次々と通説を打ち砕く鈴木真哉・藤本正行について 5
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
0001人間七七四年
2011/07/03(日) 17:54:02.54ID:fcz44HVi長篠鉄砲三千挺はない
桶狭間は奇襲ではない
武功夜話は偽書
徳川御用史観は嘘だらけ
>>2-5の辺りに関連スレなどのテンプレ
●過去ログ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1109562623/
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169131109/
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1222456299/
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1286968038/
0818人間七七四年
2012/05/22(火) 04:20:14.34ID:YFeDZE40長槍隊も互いの肩が触れる位の間隔で並んだそうだ
0820人間七七四年
2012/05/22(火) 08:34:35.07ID:1ehzRm9f0821人間七七四年
2012/05/22(火) 08:52:45.45ID:4Cd4qDZQカキコのバカさから言ってたぶんそういうのは知らないだろうと思う。
素でさすまたと間違えてるよ。
0823人間七七四年
2012/05/22(火) 13:06:28.97ID:4Cd4qDZQ軍事に関して色々知っててもおかしくない。
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/25/pub_kaigai-iezusu-genbun-01.html
0824人間七七四年
2012/05/22(火) 17:15:16.93ID:Khjlyyipそしたら買うのにw
0825人間七七四年
2012/05/22(火) 19:33:11.17ID:lgC1FgSt0827人間七七四年
2012/05/23(水) 16:30:18.09ID:eEkAoerG0828人間七七四年
2012/05/24(木) 22:40:20.50ID:PKu8Lqz0http://blog.livedoor.jp/nwknews/article/4202640/comments?guid=ON
0829人間七七四年
2012/05/24(木) 23:00:50.52ID:4+4hjbf4この記事は存在しないか、すでに削除されています。
0830人間七七四年
2012/05/25(金) 19:46:14.70ID:fDLQ0FCvhttp://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4202640.html
0831人間七七四年
2012/05/31(木) 11:37:33.41ID:g3GwZj+Qあれマグロ包丁だってさ
0832人間七七四年
2012/05/31(木) 13:25:39.76ID:nRmNST3Y解体職人の方が手並みは鮮やかだろう、とオモタ
0833人間七七四年
2012/05/31(木) 22:30:35.06ID:iQmU+f/l0834人間七七四年
2012/06/01(金) 00:20:04.76ID:NuxpP/+7そりゃマグロ解体の手並みは鮮やかでしょうな。
0835人間七七四年
2012/06/08(金) 20:33:38.53ID:l5g8O86ihttp://shop.gakken.co.jp/shop/order/k_ok/bookdisp.asp?code=1340530400
http://shop.gakken.co.jp/goods_img/book/jpeg/4054053041.jpg
ここに組衆編制が東国から起きたって実証的に書いてあるけど・・・
騎馬武者
騎馬隊
騎兵
騎兵隊の定義って何ナノ科ね?
そこがはっきりしないから、みんなで、正しいことを言っているのにもめてる感があります。
0836人間七七四年
2012/06/08(金) 23:58:49.42ID:UybD+u7K正しいことを言っているのにもめてるのではなく、
正しいことを話題作りのために煽りとミスリードで粉飾するから揉めた。
0837人間七七四年
2012/06/09(土) 00:02:49.55ID:tz6i3GaP藤本の仲間系じゃなかったかな。
0838人間七七四年
2012/06/09(土) 05:16:07.14ID:qbOkXxfl>>735の岩付衆だと馬上500騎とかなりの規模だ。
馬廻衆も、百騎単位規模の例は信長の母衣衆や三木合戦の別所氏などちらほら見る。
ただし諸大名ごとに武装の種類・サイズ・色などの統一を図ることがあったとはいえ、
到底近世欧州のような騎兵隊ではない。
中世騎士や共和制ローマの騎士のように、個人的な従者を引き連れた前近代的な騎馬隊だった、ということじゃね。
0839人間七七四年
2012/06/09(土) 07:47:57.51ID:crxXeW/pもちろん運用や形態などは近世欧州の騎馬隊とは似て非なるものだが。
0840人間七七四年
2012/06/09(土) 08:31:59.83ID:z+qrJG8V0841人間七七四年
2012/06/09(土) 10:20:51.73ID:30eFIkA6(各武将の私兵の寄せ集めで兵科毎の分類をしていない)
で語る輩がいるからなあ。
0842人間七七四年
2012/06/09(土) 11:26:09.75ID:wAv3FkIr兵科ごとに分類したのは一部の制度的に進んだ東国の戦国大名くらいで、
織田も含めて西日本の戦国大名は、近世に入るまで、軍役で集まった兵士の、兵科別の再構成は
行なっていなかったようだからな。
0843人間七七四年
2012/06/09(土) 12:48:35.30ID:lWpwzGva常に行っていたかは正直疑問
0844人間七七四年
2012/06/09(土) 14:24:47.47ID:xpOatshj近世前期(17世紀)の西欧諸王朝の騎馬隊と同じだよ
おまえらが言ってるのは近代以降の騎兵隊
0845人間七七四年
2012/06/14(木) 03:46:44.57ID:Luuti9m7>>243
>>鎧着けた侍が銃撃戦ってコレはホントに時代劇か?って思わずツッコミそうになったけど
戦国時代には火縄銃はかなり普及してる。
あの時代鉄砲を一番保有していたのは日本とも言われている。
元々日本は遠距離で戦う傾向が強くて、今の大河の清盛の時代だと主力は弓兵で
どちらの時代においても刀は首と獲るときか接近戦に持ち込まれたときにしか使わない。
まあテレビで良く見るような時代劇か?と言う意味なら
そうかもしれないかなともいえるくらい画期的な演出の回だったと思う。
0846人間七七四年
2012/06/14(木) 05:59:37.17ID:yFktksR5> 戦国時代には火縄銃はかなり普及してる。
> あの時代鉄砲を一番保有していたのは日本とも言われている。
ウソウソ。東アジアではもしかして一番多かったかもしれんがヨーロッパの大国やオスマントルコには
まったくかなわん。
> 元々日本は遠距離で戦う傾向が強くて、今の大河の清盛の時代だと主力は弓兵で
> どちらの時代においても刀は首と獲るときか接近戦に持ち込まれたときにしか使わない。
これも嘘。源平の時代も戦国時代も戦い「始める」のは遠距離だが、とどめを刺すのは刀剣での突撃。
刀が首取りの道具とか、鈴木信者かよw
0848人間七七四年
2012/06/14(木) 09:09:08.53ID:7ju3ldCi0849人間七七四年
2012/06/14(木) 09:17:10.53ID:8cQmUeUX0850人間七七四年
2012/06/14(木) 09:52:28.36ID:GvjlpPt7>>846
実際のところ鉄砲はどんだけあったんだろうな?
常備軍の数ならスペインの3倍以上いたみたいだが。
0851人間七七四年
2012/06/14(木) 11:26:01.63ID:GvjlpPt7「長ったらしい名乗りを上げてから一騎打ちをしていました。集団戦の概念が無かったので元軍に一方的に敗退しました」
ってふざけた言説がまかり通ってた時代よりはマシになったんじゃない?
0852人間七七四年
2012/06/14(木) 11:50:05.49ID:mHzKj2xh人口だって多い人の説と少ない人の説のじゃ倍違うし。
16世紀当時、ひとつの戦場に10万人以上動員することができたのは、西か
らオスマン朝、ムガール、明、日本の四ヶ国だけ。
ヨーロッパ諸国あたりは一万人以上動員の記録もあまり多くない。
0853人間七七四年
2012/06/14(木) 18:37:14.27ID:qxDdgOnO16世紀末のスペインや仏王国の総兵力が8万〜9万
火縄銃やモスケットの装備率が3割前後
大大名なら一家で上回っちゃうレベル、白人コンプも程々にな
0854人間七七四年
2012/06/14(木) 20:06:39.17ID:GvjlpPt716世紀末期の行政記録から全軍の半数〜3分の2くらい鉄砲装備してたのがわかるよ。
因みに常備軍はイングランドは8万、スペインはヨーロッパに展開してた保有戦力全て足して15万。
まあ、兵力に関しては日本は九州+毛利だけで普通に15万はいくっぽいけど。
0855人間七七四年
2012/06/14(木) 20:31:53.99ID:OoOaTfW416世紀末のスペインで言えば、中核のスペイン兵イタリア兵部隊の
火縄銃・モスケットと槍兵の比率が4:5、正規兵と雑兵の比率が2:1
全てひっ包めた全軍の3割が火器装備、槍兵と雑兵が3割強。
英王国の常備軍は1万5千程度、傭兵を含めて最大6万5千
スペイン王国が同じく最大限9万弱、当時は既にドイツが別個の国として分家。
よって>>854の主張はどちらもまちがい
0856人間七七四年
2012/06/14(木) 20:36:36.46ID:7ju3ldCi0857人間七七四年
2012/06/14(木) 20:38:38.95ID:hYPisjty0858人間七七四年
2012/06/14(木) 20:41:50.02ID:OoOaTfW4仏王国は火砲はスペインより豊富で火縄銃・モスケットは同程度
西欧諸王朝のどれをとっても、織田・豊臣・徳川以下、最盛期の島津や毛利と同じ水準。
0860人間七七四年
2012/06/14(木) 23:52:29.77ID:jkWsBVpX騎兵や砲兵、非戦闘員は含めない数字だ。フランドル方面軍だけでも歩兵56,265人 騎兵3,650騎の計59,915人を擁している。
対して1588年当時無敵艦隊を迎え撃つイングランド軍も大規模な動員を行なっていて、
トレーニーバンドで動員された兵力は歩兵79,798人、騎兵5,461騎。
歩兵の装備は、ビル10,967人、ロングボウ14,209人、パイク21,178人、キャリバー28,742人、マスケット4,702人。
銃装備率は歩兵の42%で、騎兵も大半がピストル以上の銃を装備している。
これ以外に、低地地方に派遣したベテラン兵と女王の親衛隊、貴族、聖職者の義勇兵が加わる。
0861人間七七四年
2012/06/14(木) 23:57:29.45ID:jkWsBVpXあとスペイン歩兵の兵力はあくまで常備軍で民兵は当然含まれてない。
0862人間七七四年
2012/06/15(金) 00:03:50.03ID:dPj16A4J856の話は繰り返し出てくるけど、朝鮮役に参戦した諸家は間違いなく
銃の装備率は上がってるけど、半島での実戦経験のない伊達家に
そんな先見の明があったのかどうかはやっぱり疑問だわな。
0863人間七七四年
2012/06/15(金) 00:18:16.68ID:vLx7eQxM兵力の記録も誇張ばかりだから、実質動員できる兵力は多分スペインより少ない。
0864人間七七四年
2012/06/15(金) 00:28:22.82ID:ChUWGyde>これ以外に、低地地方に派遣したベテラン兵と女王の親衛隊、貴族、聖職者の義勇兵が加わる。
いや、加わらない。
低地諸国の反乱に加担したライチェスターは成果が上がらず
オランダ地方の民衆からも反感を買って、スペイン艦隊が小競合いと嵐と
天候不順で大きな損失を出した一連の軍事行動の時には英国へ引き上げている。
スペイン艦隊との戦いに参戦した英王国艦隊の戦闘員は約30000万人
そのうち火器を装備していた歩兵は、スペイン軍の8000人に対して
半分に近い5000人弱でしかなく、艦隊の半数前後14500人は水兵から構成された。
