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信長の政権構想

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0001人間七七四年2011/07/08(金) 23:08:34.20ID:VvKOAPQw
信長王権論は近年中華皇帝と推察されているが・・・

・天皇、朝廷、公家、幕府の行く先は?
・三職推任問題
・なぜ暦に口出しをしたのか?
・なぜ平氏なのか?
・自己神格化の目的とは?
・ボンサン、牛頭天王、第六天魔王。信長の宗教観とは?
0008人間七七四年2011/07/09(土) 21:53:07.77ID:JOfwtfro
>>3
信忠も官位が辞退しまくりなんだが
つまり親子揃って脅迫
0009人間七七四年2011/07/09(土) 22:02:02.74ID:c8pR7vwO
日本語でおk
0010人間七七四年2011/07/09(土) 22:27:30.18ID:McSP37RG
記録調べる自分に限界があるだけで自称とはいかに
0011人間七七四年2011/07/09(土) 22:41:19.64ID:c8pR7vwO
信長は藤原、平とコロコロ名乗りを変えてるからな。
どう見ても自称です。
0012人間七七四年2011/07/09(土) 22:50:36.00ID:McSP37RG
両方の血が入っているなら途中で変えたり親子で違ったりするのはよくある話です
家格で貰える官位と同じく男子直系と言うわけではないですよ
0013人間七七四年2011/07/09(土) 23:03:22.38ID:McSP37RG
血が入ってると言う表現はちょっと違うかな
親戚になってた事があるにして下さい
0014人間七七四年2011/07/09(土) 23:59:41.82ID:c8pR7vwO
そうやってあいまいな縁戚関係や血縁関係を持ち出して高位の姓を名乗ることも、仮冒や自称と呼ぶのですよ
0015人間七七四年2011/07/10(日) 00:01:00.03ID:OM0ARPj9
>>10
専門家に言ってくださいね。
つか信長の家系を調べるなんて物理的に無理。
四代前から既にあやしいんだから。
(先祖を調べるのにどれくらい手間隙費用がかかるか、わかってる?)
学者が「自称」としてるのは調べられないから、じゃなくて織田が平家だとする、その系図が怪しいから。
恐らくは忌部氏だろうというのが大方の見解。
0016人間七七四年2011/07/10(日) 00:07:58.98ID:OM0ARPj9
>>8
信忠は拒否したんじゃなくて、親父に無断で受けるのを断っただけ。
親父の承認後ちゃんと受けてる。
また子供だけでなく家臣の官位も貰っているからなあ。
朝廷を脅迫どころか、朝廷の権威を利用しまくり。
0017人間七七四年2011/07/10(日) 00:14:49.92ID:ajICtktt
まあまともな歴史学者は確証がない限り自称なんて言葉は絶対使わないけどね
わからないOR間違ってるOR正しい としか言わない
0018人間七七四年2011/07/10(日) 00:21:17.17ID:OM0ARPj9
てことは確証があるから自称平氏と言ってるんだろうな。
0019人間七七四年2011/07/10(日) 00:28:53.18ID:ajICtktt
誰が言ってるの?自称って
0020人間七七四年2011/07/10(日) 00:54:22.07ID:OM0ARPj9
佐々木銀弥氏とかね。
大体学術論文でもない限りエッセイなどで書くのはかまわんと思うが。
それに信長が平氏なのは怪しいということが問題であって、言葉尻を捉えてストップさせないでくれよ。
0021人間七七四年2011/07/10(日) 00:59:00.50ID:ajICtktt
すまん おいらもレスしながらそうおもってた 謝るよ
0022人間七七四年2011/07/10(日) 01:04:26.27ID:UWQTsyM7
じゃあ話題を戻して

平氏を称した時期に政権思想が反映されてるとした説があったね。(源平交代思想)

これについてどう思うか
0023人間七七四年2011/07/10(日) 01:04:28.69ID:OM0ARPj9
いやこちらこそムキになって言葉がきつくなった。
というよりエラソーになった。
あやまります。
0024人間七七四年2011/07/10(日) 01:36:00.55ID:LNPfdsww
信長政権には誇大な妄想が広がりすぎてると思うのだが。
足利関東管領の上杉謙信が死んだのが1578なら、その時点でも武田勝頼
は存命。天下布武といっても、京都やその周辺を抑えただけで三好長慶とかの
レベルを少し大がかりにしただけの天下。三職といっても足利将軍がいる
以上何になっても旨味がないと思ってたのではないかな。
おれはそんなもんにはならないよ、ってのは信長のポーズというか、
それ自体が対朝廷工作だった気がするのだが。
0025人間七七四年2011/07/10(日) 12:07:04.56ID:hMusKoRP
>>7
鎌倉幕府にしてからが四代目の藤原義経以降、源氏ではないのだが。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B0%86%E8%BB%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7
0026人間七七四年2011/07/10(日) 22:25:24.57ID:M/ntDP8K
おいおい「義経」じゃなく「頼経」だろ。
つかウィキを引っ張ってきて威張られてもなあ。
なんていうか予想通りのレスをありがとう。
人のレスをちゃんと読んでる?
俺は「武家の征夷大将軍」と言っている。これは「幕府の将軍」と言う意味じゃなくて
>>4(これも俺)を受けていっているから「征夷大将軍たる武家」という意味ですよ。
九条頼経は武家じゃないよね。
むろん宗尊異惟康久明守邦、ついでに護良成良も武家ではない。

九条は摂家で清和源氏なんかより遥か上の家格だから将軍でも遜色ない
(北条の第一希望は皇子だったけどね)。

結局武家政治700年間、清和源氏以外の武家の征夷大将軍はでなかった。
0027人間七七四年2011/07/10(日) 22:30:03.98ID:NRS2wY2J
無理やりな区分けだな
0028人間七七四年2011/07/10(日) 22:37:54.56ID:M/ntDP8K
>>22
これも「三職推任」と同じで周囲の状況を考えれば、それほどエキセントリックなものでもないと思われ。
現存で信長が平氏を名乗った最古は元亀二年になる。おそらくこの数年〜1年ほど前から平氏を名乗ったのだろう。
義昭との確執が明らかになる頃だが、この時期に「源平交代」を全面に打ち出し「お前にとって代わるぞ」という
意思表示をするだろうか?
ただでさえ包囲網で苦しんでいるのに、背面の義昭をこれ以上刺激するだろうか?
俺は逆に「あんたにとって代わる気はない」という意思表示の「平氏」だと思う。
明石散人などが言っているように、源氏を名乗ればそれは足利将軍家を重んじていないことになる。
織田のような陪臣上がりが清和源氏はおこがましい。
徳川のように同じ清和でも新田流であればまだしもだが、これも捉えようによっては危険。
源平交代思想は江戸時代になってポピュラーになったのじゃないか、というのが俺の考え。

とここまで書いて、まったく逆も成り立つことに気づいた。
信長は義昭と決別すること、下風に立たないことを明確にするために「平氏」としたと。
この場合源平交代はこの時代にかなり普遍的になっていることになる。
0029人間七七四年2011/07/10(日) 22:40:25.47ID:M/ntDP8K
>>27
義経を藤原に区分するほうがよほど無理やりだろうが。
歴史を知っている人間に聞けば百人が百人とも九条は武家とは言わない。
宗尊以下皇族将軍も武家じゃないことは明白。
九条家が武家だというのなら、誰がそういっているか、教えてくれ。
0030人間七七四年2011/07/10(日) 22:41:38.83ID:M/ntDP8K
加えて義昭が現職の征夷大将軍であったこともお忘れなく。
0031人間七七四年2011/07/10(日) 22:47:03.89ID:LEwLpIYq
鎌倉四代将軍藤原義経(笑)
0032人間七七四年2011/07/10(日) 23:00:03.01ID:LEwLpIYq
冗談はさておき、武家公家の区別はそれほど厳密じゃないと思う。
上杉や北畠姉小路なんかはどうなる?

織田は右大臣までなって、家格は充分だと思うよ。
義昭が現職ってのがネックだが、義材(義稙)→義澄→義稙のように
将軍職を奪われるということもあるだろう。
0033人間七七四年2011/07/11(月) 00:07:19.10ID:Iw2TtEXi
>>16
お前アホなの?嘘つくなよ。
まったく信忠の官位も上がってねぇよ
0034人間七七四年2011/07/11(月) 00:23:47.29ID:C02ff+Xj
>>33
『寛政重修諸家譜』
松永弾正を討ち取った後、京へ入り、その時朝廷は三條西実枝を遣わし、従三位中将に拝し、
昇殿を許した。
しかし信忠は「父に告ずしてこれを拝すは臣子の道にあらず」と固辞している。
すぐに信長の許しが出たので勅命を拝したとある。

ところでお前の「信忠も官位が辞退しまくり」は具体的にいつの事?
0035人間七七四年2011/07/11(月) 00:26:25.36ID:C02ff+Xj
つか「官位が辞退しまくり」じゃなくて、それをいうなら「官位昇進を辞退」だろ。
信忠は位階も官職も辞退してないからね。
0036人間七七四年2011/07/11(月) 00:32:21.89ID:qf8cmSHE
「官位が辞退しまくり」ってww
日本語に不自由しまくりだろ、コイツww
0037人間七七四年2011/07/11(月) 09:10:43.80ID:gFLvKpky
まあ、なにはともあれ「源氏以外は征夷大将軍になれない」ってのは根拠がない。
0038有名なコピペ2011/07/11(月) 09:14:08.52ID:gFLvKpky
秀吉が征夷大将軍になれなかったというのはありがちな俗説です。根拠はないです。
「征夷大将軍就任は源氏以外なれない」という誤解ですが

まず源頼朝以来、源氏以外で征夷大将軍になったものはいない。
というのは大間違いです。三代の実朝が死んで以降は執権北条氏は京都から藤原頼経などの公家を招いて
形だけの征夷大将軍になってもらい自分たちが実権を握りました。
当然、実朝以降の鎌倉時代の将軍は源氏ではありません。ここを見てください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B0%86%E8%BB%8D%E...

