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次々と通説を打ち砕く鈴木真哉・藤本正行について 5

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年2011/07/03(日) 17:54:02.54ID:fcz44HVi
どこまで信じられるのか。

長篠鉄砲三千挺はない
桶狭間は奇襲ではない
武功夜話は偽書
徳川御用史観は嘘だらけ

>>2-5の辺りに関連スレなどのテンプレ

●過去ログ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1109562623/
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169131109/
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1222456299/
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1286968038/
0123人間七七四年2011/08/07(日) 14:53:42.10ID:m7k2lqs0
>>119>>122
牛一信長記と甫庵信長記だよ
>>119
それそれ、橋本じゃなく橋場w
0124人間七七四年2011/08/07(日) 18:40:03.69ID:9oYCxffV
あそこまで徹底して考えてはいなかったが、昔から日本刀が戦場で活躍していたとは思えなかった。

戦場に限らず、同技量(これが難しいが)が鎧兜なしで1対1の対決でも槍にはどうかな、と思う。
でもまあこの辺は個人差や得手不得手相性もあるかな、と思う。

戦場、集団戦、甲冑、で日本刀はないわな。(超長いのはまあ別にして)
まして、馬上で対馬上、対徒歩、そりゃないだろと、剣道の真似事していた餓鬼でもわかった。
0125人間七七四年2011/08/07(日) 20:43:42.73ID:YCCTIHr1
日本の足軽さんたちはフルプレートアーマーの下に鎖帷子着込んだスーパー重装歩兵だからね。
刀も鑓もへっちゃらだよ。
賤ヶ岳じゃこんなのが五時間で約50qを走破。
0126人間七七四年2011/08/07(日) 21:06:06.40ID:9oYCxffV
重装備悪道でも1時間10Kならなら可能だが5時間はなあ

今の尾根歩きは昔の幹線道路とは言え
0127人間七七四年2011/08/07(日) 21:10:25.45ID:kANQCpal
>>125
楔帷子なんぞ着込んでいない
0128人間七七四年2011/08/08(月) 00:36:26.66ID:lHk1XmKm
>>124
白兵戦だと明らかに槍より刀に分があるよ
常時隊列を組んだまま集団戦を行えるわけじゃないから、刀は携行し易いし必須

馬上でも最初の突撃は槍で乱戦になったら刀、槍一本じゃ到底捌き切れない
0129人間七七四年2011/08/08(月) 01:10:36.41ID:a2+n7pAE
>>127
くさび帷子は痛いな〜
0130人間七七四年2011/08/08(月) 01:52:33.62ID:J+b9hhBk
くさびかたびらって、
戦国時代の鍛冶屋はどうやって作っていたんだろう?

ほそい針金をつなぎ合わせるといっても、ふいごで溶かしていたら接合部分以外まで溶けそうだし、
溶接はできないし、赤くなった針金をトンカチで叩いて根気づよくつないでいったのだろうか。

ちなみに鉄砲の銃身、バネ、ネジ、引き金の複雑な形状等、鍛冶屋が鉄砲を作るのは
刀と違って、ものすごく高度な技術が必要だったと思われる。
0131人間七七四年2011/08/08(月) 02:11:35.60ID:P1WXKHNz
このスレのキーワードは、「夏休み」とか「ゆとり」とかか?w
0132休み好きゆとり2011/08/08(月) 02:36:41.50ID:J+b9hhBk
戦国時代のころの日本って、すごく貧しいから、
動員かけて人数集めたとしても、武士階級ならともかく、
一般農民なんか、武具もなく、食べ物すらろくに持参してなくて、手ぶら同然でやってきて、
せいぜい粗雑な刀くらいしか持ってないわけよ。

そこで殿様?は仕方なく、足軽用のヨロイを貸してやる(お貸し具足というらしい)。
食料もコメを与える。
武器は、弓矢を与えても使いこなせないから、そういう末端の足軽は、武器は刀だけで
あとは大抵、荷物運びさせてるね。
0133人間七七四年2011/08/08(月) 02:44:51.07ID:lHk1XmKm
大名家にもよるけど、基本2週間は自弁
粗雑な刀くらいしか持ってないフザけた奴は死刑w
0134人間七七四年2011/08/08(月) 10:18:03.26ID:J+b9hhBk
刀しか持っていなければ、槍や鉄砲に劣るとはいえ、いざとなれば刀を使うしかあるまい。


長篠の屏風では、信長の周りに10人近くが描かれていて、それぞれ武具を持っているが、
全て主人の信長用のもの。荷物持ちだ。この解説も藤本正行氏からだけど。
0135人間七七四年2011/08/08(月) 10:43:12.91ID:fCVk5+AL
>>134
> 刀しか持っていなければ、槍や鉄砲に劣るとはいえ、いざとなれば刀を使うしかあるまい。

それはそうだべ
主力として装備する武器としてどうだろうか
ということ
0136人間七七四年2011/08/08(月) 13:52:03.84ID:J+b9hhBk
主力として装備する武器ではあるまい。

北の庄の天守に突入したときとか(柴田めがけて壮絶殺し合い)、
本能寺の本城惣右衛門は、蚊帳の後ろに隠れて、相手を斬り殺したとか。

刀は野戦では最後の首切り用だな。小刀では首をうまく切り落とせない(まぐろの解体の大きな包丁を連想させる)。
0137人間七七四年2011/08/08(月) 14:58:37.85ID:PUVE//0A
文意というか噛み合ってないというか
文章の不備ということにさせてもらいます
0138人間七七四年2011/08/08(月) 16:50:52.71ID:qIPg6IHm
唐入りの時に、相手の槍の柄を刀で切りまくったんじゃなかったっけ
0139人間七七四年2011/08/08(月) 17:11:41.54ID:KZh3DsV6
突っ込み所だらけでこっちが困る
0140人間七七四年2011/08/08(月) 19:13:57.63ID:lHk1XmKm
まあ鈴木儲だから仕方ない
0141人間七七四年2011/08/08(月) 20:22:01.49ID:a2+n7pAE
>>136
>刀は野戦では最後の首切り用だな。小刀では首をうまく切り落とせない(まぐろの解体の大きな包丁を連想させる)。

マンガしか読んでないだろw
0142人間七七四年2011/08/08(月) 20:57:42.68ID:2qYlk57x
>132
個人単位で動員されるような人間は少なくて、
普通は村という組織を代表して参加するんだよ。

で、中世(戦国時代まで)の村は、生活だけでなく軍事行動も全部自前で行うのが普通で、
武器や防具なども村の共有財産として持っているのが普通だ。
鎧も刀も、村が自前で用意できるのが普通。
戦国時代初期までは、武器防具に食料まで村の負担だった。
ただ、その方式が諸条件によって限界に達したから
(粗末な武器を持っていくとか、よくあったらしい)
お貸し具足 とか 兵糧支給とか、大名の負担に切り替わっていったんだろう。

>136
おいおい、骨を切るんじゃないんだから...
0143人間七七四年2011/08/09(火) 03:07:10.19ID:raJdbRhx
テロリストの首切り動画で案外簡単なんだなって印象になったわ
0144人間七七四年2011/08/09(火) 10:07:48.35ID:fv+oItCT
義元の首をとった毛利新助は、指を何本か?失ったが、
義元の口かあどをおさえつけて、右手?で刀(小刀?)をもって切るときに
指をかみちぎられたのだろう。
0145人間七七四年2011/08/09(火) 10:08:32.28ID:fv+oItCT
義元の口かあどをおさえつけて、

義元の口かのどをおさえつけて、

この話も藤本氏の本から。
0146人間七七四年2011/08/14(日) 14:25:23.81ID:Zfh00kw3
>>142
> 武器や防具なども村の共有財産として持っているのが普通だ。
> 鎧も刀も、村が自前で用意できるのが普通

その頃の調達はどうしてたんですかね? 行商人から購入した?
0147人間七七四年2011/08/14(日) 18:45:39.83ID:GL15hpCr
>146
離れた場所の定期市まで買いに行くんじゃないか?
定期市の場所まで往復するのに泊まりがけ、なんて僻地の村は少数だろうし。

行商人を待つ必要があるような村の方が少ないと思うんだけど?
0148人間七七四年2011/08/14(日) 20:24:37.86ID:xpmek830
5、6回も戦に行って首の一つもとった経験があれば
ムラの中ではサムライきどりで調子ぶっこけるだろうな
0149人間七七四年2011/08/15(月) 05:40:15.64ID:2eF02ab/
水争いとかで隣村とやり合うこともあっただろうから、その辺はどうだろ?
実際に殺し合いにまでなった、ならなかったはよくわからんが。
0150人間七七四年2011/08/15(月) 07:42:35.98ID:1hRpWyQh
九十九里浜ちかくの水田の水争いについて、ちょっと書かれている。
ttp://www.maff.go.jp/kanto/nouson/sekkei/kagaku/kokudo/06.html

細い川しかないのに、数千ヘクタールの水田があるから、すぐ水不足になって農民マジ切れ。
0151人間七七四年2011/08/15(月) 07:51:51.47ID:1hRpWyQh
ここにもちょっと水争いの話
ttp://www4.airnet.ne.jp/sakura/mizuarasoi3.html
農民一揆?のときは、農民は刀や竹やりぐらいで、飛び道具は持ってないみたいだから
武士は刀さえあれば間に合ったようでもある。
0152人間七七四年2011/08/16(火) 07:56:25.85ID:rFTLPbfI
ここにも鈴木厨とおぼしきヤツが沸いてるんですが……
ttp://news.goo.ne.jp/topstories/entertainment/126/9f752db0b5ec9ca23673ca7f4cb0808e.html
0153人間七七四年2011/08/16(火) 19:28:13.40ID:SOKIwX+S
安心しろ、ヰキペヂアやデマッターやブログもトンでも厨だらけだw
0154人間七七四年2011/08/16(火) 22:16:57.52ID:rFTLPbfI
>>153
結局のところ一番信頼できるのは此処2chだけって事……でいいんですかね、皆さん。
0155人間七七四年2011/08/16(火) 23:10:07.19ID:jd/vB19j
2chなんて一番信用しちゃならんだろw
0156人間七七四年2011/08/16(火) 23:59:16.11ID:SX122kkf
専門の本や論文をあたって調べろって話だ
0157人間七七四年2011/08/17(水) 01:10:59.56ID:tovqbPER
2chはスレ見てると自分があんまり詳しくない分野でもなんとなくどっちが正論かわかる
感情的になるから発狂具合であーこいつが劣勢なのかってのが見えてくる
2ch以外だとそこまで発狂せずに、見た目取り繕いやがるから自分にある程度知識がないとわからん
0158人間七七四年2011/08/17(水) 01:45:54.37ID:O6cf3+9V
残念ながら、どっちかが正論なわけじゃなく
どっちも間違いな場合が非常に多いという
0159人間七七四年2011/08/17(水) 06:39:15.46ID:5+UQ8JD0
2chは分野によるな。
まともな研究に基づかない発言が
力を持ってるところもある。
0160人間七七四年2011/08/17(水) 11:23:47.27ID:H9u3GUfF
陰謀論とか歴史修正主義とか大好きだからな2chは。
ナチス擁護とか一生懸命やってるのがいっぱいいるが、先ず信用しちゃいけない。
0161人間七七四年2011/08/17(水) 15:48:40.33ID:e1YWgbd6
そういや、鈴木儲のコテハン何人かいたけど全員消えたな。
0162人間七七四年2011/08/17(水) 18:57:49.30ID:O6cf3+9V
>>160
突然こういうこと言い出す奴がどんな人種か大体想像つくよね
0163人間七七四年2011/08/18(木) 14:54:11.92ID:WDLi8IRq
脈絡も無く突然そういうことを言い出す人も2ちゃんには多いので…
0164人間七七四年2011/08/18(木) 15:56:29.68ID:CGSJ7AlL
脈絡の無いスレ=そっち方面に詳しい人が少ない=自分の知識でも無双しやすい

それが鈴木信者の落ち武者の場合はここで報告されちゃったりするけど
0165人間七七四年2011/08/18(木) 18:17:44.28ID:7lLHNDGJ
>>147
自前で鍛造してたってのは無かったんですかね。
0166人間七七四年2011/08/19(金) 01:47:22.21ID:gZwOFPTR
普通に城下の鍛冶屋に注文だと思うけど
0167人間七七四年2011/08/19(金) 20:58:04.48ID:J+1qyrBm
たしか熱田が刀の輸出やってたような
佐治がその辺り関わってたような

ソース忘れたうろ覚えだけど
0168人間七七四年2011/08/20(土) 08:36:04.33ID:c0FZZOqg
熱田やら品川善福寺やら前島の円覚寺やらは大商社&物流&情報産業だからね
0169人間七七四年2011/08/20(土) 10:12:13.61ID:ZmnJkiSZ
寺などの宗教勢力は、経済の流通をおさえた大勢力だもんね。
坊主だと思ってなめてかかると、返り討ちに遭う。
佐久間父子の追放のときの書状には「相手が坊主だと思って、信長の威光で退散するとでも思っていたのか」
と、以前、本願寺攻めで死にかかった信長は、厳重注意をしている。

長島攻めでも弟などが死んでいるが、長島は尾張の国の河川流通のかなめだから、これまた大阪本願寺に次ぐ大勢力。
石高があまりなくても、カネがあって武士も雇えるので、大名なみ。
0170人間七七四年2011/08/20(土) 14:10:15.77ID:PzF4p/Qn
金で雇ってたとか歴史を知らな過ぎだろwww
それに長島桑名一帯の石高はかなりのものw
0171人間七七四年2011/08/20(土) 17:45:40.15ID:LlM67KMn
数打ちと呼ばれた大量生産品の刀では、
大和のどこかに大手の産地があったような?
0172人間七七四年2011/08/21(日) 02:10:22.41ID:pFo5IK7X
>>170
武士は領地をもらってその年貢で…というのが一般的だけど、
金で雇ってた武士というか、流通の商売で生計をたてていた武士というのもいるよ。
蜂須賀がそう。河川の流通の仕事をしていた武士。
関ヶ原の石田(近江20万石)とか、大谷(敦賀5万石くらい)も、石高は家康に比べれば
ずっと少ないが、商業や港湾の仕事が大きいため、実際にはかなりの勢力。
0173人間七七四年2011/08/21(日) 02:18:57.49ID:pFo5IK7X
それに、石山本願寺の僧兵はカネで雇った者だし、
長島は、地元の農民もいるが、武装した凶徒ども(信長公記の表現)は外部から集まってきた連中だ。
石山本願寺と武田の婚姻があって、その夫婦?が長島にいたから、信長を牽制すべく、何か資金や軍事の援助はあったのだろう。
0174人間七七四年2011/08/21(日) 05:12:11.69ID:imWwVaL0
本当に何も知らないのか
長島の武士は土着の一向宗徒、金で雇われたわけじゃないよ
0175人間七七四年2011/08/21(日) 07:52:59.94ID:DROU7CMl
だれ

土着の一向宗徒+外部から集まってきた連中 + 派遣
0176人間七七四年2011/08/21(日) 10:08:28.94ID:pFo5IK7X
>>174
知らないのはオマイだ。恥ずかしい奴だな。

尾張国河内長島と申すは、隠れなき節所なり。(中略)
これに依って隣国の倭人凶徒など相集まれり、住宅し、当寺を崇敬す。

信長公記から書き写したよ。信長公記を引用すると、このとおりの威力。藤本の手法は偉大だな。
0177人間七七四年2011/08/21(日) 10:10:31.17ID:pFo5IK7X
倭人凶徒 の 倭人は、実際には別のよく似た賎しい意味の漢字。入力できなかった。
0178人間七七四年2011/08/21(日) 15:18:00.32ID:imWwVaL0
>>176
オマエは本当に何も知らないのな

それは長島に人が集い繁栄を極めていたというだけの話で
信長族の侵略に対抗したのは桑名土着の武士
桑名が隣国なことくらい勿論知ってるよね
0179人間七七四年2011/08/22(月) 01:42:58.16ID:+vTDsxnd
信長族の侵略に対抗したのは桑名土着の武士
って、ハア?。
長島の一揆勢は、「隣国の佞人凶徒など相集まれり、住宅し、当寺を崇敬す。」と書いてあるだろ。
他から集まってきた勢力だよ。
藤本は、こんなふうに他者の主張と、くだらない論争に巻き込まれていったんだな。
0180人間七七四年2011/08/22(月) 02:34:54.60ID:0PKfJeot
隣国の佞人凶徒など相集まれり
これが桑名の土着武士を指す事すら理解出来ない無知が
妄想を膨らませ在りもしない虚像を創り上げる、まさに馬鹿の鑑
0181人間七七四年2011/08/22(月) 02:40:03.45ID:4PlnBPMN
ところで信長族ってナニ?
0182人間七七四年2011/08/22(月) 09:04:39.90ID:IuYLUynu
隣国って
尾張の隣国?
伊勢の隣国?

どっちでもいいけど
桑名の土着武士って何?
農場領主とその一党?物流業者とその一党?戦闘専門集団?
0183人間七七四年2011/08/22(月) 13:02:01.30ID:+vTDsxnd
桑名の土着武士だけじゃ足りないだろ。人数がな。
ここでの「隣国」とはどこか?は、信長公記では明記してない。

だが、長島一揆の最後に、織田軍に大損害を与えた反撃時のあと、逃げた先は書かれている。

「川を越え、多芸山、北伊勢口へ、ちりぢりにまかり退き、犬坂へ逃げ入るなり」

北伊勢方面経由で大阪に逃げた、という意味とのこと。

餓死寸前の体でさえ、この移動距離だ。
長島のすぐ隣の桑名出身者で占められていたなんて説は、なんて狭い発想だ。

ググったら、たまたまウィキでひっかかったので転載する。
本願寺の反信長蜂起(石山合戦)に伴って、長島でも門徒が蜂起。更に願証寺が北勢四十八家の
豪族や紀伊の雑賀衆などに檄を飛ばしこれらが長島へと集結した。また、信長によって領地を追
われ長島の地に逃げ込んでいた斎藤龍興や、尾張弥富の服部党、石橋義忠らの非門徒の武士団の
連合軍も一斉に蜂起した。下間頼旦らに率いられた数万に及ぶ一揆衆

桑名の土着武士だけじゃなさそうだ。



0184人間七七四年2011/08/22(月) 13:51:25.37ID:k3K5O5WW
>>183
おまえは自分で>>172と書いたのを忘れたのか
武士は金で雇われたのではなく桑名の土着武士
構成員全体なら長島周辺の百姓や地縁の無い寺院境内に住む商工民

地縁の無い商工民は同宗派の寺院へ逃げるのが当然
0185人間七七四年2011/08/22(月) 18:43:39.20ID:4iwr920f
そりゃ、他国国別の土着武士に比べればダントツに「桑名の土着武士」が多かったろうが

応援・義勇軍・傭兵もかなりいたと思うけどな


検証しようもないことをウダウダと「桑名の土着武士」に拘る理由を教えてくれれば
拘りとして理解する気はあるんだけどね
0186人間七七四年2011/08/22(月) 20:56:23.33ID:DYQSE6Ui
>>176に金で雇ったなんて一言も書かれてないからじゃないの。
0187人間七七四年2011/08/22(月) 23:32:17.02ID:+vTDsxnd
藤本の本は、他人の説を次々に取り上げて、それに対して、
検証というか批判というか、論争みたいなことを、よくやっている。
小説家の創作説みたいなものまで言及しているので、相手にしなければいいのに、
と俺はよく思っていた。
だが、この2chのスレでわかったことは、アホウの説に反論しつつも、じつはそれに便乗して
自説を述べることができる、というメリットがあるということだ。
0188人間七七四年2011/08/22(月) 23:43:51.54ID:0PKfJeot
>>185
数の少ない浪人を除けば武士は根本的に地縁血縁の生き物だから
居ても北西部の武士とか近隣の居住かな
寺院に属する人間は遠くからも来たかもしれないけど

「金で雇った武士」という>>187の誤った主張の反証になるね
0189人間七七四年2011/08/22(月) 23:57:09.76ID:GemgWQBi
長島一揆の主な構成

・願証寺
・桑名、員弁、三重郡の武家(北伊勢四十八家)
桑名〜尾張の輪中の地域にまで及ぶ
・斉藤旧家臣
・海賊衆(大濱etc)
・各地の浪人(三河、伊勢、甲賀、伊賀)

ワラワラ各地から集まったのは事実だが、戦力的には地元の領主層が主力だね。
大田口合戦も願証時から山方衆と呼ばれていた員弁、三重の手勢に後背突かれて、織田軍が崩れたようなので。
0190人間七七四年2011/08/23(火) 02:44:28.34ID:FEhd1Vwq
それ、地元と呼べるほど狭い範囲かな?

近隣と呼ぶならいいけど。
北伊勢四十八家だって日帰り往復できないほど遠くの武士が含まれてる気がする。

土着ってのは、そこに生活の場を持ってなきゃ違うだろ
家族も一緒に住んでる、戦いが終わったあともそこに住む予定でいる、
そういう人以外は近隣からの応援とか外来者とかだろ
0191人間七七四年2011/08/23(火) 04:57:55.31ID:ubOKV2QK
おまえの俺様定義なんぞ誰も聞いてないから
0192人間七七四年2011/08/23(火) 08:49:02.16ID:TMVRE2P4
聞いてるよ
0193人間七七四年2011/08/23(火) 11:07:16.53ID:rr2cFhzF
土着・近隣・地元

言葉の定義はまあいいとして
それで何が何が主張したいのですか?

混成軍の構成の幅についてですか?


id:0PKfJeot 氏 と id:GemgWQBi 氏 は別の人だよね
0194人間七七四年2011/08/23(火) 18:35:49.56ID:FEhd1Vwq
菅浦文書に書かれた例からも分かるように、
近隣からの応援ってのは普遍的に広く見られることだと思う。

そういう応援の人たちは、謝礼とか酒食とか、受け取るのが普通なわけで、
それを傭兵などと誤認する可能性はあるんじゃないの。
実際に傭兵が居たかどうか、居たとして多かったか少なかったか、とは関係なく。

だが、傭兵の件は、どうでもいい。
189氏が地元という言葉の意味を拡大解釈してるように思えて気になった。

ところで、念のために書くけど、オレは148-170とか172-189の範囲には一言も書いてないよ。
01951932011/08/23(火) 19:19:05.74ID:rr2cFhzF
>何が主張したいですか?

つっけんどんな書き方になりましたが
単純に
構成員の質と割合の何がそんなに気になるんだろう?
という素朴な疑問です。




0196人間七七四年2011/08/23(火) 19:25:11.76ID:rr2cFhzF
ところで、久しぶりに鈴木氏の本でも読もう、と思って
図書館で「関ヶ原」というのを借りて読んでみたら、
オタク中学生みたいが書くようなひどい内容だった

なんのためにこんな本書いているんだろう?
と、表紙をみたら、武光誠 と言う人だった。

鈴木さんごめん。
0197人間七七四年2011/08/24(水) 00:08:51.46ID:zxE78dow
以前、日本史板のスレで鈴木の関ヶ原は司馬遼の関ヶ原の影響受け過ぎとかなんとかあったけど、読み比べた人いる?
0198人間七七四年2011/08/24(水) 01:51:49.70ID:lOSLfOB8
そもそも、小早川が、松尾山にいた大垣城兵を「追い払って」占拠したという文書があることから、
小早川は裏切るも何も、最初から東軍なんじゃね?
家康による小早川への鉄砲射撃も、本当かどうか怪しいそうだし。
0199人間七七四年2011/08/24(水) 20:00:21.84ID:lOSLfOB8
ここで関ヶ原の確認のために、太田牛一の本を読んでおきたいところだが、
信長公記には載ってない。だが、太田牛一は「関原御合戦双紙」を記している。

でも、この本の内容は、藤本は全く触れていない。現存していないのかもしれない。

敵味方押し合い、鉄砲放ち矢叫びの声、天を響かし、地を動かし、黒煙立ち、
日中も暗夜と成り、敵も味方も入り合い、錣[しころ]をかたむけ、干戈を抜き持ち、
おつつまくりつ攻め戦う。

この一文だけはちょっと有名。

0200人間七七四年2011/08/24(水) 20:10:06.48ID:lOSLfOB8
関ケ原御合戦双紙は、逢左文庫に現存している模様。

太田牛一の著作「関ケ原御合戦双紙」で、現在は自筆本として「内府公軍記」(大和文華館蔵)、
「太田和泉守記」(名古屋市逢左文庫蔵)が伝わっている。
岐阜市信長資料集編集委員を務める金子拓東京大学史料編纂(さん)所助教がこれら文献を調べた

関ヶ原の戦いの展開を、この本でよく読み直せば、通説とは違った内容があるかもしれない。
0201人間七七四年2011/08/24(水) 21:33:11.75ID:4AA7ayvX
既に誰か研究してるだろ?
してないなら幾ら何でも怠慢過ぎる
0202人間七七四年2011/08/24(水) 21:46:26.98ID:OL5NEIqw
太田牛一のなら、近代デジタルライブラリーの「板坂卜斎覚書」内に合戦部分が、
また「朝野旧聞褒藁」にも時系列順に記載されている
0203人間七七四年2011/08/24(水) 22:54:24.03ID:lOSLfOB8
検索かけてみたが…、
内容わからんかった。
0204人間七七四年2011/08/24(水) 22:59:22.15ID:OL5NEIqw
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772758
ここの20頁から
0205人間七七四年2011/08/24(水) 23:43:53.25ID:lOSLfOB8
「影武者 徳川家康」の野々村が登場してるね。
それにしても読みづらくて発狂しそう。

教えてくれてありがトン
0206人間七七四年2011/08/24(水) 23:57:06.68ID:lOSLfOB8
敵味方押し合い、鉄砲放ち
の場面は、>>204の21ページ右側頁に見つけた。左側の頁にも「押しつ押されつ」の表現あるけどな。

大谷刑部の死ぬ場面はうっすらわかったが(馬上で腹を切る? 22頁右側)、小早川への鉄砲射撃のシーン不明。
0207人間七七四年2011/08/29(月) 10:26:54.24ID:HOVpIuOc
どうやら、小早川への発砲の記載は、無いらしい…。関ヶ原の戦闘中のページは20ページから22ページまでしかないし。
太田牛一の資料に無いなら、本当に無さそう。
そもそも太田牛一は関ヶ原に参加したかどうかとなると、火花出しておしあいと臨場感はあるものの、聞き書きかもしれない。

小早川へ鉄砲を射って参戦を催促した話は、徳川実紀から引用の天元実記と、黒田家譜にしか無いらしい。
http://tss-website.sakura.ne.jp/bbs/cgi/hq/wforum.cgi?no=2328&reno=no&oya=2328&mode=msgview&page=0
0208人間七七四年2011/08/29(月) 12:48:57.30ID:MGN8LQKD
591 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/01/07(金) 22:56:10 ID:
再録

「五本関原日記曰諸方合戦最中ニ黒装束ノ武者御前ニ参リ筑前中納言ノ旗
色何レトモ知レ申サスト申シ上ル問鉄砲打セヨトノ御意ナリ仍テ鉄砲打カケ
候」

「井伊家慶長記曰福島井伊向云々合戦始時節如何直政答云筑前中納言内通之義有
彼躰見軍始可只今予軍士熊谷内匠三浦十左衛門両秀秋陣遣暫相待可ト
又藤堂佐渡高虎来テ正則如問前如答フ高虎テタテアリト云テ吾陣帰鉄砲之者二十人
計召具秀秋陣向放タシム但玉ヲ入不然雖秀秋陣少モ騒不一向敵陣ヲ見ヲロス外無他
高虎来云秀秋心底疑処無云々」

「聿修録曰諸部既接戦筑前候観望山下未公(高虎)大銃発之脅乃始兵発」

他、
「五本関原日記」とほぼ同じなのが「濃州関原合戦答書」「一本関原軍記」「慶長記畧捗」

「五本関原日記」に「井伊家慶長記」「聿修録」を組み合わせ、藤堂隊が家康の命による
問鉄砲を撃ったとしているのが「東西記」「別本慶長軍記」「本朝武林(稲葉)傅」

「黒田家譜」では福島の鉄砲隊二十人『のみ』を松尾山に撃たせよと使番に命じている
ほぼ同じ内容が「関原物語」「関原記考」

「落穂集」は使番として久保島孫兵衛、鉄砲隊は家康組下の布施孫兵衛とし
後は上記の内容をごった煮したもの

以上「朝野旧聞褒藁」より

以上より

小早川陣への銃撃は二度あったと推定される

一回目は藤堂高虎による牽制の為の銃撃

二回目は徳川家康の命によって福島正則から分派された
鉄砲隊(家康使番久保島が同行した可能性あり)による内応
催促の銃撃

家康本隊からの鉄砲隊分派は無かった可能性が高い
0209人間七七四年2011/08/29(月) 14:24:11.55ID:HOVpIuOc
ありゃまあ!、すごい専門家のご降臨に感謝。再録とはいえ有り難い。

小早川って、筑前中納言なんだな。今頃気付いた。
というわけで、太田牛一の本の関ヶ原戦のページをまた読み直してみた。筑前中納言はどこじゃ?。
20ページの左側に「太田和泉守記録にあり」とあるのに気づき、ひょっとして関ヶ原に参戦したのか?!。
その後も読んだが、ああもうだめだ、読みづらくて発狂しそう!
0210人間七七四年2011/09/01(木) 19:26:01.90ID:5UCCPq3S
ちょっと質問ですが木曽馬との比較対象にサラブレットを持ち出したのって鈴木でしたっけ?
0211人間七七四年2011/09/01(木) 20:41:59.62ID:lWBLmx5e
藤本って 「鎧をまとう人々」 書いた人か
あれ 結構よかったんだけどな
そんないい加減だったのか-----
0212人間七七四年2011/09/01(木) 21:14:02.13ID:xedChKp8
>>210 わかんね。
>>211 その本、高すぎ。藤本って優れているよ。最近かいた本は若い頃の勢いが失速してるけど。
0213人間七七四年2011/09/02(金) 00:27:47.26ID:yGYibvp9
だから藤本先生と鈴木を同列に並べるなって。
絵画史料の活用ではトップクラスの研究家だよ。
0214人間七七四年2011/09/02(金) 08:42:08.40ID:TGU4h+Iv
>>212
>>213
さんきゅ。
引っ越したときに古いPCやら周辺機器と一緒に本もかなり整理したけどこれは残しておいたんだ。


話は変わるけど、
刀に興味(主に美術品として)があったころ、鈴木説なんて全然知らなかったけど、感覚的に、
「うーん、この武器というのはかなり限定された場面でのものだよなあ、決闘とか、それこそ幕末の京都治安活動とか」
「飛び道具は別にして、集団戦なら槍とか長柄とかがいいだろうし、馬上騎士が標準サイズの太刀なんか振り回したってなあ、
勿論、怪力の豪傑なんかはまた別の長刀やらの類のものも使うんだろうけど」
なんて思っていた。

それで鈴木説を知って、ああやぱりそう考える人いたんだ、と思ったんだが、
データを使っているようでなんか論旨が乱暴な感じがして二冊でやめた。
0215人間七七四年2011/09/02(金) 09:05:33.24ID:Q4KXaRuN
刀といえば、武田信玄像で目釘の飾りが二引紋であることを
指摘したのは、藤本先生の大功績だろう。
そもそもオイラは刀の目釘に家紋を入れることやサヤにコウガイを入れることさえ
知らなかったくらいだし。
0216人間七七四年2011/09/02(金) 09:39:37.40ID:eyvuAIRo
メディアスクラム
0217人間七七四年2011/09/02(金) 20:32:45.79ID:jJJ8APP5
>>210
司馬遼太郎の「坂の上の雲」あたりじゃね?
0218人間七七四年2011/09/02(金) 21:37:17.84ID:kI6EdSaZ
司馬遼そんなめちゃくちゃな比較やってたのかよ
0219人間七七四年2011/09/02(金) 22:05:06.10ID:TGU4h+Iv
日本騎兵のときかいな
0220人間七七四年2011/09/02(金) 22:13:50.66ID:jJJ8APP5
滅茶苦茶な比較と言えば、戦国時代の日本人が白兵戦が苦手だったという事を証明する為に日露戦争の日本兵
(徴兵された農民兵)の話しを持ってきた人もいたらしいw
0221人間七七四年2011/09/02(金) 22:23:23.89ID:Q4KXaRuN
その比較言ったら、桶狭間の戦いで義元の本陣を知るのに、
南雲機動部隊の例を出して、敵はいつまでも同じ所にいるわけではない、
という例えを出した先生もいるがな。
0222人間七七四年2011/09/02(金) 23:29:07.81ID:4V5TGJM1
スレチで悪いが信玄像について自費出版でなんかでてたね。
まだ読んでないんだけどうすっぺらいの。
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