細川幽斎が京の東に馬を進めていた時、道の真ん中にゴロンと大石が転がっているのを見つけた。

「なんじゃこれは?これ、あの石には何か云われがあるのかね?」
突然の異様な光景が気になった幽斎は、近隣の住人に大石の事を聞いてみた。

「ああ、ありゃ蒲生飛騨守様のせいでさあ。」
「…ああ……アレ
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そう、アレから怒りの収まらぬ我らが蒲生塾長、京洛に石を置きっ放しにしていったのだ。
「こんな事になっていたとは。」
さすがにあきれた幽斎は、歌を一首置いてその場を去った。

“大石を 道にかまふ(構う・蒲生)に 引き捨てて 飛騨の匠も 及ばざりけり”
(委細構わぬ蒲生飛騨が、巨石を置いていってしまった。飛騨の名工とて、どうする事も出来まい)


しばらくして後、石の横に落書が立てられた。

“大石を 道にかまふと 見るこそは 身にも掛からぬ しらをいふさい(幽斎)”
(面倒が自分の身に降りかからん思うて幽斎はん、しらばっくれた事言うてはるわ。
同じ大名として、他に言う事・する事あるんちゃいますの?)


「越後在府日記」から、蒲生巨石祭りの何だか冴えない後日談でした。
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も畿内の商人だろうし、幽斎さんなぜか都雀とは相性が悪いようで。