豊臣秀吉が小牧長久手で勝てなかったから征夷大将軍になれなかったもなんの根拠もなく、
基本的には「なれなかった」のではなく「ならなかった」だけです。
これは戦国時代当時は征夷大将軍は劣った古臭い権威でしかなかったからです。
室町幕府などあってなかったようなものでしたし、将軍も簡単に殺されたり傀儡にされたりしてました。
9代の義澄から放浪が始まり、14代の義輝は殺され、15代の義昭は痩せ馬を与えられて京都を追放されで、
当時の征夷大将軍という地位に対する認識などそんなものでした。秀吉はそういうのよく見ていました。

征夷大将軍の開いた幕府政権というと、我々は江戸幕府の影響で屈強のものを想像しますが、
実を言うと江戸幕府以前は征夷大将軍の政権は、一度たりとも成功したことがないのです。
室町幕府はあの通りの開店休業幕府。
鎌倉幕府は三代で源家の者は執権北条家に全て謀殺され、北条家に乗っ取られる。
征夷大将軍の政権は徳川家の江戸幕府があくまで最初の成功例なのですよ。

そんなわけですから、そういうのを見ていた豊臣秀吉が征夷大将軍の政権ではなく、
新たな大きな権威を持った権威・政権を模索して関白に就任し新たな形の政権づくりを行ったわけです。
しかし、悲しいかな、秀吉は晩年にボケてしまい、磐石の政権づくりはできませんでしたが。
単に秀次を後継者にしていただけでも豊臣政権は維持できていたに違いないのです。
0039人間七七四年2011/07/11(月) 14:42:57.30ID:mp5Ger+A
暦に口出しすると何かいいことあるのか?
0040人間七七四年2011/07/11(月) 15:11:31.70ID:tPecdIuC
宇宙を支配した気分になれる
0041人間七七四年2011/07/11(月) 15:24:13.47ID:mp5Ger+A
自己満足かw
0042人間七七四年2011/07/11(月) 16:30:25.18ID:+J77NFed
だからウィキペディアレベルの知識なら誰でも知ってるっての。
九条は摂家、宗尊以降は皇族。
武士で征夷大将軍は源氏しかなっていない。
朝廷ってのはガチガチの慣例主義、先例主義だ。
皇族や摂家が征夷大将軍になったからといって、清和源氏河内流以外の武家が
征夷大将軍になれるという理由にはならないよ。

同じ理由で関白は五摂家のみ。
秀吉の偉いところは藤原を超える姓豊臣を作り出したことだ。
0043人間七七四年2011/07/11(月) 16:32:37.15ID:+J77NFed
つかウィキやコピペ(それも室町幕府が「開店休業幕府」だというお粗末な認識の)で
論証したつもりになるとは、リアルに中学生か何かか?
キミは一度氏、姓、家格といったものをきちんと調べた方がいいよ。
0044人間七七四年2011/07/11(月) 17:16:02.46ID:sNLmLnf1
平知盛が征夷大将軍になったとかいうけど?
0045人間七七四年2011/07/11(月) 17:25:13.14ID:sNLmLnf1
まあ自分で言っといて何だが、知盛のは俗説で、根拠が無いけどね。
つか豊臣は姓でなく氏だろ?
お前も氏と姓について調べなおせよ。
まあウィキペディアで調べない方がいいが。

ただ将軍になるには源氏であったほうが、という源氏将軍神話みたいなものはあったようだ。
とはいえ平氏を名乗った信長が将軍になれないというわけではないだろう。
確かに朝廷は先例慣習にやかましいが、逆に言えば先例さえ作ってしまえばいいわけで、
力を背景にそういった例もないことはないのでな。
実のところ三職推任問題はわからないことが多すぎる。
確かに関白を提示するのは不自然だからな。
0046人間七七四年2011/07/11(月) 17:27:39.11ID:sNLmLnf1
そもそも、三職を言い出したのが主語無記載のせいで朝廷なのか信長なのか分からない
公家の価値観からすると、関白・太政大臣と征夷大将軍を同列にすることは考えがたいので、
根が田舎者の信長から言い出したのだと思うが 。
0047人間七七四年2011/07/11(月) 18:01:02.37ID:HTVN2tUy
それはさすがに言いすぎ。
上総守なんて言っちゃった若い頃とは違い、有職故実に通じたブレーンがいたから
>>42はやたら家格にこだわっているけど、征夷大将軍単独ではそれほど高いものではない
九条がなったんだから、それを先例として藤原でもなろうと思えばなれたろう
武家では源氏、は結果論からのこじ付けだと思うよ
>>45のいう「源氏将軍神話」みたいなものはあったろう
それでも平氏はなれないという論拠にはならないな

関白太政大臣と征夷大将軍では、貴族側から見ればバランスに欠いているだろうけど
「武家の棟梁である」征夷大将軍という認識は、貴族側にもあったんじゃないか
だから一概に信長のごり押しとは言えないだろう

暦、つまり時を支配することは帝王のみ許される
改元なんかと同じくね。だから臣下は奏上はするが決定権は天皇にある(形式として)
信長がどこまでそれを意識していたかわからないが、有職故実に通じたブレーンがそれを
分からぬわけはないから、やはり天皇への干渉だろうね
0048人間七七四年2011/07/11(月) 18:04:40.04ID:+9WtiZhg
時を支配する帝王www
0049人間七七四年2011/07/11(月) 18:17:29.68ID:c1SfaEIT
五の宮を天皇にして上皇気分だろ
で、信忠を征夷大将軍にして、公武両家の頂点に立つ腹積もりだったかと

と同時に朝鮮を攻める
0050人間七七四年2011/07/11(月) 18:33:41.50ID:gFLvKpky
>>43
>>38のは日本史板にあった名スレの結論だよ。
確か「信長は天皇をどうしようとしてたか?」というような
スレタイトルだったと思う。
0051人間七七四年2011/07/11(月) 18:39:07.56ID:EDWifn2R
>>42
>朝廷ってのはガチガチの慣例主義、先例主義だ。
>
>同じ理由で関白は五摂家のみ。
>秀吉の偉いところは藤原を超える姓豊臣を作り出したことだ

矛盾してね?五摂家を越えることが出来るなら源氏将軍の壁も越えれるだろ。そんなものがあればだが
0052人間七七四年2011/07/11(月) 18:39:19.29ID:gFLvKpky
なんにせよ、現職の征夷大将軍が全国流浪したり、
殺されたりするような政権が到底、マトモには思えないのだが。
0053人間七七四年2011/07/11(月) 23:33:21.92ID:4EwjfWnu
二人、または二グループとも(どの二人かは明白だと思うが)「俺は正しい、お前バカ」的な態度はやめてほしいな。
これじゃどこまでいっても平行線だよ。
「数世代前の知識」とか「リアルで中学生」とか、煽らないとレスできないのかい?

まず「武家将軍は」さん(グループ?)だけど、あなたの言ってることはあくまで結果論であって、
俺たちの言ってるのは前提の話なのね。結果が武家は清和源氏のみだからと言って、前提もそうだったとは
誰もいえない訳よ。そうだったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。
他の人が言及した「源氏将軍信仰」はあっただろうということは専門家が言ってるけどね。
結果を前提にまで伸ばして色々言われても相手は納得できないと思う。
あなたの言いたいこたわからんでもないがね。
それと相手がウィキペディアやコピペの引用でしか論証できないと言ってるけど、
自分は論拠を述べずに自分の意見を押し付けてるだけじゃん。

「源氏だけじゃない」さん(グループ?)も、相手を摂家将軍や皇族将軍の存在を知らない
無知だといわんばかりのウィキペディアの引用は、議論をこじらすだけ。
相手はあくまで「征夷大将軍たる武家」について言ってるんだから。
ウィキペディアってのはね、誰でも編集できるからガセネタも混じってるんで参考文献には
できないのね。
それに申し訳ないが引用したコピペはわかりやすいが、やはり室町将軍を過小評価しすぎてると思う。
(秀吉の関白云々のとこは非常に説得力あるけどね)
実際三好長慶も信長も将軍の権威を利用し、捨てもしたけど、最後までそれに苦しめられたでしょ。
「劣った古臭い権威でしかなかった」は言いすぎ。
鞆の亡命政権は研究者によっては鞆幕府という人もいるくらい組織として整っていたし
第二次包囲網でもお飾りとはいえやはり義昭は盟主だった。
信長は官位では義昭を凌駕してたのに、義昭、つか征夷大将軍の影響力を完全に消し去ること
はできなかった。
勘違いしないでほしいのは、だからといってこの時期の幕府が開店休業状態だってのは否定してないよ。
それもまたれっきとした事実だ。だけど三好も織田も、将軍に敵対するとえらく苦労させられたのも
また事実なわけ。

あ、俺は武家将軍は源氏のみなんて不文律はなかったと思うよ。
源氏将軍信仰はあってもね。でも実際源平藤橘のしばりはないでしょ。
0054人間七七四年2011/07/12(火) 00:19:24.80ID:qQAyu2wW
征夷大将軍自体は、令外官司=臨時の官職であったわけだから
信長の時も鎌倉幕府の時同様に○○大将軍と作るって手もあるんだろう。
0055人間七七四年2011/07/12(火) 00:47:24.21ID:2QMvQV70
確かに時代遅れ呼ばわりされてむっとしてた。
武家将軍源氏のみは引っ込めるわ。
つか俺も「源氏将軍神話」(清水さんの本だな)が妥当だと思う。

>>51
矛盾しない。
俺は三職は信長のゴリ押しと既に言っているから、キミの言ってることと同じなんだよ。
先例慣習主義の朝廷だから、自分からは破らないが、力を背景にごり押しされたら
新たなる先例を作ったことは、木曽の例もあるしね。
0056人間七七四年2011/07/12(火) 01:11:51.99ID:CH/e1Vr6
じゃ話題を戻して。
信長の平氏は源平交代思想を意識したものだろうか

信忠の官位昇進辞退はあったのか
だな。
0057人間七七四年2011/07/12(火) 02:22:21.34ID:rH0p8SHt
>>55
力で押し通れるなら源氏将軍も糞もないねって話だけどきりがないね
0058人間七七四年2011/07/12(火) 04:17:05.68ID:poRE2OWa
>>53
そだね。
ただ、征夷大将軍や幕府に対するイメージが
徳川家=江戸幕府の屈強かつ安定したものというのはあくまで現代人の考えで、
戦国時代の当時の認識はそこまでいってないとだけ言いたい。
過小評価もなんだが過剰評価もしたらいけない。
征夷大将軍になってしまえば安泰というのではなく、
征夷大将軍になって磐石の政権つくりをする工夫と権威付けと勢力拡大しない限り江戸幕府のようにはならない。
信長が仮に征夷大将軍になっても、木曽義仲のようになる可能性はある。
逆秀吉の関白政権も後継者さえしっかりしてれば長続きした良い政権になってた可能性はある。
0059人間七七四年2011/07/12(火) 06:44:05.76ID:poRE2OWa
あと、第一次信長包囲網で信長を苦しめたとかいっても、
あれはたまたま天下取りを狙う武田とか浅井朝倉や本願寺のような
信長と敵対する勢力がたまたま利害が一致したから集まったのであって、
「室町将軍の権威の恐ろしさ」なんてことにはならないと思うのだが。
0060人間七七四年2011/07/12(火) 08:15:41.22ID:i/IYVuuN
>>34
そのネタは織田家譜の言い訳の自称であり史実じゃないから。

暦の支配は中国皇帝において時をも支配すると言う皇帝=神を表す。
信長の圧力で天皇は譲位を提案せざるおえなくなるが暦における金神を理由に譲位の先延ばしを図ったために
それを論破するためにキリスト教と西洋の知識を使って信長は暦まで弄くろうとした。
源平王朝交代説は信長が義昭との関係が破綻後に僧を使って岐阜城下で流した捏造話。
0061人間七七四年2011/07/12(火) 08:51:26.31ID:CmIisNqr
>>60
どこに書いてあったん?教えてくんなまし
0062人間七七四年2011/07/12(火) 09:21:23.17ID:w+quUTFt
>>59
0063人間七七四年2011/07/12(火) 15:27:42.42ID:AhIRikqs
>>60
暦の話は、京都と三島で天正十年の元日が閏月の関係で一ヶ月ずれることでどちらが正しいか議論したことじゃない?
西洋の知識なんざ出る幕ないんだが。
旧暦にも科学的根拠てのがある。なぜ閏月がずれたかご説明願いたい。

あと時を支配と言うが、あれは旧暦の中にとどまるレベル。カエサルが暦を作り替えたのとは根本的に違うよ。
0064人間七七四年2011/07/12(火) 15:58:31.68ID:Pzfe9+k2
源平交代の話をただの俗説と無知な学者は言うが
天正元年9月に京から岐阜城へ旅した兎庵がばら撒いた流言だよ。
岐阜城を奈良の平城京ができたばかりのすばらしさに例えて
大路も今の岐阜のようなもんだったんだろうとか
信長の系図を調べたら実は平重盛が直接の先祖だから
400年を経て平氏が栄えることになったとか言いふらして
おさめしる その源もながれずば すみかはるべき時やきにけん
などと吹聴して回ってる。
義昭を追放したことから自己正当化のために
あからさまに信長が宣伝工作しているのがバレバレ。
0065人間七七四年2011/07/12(火) 16:11:45.41ID:AhIRikqs
63だが
天正十一年だった
0066人間七七四年2011/07/12(火) 17:54:25.33ID:poRE2OWa
>>61
確かに「室町将軍の権威の恐ろしさ」うんぬんの文は引用先にはないが、
比喩表現だとわかるだろう。
0067人間七七四年2011/07/12(火) 20:05:46.65ID:AhIRikqs
>>60
暦そのものは貴殿の知識の及ばないものだと考えるが、
よければ参考文献の該当個所をここに挙げてくれまいか。
あと自分は毎日ここ見てるから、レスは必ずしてくれ。
0068人間七七四年2011/07/12(火) 20:48:11.73ID:qQAyu2wW
当時の人間にとって、暦への干渉というのは大ごとだったみたいだね。


ある人、瓢箪から駒の出でたる繪をみて、「これは何としたるいはれぞ」と人に問ふ。
「それさへ御存知なきか。そふじてまき駒と申すは、山に山椒をまひて、馬になし申」といふ。
「それほど重寶なる物を、何とてこゝもとには作らぬぞ」と云。
「こゝもとでは、人が盗むゆへに、むかしより作られぬ」といへば、
「おろかなことぢや。よき馬一疋にても、大分の金をとる事ぢやに、いか程番をしても、くるしからぬ事ぢや。善惡、此春作らふ」とて、
上々の山椒十石ほど買ひとり、山を掘らせ、ことごとく蒔ひて、四五日して、「やうやう生え時分ぢやが、遅ひ」とて、つれの人に問へば、
「それはいつ比御まき候」「此四五日さきにまいたる」といえば、「生ゑぬが道理よ。天火、地火に物種をまいては、生へぬが不思議でもなひ」と云。
「げにも、其やうな子細があらふと存た。さては暦など疑う事ではない」といはれた。
0069人間七七四年2011/07/12(火) 21:05:20.08ID:72vIzGAE
>>60
自分で引用しといてなんだけど、ボクも『寛政重修諸家譜』の記述を真実だとは思っちゃいない。
だけど
>信忠も官位が辞退しまくりなんだが
に当たるものはこれくらいしか思いつかなかった。
言い出した本人が具体的に書いてくれたら助かるんだが、そうしてくれないので、
こちらで勝手に『寛政重修諸家譜』の記事かそれに類するものをもとにしていったんじゃないか、と思ったわけ。

で、「信忠も官位が辞退しまくり」っていうのは具体的にいつのどんな行動なの?
0070人間七七四年2011/07/13(水) 11:42:25.57ID:R33cHvjd
織田宗家の遺領を家臣達が率先して切り分け分配した事に関して
皮肉られたりしてるあたり・・・しかも信長とかなり親密と言われていた
丹羽長秀、前田利家、池田恒興等も
秀吉の織田家簒奪に協力してる。
信長に政権構想自体がないから、信長が死ねば受け皿自体が存在してないので
家臣が好き勝手に領地を分配して各地に割拠した。
0071人間七七四年2011/07/13(水) 14:20:10.56ID:j9dFBeQT
>>70
それは本能寺で信忠も死んで織田宗家が事実上、壊滅したからだろ。
0072人間七七四年2011/07/13(水) 14:42:52.73ID:s+aznKgg
すぐ信忠を持ち出して言い訳する織田厨w
信長の叔父兄弟や息子が生きていたのに
家臣団がやりたい放題。
0073人間七七四年2011/07/13(水) 15:46:15.93ID:n4RxpEwc
何かあるの織田厨言い出すのが出てきたか
だがそろそろ引退しなよ、お前の芸風はもう飽きた
0074人間七七四年2011/07/13(水) 16:17:37.04ID:lZStDooW
織田家の厨太郎
0075人間七七四年2011/07/13(水) 21:09:05.38ID:Z3+vJSx0
>>60
レスがつかなくて残念だよ。貴殿はもちろん、参考にしてる本の著者も旧暦のことを理解してなさそうだね。
本を読んで理解できないなら、知ったかぶりせず誰かに素直に質問する謙虚さを身につけられたし。


どうもこのネタは桐野作人が震源のようだな。
閏月のつけかたは信長の主張した三島暦が正しく、京暦が間違いだといいたいようだが、
60はじめ信長信者は科学的根拠があってそういってるの?
残念ながら桐野、井沢などの言い分は的外れ。日食予知とは関係ないよ。
京暦の不正確さを指摘するつもりなら、三島が日食を予知していた根拠を出さねばならない。
0076人間七七四年2011/07/13(水) 23:51:32.61ID:F/RsrTsw
おもしろそうなスレと思って喜び勇んで開いたらクソの山じゃねーか
0077人間七七四年2011/07/14(木) 00:08:18.82ID:9zcmEpyB
>>76
そもそも信長は内政なんざやってないんだから語るべき材料がない
0078人間七七四年2011/07/14(木) 08:15:26.54ID:AY04tHcg
内政は、政権構想の一つに過ぎないんじゃないか?
0079人間七七四年2011/07/14(木) 11:53:08.63ID:pJ77q0Va
信長には政権構想すらないだろ・・・
あっちゃこっちゃで戦争に狩り立てていただけ。
だから謀反だらけ。
0080人間七七四年2011/07/14(木) 12:27:16.36ID:AY04tHcg
政権構想がないって言ってしまうと、このスレ自体が成り立たないだろw
それはともかく、個人的には信長が動いたことにより次の時代が流れだした
と思っているので、大成の前にごたごたがあるのは常だし、謀反が多いのは
別に信長だからという訳ではないようにも思う。
0081人間七七四年2011/07/14(木) 13:08:03.41ID:4riL7yi/
政権構想がなかったらあそこまで拡大できんだろ
武田みたいに自滅するだけだ
0082人間七七四年2011/07/14(木) 13:24:27.09ID:9zcmEpyB
領土拡大なんて濃尾の平野&湾岸の異常な石高と経済力を背景にすれば楽勝だろ。
むしろ無駄に摩擦と衝突を引き起こして同時に複数国で混乱を起こさせて勝つまで執拗に攻め込みまくる信長のやり方は無駄に時間を浪費させただけに過ぎない。
0083人間七七四年2011/07/14(木) 13:25:53.99ID:yGWBbE0M
内政やらないとちゃんとした国にならないことはおまいらさんざんゲームで学んだだろうが
0084人間七七四年2011/07/14(木) 13:44:02.94ID:9zcmEpyB
>>83
安堵した国人領主への動員命令のみで
内政なんてただの丸投げじゃん
0085人間七七四年2011/07/14(木) 15:11:03.96ID:XMkG5zuA
>>38
コピペにレスもなんだが、
秀吉は生涯、征夷大将軍職だった足利義昭を自分のお伽衆にしてる。
秀吉にとっては義昭なんて伽衆のオヤジの一人にすぎなかったんだから、
征夷大将軍に対する畏れだの権威だのは確かに微塵も持ってなかったんだろうな。
だから関白を選択した、
0086人間七七四年2011/07/14(木) 16:55:36.91ID:vWqnFjON
>>81
信長も構想がないから自滅したんだな
0087人間七七四年2011/07/14(木) 18:17:03.51ID:pJ77q0Va
信長の強権だけで成立していただけで
システムらしいシステムは何もない。
秀吉や光秀のような有能な人間が現場責任を負ってただけ。
実力ある現場たたき上げの彼らに支えられて信長が傲慢できたに過ぎない。
0088人間七七四年2011/07/14(木) 18:40:35.93ID:M89gDhuT
人事能力だけは長けていたということか
0089人間七七四年2011/07/14(木) 19:34:36.15ID:9zcmEpyB
その割に謀反だらけ
0090人間七七四年2011/07/14(木) 20:41:07.21ID:vWqnFjON
60は逃げたか。
信長厨はこんなものだな。
0091人間七七四年2011/07/15(金) 08:17:07.80ID:unMNrekW
>>82
どこまでゲーム脳なんだよw
豊かということは、それだけライバルも、人も多いということだ。
最初から豊かな領土を持っているゲームとは違いますよw
0092人間七七四年2011/07/15(金) 09:32:58.48ID:P/Yl3HFk
>>91
濃尾だけで100万石オーバーじゃねぇかw
織田は信秀時代ですらすでに朝廷への献金額も異常だし
織田家のボンボン嫡男に過ぎない時代で趣味ですでに高価な鉄砲を大量所持して美濃国守の道三がビックリしてたし
幼少の家康を買い取った時の
たかが人質買い取りにしては桁外れの金額を即金で払った財力からしてかなり豊かだろうが。
信長は完全にチートスタートだ。
0093人間七七四年2011/07/15(金) 10:54:56.38ID:juxFB3Li
>>92
チートスタートきってる信長に喧嘩売ったバカがたくさんいましたという事か
0094人間七七四年2011/07/15(金) 11:23:02.99ID:kURujalb
そんだけ信長が戦下手だという証拠。
そりゃそうだ。信長には敵を外交で一つに絞って
戦力の集中をすると言う軍事の基本すら理解できてない素人。
経済力を背景に負けても負けても侵攻を執拗に続けるだけのバカ。
0095人間七七四年2011/07/16(土) 19:57:51.86ID:yFxyv/lV
>>85
そりゃ秀吉は天下人であり、また交渉の天才であり、信長とは格が違うからねえ。
信長は義昭追放後も戻ってきてくださいとお願いしたり、義昭の息子を上様として
自分は謀反人ではないと格大名にアッピールしている。
義昭を敵にまわしたことで信長包囲網によって苦しめられもした。
すでに述べられているように義昭の亡命政権もそれなりに整えられたもので、その
権能を発揮しているんだな。
信長義昭の力関係と秀吉義昭のそれとは明らかに異なるよ。
無論信長も義昭の下風にはつかなかったいけどね。
>>90
俺も「信忠も官位が辞退しまくり」の具体例を知りたかったんだが、どうやら
ふかしただけのようだね。
>>94
信長の最大の失敗は一向衆への戦略を間違えたことだと思うね。
長島では降伏を許すと騙して出てきたところを攻撃した。
だからそれ以後一向衆側は降伏という選択肢がなくなり、死ぬまで戦うことに。
これで信長の統一事業は十年は遅れただろうね。

政権たる組織は無かったにしても、信長なりの構想はあったんじゃないかな。
それが政権構想と呼ぶには稚拙なものにせよ。
晩年の信長は天下を意識していたと思うんだけど。
0096人間七七四年2011/07/17(日) 23:31:18.36ID:YiLzGlmo
>>73
ぶっちゃけ別人だな
俺は最近はリアル忙しくてあんまレスしてない
ま、お前みたいなのがいるなら暇な時にでも
織田厨の馬鹿げた妄想つぶしに来てもいいがな
>>81
実際織田は自滅しただろ
この上なくあっさりと
0097人間七七四年2011/07/18(月) 11:52:16.32ID:85LGOdQ8
室町将軍については信長の「政権」構想、三職「推任」問題にも関わるので
も少し掘り下げてみたいですね。

室町将軍は顧みられることのない過去の権威だという主張と、低下はしている
ものの、信長も無視できなかったとする主張がありますが、どうでしょうか。
俺は後者だと思います。
今谷明氏の『守護領国支配機構の研究』によれば義昭を追放した六年後(天正7年)
でも信長は室町幕府の奉行人連署奉書を出し、畿内の寺社の所領安堵をしています。
これは一部の人がいうように「信長オリジナルの政権(構想)などなかった」
を示すとともに、幕府の機構およびその権威が無視できないことを示している
んじゃあないですかね。

御伽衆にしたからといって義昭を見下していたとするのはどうか。
準「天下人」信長も天下人秀吉も義昭には充分敬意を払っていると思いますよ。
上島有氏は「殿下と将軍」(『日本史研究』343)で信長や秀吉の知行関係の文書には竪紙
(将軍の正式の文書形式)ではなく、折紙(従属文書の形式)が使用されている。
また、義昭は将軍の重要な権限のひとつである「公帖(禅宗五山の住持の辞令)」の発行権を
握り続けており、秀吉は関白任官の直前までその権限に干渉していないとしてます。
0098人間七七四年2011/07/20(水) 16:30:27.67ID:DySY15Kb
>>90
本能寺の黒幕は朝廷だった!
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1305979699/l50
0099人間七七四年2011/07/27(水) 06:25:21.90ID:Vfa8AH6C
寺社勢力を圧伏せしめた信長が、天皇の臣下になる道を選ぶわけが無いのは普通に考えれば当たり前。
専門家と称する連中でこんな事さえ分からず、三職推認を信長が要求したなどと戯言をのたまう輩もいるのには呆れる。
0100人間七七四年2011/07/27(水) 06:27:46.13ID:Vfa8AH6C
変に至るまでの信長と天皇の緊張関係を鑑みれば、
変の黒幕は帝であるのは明々白々。
0101人間七七四年2011/07/28(木) 13:25:22.93ID:UQKPg4a6
いや信長は天皇陛下さまさまの人だろ。
信長が天皇と敵対してたというのはフロイスの記述だけだろ?
実はフロイスやその他宣教師たちは、秀吉や家康についても、
「天皇より自分が偉いと言ってる」って書いてるぞ。

なぜ現代人は宣教師らが残した記録のなかで、
信長に関する記録だけを再三取り上げて、
しかも真に受けているのか意味不明。
0102人間七七四年2011/07/29(金) 01:07:05.84ID:kOaw8BG2
とりあえず方面軍は早々に解体だろうね。
甲斐攻めで懲りてるだろうし。
0103人間七七四年2011/07/30(土) 03:15:56.83ID:o93UvWmB
>>101
天皇を道具としてしか見ていなかった信長と、
天皇から顕職与えられないと国内統治さえ覚束なかった秀吉家康では月とスッポン。
そんな秀吉家康が公に己が天皇より上だとの発言ができる筈も無いし、そんな事実もない。

それは脳内妄想の中の話。

信長と天皇の暗闘と軋轢は、信長の言動を見れば明白。
信長は宣教師の前で、帝や朝廷の存在を無視する発言をしているは厳然たる史実。
0104人間七七四年2011/07/30(土) 07:48:54.08ID:nmyRW9zL
信長に幻想を抱きすぎ、ていうか時代の限界がわかってない。
当時にしてみれば信長が三職につくということ自体がかなり革命的なのに。
0105人間七七四年2011/07/30(土) 08:55:43.58ID:o93UvWmB
何?「時代の限界」って。
説明求む。
朝廷からの対信長三職推任は、無位無官の信長が恐ろしいが為の地滑り的妥協の産物。
革命でも何でもない。
妄想のやり過ぎで、信長の実像や実態が分かってない。
0106人間七七四年2011/07/30(土) 09:54:25.58ID:MsxqXSXH
信長の実像を掴んだ人が2chで偉そうに質問してると聞いて
0107人間七七四年2011/07/30(土) 12:05:00.86ID:n7jgIwZD
>>103
>秀吉家康が公に己が天皇より上だとの発言ができる筈も無いし、そんな事実もない。
 脳内妄想の中の話。

それ言うならさ、400年前の宣教師らに言ってくれよ。
いい加減なこと書くんじゃないって。

オレが言ってるのは、秀吉家康については妄想で片付けるのに、
信長の記事だけ信じ込む研究者の変さ具合。

それに
>信長と天皇の暗闘と軋轢は、信長の言動を見れば明白
なんて、読書感想文の範囲だろ?
例えば「ありがとう」と書いてあるのを見て、人それぞれいろんな感じ方をするのと同じ。
イヤミだと感じる人もいれば、ありがたいと感じる人もいれば。
研究する人の感性が大きく影響するわけさ。
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