松山城のロープウェイとリフトの山頂停留所広場の辺りを長者ケ平(ちょうじゃがなる) と呼んだ。

ここに昔邸を構えていた長者、元はこの山の麓に住み、貧乏に苦しんで、毘沙門天に願をかけた。
毎日境内に茂る雌竹を一本づつ持ち帰り、庭に植えて貧乏脱出を祈りつづけた。
すると満願の夜、ついに夢中に毘沙門天が登場した。

 「お前の熱意に感動した!よって福をあたえる。あ、竹は全部返しとけよ」

彼は喜んでその通りにした。その後とんとん拍子に成功し、日ならずして長者となった。
そうなると、貧乏時代にはペッされた遠縁の者までむらがり来てクレクレする浅ましさにあきれ果てた。
苦労ばかりだけど昔の生活の方がよかったなあと思うと、その財を湯水のように使い果たして一文無しになり、
長者平の邸でとうとう餓死してしまった。
人々はこの山を『かつえ(飢え)山』と呼び慣わしたという。

加藤嘉明は築城地の下見にいった足立重信からその話を聞くと
「かつえ山、というか…(縁起悪ぃな…そうだ!)
 それは勝山の聞違いであろう、以後は勝山とよべ」と言ったという。