一方のスペインも低地諸国から英上陸の為に集めた兵が27000人、留守の守備隊が22000人
これは当時のスペイン軍の大半を占め、攻勢が頓挫しスペインと和平していた
仏王国に対する伊、西本土は8000人、6000人と少なく、艦隊の水兵8250人を含めた31000人
これらを総て合算しても94000人、反乱と遠征を行った時期の最大限の数字で
当然ながら、一時雇用の傭兵や雑兵が大量に含まれていて
英遠征の戦闘員で言えば約11000人が雑兵。
0865人間七七四年
2012/06/15(金) 00:33:11.06ID:ChUWGyde西欧の中では最も進んでいたスペインですら、日本と違いろくに兵科も分けず
大量の傭兵と雑兵がごっちゃ、兵力は渡海遠征して行われた朝鮮征伐と比べても
半分にも満たない兵力でしかない、しかも譜代の軍が大半の日本と異なり
未だに傭兵が多くを占めていた。
瞬殺された李朝軍に比べれば遥かに進んでいたが
日本と比べてしまうと足下にも及ばない。
0866人間七七四年
2012/06/15(金) 00:43:04.44ID:2knrW5DN日本の比じゃないな。これはもう日本側分が悪すぎるわ。
0867人間七七四年
2012/06/15(金) 00:46:30.24ID:ChUWGyde0868人間七七四年
2012/06/15(金) 00:52:48.21ID:2knrW5DN北条宗哲が永禄四年三月二十四日、大藤式部丞に出した書状には
配備した鉄砲五百丁をもって敵の軍勢を堀端へ寄せ付けてはいけない、というような
指示が出されているから割と早い時代(長篠合戦の14年前)からそれなりの量があって
運用されていたらしい。
0869人間七七四年
2012/06/15(金) 00:53:44.49ID:88+o0qGF>いや、加わらない。
加わるよ。少なくともティベリーに4,000人の低地地方派遣軍がいる。
あと、女王の親衛隊、貴族、聖職者の義勇兵はそもそも国内から出てないから居ないはずがない。
人数も正確にわかってるしね。
>スペイン艦隊との戦いに参戦した英王国艦隊の戦闘員は約30000人
それは、海軍の水兵と、それに乗船した陸兵の話。
30,000人という数字が正しいかは知らないが
>>860で挙げたのはあくまで陸上で迎え撃つ兵士。主にイングランド南部に配備された。
ケント州だけでも7,124人が動員されてる。
ケント州兵の銃装備率は、約36%。
>一方のスペインもry)
スペイン人部隊と、スペイン軍を勘違いしてるのだと思う。
スペイン人歩兵部隊は1588年当時、アルマダに4個テルシオ+独立32個中隊の約18,000人。
フランドルに4個テルシオ8,712人、イタリアに3個テルシオ7,000人、アジアに5,000人、
スペイン本国に多数の独立中隊29,000人、アメリカに8,000人の約76,000人。
>>860でも書いたとおり、フランドルには56,265人の歩兵がいた。
そのうちスペイン兵は8,712人に過ぎない。
ちなみにフランドル方面軍の出身地構成は、
スペイン人8,712人
イタリア人5,339人
ブルゴーニュ、アイルランド、スコットランド人3,278人
ワロン人17,825人
ドイツ人19,925人
守備兵1,180人(人種は不明)
0870人間七七四年
2012/06/15(金) 03:05:49.98ID:CMAbvQ22まず英王国軍の4000人というのはライチェスターに歩兵5000人騎兵600人と
多数の王国公認略奪兵を率いさせデーンハーグへ送った部隊の成れの果てで
オランダの住人に嫌われ、スペインが英遠征を計画する何年も前に帰国している。
また英遠征と低地諸国鎮圧には当然多数のスペイン兵とイタリア兵が動員されている。
1580年に起きたポルトガル王族の反乱ではフェリッペ王自ら親征したが
内戦中の低地諸国からは勿論フランダースからも兵を集めず
数か月掛けてスペイン内のみで準備してもその数は18000人でしかなかった。
1580年の段階での低地諸国戦線の同地方人の兵士18000人は、カトリック側の封建諸侯が
反乱を起こした新教側のオランジュ公に対抗して自前の金で徴募した自前の軍であって
スペイン軍の数には当然入らず使えない、パルマ公の指揮権もゲント合意に縛られた物。
それ以外の歩兵25部隊と騎兵12部隊が西軍で数は約31000人、うち約16000人が伊・西出身。
仏王国軍で積極派のアンジューが死んだ後は講和し、その結果として
イタリアとフランダースの兵を回せるようになり英遠征が企図された
当然ながらスペイン本国と伊には守備兵はあまり居らず合わせても1万を少し超えるに過ぎない。
結論、>>869は同じ物をいくつも重複して数えてしまっている
0871人間七七四年
2012/06/15(金) 03:23:37.41ID:uyfxqFMj日本の3分の1程度だったイングランドはともかく
イベリア半島と属領を足したら日本と同じかそれ以上のスペインは
10万以上の常備軍がいても不思議ではない気はする。
0872人間七七四年
2012/06/15(金) 04:31:44.75ID:CMAbvQ22その上、オスマン帝国や大明や日本と比べ行政組織も未整備
それでもスペインと仏は行政機構の整備して16世紀の100年で
徴税能力と国家財政規模を3倍に増やしてはいるけど
0873人間七七四年
2012/06/15(金) 05:37:49.29ID:88+o0qGF重複してないよ。
だからわざわさ1588年の時点と特定してるわけだ。
はっきりしてるのは、1588年4月29日の時点でのフランドル方面軍約60,000人、これにはアルマダに乗船した兵士は一人もいない。アルマダに乗船した兵士はスペイン人とポルトガル人しかいないからだ。
本国兵にしても、カタルーニャと併合間もないポルトガルにいた兵士が中心。アメリカ、アジア、イタリアにいた兵士は、重複するわけがない。
具体的にどこのどのテルシオが重複してると言いたいんだ?
重複してると自信をもって言うなら言えると思うが?
0874人間七七四年
2012/06/15(金) 13:21:59.68ID:vLx7eQxM0875人間七七四年
2012/06/15(金) 13:24:15.16ID:wYrZcV960876人間七七四年
2012/06/15(金) 15:19:14.82ID:vLx7eQxM日本が小競り合いしかやってなかった時代に
タウトンの戦いで両軍合わせて10万の軍勢が激突してるのに
常備軍が一万くらいしかいなかったとか頭悪すぎ
0877人間七七四年
2012/06/15(金) 16:30:05.36ID:XAdBEzwFいや、重複してるよ。
英遠征時の中核部隊火縄銃・モスケット兵8000と装甲槍兵10000はスペイン人12000、伊人6000、他に雑兵約13000。
フランドル軍は仏王国との戦争当時24000人、英遠征時は8000人残留、伊半島の守備隊は6000人。本土に8000人。
低地諸国からは、遠征を準備出来た兵が27000、諸侯の義勇軍18000と西軍4000は残留。
ここまでに総ての本土軍が含まれ、欧州での総兵力は約85000。 完
0878人間七七四年
2012/06/15(金) 16:54:48.04ID:XAdBEzwF長島の一向一揆軍は30000人、たったの1国のそのまた一部にも拘らずね。
全国統一した日本軍なら200万人の常備軍を備える事など造作も無かっただろうねw
0879人間七七四年
2012/06/15(金) 17:00:47.10ID:vLx7eQxMしかもあれは後世に算出した数で荷駄隊などの非戦闘員含めての数な上実数は更に少ないという。
更に戦国オールスターとも言える朝鮮侵略軍で漸く戦闘員が10万に届くかという所。
0880人間七七四年
2012/06/15(金) 17:01:42.03ID:vLx7eQxM0882人間七七四年
2012/06/15(金) 17:33:48.20ID:XAdBEzwF関ヶ原の軍勢数に夫丸や口取りなどの非戦闘員は含まれない。
>>880
タウトンの戦いは殆どが非戦闘員の農民。
在チョンの願望捏造史観は要らない
0883人間七七四年
2012/06/15(金) 17:55:47.96ID:XAdBEzwF長篠後の勝頼や北条氏が出した防衛戦限定の民兵動員令と一緒で
当然常備軍でもなければ戦慣れや訓練を受けた農兵ですらない
一時的に掻き集められた徴募の烏合の衆というのが現実。
0884人間七七四年
2012/06/15(金) 18:02:30.57ID:88+o0qGF何度も言うが、昨日から出している数値は、1588年のもの。もし文句があるなら、対仏戦やその他の時ではなく1588年当時の兵力を出せよ。
あと、重複した部隊はどの部隊だ?わかるんだろ?
あと、1588年4月29日のパルマ公の報告によるフランドル方面軍の総数を否定する具体的な史料は何?
こちらは当時の一次史料の英訳から出してるから、それ以上のものを出してくれ
0886人間七七四年
2012/06/15(金) 18:16:25.11ID:xVheIxNmかなりの被害が出るんだな。
其中に心ある者どもはだかになり、抜刀ばかりにて七・八百ばかり切て懸り、
伐り崩し、(織田家)御一門を初め奉り歴々数多討死。
(『信長公記』伊勢長嶋一揆成敗の記述)
0887人間七七四年
2012/06/15(金) 18:19:43.01ID:D6V7pQwL0889人間七七四年
2012/06/15(金) 19:19:06.09ID:8lrPXNao何度も教えた通りその数字はまちがい。
1588年に英遠征を実行した時の軍勢配置が>>877。英遠征の雑兵は約11000
重複していないと言い張るなら、英遠征軍に参加した旗隊
低地諸国からの英遠征に加わる準備をしていた旗隊
本土・伊半島・フランドル・低地諸国に残留した旗隊を書き出せば済む話
無理だけどね、>>884が本土の部隊と錯覚している部隊と英遠征の部隊が
多数重複しているから。
パルマ公は書状を送った時点で遠征を知らず、むざむざと4月25日にカレーで
英軍と講和してしまい艦隊の艤装を解き、英軍はまんまと防衛の為に帰還した。
8月4日にパルマ公が報告した軍勢はフランダース人とドイツ人の傭兵(雑兵)を含めた
遠征軍27000と残留する4000人がスペイン軍の総てで、マンスフェルトを初めとする
フランダース諸侯の18000人は防衛の為だけの民兵に過ぎず
ゲント合意により対新教以外での指揮権は認められていない。
こちらは当時の一次史料から出してるから、それ以上のものを出してくれ
具体的な書簡群名と、どこの図書館の蔵かを書くか
二次史料の書籍でも具体的な書名なら英訳でも原本でも構わないよ
当然言い出しっぺなのだから快く実行してくれるはずだ。
0890人間七七四年
2012/06/15(金) 19:23:54.87ID:8lrPXNao長島の一揆勢を農民だとする定義を出せば
それをタウトンの戦いに適用して即大半を非戦闘員の農民だったと
定義出来るから、定義を出せばいいよ、ブーメランだけどねw
0891人間七七四年
2012/06/15(金) 23:07:31.38ID:88+o0qGFスペイン公文書1587-1603
278頁 1588年4月29日報告
288頁 1588年5月9日報告
あなたが出した数字は、スペイン公文書1587-1603の何日付の何頁?
一次史料を持っているなら同じものを見ているだろうから、教えてもらえればすぐにわかる。
流石に量が膨大なの頁数か日付を教えてもらえると助かる。
0892人間七七四年
2012/06/15(金) 23:43:44.08ID:OJslx1AI>スペイン公文書1587-1603
日本語じゃ曖昧だから、載せてる英訳の二次資料名か
書簡集のそのままのタイトルで書いてね、発音記号無しのラテン文字でいいから。
モンスーン文書、書簡集の日本語訳ならそれはそれでいいけど。
0893人間七七四年
2012/06/15(金) 23:45:43.48ID:88+o0qGFタウトンで動員された兵士は、一応武装が定められてる。
武装が基準を満たしてない者は兵士として扱われないからね。
大半はロングボウ兵とビル兵だ。
0894人間七七四年
2012/06/15(金) 23:52:50.09ID:88+o0qGFもし、その日の報告書にそちらの言う数字があったなら謝る。
あと、一次史料を持っているなら1587-1603の部分でどの公文書かわかるはずだが?
ちなみに英訳されたのは1899年のもの。編者は…わかるよね?
0895人間七七四年
2012/06/15(金) 23:59:15.47ID:88+o0qGF0896人間七七四年
2012/06/16(土) 00:35:14.34ID:MWup8n5Y唐入りはオールスターどころか
九州の中堅大名達+小早川&宇喜多くらいしか実際の戦いには参戦してないぞ。
0897人間七七四年
2012/06/16(土) 01:20:24.31ID:S483dnlU関が原で東軍7万、西軍8万
朝鮮の役で16万
大坂冬の陣で徳川20万、豊臣10万
といったところだろう
0898人間七七四年
2012/06/16(土) 01:32:44.27ID:S483dnlUよくマーストンムーアで双方合わせ4万人動員できたなと感心するわ。
こいつらのNew Armyは大砲がある上、ピストル騎兵とパイク兵は日本の備の騎馬組、長柄組を上回るだろう。
マスケット銃は正直微妙すぎるが・・・
0899人間七七四年
2012/06/16(土) 01:50:01.82ID:MWup8n5Y源平の合戦(大きい戦いで双方5〜6万程度)とか
弘安の役の幕府軍(九州軍4万、長門軍2万、幕府本隊6万の合計12万)とか
筑後川の戦い(南朝方4万、北朝方6万)とか
応仁の乱(細川方16万、山名方11万)とかは当時の人口から考えて割と妥当な数字だと思う。
0900人間七七四年
2012/06/16(土) 02:06:22.46ID:MWup8n5Y日本も幕末の戊辰戦争なんかは戦国時代の規模が嘘みたいに兵数少ないよね。
西南戦争はそれなりに多いけど。
0901人間七七四年
2012/06/16(土) 05:26:34.01ID:gpEec/Wiピストル騎兵はまずドイツとスペインで普及して仏にも広がったけど
英軍の普及はもっと後だよ、艦船は大陸諸国と違い戦闘専用の最新鋭の大型船を建造し
大砲も破壊力は弱いが長射程の軽量砲が主体で海戦に最適化されてるけど
陸上戦力は微妙の一言、空き巣狙いで沿岸部を略奪した時も少数の相手に結構負けてる。
0902人間七七四年
2012/06/16(土) 06:40:43.82ID:MEQFHb/Lそりゃ兵器弾薬の数による。
あの当時すでに新鋭の武器を持っていないものは兵隊として役に立たなかった。
銃弾の的をたくさん集めてもしょうがあるまい
0903人間七七四年
2012/06/16(土) 09:34:10.35ID:9w9fswZRそして役に立たなかったからそれ以降は極端に言えば洋式ライフルの数+抜刀隊だけが
まともな戦力として数えられるようになったからな
0904人間七七四年
2012/06/16(土) 11:42:21.98ID:9HV4NDsB結局、あなたが言う一次史料って何だったんだ?
公文書以外に正確な数字がわかるものってよく分からないんだが。
イングランド側の公文書か何か?
0905人間七七四年
2012/06/16(土) 11:56:30.74ID:9HV4NDsBイングランドでは、1588年の時点で騎兵の15%がピストル騎兵だよ。それ以外の騎兵にもピストルを装備したものが結構いる。
0906人間七七四年
2012/06/16(土) 12:56:52.13ID:OGl9BuAi【同時代】欧州、オスマン、中国、日本の兵たち【比較】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288455624/l50
いや個人的には興味深いんだが、さすがに残り100を切った状態で
スレ違いのことが続くのはちょっとね。鈴木さん藤本さんも怒ってるよ。
0907人間七七四年
2012/06/16(土) 13:40:06.62ID:MWup8n5Y鈴木真哉じゃなくて鈴木眞哉だよね。
0908人間七七四年
2012/06/16(土) 13:46:48.95ID:wUGsP73Sまあ頻繁にID変わってる時点で怪しかったけどさ。
>>906
まあ、比較したら日本の武士のあまりのしょぼさに泣けてくるよな。
どう見ても16世紀末期の日本は戦術でも装備の質でもヨーロッパより100年くらい遅れてる。
まあ、それ以前は300年くらい(鎌倉末期〜室町時代で11〜12世紀のヨーロッパレベル)遅れてたから
少しはましになったが。
0909人間七七四年
2012/06/16(土) 14:05:51.56ID:9HV4NDsB何日か前から煽ってる奴だと思うが、お前に>>864を罵る資格はない。
自分自身は史料も出さず、人の書き込みに便乗してるだけのお前には。
>>864は若干挑発的な書き方だったが、内容は結構正しいことも多い。
多分、史料の読み方が少し違ったんだろう。
どっちにしろ、ちゃんと数字を出してきただけ議論できる。
お前は、ひとつでも史料や数字が出せたのか?
>>906
申し訳ないね。
0910人間七七四年
2012/06/16(土) 14:16:31.10ID:MWup8n5Y0911人間七七四年
2012/06/16(土) 15:36:57.94ID:gpEec/Wi一気呵成に勝敗を決する日本勢の戦術は
だらだらと砲撃による睨み合いと小競合いを繰り返していた西欧諸王国の2世紀以上先を
5人10人、20〜30人の小部隊を基礎として自在に運用出来た諸大名の軍編成は
区切りが大きく硬直した隊列を保持し展開するにも1日掛けるのが日常的で
下士官と士官の数が少なかった西欧諸王国の半世紀くらい先を
装備も、工夫された火縄銃を量産し支給防具や武具を量産していた日本が少し上だよ。
>>905
スペイン軍は16世紀末には大半の騎兵がピストル装備だから
それに比べると普及は遅れてる、まあ馬上ピストル自体が結構微妙だけど。
0912人間七七四年
2012/06/16(土) 15:47:11.41ID:9w9fswZRまぁ射程が違うから落ち着いて対応されればどうしようもないんだけど。
0913人間七七四年
2012/06/16(土) 17:11:57.36ID:9g2W8RxO0914人間七七四年
2012/06/16(土) 17:15:06.91ID:9HV4NDsB許してね。
次のスレでは書き込みません。
>>911
>5人10人、20〜30人の小部隊を基礎として自在に運用出来た諸大名の軍編成
正直、戦国時代の軍編成はまだまだ研究段階だからそんなことは言えないと思うが?
あと、
>下士官と士官の数が少なかった西欧諸王国の半世紀くらい先を
何をもって多い少ないとするのかわからない。
戦国時代の軍隊の士官比率って何%と考えてるんだ?
1575年の上杉家軍役張から見ると、騎馬を全て士官と考えれば10.3%。
対して1571年のフランドル軍の4つのスペイン人テルシオの士官比率は6%。
騎馬兵をすべて士官とみなしてこれだから、実際どっちが多かったかなんて言えないと思うが?
因みに、1596年のフランス侵攻時は11%に達してる。こんなに多くてどうするんだろう。
>>912
ピストル騎兵のピストルは飛び道具ってより、ランスの代わりだからね。
10mも有効射程があれば十分だよ。重騎兵のランスやパイク兵をアウトレンジ出来て威力も高い。
逆に歩兵の銃兵の射撃や軽快な騎兵の抜刀突撃には不利だから、こちらが主体になると廃れていった。
0915人間七七四年
2012/06/16(土) 17:19:14.97ID:MWup8n5Yアンリさんの頃からサーベルでの騎兵突撃が復活して
それがグスタフさんの三瓶戦術に繋がっていくんじゃなかった?
0917人間七七四年
2012/06/16(土) 17:29:42.62ID:UJe5Hj+n対重装騎兵◎(速度勝ち、コスト安い、射程勝ちで完勝できる)
対マスケット×(射撃兵科としては無意味)
結果重装騎兵とともにパイクが要らない子になった
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。