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戦国ちょっと悪い話27

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0001人間七七四年2011/07/12(火) 22:18:10.41ID:tSU9HVMm
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話26
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1304362000/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話27
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1307622844/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0583人間七七四年2011/08/29(月) 20:13:16.48ID:N3FqdAgo
>ある時、八丈島に江戸への廻船が漂着した。さっそく宇喜多秀家がやって来て

また酒をせびりに行ったのかと思ったよw
0584人間七七四年2011/08/29(月) 20:29:52.40ID:G7S70noy
>>582
蜂須賀家と宇喜多家って何か確執あったっけ?
0585人間七七四年2011/08/29(月) 20:30:31.28ID:q5Apfb6S
漂着した船に最初に近づくのは宇喜多秀家と決まっていたと想像させるなw
0586人間七七四年2011/08/29(月) 20:35:26.87ID:UeTBVAd1
>>580
 砂を食ったために死んだと正直に記録しない程度の情けは豊臣家中にも存在した。
0587人間七七四年2011/08/29(月) 20:36:02.04ID:EzRAhmuq
何も無くて暇なんだろうな…
0588人間七七四年2011/08/29(月) 20:36:37.99ID:HzqxeYRg
>>584
「えっ、あのおっさん西軍やったやん?」くらいじゃねーかな?
0589人間七七四年2011/08/29(月) 20:55:35.78ID:eG7S93P8
関ヶ原時は家政は高野山にひきこもり、息子の至鎮は東軍についたから
西軍じゃなくないか
0590人間七七四年2011/08/29(月) 20:56:32.12ID:YhD5zXjH
>>582
そういや秀家が知ってるのは「湯漬け三杯食ったと思ったらいきなり領地返上して高野山に引きこもった」ところまでだったな。
0591人間七七四年2011/08/29(月) 20:58:32.01ID:EzRAhmuq
>>589
西軍に攻められてあっさり城明け渡したから
事情詳しくない人には加担したと見られてもおかしくないかも
0592人間七七四年2011/08/29(月) 22:07:47.30ID:CSlBG1Vt
しかも至鎮が率いていたのは、十数人程度の小勢じゃなかったっけ?
0593人間七七四年2011/08/29(月) 22:22:08.48ID:e96XCm4/
阿波国内は毛利氏の家臣団が占拠された上、家政自身は逼塞を余儀なくされたみたいだし、
蜂須賀家政が西軍という認識は秀家にはなかったと思うけど、おそらくは蜂須賀といえば正勝以来の
豊臣家にゆかりの深い家だっただけに、「あれ、取り潰されてないんだ」という違和感を持ったって話かな
0594人間七七四年2011/08/29(月) 22:35:12.20ID:YhD5zXjH
蜂須賀黒田浅野といえば、ちょっとでも胡散臭い大名には無理やり羽柴姓を名乗らせた秀吉から羽柴姓を押し付けられなかった譜代中の譜代だからな。
一方で揃って松平姓押し付けられてるけどw
0595人間七七四年2011/08/29(月) 22:46:34.91ID:N6m879jK
秀家が流刑になったの1606年だから知ってるでしょうよ
0596人間七七四年2011/08/29(月) 22:48:24.16ID:eG7S93P8
福島正則の改易前なら、同じく家康の養女をもらっている
蜂須賀が取り潰されと思うのは変な気も
改易後なら・・・酒をせびる相手がいなくなったから、新しい標的にしようと思ったんだろうか
0597人間七七四年2011/08/29(月) 22:50:28.97ID:q5Apfb6S
秀家「あれ?酒は?」  って話じゃないの?
0598人間七七四年2011/08/30(火) 01:49:45.84ID:oJQXviBU
羽柴姓受領と豊臣を名乗ることは
この時期どの位の価値があったのかよくわからん
豊臣朝臣清正って名乗ってなんで怒られたの?
0599人間七七四年2011/08/30(火) 02:20:33.82ID:tHRXCUMQ
>>598
朝鮮役の頃は豊臣姓授与が武功への一種の褒美として与えられていたようで(だから陪臣でも
豊臣姓がやたら居る)勝手に豊臣姓を名乗るというのはその褒賞秩序も破壊する行為に成る。
0600人間七七四年2011/08/30(火) 18:16:28.85ID:NhNyIOAq
江戸城中で、松平大和守直基が大坂の陣について雄弁を振るった事があった。

