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次々と通説を打ち砕く鈴木真哉・藤本正行について 5

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年2011/07/03(日) 17:54:02.54ID:fcz44HVi
どこまで信じられるのか。

長篠鉄砲三千挺はない
桶狭間は奇襲ではない
武功夜話は偽書
徳川御用史観は嘘だらけ

>>2-5の辺りに関連スレなどのテンプレ

●過去ログ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1109562623/
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169131109/
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1222456299/
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1286968038/
0175人間七七四年2011/08/21(日) 07:52:59.94ID:DROU7CMl
だれ

土着の一向宗徒+外部から集まってきた連中 + 派遣
0176人間七七四年2011/08/21(日) 10:08:28.94ID:pFo5IK7X
>>174
知らないのはオマイだ。恥ずかしい奴だな。

尾張国河内長島と申すは、隠れなき節所なり。(中略)
これに依って隣国の倭人凶徒など相集まれり、住宅し、当寺を崇敬す。

信長公記から書き写したよ。信長公記を引用すると、このとおりの威力。藤本の手法は偉大だな。
0177人間七七四年2011/08/21(日) 10:10:31.17ID:pFo5IK7X
倭人凶徒 の 倭人は、実際には別のよく似た賎しい意味の漢字。入力できなかった。
0178人間七七四年2011/08/21(日) 15:18:00.32ID:imWwVaL0
>>176
オマエは本当に何も知らないのな

それは長島に人が集い繁栄を極めていたというだけの話で
信長族の侵略に対抗したのは桑名土着の武士
桑名が隣国なことくらい勿論知ってるよね
0179人間七七四年2011/08/22(月) 01:42:58.16ID:+vTDsxnd
信長族の侵略に対抗したのは桑名土着の武士
って、ハア?。
長島の一揆勢は、「隣国の佞人凶徒など相集まれり、住宅し、当寺を崇敬す。」と書いてあるだろ。
他から集まってきた勢力だよ。
藤本は、こんなふうに他者の主張と、くだらない論争に巻き込まれていったんだな。
0180人間七七四年2011/08/22(月) 02:34:54.60ID:0PKfJeot
隣国の佞人凶徒など相集まれり
これが桑名の土着武士を指す事すら理解出来ない無知が
妄想を膨らませ在りもしない虚像を創り上げる、まさに馬鹿の鑑
0181人間七七四年2011/08/22(月) 02:40:03.45ID:4PlnBPMN
ところで信長族ってナニ?
0182人間七七四年2011/08/22(月) 09:04:39.90ID:IuYLUynu
隣国って
尾張の隣国?
伊勢の隣国?

どっちでもいいけど
桑名の土着武士って何?
農場領主とその一党?物流業者とその一党?戦闘専門集団?
0183人間七七四年2011/08/22(月) 13:02:01.30ID:+vTDsxnd
桑名の土着武士だけじゃ足りないだろ。人数がな。
ここでの「隣国」とはどこか?は、信長公記では明記してない。

だが、長島一揆の最後に、織田軍に大損害を与えた反撃時のあと、逃げた先は書かれている。

「川を越え、多芸山、北伊勢口へ、ちりぢりにまかり退き、犬坂へ逃げ入るなり」

北伊勢方面経由で大阪に逃げた、という意味とのこと。

餓死寸前の体でさえ、この移動距離だ。
長島のすぐ隣の桑名出身者で占められていたなんて説は、なんて狭い発想だ。

ググったら、たまたまウィキでひっかかったので転載する。
本願寺の反信長蜂起(石山合戦)に伴って、長島でも門徒が蜂起。更に願証寺が北勢四十八家の
豪族や紀伊の雑賀衆などに檄を飛ばしこれらが長島へと集結した。また、信長によって領地を追
われ長島の地に逃げ込んでいた斎藤龍興や、尾張弥富の服部党、石橋義忠らの非門徒の武士団の
連合軍も一斉に蜂起した。下間頼旦らに率いられた数万に及ぶ一揆衆

桑名の土着武士だけじゃなさそうだ。



0184人間七七四年2011/08/22(月) 13:51:25.37ID:k3K5O5WW
>>183
おまえは自分で>>172と書いたのを忘れたのか
武士は金で雇われたのではなく桑名の土着武士
構成員全体なら長島周辺の百姓や地縁の無い寺院境内に住む商工民

地縁の無い商工民は同宗派の寺院へ逃げるのが当然
0185人間七七四年2011/08/22(月) 18:43:39.20ID:4iwr920f
そりゃ、他国国別の土着武士に比べればダントツに「桑名の土着武士」が多かったろうが

応援・義勇軍・傭兵もかなりいたと思うけどな


検証しようもないことをウダウダと「桑名の土着武士」に拘る理由を教えてくれれば
拘りとして理解する気はあるんだけどね
0186人間七七四年2011/08/22(月) 20:56:23.33ID:DYQSE6Ui
>>176に金で雇ったなんて一言も書かれてないからじゃないの。
0187人間七七四年2011/08/22(月) 23:32:17.02ID:+vTDsxnd
藤本の本は、他人の説を次々に取り上げて、それに対して、
検証というか批判というか、論争みたいなことを、よくやっている。
小説家の創作説みたいなものまで言及しているので、相手にしなければいいのに、
と俺はよく思っていた。
だが、この2chのスレでわかったことは、アホウの説に反論しつつも、じつはそれに便乗して
自説を述べることができる、というメリットがあるということだ。
0188人間七七四年2011/08/22(月) 23:43:51.54ID:0PKfJeot
>>185
数の少ない浪人を除けば武士は根本的に地縁血縁の生き物だから
居ても北西部の武士とか近隣の居住かな
寺院に属する人間は遠くからも来たかもしれないけど

「金で雇った武士」という>>187の誤った主張の反証になるね
0189人間七七四年2011/08/22(月) 23:57:09.76ID:GemgWQBi
長島一揆の主な構成

・願証寺
・桑名、員弁、三重郡の武家(北伊勢四十八家)
桑名〜尾張の輪中の地域にまで及ぶ
・斉藤旧家臣
・海賊衆(大濱etc)
・各地の浪人(三河、伊勢、甲賀、伊賀)

ワラワラ各地から集まったのは事実だが、戦力的には地元の領主層が主力だね。
大田口合戦も願証時から山方衆と呼ばれていた員弁、三重の手勢に後背突かれて、織田軍が崩れたようなので。
0190人間七七四年2011/08/23(火) 02:44:28.34ID:FEhd1Vwq
それ、地元と呼べるほど狭い範囲かな?

近隣と呼ぶならいいけど。
北伊勢四十八家だって日帰り往復できないほど遠くの武士が含まれてる気がする。

土着ってのは、そこに生活の場を持ってなきゃ違うだろ
家族も一緒に住んでる、戦いが終わったあともそこに住む予定でいる、
そういう人以外は近隣からの応援とか外来者とかだろ
0191人間七七四年2011/08/23(火) 04:57:55.31ID:ubOKV2QK
おまえの俺様定義なんぞ誰も聞いてないから
0192人間七七四年2011/08/23(火) 08:49:02.16ID:TMVRE2P4
聞いてるよ
0193人間七七四年2011/08/23(火) 11:07:16.53ID:rr2cFhzF
土着・近隣・地元

言葉の定義はまあいいとして
それで何が何が主張したいのですか?

混成軍の構成の幅についてですか?


id:0PKfJeot 氏 と id:GemgWQBi 氏 は別の人だよね
0194人間七七四年2011/08/23(火) 18:35:49.56ID:FEhd1Vwq
菅浦文書に書かれた例からも分かるように、
近隣からの応援ってのは普遍的に広く見られることだと思う。

そういう応援の人たちは、謝礼とか酒食とか、受け取るのが普通なわけで、
それを傭兵などと誤認する可能性はあるんじゃないの。
実際に傭兵が居たかどうか、居たとして多かったか少なかったか、とは関係なく。

だが、傭兵の件は、どうでもいい。
189氏が地元という言葉の意味を拡大解釈してるように思えて気になった。

ところで、念のために書くけど、オレは148-170とか172-189の範囲には一言も書いてないよ。
01951932011/08/23(火) 19:19:05.74ID:rr2cFhzF
>何が主張したいですか?

つっけんどんな書き方になりましたが
単純に
構成員の質と割合の何がそんなに気になるんだろう?
という素朴な疑問です。




0196人間七七四年2011/08/23(火) 19:25:11.76ID:rr2cFhzF
ところで、久しぶりに鈴木氏の本でも読もう、と思って
図書館で「関ヶ原」というのを借りて読んでみたら、
オタク中学生みたいが書くようなひどい内容だった

なんのためにこんな本書いているんだろう?
と、表紙をみたら、武光誠 と言う人だった。

鈴木さんごめん。
0197人間七七四年2011/08/24(水) 00:08:51.46ID:zxE78dow
以前、日本史板のスレで鈴木の関ヶ原は司馬遼の関ヶ原の影響受け過ぎとかなんとかあったけど、読み比べた人いる?
0198人間七七四年2011/08/24(水) 01:51:49.70ID:lOSLfOB8
そもそも、小早川が、松尾山にいた大垣城兵を「追い払って」占拠したという文書があることから、
小早川は裏切るも何も、最初から東軍なんじゃね?
家康による小早川への鉄砲射撃も、本当かどうか怪しいそうだし。
0199人間七七四年2011/08/24(水) 20:00:21.84ID:lOSLfOB8
ここで関ヶ原の確認のために、太田牛一の本を読んでおきたいところだが、
信長公記には載ってない。だが、太田牛一は「関原御合戦双紙」を記している。

でも、この本の内容は、藤本は全く触れていない。現存していないのかもしれない。

敵味方押し合い、鉄砲放ち矢叫びの声、天を響かし、地を動かし、黒煙立ち、
日中も暗夜と成り、敵も味方も入り合い、錣[しころ]をかたむけ、干戈を抜き持ち、
おつつまくりつ攻め戦う。

この一文だけはちょっと有名。

0200人間七七四年2011/08/24(水) 20:10:06.48ID:lOSLfOB8
関ケ原御合戦双紙は、逢左文庫に現存している模様。

太田牛一の著作「関ケ原御合戦双紙」で、現在は自筆本として「内府公軍記」(大和文華館蔵)、
「太田和泉守記」(名古屋市逢左文庫蔵)が伝わっている。
岐阜市信長資料集編集委員を務める金子拓東京大学史料編纂(さん)所助教がこれら文献を調べた

関ヶ原の戦いの展開を、この本でよく読み直せば、通説とは違った内容があるかもしれない。
0201人間七七四年2011/08/24(水) 21:33:11.75ID:4AA7ayvX
既に誰か研究してるだろ?
してないなら幾ら何でも怠慢過ぎる
0202人間七七四年2011/08/24(水) 21:46:26.98ID:OL5NEIqw
太田牛一のなら、近代デジタルライブラリーの「板坂卜斎覚書」内に合戦部分が、
また「朝野旧聞褒藁」にも時系列順に記載されている
0203人間七七四年2011/08/24(水) 22:54:24.03ID:lOSLfOB8
検索かけてみたが…、
内容わからんかった。
0204人間七七四年2011/08/24(水) 22:59:22.15ID:OL5NEIqw
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772758
ここの20頁から
0205人間七七四年2011/08/24(水) 23:43:53.25ID:lOSLfOB8
「影武者 徳川家康」の野々村が登場してるね。
それにしても読みづらくて発狂しそう。

教えてくれてありがトン
0206人間七七四年2011/08/24(水) 23:57:06.68ID:lOSLfOB8
敵味方押し合い、鉄砲放ち
の場面は、>>204の21ページ右側頁に見つけた。左側の頁にも「押しつ押されつ」の表現あるけどな。

大谷刑部の死ぬ場面はうっすらわかったが(馬上で腹を切る? 22頁右側)、小早川への鉄砲射撃のシーン不明。
0207人間七七四年2011/08/29(月) 10:26:54.24ID:HOVpIuOc
どうやら、小早川への発砲の記載は、無いらしい…。関ヶ原の戦闘中のページは20ページから22ページまでしかないし。
太田牛一の資料に無いなら、本当に無さそう。
そもそも太田牛一は関ヶ原に参加したかどうかとなると、火花出しておしあいと臨場感はあるものの、聞き書きかもしれない。

小早川へ鉄砲を射って参戦を催促した話は、徳川実紀から引用の天元実記と、黒田家譜にしか無いらしい。
http://tss-website.sakura.ne.jp/bbs/cgi/hq/wforum.cgi?no=2328&reno=no&oya=2328&mode=msgview&page=0
0208人間七七四年2011/08/29(月) 12:48:57.30ID:MGN8LQKD
591 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/01/07(金) 22:56:10 ID:
再録

「五本関原日記曰諸方合戦最中ニ黒装束ノ武者御前ニ参リ筑前中納言ノ旗
色何レトモ知レ申サスト申シ上ル問鉄砲打セヨトノ御意ナリ仍テ鉄砲打カケ
候」

「井伊家慶長記曰福島井伊向云々合戦始時節如何直政答云筑前中納言内通之義有
彼躰見軍始可只今予軍士熊谷内匠三浦十左衛門両秀秋陣遣暫相待可ト
又藤堂佐渡高虎来テ正則如問前如答フ高虎テタテアリト云テ吾陣帰鉄砲之者二十人
計召具秀秋陣向放タシム但玉ヲ入不然雖秀秋陣少モ騒不一向敵陣ヲ見ヲロス外無他
高虎来云秀秋心底疑処無云々」

「聿修録曰諸部既接戦筑前候観望山下未公(高虎)大銃発之脅乃始兵発」

他、
「五本関原日記」とほぼ同じなのが「濃州関原合戦答書」「一本関原軍記」「慶長記畧捗」

「五本関原日記」に「井伊家慶長記」「聿修録」を組み合わせ、藤堂隊が家康の命による
問鉄砲を撃ったとしているのが「東西記」「別本慶長軍記」「本朝武林(稲葉)傅」

「黒田家譜」では福島の鉄砲隊二十人『のみ』を松尾山に撃たせよと使番に命じている
ほぼ同じ内容が「関原物語」「関原記考」

「落穂集」は使番として久保島孫兵衛、鉄砲隊は家康組下の布施孫兵衛とし
後は上記の内容をごった煮したもの

以上「朝野旧聞褒藁」より

以上より

小早川陣への銃撃は二度あったと推定される

一回目は藤堂高虎による牽制の為の銃撃

二回目は徳川家康の命によって福島正則から分派された
鉄砲隊(家康使番久保島が同行した可能性あり)による内応
催促の銃撃

家康本隊からの鉄砲隊分派は無かった可能性が高い
0209人間七七四年2011/08/29(月) 14:24:11.55ID:HOVpIuOc
ありゃまあ!、すごい専門家のご降臨に感謝。再録とはいえ有り難い。

小早川って、筑前中納言なんだな。今頃気付いた。
というわけで、太田牛一の本の関ヶ原戦のページをまた読み直してみた。筑前中納言はどこじゃ?。
20ページの左側に「太田和泉守記録にあり」とあるのに気づき、ひょっとして関ヶ原に参戦したのか?!。
その後も読んだが、ああもうだめだ、読みづらくて発狂しそう!
0210人間七七四年2011/09/01(木) 19:26:01.90ID:5UCCPq3S
ちょっと質問ですが木曽馬との比較対象にサラブレットを持ち出したのって鈴木でしたっけ?
0211人間七七四年2011/09/01(木) 20:41:59.62ID:lWBLmx5e
藤本って 「鎧をまとう人々」 書いた人か
あれ 結構よかったんだけどな
そんないい加減だったのか-----
0212人間七七四年2011/09/01(木) 21:14:02.13ID:xedChKp8
>>210 わかんね。
>>211 その本、高すぎ。藤本って優れているよ。最近かいた本は若い頃の勢いが失速してるけど。
0213人間七七四年2011/09/02(金) 00:27:47.26ID:yGYibvp9
だから藤本先生と鈴木を同列に並べるなって。
絵画史料の活用ではトップクラスの研究家だよ。
0214人間七七四年2011/09/02(金) 08:42:08.40ID:TGU4h+Iv
>>212
>>213
さんきゅ。
引っ越したときに古いPCやら周辺機器と一緒に本もかなり整理したけどこれは残しておいたんだ。


話は変わるけど、
刀に興味(主に美術品として)があったころ、鈴木説なんて全然知らなかったけど、感覚的に、
「うーん、この武器というのはかなり限定された場面でのものだよなあ、決闘とか、それこそ幕末の京都治安活動とか」
「飛び道具は別にして、集団戦なら槍とか長柄とかがいいだろうし、馬上騎士が標準サイズの太刀なんか振り回したってなあ、
勿論、怪力の豪傑なんかはまた別の長刀やらの類のものも使うんだろうけど」
なんて思っていた。

それで鈴木説を知って、ああやぱりそう考える人いたんだ、と思ったんだが、
データを使っているようでなんか論旨が乱暴な感じがして二冊でやめた。
0215人間七七四年2011/09/02(金) 09:05:33.24ID:Q4KXaRuN
刀といえば、武田信玄像で目釘の飾りが二引紋であることを
指摘したのは、藤本先生の大功績だろう。
そもそもオイラは刀の目釘に家紋を入れることやサヤにコウガイを入れることさえ
知らなかったくらいだし。
0216人間七七四年2011/09/02(金) 09:39:37.40ID:eyvuAIRo
メディアスクラム
0217人間七七四年2011/09/02(金) 20:32:45.79ID:jJJ8APP5
>>210
司馬遼太郎の「坂の上の雲」あたりじゃね?
0218人間七七四年2011/09/02(金) 21:37:17.84ID:kI6EdSaZ
司馬遼そんなめちゃくちゃな比較やってたのかよ
0219人間七七四年2011/09/02(金) 22:05:06.10ID:TGU4h+Iv
日本騎兵のときかいな
0220人間七七四年2011/09/02(金) 22:13:50.66ID:jJJ8APP5
滅茶苦茶な比較と言えば、戦国時代の日本人が白兵戦が苦手だったという事を証明する為に日露戦争の日本兵
(徴兵された農民兵)の話しを持ってきた人もいたらしいw
0221人間七七四年2011/09/02(金) 22:23:23.89ID:Q4KXaRuN
その比較言ったら、桶狭間の戦いで義元の本陣を知るのに、
南雲機動部隊の例を出して、敵はいつまでも同じ所にいるわけではない、
という例えを出した先生もいるがな。
0222人間七七四年2011/09/02(金) 23:29:07.81ID:4V5TGJM1
スレチで悪いが信玄像について自費出版でなんかでてたね。
まだ読んでないんだけどうすっぺらいの。
0223人間七七四年2011/09/03(土) 16:50:57.95ID:CwrEzhq4
自費出版かー。
「出てたね」とか言われても、知ってる人間の方が圧倒的に少ないんじゃない?
0224人間七七四年2011/09/04(日) 01:56:01.37ID:xgFRhqWj
ググったら、三条の方についての本のことか?
0225 【東電 69.6 %】 2011/09/04(日) 09:47:38.10ID:DH9/JY+l
信玄と三条の方の薄い本か
義信ができるな
0226人間七七四年2011/09/10(土) 02:31:50.55ID:W53MTNys
鈴木は研究者というよりはエンターテイナーって
とこだもんなぁ。NHKにからんで本売ったり。
藤本がどうして組んだのか少し意外だった。
武功本のあと別れたかと思ったらしつこく小和田あたりに
からみまくりんぐだもんな。
あれは鈴木の主導なんだろうけど藤本も自分の
説が無反応だったからそこで仲良くなったか。
0227人間七七四年2011/09/13(火) 20:59:14.24ID:mGUtgE/D
会社の仕事場で、真っ赤に焼けた鉄製品を扱っているのだが、
ふだんは冷ましてから運んだりしているのだが、うっかり、熱いままのものをつかんでしまった。
激痛!。
信長が、焼けた鉄をつかんだ件を思い出した。「信長 火起請」でググるといろいろある。
焼けた鉄を0.1秒でさえ激痛なのだから、持ったまま3歩も歩けば手の肉も焼けるよ。
信長の書状は千通ぐらい現存しているそうだが、直筆はわずか10通ほどだそうで(確実は1通のみ)
たぶん、野口英世みたいに手の平がひどいやけどで、筆記が苦手なんじゃないかと想像した。
ヤケドして痛いからと手のひらを握ったままにしているとそのままくっついてしまうので
治療のためには広げなければならないが、いずれにしても激痛の連続。
0228人間七七四年2011/09/19(月) 10:06:43.88ID:0KeXvI34
「武田信玄像の謎」を買って読んだ。

藤本節が全開だった。きわめて微に入り細を穿つ内容で、ヨロイの各部品を説明している。
というのは、武田信玄像が鎧をきている絵だから。

良き本である。

欠点といえば2つだな。ひとつは、武田信玄およぼ他の武将の姿絵を解説しているわけだが、
他の武将にいたっては絵がないものが多い。読みながら、???の連続。活字でなくインターネット
上のブックにすべき内容だな。そうすれば画像もモニターでカラーだし。
もう一点は、他人の説への攻撃がまたもや頻発していること。偽書武功夜話のとき以来の、藤本の性格
なのかもしれない。優れた学術ある内容でも、余計な敵を多く作りそう。
0229人間七七四年2011/09/19(月) 12:27:16.88ID:DLDNO43C
絵がないのは編集の努力不足じゃね?
そういうところで予算削るところあるよ。
0230人間七七四年2011/09/19(月) 22:50:07.98ID:4lbYA2gw
もういい歳なんだから書いてて血圧上がるようなことやめりゃいいのになw
0231人間七七四年2011/09/19(月) 22:51:13.69ID:ZqFzbcTx
普通にやってたら本が売れないからな
0232人間七七四年2011/09/20(火) 09:21:43.46ID:tHOyOwG7
藤本の「長篠の戦い (歴史新書y) 」の新刊本も買った。

桶狭間の新刊本は、読んだもののどうでもいい繰り返しだったが、
今回の「長篠の戦い 」は、ずいぶんと新しい内容が追加されて、

良き本である。

一カ所だけギャグが入っていて笑ってしまった。武田軍を打ち破った直後の信長なんだが、
「信長はフィーバーした」!と、浮かれまくった信長発給文書を次々に紹介しているのだ。
藤本センセーは、じつはパチンコが好きらしい。
0233人間七七四年2011/09/20(火) 11:28:04.08ID:BoUvTBiD

おじさんだとディスコのりで浮かれたと解するけどな
0234人間七七四年2011/09/20(火) 11:54:35.86ID:dtvn6bF/
元はトラボルタだっけか。まぁ、パチンコ用語として残った以外は
もう死語だしな。
0235人間七七四年2011/09/20(火) 19:13:20.51ID:FyMRxA0P
おっさん世代に足踏み入れればわかるかも知れんが、ある程度の歳のところで更新が止まっちゃうんだよ。
何の更新だよ聞かれても色々としか答えようがないし、説明のしようもないがw
自覚できれば自力でアップデートできるかもしれんが、自覚できてなきゃそこで止まる。
0236人間七七四年2011/09/20(火) 22:04:40.60ID:hpIMejUr
>>228
宮島新一のことなら、
頼朝像は頼朝
尊氏像は尊氏
信玄像は信玄
という、旧説ばかりの人だから批判されても仕方がない。
0237人間七七四年2011/09/21(水) 02:21:26.54ID:chjeUqWE
旧説を強く唱えるのも新説の真偽を問う上では重要なんだよなあ。
罵倒や感情論になっていたらダメだけど。
0238人間七七四年2011/09/21(水) 11:27:13.81ID:4dKDVhv3
>>236 そうだったのか、それでは仕方がない。


>>237 藤本は、罵倒や感情論ではない。
事実を詳しく明晰に、かつ、引用は正確に、という余波により、他人の説への明らかな攻撃
になってしまうのだろう。
0239人間七七四年2011/09/21(水) 11:30:28.45ID:hKvUpGeU
攻撃的なのは話題作りたいだけだから
騒ぎになれば本が売れるからね
0240人間七七四年2011/09/21(水) 13:15:59.16ID:FbT+FuP3
>>238
> 藤本は、罵倒や感情論ではない。
> 事実を詳しく明晰に、かつ、引用は正確に、という余波により、他人の説への明らかな攻撃
> になってしまうのだろう。

それは違うな。自分の説を淡々と述べればいいだけの所でも、不必要に他者を攻撃している。
説の成否はともかく人格として下劣だ。
0241人間七七四年2011/09/21(水) 13:32:49.19ID:TMxDvV2y
説には反対してもなぜか罵倒しない相手もいるのが面白いところ
0242人間七七四年2011/09/22(木) 00:03:22.47ID:+vUOx3td
藤本は小和田、堀新は京子おばば、とライバルが決まってるのも
わかりやすいよなぁ。
0243人間七七四年2011/09/22(木) 09:06:54.78ID:+90ycisx
桐野作人の説を批判してたのは、そこまでせんでもいいと思った。
しかもその批判の内容がよくわからない文体だった。
桐野作人の書いた本は、歴史の本の中では、かなり論理的で良い方。
0244人間七七四年2011/09/24(土) 00:57:50.66ID:GMxnU/AX
小和田のことを「本も読まずに反論してる」と批判してたが
自分もそういう反論をされてた。
結局こういう人たちは、人の話を聞かないタイプ、というやつで
相手の言ってることをまず理解しようと思わないから話が
かみあわないことが多い。
特に藤本は反論されるとよく答えてるから真面目にみえるが
実は「自分の言うことが理解されてない」というだけなんだよな。
0245人間七七四年2011/09/24(土) 09:29:01.72ID:y3skfY3q
どうせ読んで理解するなら、
小和田よりも藤本だけどな。小和田は原文から逸脱した誇大読み下しが多すぎ。
0246人間七七四年2011/09/24(土) 18:51:55.81ID:IR6kUVkT
小和田は本を選ばねばダメだろ。
手広くやってるが自分の研究範囲外は名前貸しただけかと思うような内容薄々。
0247人間七七四年2011/09/24(土) 21:05:34.11ID:5ni1lJzC
小和田はNHKの考証以後はダメだね。
今でもブコウの擁護してるし。一般の本なんかはアルバイト学生に
書かせるレベルで問題外だ。
0248人間七七四年2011/09/25(日) 00:44:46.54ID:rODftip3
小和田は、確か、本能寺の変でも、明智は
家康を討つと兵たちに伝えた、という意味のことを書いてあった。
本城惣右衛門覚書では、家康を討つとばかり思っていた、とあるので、
信長でなく家康のつもりだったのは確かだが’(宣教師の文書にも同じものがある)
本城惣右衛門覚書では、てっきり家康だとばかり思っていた、というニュアンスなのに、
小和田は、飛躍して、「家康を討つと欺瞞情報を流した」ということまで
作り上げてしまう。歴史創作が好きな学者であり、内容は、とても使えない。
0249人間七七四年2011/09/26(月) 14:29:58.59ID:erwwilnn
そういうレベルの小和田なんかほかっておくしかないのに
それを真面目に相手するから藤本あたりも相手されないんだよな。
0250人間七七四年2011/09/26(月) 22:37:11.49ID:oDj7Q9YN
鈴木なんかと組むから余計に……
0251人間七七四年2011/09/26(月) 23:35:21.75ID:erwwilnn
マジそう思ったよ。
ブコウのあたりは鈴木との資料交換みたいなのがあったんだろうけど
しばらくたってまた共著出したのには驚いたもんね。
最初の信長の戦争あたりがスルーされたのを相当ネにもってたんだろな。
0252人間七七四年2011/09/27(火) 00:26:27.15ID:vI5cb7LF
長篠の新刊みたら、藤井と親友だと書いてあった。1975年当時。

藤井は後手必勝(藤井戦国史というブログがある)という説が特色だが、
今では藤本の本には全然触れられていないから、現在ではケンカ別れでもしたのかもしれん。

藤井戦国史では、千秋らが突撃して死んだのは、砦を無断撤退したからであり、
信長がすぐ近くまできたのを知り、気まずくなって、千秋らは突っ込んでいって死んだという。
0253人間七七四年2011/09/27(火) 13:02:05.15ID:bKuHvrPM
新刊読んでないけど、説が違っても仲は良いんじゃないの

70年代に上山春平のアシスタントみたいな感じで藤井と長篠を案内してたし
(上山著作集に入っててびっくり)、10年前くらいには藤井と石井進とで
関が原関係の対談をしてる
(ちなみに石井進は『戦国軍事学』が面白かったと吉川弘文館の編集者に
話して『鎧をまとう人びと』出版のきっかけを作った人物だそうな)
0254人間七七四年2011/09/28(水) 00:50:30.17ID:zi7DQRWR
長篠のあとに、秀吉が鳥取城で再現をねらって、陣地を構築したが、
そのあたりは後手必勝の藤井説によく似ているが、藤井の名前は一切でてこない。

藤本の他人批判グセはよくあるものの、藤井に対してはしない、ということが、せめて
友人の証なのかもしれないなあ。
0255人間七七四年2011/10/06(木) 09:36:00.14ID:wP0i6Qwf
伝・信玄とされる太った絵画は、
家紋が二引両だから信玄ではない、という藤本の有名な説がある。

他人がこれを引用して紹介しているコンビニ本がよくあるが、
家紋が小さく描かれているからなんのことやらわからないうえに、
拡大図でも菱形「の中に 二 が書かれているから、これのことかと一応納得。

でも、刀のツカに糸を巻くとき、XXXXというふうに斜めに巻くから、
その下に描かれた 二(二は○で囲んである)は、◇の中に 二 が書かれたようになっている。

0256人間七七四年2011/10/06(木) 15:09:19.49ID:5fzCpoFJ
あれは藤本だけじゃなくて黒田とかみんながいろいろ指摘してるね。
マゲの問題とか。
0257人間七七四年2011/10/06(木) 19:06:11.48ID:wP0i6Qwf
すでに明治時代には指摘されていたのだという。
さらなる根拠や理由が充分にそろったのは藤本の功績。
0258人間七七四年2011/10/07(金) 00:36:23.93ID:bsrGHk5+
ああやって過激な言い回しでもしないと反応されないからってのがあったんだろう
俺は功罪の功の方が大きいと思うな
ただ、そろそろ人の悪口路線はやめていい頃だと思う
0259人間七七四年2011/10/07(金) 07:19:58.34ID:2scEvEAf
どうだろうね。
歳を取ってから無駄に攻撃的愚痴悪口を言いはじめるようになる年寄りも多いから。
年寄だから手足はよく動かないから口だけは動く。
この場合は手先で。
アルツハイマーなんかとはちょっと違うけど、老人性のなんとかとそういう症状で多分仕方ないんじゃないのかな。
0260人間七七四年2011/10/07(金) 20:01:46.42ID:9bK3k4ui
>>258
人の悪口路線はやめていい頃、に同意。
>>259
病気の症状ならまだいいが、単に、自分の意見に反対されるとカッ!となる性格なのだと思うよ。
0261人間七七四年2011/10/09(日) 14:47:09.70ID:Ui7cKczL
戦国「常識・非常識」大論争! ~旧説・奇説を信じる方々への最後通牒 (歴史新書y) [新書]

ネーミングもひどいw
良識があれば自説に相反する説を唱える人がいても真摯に享受するものだが、
これだけ排他思考に偏った人は話し合いにすらならんからな。
0262人間七七四年2011/10/09(日) 15:53:55.66ID:Hyw04s7r
個人的には武功夜話がらみだけは攻撃的にやってくれとは思うけどな…
手当たり次第だとなあ
0263人間七七四年2011/10/09(日) 18:13:39.00ID:fFQx99qc
独善的で排他的ってのもまあなんだ今時流行らんと思うんだが
0264人間七七四年2011/10/09(日) 18:15:34.54ID:ThMHposN
ゴシップで売る芸能人みたいなもんだ
0265人間七七四年2011/10/09(日) 22:38:03.65ID:x7VWnv8K
>>261
鈴木 眞哉の本じゃないか。
0266人間七七四年2011/10/11(火) 00:14:59.86ID:ymTrH9rr
本のタイトルでむせるほど笑ったのは久しぶりだなwwww
0267人間七七四年2011/10/11(火) 00:55:00.13ID:jAU3wkfo
ここまでくると読者すらバカにした目線で書いてるとしか思えない
0268人間七七四年2011/10/11(火) 12:04:58.58ID:6p2X6Jg3
東スポの見出しとしては普通じゃなイカ?
0269人間七七四年2011/10/11(火) 15:01:25.85ID:EXmWggwh
まともに議論できる場から鈴木説を主張する人間は消えたな。
所詮その程度の奇説ww
0270人間七七四年2011/10/12(水) 01:51:01.89ID:UTvaJfyQ
ニュー即あたりも突っ込み早いから
今だと信者活動拠点としてしては漫画とかゲーム系板がベストなんかな
0271人間七七四年2011/10/12(水) 22:59:29.62ID:L0pg50r8
鈴木の方が史料の恣意的な引用と解釈によってしか成り立たない奇説だとバレちゃいましたね。
0272人間七七四年2011/10/13(木) 00:18:28.58ID:MBNSHxGc
> 567 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/10/07(金) 15:31:59.21 ID:1g5VS36O
> よくわからんが家康存命時に描かれた関ヶ原合戦図屏風で柵に囲まれた敵陣に攻め入る場面では
> ほとんどが抜き身の刀だな。
>
> http://history.harikonotora.net/src/200-61.jpg
0273人間七七四年2011/10/13(木) 13:22:30.12ID:o/7JNeWh
柵に囲まれた敵陣に攻め入るときは、
すでに敵は総崩れの真っ最中だろう。残って居るのは
飛び道具で重傷を負って動けなくなった奴ばかり、となれば、まずは抜き身の刀で首取りだな。
0274人間七七四年2011/10/13(木) 14:36:05.59ID:lr3k119k
刀で首取りなんて実際は鈴木も言ってないよ。
首は右手差や脇差しで取ると言ってる。
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