次々と通説を打ち砕く鈴木真哉・藤本正行について 5
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0001人間七七四年
2011/07/03(日) 17:54:02.54ID:fcz44HVi長篠鉄砲三千挺はない
桶狭間は奇襲ではない
武功夜話は偽書
徳川御用史観は嘘だらけ
>>2-5の辺りに関連スレなどのテンプレ
●過去ログ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1109562623/
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169131109/
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1222456299/
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1286968038/
0005人間七七四年
2011/07/03(日) 19:42:14.80ID:QsRTvU1a0007人間七七四年
2011/07/03(日) 22:08:20.58ID:KleU0utS騎馬隊はない
0009人間七七四年
2011/07/04(月) 07:41:49.64ID:rumAZBeh乗ったまま戦うのは正直しんどい。
0010人間七七四年
2011/07/04(月) 09:47:56.77ID:KXSIJS4+鈴木だってそれは否定してないだろ
0011人間七七四年
2011/07/04(月) 17:33:32.69ID:yUXkTnMI箇所によっては騎馬戦闘を否定する論理を展開している
これは状況によってどっちにでも立ち位置を変更できるずるい手法
鈴木信者は下の否定論にだけ食いついて知ったかぶる
この責任は鈴木の文章の書き方にある
0012人間七七四年
2011/07/04(月) 17:54:01.63ID:j7TB1C9C0013人間七七四年
2011/07/04(月) 18:26:31.45ID:+dY1td9Gあれは、僕は「常設騎馬単科軍団」を否定してるのであって、
騎馬突撃や騎馬隊は否定してませんよ。と言ってる訳だ。
もちろん非常に分かり難い文章である意味釣りだが
釣られると桐野みたいに僕の本ちゃんと読んでるのですかと内容証明で送られちゃうw
0014人間七七四年
2011/07/04(月) 19:54:57.57ID:yqbWL3hA江戸→関ヶ原を徒歩で移動など、ほとんどが歩いてばっかり。
鎧一色など重い荷物がたくさんあるのだから、武士なら「馬がほしい」と思うだろう。
たとえ馬に乗ったまま戦う場面がなくても。
0015人間七七四年
2011/07/04(月) 21:15:23.94ID:yqbWL3hA>998 :人間七七四年:2011/07/04(月) 01:47:40.53 ID:onB4NoUZ
>本能寺の変に関しては無いけど
>桶狭間に関しては正面攻撃とかいう無茶な珍説掲げて自爆したからな
0016人間七七四年
2011/07/04(月) 21:39:26.81ID:yqbWL3hA一つ。信長いわく「あの武者、宵に兵糧を使いて…」と、指差した先の敵は、疲れた兵だと説明
したが、藤本説ではこれを信長の勘違いだとする。疲れた家康達は大高城に戻っていたので、
目の前にいるのは疲れていない新手の兵だとする。俺は、信長の言うとおり疲れた兵ではないかと考える。
一つ。
藤本説の定番の地図では、鳴海城の西は海がある。↓こんなふうに。
http://www.sengokushi.com/godume/img/a_013.jpg
でも、実際にはすでに干拓されて、星崎城という城まであった。浜手の道は潮が満ちていたので、
信長は山手の道をかけたのだが、本来は浜通りの道を行くはずだった。だから、鳴海城の裏側などを
通る予定ではなかったのだろうが、中島砦をでたとき、信長の目は、東でなく、南の丸根、鷲津方面を
指していたのではないかと思われることだ。
そのため、丸根、鷲津方面の山際まで進んだら、「旗本はこれなり」と、予想外なことに、東の下方に
義元達がいたので、急遽、東向きに攻撃を変更、という説もありうるわけだ。俺の珍説ではあるが、
信長公記どうりの解釈だぜ、これは。
0017人間七七四年
2011/07/04(月) 22:19:23.71ID:gWsB/0X0誤認したかどうかなんて・・・どーでもいいです
0018人間七七四年
2011/07/04(月) 22:22:23.38ID:yqbWL3hA0019人間七七四年
2011/07/04(月) 23:12:46.88ID:yT+sEFeN0020人間七七四年
2011/07/05(火) 02:12:39.02ID:Y9QwbXDj>あれは、僕は「常設騎馬単科軍団」を否定してるのであって、
>騎馬突撃や騎馬隊は否定してませんよ。と言ってる訳だ。
いやいや、騎馬突撃や騎馬隊を否定する論理を展開してるんだよ鈴木センセはw
一方で実例を挙げて肯定もしてるんだけどね。
そもそも鈴木センセは、“定説”「常設騎馬単科軍団」存在説に噛みついてるようだけど
実際のところ定説としての「常設騎馬単科軍団」存在説なんて存在しないんだよ。
極めて一部の人が主張してるようだけど、そんなものは例外に過ぎない。
ある意味で虚構と戦っているようなもの。
0021人間七七四年
2011/07/05(火) 02:15:15.02ID:R+iwLLxC>極めて一部の人が主張してるようだけど、
いつの間にか電波桐野くらいしか主張しなくなったな
もう不毛な論争やめりゃいいのに、お互いしつこいねw
0022人間七七四年
2011/07/05(火) 04:14:41.34ID:kdQfCDv4反権威主義の鈴木センセとしては文句付けておきたいんじゃないの?
0023人間七七四年
2011/07/05(火) 10:06:52.30ID:+HpLl/KEある年齢時で時間が止まってるんだよ。
司馬遼太郎の最新の学説で片岡千恵蔵のチャンバラ時代劇に難癖つけたりしたかったんだろw
0024人間七七四年
2011/07/05(火) 21:44:57.80ID:FO0y+WOu0025人間七七四年
2011/07/06(水) 00:09:05.15ID:/X/H8d2M虚偽ないし風説にすぎないと強調し印象付ける意図で使用される場合がある(レッテル・ラベル)。
ここでは、この呼称の利用者の意図や目的が問題となる。
通説とされる論説、陰謀論とされる論説のいずれにおいても、検証の過程を省略あるいは操作して、
権威主義または反権威主義、ポピュリズム、
あるいは、倫理観、または、自由・平等・国際協調といった理想的概念、感情(恐怖、怒り、民族感情、国家意識から個人の自己愛まで)に
対して訴えかける方式の論説であるときは、それはプロパガンダである可能性がある(報道におけるタブー参照)。
通説がプロパガンダや言論統制により擁護されている場合、権威主義的に通説に依拠して、
「陰謀論」の論者が列記する資料や証拠に対する検証過程を拒否するか省略し、
あるいは自己に都合のよい結果となる事例のみを採用した上で、
「通説と異なる背後関係=>ゆえに陰謀論である=>ゆえに検証を要さず棄却」という論法を採用することが多い。
通説と陰謀論の双方がいずれもプロパガンダに過ぎず、いずれもが事実を表示していない場合もある。
陰謀の存在を語る人間、信じる人間は馬鹿だという雰囲気を漂わせることで、人間の自尊心に訴えかけて言論統制の効果を達成することが可能である。
政府や諜報機関などが、カウンター・プロガンダを用いる際には専門家や大学教授など権威者を利用して、疑惑を消し去るための言論活動を展開させることは常套手段である。
0026人間七七四年
2011/07/06(水) 00:13:54.45ID:/X/H8d2M0027人間七七四年
2011/07/06(水) 00:14:58.51ID:EU1fIGWp0029人間七七四年
2011/07/06(水) 08:10:27.25ID:N67e7CaM0030人間七七四年
2011/07/07(木) 06:15:27.87ID:P81RcVYB0031人間七七四年
2011/07/07(木) 13:22:53.37ID:RrEPxvtrそもそもそんなもんは日本だけでなく
世界的にも近代に入るまで殆ど無いだろ
0032人間七七四年
2011/07/07(木) 15:56:11.62ID:UBBdcAde0033人間七七四年
2011/07/07(木) 17:56:35.68ID:afoZMH8/だったら鍛えてない在来馬に重荷背負わせて実験して、日本の馬は重武装の武士を
乗せて走れません、みたいなのとかいらないだろ。それと馬上戦闘の否定とかもしてたよ。
0034人間七七四年
2011/07/07(木) 17:58:15.51ID:klT7BdSz0035人間七七四年
2011/07/07(木) 18:01:52.23ID:P81RcVYB資料的にハッキリしているのは、実質モンゴル帝国だけではないだろうか。
0036人間七七四年
2011/07/07(木) 18:11:14.72ID:P81RcVYB>>33
朝青竜乗せたモウコノウマの写真でも引っ張ってこないとパワー無し馬じゃない
って信じない奴も多かったな。
0037人間七七四年
2011/07/07(木) 20:53:51.31ID:nhZZHgBW前漢の武帝は対匈奴戦のために大規模な騎兵部隊を育成しているが。
汗血馬を得るために大宛に遠征もしている。
中国は王朝や時代によって騎兵主体、歩兵主体の入れ替わりがあるよ。
0038人間七七四年
2011/07/07(木) 22:26:39.49ID:P81RcVYB0039人間七七四年
2011/07/07(木) 22:29:37.12ID:nhZZHgBWそれとどちらが主体かは別として「常設騎馬単科軍団」的な部隊の編成は各王朝で行っている。
馬の産地を奪われて王朝が衰える原因になったこともしばしばだ。
0040人間七七四年
2011/07/07(木) 22:42:26.53ID:P81RcVYB西漢とか例に出すから何かと思った。
唐、金、元、清は騎兵主体と言っても間違いではないな。
0041人間七七四年
2011/07/07(木) 22:52:38.73ID:nhZZHgBWまぁどの時代どの王朝にせよ中原や漠北、内外蒙古、東北で作戦するなら騎兵は必須。
碧蹄館で日本軍と戦った李如松の部隊は騎兵主体だったな。
0042人間七七四年
2011/07/07(木) 23:04:47.84ID:P81RcVYB了解。
0044人間七七四年
2011/07/07(木) 23:40:04.89ID:LJj73eZ30045人間七七四年
2011/07/08(金) 00:07:58.64ID:vmy9NZ+o帝政前期〜中期にはAlaという属州民の騎兵部隊が沢山存在していた。
そして補助歩兵のCohorsと同じく、Alaはそれ自体が独立した単位。
「歩兵主体」であろうがなかろうがローマ帝国に「常設騎馬単科」の部隊が複数存在していたのは間違いない。
0046人間七七四年
2011/07/08(金) 00:54:12.09ID:wgf0/WLSまた何のスレかわからない流れになるかな?
0047人間七七四年
2011/07/08(金) 01:19:37.71ID:pQzDeu4N004845
2011/07/08(金) 01:50:32.43ID:vmy9NZ+o0049人間七七四年
2011/07/08(金) 21:10:28.70ID:/AeZ6XSC0050人間七七四年
2011/07/09(土) 00:10:39.01ID:7Dfsoybx0051人間七七四年
2011/07/09(土) 11:04:05.09ID:J84E88+r足利幕府が滅亡した後には、
しっかりと領土を拡大している。
幕府の滅亡により、関東管領職への
義理立てが必要なくなったのに、
柴田勝家(信長軍)を破った後は、
関東の征圧を狙っていたという説は誤り。
天下取りのための上洛を考えていた、
という説のほうが自然。
0052人間七七四年
2011/07/09(土) 11:17:01.12ID:HSy5TWpg0053人間七七四年
2011/07/09(土) 11:18:16.00ID:5VqxgmmYローマにも騎兵部隊はいるだろう
0054人間七七四年
2011/07/09(土) 11:21:21.00ID:/wW1oDve0055人間七七四年
2011/07/09(土) 11:25:50.20ID:J84E88+r全国へ動揺を与えて、敵の離反者、味方になる同調者、
などの様々な要因により、織田家は崩壊していた可能性が高い。
ゲームじゃないのだから、短絡的な判断は駄目だよ。w
十手先ぐらいは読まないと。
上洛には意義がある。
地理的な戦略ではなく、
天下へ武威を示して世間を同調させるには、
必要不可欠だった。
0056人間七七四年
2011/07/09(土) 11:28:43.54ID:qE4BgyCz0057人間七七四年
2011/07/09(土) 11:56:29.00ID:J84E88+r秀吉は家康を間単に殺せるはずがない。
家康を消した後の処理が大変だと予測していたからこそ
秀吉は懐柔という判断を選んだ。
家康を成敗→忠義に篤い三河武将の蜂起
→東海地方の混乱に乗じて他大名が連携して独立戦争
→戦国時代へ逆戻り
合戦は軍事力だけじゃないよ。
人間の心理なども絡んでいる。
0058人間七七四年
2011/07/09(土) 12:17:35.35ID:J84E88+rhttp://www.leed.co.jp/book/b1055.html
大名の口述筆記まで再現していたのは、
この雑誌のマンガだっけ?
他の漫画は、大名が自ら筆を取りすぎて不自然極まりない。
0059人間七七四年
2011/07/09(土) 13:41:53.13ID:0gqUpnNR>義を重んじていた上杉謙信だが、
そもそも「義を重んじていた上杉謙信」という俗説を疑え。
謙信は関東在住の反北条の諸大名を糾合して包囲網を作り上げて、
長く北条と戦い続けた経歴がある。
北条との戦いをやめて上洛戦を行うなら、
長く共闘した関東の諸大名を見捨てることになる。
彼らは当然、北条との同盟を破棄した武田と組むことになり、
上杉方の勢力範囲が大幅に縮小する。(武田とも北条とも争う必要が出るから必然だな)
>57
秀吉は、ほとんどの大名に対し、戦って滅ぼすという選択肢を「最後の手段」に位置づけた。
秀吉が主導する全国政権の幕下に加わるならOk、というスタンスだ。
北条とか島津とか、戦いになった相手は、単に秀吉の幕下に加わる選択をできなかっただけに過ぎない。
家康の扱いは例外ではなく典型だったんだよ。
あと、小牧長久手の戦いは、戦術レベルでは秀吉劣勢だけど、戦略的には秀吉の方が圧倒的に優勢だっただろ。
信雄・家康連合に味方する武将達を各個撃破して勢力を削ぐ秀吉と、
それを救援に行くことができずに小牧〜長久手の主戦場に縛り付けられて動けないまま、
見捨てざるを得なかった家康の状況を見ろ。
0060人間七七四年
2011/07/09(土) 14:52:06.68ID:J84E88+r質素に自制していた長寿の家康は、
太っているわけでもなく、健康体でしたよ。
デブの家康を想像してる人は、
ドラマの影響だけで語っている。
0061人間七七四年
2011/07/09(土) 15:16:53.87ID:5VqxgmmY> それを救援に行くことができずに小牧〜長久手の主戦場に縛り付けられて動けないまま、
> 見捨てざるを得なかった家康の状況を見ろ。
同意ですが。
第2次小牧〜長久手戦とも言える蟹江城合戦は痛かったかと思います。
秀吉というか織田政権のルーツに近い尾張で前田宗家も(戦後ですが)滅びた形だし。
(その後利家の婿になった?)
0062人間七七四年
2011/07/09(土) 18:03:34.09ID:SxqG0wb40063人間七七四年
2011/07/09(土) 18:46:44.98ID:HVPaoWbY0064人間七七四年
2011/07/10(日) 06:25:18.59ID:Um26Yq3Q1 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 02:13:32 ID:E8ad61KX
桶狭間合戦や厳島合戦のような
劣勢を跳ね返し、大軍を破った戦いを語りましょう。
http://unkar.org/r/sengoku/1166807612
0065人間七七四年
2011/07/11(月) 00:04:18.80ID:i2SHopLT0066人間七七四年
2011/07/17(日) 06:17:59.71ID:soDZIp6f0068人間七七四年
2011/07/17(日) 16:22:23.94ID:WDcfCuRxそういえば、秀吉の肖像画ってガリガリに痩せてるものばっかりだよな。
ふくよかな体こそ裕福さの証、みたいな時代の絵で痩せた姿で描かれてるんだから、
(江戸時代に作られたものではなく同時代の絵だとすれば)みすぼらしいガリガリの姿に加工するはずはない。
本当に痩せてたんだろう。
逆に、家康の肖像画は、丸々と太っているわけではないが、ふくよかな顔で描かれている。
当時の常識でいえば「健康体」と呼べるレベルだろうが、現代の価値観では「デブ」だ。
とはいえ、百貫デブとかコニーちゃん とか、そういうレベルじゃなく、ちょいデブって程度だと思うが。
http://www.city.amagasaki.hyogo.jp/bunkazai/sitei/houjuin-hideyosizou/houjuin-hideyosizou.html#hideyosi
木像『豊臣秀吉公座像』
http://sengokudama.jugem.jp/?eid=639
0070人間七七四年
2011/07/18(月) 09:16:00.19ID:kaRlWd4Lデブが健康の象徴でもあった時代じゃないの?
0071人間七七四年
2011/07/19(火) 23:16:54.23ID:msKDutmR0072人間七七四年
2011/07/21(木) 02:00:26.08ID:b9Uno/8+大きく見せていたそうな。
0073人間七七四年
2011/07/22(金) 22:32:23.02ID:1moA+nZg体格良いのを代わりに出して自分はその横で相手を観察とか。
0074人間七七四年
2011/07/24(日) 11:52:34.24ID:vyQ6+UEz0075人間七七四年
2011/07/25(月) 01:43:23.95ID:DuK0U9Qa0076人間七七四年
2011/07/26(火) 11:02:31.87ID:fSrA0TnF0077人間七七四年
2011/07/26(火) 13:29:19.51ID:n7wXfeuT跡部 蛮 (著)
0079人間七七四年
2011/07/26(火) 20:58:06.68ID:lD8x2lvT0080人間七七四年
2011/07/26(火) 22:54:43.81ID:0/qYNJ8Bこの本陰徳太平記や当代記を史料に使ってるらしいなw
竜馬がゆくや真田太平記を史料って言ってるのと一緒じゃないかw
0081人間七七四年
2011/07/26(火) 23:25:52.39ID:U5/f2wEe0084人間七七四年
2011/07/27(水) 03:13:05.88ID:mKGo0m6o十六世紀末、朝鮮の役での日本の火縄銃などの兵器技術と輪番射撃戦術は中国・朝鮮に大きな衝撃を与えた。
最新の日本式鉄砲が広がっていく経過、それを伝えた日本兵捕虜の処遇、軍事力を背景にした明の新秩序確立過程などを解明。
東アジア諸国の火器技術の刷新と兵器革命の実態を探り、これまで看過されてきた東アジアの「軍拡」の時代を描き出す。
三段撃ち=一斉射撃×3で間違いなさそうだな。
三段撃ちの件はこれで決着かな。
「長篠の戦で行われた」かどうかは知らんけどw
0085人間七七四年
2011/07/27(水) 03:14:50.70ID:mKGo0m6o0087人間七七四年
2011/07/27(水) 07:30:45.94ID:mKGo0m6o0088人間七七四年
2011/07/28(木) 12:17:38.72ID:R+4QAIcw攻めてきた一揆勢?を、織田軍は撃退して、柵の中までは追い込んだが
簡単な馬防柵なのに、織田軍はこれを打ち破れず、大将の塙直政は討ち死にしたうえ、
援軍にかけつけた信長まで銃撃されて
足に負傷している。まさに長篠の戦いの武田軍バージョン。
0090人間七七四年
2011/07/28(木) 14:56:44.81ID:pqCWo1xL0091人間七七四年
2011/07/28(木) 17:03:06.52ID:HAdnCuZm電撃戦なんかはドイツにやられたソ連が反撃時に行っている
0092人間七七四年
2011/07/29(金) 08:15:01.81ID:vAIF72uZ0093人間七七四年
2011/07/29(金) 09:33:09.72ID:A2i4WtqOナポレオンは?
戦力集中?
0096人間七七四年
2011/07/29(金) 17:51:06.08ID:GYCZMFCAあの頃の時代にナッサウのマウリッツだかが三段射撃の様なものを考案してるが、
結局一斉射の弾幕が薄くなるんで効果薄いよコレって結論になってたと思う。
0097人間七七四年
2011/07/29(金) 17:56:55.74ID:uTik07+G0098人間七七四年
2011/07/29(金) 19:35:48.60ID:fDtGSE7j各自てんでんばらばらに撃っていると、撃つ対象が逃げてしまって効果が薄い。
「撃つな、撃つな」と、待ってて、充分大丈夫となったら一気に撃つと
効果が高い。
三段撃ちはともかく、撃つ合図をする旗振り武将?(軍配?)はいたと思われる。
0099人間七七四年
2011/07/29(金) 19:55:37.99ID:chHedNUF0100人間七七四年
2011/07/30(土) 01:29:18.01ID:7+lODW8M古代中国も古代ギリシャも国民皆兵、というか原始社会や都市国家は基本皆兵
匈奴も突厥もウイグルも吐蕃も西夏も契丹も女真もモンゴルも皆兵
0101人間七七四年
2011/07/30(土) 01:32:15.93ID:7+lODW8M軍記物準拠なのは藤本も同じなわけだから
>>16の方が藤本よりマシというか余程説得力あるね
正面攻撃説とか研究者のくせにバカじゃねーの、と思うわ
0102人間七七四年
2011/07/30(土) 20:49:06.92ID:Vr7TOGe0グーグルの地形図で見てみたが…、地図が使いにくくて、俯瞰および望遠ができん。義元の居場所がよくわからない。
0103人間七七四年
2011/07/30(土) 21:46:28.04ID:wvQLW9zdただし、今川本陣は様々な説がある
0104人間七七四年
2011/07/30(土) 22:26:06.33ID:Vr7TOGe0近代デジタルライブラリーの日本戦史の地図を見たほうが良い というから、探したよ。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/771063
上記URLの143ページ目にあった。疲れた。やっぱりよくわかんね。
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