・・・が、大坂の陣の時に、直基はまだ元服も済ませておらず、活躍したのは兄の忠直や直政である。
同席した諸侯に、かの戦で自身も傷つきつつ戦った者や、親族を失った者も存在する中での直基の語りは、
人もなげな振る舞いに見えた。

そんな時、ツカツカと直基に近づいたのは我らが権中納言前田利常であった。

「大和殿・・・じゃーん!」
「きゃ――――――――――っ!!!」
(原文:大和守殿の側へお寄りなされ、足を捲り、慮外がましき体・・・)

利常お得意の露出狂攻撃を食らった直基は、目の色を変えて立ち上がり、諸侯も「これは事じゃ。」と
身構えたが、二人は何事もなく立ち別れた。


十日ほど過ぎたある日、富山藩主・前田淡路守利次(利常次男)は、直基に呼び止められた。

「おお、淡路殿!わしは利常殿の所へ参り、申し上げたき儀があるが、公儀にはばかりあり、それもならぬ。
貴殿も然るべき旨、お心得あれ。」
「し、承知。(ヤベェ!中納言の親父殿には直接仕返しできないから、オレに意趣返ししようってか?)」
困り果てた利次は、義弟(利常婿)の浅野光晟に相談した。

「ああ、それは私が大和殿に、義父上の
『ウチもようやく犬千代という孫(のちの綱紀)が出来ましたが、初めて犬千代が殿中へ上がる際には、
大和殿に介添えを願い申す』という言葉を伝えたからでしょう。大和殿、スゴい喜んでましたよ?」

“斯様の儀、御方便と存ぜられ候”と、「微妙公夜話」は結んでいる。
もう鼻毛殿は下に何もはかなくていいと思う。
0601人間七七四年2011/08/30(火) 18:25:25.37ID:ZstUeY06
利常は下の話しか逸話がないのか
0602人間七七四年2011/08/30(火) 20:56:44.22ID:gKE0G6lL
上の話は鼻毛しかないので、上下話題に事欠かない、ってことで。
0603人間七七四年2011/08/30(火) 22:23:53.19ID:yOxGOvdE
世はまさに戦国…
フランスはじめ世界の国々が創価を危険なテロカルト認定。

【創価・集団ストーカー犯罪】とは、

加害者達が集団で、被害者を鬱病や統合失調症に仕立て上げ、
社会から抹殺しようとする凶悪な犯罪です。

この犯罪は海外でも存在し、アメリカではテレビでも報道され、
【生命倫理に関する大統領諮問委員会】も開かれています。

日本では20年以上も隠蔽され続け、年間自殺率3万人以上と増加の一途。
一刻も早く集団ストーカー犯罪を規制する法律が必要です。

0604人間七七四年2011/08/31(水) 00:37:04.15ID:mangm6AO
主君替え、四人目

父親が謀反人という、ちょっとワケありの織田信澄のもとで
与右衛門は武功を重ねていた。
丹波小山城攻めでの功により黄金一枚を受けて良馬を買い、
続く籾井城攻めでは騎馬隊として戦い、兜首二つを獲得した。

やがて、欠員補充の穴埋め人事とはいえ、母衣隊に抜擢されることになった。
しかし禄高は依然、八十石のままだった。

母衣隊ともなれば、馬は必須のこと、厩を整え、馬具を揃え、世話人を雇わねばならない。
良い飼料も絶やしてはなるまい。
八十石では、足が出た。
馬を肥やせば自分が飢える。

思い余って与右衛門は訴えた。
「恐れながら、このままでは存分な戦働きができません!」

「で、あるか。」

信澄はまともに取り合わなかったのである。
ここは思案のしどころだった。
他家に仕官を求めるか、このまま八十石で飼い殺されるか。
さすがに、餅代も事欠くほどの浪人暮らしはもうごめんだった。

