太閤検地の悪い話

小田原北条氏が秀吉によって滅ぼされると、奥羽の地にも中央から役人は来て測量検地を始めた。
最上義光の所領の出羽山形の測量の割り当てになったのは忍城攻めでは良いところのなかった石田佐吉三成。
部下を叱りつけながらあれもこれもと細かく注文をつけつつ、測量の指示をしていった・・・ハズであった。

三成「これでおおよそこの辺の計測も終了か。
上山、蔵王、山形、天童、余目、こっちの完了分は小国と大石田か・・・」
部下「こちらの報告書はどこに置いておきます?」
三成「村山か・・・。表紙を付け、そっちに纏めておいてくれ」
部下「は、わかりました。・・・ん?今測ってきたのって最上だけど、殿は村山って言ってたよな。こっちの気のせいか・・・」

部下は最上地域の測量表に「村山」の表紙を付けた

従来、上山・山形・天童は「最上」地域
その北の新庄・村山方面は「村山」地域とされていた

現在、上山・山形・天童は「村山」地区
その北の新庄・村山方面は「最上」地区とされている

誰が悪いかはっきりはしないが、太閤検地で地名が入れ替えられたまま、誰も修正できなかったバツの悪い話。