次々と通説を打ち砕く鈴木真哉・藤本正行について 5
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0001人間七七四年
2011/07/03(日) 17:54:02.54ID:fcz44HVi長篠鉄砲三千挺はない
桶狭間は奇襲ではない
武功夜話は偽書
徳川御用史観は嘘だらけ
>>2-5の辺りに関連スレなどのテンプレ
●過去ログ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1109562623/
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169131109/
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1222456299/
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1286968038/
0781人間七七四年
2012/05/17(木) 15:51:36.14ID:MiYy4jIx血や油が関係あるのか?
0782人間七七四年
2012/05/17(木) 17:58:45.55ID:arNZ7xX50783人間七七四年
2012/05/18(金) 00:29:11.09ID:FIg6zqhx「日本刀は人の油で切れなくなる」など デマに騙される人が増えたのはネットの大衆化が原因
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1337241285/
0784人間七七四年
2012/05/18(金) 17:01:35.39ID:0MtzHvauまさかグスタフアドルフのちっこい馬が基準ってこともないだろうし
スペインやフランスではもう少しデカい馬が産出してたんかね?
0785人間七七四年
2012/05/18(金) 17:03:03.25ID:3DKM1AwS0786人間七七四年
2012/05/18(金) 17:27:40.32ID:0MtzHvau「我々の馬は走っていてもぴたりと止まるが日本の馬はひどく暴れる」
0787人間七七四年
2012/05/18(金) 17:29:56.24ID:3DKM1AwSフロイスさんフィルターきついからあまり真に受けても
0788人間七七四年
2012/05/18(金) 17:58:56.12ID:0MtzHvau0789人間七七四年
2012/05/18(金) 18:11:04.35ID:SapKiZvq0790人間七七四年
2012/05/18(金) 18:22:05.61ID:ZA0HUwD+情報を取捨選択する必要があることには
みんな気付き始めたんだけど、
それでも誰か100%正しいことしか話さない人間がいるからそれを探す
という前提の人が多いよな
0791人間七七四年
2012/05/18(金) 19:10:04.49ID:mBUfNfS/0792人間七七四年
2012/05/18(金) 19:40:53.91ID:bYkU+Jpv中世の軍馬の大きさは、長い間議論の主題であった。伝説によれば、騎士の馬は頑丈な軍用馬であり、
これは、現代の荷馬車用の馬と同じぐらいの大きさがあったことを意味するが、そのような馬の遺物は
十四世紀以前には発見されていない。中世後期以前の考古学遺跡から出土した馬の遺物は、体高は、
せいぜい一四二・二センチであった。
J.クラットン=ブロック『馬と人の文化史』
752 :人間七七四年 [sage] :2009/06/20(土) 13:22:02 ID:6UuzqP+c
おまけ
ヘンリー八世(一四九二〜一五四七年)は、彼自身体重が決して軽くはなかったが、王国全域にいる馬
の大きさや体力を改良することに特別な関心をもっていた。彼は一五三五年、実質上の土地所有者は、
一三二センチかそれ以上の雌馬を最低でも二頭は飼わなければならないという布告を出した。そして
一五四一年には、イングランド中部および南部の州の所有地では、一四二センチ以下の種雄馬の放牧を禁じた
0793人間七七四年
2012/05/18(金) 20:22:01.29ID:mBUfNfS/聞けて面白いww
http://is.2ch.net/?ie=SJIS&q=%93%81
0794人間七七四年
2012/05/18(金) 21:26:04.50ID:3DKM1AwS基本的にフロイスも西洋人至上主義者であり、日本人に嫌悪感を持っていたことと。
ヴァリニャーノのフロイス評にあるように誇張癖のある人物でことと
最大のところは「蛮地」である日本を教化すべく派遣された、
宣教師という立場で書かれた報告書の記述であること等に
公平な第三者とはとてもいえる人物ではないので注意して読んだ方がいいよということやね
そもそも少年時代にアジアに移り住んだフロイスのヨーロッパ評も何処まで信用できるか
0795人間七七四年
2012/05/18(金) 22:04:41.55ID:bYkU+Jpv1548年(天文17年)、ゴアの聖パウロ学院長ニコラオ宣教師がインドに来た日本人(アンジロー)から聞き取った『日本の世俗的な事柄について』のインド総督宛ての報告書。
私が日本の情報について閣下に送付した第一の文書においては、甚だ簡略にですが、私はその土地において行なわれている宗教と神の礼拝に関する主要な事柄のみをいくつか書き認めました。
その他の世俗的な事柄は、私の職業にそれほど相応しくなく、また必要であると私には思われないため、余り熱心に知ろうとしませんでした。
しかし、閣下が、私が前述の世俗的な事柄に関して質問するように私に命じていますので、私はたくさんの恩義を受けている方に従わない訳にはまいりません。
閣下の質問、日本人の間に、戦いが行なわれるかということについて、彼(アンジロー)が言うところによると、 ・・・・・
日本には、鎖帷子、胸当、兜、頤甲及び腕章があります。
彼等はまた腿や脚部に鉄でできた具足を付ける習わしがあります。
彼等は、エスピンガルダ(小銃)、弓、矢及び槍を持っています。
彼等はまたたいそう幅が広くてかなりの長さがある一種の鉾をも所持しており、それは私達のものと同様に柄に付いています。
彼等は私達が片手や両手で剣を持っているように、小刀と大刀とを帯びています。
彼等には卵型の革製の盾はありませんが、その代わりに金属の薄片で被われた革を常用しています。
それは左肩の上に、そしてその箇所に楯の代わりに結び付けられます。それは長さ三パルモ(66cm)、幅はそれよりも少し短くなっています。そして、左手は戦闘のために空いています。
これらの日本人が戦争に赴く時には、土着の兵士(現地人兵士)は各々胸当、兜及び革のあの手楯のようなもの、刀、槍、弓矢を持っていきます。
彼等は武器を運搬するのを手伝う小者一人、あるいは、私達の間に見られるように、彼等の地位に応じてそれ以上の数の小者を連れていきます。
この島のある地域では山がちな土地であるためにすべての者は徒歩で戦いますが、土地が平地である他の地域では弓矢や両手を使う刀を持って騎馬で戦います。
そして敵を幾人か殺した時には、その首を斬って大将のところへ持っていくのが習わしです。そして、首を持参することができない時には、勇しさの証拠及びしるしとしてその耳を切り取って持っていきます。
日本の馬は、私達の馬と同じほどの大きさでがっちりしており、フランスの馬に似て太い脚を持っています。領主達は自分達の牧場に飼育のために数え切れないほどの雌馬を持っていることを誇りにしています。
日本の船はすべて小型であり、その最大のものでもカラヴェラ船ほどであり、丈が短く、私達の船とは別の様式です。すべての船は櫂で漕ぎ、ござ帆を持っています。あの土地に見られる強い風の時には、投錨する度毎に帆柱がおろされます。
日本の商人達はシナ人達と取引を行なっています。彼等は日本からシナに銀、武器及び硫黄や扇子をもたらし、シナからは硝石や多量の生糸を持ってきます。また同様に陶磁器、水銀及び麝香の固まりをも持って来ます。
日本人達はまたシナの下方、東にあるコレー(高麗)と呼ばれる別の人びととも取引を行なっています。
彼等はそこにも銀や貂の皮を持っていきますが、それは、同島にはそれが多量にあるからです。彼等はまた扇子をも持参し、朝鮮からは綿布を招来してきます。 ・・・・・
この島のいくつもの地方に大量の銀があり、僅かではありますが、金山も幾つかあります。また多量の銅、鉛、錫、鉄があり、鋼鉄も非常に豊富にあります。また水銀若干量と硫黄がたくさんあります。 ・・・・・
0796人間七七四年
2012/05/18(金) 22:08:32.89ID:PygDFtWKこれは薙刀のことかな
0798人間七七四年
2012/05/19(土) 00:49:32.17ID:doqifoRr16世紀半ばの時点ではまだ騎射や馬上での野太刀が現役だったのか
0800人間七七四年
2012/05/19(土) 08:24:51.22ID:DLvapdDs騎射は信長公記とか三河物語にも載っている程度には現役。
この人は関東についての報告も受けてるのかなって感じで
ザビエルたちとは違うね。
0801人間七七四年
2012/05/19(土) 13:28:53.83ID:5zjZgNq0やっぱり当時のヨーロッパも日本と似たようなものか
0802人間七七四年
2012/05/19(土) 13:46:24.10ID:doqifoRrここまで正確に当時の日本について書けるもんなのか。
特に鎧の袖が盾の役割を果たすだなんて実際に日本の合戦を見ないと絶対わからない。
彼に色々教えたこのアンジローって日本人は確か人殺して海外逃亡した人だったと思うが
これだけ詳しく色々語れるって事は、実際に戦場に出た経験がある武士身分の人だったんだろうか?
0803人間七七四年
2012/05/19(土) 15:07:06.85ID:+baJzwx60804人間七七四年
2012/05/21(月) 02:55:25.83ID:9jLVQnPI彷彿とさせるような神事が現代まで伝わってる時点で
「日本に騎兵はなかった(キリッ」なんて詭弁以外の何者でも無いな
0805人間七七四年
2012/05/21(月) 03:18:08.23ID:W5u0WOqi馬追い
http://kotobank.jp/word/%E9%A6%AC%E8%BF%BD%E3%81%84
1 牧場で、放牧の馬を柵(さく)内に追い入れること。また、野生の馬を柵内に追い込んで捕らえること。
馬追いとは馬を狩ることだ
犬追物の親戚のようなもんだな
0806人間七七四年
2012/05/21(月) 06:04:03.44ID:kEsG4ml9http://kotobank.jp/word/%E9%87%8E%E9%A6%AC%E8%BF%BD%E3%81%84
こっちだろ
どこの三国人だよ…
0807人間七七四年
2012/05/21(月) 08:27:02.01ID:W5u0WOqi野馬追の検索したらすぐに分かることなのにわざわざそんなリンクを引っ張ってくるって
アホか?
0809人間七七四年
2012/05/21(月) 16:03:06.68ID:BQFhRrJt鈴木以外の本は大して読んだこと無いんじゃないか?
0810人間七七四年
2012/05/21(月) 19:08:53.08ID:vbA8gq1cでは取れたて天然モノをどうぞ。
でも多分この手のヤツは鈴木の本すらまともに読んでないと見た。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1337375940/
740 :名無しさん@12周年:2012/05/21(月) 19:00:28.47 ID:wTnUNvqr0
日本刀の端的な殺傷力より
ピストルの射撃やナイフや包丁の携帯性隠密性を携えて
かつ相当の殺傷力がある方が怖いけどな、
秋葉通り魔のアーミーナイフなんて気づかれないうちの一刺しで人が死ぬ
>>720
合戦の主力は一に投石、二に弓矢、三に槍、刀は合戦後の敵の首獲り用
屋内戦が多い幕末京都と、弾切れのあった同時期には携帯性の優れる刀は活躍したけれど
現在は軍用ナイフしか使ってないでしょ、多対多の近接戦なんて想定する意味ないから
もし刀に対抗したいなら、刀を持つより三叉の方がいい
0812人間七七四年
2012/05/21(月) 20:32:00.30ID:7flgOHbx0813人間七七四年
2012/05/21(月) 20:55:03.81ID:9jLVQnPI0814人間七七四年
2012/05/21(月) 21:17:28.68ID:O6gbCy1P0815人間七七四年
2012/05/21(月) 22:18:22.23ID:9jLVQnPI0816人間七七四年
2012/05/21(月) 22:18:23.33ID:4YLaMOFEみつまただし、戦争でも使ったらしいし
0817人間七七四年
2012/05/22(火) 01:23:34.14ID:l3Qs9wUT0818人間七七四年
2012/05/22(火) 04:20:14.34ID:YFeDZE40長槍隊も互いの肩が触れる位の間隔で並んだそうだ
0820人間七七四年
2012/05/22(火) 08:34:35.07ID:1ehzRm9f0821人間七七四年
2012/05/22(火) 08:52:45.45ID:4Cd4qDZQカキコのバカさから言ってたぶんそういうのは知らないだろうと思う。
素でさすまたと間違えてるよ。
0823人間七七四年
2012/05/22(火) 13:06:28.97ID:4Cd4qDZQ軍事に関して色々知っててもおかしくない。
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/25/pub_kaigai-iezusu-genbun-01.html
0824人間七七四年
2012/05/22(火) 17:15:16.93ID:Khjlyyipそしたら買うのにw
0825人間七七四年
2012/05/22(火) 19:33:11.17ID:lgC1FgSt0827人間七七四年
2012/05/23(水) 16:30:18.09ID:eEkAoerG0828人間七七四年
2012/05/24(木) 22:40:20.50ID:PKu8Lqz0http://blog.livedoor.jp/nwknews/article/4202640/comments?guid=ON
0829人間七七四年
2012/05/24(木) 23:00:50.52ID:4+4hjbf4この記事は存在しないか、すでに削除されています。
0830人間七七四年
2012/05/25(金) 19:46:14.70ID:fDLQ0FCvhttp://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4202640.html
0831人間七七四年
2012/05/31(木) 11:37:33.41ID:g3GwZj+Qあれマグロ包丁だってさ
0832人間七七四年
2012/05/31(木) 13:25:39.76ID:nRmNST3Y解体職人の方が手並みは鮮やかだろう、とオモタ
0833人間七七四年
2012/05/31(木) 22:30:35.06ID:iQmU+f/l0834人間七七四年
2012/06/01(金) 00:20:04.76ID:NuxpP/+7そりゃマグロ解体の手並みは鮮やかでしょうな。
0835人間七七四年
2012/06/08(金) 20:33:38.53ID:l5g8O86ihttp://shop.gakken.co.jp/shop/order/k_ok/bookdisp.asp?code=1340530400
http://shop.gakken.co.jp/goods_img/book/jpeg/4054053041.jpg
ここに組衆編制が東国から起きたって実証的に書いてあるけど・・・
騎馬武者
騎馬隊
騎兵
騎兵隊の定義って何ナノ科ね?
そこがはっきりしないから、みんなで、正しいことを言っているのにもめてる感があります。
0836人間七七四年
2012/06/08(金) 23:58:49.42ID:UybD+u7K正しいことを言っているのにもめてるのではなく、
正しいことを話題作りのために煽りとミスリードで粉飾するから揉めた。
0837人間七七四年
2012/06/09(土) 00:02:49.55ID:tz6i3GaP藤本の仲間系じゃなかったかな。
0838人間七七四年
2012/06/09(土) 05:16:07.14ID:qbOkXxfl>>735の岩付衆だと馬上500騎とかなりの規模だ。
馬廻衆も、百騎単位規模の例は信長の母衣衆や三木合戦の別所氏などちらほら見る。
ただし諸大名ごとに武装の種類・サイズ・色などの統一を図ることがあったとはいえ、
到底近世欧州のような騎兵隊ではない。
中世騎士や共和制ローマの騎士のように、個人的な従者を引き連れた前近代的な騎馬隊だった、ということじゃね。
0839人間七七四年
2012/06/09(土) 07:47:57.51ID:crxXeW/pもちろん運用や形態などは近世欧州の騎馬隊とは似て非なるものだが。
0840人間七七四年
2012/06/09(土) 08:31:59.83ID:z+qrJG8V0841人間七七四年
2012/06/09(土) 10:20:51.73ID:30eFIkA6(各武将の私兵の寄せ集めで兵科毎の分類をしていない)
で語る輩がいるからなあ。
0842人間七七四年
2012/06/09(土) 11:26:09.75ID:wAv3FkIr兵科ごとに分類したのは一部の制度的に進んだ東国の戦国大名くらいで、
織田も含めて西日本の戦国大名は、近世に入るまで、軍役で集まった兵士の、兵科別の再構成は
行なっていなかったようだからな。
0843人間七七四年
2012/06/09(土) 12:48:35.30ID:lWpwzGva常に行っていたかは正直疑問
0844人間七七四年
2012/06/09(土) 14:24:47.47ID:xpOatshj近世前期(17世紀)の西欧諸王朝の騎馬隊と同じだよ
おまえらが言ってるのは近代以降の騎兵隊
0845人間七七四年
2012/06/14(木) 03:46:44.57ID:Luuti9m7>>243
>>鎧着けた侍が銃撃戦ってコレはホントに時代劇か?って思わずツッコミそうになったけど
戦国時代には火縄銃はかなり普及してる。
あの時代鉄砲を一番保有していたのは日本とも言われている。
元々日本は遠距離で戦う傾向が強くて、今の大河の清盛の時代だと主力は弓兵で
どちらの時代においても刀は首と獲るときか接近戦に持ち込まれたときにしか使わない。
まあテレビで良く見るような時代劇か?と言う意味なら
そうかもしれないかなともいえるくらい画期的な演出の回だったと思う。
0846人間七七四年
2012/06/14(木) 05:59:37.17ID:yFktksR5> 戦国時代には火縄銃はかなり普及してる。
> あの時代鉄砲を一番保有していたのは日本とも言われている。
ウソウソ。東アジアではもしかして一番多かったかもしれんがヨーロッパの大国やオスマントルコには
まったくかなわん。
> 元々日本は遠距離で戦う傾向が強くて、今の大河の清盛の時代だと主力は弓兵で
> どちらの時代においても刀は首と獲るときか接近戦に持ち込まれたときにしか使わない。
これも嘘。源平の時代も戦国時代も戦い「始める」のは遠距離だが、とどめを刺すのは刀剣での突撃。
刀が首取りの道具とか、鈴木信者かよw
0848人間七七四年
2012/06/14(木) 09:09:08.53ID:7ju3ldCi0849人間七七四年
2012/06/14(木) 09:17:10.53ID:8cQmUeUX0850人間七七四年
2012/06/14(木) 09:52:28.36ID:GvjlpPt7>>846
実際のところ鉄砲はどんだけあったんだろうな?
常備軍の数ならスペインの3倍以上いたみたいだが。
0851人間七七四年
2012/06/14(木) 11:26:01.63ID:GvjlpPt7「長ったらしい名乗りを上げてから一騎打ちをしていました。集団戦の概念が無かったので元軍に一方的に敗退しました」
ってふざけた言説がまかり通ってた時代よりはマシになったんじゃない?
0852人間七七四年
2012/06/14(木) 11:50:05.49ID:mHzKj2xh人口だって多い人の説と少ない人の説のじゃ倍違うし。
16世紀当時、ひとつの戦場に10万人以上動員することができたのは、西か
らオスマン朝、ムガール、明、日本の四ヶ国だけ。
ヨーロッパ諸国あたりは一万人以上動員の記録もあまり多くない。
0853人間七七四年
2012/06/14(木) 18:37:14.27ID:qxDdgOnO16世紀末のスペインや仏王国の総兵力が8万〜9万
火縄銃やモスケットの装備率が3割前後
大大名なら一家で上回っちゃうレベル、白人コンプも程々にな
0854人間七七四年
2012/06/14(木) 20:06:39.17ID:GvjlpPt716世紀末期の行政記録から全軍の半数〜3分の2くらい鉄砲装備してたのがわかるよ。
因みに常備軍はイングランドは8万、スペインはヨーロッパに展開してた保有戦力全て足して15万。
まあ、兵力に関しては日本は九州+毛利だけで普通に15万はいくっぽいけど。
0855人間七七四年
2012/06/14(木) 20:31:53.99ID:OoOaTfW416世紀末のスペインで言えば、中核のスペイン兵イタリア兵部隊の
火縄銃・モスケットと槍兵の比率が4:5、正規兵と雑兵の比率が2:1
全てひっ包めた全軍の3割が火器装備、槍兵と雑兵が3割強。
英王国の常備軍は1万5千程度、傭兵を含めて最大6万5千
スペイン王国が同じく最大限9万弱、当時は既にドイツが別個の国として分家。
よって>>854の主張はどちらもまちがい
0856人間七七四年
2012/06/14(木) 20:36:36.46ID:7ju3ldCi0857人間七七四年
2012/06/14(木) 20:38:38.95ID:hYPisjty0858人間七七四年
2012/06/14(木) 20:41:50.02ID:OoOaTfW4仏王国は火砲はスペインより豊富で火縄銃・モスケットは同程度
西欧諸王朝のどれをとっても、織田・豊臣・徳川以下、最盛期の島津や毛利と同じ水準。
0860人間七七四年
2012/06/14(木) 23:52:29.77ID:jkWsBVpX騎兵や砲兵、非戦闘員は含めない数字だ。フランドル方面軍だけでも歩兵56,265人 騎兵3,650騎の計59,915人を擁している。
対して1588年当時無敵艦隊を迎え撃つイングランド軍も大規模な動員を行なっていて、
トレーニーバンドで動員された兵力は歩兵79,798人、騎兵5,461騎。
歩兵の装備は、ビル10,967人、ロングボウ14,209人、パイク21,178人、キャリバー28,742人、マスケット4,702人。
銃装備率は歩兵の42%で、騎兵も大半がピストル以上の銃を装備している。
これ以外に、低地地方に派遣したベテラン兵と女王の親衛隊、貴族、聖職者の義勇兵が加わる。
0861人間七七四年
2012/06/14(木) 23:57:29.45ID:jkWsBVpXあとスペイン歩兵の兵力はあくまで常備軍で民兵は当然含まれてない。
0862人間七七四年
2012/06/15(金) 00:03:50.03ID:dPj16A4J856の話は繰り返し出てくるけど、朝鮮役に参戦した諸家は間違いなく
銃の装備率は上がってるけど、半島での実戦経験のない伊達家に
そんな先見の明があったのかどうかはやっぱり疑問だわな。
0863人間七七四年
2012/06/15(金) 00:18:16.68ID:vLx7eQxM兵力の記録も誇張ばかりだから、実質動員できる兵力は多分スペインより少ない。
0864人間七七四年
2012/06/15(金) 00:28:22.82ID:ChUWGyde>これ以外に、低地地方に派遣したベテラン兵と女王の親衛隊、貴族、聖職者の義勇兵が加わる。
いや、加わらない。
低地諸国の反乱に加担したライチェスターは成果が上がらず
オランダ地方の民衆からも反感を買って、スペイン艦隊が小競合いと嵐と
天候不順で大きな損失を出した一連の軍事行動の時には英国へ引き上げている。
スペイン艦隊との戦いに参戦した英王国艦隊の戦闘員は約30000万人
そのうち火器を装備していた歩兵は、スペイン軍の8000人に対して
半分に近い5000人弱でしかなく、艦隊の半数前後14500人は水兵から構成された。
一方のスペインも低地諸国から英上陸の為に集めた兵が27000人、留守の守備隊が22000人
これは当時のスペイン軍の大半を占め、攻勢が頓挫しスペインと和平していた
仏王国に対する伊、西本土は8000人、6000人と少なく、艦隊の水兵8250人を含めた31000人
これらを総て合算しても94000人、反乱と遠征を行った時期の最大限の数字で
当然ながら、一時雇用の傭兵や雑兵が大量に含まれていて
英遠征の戦闘員で言えば約11000人が雑兵。
0865人間七七四年
2012/06/15(金) 00:33:11.06ID:ChUWGyde西欧の中では最も進んでいたスペインですら、日本と違いろくに兵科も分けず
大量の傭兵と雑兵がごっちゃ、兵力は渡海遠征して行われた朝鮮征伐と比べても
半分にも満たない兵力でしかない、しかも譜代の軍が大半の日本と異なり
未だに傭兵が多くを占めていた。
瞬殺された李朝軍に比べれば遥かに進んでいたが
日本と比べてしまうと足下にも及ばない。
0866人間七七四年
2012/06/15(金) 00:43:04.44ID:2knrW5DN日本の比じゃないな。これはもう日本側分が悪すぎるわ。
0867人間七七四年
2012/06/15(金) 00:46:30.24ID:ChUWGyde0868人間七七四年
2012/06/15(金) 00:52:48.21ID:2knrW5DN北条宗哲が永禄四年三月二十四日、大藤式部丞に出した書状には
配備した鉄砲五百丁をもって敵の軍勢を堀端へ寄せ付けてはいけない、というような
指示が出されているから割と早い時代(長篠合戦の14年前)からそれなりの量があって
運用されていたらしい。
0869人間七七四年
2012/06/15(金) 00:53:44.49ID:88+o0qGF>いや、加わらない。
加わるよ。少なくともティベリーに4,000人の低地地方派遣軍がいる。
あと、女王の親衛隊、貴族、聖職者の義勇兵はそもそも国内から出てないから居ないはずがない。
人数も正確にわかってるしね。
>スペイン艦隊との戦いに参戦した英王国艦隊の戦闘員は約30000人
それは、海軍の水兵と、それに乗船した陸兵の話。
30,000人という数字が正しいかは知らないが
>>860で挙げたのはあくまで陸上で迎え撃つ兵士。主にイングランド南部に配備された。
ケント州だけでも7,124人が動員されてる。
ケント州兵の銃装備率は、約36%。
>一方のスペインもry)
スペイン人部隊と、スペイン軍を勘違いしてるのだと思う。
スペイン人歩兵部隊は1588年当時、アルマダに4個テルシオ+独立32個中隊の約18,000人。
フランドルに4個テルシオ8,712人、イタリアに3個テルシオ7,000人、アジアに5,000人、
スペイン本国に多数の独立中隊29,000人、アメリカに8,000人の約76,000人。
>>860でも書いたとおり、フランドルには56,265人の歩兵がいた。
そのうちスペイン兵は8,712人に過ぎない。
ちなみにフランドル方面軍の出身地構成は、
スペイン人8,712人
イタリア人5,339人
ブルゴーニュ、アイルランド、スコットランド人3,278人
ワロン人17,825人
ドイツ人19,925人
守備兵1,180人(人種は不明)
0870人間七七四年
2012/06/15(金) 03:05:49.98ID:CMAbvQ22まず英王国軍の4000人というのはライチェスターに歩兵5000人騎兵600人と
多数の王国公認略奪兵を率いさせデーンハーグへ送った部隊の成れの果てで
オランダの住人に嫌われ、スペインが英遠征を計画する何年も前に帰国している。
また英遠征と低地諸国鎮圧には当然多数のスペイン兵とイタリア兵が動員されている。
1580年に起きたポルトガル王族の反乱ではフェリッペ王自ら親征したが
内戦中の低地諸国からは勿論フランダースからも兵を集めず
数か月掛けてスペイン内のみで準備してもその数は18000人でしかなかった。
1580年の段階での低地諸国戦線の同地方人の兵士18000人は、カトリック側の封建諸侯が
反乱を起こした新教側のオランジュ公に対抗して自前の金で徴募した自前の軍であって
スペイン軍の数には当然入らず使えない、パルマ公の指揮権もゲント合意に縛られた物。
それ以外の歩兵25部隊と騎兵12部隊が西軍で数は約31000人、うち約16000人が伊・西出身。
仏王国軍で積極派のアンジューが死んだ後は講和し、その結果として
イタリアとフランダースの兵を回せるようになり英遠征が企図された
当然ながらスペイン本国と伊には守備兵はあまり居らず合わせても1万を少し超えるに過ぎない。
結論、>>869は同じ物をいくつも重複して数えてしまっている
0871人間七七四年
2012/06/15(金) 03:23:37.41ID:uyfxqFMj日本の3分の1程度だったイングランドはともかく
イベリア半島と属領を足したら日本と同じかそれ以上のスペインは
10万以上の常備軍がいても不思議ではない気はする。
0872人間七七四年
2012/06/15(金) 04:31:44.75ID:CMAbvQ22その上、オスマン帝国や大明や日本と比べ行政組織も未整備
それでもスペインと仏は行政機構の整備して16世紀の100年で
徴税能力と国家財政規模を3倍に増やしてはいるけど
0873人間七七四年
2012/06/15(金) 05:37:49.29ID:88+o0qGF重複してないよ。
だからわざわさ1588年の時点と特定してるわけだ。
はっきりしてるのは、1588年4月29日の時点でのフランドル方面軍約60,000人、これにはアルマダに乗船した兵士は一人もいない。アルマダに乗船した兵士はスペイン人とポルトガル人しかいないからだ。
本国兵にしても、カタルーニャと併合間もないポルトガルにいた兵士が中心。アメリカ、アジア、イタリアにいた兵士は、重複するわけがない。
具体的にどこのどのテルシオが重複してると言いたいんだ?
重複してると自信をもって言うなら言えると思うが?
0874人間七七四年
2012/06/15(金) 13:21:59.68ID:vLx7eQxM0875人間七七四年
2012/06/15(金) 13:24:15.16ID:wYrZcV960876人間七七四年
2012/06/15(金) 15:19:14.82ID:vLx7eQxM日本が小競り合いしかやってなかった時代に
タウトンの戦いで両軍合わせて10万の軍勢が激突してるのに
常備軍が一万くらいしかいなかったとか頭悪すぎ
0877人間七七四年
2012/06/15(金) 16:30:05.36ID:XAdBEzwFいや、重複してるよ。
英遠征時の中核部隊火縄銃・モスケット兵8000と装甲槍兵10000はスペイン人12000、伊人6000、他に雑兵約13000。
フランドル軍は仏王国との戦争当時24000人、英遠征時は8000人残留、伊半島の守備隊は6000人。本土に8000人。
低地諸国からは、遠征を準備出来た兵が27000、諸侯の義勇軍18000と西軍4000は残留。
ここまでに総ての本土軍が含まれ、欧州での総兵力は約85000。 完
0878人間七七四年
2012/06/15(金) 16:54:48.04ID:XAdBEzwF長島の一向一揆軍は30000人、たったの1国のそのまた一部にも拘らずね。
全国統一した日本軍なら200万人の常備軍を備える事など造作も無かっただろうねw
0879人間七七四年
2012/06/15(金) 17:00:47.10ID:vLx7eQxMしかもあれは後世に算出した数で荷駄隊などの非戦闘員含めての数な上実数は更に少ないという。
更に戦国オールスターとも言える朝鮮侵略軍で漸く戦闘員が10万に届くかという所。
0880人間七七四年
2012/06/15(金) 17:01:42.03ID:vLx7eQxM■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています