信長の政権構想
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0196人間七七四年
2011/08/07(日) 22:30:37.27ID:01XWNSDw丹波の波多野氏、信長から離反して将軍家に味方する
短波の赤井氏、信長から離反して将軍家に味方する
越前一揆が信長の盛大な虐殺のもと鎮圧され、それ以後信長の北陸攻略が進められるが
その後も一揆が続発していたようで、それに対して織田は徹底した情報統制を行ったようで
生き残りが瓦に刻んでその様を伝えたように、織田の北陸経営には虐殺が横行していたようである
1576年 北畠と織田の融和を望んでいた津田一安が信長の北畠一族騙まし討ちに反発
しかしすぐに抹殺される
別所氏、信長から離反
1577年 上杉謙信が織田に敵対し手取川で勝利、これにより織田に不満を持っていた層や一揆が凄まじい勢いで
謙信に呼応して織田から離反し、上杉の勢力は加賀にまで到達するようになる
越前といい、長島といい、今回の北陸の事例といい、
基本的に信長領国には不満が渦巻いているため、優位な敵対勢力や対抗馬が出たり
爆発の激震地が存在するとそれに呼応するものが続発して大きくなるのが特徴といえる
加賀では信長から南半分を与えられて完全平定をまかされた梁田が、
平定するどころか国中一斉蜂起による離反に敗北して追い出される
この頃の能登では織田方の武将が「能登の百姓は悉く謙信に味方して、末森と連絡を取る道が存在しない!」と悲鳴をあげている事からも
能登が国をあげて離反している事が伺われる
1578年 磯野員昌が信長から離反して逐電する
信長重臣にして信任篤かったはずの荒木が離反する
当初信長はそれを信じなかったという
荒木は部下が秘密裏に兵糧を本願寺援助していたのが露見するのを恐れて謀反に踏み切るが
信長から「人質をだし、自ら弁明にくれば許す」といわれて乗り気になるが
部下から「どうせ信長のことだからいけば殺される。合戦しましょう。」といわれて改めて謀反に踏み切ったとされる。
信長領国では信長に対する不安と恐怖が渦巻いていた事をよく象徴する事例である。
荒木に呼応して安倍一族離反、しかし、当主の安部二右衛門が親と叔父を騙まし討ちにして信長に引き渡す
伊賀に攻撃をしかけた織田信雄が反発を受けて撃退される、伊賀が明確に織田の敵となる
余談だが、織田信雄は本来上方への出陣を命じられていたが、兵糧が大変なので
近場の伊賀を攻めて取り繕おうとした結果であり、自領内でも織田勢はその適当体制から兵糧補給に苦労していたようである
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