>>919
>16世紀末のスペイン軍の編成が、火器兵槍兵共に24人に1人の下士官で
12個中隊編成のテルシオの場合、士官定数は159/3000で5.2%、10個中隊編成のテルシオの場合、137/3000で4.7%。
ところが、これは定数上の数字で実際はもっと多かったようだ。
上でも書いたとおり、1596年のフランス遠征でのテルシオは4,910人中530人が士官だった。
これは、10.8%に達するし、1601年のフランドル方面軍のあるテルシオでも10.8%。
1622年のテルシオオブロンバルディアでは12.6%。

>その頃の西・仏軍の主力は火器装備率4割5割になるけど 一時雇用の雑兵も依然多く均すと3割強程度。
フランス軍の編成は手元にないからすぐにはわからないが、スペイン軍は定数上で46.6%、実数はこれ以上。
比較的陸軍の軍備が遅れていたイングランドでも>>860で書いたとおり、33,444/79,798でおよそ42%。

>孫子曰く軍を囲むには空きを残せって言うじゃん、言質も取れたし浜松城は囲まなくてもw
それは、ちゃんと勝ってる側が言うこと。
逃げ回っているうちは、ただの敗走だぞ。そちらが一次史料を出せば対等になる。
出せてない時点で、脱糞して敗走した家康と同じ状態だぞ。
まぁお互い煽っても何も生まれないし、せっかく興味を持ってくれてる人もいるからスレが終わる前に
一次史料の名前を出してくれ。