし始めると、右近を讒訴しようとした。
「殿の讃えられる右近の勇気は実は見せかけのもので、本物ではございません」
「出て行け!右近が裏表の全くない人物であることは俺が良く知っておるわ!」
秀吉の怒りを買った村重は、長く引見を許されなかった。

まだ懲りない村重。
秀吉が小牧・長久手の戦いに出陣すると、京にいた村重は、今度は秀吉の悪口を言い始めた。
これが運悪く北政所の耳に入ってしまい、彼女に叱責された村重は、死刑にされることを恐れ、ついに出家したという。
0703人間七七四年2011/09/05(月) 00:30:08.67ID:91CMIHtn
小物すぎだろ。出家するだけで命が助かってよかったな。
0704人間七七四年2011/09/05(月) 00:31:19.43ID:kXaVKb61
さすが道糞の名にふさわしい男
0705人間七七四年2011/09/05(月) 00:38:20.69ID:8CcnIR3T
>>702
なんか、荒木道糞と名のる人間とは思えない小物振りだな。
0706人間七七四年2011/09/05(月) 01:00:09.18ID:S34bd7Vb
謙遜して道糞名乗ったんじゃなくて
本当に心根クソな奴が開き直っただけに見えてくる
0707人間七七四年2011/09/05(月) 01:52:16.05ID:HzJyI8Kr
秀吉が大物に見える
0708人間七七四年2011/09/05(月) 02:05:30.49ID:67lIseDQ
言った後で周りの反応見て後悔するタイプなんかねw
0709人間七七四年2011/09/05(月) 08:32:52.36ID:qICeGW/6
結局はウコンも追放されキリシタンも絶滅だから荒木さんの言ったことは効いていたわけだ
さすがだ
0710人間七七四年2011/09/05(月) 11:41:39.21ID:UwBRUzbm
元ネタ宣教師くさいなw
0711人間七七四年2011/09/05(月) 12:59:20.67ID:BO/3Tn1L
糞だけに肥やしになったわけだw
0712人間七七四年2011/09/05(月) 13:31:53.49ID:m84arMM+
と言うか荒木は秀吉とトラブッテ織田家から離反したのに何やってんだww
0713人間七七四年2011/09/05(月) 19:39:46.78ID:eGX4MZds
>>693では、俊英・浅野殿age?な話

徳川家康が将軍宣下を受けたばかりのころ。伊達政宗と黒田長政が碁を囲み、それを浅野長政が
見物しているところに、家康が十二、三歳の年頃の少年を伴ってやって来た。

浅野「やっ、これは」
家康「あぁ結構、結構!今日は野暮用で来たまで。これ、わしの甥っ子・亀松。」
亀松「よ、よろしくおたのみもうす!」

政宗「・・・・・・」 パチン
黒田「・・・・・・」 パチン
↑熱中

家康「実は御三方に用というのは、この子に嫁のクチはないか、という話だ。身びいきながらこの亀松、
なかなか見どころあり、とわしは見るのだが。」
亀松(ドキドキ)

政宗「・・・・・・」 パチン
黒田「・・・・・・」 パチン
↑超熱中

家康「あ、あのー」
亀松「・・・・・・(泣)」

浅野「よ、よし!その話、それがしが承る!幸い、わが娘に似合いの年頃の子がおり申す!」
家康「あ、ありがとう!ありがとう!!」

こうして亀松と浅野長政娘との縁談がまとまったそうな。(鎮国神公御遺事)

まぁ亀松、のちの松平定綱的にはすごい当たりクジを引いたのでいい話かも知れないが。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4158.html
0714人間七七四年2011/09/05(月) 19:59:13.18ID:L/hY4Mt4
ワラタw
囲碁に熱中してて聞こえなかったのかな?
0715人間七七四年2011/09/05(月) 20:24:40.54ID:XaMtUpvR
家康よく怒らなかったな
そして浅野さんの空気読みっぷりが泣ける…
0716人間七七四年2011/09/05(月) 20:32:17.50ID:SwzMsc9C
政宗「やっべ、嫌なの来ちゃったよ」
ngms「お前相手しとけよ?」
0717人間七七四年2011/09/05(月) 22:50:35.39ID:4bdQg+E1
この二人が聴いてない訳がない。
聴こえないふりしているに違いないw
0718人間七七四年2011/09/05(月) 22:52:51.63ID:3EaiIco+
間違いなく聞こえないふりだなぁ
いくら集中してても、静かな囲碁で人の声が聞こえなくなることはまずない
0719人間七七四年2011/09/05(月) 22:52:53.02ID:EFUfNwxZ
というかこの時期政宗と浅野は絶賛絶縁中だから、仮にこの3人が本当に集まったとしたら
無言でいるか血の惨劇に成るかしかなかろうなw
0720人間七七四年2011/09/05(月) 22:57:19.18ID:XaMtUpvR
政宗はやりそうだけど、ngmsはここまで出来る立ち位置だろうか
0721人間七七四年2011/09/05(月) 23:04:38.33ID:uAF6fvh2
>>690
そういや
まとめブログで長政多いなってコメあったが
忠政も多いような気がしてきて調べたらこんなにいたw

森忠政
水野忠政
本多忠政
奥平忠政
仙石忠政
鳥居忠政
黒田忠政
安中忠政
榊原忠政
小栗忠政
田中忠政
阿部忠政
松平忠政
戸田忠政
浅井忠政
伊奈忠政
大須賀忠政
神忠政 
0722人間七七四年2011/09/05(月) 23:31:47.63ID:EfQKtJ4u
忠は分かるけど、政って字はどこからそんなに沸いてくるんだろうな
ただ単純によく使われてただけなのか
0723人間七七四年2011/09/05(月) 23:36:37.14ID:EFUfNwxZ
「忠」はほとんど秀忠からの偏諱だね。
「政」はその文字の通り「政治をしっかりやります」との決意なんだそうな。
0724人間七七四年2011/09/06(火) 13:43:20.92ID:RvoOrxfW
大久保忠政もいるね

新しい世代の連中はともかく
三河武士にとって忠政は特別な意味でもあるのかしら
0725人間七七四年2011/09/06(火) 15:12:27.61ID:wPDywm+I
水野忠政かな
0726人間七七四年2011/09/06(火) 18:21:55.35ID:3s40ZfNQ
そもそも「忠」自体
酒井忠次、酒井忠尚
酒井忠親、酒井重忠ら雅楽助一族
本多忠勝、本多忠政、本多忠朝ら本多一族、
大久保忠世、大久保忠佐、大久保忠隣、大久保忠教ら大久保一族
鳥居元忠、鳥居忠広、鳥居忠政
徳川秀忠、徳川忠長、松平康忠、松平康重、松平忠吉ら徳川一族、
他に伊奈忠次、榊原忠政、阿部忠秋
などなど・・三河衆でよく使われてるから・・。
「政」は当時人気だったし。
0727人間七七四年2011/09/06(火) 18:41:56.67ID:E6IJRtTE
島津一族忘れんなよ
伊集院、川上、新納、北郷、樺山、町田、佐多など支流も含めたら結構な数になるぞ
0728人間七七四年2011/09/06(火) 19:53:06.17ID:RvoOrxfW
他にも
内藤忠政
大岡忠政
稲垣忠政
丹羽忠政

と見つかるね

>>726
当時の武士からすると「忠」も大事に考えて多用したのかなあ?
それにしても三河衆の忠政率半端ないな
0729人間七七四年2011/09/06(火) 20:01:26.97ID:3s40ZfNQ
>>728
忠次「なんで殿は忠の字が入っておらぬのじゃ!」
忠勝「我等三河衆の旗頭ともあろうかたが、ありえん!」
元忠「そうじゃ!長松公に忠の字をお付けしよう!」
忠世「乗った!」
秀吉「ちょっとまて。秀の字は必ずつけよ。」
忠佐「じゃあ下に忠をつけるんじゃ!」
家康「・・・・・・。」

こうして独自性は無いが有能な秀忠をそのまま表すかのような名前、「秀忠」が誕生した。
なんちゃって。
0730人間七七四年2011/09/06(火) 20:06:38.24ID:1GMLn5sr
特に家は関係なく忠なんてのは武士にとって重要な概念の一つだし
その中でも三河武士の性質に合ってたとか、今でもあるように流行の
文字ってのもあったかもしれない。

秀忠の偏諱にしてもそもそも秀忠の忠の字はどっから来たんだっけ?
とか思ってたら>>729

そういや家康からの偏諱ってあんま無い気が
0731人間七七四年2011/09/06(火) 20:09:55.24ID:IIXMTDq4
島津忠恒が家康の偏諱を受けてたような
おかげでかぶってしまい、悪の方の、と後世言われることに
0732人間七七四年2011/09/06(火) 20:17:03.56ID:ONKexbTL
吉川元春は陶隆房(晴賢)と義兄弟の契りを交わしている。
それにはこんないきさつがあった。

毛利父子が山口に来ていたとき、大内家家臣の相良武任が義隆に提案した。

「義隆様、元就が尼子になびかないように、
 がっちりハートキャッチしとかなきゃいけませんよ。
 隆元に関しては、内藤興盛の娘なら義隆様に血筋も近いし
 あれを養子ってことにして隆元と婚姻契約結びましょう。
 あと、次男の元春、いい男っぷりですよね!
 元就と並び立つ良将の器って評判ですよ!
 で、ウチの陶隆房と元春を義兄弟にしちゃいましょう。
 隆房も勇猛さでは西国一です。
 あの二人に先陣を任せれば、かの蒙古の堅陣だって簡単に破れますよ!」

「グッドアイデア!」と思った義隆が、さっそく元就を呼んでこれを伝えると、
元就もこの提案を大いに喜んだ。

そんなわけで、大内の毛利つなぎとめ政策の一環として、
元春と隆房は義兄弟になったという。
夢もロマンもありゃしねぇので悪い話。

ちなみに三男の隆景については、義隆様が直々においしくいただきました。
「又四郎隆景は容姿はなはだ美なりしかば、義隆卿男色の寵愛浅からずして」って
陰徳記に堂々と書いてある。
0733人間七七四年2011/09/06(火) 20:18:46.46ID:FMAob7Di
>>730
秀忠の忠は、松平家に代々伝わる由緒正しい文字なんだと聞いた
あと家康からの偏諱は

榊原康政
島津家久(悪久)
最上家親
牧野康成
有馬康純
本多康俊
内藤家長
二条康道

まだまだいると思う
0734人間七七四年2011/09/06(火) 20:20:51.50ID:jT3E161s
伝統の処刑法


太閤秀吉の側室の1人が病気になった。
秀吉は彼女にいくらかの金銀を持たせ、療養のために実家に帰してやった。
しかしここで不幸な誤解が起こる。
彼女は「もはや側室ではなくなった」と誤解してしまったのだ。
そして別の男と再婚し、一子を儲けた上、秀吉に挨拶しに来てしまったからさあ大変。

「久しぶりじゃな。一体どこにいたのか」
「夫の家です」
「……は?」



「 ノ コ ギ リ 挽 き じ ゃ !」


夫婦は1本の柱に縛り付けられた状態で、腰まで地面に埋められ、竹製のノコギリと共に放置された。
しかし、通行人が少なかったのであろうか、3日経っても夫婦は死なず、結局普通に斬首された。
なお、女の母親、女の子供とその乳母は火あぶりにされた。
0735人間七七四年2011/09/06(火) 20:24:06.39ID:FMAob7Di
>>732
政略結婚もとい、政略兄弟の契り
大内義隆って、隆元も美味しくいただいてなかったっけ?
0736人間七七四年2011/09/06(火) 20:37:34.59ID:yeZlZEIy
男子は手当たり次第…
さすが中国の男色王の名は伊達じゃないな
0737人間七七四年2011/09/06(火) 20:37:57.81ID:ONKexbTL
>>735
十五、六の少年が三年も山口にいて、あの義隆に手を出されなかったとしたら、
そっちのほうが不名誉ではなかろーか。
隆元は人質初日から贈り物攻めで大変大事にされたようだし、
当時の日記に義隆と隆元同宿の記述もあるようだし……
毛利家としては権力者に愛されて大変けっこうなことじゃないのかなw
0738人間七七四年2011/09/06(火) 20:38:51.97ID:1GMLn5sr
>>733
言われて見るとそこそこいますな、蜂須賀家政とかもたぶんそうだよね、姻戚でもあるし。
ただ、家康のビッグネームを思うとそれでも思ったより少ないイメージではあるんだけど
よく考えたら家臣以外におおっぴらに名前1字くれてやる、なんてことが出来たのは
秀吉死後〜秀忠2代将軍誕生までの数年間だっただろうし、それ考えるとなんか納得
0739人間七七四年2011/09/06(火) 20:41:24.87ID:IIXMTDq4
>>734
通行人が少なかった、より
通行人が、鋸引きの理由を知って憐れんだor恨みをかうのを恐れた
のような気がする
0740人間七七四年2011/09/06(火) 20:47:57.28ID:FMAob7Di
>>736
あの時代、男色は珍しくないと言われても
俺はノーマルでもほいほい食っちまうんだぜ というセリフが凄く似合うよね義隆さん
0741人間七七四年2011/09/06(火) 20:57:46.88ID:rLAdTtyh
うむ。
0742人間七七四年2011/09/06(火) 21:05:16.02ID:ONKexbTL
>>740のせいで青い狩衣を着た阿部さんが夢に出てきそうだ
0743人間七七四年2011/09/06(火) 21:13:28.58ID:3s40ZfNQ
「息子があの好色野郎に!」
なんてきれて離反する君主いそうだなw
0744人間七七四年2011/09/06(火) 21:42:53.33ID:FMAob7Di
出世の為に娘を差し出す奴もいただろうが
出世の為に息子を差し出す奴もいたんだろうか
0745人間七七四年2011/09/06(火) 21:48:16.37ID:q77qVkIq
>>734
こんなことばっかやっているから家も胤も跡形なくなるんだな
0746人間七七四年2011/09/06(火) 22:12:01.21ID:pit7FXLf
>>745
秀吉のイメージを貶めるために後世に作られた話も多いけどね
主家を滅ぼした徳川家にすれば秀吉が悪党であった方が都合がいい
0747人間七七四年2011/09/06(火) 22:18:42.04ID:FLHqO/Q0
>>744
基本中の基本だろ
お手つき小姓上がりで出世した武将なんてゴマンといるぞ
0748人間七七四年2011/09/06(火) 22:29:44.80ID:wJtlgc53
松永弾正はまず美少年の弟が召し抱えられ、その縁で自分が取り立てられたとか
0749人間七七四年2011/09/06(火) 23:06:04.33ID:DlOiYxB3
松永弟は丹波の赤鬼に殺されたんだっけか
0750人間七七四年2011/09/06(火) 23:32:21.91ID:YWEGgz/Z
家康からの偏諱なんてめっちゃいるでしょうよ
榊原康勝
大須賀康高
石川康通(家成の子
0751人間七七四年2011/09/06(火) 23:43:58.81ID:YWEGgz/Z
ごめん途中で書き込んじゃった

あと
家康の弟の康元、康俊兄弟、
依田康国(信蕃の子)
柴田康忠
本多康重
松平家清
戸田康長
松平家忠

などなど…
あとはなんといっても松平康安
「やすやす」って…
0752人間七七四年2011/09/06(火) 23:46:57.44ID:FMAob7Di
>>747
ああ基本なんだな
それでトラウマになっちゃった子とかいるのかなあ
0753人間七七四年2011/09/06(火) 23:50:18.80ID:ONKexbTL
元就が義隆さんち行くのに当時花の盛りの隆景を連れて行く時点でゲフンゲフン。
「差し出す」と言うとネガティブなイメージだけど、
隆景を義隆の強力な庇護下に入れるのは、隆景本人にとってもいいことだよ。

同じ「陰徳記」からになるけど、隆景が継いだ小早川は、
家格からすると姉婿の宍戸などより低く、座配も下座だった。
ところが義隆の推挙で「屋形号(尊称)」をもらえたので、
宍戸より上座に座ることが許されたそうだ。当時は格式に厳しかったんだな。
たぶん家中での発言権も周囲の国人への影響力も増したはず。
0754人間七七四年2011/09/06(火) 23:53:42.55ID:FMAob7Di
これも閨閥って言うんだろうか…
0755人間七七四年2011/09/07(水) 00:18:35.80ID:aba4rV/4
> 秀忠の偏諱にしてもそもそも秀忠の忠の字はどっから来たんだっけ?

家康の松平家は「康」と「忠」が交互に使われてるんじゃなかったっけ。
じゃあ信康はっていうと、「信忠」は使えねえということか?


> 出世の為に息子を差し出す奴もいたんだろうか

家光の御代には「尻の誉れ」という悪口があったという話があるが、ホントかね
0756人間七七四年2011/09/07(水) 00:49:51.37ID:oRDOMkAJ
でも家康以前の当主を見ると、「忠」は隔代で使われてるけど「康」はそうでもないんだよね
清康のじいちゃんの長親は長忠と名乗っていた可能性もあるらしいし
0757人間七七四年2011/09/07(水) 00:55:49.40ID:DNcsBP+/
>>752
恥ずかしい話じゃないし、普通に楽しんだんじゃない
好き嫌いはあるだろうけど
0758人間七七四年2011/09/07(水) 01:11:42.21ID:DyIf0scV
>>755>>756
松平初期は初代親氏由来の「親」が多いね
「康」は清康が勢
力広げたのにあやかる意味でそれ以後に使われだした感じ
0759人間七七四年2011/09/07(水) 01:56:02.44ID:S3Wladoi
秀吉は秀の方はかなりばら撒いたが、
吉の字はそうでもないような、大友吉統くらい?
なにか理由でもあるのかな
0760人間七七四年2011/09/07(水) 02:14:52.47ID:o7T9r3mJ
>>746
逆もあるだろ
秀吉がやったあくどいことを信長のせいにしてたり
0761人間七七四年2011/09/07(水) 02:31:40.80ID:J8aLuBdL
>>746
秀吉は家康の「主君」だったので実はあまり貶められていない。
貶められたとしても中心は「唐入り意味がなさすぎる酷すぎる」って事で、その残虐性というのは
江戸期にはあまり取り上げられてないね。秀次事件なんかもむしろ「秀次が悪い」って太閤史観が
そのまま受け継がれてたし。
0762人間七七四年2011/09/07(水) 02:40:23.88ID:aba4rV/4
>>759

>吉の字はそうでもないような、大友吉統くらい?

大谷吉継は、秀吉からの一字拝領という説とそうじゃないという説があるみたいだね
0763人間七七四年2011/09/07(水) 02:43:45.25ID:rtmyKiZn
>>761
そのかわり三成と茶々がモロに割食ってるよな
0764人間七七四年2011/09/07(水) 03:04:01.57ID:TUkkEK5t
そういえば秀吉は山崎の合戦の後くらいから明らかに「残酷で直情的な信長」ってイメージを増幅させる
宣伝工作やってるなあ。秀吉が編纂させた天正記なんかの信長像もそんなだし。
その上で、信長の忠臣でありながら彼の残虐性をよしとしない秀吉、ってイメージを広めてた感じ。
0765人間七七四年2011/09/07(水) 06:59:35.98ID:nRx8OIWG
>>763
加賀藩士「名越小十郎」先生の雑記曰く「史書の人物像はあまり信じるな」

「阿国歌舞伎」から丁度百年記
「主人公は名古屋山三郎でなるべく史実に沿って書いて!」

と任されたのは代々加賀国の史料編纂に代々携わった一族名越小十郎(名古屋山三郎の玄孫)


「名越高家流は家祖「北条高家」にハジマリ・・・(略 名越高範の代で今川国氏の次女を娶り代々今川の・・・(略
今川義忠に仕えた中興の祖「那古屋蔵人高信」が一代で那古屋城を起こし・・・(略
駿河の国より養子氏豊を迎え・・・(略 尾張の虎に那古屋城盗られ・・・(略 
蔵人は信秀に娘を差し出し・・・(略 一門織田に組みする事・・・(略 

継いだ蔵人実孫の名越因幡守は・・・(略  松下嘉兵衛の間者(スパイ)と疑われていた
十五歳の「木下藤吉郎」を助け・・・ これが後々山三郎の代で・・・(略

信長公の命を受けた因幡守高久は伊勢上野に移りしは・・・
山三郎母信包女共々、小谷の方子女を預かりて幾年・・・(略

当主因幡守が伊勢上野で臥せば・・・嫡男於千も続け様に病で倒れ・・・
山三郎、一門男子「今川氏秋(今川氏豊の孫)」の世話に成り、槍術の指南を受けるも・・・
氏秋、本能寺で明智勢に敗れ・・・ 十の頃の山三郎いよいよ男子の身寄りなくなりて・・・

かつての藤吉郎こと秀吉公の手厚い庇護もあり・・・(略
一族子女は・・・かねてよりの姉分、茶々姫のご助力ありて・・・」



幕臣「ちょっと誤字脱字が数箇所見受けられたんで修正しておきました!」


「名越因幡守は・・・人質として織田に送られた「松平竹千代」を匿いし・・・(略
身寄りがなくなり・・・(略
かつての竹千代改め「神君家康公」の手厚い援助に命を救われし・・・(略
名越一門、豊臣の縁者なれど石田治部の謀事に気付き・・・家康公に組みす事、森右近殿に・・・

淀殿、淫乱かつ艶美なれば・・・名古屋山三郎に思いを懸け・・・不義なる事・・・
大坂が亡びしは、他でもない淀殿の不正より起りし・・・」

名越小十郎 「おーい最初の趣旨はどこいったー!」と幕臣を叩いて失業しかけた。
0766人間七七四年2011/09/07(水) 07:32:25.10ID:YNmUUbZu
つまりパニクってて門番斬っちゃったりするドジな一面はあるけど
意外と穏和な性格の鬼武蔵も有り得るかも知れないと。
0767人間七七四年2011/09/07(水) 07:44:53.18ID:D3AGk44L
スレ違いですまんのだが、
足利将軍さんたちの「義」はどっからくるんだっけ?
0768人間七七四年2011/09/07(水) 09:45:10.76ID:6ao8lC8k
>>759
>>762
田中吉政とか堀尾吉晴あたりはどうなのかな?

例外はあるとしても「吉」の字は子飼いが多い感じか
0769人間七七四年2011/09/07(水) 11:31:03.67ID:MqAQQoUL
>>759
>>768で出てる田中吉政、堀尾吉晴もそうだけど、他にも毛利吉政(勝永)、小出吉政、
木村吉清、別所吉治、三好吉房などたくさんいる
0770人間七七四年2011/09/07(水) 12:19:10.75ID:JyCPRZSB
>>755
松平信忠は家康の曾祖父にいるし、あやかる程の人でもない。(むしろ家臣達に強制的に隠居させられた人)からね
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