だが、
「(セコいそ、甥っ子!!)」
右衛門はついに、信澄のもとを辞したのだった。

三たびの浪人暮らしである。
大望を抱くも、郷里近江周辺をぶらつき(安近短で手を打ったわけだ)、
先輩・知り合いを訪ねては軍議と称して手柄話しを披露した。

羽柴小一郎秀長との出会いは、もうまもなくである。
0605人間七七四年2011/08/31(水) 01:39:35.38ID:S4m81Z/k
藤堂さんの主君替えシリーズきたー
こんな兵糧攻めみたいな人事されたら仕える相手を替えざるを得ないって
0606人間七七四年2011/08/31(水) 01:49:55.11ID:v+j4tj8Q
当時の俸禄が貫高じゃなくて石高・・・
0607人間七七四年2011/08/31(水) 02:04:16.95ID:mangm6AO
またやった、すみません。
×右衛門 ○与右衛門
0608人間七七四年2011/08/31(水) 05:53:10.22ID:tE8DPw4L
母衣に抜擢されたからって禄も増やしてもらえるわけじゃないし
0609人間七七四年2011/08/31(水) 06:46:22.01ID:3LjQ10Tn
けんもほろろ
0610人間七七四年2011/08/31(水) 10:14:20.20ID:zs4fZMPY
維持費は増えたのに収入はそのままだからな
0611人間七七四年2011/08/31(水) 15:42:53.17ID:cVYVs/k6
いい話にしたものか悪い話にしたものか迷った。僕らの微妙院様・前田利常公のお話

慶長20年(1615)大阪の陣の時の事だという。
この時、16歳の出雲松江藩3代・堀尾忠晴は堂々たる初陣を遂げた。
忠晴は絶世の美少年として知られていたが、彼の美々しい初陣姿はまさに天下無双だと大いに評判になった。
と、この忠晴の姿を一目見て心を射抜かれたものがあった。そう、我らが加賀百万石太守・前田利常(当時19歳)
である。

利常は堀尾忠晴とお近づきになりたかった。深くお付き合いしたかった。
大阪の陣が終わると利常は早速、共通の知人である幕府旗本の竹中左京に仲立ちを依頼、月見の宴を開き
そこに忠晴をお誘いすることに成功した!

当夜。
前田邸に堀尾忠晴が訪れた瞬間からもう心臓がバックんバックンの利常公。
周りは気をきかせ二人っきりに。
が、利常、あこがれの美少年が側にいることに緊張しまくり、彼にどんな言葉をかけていいのか、
何を話題にすれば良いのかわからない。
そんな状況に堀尾忠晴も退屈そう。そこで利常がようやく搾り出した言葉が

「つ、つつ、月が綺麗ですね。」

もっとロマンチックな言葉がかけられると思っていた所、この恋愛したての中学生あたりが
告白の時動転して言いそうなセリフに堀尾忠晴もガッカリ

「そんなに月が綺麗なのなら、どうぞお一人でご覧になって下さい」

こんな言葉を投げ捨て座を立ち、そのまま帰ってしまった。利常、手痛く振られてしまったのだ。
これに利常の落ち込みようは半端ではなく、周りもすっかり困り果てた。

と、それからしばらくして、今度は堀尾忠晴の方から利常に「またあなたの所にお訪ねしたい」と言ってきた。
落ち込んでいた利常、今度は有頂天である。その日は屋敷の中を大いに飾り立て彼を迎える準備に大わらわ!
今度こそ自分の思いの丈を忠晴に伝えるんだ!そこに堀尾家から書状が!

『やっぱ行けないやゴメン by忠晴』

このドタキャンに利常は本気で落ち込み完全に塞ぎ切った。正にジェットコースター。憔悴甚だしく、家中の
者たちの言葉も虚しいだけである。そして日が暮れた頃、暗い前田邸に、「堀尾山城守(忠晴)からの使者」という者が
訪れ、前田利常へ直接会って主人の言葉を伝えたい、と言ってきた。
ところがこの使者、侍ですら無い、ごく身分の低い下男であるという。

「いけません!そんな下賎の者に前田家の当主たる殿が直接会うなど!」

家臣たちは揃って反対した。それも当然であろう。前田家といえば御三家にも並ぶ最高の格式を持つ家なのだ。
だが利常の忠晴への想いは本物であった!その前には家臣たちの反対など何ほどのものであろうか!

「堀尾殿が内々に私に伝えたい事があるに違いないのだ!どんな身分の低いものでも直接会わねばならぬ!!」

人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて何とやら。利常、家臣たちを押し切りその使者に直接会った。ところが
その使者は!

「私です」「あっ!?」

なんと、それは下人に変装した堀尾忠晴本人であった。彼は利常の自分への想いが本物であるかどうか、
こうやって試していたのである。魔性の美少年にもほどがあるぞ堀尾忠晴。

とまあこうして相手の気持ちが本物であることを知った忠晴と前田利常は、それ以後想い想われる仲になったと
言うことである。めでたしめでたし。
(寧固斉談叢)
0612人間七七四年2011/08/31(水) 16:00:31.58ID:s2fv4nWQ
魔性すなぁ
0613人間七七四年2011/08/31(水) 18:17:51.15ID:tLab+ljF
微妙すなぁ
0614人間七七四年2011/08/31(水) 19:32:17.99ID:prUpXMoj
戦国ちょっとホモ話
0615人間七七四年2011/08/31(水) 19:56:34.12ID:v+j4tj8Q
堀尾の思考パターンが
完全に女に見えるんだがw
0616人間七七四年2011/08/31(水) 20:02:51.09ID:glJgJGDD
女・忠晴 はじまったな^^
0617人間七七四年2011/08/31(水) 20:04:30.65ID:hGB7AKfa
いよっ、御両人アッー!アッー!だね
0618人間七七四年2011/08/31(水) 20:07:38.38ID:FQDgtgnw
漱石が「I love you」の訳語を「月が綺麗ですね」
にしたのを踏まえたネタだと思ったんだけど、原文にそう書いてるのだろうか
0619人間七七四年2011/08/31(水) 20:08:36.92ID:6eJZV5Sn
忠晴は利常のどこに魅かれたんだ…
普通に考えれば引く手数多だっただろうに
0620人間七七四年2011/08/31(水) 20:13:27.69ID:zCy8ZROv
忠晴もなんでこの露出狂に惹かれたんだろう…
0621人間七七四年2011/08/31(水) 20:49:02.78ID:kyQAoyB/
忠晴もこうしてみるとほんとに惜しい人をなくしましたって感じだな


いろんな意味でw
0622人間七七四年2011/08/31(水) 21:19:20.87ID:X+qoPoyA
うむ、おかげで松江藩はいろんな家にたらい回しにされた挙句、
松平不昧公のおかげで財政危機に
0623人間七七四年2011/08/31(水) 21:23:39.84ID:hGB7AKfa
>>620

信長公を虜にした父親の股の槍左譲りの名槍持だったとか
それなら自慢したくて露出したくなるのも判る気がする
06241/22011/09/01(木) 18:18:36.05ID:+mTkqkUA
朝倉義景の侍大将・黒坂備中守景久は、山狩りに出た際に熊に出くわし、手槍を折られながらも
鉄拳でもって熊を殴り殺し、以来その熊革を馬印にしたという強力大剛の男だった。

ある日、景久が折からの大雨に伴い、水のあふれた足羽川を巡検していると、向こう岸に目が不自由らしき
杖をついた男がウロウロしているのが見えた。どうやら座頭が、川を渡ろうとしているようである。

「お〜い、出水じゃ、あぶないぞ!!」
景久の呼びかけにも関わらず、座頭は服を脱いで褌一丁になると、氾濫する川に杖をさして歩き出した。
座頭は危なげなく川の中を歩き続け、やがて七分目まで来たところで、大岩に当たって止まった。

思わぬ障害物に小首を傾げた座頭であったが、杖を流されぬよう褌に突っ込み、両手で大岩を抱えると、
「えいやっ!!」
と気合一発、大岩を転がし、行く手から除けてしまった。大岩は、そのままゴロゴロと下流へ流れて行った。

無事に川を渡り切った座頭を、景久は招き寄せた。
「いやぁ天晴れ!お主、あれほどの大岩をも動かすとは、いったいどれ程の力があるのじゃ?」
「まあ、大抵のヤツにゃあ負けんと思いますが力試しは、した事がありません。」

「そうか。我こそは熊の馬印、黒坂備中!わしも自分の力を試してみたい。いざ勝負!」
「よっしゃ!恐れながら、お相手せん!」
06252/22011/09/01(木) 18:20:35.81ID:+mTkqkUA
「しかし相撲等で争っても、どこまで土俵やら分からんお主が不利。ここはシッペの張り比べと行くか。
お主が勝ったら、銀二枚をやろう。わしが勝ったら、せいぜい念入りに按摩をしてもらうぞ。」
「面白いですな。その勝負、乗った!」

「では、備中様からどうぞ。」
「よーし、行くぞぉ!」指に力をみなぎらせた景久は、遠慮なく座頭の手首を張った。
「……っ!わ、ワラビが触りましたかの?」手首に青アザを作りながらも、座頭は耐え切った。
「さぁ次は俺の番じゃ!どぉれ、備中守様のお腕は……おう、ここか?!」

手探りで景久の腕を掴んだ座頭は、さらに確かめるように景久の腕をしごいた。その痛いの何の、
皮膚は下ろし金をかけられたように痺れ、骨がきしんだ。
(やばい。これはヤヴァイ。)
座頭が指を振り上げた瞬間、景久はとっさに馬の鐙を取り、腕にかぶせた。

バ ッ チ ィ ィ ィ ィ ィ ン ! !

「痛ううう!!さ、さすがは熊退治の備中様。俺の負けじゃ。」「ふ、ふん。口ほどにも無いの。」
強がりを言った景久だったが、鐙が指の形にくぼんでいるのを見てさすがにビビり、座頭を士分に取り立て
家臣に加えてやったそうな。(鏡花随筆)

真柄兄弟とかこういうのがいる朝倉氏や、金棒や丸太が獲物の坂東武者を率いる北条氏が
織田・豊臣に滅ぼされるのも歴史の不思議……でもなかったりする。
0626人間七七四年2011/09/01(木) 18:37:14.87ID:ZHueUlKb
ちょっとは知恵があって汚い事もできないと天下はね、
って、あれ?
0627人間七七四年2011/09/01(木) 19:03:03.24ID:LYt/qTxW
……こんなんに按摩されたら骨砕けるんじゃね?
0628人間七七四年2011/09/01(木) 19:21:01.99ID:3+7HXbDB
いや、怪力でも盲者を士分にとりたててどうするんだ?
子供とかが勇者になるだろうと期待?
0629人間七七四年2011/09/01(木) 19:44:44.33ID:dm3WrxJx
1600年の関が原の戦いの直前の事である。徳川家康に従う黒田長政らの東軍と、対立する石田三成の
西軍が合渡(ごうど)川を挟んでにらみ合っていた。そこでこちらから攻めるべきか、あるいは相手が動いた所を
迎い撃つべきか東軍の大名達の間で議論となった。この時、藤堂高虎は

「又兵衛、貴殿の意見が聞きたい。」

と後藤又兵衛に尋ねたのだが、主君の黒田長政は

「ふん、又兵衛の意見など聞いてどうなる!」と横やりを入れた。

陪臣の身でありながら大名に意見を求められたのが面白くなかったのかもしれない。しかし又兵衛も
長政のそんな態度に慣れっことばかりに

「勝つにしろ負けるにしろ、打って出ない事には家康公に顔向け出来ますまい。」

自説を主張。この意見を聞いて出撃した東軍の先頭に立ち、渡河の一番乗の名乗りを挙げる際も

「我は後藤又兵衛なり!」と「黒田家家臣」である事を言わなかった為、またも長政の気分を害したという。

以上、長政と又兵衛の溝が益々深まってしまったお話。
0630人間七七四年2011/09/01(木) 19:49:52.41ID:S0jTlGiO
>>625
「武家事記」によると、浪人時代の明智光秀が最初に仕官したのが黒坂さん
だそうな。仕官する際に黒坂さんにすごい技を披露したのかな。
0631人間七七四年2011/09/01(木) 19:57:38.37ID:iYm2bJ12
>>628
目が見えないことなんか戦うハンデにはならない








ソースは男塾の月光な
0632人間七七四年2011/09/01(木) 20:13:12.17ID:3+7HXbDB
気配で周囲を察していたのに、透明なブーメランは分からない人は帰ってください
0633人間七七四年2011/09/01(木) 20:48:20.16ID:p/xhdv6C
>>629
相手の発言や行動のことごとくがいちいち気に障るんだろうなあこの2人の関係
それが上手く働くと微笑ましい笑い話になるんだけど…
0634人間七七四年2011/09/01(木) 20:53:52.15ID:6aZ2QESu
やっぱり又兵衛は長政の事舐めてるのか
長政がいちいち絡んでうぜーと思っているのか
0635人間七七四年2011/09/01(木) 21:12:35.24ID:dto5IQHT
又兵衛が出てくるたびに長政の小物感が一層引き立つなぁ・・・w
0636人間七七四年2011/09/01(木) 21:18:27.65ID:YM7LBfgY
そら後世成立の又兵衛ageの逸話なんだから当たり前っしょ
0637人間七七四年2011/09/01(木) 21:20:09.06ID:6aZ2QESu
長政は犠牲になったのだ…
0638人間七七四年2011/09/01(木) 21:36:31.90ID:Qgxyh5dJ
又兵衛相手じゃなくても、長政は小物臭しかしない
0639人間七七四年2011/09/01(木) 21:41:40.11ID:iYm2bJ12
武辺に関しては自分の息子にすら対抗心燃やしてたよな
0640人間七七四年2011/09/01(木) 22:54:44.76ID:YM7LBfgY
違うだろ
小物臭くしてる逸話の長政が小物臭いだけだろ
0641人間七七四年2011/09/01(木) 23:14:06.74ID:4xp8mB1D
江戸時代は槍働きが無いから死を賭けた諫言が最上級の忠義
武士に生まれたからは一度はやってみたい諫言。って時代だったそうで
ある程度功をなした家臣はみんな機会を狙っていたとか
こういう逸話を好んで量産した黒田家は後々まで忠義者が多かったのかもね
0642人間七七四年2011/09/01(木) 23:23:22.02ID:tr+CvJPh
そういう諫言を許している長政は大物だと思うんだけどな
0643人間七七四年2011/09/01(木) 23:30:26.58ID:D1bZpdM/
「諫言を好む」というのも名君の条件だしね
0644人間七七四年2011/09/01(木) 23:41:39.92ID:6aZ2QESu
家康も、諫言してくれる家臣は大事にせよと言ってるしな
0645人間七七四年2011/09/02(金) 07:03:10.68ID:IaNqQLCp
けど一つ間違うと勘違いしたことをねじ込んでくるバカ家臣だからなー。
江戸期には抜擢した下級家臣と藩政改革しようしてる時に、阻止しようと「諌言」した重臣が多い。
そのくせ、通らなくても浪人する度胸もなくてぐちぐち言い続けるという。
0646人間七七四年2011/09/02(金) 08:31:06.14ID:pjrKKvXb
そのくせ、いざ自分が殺されそうになったら、主君を無実の罪で訴えたりな
0647人間七七四年2011/09/02(金) 20:21:48.04ID:YR3KCkeD
又兵衛の再仕官先をことごとく潰すべき書状配りまくった時の長政は小物臭しかしないな
嫌いな武将では無いけど、親父が生きてた頃は良い意味で小物臭を放っていたのに
例えるなら親父生存時の長政=クリリン
親父死亡後の長政=ヤムチャみたいな感じ
0648人間七七四年2011/09/02(金) 20:28:46.26ID:BFHfy2D5
父に「不肖の息子」と見下されていたせいで性格がねじ曲がった長政、
同情すべき所はあるが近寄りたくはない奴だ
0649人間七七四年2011/09/02(金) 20:35:46.70ID:VnF+4ujX
長政はけっこう又兵衛を信用していたみたいなのにな
黒田家中では孤立していたような
大坂でもハブっぽいし、コミ障の気でもあったのか
同僚に嫌われる人となりだったのか
0650人間七七四年2011/09/02(金) 20:45:58.37ID:HK5hZHU2
>>648
どっちかってーと又兵衛の方が近寄りたくないな、悪い意味でめんどくさい。
0651人間七七四年2011/09/02(金) 20:50:55.38ID:IaNqQLCp
結局、又兵衛って如水が使わないとダメな人だったとしか思えんな。
大阪の陣でも自分の功名しか考えてないし。
0652人間七七四年2011/09/02(金) 20:51:50.28ID:a5gvGlmq
又兵衛は大阪城では兵卒に人望高かったみたいだけど、違う逸話でもあるの?
つうか、あの大坂城でカリスマ性を発揮できる奴なんているのかね
0653人間七七四年2011/09/02(金) 20:56:43.26ID:p64izSXP
兵卒に信頼してもらう
上司に信頼してもらう
同僚に信頼してもらう

これはそれぞれ違う能力だからね
又兵衛には一番上しかなかったんだと思う
0654人間七七四年2011/09/02(金) 20:56:52.10ID:IaNqQLCp
軍議で真田信繁と並んで自分がおいしいところを持って行こうと自己主張しまくって、
まともな作戦を作らせず
0655人間七七四年2011/09/02(金) 20:58:54.93ID:a5gvGlmq
ずいぶん又兵衛に辛い人たちがいるけど、黒田家の人?w
0656人間七七四年2011/09/02(金) 21:10:33.18ID:VnF+4ujX
その如水にしても、長政にあんまり又兵衛を信用するなと言ったという逸話があるくらいだからね
0657人間七七四年2011/09/02(金) 21:14:50.24ID:lM0e+K4h
>>653
スカウトした大野修理には信頼されてたような
0658人間七七四年2011/09/02(金) 21:35:29.12ID:kI6EdSaZ
>>653
俺の中で又兵衛のイメージがハートマン軍曹で固定された
0659人間七七四年2011/09/02(金) 21:48:47.78ID:YR3KCkeD
乱世においてはリスクを補うだけのメリットがあったけど
平時においてはリスクしか無い武将の典型だったんだろ又兵衛
でも諸大名に門前払いする様に仕組んだ長政も上司としては大概だと思う
>>654
あの面子で真田に重要箇所を任す大阪方の采配はハンパ無いけどな
ホモにニートにアスペにカルトとか長宗我部さんかわいそう
0660人間七七四年2011/09/02(金) 21:50:05.96ID:9cpoU8IS
又兵衛は判官贔屓の典型のような。
それで好意を持った人たちが調べてみてもあまり感動するような逸話が無い。
仕方ないのでとりあえず長政を悪く言っておこうかみたいな。

でもまあ名将には違いないだろうし
次の戦国大河は真田か黒田かと言われてるくらいなんだし
印象悪くともネタは歓迎。
0661人間七七四年2011/09/02(金) 22:07:54.90ID:IaNqQLCp
>>659
いや、毛利さん嫁も子供いるんだからホモじゃねえだろ
0662人間七七四年2011/09/02(金) 22:11:26.02ID:EZoNJ7tn
バイだな。
男色を嗜む武将は多いけど男色専門はそういない。
0663人間七七四年2011/09/02(金) 22:12:24.09ID:/tsr3TT+
判官びいきで人気な奴には碌なもんがない
0664人間七七四年2011/09/02(金) 23:14:23.13ID:a5gvGlmq
逸話スレなんだし、脱線はここらへんにしとこうぜ
0665人間七七四年2011/09/03(土) 00:29:16.90ID:r1U96zuY
母里さん→滅茶苦茶だけど長政の事大切に思っている。
後藤→長政ディスリまくり。
逸話だけだとこんな印象受けるわ。
0666人間七七四年2011/09/03(土) 01:05:27.38ID:XW0Eps16
いい話も悪い話も、言ったもん勝ちなんだなあ結局
0667人間七七四年2011/09/03(土) 01:22:16.03ID:XotMuuQv
又兵衛はなんか、愛が足りないよな
0668人間七七四年2011/09/03(土) 02:42:40.61ID:xA/3ksQW
愛されてはいたが、そのせいかな
0669人間七七四年2011/09/03(土) 12:20:32.05ID:APsTrRyG
あげ
0670人間七七四年2011/09/03(土) 13:40:36.56ID:zAQjJHSq
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5420.html
このお話で佐竹陣でハゲ頭のおかげで負傷した古田織部さん。その後日談


慶長19年(1614)11月27日、古田織部は将軍徳川秀忠の元を訪れ

「いやはや!先日佐竹義宣の陣に訪れた時、堤の陰より放たれた銃弾が左の眼の辺りに当たりました!」

と語ったが、秀忠はそれに感心のない様子で、すぐに別の話題を始めた。
後で秀忠の近習たちがこの事について語ったことには

「自分の陣所で傷を負うなら忠節というものだろうが、軍令に背いて他人の陣所に行って流れ弾にあたって
負傷するなど、不覚なだけではないか。」
と笑いあったという。

しかし先の逸話で
> 「ああ、この初めての手傷を自分の担当する仕寄で負ったなら、少しは御感に入ることも出来ただろうに、
> よりにもよって他所の仕寄で負うとは、これでは丸損ではないか。」

って自分で言ってるのに、それでも一応、ものは試しに言いに行ってみたんですね、織部さんw
(難波戦記)
0671人間七七四年2011/09/03(土) 14:57:44.79ID:2qeS4u7Z
何となくなんだけど、権現様と織部の関係って太閤さんと利休の関係と被るんだよね。
茶の湯ってそこまで凄いものだったのかねぇ。
0672人間七七四年2011/09/03(土) 15:07:20.62ID:6RFc39b6
その織部も大坂の陣後秀忠に切腹させられてるからな
茶人の末路はせつない
0673人間七七四年2011/09/03(土) 15:08:17.25ID:IugRXrva
今の日本文化は茶の湯が作ったという人もいるからな

茶しばくだけじゃなくて、礼儀作法全般から、
書、絵、陶器などの美術品から、建築や作庭、装束まで網羅するとも言える
今みたいなただの趣味とは意味合いが異なる
0674人間七七四年2011/09/03(土) 16:02:05.00ID:akHi88yC
そういえば秀忠の茶の湯のブレーンは、山本道句といい金森可重といい、古田織部の弟子なんだなあ。
何故かその中に、あの佐久間信盛の嫡男で、信長から例の折檻状で「茶の湯やりすぎ!」って叱られた
佐久間信栄が、茶人として混じってたりするがw
0675人間七七四年2011/09/03(土) 18:19:52.62ID:vfoDCM4N
なんか古田織部は反抗のための反抗って感じで、利休と違ってあんまり同情できないんだよな
茶道のために筋を通したんならともかく他人の嫌がる様をみて喜んで、挙句の果てに大阪方に内通
いつか誰かに殺されてもしょうがない生き方だったと思うよ

まあ>>670の織部は、書き方もあってユーモラスに見えるけどw
0676人間七七四年2011/09/03(土) 18:37:43.88ID:ghZpOZWt
実際の古田織部がどうして内通したかは分からんが
へうげものの古田織部だと茶器を大阪城から盗む為に息子と共謀してたんじゃね?と思えてくる
不思議!
0677人間七七四年2011/09/03(土) 21:26:08.44ID:2qeS4u7Z
動機って点じゃめちゃくちゃ不自然な事件だとは思う。
既に勝負が見えてからの、真田信繁、後藤基次、塙直之。
当時の武将が何考えていたのか、損得だけで動機考えるのって無理があるかな。
ただね、織部が切腹した後の家康の反応がこれまた不自然。
それこそ長安事件と同じ匂いがするんだよね。
0678人間七七四年2011/09/03(土) 21:33:07.51ID:XW0Eps16
師匠の利休とはまた違う意味で、謎の多い死を遂げたのか織部
0679人間七七四年2011/09/03(土) 21:42:38.20ID:akHi88yC
しかし織部は大坂の陣の段階でも大物ってほどでもなく、利休のように政権に深く食い込んでいたわけでもなく、
コネクションがあると言ってもそれが即幕府の脅威になるようなものではなく、
やっぱり単純に、息子が何らかの形で豊臣と通じていたのが発覚して、責任とって連座で切腹、
ってことだと思うよ?
0680人間七七四年2011/09/03(土) 22:15:00.38ID:uz/LElpf
茶道筆頭でしょ? 当時の茶の湯の政治的重要性から考えると十分に重要人物だと思うが。
0681人間七七四年2011/09/03(土) 22:17:36.25ID:81XZEsGI
まぁそう思うだけなら故人の自由ですから
0682人間七七四年2011/09/03(土) 22:28:20.51ID:1e7JzRzD
まあ、マジで内通してたなら切腹じゃなくて斬首ものだよな。
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