天文六年( 1537)、石山本願寺の法主・証如は困っていた。
京の将軍足利義晴より、『献金せよ!』との上意を受けたからだ。

無理な話であった。本願寺がそれまでの本拠地であった山科本願寺を攻め滅ぼされたのは
6年前の天文元年の事である。本願寺は未だそこからの再建途上にあり、はっきり言えば
財政がかつかつで、献金する余裕など無いのである。
証如はそれを理由に、献金の免除を懇願した。

しばらくして、証如のもとにこんな情報がもたらされた

『公方様(義晴)が、本願寺の態度に激怒している』
しかもそれだけではない

「彼の要脚のこと、進上せざれば御敵たるべし」
(献金の要請に応じないのなら、本願寺を将軍の『御敵』と認定するぞ!)
との意向を表明しているというのだ。

証如と本願寺指導部はこれに慌てた。先にも言ったように山科本願寺落城の記憶も
未だ生々しい時期である。将軍の御敵とされれば、今度こそ本願寺の存続が危ういかもしれない。

結局本願寺は無い袖を振りどうにかして金を集め、将軍への献金を行ったということである。

軽視されがちな室町将軍の、実際の権威というものが見えてくる逸話である
(天文日記)