次々と通説を打ち砕く鈴木真哉・藤本正行について 5
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年
2011/07/03(日) 17:54:02.54ID:fcz44HVi長篠鉄砲三千挺はない
桶狭間は奇襲ではない
武功夜話は偽書
徳川御用史観は嘘だらけ
>>2-5の辺りに関連スレなどのテンプレ
●過去ログ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1109562623/
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169131109/
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1222456299/
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1286968038/
0175人間七七四年
2011/08/21(日) 07:52:59.94ID:DROU7CMl土着の一向宗徒+外部から集まってきた連中 + 派遣
0176人間七七四年
2011/08/21(日) 10:08:28.94ID:pFo5IK7X知らないのはオマイだ。恥ずかしい奴だな。
尾張国河内長島と申すは、隠れなき節所なり。(中略)
これに依って隣国の倭人凶徒など相集まれり、住宅し、当寺を崇敬す。
信長公記から書き写したよ。信長公記を引用すると、このとおりの威力。藤本の手法は偉大だな。
0177人間七七四年
2011/08/21(日) 10:10:31.17ID:pFo5IK7X0178人間七七四年
2011/08/21(日) 15:18:00.32ID:imWwVaL0オマエは本当に何も知らないのな
それは長島に人が集い繁栄を極めていたというだけの話で
信長族の侵略に対抗したのは桑名土着の武士
桑名が隣国なことくらい勿論知ってるよね
0179人間七七四年
2011/08/22(月) 01:42:58.16ID:+vTDsxndって、ハア?。
長島の一揆勢は、「隣国の佞人凶徒など相集まれり、住宅し、当寺を崇敬す。」と書いてあるだろ。
他から集まってきた勢力だよ。
藤本は、こんなふうに他者の主張と、くだらない論争に巻き込まれていったんだな。
0180人間七七四年
2011/08/22(月) 02:34:54.60ID:0PKfJeotこれが桑名の土着武士を指す事すら理解出来ない無知が
妄想を膨らませ在りもしない虚像を創り上げる、まさに馬鹿の鑑
0181人間七七四年
2011/08/22(月) 02:40:03.45ID:4PlnBPMN0182人間七七四年
2011/08/22(月) 09:04:39.90ID:IuYLUynu尾張の隣国?
伊勢の隣国?
どっちでもいいけど
桑名の土着武士って何?
農場領主とその一党?物流業者とその一党?戦闘専門集団?
0183人間七七四年
2011/08/22(月) 13:02:01.30ID:+vTDsxndここでの「隣国」とはどこか?は、信長公記では明記してない。
だが、長島一揆の最後に、織田軍に大損害を与えた反撃時のあと、逃げた先は書かれている。
「川を越え、多芸山、北伊勢口へ、ちりぢりにまかり退き、犬坂へ逃げ入るなり」
北伊勢方面経由で大阪に逃げた、という意味とのこと。
餓死寸前の体でさえ、この移動距離だ。
長島のすぐ隣の桑名出身者で占められていたなんて説は、なんて狭い発想だ。
ググったら、たまたまウィキでひっかかったので転載する。
本願寺の反信長蜂起(石山合戦)に伴って、長島でも門徒が蜂起。更に願証寺が北勢四十八家の
豪族や紀伊の雑賀衆などに檄を飛ばしこれらが長島へと集結した。また、信長によって領地を追
われ長島の地に逃げ込んでいた斎藤龍興や、尾張弥富の服部党、石橋義忠らの非門徒の武士団の
連合軍も一斉に蜂起した。下間頼旦らに率いられた数万に及ぶ一揆衆
桑名の土着武士だけじゃなさそうだ。
0184人間七七四年
2011/08/22(月) 13:51:25.37ID:k3K5O5WWおまえは自分で>>172と書いたのを忘れたのか
武士は金で雇われたのではなく桑名の土着武士
構成員全体なら長島周辺の百姓や地縁の無い寺院境内に住む商工民
地縁の無い商工民は同宗派の寺院へ逃げるのが当然
0185人間七七四年
2011/08/22(月) 18:43:39.20ID:4iwr920f応援・義勇軍・傭兵もかなりいたと思うけどな
検証しようもないことをウダウダと「桑名の土着武士」に拘る理由を教えてくれれば
拘りとして理解する気はあるんだけどね
0186人間七七四年
2011/08/22(月) 20:56:23.33ID:DYQSE6Ui0187人間七七四年
2011/08/22(月) 23:32:17.02ID:+vTDsxnd検証というか批判というか、論争みたいなことを、よくやっている。
小説家の創作説みたいなものまで言及しているので、相手にしなければいいのに、
と俺はよく思っていた。
だが、この2chのスレでわかったことは、アホウの説に反論しつつも、じつはそれに便乗して
自説を述べることができる、というメリットがあるということだ。
0188人間七七四年
2011/08/22(月) 23:43:51.54ID:0PKfJeot数の少ない浪人を除けば武士は根本的に地縁血縁の生き物だから
居ても北西部の武士とか近隣の居住かな
寺院に属する人間は遠くからも来たかもしれないけど
「金で雇った武士」という>>187の誤った主張の反証になるね
0189人間七七四年
2011/08/22(月) 23:57:09.76ID:GemgWQBi・願証寺
・桑名、員弁、三重郡の武家(北伊勢四十八家)
桑名〜尾張の輪中の地域にまで及ぶ
・斉藤旧家臣
・海賊衆(大濱etc)
・各地の浪人(三河、伊勢、甲賀、伊賀)
ワラワラ各地から集まったのは事実だが、戦力的には地元の領主層が主力だね。
大田口合戦も願証時から山方衆と呼ばれていた員弁、三重の手勢に後背突かれて、織田軍が崩れたようなので。
0190人間七七四年
2011/08/23(火) 02:44:28.34ID:FEhd1Vwq近隣と呼ぶならいいけど。
北伊勢四十八家だって日帰り往復できないほど遠くの武士が含まれてる気がする。
土着ってのは、そこに生活の場を持ってなきゃ違うだろ
家族も一緒に住んでる、戦いが終わったあともそこに住む予定でいる、
そういう人以外は近隣からの応援とか外来者とかだろ
0191人間七七四年
2011/08/23(火) 04:57:55.31ID:ubOKV2QK0192人間七七四年
2011/08/23(火) 08:49:02.16ID:TMVRE2P40193人間七七四年
2011/08/23(火) 11:07:16.53ID:rr2cFhzF言葉の定義はまあいいとして
それで何が何が主張したいのですか?
混成軍の構成の幅についてですか?
id:0PKfJeot 氏 と id:GemgWQBi 氏 は別の人だよね
0194人間七七四年
2011/08/23(火) 18:35:49.56ID:FEhd1Vwq近隣からの応援ってのは普遍的に広く見られることだと思う。
そういう応援の人たちは、謝礼とか酒食とか、受け取るのが普通なわけで、
それを傭兵などと誤認する可能性はあるんじゃないの。
実際に傭兵が居たかどうか、居たとして多かったか少なかったか、とは関係なく。
だが、傭兵の件は、どうでもいい。
189氏が地元という言葉の意味を拡大解釈してるように思えて気になった。
ところで、念のために書くけど、オレは148-170とか172-189の範囲には一言も書いてないよ。
0195193
2011/08/23(火) 19:19:05.74ID:rr2cFhzFつっけんどんな書き方になりましたが
単純に
構成員の質と割合の何がそんなに気になるんだろう?
という素朴な疑問です。
0196人間七七四年
2011/08/23(火) 19:25:11.76ID:rr2cFhzF図書館で「関ヶ原」というのを借りて読んでみたら、
オタク中学生みたいが書くようなひどい内容だった
なんのためにこんな本書いているんだろう?
と、表紙をみたら、武光誠 と言う人だった。
鈴木さんごめん。
0197人間七七四年
2011/08/24(水) 00:08:51.46ID:zxE78dow0198人間七七四年
2011/08/24(水) 01:51:49.70ID:lOSLfOB8小早川は裏切るも何も、最初から東軍なんじゃね?
家康による小早川への鉄砲射撃も、本当かどうか怪しいそうだし。
0199人間七七四年
2011/08/24(水) 20:00:21.84ID:lOSLfOB8信長公記には載ってない。だが、太田牛一は「関原御合戦双紙」を記している。
でも、この本の内容は、藤本は全く触れていない。現存していないのかもしれない。
敵味方押し合い、鉄砲放ち矢叫びの声、天を響かし、地を動かし、黒煙立ち、
日中も暗夜と成り、敵も味方も入り合い、錣[しころ]をかたむけ、干戈を抜き持ち、
おつつまくりつ攻め戦う。
この一文だけはちょっと有名。
0200人間七七四年
2011/08/24(水) 20:10:06.48ID:lOSLfOB8太田牛一の著作「関ケ原御合戦双紙」で、現在は自筆本として「内府公軍記」(大和文華館蔵)、
「太田和泉守記」(名古屋市逢左文庫蔵)が伝わっている。
岐阜市信長資料集編集委員を務める金子拓東京大学史料編纂(さん)所助教がこれら文献を調べた
関ヶ原の戦いの展開を、この本でよく読み直せば、通説とは違った内容があるかもしれない。
0201人間七七四年
2011/08/24(水) 21:33:11.75ID:4AA7ayvXしてないなら幾ら何でも怠慢過ぎる
0202人間七七四年
2011/08/24(水) 21:46:26.98ID:OL5NEIqwまた「朝野旧聞褒藁」にも時系列順に記載されている
0203人間七七四年
2011/08/24(水) 22:54:24.03ID:lOSLfOB8内容わからんかった。
0204人間七七四年
2011/08/24(水) 22:59:22.15ID:OL5NEIqwここの20頁から
0205人間七七四年
2011/08/24(水) 23:43:53.25ID:lOSLfOB8それにしても読みづらくて発狂しそう。
教えてくれてありがトン
0206人間七七四年
2011/08/24(水) 23:57:06.68ID:lOSLfOB8の場面は、>>204の21ページ右側頁に見つけた。左側の頁にも「押しつ押されつ」の表現あるけどな。
大谷刑部の死ぬ場面はうっすらわかったが(馬上で腹を切る? 22頁右側)、小早川への鉄砲射撃のシーン不明。
0207人間七七四年
2011/08/29(月) 10:26:54.24ID:HOVpIuOc太田牛一の資料に無いなら、本当に無さそう。
そもそも太田牛一は関ヶ原に参加したかどうかとなると、火花出しておしあいと臨場感はあるものの、聞き書きかもしれない。
小早川へ鉄砲を射って参戦を催促した話は、徳川実紀から引用の天元実記と、黒田家譜にしか無いらしい。
http://tss-website.sakura.ne.jp/bbs/cgi/hq/wforum.cgi?no=2328&reno=no&oya=2328&mode=msgview&page=0
0208人間七七四年
2011/08/29(月) 12:48:57.30ID:MGN8LQKD再録
「五本関原日記曰諸方合戦最中ニ黒装束ノ武者御前ニ参リ筑前中納言ノ旗
色何レトモ知レ申サスト申シ上ル問鉄砲打セヨトノ御意ナリ仍テ鉄砲打カケ
候」
「井伊家慶長記曰福島井伊向云々合戦始時節如何直政答云筑前中納言内通之義有
彼躰見軍始可只今予軍士熊谷内匠三浦十左衛門両秀秋陣遣暫相待可ト
又藤堂佐渡高虎来テ正則如問前如答フ高虎テタテアリト云テ吾陣帰鉄砲之者二十人
計召具秀秋陣向放タシム但玉ヲ入不然雖秀秋陣少モ騒不一向敵陣ヲ見ヲロス外無他
高虎来云秀秋心底疑処無云々」
「聿修録曰諸部既接戦筑前候観望山下未公(高虎)大銃発之脅乃始兵発」
他、
「五本関原日記」とほぼ同じなのが「濃州関原合戦答書」「一本関原軍記」「慶長記畧捗」
「五本関原日記」に「井伊家慶長記」「聿修録」を組み合わせ、藤堂隊が家康の命による
問鉄砲を撃ったとしているのが「東西記」「別本慶長軍記」「本朝武林(稲葉)傅」
「黒田家譜」では福島の鉄砲隊二十人『のみ』を松尾山に撃たせよと使番に命じている
ほぼ同じ内容が「関原物語」「関原記考」
「落穂集」は使番として久保島孫兵衛、鉄砲隊は家康組下の布施孫兵衛とし
後は上記の内容をごった煮したもの
以上「朝野旧聞褒藁」より
以上より
小早川陣への銃撃は二度あったと推定される
一回目は藤堂高虎による牽制の為の銃撃
二回目は徳川家康の命によって福島正則から分派された
鉄砲隊(家康使番久保島が同行した可能性あり)による内応
催促の銃撃
家康本隊からの鉄砲隊分派は無かった可能性が高い
0209人間七七四年
2011/08/29(月) 14:24:11.55ID:HOVpIuOc小早川って、筑前中納言なんだな。今頃気付いた。
というわけで、太田牛一の本の関ヶ原戦のページをまた読み直してみた。筑前中納言はどこじゃ?。
20ページの左側に「太田和泉守記録にあり」とあるのに気づき、ひょっとして関ヶ原に参戦したのか?!。
その後も読んだが、ああもうだめだ、読みづらくて発狂しそう!
0210人間七七四年
2011/09/01(木) 19:26:01.90ID:5UCCPq3S0211人間七七四年
2011/09/01(木) 20:41:59.62ID:lWBLmx5eあれ 結構よかったんだけどな
そんないい加減だったのか-----
0212人間七七四年
2011/09/01(木) 21:14:02.13ID:xedChKp8>>211 その本、高すぎ。藤本って優れているよ。最近かいた本は若い頃の勢いが失速してるけど。
0213人間七七四年
2011/09/02(金) 00:27:47.26ID:yGYibvp9絵画史料の活用ではトップクラスの研究家だよ。
0214人間七七四年
2011/09/02(金) 08:42:08.40ID:TGU4h+Iv>>213
さんきゅ。
引っ越したときに古いPCやら周辺機器と一緒に本もかなり整理したけどこれは残しておいたんだ。
話は変わるけど、
刀に興味(主に美術品として)があったころ、鈴木説なんて全然知らなかったけど、感覚的に、
「うーん、この武器というのはかなり限定された場面でのものだよなあ、決闘とか、それこそ幕末の京都治安活動とか」
「飛び道具は別にして、集団戦なら槍とか長柄とかがいいだろうし、馬上騎士が標準サイズの太刀なんか振り回したってなあ、
勿論、怪力の豪傑なんかはまた別の長刀やらの類のものも使うんだろうけど」
なんて思っていた。
それで鈴木説を知って、ああやぱりそう考える人いたんだ、と思ったんだが、
データを使っているようでなんか論旨が乱暴な感じがして二冊でやめた。
0215人間七七四年
2011/09/02(金) 09:05:33.24ID:Q4KXaRuN指摘したのは、藤本先生の大功績だろう。
そもそもオイラは刀の目釘に家紋を入れることやサヤにコウガイを入れることさえ
知らなかったくらいだし。
0216人間七七四年
2011/09/02(金) 09:39:37.40ID:eyvuAIRo0218人間七七四年
2011/09/02(金) 21:37:17.84ID:kI6EdSaZ0219人間七七四年
2011/09/02(金) 22:05:06.10ID:TGU4h+Iv0220人間七七四年
2011/09/02(金) 22:13:50.66ID:jJJ8APP5(徴兵された農民兵)の話しを持ってきた人もいたらしいw
0221人間七七四年
2011/09/02(金) 22:23:23.89ID:Q4KXaRuN南雲機動部隊の例を出して、敵はいつまでも同じ所にいるわけではない、
という例えを出した先生もいるがな。
0222人間七七四年
2011/09/02(金) 23:29:07.81ID:4V5TGJM1まだ読んでないんだけどうすっぺらいの。
0223人間七七四年
2011/09/03(土) 16:50:57.95ID:CwrEzhq4「出てたね」とか言われても、知ってる人間の方が圧倒的に少ないんじゃない?
0224人間七七四年
2011/09/04(日) 01:56:01.37ID:xgFRhqWj0226人間七七四年
2011/09/10(土) 02:31:50.55ID:W53MTNysとこだもんなぁ。NHKにからんで本売ったり。
藤本がどうして組んだのか少し意外だった。
武功本のあと別れたかと思ったらしつこく小和田あたりに
からみまくりんぐだもんな。
あれは鈴木の主導なんだろうけど藤本も自分の
説が無反応だったからそこで仲良くなったか。
0227人間七七四年
2011/09/13(火) 20:59:14.24ID:mGUtgE/Dふだんは冷ましてから運んだりしているのだが、うっかり、熱いままのものをつかんでしまった。
激痛!。
信長が、焼けた鉄をつかんだ件を思い出した。「信長 火起請」でググるといろいろある。
焼けた鉄を0.1秒でさえ激痛なのだから、持ったまま3歩も歩けば手の肉も焼けるよ。
信長の書状は千通ぐらい現存しているそうだが、直筆はわずか10通ほどだそうで(確実は1通のみ)
たぶん、野口英世みたいに手の平がひどいやけどで、筆記が苦手なんじゃないかと想像した。
ヤケドして痛いからと手のひらを握ったままにしているとそのままくっついてしまうので
治療のためには広げなければならないが、いずれにしても激痛の連続。
0228人間七七四年
2011/09/19(月) 10:06:43.88ID:0KeXvI34藤本節が全開だった。きわめて微に入り細を穿つ内容で、ヨロイの各部品を説明している。
というのは、武田信玄像が鎧をきている絵だから。
良き本である。
欠点といえば2つだな。ひとつは、武田信玄およぼ他の武将の姿絵を解説しているわけだが、
他の武将にいたっては絵がないものが多い。読みながら、???の連続。活字でなくインターネット
上のブックにすべき内容だな。そうすれば画像もモニターでカラーだし。
もう一点は、他人の説への攻撃がまたもや頻発していること。偽書武功夜話のとき以来の、藤本の性格
なのかもしれない。優れた学術ある内容でも、余計な敵を多く作りそう。
0229人間七七四年
2011/09/19(月) 12:27:16.88ID:DLDNO43Cそういうところで予算削るところあるよ。
0230人間七七四年
2011/09/19(月) 22:50:07.98ID:4lbYA2gw0231人間七七四年
2011/09/19(月) 22:51:13.69ID:ZqFzbcTx0232人間七七四年
2011/09/20(火) 09:21:43.46ID:tHOyOwG7桶狭間の新刊本は、読んだもののどうでもいい繰り返しだったが、
今回の「長篠の戦い 」は、ずいぶんと新しい内容が追加されて、
良き本である。
一カ所だけギャグが入っていて笑ってしまった。武田軍を打ち破った直後の信長なんだが、
「信長はフィーバーした」!と、浮かれまくった信長発給文書を次々に紹介しているのだ。
藤本センセーは、じつはパチンコが好きらしい。
0233人間七七四年
2011/09/20(火) 11:28:04.08ID:BoUvTBiDおじさんだとディスコのりで浮かれたと解するけどな
0234人間七七四年
2011/09/20(火) 11:54:35.86ID:dtvn6bF/もう死語だしな。
0235人間七七四年
2011/09/20(火) 19:13:20.51ID:FyMRxA0P何の更新だよ聞かれても色々としか答えようがないし、説明のしようもないがw
自覚できれば自力でアップデートできるかもしれんが、自覚できてなきゃそこで止まる。
0236人間七七四年
2011/09/20(火) 22:04:40.60ID:hpIMejUr宮島新一のことなら、
頼朝像は頼朝
尊氏像は尊氏
信玄像は信玄
という、旧説ばかりの人だから批判されても仕方がない。
0237人間七七四年
2011/09/21(水) 02:21:26.54ID:chjeUqWE罵倒や感情論になっていたらダメだけど。
0238人間七七四年
2011/09/21(水) 11:27:13.81ID:4dKDVhv3>>237 藤本は、罵倒や感情論ではない。
事実を詳しく明晰に、かつ、引用は正確に、という余波により、他人の説への明らかな攻撃
になってしまうのだろう。
0239人間七七四年
2011/09/21(水) 11:30:28.45ID:hKvUpGeU騒ぎになれば本が売れるからね
0240人間七七四年
2011/09/21(水) 13:15:59.16ID:FbT+FuP3> 藤本は、罵倒や感情論ではない。
> 事実を詳しく明晰に、かつ、引用は正確に、という余波により、他人の説への明らかな攻撃
> になってしまうのだろう。
それは違うな。自分の説を淡々と述べればいいだけの所でも、不必要に他者を攻撃している。
説の成否はともかく人格として下劣だ。
0241人間七七四年
2011/09/21(水) 13:32:49.19ID:TMxDvV2y0242人間七七四年
2011/09/22(木) 00:03:22.47ID:+vUOx3tdわかりやすいよなぁ。
0243人間七七四年
2011/09/22(木) 09:06:54.78ID:+90ycisxしかもその批判の内容がよくわからない文体だった。
桐野作人の書いた本は、歴史の本の中では、かなり論理的で良い方。
0244人間七七四年
2011/09/24(土) 00:57:50.66ID:GMxnU/AX自分もそういう反論をされてた。
結局こういう人たちは、人の話を聞かないタイプ、というやつで
相手の言ってることをまず理解しようと思わないから話が
かみあわないことが多い。
特に藤本は反論されるとよく答えてるから真面目にみえるが
実は「自分の言うことが理解されてない」というだけなんだよな。
0245人間七七四年
2011/09/24(土) 09:29:01.72ID:y3skfY3q小和田よりも藤本だけどな。小和田は原文から逸脱した誇大読み下しが多すぎ。
0246人間七七四年
2011/09/24(土) 18:51:55.81ID:IR6kUVkT手広くやってるが自分の研究範囲外は名前貸しただけかと思うような内容薄々。
0247人間七七四年
2011/09/24(土) 21:05:34.11ID:5ni1lJzC今でもブコウの擁護してるし。一般の本なんかはアルバイト学生に
書かせるレベルで問題外だ。
0248人間七七四年
2011/09/25(日) 00:44:46.54ID:rODftip3家康を討つと兵たちに伝えた、という意味のことを書いてあった。
本城惣右衛門覚書では、家康を討つとばかり思っていた、とあるので、
信長でなく家康のつもりだったのは確かだが’(宣教師の文書にも同じものがある)
本城惣右衛門覚書では、てっきり家康だとばかり思っていた、というニュアンスなのに、
小和田は、飛躍して、「家康を討つと欺瞞情報を流した」ということまで
作り上げてしまう。歴史創作が好きな学者であり、内容は、とても使えない。
0249人間七七四年
2011/09/26(月) 14:29:58.59ID:erwwilnnそれを真面目に相手するから藤本あたりも相手されないんだよな。
0250人間七七四年
2011/09/26(月) 22:37:11.49ID:oDj7Q9YN0251人間七七四年
2011/09/26(月) 23:35:21.75ID:erwwilnnブコウのあたりは鈴木との資料交換みたいなのがあったんだろうけど
しばらくたってまた共著出したのには驚いたもんね。
最初の信長の戦争あたりがスルーされたのを相当ネにもってたんだろな。
0252人間七七四年
2011/09/27(火) 00:26:27.15ID:vI5cb7LF藤井は後手必勝(藤井戦国史というブログがある)という説が特色だが、
今では藤本の本には全然触れられていないから、現在ではケンカ別れでもしたのかもしれん。
藤井戦国史では、千秋らが突撃して死んだのは、砦を無断撤退したからであり、
信長がすぐ近くまできたのを知り、気まずくなって、千秋らは突っ込んでいって死んだという。
0253人間七七四年
2011/09/27(火) 13:02:05.15ID:bKuHvrPM70年代に上山春平のアシスタントみたいな感じで藤井と長篠を案内してたし
(上山著作集に入っててびっくり)、10年前くらいには藤井と石井進とで
関が原関係の対談をしてる
(ちなみに石井進は『戦国軍事学』が面白かったと吉川弘文館の編集者に
話して『鎧をまとう人びと』出版のきっかけを作った人物だそうな)
0254人間七七四年
2011/09/28(水) 00:50:30.17ID:zi7DQRWRそのあたりは後手必勝の藤井説によく似ているが、藤井の名前は一切でてこない。
藤本の他人批判グセはよくあるものの、藤井に対してはしない、ということが、せめて
友人の証なのかもしれないなあ。
0255人間七七四年
2011/10/06(木) 09:36:00.14ID:wP0i6Qwf家紋が二引両だから信玄ではない、という藤本の有名な説がある。
他人がこれを引用して紹介しているコンビニ本がよくあるが、
家紋が小さく描かれているからなんのことやらわからないうえに、
拡大図でも菱形「の中に 二 が書かれているから、これのことかと一応納得。
でも、刀のツカに糸を巻くとき、XXXXというふうに斜めに巻くから、
その下に描かれた 二(二は○で囲んである)は、◇の中に 二 が書かれたようになっている。
0256人間七七四年
2011/10/06(木) 15:09:19.49ID:5fzCpoFJマゲの問題とか。
0257人間七七四年
2011/10/06(木) 19:06:11.48ID:wP0i6Qwfさらなる根拠や理由が充分にそろったのは藤本の功績。
0258人間七七四年
2011/10/07(金) 00:36:23.93ID:bsrGHk5+俺は功罪の功の方が大きいと思うな
ただ、そろそろ人の悪口路線はやめていい頃だと思う
0259人間七七四年
2011/10/07(金) 07:19:58.34ID:2scEvEAf歳を取ってから無駄に攻撃的愚痴悪口を言いはじめるようになる年寄りも多いから。
年寄だから手足はよく動かないから口だけは動く。
この場合は手先で。
アルツハイマーなんかとはちょっと違うけど、老人性のなんとかとそういう症状で多分仕方ないんじゃないのかな。
0260人間七七四年
2011/10/07(金) 20:01:46.42ID:9bK3k4ui人の悪口路線はやめていい頃、に同意。
>>259
病気の症状ならまだいいが、単に、自分の意見に反対されるとカッ!となる性格なのだと思うよ。
0261人間七七四年
2011/10/09(日) 14:47:09.70ID:Ui7cKczLネーミングもひどいw
良識があれば自説に相反する説を唱える人がいても真摯に享受するものだが、
これだけ排他思考に偏った人は話し合いにすらならんからな。
0262人間七七四年
2011/10/09(日) 15:53:55.66ID:Hyw04s7r手当たり次第だとなあ
0263人間七七四年
2011/10/09(日) 18:13:39.00ID:fFQx99qc0264人間七七四年
2011/10/09(日) 18:15:34.54ID:ThMHposN0266人間七七四年
2011/10/11(火) 00:14:59.86ID:ymTrH9rr0267人間七七四年
2011/10/11(火) 00:55:00.13ID:jAU3wkfo0268人間七七四年
2011/10/11(火) 12:04:58.58ID:6p2X6Jg30269人間七七四年
2011/10/11(火) 15:01:25.85ID:EXmWggwh所詮その程度の奇説ww
0270人間七七四年
2011/10/12(水) 01:51:01.89ID:UTvaJfyQ今だと信者活動拠点としてしては漫画とかゲーム系板がベストなんかな
0271人間七七四年
2011/10/12(水) 22:59:29.62ID:L0pg50r80272人間七七四年
2011/10/13(木) 00:18:28.58ID:MBNSHxGc> よくわからんが家康存命時に描かれた関ヶ原合戦図屏風で柵に囲まれた敵陣に攻め入る場面では
> ほとんどが抜き身の刀だな。
>
> http://history.harikonotora.net/src/200-61.jpg
0273人間七七四年
2011/10/13(木) 13:22:30.12ID:o/7JNeWhすでに敵は総崩れの真っ最中だろう。残って居るのは
飛び道具で重傷を負って動けなくなった奴ばかり、となれば、まずは抜き身の刀で首取りだな。
0274人間七七四年
2011/10/13(木) 14:36:05.59ID:lr3k119k首は右手差や脇差しで取ると言ってる。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています