次々と通説を打ち砕く鈴木真哉・藤本正行について 5
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年
2011/07/03(日) 17:54:02.54ID:fcz44HVi長篠鉄砲三千挺はない
桶狭間は奇襲ではない
武功夜話は偽書
徳川御用史観は嘘だらけ
>>2-5の辺りに関連スレなどのテンプレ
●過去ログ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1109562623/
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169131109/
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1222456299/
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1286968038/
0124人間七七四年
2011/08/07(日) 18:40:03.69ID:9oYCxffV戦場に限らず、同技量(これが難しいが)が鎧兜なしで1対1の対決でも槍にはどうかな、と思う。
でもまあこの辺は個人差や得手不得手相性もあるかな、と思う。
戦場、集団戦、甲冑、で日本刀はないわな。(超長いのはまあ別にして)
まして、馬上で対馬上、対徒歩、そりゃないだろと、剣道の真似事していた餓鬼でもわかった。
0125人間七七四年
2011/08/07(日) 20:43:42.73ID:YCCTIHr1刀も鑓もへっちゃらだよ。
賤ヶ岳じゃこんなのが五時間で約50qを走破。
0126人間七七四年
2011/08/07(日) 21:06:06.40ID:9oYCxffV今の尾根歩きは昔の幹線道路とは言え
0128人間七七四年
2011/08/08(月) 00:36:26.66ID:lHk1XmKm白兵戦だと明らかに槍より刀に分があるよ
常時隊列を組んだまま集団戦を行えるわけじゃないから、刀は携行し易いし必須
馬上でも最初の突撃は槍で乱戦になったら刀、槍一本じゃ到底捌き切れない
0129人間七七四年
2011/08/08(月) 01:10:36.41ID:a2+n7pAEくさび帷子は痛いな〜
0130人間七七四年
2011/08/08(月) 01:52:33.62ID:J+b9hhBk戦国時代の鍛冶屋はどうやって作っていたんだろう?
ほそい針金をつなぎ合わせるといっても、ふいごで溶かしていたら接合部分以外まで溶けそうだし、
溶接はできないし、赤くなった針金をトンカチで叩いて根気づよくつないでいったのだろうか。
ちなみに鉄砲の銃身、バネ、ネジ、引き金の複雑な形状等、鍛冶屋が鉄砲を作るのは
刀と違って、ものすごく高度な技術が必要だったと思われる。
0131人間七七四年
2011/08/08(月) 02:11:35.60ID:P1WXKHNz0132休み好きゆとり
2011/08/08(月) 02:36:41.50ID:J+b9hhBk動員かけて人数集めたとしても、武士階級ならともかく、
一般農民なんか、武具もなく、食べ物すらろくに持参してなくて、手ぶら同然でやってきて、
せいぜい粗雑な刀くらいしか持ってないわけよ。
そこで殿様?は仕方なく、足軽用のヨロイを貸してやる(お貸し具足というらしい)。
食料もコメを与える。
武器は、弓矢を与えても使いこなせないから、そういう末端の足軽は、武器は刀だけで
あとは大抵、荷物運びさせてるね。
0133人間七七四年
2011/08/08(月) 02:44:51.07ID:lHk1XmKm粗雑な刀くらいしか持ってないフザけた奴は死刑w
0134人間七七四年
2011/08/08(月) 10:18:03.26ID:J+b9hhBk長篠の屏風では、信長の周りに10人近くが描かれていて、それぞれ武具を持っているが、
全て主人の信長用のもの。荷物持ちだ。この解説も藤本正行氏からだけど。
0135人間七七四年
2011/08/08(月) 10:43:12.91ID:fCVk5+AL> 刀しか持っていなければ、槍や鉄砲に劣るとはいえ、いざとなれば刀を使うしかあるまい。
それはそうだべ
主力として装備する武器としてどうだろうか
ということ
0136人間七七四年
2011/08/08(月) 13:52:03.84ID:J+b9hhBk北の庄の天守に突入したときとか(柴田めがけて壮絶殺し合い)、
本能寺の本城惣右衛門は、蚊帳の後ろに隠れて、相手を斬り殺したとか。
刀は野戦では最後の首切り用だな。小刀では首をうまく切り落とせない(まぐろの解体の大きな包丁を連想させる)。
0137人間七七四年
2011/08/08(月) 14:58:37.85ID:PUVE//0A文章の不備ということにさせてもらいます
0138人間七七四年
2011/08/08(月) 16:50:52.71ID:qIPg6IHm0139人間七七四年
2011/08/08(月) 17:11:41.54ID:KZh3DsV60140人間七七四年
2011/08/08(月) 19:13:57.63ID:lHk1XmKm0141人間七七四年
2011/08/08(月) 20:22:01.49ID:a2+n7pAE>刀は野戦では最後の首切り用だな。小刀では首をうまく切り落とせない(まぐろの解体の大きな包丁を連想させる)。
マンガしか読んでないだろw
0142人間七七四年
2011/08/08(月) 20:57:42.68ID:2qYlk57x個人単位で動員されるような人間は少なくて、
普通は村という組織を代表して参加するんだよ。
で、中世(戦国時代まで)の村は、生活だけでなく軍事行動も全部自前で行うのが普通で、
武器や防具なども村の共有財産として持っているのが普通だ。
鎧も刀も、村が自前で用意できるのが普通。
戦国時代初期までは、武器防具に食料まで村の負担だった。
ただ、その方式が諸条件によって限界に達したから
(粗末な武器を持っていくとか、よくあったらしい)
お貸し具足 とか 兵糧支給とか、大名の負担に切り替わっていったんだろう。
>136
おいおい、骨を切るんじゃないんだから...
0143人間七七四年
2011/08/09(火) 03:07:10.19ID:raJdbRhx0144人間七七四年
2011/08/09(火) 10:07:48.35ID:fv+oItCT義元の口かあどをおさえつけて、右手?で刀(小刀?)をもって切るときに
指をかみちぎられたのだろう。
0145人間七七四年
2011/08/09(火) 10:08:32.28ID:fv+oItCT↓
義元の口かのどをおさえつけて、
この話も藤本氏の本から。
0146人間七七四年
2011/08/14(日) 14:25:23.81ID:Zfh00kw3> 武器や防具なども村の共有財産として持っているのが普通だ。
> 鎧も刀も、村が自前で用意できるのが普通
その頃の調達はどうしてたんですかね? 行商人から購入した?
0147人間七七四年
2011/08/14(日) 18:45:39.83ID:GL15hpCr離れた場所の定期市まで買いに行くんじゃないか?
定期市の場所まで往復するのに泊まりがけ、なんて僻地の村は少数だろうし。
行商人を待つ必要があるような村の方が少ないと思うんだけど?
0148人間七七四年
2011/08/14(日) 20:24:37.86ID:xpmek830ムラの中ではサムライきどりで調子ぶっこけるだろうな
0149人間七七四年
2011/08/15(月) 05:40:15.64ID:2eF02ab/実際に殺し合いにまでなった、ならなかったはよくわからんが。
0150人間七七四年
2011/08/15(月) 07:42:35.98ID:1hRpWyQhttp://www.maff.go.jp/kanto/nouson/sekkei/kagaku/kokudo/06.html
細い川しかないのに、数千ヘクタールの水田があるから、すぐ水不足になって農民マジ切れ。
0151人間七七四年
2011/08/15(月) 07:51:51.47ID:1hRpWyQhttp://www4.airnet.ne.jp/sakura/mizuarasoi3.html
農民一揆?のときは、農民は刀や竹やりぐらいで、飛び道具は持ってないみたいだから
武士は刀さえあれば間に合ったようでもある。
0152人間七七四年
2011/08/16(火) 07:56:25.85ID:rFTLPbfIttp://news.goo.ne.jp/topstories/entertainment/126/9f752db0b5ec9ca23673ca7f4cb0808e.html
0153人間七七四年
2011/08/16(火) 19:28:13.40ID:SOKIwX+S0155人間七七四年
2011/08/16(火) 23:10:07.19ID:jd/vB19j0156人間七七四年
2011/08/16(火) 23:59:16.11ID:SX122kkf0157人間七七四年
2011/08/17(水) 01:10:59.56ID:tovqbPER感情的になるから発狂具合であーこいつが劣勢なのかってのが見えてくる
2ch以外だとそこまで発狂せずに、見た目取り繕いやがるから自分にある程度知識がないとわからん
0158人間七七四年
2011/08/17(水) 01:45:54.37ID:O6cf3+9Vどっちも間違いな場合が非常に多いという
0159人間七七四年
2011/08/17(水) 06:39:15.46ID:5+UQ8JD0まともな研究に基づかない発言が
力を持ってるところもある。
0160人間七七四年
2011/08/17(水) 11:23:47.27ID:H9u3GUfFナチス擁護とか一生懸命やってるのがいっぱいいるが、先ず信用しちゃいけない。
0161人間七七四年
2011/08/17(水) 15:48:40.33ID:e1YWgbd60163人間七七四年
2011/08/18(木) 14:54:11.92ID:WDLi8IRq0164人間七七四年
2011/08/18(木) 15:56:29.68ID:CGSJ7AlLそれが鈴木信者の落ち武者の場合はここで報告されちゃったりするけど
0166人間七七四年
2011/08/19(金) 01:47:22.21ID:gZwOFPTR0167人間七七四年
2011/08/19(金) 20:58:04.48ID:J+1qyrBm佐治がその辺り関わってたような
ソース忘れたうろ覚えだけど
0168人間七七四年
2011/08/20(土) 08:36:04.33ID:c0FZZOqg0169人間七七四年
2011/08/20(土) 10:12:13.61ID:ZmnJkiSZ坊主だと思ってなめてかかると、返り討ちに遭う。
佐久間父子の追放のときの書状には「相手が坊主だと思って、信長の威光で退散するとでも思っていたのか」
と、以前、本願寺攻めで死にかかった信長は、厳重注意をしている。
長島攻めでも弟などが死んでいるが、長島は尾張の国の河川流通のかなめだから、これまた大阪本願寺に次ぐ大勢力。
石高があまりなくても、カネがあって武士も雇えるので、大名なみ。
0170人間七七四年
2011/08/20(土) 14:10:15.77ID:PzF4p/Qnそれに長島桑名一帯の石高はかなりのものw
0171人間七七四年
2011/08/20(土) 17:45:40.15ID:LlM67KMn大和のどこかに大手の産地があったような?
0172人間七七四年
2011/08/21(日) 02:10:22.41ID:pFo5IK7X武士は領地をもらってその年貢で…というのが一般的だけど、
金で雇ってた武士というか、流通の商売で生計をたてていた武士というのもいるよ。
蜂須賀がそう。河川の流通の仕事をしていた武士。
関ヶ原の石田(近江20万石)とか、大谷(敦賀5万石くらい)も、石高は家康に比べれば
ずっと少ないが、商業や港湾の仕事が大きいため、実際にはかなりの勢力。
0173人間七七四年
2011/08/21(日) 02:18:57.49ID:pFo5IK7X長島は、地元の農民もいるが、武装した凶徒ども(信長公記の表現)は外部から集まってきた連中だ。
石山本願寺と武田の婚姻があって、その夫婦?が長島にいたから、信長を牽制すべく、何か資金や軍事の援助はあったのだろう。
0174人間七七四年
2011/08/21(日) 05:12:11.69ID:imWwVaL0長島の武士は土着の一向宗徒、金で雇われたわけじゃないよ
0175人間七七四年
2011/08/21(日) 07:52:59.94ID:DROU7CMl土着の一向宗徒+外部から集まってきた連中 + 派遣
0176人間七七四年
2011/08/21(日) 10:08:28.94ID:pFo5IK7X知らないのはオマイだ。恥ずかしい奴だな。
尾張国河内長島と申すは、隠れなき節所なり。(中略)
これに依って隣国の倭人凶徒など相集まれり、住宅し、当寺を崇敬す。
信長公記から書き写したよ。信長公記を引用すると、このとおりの威力。藤本の手法は偉大だな。
0177人間七七四年
2011/08/21(日) 10:10:31.17ID:pFo5IK7X0178人間七七四年
2011/08/21(日) 15:18:00.32ID:imWwVaL0オマエは本当に何も知らないのな
それは長島に人が集い繁栄を極めていたというだけの話で
信長族の侵略に対抗したのは桑名土着の武士
桑名が隣国なことくらい勿論知ってるよね
0179人間七七四年
2011/08/22(月) 01:42:58.16ID:+vTDsxndって、ハア?。
長島の一揆勢は、「隣国の佞人凶徒など相集まれり、住宅し、当寺を崇敬す。」と書いてあるだろ。
他から集まってきた勢力だよ。
藤本は、こんなふうに他者の主張と、くだらない論争に巻き込まれていったんだな。
0180人間七七四年
2011/08/22(月) 02:34:54.60ID:0PKfJeotこれが桑名の土着武士を指す事すら理解出来ない無知が
妄想を膨らませ在りもしない虚像を創り上げる、まさに馬鹿の鑑
0181人間七七四年
2011/08/22(月) 02:40:03.45ID:4PlnBPMN0182人間七七四年
2011/08/22(月) 09:04:39.90ID:IuYLUynu尾張の隣国?
伊勢の隣国?
どっちでもいいけど
桑名の土着武士って何?
農場領主とその一党?物流業者とその一党?戦闘専門集団?
0183人間七七四年
2011/08/22(月) 13:02:01.30ID:+vTDsxndここでの「隣国」とはどこか?は、信長公記では明記してない。
だが、長島一揆の最後に、織田軍に大損害を与えた反撃時のあと、逃げた先は書かれている。
「川を越え、多芸山、北伊勢口へ、ちりぢりにまかり退き、犬坂へ逃げ入るなり」
北伊勢方面経由で大阪に逃げた、という意味とのこと。
餓死寸前の体でさえ、この移動距離だ。
長島のすぐ隣の桑名出身者で占められていたなんて説は、なんて狭い発想だ。
ググったら、たまたまウィキでひっかかったので転載する。
本願寺の反信長蜂起(石山合戦)に伴って、長島でも門徒が蜂起。更に願証寺が北勢四十八家の
豪族や紀伊の雑賀衆などに檄を飛ばしこれらが長島へと集結した。また、信長によって領地を追
われ長島の地に逃げ込んでいた斎藤龍興や、尾張弥富の服部党、石橋義忠らの非門徒の武士団の
連合軍も一斉に蜂起した。下間頼旦らに率いられた数万に及ぶ一揆衆
桑名の土着武士だけじゃなさそうだ。
0184人間七七四年
2011/08/22(月) 13:51:25.37ID:k3K5O5WWおまえは自分で>>172と書いたのを忘れたのか
武士は金で雇われたのではなく桑名の土着武士
構成員全体なら長島周辺の百姓や地縁の無い寺院境内に住む商工民
地縁の無い商工民は同宗派の寺院へ逃げるのが当然
0185人間七七四年
2011/08/22(月) 18:43:39.20ID:4iwr920f応援・義勇軍・傭兵もかなりいたと思うけどな
検証しようもないことをウダウダと「桑名の土着武士」に拘る理由を教えてくれれば
拘りとして理解する気はあるんだけどね
0186人間七七四年
2011/08/22(月) 20:56:23.33ID:DYQSE6Ui0187人間七七四年
2011/08/22(月) 23:32:17.02ID:+vTDsxnd検証というか批判というか、論争みたいなことを、よくやっている。
小説家の創作説みたいなものまで言及しているので、相手にしなければいいのに、
と俺はよく思っていた。
だが、この2chのスレでわかったことは、アホウの説に反論しつつも、じつはそれに便乗して
自説を述べることができる、というメリットがあるということだ。
0188人間七七四年
2011/08/22(月) 23:43:51.54ID:0PKfJeot数の少ない浪人を除けば武士は根本的に地縁血縁の生き物だから
居ても北西部の武士とか近隣の居住かな
寺院に属する人間は遠くからも来たかもしれないけど
「金で雇った武士」という>>187の誤った主張の反証になるね
0189人間七七四年
2011/08/22(月) 23:57:09.76ID:GemgWQBi・願証寺
・桑名、員弁、三重郡の武家(北伊勢四十八家)
桑名〜尾張の輪中の地域にまで及ぶ
・斉藤旧家臣
・海賊衆(大濱etc)
・各地の浪人(三河、伊勢、甲賀、伊賀)
ワラワラ各地から集まったのは事実だが、戦力的には地元の領主層が主力だね。
大田口合戦も願証時から山方衆と呼ばれていた員弁、三重の手勢に後背突かれて、織田軍が崩れたようなので。
0190人間七七四年
2011/08/23(火) 02:44:28.34ID:FEhd1Vwq近隣と呼ぶならいいけど。
北伊勢四十八家だって日帰り往復できないほど遠くの武士が含まれてる気がする。
土着ってのは、そこに生活の場を持ってなきゃ違うだろ
家族も一緒に住んでる、戦いが終わったあともそこに住む予定でいる、
そういう人以外は近隣からの応援とか外来者とかだろ
0191人間七七四年
2011/08/23(火) 04:57:55.31ID:ubOKV2QK0192人間七七四年
2011/08/23(火) 08:49:02.16ID:TMVRE2P40193人間七七四年
2011/08/23(火) 11:07:16.53ID:rr2cFhzF言葉の定義はまあいいとして
それで何が何が主張したいのですか?
混成軍の構成の幅についてですか?
id:0PKfJeot 氏 と id:GemgWQBi 氏 は別の人だよね
0194人間七七四年
2011/08/23(火) 18:35:49.56ID:FEhd1Vwq近隣からの応援ってのは普遍的に広く見られることだと思う。
そういう応援の人たちは、謝礼とか酒食とか、受け取るのが普通なわけで、
それを傭兵などと誤認する可能性はあるんじゃないの。
実際に傭兵が居たかどうか、居たとして多かったか少なかったか、とは関係なく。
だが、傭兵の件は、どうでもいい。
189氏が地元という言葉の意味を拡大解釈してるように思えて気になった。
ところで、念のために書くけど、オレは148-170とか172-189の範囲には一言も書いてないよ。
0195193
2011/08/23(火) 19:19:05.74ID:rr2cFhzFつっけんどんな書き方になりましたが
単純に
構成員の質と割合の何がそんなに気になるんだろう?
という素朴な疑問です。
0196人間七七四年
2011/08/23(火) 19:25:11.76ID:rr2cFhzF図書館で「関ヶ原」というのを借りて読んでみたら、
オタク中学生みたいが書くようなひどい内容だった
なんのためにこんな本書いているんだろう?
と、表紙をみたら、武光誠 と言う人だった。
鈴木さんごめん。
0197人間七七四年
2011/08/24(水) 00:08:51.46ID:zxE78dow0198人間七七四年
2011/08/24(水) 01:51:49.70ID:lOSLfOB8小早川は裏切るも何も、最初から東軍なんじゃね?
家康による小早川への鉄砲射撃も、本当かどうか怪しいそうだし。
0199人間七七四年
2011/08/24(水) 20:00:21.84ID:lOSLfOB8信長公記には載ってない。だが、太田牛一は「関原御合戦双紙」を記している。
でも、この本の内容は、藤本は全く触れていない。現存していないのかもしれない。
敵味方押し合い、鉄砲放ち矢叫びの声、天を響かし、地を動かし、黒煙立ち、
日中も暗夜と成り、敵も味方も入り合い、錣[しころ]をかたむけ、干戈を抜き持ち、
おつつまくりつ攻め戦う。
この一文だけはちょっと有名。
0200人間七七四年
2011/08/24(水) 20:10:06.48ID:lOSLfOB8太田牛一の著作「関ケ原御合戦双紙」で、現在は自筆本として「内府公軍記」(大和文華館蔵)、
「太田和泉守記」(名古屋市逢左文庫蔵)が伝わっている。
岐阜市信長資料集編集委員を務める金子拓東京大学史料編纂(さん)所助教がこれら文献を調べた
関ヶ原の戦いの展開を、この本でよく読み直せば、通説とは違った内容があるかもしれない。
0201人間七七四年
2011/08/24(水) 21:33:11.75ID:4AA7ayvXしてないなら幾ら何でも怠慢過ぎる
0202人間七七四年
2011/08/24(水) 21:46:26.98ID:OL5NEIqwまた「朝野旧聞褒藁」にも時系列順に記載されている
0203人間七七四年
2011/08/24(水) 22:54:24.03ID:lOSLfOB8内容わからんかった。
0204人間七七四年
2011/08/24(水) 22:59:22.15ID:OL5NEIqwここの20頁から
0205人間七七四年
2011/08/24(水) 23:43:53.25ID:lOSLfOB8それにしても読みづらくて発狂しそう。
教えてくれてありがトン
0206人間七七四年
2011/08/24(水) 23:57:06.68ID:lOSLfOB8の場面は、>>204の21ページ右側頁に見つけた。左側の頁にも「押しつ押されつ」の表現あるけどな。
大谷刑部の死ぬ場面はうっすらわかったが(馬上で腹を切る? 22頁右側)、小早川への鉄砲射撃のシーン不明。
0207人間七七四年
2011/08/29(月) 10:26:54.24ID:HOVpIuOc太田牛一の資料に無いなら、本当に無さそう。
そもそも太田牛一は関ヶ原に参加したかどうかとなると、火花出しておしあいと臨場感はあるものの、聞き書きかもしれない。
小早川へ鉄砲を射って参戦を催促した話は、徳川実紀から引用の天元実記と、黒田家譜にしか無いらしい。
http://tss-website.sakura.ne.jp/bbs/cgi/hq/wforum.cgi?no=2328&reno=no&oya=2328&mode=msgview&page=0
0208人間七七四年
2011/08/29(月) 12:48:57.30ID:MGN8LQKD再録
「五本関原日記曰諸方合戦最中ニ黒装束ノ武者御前ニ参リ筑前中納言ノ旗
色何レトモ知レ申サスト申シ上ル問鉄砲打セヨトノ御意ナリ仍テ鉄砲打カケ
候」
「井伊家慶長記曰福島井伊向云々合戦始時節如何直政答云筑前中納言内通之義有
彼躰見軍始可只今予軍士熊谷内匠三浦十左衛門両秀秋陣遣暫相待可ト
又藤堂佐渡高虎来テ正則如問前如答フ高虎テタテアリト云テ吾陣帰鉄砲之者二十人
計召具秀秋陣向放タシム但玉ヲ入不然雖秀秋陣少モ騒不一向敵陣ヲ見ヲロス外無他
高虎来云秀秋心底疑処無云々」
「聿修録曰諸部既接戦筑前候観望山下未公(高虎)大銃発之脅乃始兵発」
他、
「五本関原日記」とほぼ同じなのが「濃州関原合戦答書」「一本関原軍記」「慶長記畧捗」
「五本関原日記」に「井伊家慶長記」「聿修録」を組み合わせ、藤堂隊が家康の命による
問鉄砲を撃ったとしているのが「東西記」「別本慶長軍記」「本朝武林(稲葉)傅」
「黒田家譜」では福島の鉄砲隊二十人『のみ』を松尾山に撃たせよと使番に命じている
ほぼ同じ内容が「関原物語」「関原記考」
「落穂集」は使番として久保島孫兵衛、鉄砲隊は家康組下の布施孫兵衛とし
後は上記の内容をごった煮したもの
以上「朝野旧聞褒藁」より
以上より
小早川陣への銃撃は二度あったと推定される
一回目は藤堂高虎による牽制の為の銃撃
二回目は徳川家康の命によって福島正則から分派された
鉄砲隊(家康使番久保島が同行した可能性あり)による内応
催促の銃撃
家康本隊からの鉄砲隊分派は無かった可能性が高い
0209人間七七四年
2011/08/29(月) 14:24:11.55ID:HOVpIuOc小早川って、筑前中納言なんだな。今頃気付いた。
というわけで、太田牛一の本の関ヶ原戦のページをまた読み直してみた。筑前中納言はどこじゃ?。
20ページの左側に「太田和泉守記録にあり」とあるのに気づき、ひょっとして関ヶ原に参戦したのか?!。
その後も読んだが、ああもうだめだ、読みづらくて発狂しそう!
0210人間七七四年
2011/09/01(木) 19:26:01.90ID:5UCCPq3S0211人間七七四年
2011/09/01(木) 20:41:59.62ID:lWBLmx5eあれ 結構よかったんだけどな
そんないい加減だったのか-----
0212人間七七四年
2011/09/01(木) 21:14:02.13ID:xedChKp8>>211 その本、高すぎ。藤本って優れているよ。最近かいた本は若い頃の勢いが失速してるけど。
0213人間七七四年
2011/09/02(金) 00:27:47.26ID:yGYibvp9絵画史料の活用ではトップクラスの研究家だよ。
0214人間七七四年
2011/09/02(金) 08:42:08.40ID:TGU4h+Iv>>213
さんきゅ。
引っ越したときに古いPCやら周辺機器と一緒に本もかなり整理したけどこれは残しておいたんだ。
話は変わるけど、
刀に興味(主に美術品として)があったころ、鈴木説なんて全然知らなかったけど、感覚的に、
「うーん、この武器というのはかなり限定された場面でのものだよなあ、決闘とか、それこそ幕末の京都治安活動とか」
「飛び道具は別にして、集団戦なら槍とか長柄とかがいいだろうし、馬上騎士が標準サイズの太刀なんか振り回したってなあ、
勿論、怪力の豪傑なんかはまた別の長刀やらの類のものも使うんだろうけど」
なんて思っていた。
それで鈴木説を知って、ああやぱりそう考える人いたんだ、と思ったんだが、
データを使っているようでなんか論旨が乱暴な感じがして二冊でやめた。
0215人間七七四年
2011/09/02(金) 09:05:33.24ID:Q4KXaRuN指摘したのは、藤本先生の大功績だろう。
そもそもオイラは刀の目釘に家紋を入れることやサヤにコウガイを入れることさえ
知らなかったくらいだし。
0216人間七七四年
2011/09/02(金) 09:39:37.40ID:eyvuAIRo0218人間七七四年
2011/09/02(金) 21:37:17.84ID:kI6EdSaZ0219人間七七四年
2011/09/02(金) 22:05:06.10ID:TGU4h+Iv0220人間七七四年
2011/09/02(金) 22:13:50.66ID:jJJ8APP5(徴兵された農民兵)の話しを持ってきた人もいたらしいw
0221人間七七四年
2011/09/02(金) 22:23:23.89ID:Q4KXaRuN南雲機動部隊の例を出して、敵はいつまでも同じ所にいるわけではない、
という例えを出した先生もいるがな。
0222人間七七四年
2011/09/02(金) 23:29:07.81ID:4V5TGJM1まだ読んでないんだけどうすっぺらいの。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています