次々と通説を打ち砕く鈴木真哉・藤本正行について 5
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0001人間七七四年
2011/07/03(日) 17:54:02.54ID:fcz44HVi長篠鉄砲三千挺はない
桶狭間は奇襲ではない
武功夜話は偽書
徳川御用史観は嘘だらけ
>>2-5の辺りに関連スレなどのテンプレ
●過去ログ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1109562623/
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169131109/
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1222456299/
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1286968038/
0612人間七七四年
2012/03/18(日) 14:10:28.95ID:FyefHfRA倒れた鎧武者にとどめさすにはよさそうだけど
0613人間七七四年
2012/03/18(日) 15:27:34.79ID:5dBt3h8Oもしかして韓国人並に数字に弱いのかな? >一メートルを五ミリも越えてるものばかりではないですか
0614人間七七四年
2012/03/18(日) 16:48:01.18ID:V+34L8HDいちいちこういうこと書いてやらんと何一つまともに理解できないのか?w
0615人間七七四年
2012/03/18(日) 20:01:26.10ID:DLPcaB3o室町時代の土一揆では殆どの農民が刀などを装備してたのを考えても
農具のが刀より役に立つってのは無いだろう
0617人間七七四年
2012/03/19(月) 05:08:19.45ID:D5sQuySM0618人間七七四年
2012/03/19(月) 12:07:35.52ID:88X+ALV90619人間七七四年
2012/03/19(月) 13:31:15.29ID:vOA/LwOr0620人間七七四年
2012/03/20(火) 08:02:13.41ID:3g1qQ0Ku竹槍で落ち武者狩りとかどうなんだろう?
0621人間七七四年
2012/03/20(火) 08:49:10.28ID:DkRnLwtW百姓の竹槍程度でも簡単に負けるらしい
0622人間七七四年
2012/03/20(火) 11:40:11.58ID:3g1qQ0Ku0623人間七七四年
2012/03/20(火) 22:42:12.14ID:yfQ7cepS0624人間七七四年
2012/03/20(火) 23:35:53.26ID:gcVhx78f0625人間七七四年
2012/03/21(水) 00:25:07.08ID:k8m2M/Kvわざわざ竹槍なんか使わなくても。
合戦があった場所に行けば槍の先端部なんていくらでも落ちてるだろ。
0626人間七七四年
2012/03/21(水) 02:02:46.44ID:FBESue8dバカ丸出しだぞw なんで矛じゃなく鑓なのか考えてみような。
0627人間七七四年
2012/03/21(水) 08:05:19.42ID:s/1oHk8jなんで替えの鑓が用意されるのか考えてみような。
0628人間七七四年
2012/03/21(水) 08:31:25.20ID:UPZIzV/y日本刀の戦場での使用方法のひとつに槍の穂先を切り落とすってのがあったわけだから、激しい戦闘が行われた場所なら、そうやって破損させられた槍の残骸見つけることもそう難しい話しではないだろうかと。
0629人間七七四年
2012/03/21(水) 10:35:28.08ID:H1/IgiYH0630人間七七四年
2012/03/21(水) 13:07:48.27ID:FBESue8d折れないとは言うておらんが、替え鑓のある名のある武士ならともかく、足軽が鑓が
途中で折れたら単なる棒棒と化した手元の柄と、鑓先(しかもかなりの柄付き可能性大)の
どちらを持ち運ぶかを考えてみような。
>>628
切り落とされないために鑓は茎が少なくとも刀身と同等、普通は2〜3倍あるわけだが。
袋鑓や茎の短かった鑓の発生初期ならともかく、茎ごと刀で切り落とすなんてのは非常に
困難だし、そもそも刀で鑓と渡り合うなんてのはすでに危機的な状況だろ。
0631人間七七四年
2012/03/21(水) 13:10:20.38ID:FBESue8d大事なことなので、じゃなく単なるペーストミス。
0632人間七七四年
2012/03/21(水) 14:06:05.29ID:s/1oHk8j>流祖・佐々木哲斎徳久は槍の名手であり、関ケ原の戦いにおいて、九尺の槍を使い激戦中槍先が折れ、柄をもって奮戦。
持ち運ぶのは棒棒ですね、わかります。槍足軽だって穂先がついた短い鑓でなく
号令に合わせて叩く戦術のために長い柄を選ぶだろうよ。
0633人間七七四年
2012/03/21(水) 14:22:59.47ID:FBESue8d勇敢に戦った足軽が前世なのはよくワカッタ
0636人間七七四年
2012/03/21(水) 14:50:15.58ID:FBESue8dそれはあるなw じゃ、632の前世はそれということで。
しかしまぁ、手柄もあげずに鑓先だけ無くして帰りゃ、殿様なり御館様なりに
どやされるのは必定なので、三八式歩兵銃ほどじゃないにせよ、鑓足軽も
折れた鑓先は探して持って帰ったんじゃないかね?
0637人間七七四年
2012/03/21(水) 14:58:52.63ID:gbl1YI+d0639人間七七四年
2012/03/21(水) 15:55:10.81ID:s/1oHk8jお前の説だと鑓を折った足軽は少し柄のついただけの穂先を持って何してるのかね?
武器無くしたことを怒られるのを防ぐため穂先を持ってそのまま本陣に撤退?
それと槍の折れた足軽はすべて探して回収?
一刻を争う戦場で何バカなこと言ってるんだ?つかいきなり前世とかわけわからんこと言い出して
なんか薄気味悪いわw
0640人間七七四年
2012/03/21(水) 21:31:59.54ID:FqQjEy77要は戦場稼ぎと同じ要領だろう?
問題があるとすれば、他の戦場稼ぎの縄張り絡みの利権争いだろうがな。
0641人間七七四年
2012/03/23(金) 23:59:18.45ID:Vd0rDICZ刃物部分を戦場とかで拾ってそれを適当な棒に繋ぎ合わせた簡易な槍が存在してもおかしくない。
0642人間七七四年
2012/03/24(土) 00:15:01.14ID:fl4hPyXn農村でもちゃんとした武器を山ほど持ってた時代。
0643人間七七四年
2012/03/24(土) 01:17:52.23ID:bUQ5Oc/60644人間七七四年
2012/03/24(土) 08:36:46.35ID:sbmYM6C0普通に刀、槍、鉄砲で武装しておる。
0645人間七七四年
2012/03/24(土) 08:59:52.41ID:dpTKRXsO・関白のこれらの役人が徴収した刀・脇差・槍・鉄砲・弓・矢は、長崎の村で発見されただけでも、
刀剣が四千振り、槍が五百本、弓が五百張以上、矢は無数、鉄砲三百挺、および鎧百領以上(に達し)、
有馬領からは、一万六千以上の刀剣と、その他無数の武器が(徴収された)。
0646人間七七四年
2012/03/24(土) 09:20:04.12ID:sbmYM6C0そりゃ天草一揆の結果としての武器没収だろ。
それにそれだけやっても島原の乱じゃみんな武装してるし。
0647人間七七四年
2012/03/24(土) 13:48:08.44ID:a/kwAmV90648人間七七四年
2012/03/24(土) 17:02:11.77ID:sbmYM6C0天草国人一揆 :天正17年(1589年)
秀吉が関白位を秀次に譲り太閤となる :天正19年(1591年)
何か問題が?
0649人間七七四年
2012/03/24(土) 17:32:42.30ID:fl4hPyXn勘違いする人も居るだろう
0650人間七七四年
2012/03/24(土) 17:45:05.34ID:fl4hPyXn研究者が刀狩に「農村の武装解除」という言葉を当ててるから勘違いされるわけで
(勘違いしてる研究者もちらほら居るけど)
武装権を剥奪されてる訳ではないので、
実態は「農村の軍縮」であった。とすれば理解しやすいやね
0651人間七七四年
2012/03/24(土) 18:17:05.46ID:dpTKRXsO問題があるとすれば、フロイスはこの段において秀吉が関白ではなかった1592年のことであろうが
関白と呼んでいることと、>>645の武器没収が>>646のいう天草一揆の結果ではないってことかな。
中央公論社版フロイス日本史の182〜183に載ってるからちゃんと自分で見てみるといいよ。
0652人間七七四年
2012/03/24(土) 18:17:50.78ID:dpTKRXsO0653人間七七四年
2012/03/25(日) 07:53:27.18ID:TCC+JbNa0654人間七七四年
2012/03/26(月) 11:36:42.76ID:DwWnvvex江戸中期以降も数十万丁の鉄砲が民間にあったよ
主に農家の防獣駆除でね。
対馬藩など百姓に火縄銃を持つよう奨励していたところもある。
0656人間七七四年
2012/03/26(月) 19:00:27.10ID:xgEBtwIE0657人間七七四年
2012/03/28(水) 11:14:31.86ID:lDDfOlAu0658人間七七四年
2012/03/28(水) 20:00:37.64ID:ZbrdIg8Iごんぎつねも鉄砲で撃たれて死んだしな
0659人間七七四年
2012/03/28(水) 20:31:01.25ID:4b5S4iXW今、日本各地にある火縄銃隊のほとんどは観光用に「復活」させたもんだけど。
他所の火縄銃術をコピって、僅かな資料から付け足してオリジナルと主張。
0660人間七七四年
2012/03/28(水) 20:32:13.72ID:JasWW2Fc0661人間七七四年
2012/03/28(水) 23:10:20.22ID:mwVDf6KF0662人間七七四年
2012/03/28(水) 23:47:50.38ID:lDDfOlAuそこで止まっちゃう。
厳密に言えば、子供向けに分かりやすく端折ったものなんだろうけど。
他にも世界史のカノッサの屈辱とかマグナカルタとか。
0664人間七七四年
2012/03/29(木) 00:56:23.53ID:5b5Hm32w0665人間七七四年
2012/03/29(木) 03:03:26.36ID:xzs8aSIy鉄炮は、島津みたいに士筒を持つような例外を除いては下士、雑兵の
領分という意識が幕末に至るまでは普通じゃないの。
0666人間七七四年
2012/03/29(木) 03:09:19.51ID:+dDRRvpH0667人間七七四年
2012/03/29(木) 08:58:19.90ID:kGc99C1+『雑兵物語』にも「持筒」は出てくる。
0668人間七七四年
2012/03/29(木) 18:31:18.39ID:Hhu/3HTZ0670人間七七四年
2012/03/29(木) 22:24:52.30ID:YAJE7KrI0672人間七七四年
2012/03/30(金) 10:21:00.31ID:UrzH78mY雑兵物語
持筒 筒平
此おれがひつ擔だ鉄炮は、自分ではじくべいとはおもわぬ。
旦那の御手筒だ所で、口薬入も首にひつかければ鞘がよごれて、
旦那の襟にひつかくる時慮外だ。
0673人間七七四年
2012/03/30(金) 10:43:11.59ID:H5cI9xU1足軽用の鉄砲より大口径で破壊力重視
0674人間七七四年
2012/03/30(金) 23:58:31.88ID:wZk+ETaS騎馬組のいわゆる騎士身分も装備品に鉄砲を持っていることは多いよ
平井山合戦では、別所方の近習150騎が馬上から10mの距離で一斉射撃し
秀吉方の騎馬150〜160人を撃ち落したとあるね。
0675人間七七四年
2012/04/01(日) 07:37:39.58ID:d8D05ZGy0676人間七七四年
2012/04/02(月) 08:52:48.88ID:wWMJddC5死体の首を取るのにあんな長いモノを腰に差していったのか。
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1333238455/
421 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/04/01(日) 13:46:42.51 ID:ZUL1dFJH0
実際、戦国時代でも刀なんて死体の首を切る以外ではまず使わなかったらしいじゃないか
0677人間七七四年
2012/04/02(月) 09:55:52.88ID:sOnKEmEO0678人間七七四年
2012/04/04(水) 14:43:14.16ID:bu/FRUmm0679人間七七四年
2012/04/15(日) 21:02:52.61ID:5ejUnpSfここにもいるよ。刀と槍に拳銃と自動小銃ほどの差なんてないってのに。
0680人間七七四年
2012/04/15(日) 23:47:14.53ID:mgM8Kbd0まぁ差というか使いどころが違う
0681人間七七四年
2012/04/16(月) 02:10:35.32ID:e9cxLw53すげー。こんな天然モノは久々に見た
0682人間七七四年
2012/04/16(月) 06:39:54.65ID:BiP4wWAP大太刀だと手槍より長かったりw
0683人間七七四年
2012/04/16(月) 08:49:10.14ID:URTJD1L9「ボクが考えた最強武将ランク」とかにしかならんわなw
0684人間七七四年
2012/04/16(月) 10:39:05.71ID:e9cxLw53そもそも刀は鎧に対して無力と言う一方で、刀より
鋼の部位が少なく細い槍が有効とする理屈がわからない。
そもそも鎧が切れないから刀は役に立たないという理屈がわからない。
0685人間七七四年
2012/04/17(火) 14:30:11.96ID:CZw1EhxB所詮は動物最弱クラスの人間だもの。
0686人間七七四年
2012/04/17(火) 17:30:42.02ID:sA/PFRdjそもそも足軽の使うような長槍は実際の乱戦になると役に立たない。
ちゃんとした侍は、槍を使うにも短めの手槍を使ったことからもそれはよく分かる。
0687人間七七四年
2012/04/17(火) 17:34:08.46ID:9GC83tUL0688人間七七四年
2012/04/17(火) 18:17:30.78ID:EbGvjHfAなんか雑兵物語の足軽の口調みたいで笑ってしまったw
0689人間七七四年
2012/04/17(火) 19:09:07.96ID:poSTkfpr0690人間七七四年
2012/04/18(水) 16:34:01.84ID:anWr8Z/s・刀のそりよきころなるはあたりつよし、高麗陣に加藤肥後守、軍兵どもの
てきをきりあぐみたる時、肥後守いさましめて、馬上にて幾人きりたをし候や、
かぞへみよと申さるに、刀の直なるにてはあたりよはくて敵たをれず、
そりたるにてはきれずといへどもたをれぬはなし
0691人間七七四年
2012/04/19(木) 04:13:32.65ID:y+9nf5sh騎射は、人数が多く、戦闘の激しい時代になると身を護る実用性が低いから、
廃れたんでないか?
那須与一のような当たらなそうな的を、
「願掛け」して神に祈り、
当てることで、
神のご加護を証明する。
自分達は加護を受けているんだ、と雑兵を味方に付けて煽る。
鎧兜を目立たせて戦場に出るのも、
勝てば神の加護と正当性として現れてくるから。
謙信はソレが行き過ぎて自らが「毘沙門天」だと言ったらしいね。
俺が神だから先頭で突っ込んでも死なないってこと。
0692人間七七四年
2012/04/19(木) 07:01:51.74ID:1BHgm9bA日本で平らな土地あったら、まずは田んぼにしそうだがw
0693人間七七四年
2012/04/19(木) 07:23:52.86ID:ozqURuq1>>691
端的に言うと、
・馬上騎射は実際には先ず馬を狙っていたのだが、南北朝期には馬鎧が普及して、人間の鎧の進歩もあり
致命傷を与えにくく成ったこと。
・そしてその影響もあって、騎射はそもそも、馬の機動力を利用してある程度敵に接近して攻撃する兵種だったが、
ダメージを与えにくくなると太刀、薙刀、持ち槍などの「馬上打ち物」を使う騎兵にカウンター攻撃を食らうように
なった。一回射るとどうしても隙ができるしね。
・さらに遭遇戦から要害をめぐる戦いに合戦内容が変化し、弓も攻城戦のためのより強力なものが求められ
馬乗で射つには適さなくなっていったこと。(弓射の徒歩化)
まあざっと上げると騎射の減少はこんなところが理由とされているな。
0694人間七七四年
2012/04/19(木) 12:55:11.06ID:npOL24N5城砦の発達による戦闘様式の変化だろ。
0695人間七七四年
2012/04/28(土) 14:32:57.88ID:pp3brItj実際のほとんどは城攻めだろ。
0696人間七七四年
2012/04/28(土) 23:00:03.94ID:PNZNASJF0697人間七七四年
2012/05/01(火) 07:08:36.64ID:6GkF+hk0合理的思考を武器にこれまでの胡散臭い通説(講談・小説由来)を次々と撃破し、
新説を広めていく
古いやつら(斯波・斉藤・今川・武田・浅井・朝倉・比叡山・本願寺・上杉・毛利・・・)
を次々と撃破していった織田信長のようだ
日本史界の天下布武・天下統一は鈴木真哉先生によってなされるであろうと思う
0698人間七七四年
2012/05/01(火) 07:41:45.65ID:ftkgtx620699人間七七四年
2012/05/01(火) 08:08:16.46ID:TB+tvX3l死んでいった天才的革命クラスの戦下手
0700人間七七四年
2012/05/01(火) 11:04:07.79ID:iOv/PzzR0701人間七七四年
2012/05/01(火) 15:36:07.34ID:2TClR7vx0703人間七七四年
2012/05/01(火) 19:48:58.23ID:kX72XzrT0704人間七七四年
2012/05/06(日) 00:29:20.10ID:gBEmUnDChttp://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150781368/
0707人間七七四年
2012/05/06(日) 14:38:40.26ID:nEp3BZYuあらかた論破されて消えたみたいだけど。
拘っている人なんてもういないでしょ。
0708人間七七四年
2012/05/07(月) 11:57:43.21ID:+/coc1a70709人間七七四年
2012/05/07(月) 13:08:15.47ID:6+H2jp22・蹄鉄や去勢の習慣がない
・明治時代の騎兵隊設立までの経緯
・外国人の「日本の馬は軍事用に向かない」系の記録
・集団運用の訓練をした記録がない
以上の理由により日本に騎馬隊は存在しない
ってのが鈴木信者の根拠だったな。
あとなんかあったか?
0710人間七七四年
2012/05/07(月) 14:50:40.44ID:MWQU8A8z0711人間七七四年
2012/05/07(月) 23:41:17.81ID:1yGjCPR2■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています