次々と通説を打ち砕く鈴木真哉・藤本正行について 5
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001人間七七四年
2011/07/03(日) 17:54:02.54ID:fcz44HVi長篠鉄砲三千挺はない
桶狭間は奇襲ではない
武功夜話は偽書
徳川御用史観は嘘だらけ
>>2-5の辺りに関連スレなどのテンプレ
●過去ログ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1109562623/
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169131109/
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1222456299/
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1286968038/
0002まとめ
2011/07/03(日) 17:55:10.35ID:fcz44HVi鈴木眞哉史観を疑う
http://mimizun.com/log/2ch/history/1169129287/
鈴木眞哉史観を疑う 弐太刀目
http://mimizun.com/log/2ch/history/1258360008/
0003関連スレ
2011/07/03(日) 17:58:44.10ID:fcz44HVihttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156845840/
戦国史の研究者を語る
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1210510597/
静岡大学教授小和田哲男氏について
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1160246355/
司馬史観と戦国時代
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152281475/
武功夜話は偽書?
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169263287/
【川並衆】前野・蜂須賀を語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1166443371/
戦国時代の馬はポニーサイズ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156992018/
戦国時代における騎馬武者の実像とは
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1245948808/
日本刀
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1241791739/
日本の戦国時代 合戦の虚像と真実
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150781368/
0004人間七七四年
2011/07/03(日) 18:00:03.76ID:fcz44HVi「本能寺の変に黒幕はいない」を追加しとくべきだったw
0005人間七七四年
2011/07/03(日) 19:42:14.80ID:QsRTvU1a0007人間七七四年
2011/07/03(日) 22:08:20.58ID:KleU0utS騎馬隊はない
0009人間七七四年
2011/07/04(月) 07:41:49.64ID:rumAZBeh乗ったまま戦うのは正直しんどい。
0010人間七七四年
2011/07/04(月) 09:47:56.77ID:KXSIJS4+鈴木だってそれは否定してないだろ
0011人間七七四年
2011/07/04(月) 17:33:32.69ID:yUXkTnMI箇所によっては騎馬戦闘を否定する論理を展開している
これは状況によってどっちにでも立ち位置を変更できるずるい手法
鈴木信者は下の否定論にだけ食いついて知ったかぶる
この責任は鈴木の文章の書き方にある
0012人間七七四年
2011/07/04(月) 17:54:01.63ID:j7TB1C9C0013人間七七四年
2011/07/04(月) 18:26:31.45ID:+dY1td9Gあれは、僕は「常設騎馬単科軍団」を否定してるのであって、
騎馬突撃や騎馬隊は否定してませんよ。と言ってる訳だ。
もちろん非常に分かり難い文章である意味釣りだが
釣られると桐野みたいに僕の本ちゃんと読んでるのですかと内容証明で送られちゃうw
0014人間七七四年
2011/07/04(月) 19:54:57.57ID:yqbWL3hA江戸→関ヶ原を徒歩で移動など、ほとんどが歩いてばっかり。
鎧一色など重い荷物がたくさんあるのだから、武士なら「馬がほしい」と思うだろう。
たとえ馬に乗ったまま戦う場面がなくても。
0015人間七七四年
2011/07/04(月) 21:15:23.94ID:yqbWL3hA>998 :人間七七四年:2011/07/04(月) 01:47:40.53 ID:onB4NoUZ
>本能寺の変に関しては無いけど
>桶狭間に関しては正面攻撃とかいう無茶な珍説掲げて自爆したからな
0016人間七七四年
2011/07/04(月) 21:39:26.81ID:yqbWL3hA一つ。信長いわく「あの武者、宵に兵糧を使いて…」と、指差した先の敵は、疲れた兵だと説明
したが、藤本説ではこれを信長の勘違いだとする。疲れた家康達は大高城に戻っていたので、
目の前にいるのは疲れていない新手の兵だとする。俺は、信長の言うとおり疲れた兵ではないかと考える。
一つ。
藤本説の定番の地図では、鳴海城の西は海がある。↓こんなふうに。
http://www.sengokushi.com/godume/img/a_013.jpg
でも、実際にはすでに干拓されて、星崎城という城まであった。浜手の道は潮が満ちていたので、
信長は山手の道をかけたのだが、本来は浜通りの道を行くはずだった。だから、鳴海城の裏側などを
通る予定ではなかったのだろうが、中島砦をでたとき、信長の目は、東でなく、南の丸根、鷲津方面を
指していたのではないかと思われることだ。
そのため、丸根、鷲津方面の山際まで進んだら、「旗本はこれなり」と、予想外なことに、東の下方に
義元達がいたので、急遽、東向きに攻撃を変更、という説もありうるわけだ。俺の珍説ではあるが、
信長公記どうりの解釈だぜ、これは。
0017人間七七四年
2011/07/04(月) 22:19:23.71ID:gWsB/0X0誤認したかどうかなんて・・・どーでもいいです
0018人間七七四年
2011/07/04(月) 22:22:23.38ID:yqbWL3hA0019人間七七四年
2011/07/04(月) 23:12:46.88ID:yT+sEFeN0020人間七七四年
2011/07/05(火) 02:12:39.02ID:Y9QwbXDj>あれは、僕は「常設騎馬単科軍団」を否定してるのであって、
>騎馬突撃や騎馬隊は否定してませんよ。と言ってる訳だ。
いやいや、騎馬突撃や騎馬隊を否定する論理を展開してるんだよ鈴木センセはw
一方で実例を挙げて肯定もしてるんだけどね。
そもそも鈴木センセは、“定説”「常設騎馬単科軍団」存在説に噛みついてるようだけど
実際のところ定説としての「常設騎馬単科軍団」存在説なんて存在しないんだよ。
極めて一部の人が主張してるようだけど、そんなものは例外に過ぎない。
ある意味で虚構と戦っているようなもの。
0021人間七七四年
2011/07/05(火) 02:15:15.02ID:R+iwLLxC>極めて一部の人が主張してるようだけど、
いつの間にか電波桐野くらいしか主張しなくなったな
もう不毛な論争やめりゃいいのに、お互いしつこいねw
0022人間七七四年
2011/07/05(火) 04:14:41.34ID:kdQfCDv4反権威主義の鈴木センセとしては文句付けておきたいんじゃないの?
0023人間七七四年
2011/07/05(火) 10:06:52.30ID:+HpLl/KEある年齢時で時間が止まってるんだよ。
司馬遼太郎の最新の学説で片岡千恵蔵のチャンバラ時代劇に難癖つけたりしたかったんだろw
0024人間七七四年
2011/07/05(火) 21:44:57.80ID:FO0y+WOu0025人間七七四年
2011/07/06(水) 00:09:05.15ID:/X/H8d2M虚偽ないし風説にすぎないと強調し印象付ける意図で使用される場合がある(レッテル・ラベル)。
ここでは、この呼称の利用者の意図や目的が問題となる。
通説とされる論説、陰謀論とされる論説のいずれにおいても、検証の過程を省略あるいは操作して、
権威主義または反権威主義、ポピュリズム、
あるいは、倫理観、または、自由・平等・国際協調といった理想的概念、感情(恐怖、怒り、民族感情、国家意識から個人の自己愛まで)に
対して訴えかける方式の論説であるときは、それはプロパガンダである可能性がある(報道におけるタブー参照)。
通説がプロパガンダや言論統制により擁護されている場合、権威主義的に通説に依拠して、
「陰謀論」の論者が列記する資料や証拠に対する検証過程を拒否するか省略し、
あるいは自己に都合のよい結果となる事例のみを採用した上で、
「通説と異なる背後関係=>ゆえに陰謀論である=>ゆえに検証を要さず棄却」という論法を採用することが多い。
通説と陰謀論の双方がいずれもプロパガンダに過ぎず、いずれもが事実を表示していない場合もある。
陰謀の存在を語る人間、信じる人間は馬鹿だという雰囲気を漂わせることで、人間の自尊心に訴えかけて言論統制の効果を達成することが可能である。
政府や諜報機関などが、カウンター・プロガンダを用いる際には専門家や大学教授など権威者を利用して、疑惑を消し去るための言論活動を展開させることは常套手段である。
0026人間七七四年
2011/07/06(水) 00:13:54.45ID:/X/H8d2M0027人間七七四年
2011/07/06(水) 00:14:58.51ID:EU1fIGWp0029人間七七四年
2011/07/06(水) 08:10:27.25ID:N67e7CaM0030人間七七四年
2011/07/07(木) 06:15:27.87ID:P81RcVYB0031人間七七四年
2011/07/07(木) 13:22:53.37ID:RrEPxvtrそもそもそんなもんは日本だけでなく
世界的にも近代に入るまで殆ど無いだろ
0032人間七七四年
2011/07/07(木) 15:56:11.62ID:UBBdcAde0033人間七七四年
2011/07/07(木) 17:56:35.68ID:afoZMH8/だったら鍛えてない在来馬に重荷背負わせて実験して、日本の馬は重武装の武士を
乗せて走れません、みたいなのとかいらないだろ。それと馬上戦闘の否定とかもしてたよ。
0034人間七七四年
2011/07/07(木) 17:58:15.51ID:klT7BdSz0035人間七七四年
2011/07/07(木) 18:01:52.23ID:P81RcVYB資料的にハッキリしているのは、実質モンゴル帝国だけではないだろうか。
0036人間七七四年
2011/07/07(木) 18:11:14.72ID:P81RcVYB>>33
朝青竜乗せたモウコノウマの写真でも引っ張ってこないとパワー無し馬じゃない
って信じない奴も多かったな。
0037人間七七四年
2011/07/07(木) 20:53:51.31ID:nhZZHgBW前漢の武帝は対匈奴戦のために大規模な騎兵部隊を育成しているが。
汗血馬を得るために大宛に遠征もしている。
中国は王朝や時代によって騎兵主体、歩兵主体の入れ替わりがあるよ。
0038人間七七四年
2011/07/07(木) 22:26:39.49ID:P81RcVYB0039人間七七四年
2011/07/07(木) 22:29:37.12ID:nhZZHgBWそれとどちらが主体かは別として「常設騎馬単科軍団」的な部隊の編成は各王朝で行っている。
馬の産地を奪われて王朝が衰える原因になったこともしばしばだ。
0040人間七七四年
2011/07/07(木) 22:42:26.53ID:P81RcVYB西漢とか例に出すから何かと思った。
唐、金、元、清は騎兵主体と言っても間違いではないな。
0041人間七七四年
2011/07/07(木) 22:52:38.73ID:nhZZHgBWまぁどの時代どの王朝にせよ中原や漠北、内外蒙古、東北で作戦するなら騎兵は必須。
碧蹄館で日本軍と戦った李如松の部隊は騎兵主体だったな。
0042人間七七四年
2011/07/07(木) 23:04:47.84ID:P81RcVYB了解。
0044人間七七四年
2011/07/07(木) 23:40:04.89ID:LJj73eZ30045人間七七四年
2011/07/08(金) 00:07:58.64ID:vmy9NZ+o帝政前期〜中期にはAlaという属州民の騎兵部隊が沢山存在していた。
そして補助歩兵のCohorsと同じく、Alaはそれ自体が独立した単位。
「歩兵主体」であろうがなかろうがローマ帝国に「常設騎馬単科」の部隊が複数存在していたのは間違いない。
0046人間七七四年
2011/07/08(金) 00:54:12.09ID:wgf0/WLSまた何のスレかわからない流れになるかな?
0047人間七七四年
2011/07/08(金) 01:19:37.71ID:pQzDeu4N004845
2011/07/08(金) 01:50:32.43ID:vmy9NZ+o0049人間七七四年
2011/07/08(金) 21:10:28.70ID:/AeZ6XSC0050人間七七四年
2011/07/09(土) 00:10:39.01ID:7Dfsoybx0051人間七七四年
2011/07/09(土) 11:04:05.09ID:J84E88+r足利幕府が滅亡した後には、
しっかりと領土を拡大している。
幕府の滅亡により、関東管領職への
義理立てが必要なくなったのに、
柴田勝家(信長軍)を破った後は、
関東の征圧を狙っていたという説は誤り。
天下取りのための上洛を考えていた、
という説のほうが自然。
0052人間七七四年
2011/07/09(土) 11:17:01.12ID:HSy5TWpg0053人間七七四年
2011/07/09(土) 11:18:16.00ID:5VqxgmmYローマにも騎兵部隊はいるだろう
0054人間七七四年
2011/07/09(土) 11:21:21.00ID:/wW1oDve0055人間七七四年
2011/07/09(土) 11:25:50.20ID:J84E88+r全国へ動揺を与えて、敵の離反者、味方になる同調者、
などの様々な要因により、織田家は崩壊していた可能性が高い。
ゲームじゃないのだから、短絡的な判断は駄目だよ。w
十手先ぐらいは読まないと。
上洛には意義がある。
地理的な戦略ではなく、
天下へ武威を示して世間を同調させるには、
必要不可欠だった。
0056人間七七四年
2011/07/09(土) 11:28:43.54ID:qE4BgyCz0057人間七七四年
2011/07/09(土) 11:56:29.00ID:J84E88+r秀吉は家康を間単に殺せるはずがない。
家康を消した後の処理が大変だと予測していたからこそ
秀吉は懐柔という判断を選んだ。
家康を成敗→忠義に篤い三河武将の蜂起
→東海地方の混乱に乗じて他大名が連携して独立戦争
→戦国時代へ逆戻り
合戦は軍事力だけじゃないよ。
人間の心理なども絡んでいる。
0058人間七七四年
2011/07/09(土) 12:17:35.35ID:J84E88+rhttp://www.leed.co.jp/book/b1055.html
大名の口述筆記まで再現していたのは、
この雑誌のマンガだっけ?
他の漫画は、大名が自ら筆を取りすぎて不自然極まりない。
0059人間七七四年
2011/07/09(土) 13:41:53.13ID:0gqUpnNR>義を重んじていた上杉謙信だが、
そもそも「義を重んじていた上杉謙信」という俗説を疑え。
謙信は関東在住の反北条の諸大名を糾合して包囲網を作り上げて、
長く北条と戦い続けた経歴がある。
北条との戦いをやめて上洛戦を行うなら、
長く共闘した関東の諸大名を見捨てることになる。
彼らは当然、北条との同盟を破棄した武田と組むことになり、
上杉方の勢力範囲が大幅に縮小する。(武田とも北条とも争う必要が出るから必然だな)
>57
秀吉は、ほとんどの大名に対し、戦って滅ぼすという選択肢を「最後の手段」に位置づけた。
秀吉が主導する全国政権の幕下に加わるならOk、というスタンスだ。
北条とか島津とか、戦いになった相手は、単に秀吉の幕下に加わる選択をできなかっただけに過ぎない。
家康の扱いは例外ではなく典型だったんだよ。
あと、小牧長久手の戦いは、戦術レベルでは秀吉劣勢だけど、戦略的には秀吉の方が圧倒的に優勢だっただろ。
信雄・家康連合に味方する武将達を各個撃破して勢力を削ぐ秀吉と、
それを救援に行くことができずに小牧〜長久手の主戦場に縛り付けられて動けないまま、
見捨てざるを得なかった家康の状況を見ろ。
0060人間七七四年
2011/07/09(土) 14:52:06.68ID:J84E88+r質素に自制していた長寿の家康は、
太っているわけでもなく、健康体でしたよ。
デブの家康を想像してる人は、
ドラマの影響だけで語っている。
0061人間七七四年
2011/07/09(土) 15:16:53.87ID:5VqxgmmY> それを救援に行くことができずに小牧〜長久手の主戦場に縛り付けられて動けないまま、
> 見捨てざるを得なかった家康の状況を見ろ。
同意ですが。
第2次小牧〜長久手戦とも言える蟹江城合戦は痛かったかと思います。
秀吉というか織田政権のルーツに近い尾張で前田宗家も(戦後ですが)滅びた形だし。
(その後利家の婿になった?)
0062人間七七四年
2011/07/09(土) 18:03:34.09ID:SxqG0wb40063人間七七四年
2011/07/09(土) 18:46:44.98ID:HVPaoWbY0064人間七七四年
2011/07/10(日) 06:25:18.59ID:Um26Yq3Q1 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 02:13:32 ID:E8ad61KX
桶狭間合戦や厳島合戦のような
劣勢を跳ね返し、大軍を破った戦いを語りましょう。
http://unkar.org/r/sengoku/1166807612
0065人間七七四年
2011/07/11(月) 00:04:18.80ID:i2SHopLT0066人間七七四年
2011/07/17(日) 06:17:59.71ID:soDZIp6f0068人間七七四年
2011/07/17(日) 16:22:23.94ID:WDcfCuRxそういえば、秀吉の肖像画ってガリガリに痩せてるものばっかりだよな。
ふくよかな体こそ裕福さの証、みたいな時代の絵で痩せた姿で描かれてるんだから、
(江戸時代に作られたものではなく同時代の絵だとすれば)みすぼらしいガリガリの姿に加工するはずはない。
本当に痩せてたんだろう。
逆に、家康の肖像画は、丸々と太っているわけではないが、ふくよかな顔で描かれている。
当時の常識でいえば「健康体」と呼べるレベルだろうが、現代の価値観では「デブ」だ。
とはいえ、百貫デブとかコニーちゃん とか、そういうレベルじゃなく、ちょいデブって程度だと思うが。
http://www.city.amagasaki.hyogo.jp/bunkazai/sitei/houjuin-hideyosizou/houjuin-hideyosizou.html#hideyosi
木像『豊臣秀吉公座像』
http://sengokudama.jugem.jp/?eid=639
0070人間七七四年
2011/07/18(月) 09:16:00.19ID:kaRlWd4Lデブが健康の象徴でもあった時代じゃないの?
0071人間七七四年
2011/07/19(火) 23:16:54.23ID:msKDutmR0072人間七七四年
2011/07/21(木) 02:00:26.08ID:b9Uno/8+大きく見せていたそうな。
0073人間七七四年
2011/07/22(金) 22:32:23.02ID:1moA+nZg体格良いのを代わりに出して自分はその横で相手を観察とか。
0074人間七七四年
2011/07/24(日) 11:52:34.24ID:vyQ6+UEz0075人間七七四年
2011/07/25(月) 01:43:23.95ID:DuK0U9Qa0076人間七七四年
2011/07/26(火) 11:02:31.87ID:fSrA0TnF0077人間七七四年
2011/07/26(火) 13:29:19.51ID:n7wXfeuT跡部 蛮 (著)
0079人間七七四年
2011/07/26(火) 20:58:06.68ID:lD8x2lvT0080人間七七四年
2011/07/26(火) 22:54:43.81ID:0/qYNJ8Bこの本陰徳太平記や当代記を史料に使ってるらしいなw
竜馬がゆくや真田太平記を史料って言ってるのと一緒じゃないかw
0081人間七七四年
2011/07/26(火) 23:25:52.39ID:U5/f2wEe0084人間七七四年
2011/07/27(水) 03:13:05.88ID:mKGo0m6o十六世紀末、朝鮮の役での日本の火縄銃などの兵器技術と輪番射撃戦術は中国・朝鮮に大きな衝撃を与えた。
最新の日本式鉄砲が広がっていく経過、それを伝えた日本兵捕虜の処遇、軍事力を背景にした明の新秩序確立過程などを解明。
東アジア諸国の火器技術の刷新と兵器革命の実態を探り、これまで看過されてきた東アジアの「軍拡」の時代を描き出す。
三段撃ち=一斉射撃×3で間違いなさそうだな。
三段撃ちの件はこれで決着かな。
「長篠の戦で行われた」かどうかは知らんけどw
0085人間七七四年
2011/07/27(水) 03:14:50.70ID:mKGo0m6o0087人間七七四年
2011/07/27(水) 07:30:45.94ID:mKGo0m6o0088人間七七四年
2011/07/28(木) 12:17:38.72ID:R+4QAIcw攻めてきた一揆勢?を、織田軍は撃退して、柵の中までは追い込んだが
簡単な馬防柵なのに、織田軍はこれを打ち破れず、大将の塙直政は討ち死にしたうえ、
援軍にかけつけた信長まで銃撃されて
足に負傷している。まさに長篠の戦いの武田軍バージョン。
0090人間七七四年
2011/07/28(木) 14:56:44.81ID:pqCWo1xL0091人間七七四年
2011/07/28(木) 17:03:06.52ID:HAdnCuZm電撃戦なんかはドイツにやられたソ連が反撃時に行っている
0092人間七七四年
2011/07/29(金) 08:15:01.81ID:vAIF72uZ0093人間七七四年
2011/07/29(金) 09:33:09.72ID:A2i4WtqOナポレオンは?
戦力集中?
0096人間七七四年
2011/07/29(金) 17:51:06.08ID:GYCZMFCAあの頃の時代にナッサウのマウリッツだかが三段射撃の様なものを考案してるが、
結局一斉射の弾幕が薄くなるんで効果薄いよコレって結論になってたと思う。
0097人間七七四年
2011/07/29(金) 17:56:55.74ID:uTik07+G0098人間七七四年
2011/07/29(金) 19:35:48.60ID:fDtGSE7j各自てんでんばらばらに撃っていると、撃つ対象が逃げてしまって効果が薄い。
「撃つな、撃つな」と、待ってて、充分大丈夫となったら一気に撃つと
効果が高い。
三段撃ちはともかく、撃つ合図をする旗振り武将?(軍配?)はいたと思われる。
0099人間七七四年
2011/07/29(金) 19:55:37.99ID:chHedNUF0100人間七七四年
2011/07/30(土) 01:29:18.01ID:7+lODW8M古代中国も古代ギリシャも国民皆兵、というか原始社会や都市国家は基本皆兵
匈奴も突厥もウイグルも吐蕃も西夏も契丹も女真もモンゴルも皆兵
0101人間七七四年
2011/07/30(土) 01:32:15.93ID:7+lODW8M軍記物準拠なのは藤本も同じなわけだから
>>16の方が藤本よりマシというか余程説得力あるね
正面攻撃説とか研究者のくせにバカじゃねーの、と思うわ
0102人間七七四年
2011/07/30(土) 20:49:06.92ID:Vr7TOGe0グーグルの地形図で見てみたが…、地図が使いにくくて、俯瞰および望遠ができん。義元の居場所がよくわからない。
0103人間七七四年
2011/07/30(土) 21:46:28.04ID:wvQLW9zdただし、今川本陣は様々な説がある
0104人間七七四年
2011/07/30(土) 22:26:06.33ID:Vr7TOGe0近代デジタルライブラリーの日本戦史の地図を見たほうが良い というから、探したよ。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/771063
上記URLの143ページ目にあった。疲れた。やっぱりよくわかんね。
0105人間七七四年
2011/08/03(水) 18:17:31.81ID:qLo8PGXB>>104の地図見ると、朝比奈の兵で、まさに疲れた兵だ。
信長はその兵を攻撃するつもりで「山際」まで接近したが、急に東向きの強風が出て
「旗本はこれなり」「東に攻めたまふ」ということなので、急に方向転換か?。
0106人間七七四年
2011/08/06(土) 10:14:49.58ID:OHWXxdIb明智がなぜ本能寺の変を起こしたか?という謎で、怨恨説で見逃せない記載があった。
信長が光秀のドタマを折檻した、という話は作り話だと俺も思っていたが、
フロイスの本と、稲葉家譜に共に載っているというのだ。
稲葉家譜では、殴ったさいに光秀のカツラまで取れておちたという屈辱的な内容。
髪の薄くなった俺は、光秀が内心激怒していた気持ちがよくわかる。
0107人間七七四年
2011/08/06(土) 10:27:22.81ID:OHWXxdIbttp://blog.livedoor.jp/nobunaga_1534/archives/51361754.html
信憑性にやや難があるとされる『稲葉家譜』に、「本能寺の変」4日前に裁定が下った明智家と
稲葉家の家臣をを巡るある騒動が記されています。
天正10(1582)年5月27日付けで、信長の裁定を伝えるため堀秀政が記した稲葉貞通(一鉄の次男)
宛ての文書には、稲葉家を出て明智家に仕えていた「那波直治を稲葉家に返還する」「当面の扶
持は信長が扶助する」といったことが書かれています。
那波直治よりも前に斎藤利三も同様に稲葉家を去って明智光秀に仕えており、稲葉一鉄・貞通父
子は、立て続けに明智家に家臣を引き抜かれたような形になって、外聞も悪いので信長に返還要
求の訴訟を起こしたようです。
那波直治はこの裁定に従い、稲葉家に戻されたようですが、利三に対しての信長の裁定は、自刃
を命じるものでした。しかし、これは斎藤道三の旧臣で信長に仕え、利三とも親交が深かったと
思われる猪子兵助の取り成しで死罪を免れ、利三は引き続き光秀に仕えることを許されることに
なったようです。(文書の日付を考えると解決したのは本能寺の変前日ぐらいになるような気が
しますが・・・?)
斎藤利三は、義妹が四国の長宗我部元親に嫁いでいる間柄でもあり、上記の件が事実であれば、
四国討伐目前のこの状況で、信長に不満を抱いていた斎藤利三が同じく四国政策に不満を持って
いたと思われる主君・明智光秀に信長打倒をけしかけた可能性も否定できないかもしれません??
信長に強い不満を持つ斎藤利三(あと少しで死ぬところだった)が光秀の身近にいて、
接待の席で折檻されて帰ってきた光秀は、斎藤利三に同調して本能寺の変を決意したか?
0108人間七七四年
2011/08/06(土) 12:17:57.44ID:nnxk/gJAまあ当時の稲葉家が有能な家臣がワラワラ逃げ出すような状況だったのを、
「逆臣」明智光秀の邪な引き抜きのせいと責任転嫁したんだろ。
0109人間七七四年
2011/08/06(土) 12:32:37.63ID:et9tL2cJ○接待の準備についての打ち合わせの席
0110人間七七四年
2011/08/06(土) 13:21:33.74ID:OHWXxdIb折檻って話自体後世の作り話、ということについては、軍記物ならそういえるかもしれない。
だが、
ルイスフロイスの「日本史」に載っている点からして、本当っぽい。
藤本氏の本も、怨恨説を重視して一部書き直さなければならんかもな。
0111人間七七四年
2011/08/06(土) 13:53:02.30ID:5DC78O7F0112人間七七四年
2011/08/06(土) 17:36:13.55ID:1QS6QGDl0114人間七七四年
2011/08/06(土) 22:01:43.29ID:4p7XLOZa完全に正しい研究者なんていない。
それぞれが勇気を出して持論を唱えて、
ぶつけ合って議論して、
それで歴史観が固まっていくんじゃないか。
0115人間七七四年
2011/08/07(日) 00:39:08.42ID:m7k2lqs0鈴木みたいにぐだぐだ言い逃れしないし
0116人間七七四年
2011/08/07(日) 01:41:01.59ID:nLBgtufi桶狭間は簗田がひそかに義元本陣の位置を通報したとか墨俣城はあらかじめ作っておいた部材で
素早く作った、とかの説を信じているんだろ。
0117人間七七四年
2011/08/07(日) 02:15:49.13ID:x8vVnIQA残念w
その人は信長公記と信長記の区別がついていないだけですw
0118人間七七四年
2011/08/07(日) 02:56:05.73ID:m7k2lqs0それは信長記と信長記の区別がついてないだけじゃねーかw
藤本説より橋本説のがよっぽど蓋然性ある、藤本説は無理繰り
0119人間七七四年
2011/08/07(日) 09:37:32.37ID:nLBgtufi橋本説って、何だろ?
橋場 日月(はしば あきら)のことだろうか。
0120人間七七四年
2011/08/07(日) 11:52:27.98ID:Yaf95qM80121人間七七四年
2011/08/07(日) 12:15:55.92ID:gCfwc+0Z0124人間七七四年
2011/08/07(日) 18:40:03.69ID:9oYCxffV戦場に限らず、同技量(これが難しいが)が鎧兜なしで1対1の対決でも槍にはどうかな、と思う。
でもまあこの辺は個人差や得手不得手相性もあるかな、と思う。
戦場、集団戦、甲冑、で日本刀はないわな。(超長いのはまあ別にして)
まして、馬上で対馬上、対徒歩、そりゃないだろと、剣道の真似事していた餓鬼でもわかった。
0125人間七七四年
2011/08/07(日) 20:43:42.73ID:YCCTIHr1刀も鑓もへっちゃらだよ。
賤ヶ岳じゃこんなのが五時間で約50qを走破。
0126人間七七四年
2011/08/07(日) 21:06:06.40ID:9oYCxffV今の尾根歩きは昔の幹線道路とは言え
0128人間七七四年
2011/08/08(月) 00:36:26.66ID:lHk1XmKm白兵戦だと明らかに槍より刀に分があるよ
常時隊列を組んだまま集団戦を行えるわけじゃないから、刀は携行し易いし必須
馬上でも最初の突撃は槍で乱戦になったら刀、槍一本じゃ到底捌き切れない
0129人間七七四年
2011/08/08(月) 01:10:36.41ID:a2+n7pAEくさび帷子は痛いな〜
0130人間七七四年
2011/08/08(月) 01:52:33.62ID:J+b9hhBk戦国時代の鍛冶屋はどうやって作っていたんだろう?
ほそい針金をつなぎ合わせるといっても、ふいごで溶かしていたら接合部分以外まで溶けそうだし、
溶接はできないし、赤くなった針金をトンカチで叩いて根気づよくつないでいったのだろうか。
ちなみに鉄砲の銃身、バネ、ネジ、引き金の複雑な形状等、鍛冶屋が鉄砲を作るのは
刀と違って、ものすごく高度な技術が必要だったと思われる。
0131人間七七四年
2011/08/08(月) 02:11:35.60ID:P1WXKHNz0132休み好きゆとり
2011/08/08(月) 02:36:41.50ID:J+b9hhBk動員かけて人数集めたとしても、武士階級ならともかく、
一般農民なんか、武具もなく、食べ物すらろくに持参してなくて、手ぶら同然でやってきて、
せいぜい粗雑な刀くらいしか持ってないわけよ。
そこで殿様?は仕方なく、足軽用のヨロイを貸してやる(お貸し具足というらしい)。
食料もコメを与える。
武器は、弓矢を与えても使いこなせないから、そういう末端の足軽は、武器は刀だけで
あとは大抵、荷物運びさせてるね。
0133人間七七四年
2011/08/08(月) 02:44:51.07ID:lHk1XmKm粗雑な刀くらいしか持ってないフザけた奴は死刑w
0134人間七七四年
2011/08/08(月) 10:18:03.26ID:J+b9hhBk長篠の屏風では、信長の周りに10人近くが描かれていて、それぞれ武具を持っているが、
全て主人の信長用のもの。荷物持ちだ。この解説も藤本正行氏からだけど。
0135人間七七四年
2011/08/08(月) 10:43:12.91ID:fCVk5+AL> 刀しか持っていなければ、槍や鉄砲に劣るとはいえ、いざとなれば刀を使うしかあるまい。
それはそうだべ
主力として装備する武器としてどうだろうか
ということ
0136人間七七四年
2011/08/08(月) 13:52:03.84ID:J+b9hhBk北の庄の天守に突入したときとか(柴田めがけて壮絶殺し合い)、
本能寺の本城惣右衛門は、蚊帳の後ろに隠れて、相手を斬り殺したとか。
刀は野戦では最後の首切り用だな。小刀では首をうまく切り落とせない(まぐろの解体の大きな包丁を連想させる)。
0137人間七七四年
2011/08/08(月) 14:58:37.85ID:PUVE//0A文章の不備ということにさせてもらいます
0138人間七七四年
2011/08/08(月) 16:50:52.71ID:qIPg6IHm0139人間七七四年
2011/08/08(月) 17:11:41.54ID:KZh3DsV60140人間七七四年
2011/08/08(月) 19:13:57.63ID:lHk1XmKm0141人間七七四年
2011/08/08(月) 20:22:01.49ID:a2+n7pAE>刀は野戦では最後の首切り用だな。小刀では首をうまく切り落とせない(まぐろの解体の大きな包丁を連想させる)。
マンガしか読んでないだろw
0142人間七七四年
2011/08/08(月) 20:57:42.68ID:2qYlk57x個人単位で動員されるような人間は少なくて、
普通は村という組織を代表して参加するんだよ。
で、中世(戦国時代まで)の村は、生活だけでなく軍事行動も全部自前で行うのが普通で、
武器や防具なども村の共有財産として持っているのが普通だ。
鎧も刀も、村が自前で用意できるのが普通。
戦国時代初期までは、武器防具に食料まで村の負担だった。
ただ、その方式が諸条件によって限界に達したから
(粗末な武器を持っていくとか、よくあったらしい)
お貸し具足 とか 兵糧支給とか、大名の負担に切り替わっていったんだろう。
>136
おいおい、骨を切るんじゃないんだから...
0143人間七七四年
2011/08/09(火) 03:07:10.19ID:raJdbRhx0144人間七七四年
2011/08/09(火) 10:07:48.35ID:fv+oItCT義元の口かあどをおさえつけて、右手?で刀(小刀?)をもって切るときに
指をかみちぎられたのだろう。
0145人間七七四年
2011/08/09(火) 10:08:32.28ID:fv+oItCT↓
義元の口かのどをおさえつけて、
この話も藤本氏の本から。
0146人間七七四年
2011/08/14(日) 14:25:23.81ID:Zfh00kw3> 武器や防具なども村の共有財産として持っているのが普通だ。
> 鎧も刀も、村が自前で用意できるのが普通
その頃の調達はどうしてたんですかね? 行商人から購入した?
0147人間七七四年
2011/08/14(日) 18:45:39.83ID:GL15hpCr離れた場所の定期市まで買いに行くんじゃないか?
定期市の場所まで往復するのに泊まりがけ、なんて僻地の村は少数だろうし。
行商人を待つ必要があるような村の方が少ないと思うんだけど?
0148人間七七四年
2011/08/14(日) 20:24:37.86ID:xpmek830ムラの中ではサムライきどりで調子ぶっこけるだろうな
0149人間七七四年
2011/08/15(月) 05:40:15.64ID:2eF02ab/実際に殺し合いにまでなった、ならなかったはよくわからんが。
0150人間七七四年
2011/08/15(月) 07:42:35.98ID:1hRpWyQhttp://www.maff.go.jp/kanto/nouson/sekkei/kagaku/kokudo/06.html
細い川しかないのに、数千ヘクタールの水田があるから、すぐ水不足になって農民マジ切れ。
0151人間七七四年
2011/08/15(月) 07:51:51.47ID:1hRpWyQhttp://www4.airnet.ne.jp/sakura/mizuarasoi3.html
農民一揆?のときは、農民は刀や竹やりぐらいで、飛び道具は持ってないみたいだから
武士は刀さえあれば間に合ったようでもある。
0152人間七七四年
2011/08/16(火) 07:56:25.85ID:rFTLPbfIttp://news.goo.ne.jp/topstories/entertainment/126/9f752db0b5ec9ca23673ca7f4cb0808e.html
0153人間七七四年
2011/08/16(火) 19:28:13.40ID:SOKIwX+S0155人間七七四年
2011/08/16(火) 23:10:07.19ID:jd/vB19j0156人間七七四年
2011/08/16(火) 23:59:16.11ID:SX122kkf0157人間七七四年
2011/08/17(水) 01:10:59.56ID:tovqbPER感情的になるから発狂具合であーこいつが劣勢なのかってのが見えてくる
2ch以外だとそこまで発狂せずに、見た目取り繕いやがるから自分にある程度知識がないとわからん
0158人間七七四年
2011/08/17(水) 01:45:54.37ID:O6cf3+9Vどっちも間違いな場合が非常に多いという
0159人間七七四年
2011/08/17(水) 06:39:15.46ID:5+UQ8JD0まともな研究に基づかない発言が
力を持ってるところもある。
0160人間七七四年
2011/08/17(水) 11:23:47.27ID:H9u3GUfFナチス擁護とか一生懸命やってるのがいっぱいいるが、先ず信用しちゃいけない。
0161人間七七四年
2011/08/17(水) 15:48:40.33ID:e1YWgbd60163人間七七四年
2011/08/18(木) 14:54:11.92ID:WDLi8IRq0164人間七七四年
2011/08/18(木) 15:56:29.68ID:CGSJ7AlLそれが鈴木信者の落ち武者の場合はここで報告されちゃったりするけど
0166人間七七四年
2011/08/19(金) 01:47:22.21ID:gZwOFPTR0167人間七七四年
2011/08/19(金) 20:58:04.48ID:J+1qyrBm佐治がその辺り関わってたような
ソース忘れたうろ覚えだけど
0168人間七七四年
2011/08/20(土) 08:36:04.33ID:c0FZZOqg0169人間七七四年
2011/08/20(土) 10:12:13.61ID:ZmnJkiSZ坊主だと思ってなめてかかると、返り討ちに遭う。
佐久間父子の追放のときの書状には「相手が坊主だと思って、信長の威光で退散するとでも思っていたのか」
と、以前、本願寺攻めで死にかかった信長は、厳重注意をしている。
長島攻めでも弟などが死んでいるが、長島は尾張の国の河川流通のかなめだから、これまた大阪本願寺に次ぐ大勢力。
石高があまりなくても、カネがあって武士も雇えるので、大名なみ。
0170人間七七四年
2011/08/20(土) 14:10:15.77ID:PzF4p/Qnそれに長島桑名一帯の石高はかなりのものw
0171人間七七四年
2011/08/20(土) 17:45:40.15ID:LlM67KMn大和のどこかに大手の産地があったような?
0172人間七七四年
2011/08/21(日) 02:10:22.41ID:pFo5IK7X武士は領地をもらってその年貢で…というのが一般的だけど、
金で雇ってた武士というか、流通の商売で生計をたてていた武士というのもいるよ。
蜂須賀がそう。河川の流通の仕事をしていた武士。
関ヶ原の石田(近江20万石)とか、大谷(敦賀5万石くらい)も、石高は家康に比べれば
ずっと少ないが、商業や港湾の仕事が大きいため、実際にはかなりの勢力。
0173人間七七四年
2011/08/21(日) 02:18:57.49ID:pFo5IK7X長島は、地元の農民もいるが、武装した凶徒ども(信長公記の表現)は外部から集まってきた連中だ。
石山本願寺と武田の婚姻があって、その夫婦?が長島にいたから、信長を牽制すべく、何か資金や軍事の援助はあったのだろう。
0174人間七七四年
2011/08/21(日) 05:12:11.69ID:imWwVaL0長島の武士は土着の一向宗徒、金で雇われたわけじゃないよ
0175人間七七四年
2011/08/21(日) 07:52:59.94ID:DROU7CMl土着の一向宗徒+外部から集まってきた連中 + 派遣
0176人間七七四年
2011/08/21(日) 10:08:28.94ID:pFo5IK7X知らないのはオマイだ。恥ずかしい奴だな。
尾張国河内長島と申すは、隠れなき節所なり。(中略)
これに依って隣国の倭人凶徒など相集まれり、住宅し、当寺を崇敬す。
信長公記から書き写したよ。信長公記を引用すると、このとおりの威力。藤本の手法は偉大だな。
0177人間七七四年
2011/08/21(日) 10:10:31.17ID:pFo5IK7X0178人間七七四年
2011/08/21(日) 15:18:00.32ID:imWwVaL0オマエは本当に何も知らないのな
それは長島に人が集い繁栄を極めていたというだけの話で
信長族の侵略に対抗したのは桑名土着の武士
桑名が隣国なことくらい勿論知ってるよね
0179人間七七四年
2011/08/22(月) 01:42:58.16ID:+vTDsxndって、ハア?。
長島の一揆勢は、「隣国の佞人凶徒など相集まれり、住宅し、当寺を崇敬す。」と書いてあるだろ。
他から集まってきた勢力だよ。
藤本は、こんなふうに他者の主張と、くだらない論争に巻き込まれていったんだな。
0180人間七七四年
2011/08/22(月) 02:34:54.60ID:0PKfJeotこれが桑名の土着武士を指す事すら理解出来ない無知が
妄想を膨らませ在りもしない虚像を創り上げる、まさに馬鹿の鑑
0181人間七七四年
2011/08/22(月) 02:40:03.45ID:4PlnBPMN0182人間七七四年
2011/08/22(月) 09:04:39.90ID:IuYLUynu尾張の隣国?
伊勢の隣国?
どっちでもいいけど
桑名の土着武士って何?
農場領主とその一党?物流業者とその一党?戦闘専門集団?
0183人間七七四年
2011/08/22(月) 13:02:01.30ID:+vTDsxndここでの「隣国」とはどこか?は、信長公記では明記してない。
だが、長島一揆の最後に、織田軍に大損害を与えた反撃時のあと、逃げた先は書かれている。
「川を越え、多芸山、北伊勢口へ、ちりぢりにまかり退き、犬坂へ逃げ入るなり」
北伊勢方面経由で大阪に逃げた、という意味とのこと。
餓死寸前の体でさえ、この移動距離だ。
長島のすぐ隣の桑名出身者で占められていたなんて説は、なんて狭い発想だ。
ググったら、たまたまウィキでひっかかったので転載する。
本願寺の反信長蜂起(石山合戦)に伴って、長島でも門徒が蜂起。更に願証寺が北勢四十八家の
豪族や紀伊の雑賀衆などに檄を飛ばしこれらが長島へと集結した。また、信長によって領地を追
われ長島の地に逃げ込んでいた斎藤龍興や、尾張弥富の服部党、石橋義忠らの非門徒の武士団の
連合軍も一斉に蜂起した。下間頼旦らに率いられた数万に及ぶ一揆衆
桑名の土着武士だけじゃなさそうだ。
0184人間七七四年
2011/08/22(月) 13:51:25.37ID:k3K5O5WWおまえは自分で>>172と書いたのを忘れたのか
武士は金で雇われたのではなく桑名の土着武士
構成員全体なら長島周辺の百姓や地縁の無い寺院境内に住む商工民
地縁の無い商工民は同宗派の寺院へ逃げるのが当然
0185人間七七四年
2011/08/22(月) 18:43:39.20ID:4iwr920f応援・義勇軍・傭兵もかなりいたと思うけどな
検証しようもないことをウダウダと「桑名の土着武士」に拘る理由を教えてくれれば
拘りとして理解する気はあるんだけどね
0186人間七七四年
2011/08/22(月) 20:56:23.33ID:DYQSE6Ui0187人間七七四年
2011/08/22(月) 23:32:17.02ID:+vTDsxnd検証というか批判というか、論争みたいなことを、よくやっている。
小説家の創作説みたいなものまで言及しているので、相手にしなければいいのに、
と俺はよく思っていた。
だが、この2chのスレでわかったことは、アホウの説に反論しつつも、じつはそれに便乗して
自説を述べることができる、というメリットがあるということだ。
0188人間七七四年
2011/08/22(月) 23:43:51.54ID:0PKfJeot数の少ない浪人を除けば武士は根本的に地縁血縁の生き物だから
居ても北西部の武士とか近隣の居住かな
寺院に属する人間は遠くからも来たかもしれないけど
「金で雇った武士」という>>187の誤った主張の反証になるね
0189人間七七四年
2011/08/22(月) 23:57:09.76ID:GemgWQBi・願証寺
・桑名、員弁、三重郡の武家(北伊勢四十八家)
桑名〜尾張の輪中の地域にまで及ぶ
・斉藤旧家臣
・海賊衆(大濱etc)
・各地の浪人(三河、伊勢、甲賀、伊賀)
ワラワラ各地から集まったのは事実だが、戦力的には地元の領主層が主力だね。
大田口合戦も願証時から山方衆と呼ばれていた員弁、三重の手勢に後背突かれて、織田軍が崩れたようなので。
0190人間七七四年
2011/08/23(火) 02:44:28.34ID:FEhd1Vwq近隣と呼ぶならいいけど。
北伊勢四十八家だって日帰り往復できないほど遠くの武士が含まれてる気がする。
土着ってのは、そこに生活の場を持ってなきゃ違うだろ
家族も一緒に住んでる、戦いが終わったあともそこに住む予定でいる、
そういう人以外は近隣からの応援とか外来者とかだろ
0191人間七七四年
2011/08/23(火) 04:57:55.31ID:ubOKV2QK0192人間七七四年
2011/08/23(火) 08:49:02.16ID:TMVRE2P40193人間七七四年
2011/08/23(火) 11:07:16.53ID:rr2cFhzF言葉の定義はまあいいとして
それで何が何が主張したいのですか?
混成軍の構成の幅についてですか?
id:0PKfJeot 氏 と id:GemgWQBi 氏 は別の人だよね
0194人間七七四年
2011/08/23(火) 18:35:49.56ID:FEhd1Vwq近隣からの応援ってのは普遍的に広く見られることだと思う。
そういう応援の人たちは、謝礼とか酒食とか、受け取るのが普通なわけで、
それを傭兵などと誤認する可能性はあるんじゃないの。
実際に傭兵が居たかどうか、居たとして多かったか少なかったか、とは関係なく。
だが、傭兵の件は、どうでもいい。
189氏が地元という言葉の意味を拡大解釈してるように思えて気になった。
ところで、念のために書くけど、オレは148-170とか172-189の範囲には一言も書いてないよ。
0195193
2011/08/23(火) 19:19:05.74ID:rr2cFhzFつっけんどんな書き方になりましたが
単純に
構成員の質と割合の何がそんなに気になるんだろう?
という素朴な疑問です。
0196人間七七四年
2011/08/23(火) 19:25:11.76ID:rr2cFhzF図書館で「関ヶ原」というのを借りて読んでみたら、
オタク中学生みたいが書くようなひどい内容だった
なんのためにこんな本書いているんだろう?
と、表紙をみたら、武光誠 と言う人だった。
鈴木さんごめん。
0197人間七七四年
2011/08/24(水) 00:08:51.46ID:zxE78dow0198人間七七四年
2011/08/24(水) 01:51:49.70ID:lOSLfOB8小早川は裏切るも何も、最初から東軍なんじゃね?
家康による小早川への鉄砲射撃も、本当かどうか怪しいそうだし。
0199人間七七四年
2011/08/24(水) 20:00:21.84ID:lOSLfOB8信長公記には載ってない。だが、太田牛一は「関原御合戦双紙」を記している。
でも、この本の内容は、藤本は全く触れていない。現存していないのかもしれない。
敵味方押し合い、鉄砲放ち矢叫びの声、天を響かし、地を動かし、黒煙立ち、
日中も暗夜と成り、敵も味方も入り合い、錣[しころ]をかたむけ、干戈を抜き持ち、
おつつまくりつ攻め戦う。
この一文だけはちょっと有名。
0200人間七七四年
2011/08/24(水) 20:10:06.48ID:lOSLfOB8太田牛一の著作「関ケ原御合戦双紙」で、現在は自筆本として「内府公軍記」(大和文華館蔵)、
「太田和泉守記」(名古屋市逢左文庫蔵)が伝わっている。
岐阜市信長資料集編集委員を務める金子拓東京大学史料編纂(さん)所助教がこれら文献を調べた
関ヶ原の戦いの展開を、この本でよく読み直せば、通説とは違った内容があるかもしれない。
0201人間七七四年
2011/08/24(水) 21:33:11.75ID:4AA7ayvXしてないなら幾ら何でも怠慢過ぎる
0202人間七七四年
2011/08/24(水) 21:46:26.98ID:OL5NEIqwまた「朝野旧聞褒藁」にも時系列順に記載されている
0203人間七七四年
2011/08/24(水) 22:54:24.03ID:lOSLfOB8内容わからんかった。
0204人間七七四年
2011/08/24(水) 22:59:22.15ID:OL5NEIqwここの20頁から
0205人間七七四年
2011/08/24(水) 23:43:53.25ID:lOSLfOB8それにしても読みづらくて発狂しそう。
教えてくれてありがトン
0206人間七七四年
2011/08/24(水) 23:57:06.68ID:lOSLfOB8の場面は、>>204の21ページ右側頁に見つけた。左側の頁にも「押しつ押されつ」の表現あるけどな。
大谷刑部の死ぬ場面はうっすらわかったが(馬上で腹を切る? 22頁右側)、小早川への鉄砲射撃のシーン不明。
0207人間七七四年
2011/08/29(月) 10:26:54.24ID:HOVpIuOc太田牛一の資料に無いなら、本当に無さそう。
そもそも太田牛一は関ヶ原に参加したかどうかとなると、火花出しておしあいと臨場感はあるものの、聞き書きかもしれない。
小早川へ鉄砲を射って参戦を催促した話は、徳川実紀から引用の天元実記と、黒田家譜にしか無いらしい。
http://tss-website.sakura.ne.jp/bbs/cgi/hq/wforum.cgi?no=2328&reno=no&oya=2328&mode=msgview&page=0
0208人間七七四年
2011/08/29(月) 12:48:57.30ID:MGN8LQKD再録
「五本関原日記曰諸方合戦最中ニ黒装束ノ武者御前ニ参リ筑前中納言ノ旗
色何レトモ知レ申サスト申シ上ル問鉄砲打セヨトノ御意ナリ仍テ鉄砲打カケ
候」
「井伊家慶長記曰福島井伊向云々合戦始時節如何直政答云筑前中納言内通之義有
彼躰見軍始可只今予軍士熊谷内匠三浦十左衛門両秀秋陣遣暫相待可ト
又藤堂佐渡高虎来テ正則如問前如答フ高虎テタテアリト云テ吾陣帰鉄砲之者二十人
計召具秀秋陣向放タシム但玉ヲ入不然雖秀秋陣少モ騒不一向敵陣ヲ見ヲロス外無他
高虎来云秀秋心底疑処無云々」
「聿修録曰諸部既接戦筑前候観望山下未公(高虎)大銃発之脅乃始兵発」
他、
「五本関原日記」とほぼ同じなのが「濃州関原合戦答書」「一本関原軍記」「慶長記畧捗」
「五本関原日記」に「井伊家慶長記」「聿修録」を組み合わせ、藤堂隊が家康の命による
問鉄砲を撃ったとしているのが「東西記」「別本慶長軍記」「本朝武林(稲葉)傅」
「黒田家譜」では福島の鉄砲隊二十人『のみ』を松尾山に撃たせよと使番に命じている
ほぼ同じ内容が「関原物語」「関原記考」
「落穂集」は使番として久保島孫兵衛、鉄砲隊は家康組下の布施孫兵衛とし
後は上記の内容をごった煮したもの
以上「朝野旧聞褒藁」より
以上より
小早川陣への銃撃は二度あったと推定される
一回目は藤堂高虎による牽制の為の銃撃
二回目は徳川家康の命によって福島正則から分派された
鉄砲隊(家康使番久保島が同行した可能性あり)による内応
催促の銃撃
家康本隊からの鉄砲隊分派は無かった可能性が高い
0209人間七七四年
2011/08/29(月) 14:24:11.55ID:HOVpIuOc小早川って、筑前中納言なんだな。今頃気付いた。
というわけで、太田牛一の本の関ヶ原戦のページをまた読み直してみた。筑前中納言はどこじゃ?。
20ページの左側に「太田和泉守記録にあり」とあるのに気づき、ひょっとして関ヶ原に参戦したのか?!。
その後も読んだが、ああもうだめだ、読みづらくて発狂しそう!
0210人間七七四年
2011/09/01(木) 19:26:01.90ID:5UCCPq3S0211人間七七四年
2011/09/01(木) 20:41:59.62ID:lWBLmx5eあれ 結構よかったんだけどな
そんないい加減だったのか-----
0212人間七七四年
2011/09/01(木) 21:14:02.13ID:xedChKp8>>211 その本、高すぎ。藤本って優れているよ。最近かいた本は若い頃の勢いが失速してるけど。
0213人間七七四年
2011/09/02(金) 00:27:47.26ID:yGYibvp9絵画史料の活用ではトップクラスの研究家だよ。
0214人間七七四年
2011/09/02(金) 08:42:08.40ID:TGU4h+Iv>>213
さんきゅ。
引っ越したときに古いPCやら周辺機器と一緒に本もかなり整理したけどこれは残しておいたんだ。
話は変わるけど、
刀に興味(主に美術品として)があったころ、鈴木説なんて全然知らなかったけど、感覚的に、
「うーん、この武器というのはかなり限定された場面でのものだよなあ、決闘とか、それこそ幕末の京都治安活動とか」
「飛び道具は別にして、集団戦なら槍とか長柄とかがいいだろうし、馬上騎士が標準サイズの太刀なんか振り回したってなあ、
勿論、怪力の豪傑なんかはまた別の長刀やらの類のものも使うんだろうけど」
なんて思っていた。
それで鈴木説を知って、ああやぱりそう考える人いたんだ、と思ったんだが、
データを使っているようでなんか論旨が乱暴な感じがして二冊でやめた。
0215人間七七四年
2011/09/02(金) 09:05:33.24ID:Q4KXaRuN指摘したのは、藤本先生の大功績だろう。
そもそもオイラは刀の目釘に家紋を入れることやサヤにコウガイを入れることさえ
知らなかったくらいだし。
0216人間七七四年
2011/09/02(金) 09:39:37.40ID:eyvuAIRo0218人間七七四年
2011/09/02(金) 21:37:17.84ID:kI6EdSaZ0219人間七七四年
2011/09/02(金) 22:05:06.10ID:TGU4h+Iv0220人間七七四年
2011/09/02(金) 22:13:50.66ID:jJJ8APP5(徴兵された農民兵)の話しを持ってきた人もいたらしいw
0221人間七七四年
2011/09/02(金) 22:23:23.89ID:Q4KXaRuN南雲機動部隊の例を出して、敵はいつまでも同じ所にいるわけではない、
という例えを出した先生もいるがな。
0222人間七七四年
2011/09/02(金) 23:29:07.81ID:4V5TGJM1まだ読んでないんだけどうすっぺらいの。
0223人間七七四年
2011/09/03(土) 16:50:57.95ID:CwrEzhq4「出てたね」とか言われても、知ってる人間の方が圧倒的に少ないんじゃない?
0224人間七七四年
2011/09/04(日) 01:56:01.37ID:xgFRhqWj0226人間七七四年
2011/09/10(土) 02:31:50.55ID:W53MTNysとこだもんなぁ。NHKにからんで本売ったり。
藤本がどうして組んだのか少し意外だった。
武功本のあと別れたかと思ったらしつこく小和田あたりに
からみまくりんぐだもんな。
あれは鈴木の主導なんだろうけど藤本も自分の
説が無反応だったからそこで仲良くなったか。
0227人間七七四年
2011/09/13(火) 20:59:14.24ID:mGUtgE/Dふだんは冷ましてから運んだりしているのだが、うっかり、熱いままのものをつかんでしまった。
激痛!。
信長が、焼けた鉄をつかんだ件を思い出した。「信長 火起請」でググるといろいろある。
焼けた鉄を0.1秒でさえ激痛なのだから、持ったまま3歩も歩けば手の肉も焼けるよ。
信長の書状は千通ぐらい現存しているそうだが、直筆はわずか10通ほどだそうで(確実は1通のみ)
たぶん、野口英世みたいに手の平がひどいやけどで、筆記が苦手なんじゃないかと想像した。
ヤケドして痛いからと手のひらを握ったままにしているとそのままくっついてしまうので
治療のためには広げなければならないが、いずれにしても激痛の連続。
0228人間七七四年
2011/09/19(月) 10:06:43.88ID:0KeXvI34藤本節が全開だった。きわめて微に入り細を穿つ内容で、ヨロイの各部品を説明している。
というのは、武田信玄像が鎧をきている絵だから。
良き本である。
欠点といえば2つだな。ひとつは、武田信玄およぼ他の武将の姿絵を解説しているわけだが、
他の武将にいたっては絵がないものが多い。読みながら、???の連続。活字でなくインターネット
上のブックにすべき内容だな。そうすれば画像もモニターでカラーだし。
もう一点は、他人の説への攻撃がまたもや頻発していること。偽書武功夜話のとき以来の、藤本の性格
なのかもしれない。優れた学術ある内容でも、余計な敵を多く作りそう。
0229人間七七四年
2011/09/19(月) 12:27:16.88ID:DLDNO43Cそういうところで予算削るところあるよ。
0230人間七七四年
2011/09/19(月) 22:50:07.98ID:4lbYA2gw0231人間七七四年
2011/09/19(月) 22:51:13.69ID:ZqFzbcTx0232人間七七四年
2011/09/20(火) 09:21:43.46ID:tHOyOwG7桶狭間の新刊本は、読んだもののどうでもいい繰り返しだったが、
今回の「長篠の戦い 」は、ずいぶんと新しい内容が追加されて、
良き本である。
一カ所だけギャグが入っていて笑ってしまった。武田軍を打ち破った直後の信長なんだが、
「信長はフィーバーした」!と、浮かれまくった信長発給文書を次々に紹介しているのだ。
藤本センセーは、じつはパチンコが好きらしい。
0233人間七七四年
2011/09/20(火) 11:28:04.08ID:BoUvTBiDおじさんだとディスコのりで浮かれたと解するけどな
0234人間七七四年
2011/09/20(火) 11:54:35.86ID:dtvn6bF/もう死語だしな。
0235人間七七四年
2011/09/20(火) 19:13:20.51ID:FyMRxA0P何の更新だよ聞かれても色々としか答えようがないし、説明のしようもないがw
自覚できれば自力でアップデートできるかもしれんが、自覚できてなきゃそこで止まる。
0236人間七七四年
2011/09/20(火) 22:04:40.60ID:hpIMejUr宮島新一のことなら、
頼朝像は頼朝
尊氏像は尊氏
信玄像は信玄
という、旧説ばかりの人だから批判されても仕方がない。
0237人間七七四年
2011/09/21(水) 02:21:26.54ID:chjeUqWE罵倒や感情論になっていたらダメだけど。
0238人間七七四年
2011/09/21(水) 11:27:13.81ID:4dKDVhv3>>237 藤本は、罵倒や感情論ではない。
事実を詳しく明晰に、かつ、引用は正確に、という余波により、他人の説への明らかな攻撃
になってしまうのだろう。
0239人間七七四年
2011/09/21(水) 11:30:28.45ID:hKvUpGeU騒ぎになれば本が売れるからね
0240人間七七四年
2011/09/21(水) 13:15:59.16ID:FbT+FuP3> 藤本は、罵倒や感情論ではない。
> 事実を詳しく明晰に、かつ、引用は正確に、という余波により、他人の説への明らかな攻撃
> になってしまうのだろう。
それは違うな。自分の説を淡々と述べればいいだけの所でも、不必要に他者を攻撃している。
説の成否はともかく人格として下劣だ。
0241人間七七四年
2011/09/21(水) 13:32:49.19ID:TMxDvV2y0242人間七七四年
2011/09/22(木) 00:03:22.47ID:+vUOx3tdわかりやすいよなぁ。
0243人間七七四年
2011/09/22(木) 09:06:54.78ID:+90ycisxしかもその批判の内容がよくわからない文体だった。
桐野作人の書いた本は、歴史の本の中では、かなり論理的で良い方。
0244人間七七四年
2011/09/24(土) 00:57:50.66ID:GMxnU/AX自分もそういう反論をされてた。
結局こういう人たちは、人の話を聞かないタイプ、というやつで
相手の言ってることをまず理解しようと思わないから話が
かみあわないことが多い。
特に藤本は反論されるとよく答えてるから真面目にみえるが
実は「自分の言うことが理解されてない」というだけなんだよな。
0245人間七七四年
2011/09/24(土) 09:29:01.72ID:y3skfY3q小和田よりも藤本だけどな。小和田は原文から逸脱した誇大読み下しが多すぎ。
0246人間七七四年
2011/09/24(土) 18:51:55.81ID:IR6kUVkT手広くやってるが自分の研究範囲外は名前貸しただけかと思うような内容薄々。
0247人間七七四年
2011/09/24(土) 21:05:34.11ID:5ni1lJzC今でもブコウの擁護してるし。一般の本なんかはアルバイト学生に
書かせるレベルで問題外だ。
0248人間七七四年
2011/09/25(日) 00:44:46.54ID:rODftip3家康を討つと兵たちに伝えた、という意味のことを書いてあった。
本城惣右衛門覚書では、家康を討つとばかり思っていた、とあるので、
信長でなく家康のつもりだったのは確かだが’(宣教師の文書にも同じものがある)
本城惣右衛門覚書では、てっきり家康だとばかり思っていた、というニュアンスなのに、
小和田は、飛躍して、「家康を討つと欺瞞情報を流した」ということまで
作り上げてしまう。歴史創作が好きな学者であり、内容は、とても使えない。
0249人間七七四年
2011/09/26(月) 14:29:58.59ID:erwwilnnそれを真面目に相手するから藤本あたりも相手されないんだよな。
0250人間七七四年
2011/09/26(月) 22:37:11.49ID:oDj7Q9YN0251人間七七四年
2011/09/26(月) 23:35:21.75ID:erwwilnnブコウのあたりは鈴木との資料交換みたいなのがあったんだろうけど
しばらくたってまた共著出したのには驚いたもんね。
最初の信長の戦争あたりがスルーされたのを相当ネにもってたんだろな。
0252人間七七四年
2011/09/27(火) 00:26:27.15ID:vI5cb7LF藤井は後手必勝(藤井戦国史というブログがある)という説が特色だが、
今では藤本の本には全然触れられていないから、現在ではケンカ別れでもしたのかもしれん。
藤井戦国史では、千秋らが突撃して死んだのは、砦を無断撤退したからであり、
信長がすぐ近くまできたのを知り、気まずくなって、千秋らは突っ込んでいって死んだという。
0253人間七七四年
2011/09/27(火) 13:02:05.15ID:bKuHvrPM70年代に上山春平のアシスタントみたいな感じで藤井と長篠を案内してたし
(上山著作集に入っててびっくり)、10年前くらいには藤井と石井進とで
関が原関係の対談をしてる
(ちなみに石井進は『戦国軍事学』が面白かったと吉川弘文館の編集者に
話して『鎧をまとう人びと』出版のきっかけを作った人物だそうな)
0254人間七七四年
2011/09/28(水) 00:50:30.17ID:zi7DQRWRそのあたりは後手必勝の藤井説によく似ているが、藤井の名前は一切でてこない。
藤本の他人批判グセはよくあるものの、藤井に対してはしない、ということが、せめて
友人の証なのかもしれないなあ。
0255人間七七四年
2011/10/06(木) 09:36:00.14ID:wP0i6Qwf家紋が二引両だから信玄ではない、という藤本の有名な説がある。
他人がこれを引用して紹介しているコンビニ本がよくあるが、
家紋が小さく描かれているからなんのことやらわからないうえに、
拡大図でも菱形「の中に 二 が書かれているから、これのことかと一応納得。
でも、刀のツカに糸を巻くとき、XXXXというふうに斜めに巻くから、
その下に描かれた 二(二は○で囲んである)は、◇の中に 二 が書かれたようになっている。
0256人間七七四年
2011/10/06(木) 15:09:19.49ID:5fzCpoFJマゲの問題とか。
0257人間七七四年
2011/10/06(木) 19:06:11.48ID:wP0i6Qwfさらなる根拠や理由が充分にそろったのは藤本の功績。
0258人間七七四年
2011/10/07(金) 00:36:23.93ID:bsrGHk5+俺は功罪の功の方が大きいと思うな
ただ、そろそろ人の悪口路線はやめていい頃だと思う
0259人間七七四年
2011/10/07(金) 07:19:58.34ID:2scEvEAf歳を取ってから無駄に攻撃的愚痴悪口を言いはじめるようになる年寄りも多いから。
年寄だから手足はよく動かないから口だけは動く。
この場合は手先で。
アルツハイマーなんかとはちょっと違うけど、老人性のなんとかとそういう症状で多分仕方ないんじゃないのかな。
0260人間七七四年
2011/10/07(金) 20:01:46.42ID:9bK3k4ui人の悪口路線はやめていい頃、に同意。
>>259
病気の症状ならまだいいが、単に、自分の意見に反対されるとカッ!となる性格なのだと思うよ。
0261人間七七四年
2011/10/09(日) 14:47:09.70ID:Ui7cKczLネーミングもひどいw
良識があれば自説に相反する説を唱える人がいても真摯に享受するものだが、
これだけ排他思考に偏った人は話し合いにすらならんからな。
0262人間七七四年
2011/10/09(日) 15:53:55.66ID:Hyw04s7r手当たり次第だとなあ
0263人間七七四年
2011/10/09(日) 18:13:39.00ID:fFQx99qc0264人間七七四年
2011/10/09(日) 18:15:34.54ID:ThMHposN0266人間七七四年
2011/10/11(火) 00:14:59.86ID:ymTrH9rr0267人間七七四年
2011/10/11(火) 00:55:00.13ID:jAU3wkfo0268人間七七四年
2011/10/11(火) 12:04:58.58ID:6p2X6Jg30269人間七七四年
2011/10/11(火) 15:01:25.85ID:EXmWggwh所詮その程度の奇説ww
0270人間七七四年
2011/10/12(水) 01:51:01.89ID:UTvaJfyQ今だと信者活動拠点としてしては漫画とかゲーム系板がベストなんかな
0271人間七七四年
2011/10/12(水) 22:59:29.62ID:L0pg50r80272人間七七四年
2011/10/13(木) 00:18:28.58ID:MBNSHxGc> よくわからんが家康存命時に描かれた関ヶ原合戦図屏風で柵に囲まれた敵陣に攻め入る場面では
> ほとんどが抜き身の刀だな。
>
> http://history.harikonotora.net/src/200-61.jpg
0273人間七七四年
2011/10/13(木) 13:22:30.12ID:o/7JNeWhすでに敵は総崩れの真っ最中だろう。残って居るのは
飛び道具で重傷を負って動けなくなった奴ばかり、となれば、まずは抜き身の刀で首取りだな。
0274人間七七四年
2011/10/13(木) 14:36:05.59ID:lr3k119k首は右手差や脇差しで取ると言ってる。
0275人間七七四年
2011/10/13(木) 14:57:30.37ID:ybZ8RV22首って意外に簡単に切れるもんなんだな
刀を使うまでもないな
0276人間七七四年
2011/10/13(木) 20:52:40.80ID:b5lQV4JG処刑人みたいに一撃でばっさり落とそうとすると難しいんだろうけど
かっこつけなければどうってことないわな
動物さばくより楽だろう
0277人間七七四年
2011/10/14(金) 01:14:04.99ID:uauePdnF急にバタバタ暴れると、俺もびっくりする。
首切りには、慣れが必要。数こなさないと。
0278人間七七四年
2011/10/17(月) 12:41:06.83ID:Cozye8KEマルテンサイト変態とか知ってたら日本刀が脆いとか口が裂けても言えないと思うが。
0279人間七七四年
2011/10/17(月) 16:28:32.29ID:iyYwjWkK専門家の本棚にありそう。
0280人間七七四年
2011/10/19(水) 23:37:45.74ID:GZuSqYmQみたいな分析があったら面白そうだな
0282人間七七四年
2011/10/21(金) 00:09:08.36ID:xV+QnG7+そんな屁理屈は江戸時代の平和な時代に出来たファンタジー。
戦国時代とか遠回りに大勢で槍で突き刺して終わり。
2-3人切れば脂肪で滑って切れなくなるので、7-8本背負って使い捨てにした。
0283人間七七四年
2011/10/21(金) 00:13:54.06ID:njHSLH640284人間七七四年
2011/10/21(金) 00:20:12.88ID:xO1B58ek0285人間七七四年
2011/10/21(金) 00:23:05.01ID:nVKMcVLqアホか。刀は「打ち物」と呼ばれておる。斬る以上に打撃を与えることが大きな目的だ。
鉄の棒でぶん殴られたらそれだけで人間なんて動けなくなる。そういうことだ。
7本も8本も抱えていくとか、そんな重さで自分が動けなくなるようなあほな事をするか。馬鹿馬鹿しい。
0286人間七七四年
2011/10/21(金) 00:35:24.02ID:xV+QnG7+だから戦場では常にサブウェポン。
0287人間七七四年
2011/10/21(金) 00:36:32.34ID:nVKMcVLq0288人間七七四年
2011/10/21(金) 02:56:07.70ID:7nq/Cq+V0289人間七七四年
2011/10/21(金) 12:21:25.91ID:eNriS5Rg0290人間七七四年
2011/10/22(土) 00:44:38.49ID:fDOAmHxI0291人間七七四年
2011/10/22(土) 00:48:07.79ID:Y+d6Cgh50292人間七七四年
2011/10/23(日) 22:26:54.99ID:bH6DM4gM0293人間七七四年
2011/11/02(水) 14:21:42.67ID:qSs3uSG4戦争での死傷者の9割は砲撃爆撃によるものであり、小銃による死傷者は殆どいない
まして、小銃というのは弾が30発しか入らず
引き金を引き続ければ2秒で撃ち尽くしてしまう欠陥兵器だった
こんなものを戦場で使ったとは思えず、恐らく自決用だったのだろう
とか言ってるはずだよ
0294人間七七四年
2011/11/02(水) 21:28:48.24ID:YOJdNDVs0295人間七七四年
2011/11/05(土) 23:47:32.27ID:AWqFW1yz0296人間七七四年
2011/11/05(土) 23:52:30.11ID:XTgz9kAK0297人間七七四年
2011/11/06(日) 00:21:23.67ID:cYmz1YGU0298人間七七四年
2011/11/06(日) 01:00:56.37ID:z6Uw9AeK0299人間七七四年
2011/11/06(日) 01:16:30.23ID:Sm4xRrXL0300人間七七四年
2011/11/06(日) 09:11:03.68ID:hfSGak8T0301人間七七四年
2011/11/06(日) 11:06:51.74ID:lpRXsxHF0302人間七七四年
2011/11/06(日) 11:35:17.91ID:Sm4xRrXL0303人間七七四年
2011/11/06(日) 16:18:31.68ID:lCVMkmlM刀と槍よりも自動小銃と予備弾倉のほうが重い
当時の人間はよほど体格が貧相だったみたいだな
鍛えてるとはいえ女性兵士だってこれらを普通に担ぐのに
0304人間七七四年
2011/11/07(月) 00:28:42.64ID:A9UxDVWA0305人間七七四年
2011/11/07(月) 01:48:22.32ID:3cb3tjhuなんかアホすぎる糞コテが湧いてるんだがw
てか大鎧が革製とかアホしかいないのかあのスレはwwwww
0306人間七七四年
2011/11/07(月) 01:57:33.87ID:+Ok7ZlV30307人間七七四年
2011/11/08(火) 20:52:19.05ID:zeQY4D2o鈴木信者は
0308人間七七四年
2011/11/12(土) 11:43:02.92ID:ePMJ9l1tかなり知識が偏ってるみたいだが
当時人間の平均的身長は160cm弱。
食料事情もあるから、鍛え上げた現代歩兵(自衛隊含む)の方が、体力は上。
後、(日本)刀を足軽と称される雑兵が持ってたかどうかは甚だ疑問。
理由
1。日本刀は製造方法が面倒くさい、棒鋼からの鍛造整形。超高コスト。
2。製造方法からデメリットとして密度が高く、長さの割に重い。
3。扱いが難しい。一応、武道家と称する人から聞いた話だが、素人がガシっと握って力一杯振ったくらいじゃ巻藁も切れないそうだ。
打撃武器なんて戯言でごまかす向きもあるが、それなら鉄棒で良い。
ゲームでお馴染みのモーニングスターやウォーハンマー等世界的にも流行ってる。
(最上義光も鉄棒は使ってたらしいから)
コストと使い勝手の問題から、刀はそれなりの身分の者しか持てないと思う。
たしか逸話で、細川忠興が買ったのと同じ姿の刀を持って、
チョコチョコっと有名な武芸者から(免許を買ったかどうかまでは知らんが)習ったにわかが据え物切りやって失敗したってのがある。
習ってもこれだから、防具つけた兵相手には使えないだろ
0309人間七七四年
2011/11/12(土) 11:47:36.45ID:XNnnpxm00310人間七七四年
2011/11/12(土) 12:13:58.58ID:u0/F8+5Z0311人間七七四年
2011/11/12(土) 12:33:40.47ID:yeBNjCGf現在登録されてる日本刀の数は250万本。これにGHQによって押収、破棄された物300万本を含めれば戦前の日本には600万本近い日本刀が存在していた事になる。
戦国時代の人口を考えれば成人男性全てを武装できるくらいの数があってもおかしくない。
0312人間七七四年
2011/11/12(土) 15:56:00.49ID:EvFYu9aC--斬れなくなったら次!
という使い方をした実例もあるから(足利義輝とか)
総計600万本の日本刀を所持していた持ち主はせいぜい100万人ぐらいかもしれん。
あと、308が知ってるか知らないのかは分からんが、
数打ちと呼ばれる量産品の日本刀もあったんだよな。
数打ちの刀は高コストという問題はなかったんじゃなかろうか。
0313人間七七四年
2011/11/12(土) 16:03:47.33ID:S3CNWqDU0314人間七七四年
2011/11/12(土) 17:12:44.97ID:mG1KXNcV0315人間七七四年
2011/11/12(土) 21:56:20.55ID:n1+UTIwN0316人間七七四年
2011/11/12(土) 23:01:46.88ID:7Jan2b180317人間七七四年
2011/11/13(日) 02:45:57.73ID:FHj6kiX+0318人間七七四年
2011/11/13(日) 02:51:48.75ID:b1bDEFhx0319人間七七四年
2011/11/13(日) 02:53:49.88ID:FHj6kiX+剣豪小説家であり武道家の津本陽が、
刀は本当に脂ですぐに切れ味が落ちるのか実験に試斬した。
結果は切れ味は落ちずいくらでもスパスパ斬れ、脂肪で斬れ味は落ちないという結論だった。
到底無理と思われた骨付きの分厚い肉塊も、骨ごと手応えも無く切断できる凄まじい切れ味だったそうだ。
0320人間七七四年
2011/11/13(日) 06:33:12.73ID:dj7bR6OY160弱というと今とあまり変わらない感じがするが
160前後になってきたのは終戦後ぐらいだろう。
0321人間七七四年
2011/11/13(日) 11:08:30.17ID:kpPxr+Do男性の平均身長が157〜158cmだが
0322人間七七四年
2011/11/13(日) 14:23:37.76ID:5QFeiDTN中国戦線での百人切に対する反論として聞いた話のような気がするん
だけど。それに油がつくと切れないって理屈自体変じゃないか?
0323人間七七四年
2011/11/13(日) 15:15:19.80ID:G7BtqPZL0324人間七七四年
2011/11/13(日) 15:20:40.42ID:qYG6hQru剣豪将軍
実際あの将軍の最期の時も力を振り絞って戦ったけど
実際2〜3人斬ったらもう使い物にならなかったらしい
0325人間七七四年
2011/11/13(日) 15:29:27.16ID:nkWlC04Iべつたりつくとやっぱり切れんよ。
だから脂が付くと切れないっつーのは判る気がする。ただそれでもう役に
立たないかっつーと、刺身は出来なくても突いたり殴ったりと武器としては
使えるわな。
0327人間七七四年
2011/11/13(日) 18:35:10.03ID:eXWgELe5他に輸出できるような商品はなかったらしいのは事実だが、
逆に言えば、決済に用いるに足だけの貴金属を産出していたんだもんな。
ダテに「黄金の国」伝説を残してるわけじゃない。
まあ、貴金属の地金だけじゃなく日本刀も輸出したとは言うが。
刀としてではなく鉄地金として輸出してただけだ、と言ってるヤツもいたが、
実際んとこ、どうだったんだろうか。
0330人間七七四年
2011/11/13(日) 21:28:48.23ID:w6iwTru7アホと違うかお前
0331人間七七四年
2011/11/13(日) 21:41:02.00ID:8IhjnLYT拭き取る暇もないほど絶えず敵が目前にいるわけじゃないだろ
0333人間七七四年
2011/11/14(月) 11:32:36.27ID:V0WY7PyOそら刃こぼれはするしいつかは使えんようなるわ。
0334人間七七四年
2011/11/14(月) 22:10:38.96ID:obkG+qcE0335人間七七四年
2011/11/14(月) 23:25:44.95ID:DRT67aqvお前、調理で肉を切った事もないやろ?
0336人間七七四年
2011/11/15(火) 06:52:42.38ID:lFrh2Wre足軽一人一人まで所持出来る程乱造した代物なら、人一人切ったら脂以前に刃こぼれすんじゃね?
てか、鉄製かな?w
0338人間七七四年
2011/11/15(火) 10:05:47.37ID:lFrh2Wre常識で考えれば
ごく僅か取れる砂鉄あるいは輸入にほぼ頼る鉄鉱の使用量の多い日本刀を、
足軽一人一人に行き渡らす生産力が想像つかんがなw
今川義元が2万の大軍で動いたとしたら、それだけで2万本。
それを骨ごと切れるなんて、刀身を鋼でくるむようなかなり特殊な製法の品物が、
量産出来るなんて思える方が不思議なんだが?
帝国陸軍のゴボウ剣並みじゃね
0339人間七七四年
2011/11/15(火) 10:23:40.90ID:g8tSH+Tn最初から雑兵は刀剣類無しにすればいいのに
0340人間七七四年
2011/11/15(火) 10:29:08.50ID:+QULH3bE0341人間七七四年
2011/11/15(火) 10:41:35.43ID:nvyr2Uh/0342人間七七四年
2011/11/15(火) 11:08:55.75ID:+QULH3bE中世の生産量がその10分の1でも、1000トン=100万kg。
そして刀1本が1kg程度。鉄の量よりも刀を作るスピードの方が問題になりそうなんだが。
0343人間七七四年
2011/11/15(火) 11:55:07.52ID:YLMAcBjn実際、室町時代には輸出品の一つに数えられてるしなあ。
金銀銅の地金以外の輸出品って、日本刀以外には少なかった気がするんだが。
もっとも、船を安定させるために積む船底のおもり、という説だってあったが、
それだって、帰りの船が積んでるのは銭貨(銅銭)なわけで、
運ぶ価値があるものを積んだことは間違いないと思うんだ。
0344人間七七四年
2011/11/15(火) 11:56:37.42ID:ZweinI28何しろ長篠の合戦場を発掘しても鉄砲玉が殆どでないくらい、回収されているようだし
0345人間七七四年
2011/11/15(火) 12:02:14.36ID:YAGnxBSkこれは百姓町人も同様で、当時の日本では普通の成人男子なら複数の刀剣を所持していて当然。
0346人間七七四年
2011/11/15(火) 12:34:03.20ID:heHx9Y53今みたいに資源が少なくなったのは、金も銀も鉄も近代までに掘り尽くしちゃったからなわけで。
0347人間七七四年
2011/11/15(火) 16:35:35.96ID:z9eZjfVz硫黄を忘れないでくれ。
0348人間七七四年
2011/11/16(水) 19:35:06.36ID:psrGjeR1いくら肉を斬ろうが日本刀は問題なく切れるってのは、
>>319にあるとおり実験までして証明されてるんだよw
鈴木の本なんて高校生で卒業しとくレベルなのにな。
0349人間七七四年
2011/11/16(水) 19:40:23.46ID:Tci8TUMI刀で吊した豚肉とかテキトーな振りでスパスパ斬ってるの何度か見たけど
あれ豚が生きてて血が大量に付いたらどうなるんかな
0350人間七七四年
2011/11/16(水) 20:17:58.74ID:DzqklM27試し胴なら江戸時代の記録に幾らでもありそうだが。
0351人間七七四年
2011/11/16(水) 21:27:57.16ID:EIer3m5z0352人間七七四年
2011/11/17(木) 08:43:22.37ID:yT1hPKIqその言はゴボウ剣を装備させた帝国陸軍及び帝国陸軍大元帥に対する批判だな。
0353人間七七四年
2011/11/22(火) 01:30:44.64ID:I6Pi0Jv+その時歴戦が動いた 日本の騎馬武者講座
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16213543
0354人間七七四年
2011/11/22(火) 02:17:08.78ID:G4TrwpSO0355人間七七四年
2011/11/22(火) 11:00:07.93ID:lnFGqgw30357人間七七四年
2011/11/25(金) 20:02:45.64ID:TNZdb2Z/0358人間七七四年
2011/11/28(月) 09:56:48.57ID:lk5cnEIO0359人間七七四年
2011/11/28(月) 10:48:35.60ID:3OrtQZit0360人間七七四年
2011/11/28(月) 13:19:06.34ID:ZcS9/3oE0361人間七七四年
2011/11/28(月) 13:36:22.44ID:mCydlT6C切るものではない
0363人間七七四年
2011/11/28(月) 14:05:14.88ID:27Bx0YYMフロイスも日本人は刺剣を使わないといっている
0364人間七七四年
2011/11/28(月) 16:03:41.50ID:sicpE1pdもともと曲刀だった日本刀だが、
江戸時代後半までに直刀に近い形に変化してしまい、
幕末期には「ほとんど直刀」がデフォじゃなかったっけ。
完全な直刀にはならなかったけど。
フロイスの時代には曲刀が普通だが、
江戸時代に大きく変化した際に、突きという技法が普及したのではないか?
曲→直の変化の原因は突きではなく、騎乗→歩卒ってのが大きいとは聞くが。
0365人間七七四年
2011/11/28(月) 16:06:51.98ID:3OrtQZit竹刀と同じように真っ直ぐな方が扱いやすい、という話。
0366人間七七四年
2011/11/28(月) 17:20:38.59ID:27Bx0YYM江戸時代後期以降の刀は完全に歩兵戦専用
なら突きやすくミートポイントが直線状にある直刀に近い形状になるのも当然
日本剣術は梃子の原理も使うから完全な直剣には無論ならなかったが
0367人間七七四年
2011/11/28(月) 17:31:18.81ID:fZO2HnNA反りが浅くなるのは寛文頃の流行で一過性のものだし
再び反りが浅くなるのはグッと時代が下がって
幕末近くなってからの、やはり短い流行に過ぎないよ。
0368人間七七四年
2011/11/28(月) 18:47:01.29ID:9nDFH6p9戦国時代に関してはそうだね。
鎧の隙間すら脇引や万智羅といった鉄片で塞いでいる鎧武者相手に、
刀では殴るか肘裏膝裏等を斬る他なく、組討して鎧通で止めを刺すことになるだろう。
鎧武者を刀や槍で鋼の鎧をいくら斬っても突いても効果が少なく、なかなか死なないから
槍や剣術を鍛えてもしょうがない、結局組討になるから相撲を鍛えろ
って言ってた書物があったけど何だっけ・・・?
0369人間七七四年
2011/11/28(月) 20:16:15.80ID:Rzk0kcdx気になったんだが
鋼の鎧が話題になる程出回ったなんて、関ヶ原後くらいじゃないか?
戦国時代に鋼の鎧は珍しいんじゃね(南蛮胴だっけ?)
0370人間七七四年
2011/11/28(月) 22:04:56.07ID:3zTXn2TK0371人間七七四年
2011/12/01(木) 21:15:45.78ID:oKn325nw>平安時代も戦国時代も、戦(いくさ)で最も使われたのは、長刀や弓です。
>武士は腰に刀はさしていますが、それは飾りに近い。実戦で使われることは、ほとんどなかったと言っていいでしょう。
>剣術が発達し、刀で斬り合うようになるのは江戸時代に入ってからです。それまでの刀は、美術品の1つとして扱われていました。
>現在も中世の刀が多く残っているのは、美術品だったから。逆に実戦で使われた長刀や弓は、作られた数の割にはそれほど多く残ってはいません。
東大史料編纂所準教授 本郷和人
http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/special/br/index.html
0372人間七七四年
2011/12/01(木) 21:23:09.05ID:T4muH9Ve0373人間七七四年
2011/12/01(木) 21:30:02.60ID:AYVqT1/r0374人間七七四年
2011/12/01(木) 21:55:14.87ID:PRb0ppqa0375人間七七四年
2011/12/01(木) 22:13:56.03ID:XGLBVPV70376人間七七四年
2011/12/01(木) 23:09:09.00ID:mxqV29HO美術品は保存されるものだろ。
本郷さんはなに言ってるんだ。
0377人間七七四年
2011/12/01(木) 23:23:34.49ID:PRb0ppqa言ってるんだろ?
大阪の陣は勘定に入ってるとしても、他は島原の乱くらい?
あとはヘタに刀を抜くとお家断絶もシャレじゃない時代だから、
斬り合いっつーても忠臣蔵くらいでもう幕末まで飛ぶんじゃね。
0378人間七七四年
2011/12/01(木) 23:58:33.82ID:1GvYEPZuただのお飾りなら平安から江戸の幕末まで、形状は変化無しで直刀だったんじゃね?
0379人間七七四年
2011/12/02(金) 00:12:01.43ID:JeDCxwwD間違えた。
0380人間七七四年
2011/12/02(金) 10:13:36.15ID:6jTRKt5kお飾りと直刀の因果関係がわからんw
そもそも、片刃で峰?側と刃側で厚みが違って片側のみ焼き入れしてたら、
大なり小なり反るだろ?
それはそうとして
軍刀で人を切ったことがありそうな世代の爺さんから聞いた話では、
相当に修練を積んだ人間じゃないと何人もは斬れないそうだ。
そういう意味で、大多数ね足軽やなんちゃって武士にとっては、あくまで差し添えだったとしても不思議じゃない。
大体、皮付きの鶏肉はおろか、キュウリや大根でもちゃんと切れないブキッチョの祖先だっているだろw
0381人間七七四年
2011/12/02(金) 15:18:57.80ID:SQXB8Cmw0382人間七七四年
2011/12/02(金) 16:14:17.99ID:TKcjAWhIこのアホ教授は何故雑兵にいたるまでが刀を装備していたのか
何故平安期中期以降の太刀は反りが入っているのか
何故江戸期以前の刀は刃の幅が広いのか考えたことすら無いんだろうなあ。
こんなんが仮にも日本の最高学府の教授やってるとか信じたくねえな。
0383人間七七四年
2011/12/02(金) 16:58:11.86ID:71XrAYaX軍事や戦史が教育研究機関から締め出されている日本で
さらにニッチな戦国時代の戦闘なんて同時代研究者でもこの程度の認識。
言い換えれば狭い専門分野の外はさっぱりというごく普通の学者という事。
0384人間七七四年
2011/12/02(金) 17:02:06.69ID:/gVz9QG90385人間七七四年
2011/12/02(金) 17:07:04.38ID:71XrAYaX0387人間七七四年
2011/12/02(金) 23:53:59.06ID:JeDCxwwD変化には変化する理由というものがあっただろうに。
0388人間七七四年
2011/12/03(土) 17:20:43.02ID:ZuOHjU2r0389人間七七四年
2011/12/03(土) 18:04:51.29ID:Efk2psYd0390人間七七四年
2011/12/03(土) 18:54:45.83ID:ZuOHjU2r0391人間七七四年
2011/12/03(土) 19:01:55.59ID:TmSjE+0Nバカ?
だよな
0393人間七七四年
2011/12/03(土) 21:22:25.84ID:ZuOHjU2rいや〜、鈴木信者ほどじゃないけどね。
0394人間七七四年
2011/12/03(土) 21:53:14.63ID:Efk2psYdそうなん?
まあ最近は四千年くらい前には日本でも既に農業始めてたみたいだしね
0395人間七七四年
2011/12/03(土) 22:49:11.67ID:SG9Iw4T70396人間七七四年
2011/12/03(土) 23:03:50.24ID:bS7/FlxE農業が始まる(縄文農耕説)→水田耕作(弥生早期)、金属器はまだ無い
→青銅器伝来→鉄器伝来(この時点でも日本列島内では銅の産出なし)
という順序ではあったとか言う...
0397人間七七四年
2011/12/04(日) 05:25:53.49ID:L/yXIuJW銅の産出ももっと早い時代だと思ってたんだけど。
0398人間七七四年
2011/12/04(日) 09:49:47.08ID:lPkCTaDG荒金、長登、吹屋、西浦あたりの銅山はそれなりに古いでしょ。
荒金は記録では八世紀末、西浦は和同開珎の銅山、長登は奈良の大仏の銅山。
ただ、足尾銅山や別子銅山のような有名どころは実質江戸時代から。
0399人間七七四年
2011/12/05(月) 05:29:02.37ID:R9L6CPm50400人間七七四年
2011/12/05(月) 08:20:15.68ID:gS8XRXKr0401人間七七四年
2011/12/05(月) 10:54:03.61ID:yrEAY1Tc0402人間七七四年
2011/12/05(月) 21:24:35.70ID:sBR9nOUEだったらなんで形骸化もせず、しまいには戦場に二振りかそれ以上
持ち込むようになったり、抜き打ちしやすい形態に移行していくんだよw
0403人間七七四年
2011/12/05(月) 21:36:20.27ID:THo/F49Z戦場がどうだったかとかの話には一切興味なくて真面目に考えたことないんだろう
0404人間七七四年
2011/12/05(月) 22:32:21.82ID:sBR9nOUEだから狗HKが重用するわけか。
0405人間七七四年
2011/12/06(火) 18:14:54.93ID:aCDhGaAa0406人間七七四年
2011/12/06(火) 21:34:10.09ID:lrKMIm2pNHK的には小和田みたいなポジションなのかね。
0407人間七七四年
2011/12/06(火) 22:26:18.84ID:lrKMIm2p結論に至るのかイミフメだったわ。
0408人間七七四年
2011/12/07(水) 13:51:28.21ID:LzFJGyweそれは例外、で反論するつもりか?
0409人間七七四年
2011/12/07(水) 14:09:03.36ID:Bm/Pj8OG戦国時代の日本は、足軽や雑兵、果ては農民までが全員美術品を所有する
たいへん豊かなじだいでした。明帝国もそれに倣い兵士に美術品を支給しました。おしまい
0410人間七七四年
2011/12/07(水) 15:00:42.25ID:l9SXnmBG0411人間七七四年
2011/12/07(水) 16:52:26.46ID:LzFJGywe明帝国は度重なる倭寇の美術品押し売りに屈したってことかw
0412人間七七四年
2011/12/07(水) 17:52:30.44ID:HMtM8QSu戦国押し売り団の主力商品として美術品持ち歩いてた方が筋は通るw
0413人間七七四年
2011/12/07(水) 20:13:02.27ID:mVm4qQer0415人間七七四年
2011/12/08(木) 13:38:10.50ID:u4ebqFt+それねぇ。高橋さんがNHKの言うこと聞かない?
から聞いてくれる人を入れたとしたら小和田っぽくなるよねぇ。
そうして何気に自分の学説主張したりドラマに挿入したり
すると何かおかしな方向にも行ってしまう。
独自の主張があるというのはわかるのだけどな。
0416人間七七四年
2011/12/08(木) 14:27:29.76ID:40UUhySD来年の大河もろくなドラマじゃなさそうだな。
0417人間七七四年
2011/12/08(木) 18:48:21.94ID:bWBcMcI+0418人間七七四年
2011/12/08(木) 21:06:31.18ID:40UUhySD大河ドラマ「平清盛」放送決定記念講演会
高橋昌明(神戸大学名誉教授、時代考証担当) 平清盛 福原の夢
>脚本家は、朝ドラ「ちりとてちん」の脚本を書いた藤本 有紀さんです。
>起用された理由が群像を描くのに優れているからだそうです。
>実際に会ってみると、「アァァ・・・これは大変だ」と思いました。
>才能豊かな方だとは思いますが、歴史のことに必ずしも詳しくない。
>ということで、果たしてどういう事になりますか?
>ドラマ製作者の名前が出てきますが、そのなかに私の名がなかったら、喧嘩別れして辞めてしまったとお考えください。
0419人間七七四年
2011/12/08(木) 21:17:35.90ID:DquYqvIuいい加減慣れたよ・・・
0420人間七七四年
2011/12/08(木) 21:42:09.40ID:A7UHiOy10421人間七七四年
2011/12/08(木) 22:40:03.05ID:Wmu5ubl6元寇船の発掘を取り上げてたんだが、時代背景の説明で
南宋が滅亡する様子のCGイメージ映像(中国大陸南部が
蒙古の色で一気に塗りつぶされるってやつ)を流してたんだが、
なぜかしっかり朝鮮半島は塗り残してあった。
史実では、南宋滅亡前に高麗は全面降伏しとるんだがなーw
おまけに蒙古は占領した地の兵を次の侵攻の矢面に立たせる
って文脈で、南宋兵が加わっていたことをあたかも新事実であるかの
ように取り上げる一方で、侵攻軍に高麗兵がいたことや船を
高麗でも建造していたことには全く触れずじまい。
やっぱ、半万年の独立国、とやらいう妄想へのNHK的配慮なのかね?
0422人間七七四年
2011/12/08(木) 22:46:31.04ID:8GTlsyW90423人間七七四年
2011/12/08(木) 22:52:47.95ID:dGW+9i8Vわざと船脆く作ってやったニダとか言ってたのに独立国なの?
0424人間七七四年
2011/12/08(木) 23:01:48.30ID:bWBcMcI+0425人間七七四年
2011/12/08(木) 23:19:23.36ID:40UUhySDそもそも日本侵略をフビライに進言したのはどこの国の王様だって話でね。
0426人間七七四年
2011/12/08(木) 23:19:38.43ID:u4ebqFt+おもろい?
0429人間七七四年
2011/12/09(金) 00:27:07.45ID:McdPYiFE「王家」という語自体は問題ないだろ・・・
それ自体は中世にも用例は出てくるし、それを踏まえた学術用語としても
ある程度の地位を築いているわけだし。
学術用語としての用例が適当かどうかという論議はあるにしても、
「王」だから反日、というレベルで脊髄反射して発狂しているネトウヨさんには目も当てられない。
そんなことよりも、今はもう修正されてたけど、平滋子の出自が「武家」になってたりとか、
そういう脇の甘さのほうがはるかに問題だろうと。
>>421
宋の場合は国そのものが完全に崩壊して滅亡しているけど、高麗の場合は
王の贈り名が「忠○王」となるなど、傘下に収まったにしても、一応は国として
存続しているからなあ。
0430人間七七四年
2011/12/09(金) 06:39:14.19ID:pykVf0k8存続してないよ、集史に高麗王は王ではないとあるし
半島には征東行省が置かれ、通称は高麗省、最上位の役職はモンゴル人
政府高官の大半もモンゴル人、高麗人はキタイ人と同じく使いっぱ
あの時代に高麗国は存在していない、当時の地図にも名前無いよ
というか、おまえは在チョン確定だけどね
0431人間七七四年
2011/12/09(金) 07:31:17.58ID:++5l/ZT+恥ずかしい鈴木信者の正体が発覚しちゃたなw
通りでトンでもだと周知されたあとも論拠より願望重視で粘着質に書き込むわけだわ
0432人間七七四年
2011/12/09(金) 07:53:43.53ID:IP4dQZ5g流石にチョン
殺陣師が、経験が無いのと舞台では振り回せないから、
芝居に長刀や槍を使わず、本刀のみでやってるのを真に受けてw
挙げ句にいっぱい持ってたから〜ってw
今、捕まってるどっかの通信高校生と同レベルの奴が多かっただけだろ
0433人間七七四年
2011/12/09(金) 08:37:09.42ID:d3DLGUcb【韓国】キャッチコピー募集中!「もしもまだ韓国に王室が続いていたら…?」斬新な韓国大ヒット王室ラブロマンス間もなく開幕 [12/08]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1323304606/l50
0434人間七七四年
2011/12/09(金) 08:40:37.17ID:d3DLGUcbその舞台では振り回せないってところにまず長物の限界と制約があるよね。
乱戦や狭い場所での戦闘で役に立たない武器ってことだもんな。
美術品だの首取りの道具だのと口やかましく主張するヤツは槍を万能の武器だと
思っているフシがあるな。
0435人間七七四年
2011/12/09(金) 10:36:19.61ID:OxtOHvX6真面目な話、なんでモンゴルが宋みたいに高麗を完全に滅ぼさずに中途半端に残したのかがわからない。
それで何かメリットがあったの?
0436人間七七四年
2011/12/09(金) 10:45:47.21ID:ZW+0esNj0437人間七七四年
2011/12/09(金) 10:58:39.91ID:TD3crTKT高麗王がモンゴル人のケツの穴を綺麗に舐めたから
宋はそれをしなかったから滅ぼされた
0438人間七七四年
2011/12/09(金) 15:02:22.85ID:W9Hlk8ONメリットはあったんじゃないか。
海防とか貿易利権とか。
なにせモンゴルは海が苦手。
それと考え方が長〜〜いスパンだから
単純に「滅ぼしちゃぇ」とか短期的に物事
考えなかったんじゃないかな。
事実上いつでも滅ぼせるから。
0439人間七七四年
2011/12/09(金) 17:33:15.35ID:++5l/ZT+真面目な話、モンゴルは宋みたいに高麗国を完全に滅ぼしたけど
何でチョンは事実を受け容れられないの?
0440人間七七四年
2011/12/09(金) 18:25:09.56ID:nY8FWxrs金や南宋の行政組織や官員や法令は多くがそのまま温存されている
また、朝鮮半島を支配していた行政組織の長官や高官は皆モンゴル人
金、南宋と高麗の違いは、傀儡ですらないお飾りの旧支配家の血筋が残存したかどうかのみ
0441人間七七四年
2012/01/05(木) 19:17:06.93ID:KFw4FSVi0442人間七七四年
2012/01/06(金) 21:28:24.70ID:o8wIJKHg大分遅れてるらしい)、関ヶ原合戦絡みの話でかの本郷準教授登場。
で、松尾山の現在の登山道の道幅基準に、これでは4人が並ぶのがやっとだから
小早川勢の隊列が4キロだか6キロだかになるので、小早川勢1万2千を大谷勢6百で
防げたとかいう新説を拝聴w
あと、徳川勢の火縄銃がたったの5百挺とかいうのも出所が謎だったな。
0443人間七七四年
2012/01/15(日) 23:03:06.48ID:9Z60DJUT言われてみればそのとおりだな。川中島の妻女山みたいだ。
妻女山の山道は険しくて、大軍の移動は不可能とのことだ。
松尾山の小早川勢は、領地の石高からみて、1万2千もいなかったらしい。
0444人間七七四年
2012/01/15(日) 23:06:12.47ID:9Z60DJUTこれは話題にあまりあがらないところをみると、内容はイマイチらしい。
0445人間七七四年
2012/02/12(日) 22:07:45.91ID:o2v6x/GU0447人間七七四年
2012/02/16(木) 00:23:14.07ID:SD5msFnb【ドラマ/視聴率】NHK大河ドラマ「平清盛」平均視聴率13・3% 第6話で一気に下落★5
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1329289623/l50
0448人間七七四年
2012/02/16(木) 10:25:33.62ID:uUfSERUJここじゃ板違いだし。
0449人間七七四年
2012/02/16(木) 20:48:07.74ID:pG/SO8820450人間七七四年
2012/02/16(木) 21:15:09.43ID:Wrgh5z/H0451人間七七四年
2012/02/16(木) 23:15:29.63ID:wZK5cpTF蓋を開けたら相変わらずのジャップドラマだった、王家王家うるせーし
0452人間七七四年
2012/02/16(木) 23:39:50.31ID:p1PGGe7Z突然王家を連呼し過ぎる辺り、皇室を貶める以外の何物でもない
0453人間七七四年
2012/02/17(金) 14:38:23.42ID:tepokfH0天皇家の犬がー
だとちょっと語呂悪いけど
0454人間七七四年
2012/02/17(金) 14:42:05.46ID:R/wZ2azV0455人間七七四年
2012/02/17(金) 14:46:41.00ID:VEoleFzC帝の犬とか何たら院の犬とかになるんじゃないかな?
当時の皇族を天皇家とか王家とかで括るには範囲が広すぎないかなぁと思わんでもないけど。
0456人間七七四年
2012/02/17(金) 15:41:12.31ID:URsNApAOチョンに乗っ取られた犬HKはいずれ皇室を王室に格下げした呼び方に代えたいため
0457人間七七四年
2012/02/17(金) 18:53:23.57ID:va75eu05差別主義者が何を言っても説得力なし。
0458人間七七四年
2012/02/17(金) 18:54:24.80ID:kCn2v81o0459人間七七四年
2012/02/17(金) 19:02:52.12ID:jK0eaJES歴史捏造主義者の在チョンは国籍を持ってる国へお帰りw
天皇の一族を王家と呼ぶこと自体は、当時そう呼ばれていたから問題無い
問題は王家の犬という時代背景を完全に無視した、当時としてはありえない誹謗中傷と
宋では日本刀が利器として装飾品として持て囃された史実に真っ向から刃向かい
何故か宋代には作ってもいない宋剣を、銘刀以上に価値ある宝として持ち出していること。
まあ、糞チョン乙としか言いようがない
0460人間七七四年
2012/02/17(金) 19:05:44.16ID:kaxF43qWあ、この書き込みにもレスするなよ。気持ち悪いから。
0461人間七七四年
2012/02/17(金) 19:22:48.61ID:rTekAric0462人間七七四年
2012/02/17(金) 19:33:08.37ID:KO2UIRSHしらっとデタラメこいてるなw
0463人間七七四年
2012/02/17(金) 20:36:24.51ID:rTekAric日本人相手にチョン語でチョッパリと罵倒するようなもので、何の効果も無い
0464人間七七四年
2012/02/17(金) 21:27:09.87ID:va75eu050465人間七七四年
2012/02/17(金) 22:13:19.72ID:rTekAric0466人間七七四年
2012/02/17(金) 22:55:58.78ID:va75eu05お前がネトウヨなのだよ。
0467人間七七四年
2012/02/17(金) 23:20:39.40ID:R/wZ2azV0468人間七七四年
2012/02/18(土) 03:12:48.27ID:W98i5PNh0469人間七七四年
2012/02/18(土) 05:41:21.94ID:nmr15iYa天皇一族を指して王家は使用例もあるけど、王家の犬云々は在チョン丸出し
宋の宝剣に至っては糞チョン死ねよとしか言いようがない。
0470人間七七四年
2012/02/18(土) 09:58:29.93ID:FjFr4LaM0471人間七七四年
2012/02/18(土) 11:56:58.38ID:W98i5PNh0472人間七七四年
2012/02/18(土) 12:23:02.82ID:vlyR/FUI0473人間七七四年
2012/02/18(土) 15:00:23.03ID:lHP6L1tu0474人間七七四年
2012/02/18(土) 15:45:38.72ID:e+SbgcIr0476人間七七四年
2012/02/19(日) 10:33:42.29ID:/0xEPBUT0477人間七七四年
2012/02/19(日) 10:37:30.11ID:sH2ik164そこは普通に朝廷の犬とか宮中の飼い犬とかでええやん。
あるいはお上の犬とかさ。
0478人間七七四年
2012/02/24(金) 19:19:56.18ID:XxF615lE0479人間七七四年
2012/02/24(金) 19:56:00.29ID:XLWfWHHa0480人間七七四年
2012/02/25(土) 20:04:20.68ID:QgPQ5vQB0481人間七七四年
2012/02/26(日) 10:22:26.09ID:BudT67GS0482人間七七四年
2012/02/26(日) 13:34:51.24ID:XVOeJZQhいい加減なのはお前だ。
0483人間七七四年
2012/02/26(日) 21:04:38.24ID:Negy27xOタイトルとは無縁の内容だな
>>1 は何してんだ?
0484人間七七四年
2012/02/26(日) 22:46:17.04ID:K3EG6y+u0485人間七七四年
2012/02/27(月) 18:33:12.70ID:mGG2Nbew0486人間七七四年
2012/02/28(火) 02:05:38.18ID:SKFb7trY0487人間七七四年
2012/02/28(火) 02:08:31.97ID:0igVvK5a0488人間七七四年
2012/02/28(火) 02:39:50.35ID:gcO1gGr40489人間七七四年
2012/02/28(火) 08:55:12.50ID:LRMH0eQyあとはニュース系の板。
武道系のところにもいるな。
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jyudo/1172343788/724
0490人間七七四年
2012/02/28(火) 20:17:32.32ID:0c1hKzDm0491人間七七四年
2012/02/28(火) 21:28:54.96ID:kxBgiv7x0492人間七七四年
2012/02/29(水) 03:04:35.74ID:cYkLBNWU戦国板の前進である三戦板においては、10年くらい前は鈴木説は常識のように語られてたよなあ。
当時は騎馬武者の「き」の字が出ただけでバカにされる風潮があった。
当時したり顔で語ってたアホなコテハン達は元気でやってるかな?
0493人間七七四年
2012/02/29(水) 03:12:23.93ID:iOPsajJ/そういうのが2ちゃんで跋扈するのもしょうがなかったわな
0494人間七七四年
2012/02/29(水) 03:24:48.63ID:0qlD11An鈴木・藤本説が失墜したのは「騎馬隊」を指定しようとしたあまり、
馬高に対する誤解など馬について無知なことをさらけ出したこと、
軍忠状の研究は実は先行研究があり、それをまんまパクったことがバレたこと、
軍忠状から「遠戦志向」とかいうトンデモを大々的に言い始めて
袋叩きにあったことなどが原因かな。
結局、言い過ぎで墓穴を掘ったわけで、「やり過ぎに注意」というのが教訓として残ったw
0495人間七七四年
2012/02/29(水) 07:45:55.04ID:nnQMeK/p0496人間七七四年
2012/02/29(水) 13:41:10.67ID:YwqEGyZR◇ 和種馬の体力
和種馬はその小柄な体型から甲冑武者を乗せるとよたよたとしか走れない、
と誤解されていますが、約3.5kmをノンストップで速歩、駈歩で問題なく
走り続けられることを確めました。機会があれば何処まで走り続けられるか
確認してみたいと思います。
↑そんな誤解を一体誰が広めたんだ?
0497人間七七四年
2012/02/29(水) 15:47:42.83ID:SFAwFZ0W0498人間七七四年
2012/02/29(水) 18:30:21.36ID:pkjsppfYしかしそのサイトも、実際の自分達の知見によるという点は評価できるけど、
和馬の耐久力の検証は整地された平坦地である馬場でのものだろうし、
上の鎧の機能の検証にせよ、限定的な範囲でのかなり独善的なものでしか
ないというのもまた事実のような稀ガス。
0499人間七七四年
2012/02/29(水) 23:51:36.87ID:cYkLBNWU実はその人は「馬上では直槍じゃないと扱い辛い」と言っただけで
「馬上で槍は使わない」=騎馬武者なんて居なかったとは一言も言ってないというオチ
0500人間七七四年
2012/03/01(木) 10:12:10.52ID:SDL5RWcP例のNHKの実験に対する最低限の反証ってところじゃないかな?
0502人間七七四年
2012/03/02(金) 01:14:18.27ID:fd6kDmRk突っ込まれると用意していた逃げ道を出して、
否定してませんよ、よく読んでください(笑)。だから、なお悪いわ
0503人間七七四年
2012/03/02(金) 10:08:18.28ID:AfIjpUSgにも関わらず別のところでは在来馬はポニーで甲冑武者を乗せるとトコトコとしか
走れず騎乗戦闘など実用的ではなかったとか言い出す。
つじつまがあってなくてもセンセーショナルな主張をして注目さえ浴びればいいってことなんだろうな。
0504人間七七四年
2012/03/02(金) 11:37:03.47ID:bkPzyo+3本来、それぞれが並立し得ない相反する論理が併記されてるから
一つの主張に突っ込まれたとき、逃げ道になるという仕組み。
0505人間七七四年
2012/03/03(土) 01:05:11.71ID:/d3mP6au軍団制が廃れてからは、南北朝期までの400年間、騎射戦が主流だったわけだ。
0506人間七七四年
2012/03/03(土) 08:03:37.29ID:YcM6bo13手練の武士なら十分足らずで射尽くす。
代替の矢を持ってもどれだけ続けられるのか。
0507人間七七四年
2012/03/03(土) 08:42:39.25ID:IvOEM4/9機動力自慢の弓騎兵が停止し続けて射る計算ですか?
0508人間七七四年
2012/03/03(土) 10:00:16.14ID:YcM6bo130509人間七七四年
2012/03/03(土) 10:17:35.55ID:PPK6lm3/鉄砲でも一戦闘で携帯する弾はそのくらいだし
0510人間七七四年
2012/03/03(土) 11:29:37.14ID:YcM6bo130511人間七七四年
2012/03/03(土) 11:45:22.60ID:IvOEM4/9普通に考えりゃそうだよなあ。
流鏑馬とか見てそのペースで射続けるとか勝手に考えてるらしいから。
0512人間七七四年
2012/03/03(土) 17:02:09.60ID:YcM6bo13鈴木のバクリ元のトーマス・コンラン氏の南北朝期の軍忠状の研究じゃ、南北朝初期の方が白兵戦での負傷率が高い訳だし。
こっちは南北朝期が35%くらいで後期は20%弱になってる。
鈴木はまとめて戦国時代のは30%程度にしているけど、こっちのを参考にすると20%弱。
騎射メインだろうと言っても白兵戦発生率はそれなりに高くないとなw
まあ、城塞等の防御設備の進化と優劣や野戦発生率、軍の規模拡大による戦闘参加率の変化とか素人には分かりかねる要素も多々あるだろうがな。
鈴木風に書けば、騎射メインの源平合戦の白兵戦での負傷率は、戦国時代のそれの約二倍。
そういうこと。
0513人間七七四年
2012/03/03(土) 17:11:24.16ID:PPK6lm3/0514人間七七四年
2012/03/03(土) 17:47:47.15ID:ICeLPw3q源平合戦と南北朝期じゃ違うだろうにw
0515人間七七四年
2012/03/03(土) 17:55:47.66ID:/d3mP6au戦国時代に至っては、騎射は廃れほぼ馬上槍が騎馬武者の武器になっている。
0516人間七七四年
2012/03/03(土) 18:11:39.31ID:d3IfXbpH軽装の足軽に射させた方が遠くまで届くし威力もデカいって気付いたからだよ(´・ω・`)
0517人間七七四年
2012/03/03(土) 18:27:34.90ID:IvOEM4/90518人間七七四年
2012/03/03(土) 20:04:40.69ID:ho1A3f3c万石も無ければ、将軍にも媚びない喜連川氏
1万500石でも苗木城持ち遠山氏(金さんの親類)
家光側室の町人だった増山氏 米が取れない松前氏など
【陪臣・喜連川ほか】 「小大名」スレ 2 建てました
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329412330/l10
0520人間七七四年
2012/03/03(土) 21:15:47.36ID:hhgwi742歩射も多かったんじゃなかったっけ?
0522人間七七四年
2012/03/04(日) 09:44:42.05ID:kQ5tqNoU0523人間七七四年
2012/03/04(日) 15:40:38.64ID:SLYAa+tIこれもサラブレッド厨の馬鹿が広めようとして失敗した俗説の一つでしょ
馬上で刀剣を扱うには相当な腕力がないと無理だと、近藤氏が言うように
打物騎兵にも狩猟を基本とした騎射とは別次元の技量は必要だから
0524人間七七四年
2012/03/04(日) 15:58:24.32ID:LPu6nWpVそこが一番の疑問だわ。
社会基盤が変わって、動員兵力と歩兵の割合が増えたから
打物騎兵や長槍がメインになったのはわかるけど
弓騎兵自体は補助部隊としてその後も生き残りそうな気はするんだがなあ。
>>516
源平の頃には既に歩兵にも弓持たせて矢の撃ち合いしてたけどね。
0525人間七七四年
2012/03/04(日) 16:11:37.38ID:/pMioptG機動力を有効に使える地形自体が少ないからな
0526人間七七四年
2012/03/04(日) 16:16:02.84ID:/pMioptG別に弓騎兵自体が死んだわけではないと言えるんじゃね
0527人間七七四年
2012/03/04(日) 17:02:40.02ID:kQ5tqNoU騎射は騎射でも鉄砲の騎射が。
0528人間七七四年
2012/03/04(日) 18:32:21.78ID:F+0kAjhF戦闘単位としての弓騎兵は廃れてしまった形になったけど、流鏑馬笠懸犬追物と騎射ものはその後も一応は残った形だよね。
0529人間七七四年
2012/03/04(日) 21:07:40.50ID:hwB1rn7l家康が三方ヶ原の退却の際に騎射で敵を打ち倒したとかなら知ってるが
他にどんなのがあるだろうか?
0530人間七七四年
2012/03/04(日) 21:11:01.49ID:hwB1rn7lこの真如堂縁起が描かれた大永四年ころはまだ騎射は一般的だったのかな?
それとも過去の合戦(応仁の乱)ってことを意識して騎馬武者に弓を持たせてるんだろうか?
0531人間七七四年
2012/03/04(日) 22:03:57.81ID:z1dbpBgdこれは城郭などの防御側の発達への対応が大きいとも。
0533人間七七四年
2012/03/04(日) 23:03:36.79ID:hwB1rn7lhttp://blog-imgs-16.fc2.com/t/e/i/teitodennoumou/20071207163240.jpg
>>532
なるほど。でも三方ヶ原の家康以外に戦国後期で史実性のありそうな
騎射エピソードってないものかね?
0534人間七七四年
2012/03/05(月) 06:12:48.11ID:CTcSNKr40536人間七七四年
2012/03/05(月) 08:30:32.99ID:UvarPcWC0538人間七七四年
2012/03/05(月) 13:40:47.32ID:j7OAs/RI後ろ向きに射る流鏑馬なんてあるの?
0539人間七七四年
2012/03/05(月) 13:51:38.66ID:1hfdUHya室町までの姿とはだいぶ違うらしい。犬追物や笠懸みたいな実技じゃなくて神事でもあるし。
0540人間七七四年
2012/03/05(月) 20:25:42.24ID:j7OAs/RIで、パルティアンショットのように後ろ向きに射る流鏑馬はあるの?
0541人間七七四年
2012/03/05(月) 20:42:09.15ID:1hfdUHya0542人間七七四年
2012/03/05(月) 20:59:06.39ID:j7OAs/RI0543人間七七四年
2012/03/05(月) 21:05:00.63ID:1hfdUHya0546人間七七四年
2012/03/05(月) 21:48:40.76ID:zeGrHeL7おし‐もじり[:もぢり]【押捩】-日本国語大辞典
〔名〕犬追物、遠笠懸けなどで、馬上でからだを後方にねじ曲げること。
また、その姿勢で矢を射ること。
*太平記〔14C後〕八・四月三日合戦事「あひの鞭を打ちて、押しもぢりにはたと射る」
武技としてあるんだから、流鏑馬は犬追物、笠懸より儀式的な要素の強いとは言え、
やってても特に不思議じゃないだろ。
ちなみにオレも>535じゃないぞw
0547人間七七四年
2012/03/05(月) 21:50:14.92ID:zeGrHeL7×儀式的な要素の強いとは
○儀式的な要素の強いものとは
0548人間七七四年
2012/03/05(月) 22:01:55.50ID:j7OAs/RIそりゃ悪かった。
>>545
その史料の名前を教えてほしいわけだが。
>>547
でも的はどんな風に設置するんだ?
こっちもパルティアンショット的な戦法を日本の武士が行ったことは別に否定してない。
ただ、流鏑馬でやったと言われると具体的にどうなのか気になるわけよ。
0549人間七七四年
2012/03/05(月) 22:33:54.48ID:qbbPtKDb0550人間七七四年
2012/03/06(火) 09:08:21.57ID:++e78+uq横からだがこれとか参考になる?
ttp://www.city.kobe.lg.jp/information/institution/institution/document/genpei/bugu/bu_sentou.html
0551人間七七四年
2012/03/06(火) 09:29:36.98ID:++e78+uqttp://www.yabusame.or.jp/html/t_syahou_J.html
0552人間七七四年
2012/03/06(火) 10:53:38.85ID:6rspkhEmそれを書いている近藤先生の『弓矢と刀剣』という本が手元にあって
押捩りの記述はあってもその訓練法は書かれていないことも確認してある。
P183〜P184の「さまざまな騎射」。
こっちが聞きたいのは流鏑馬で後方に射る訓練とはいったいどのようなものか、
それを示す史料はあるかということ。
でもどうやら>>535の飛ばしみたいだな。「らしい」とか最初から逃げ道作ってるし。
0553人間七七四年
2012/03/06(火) 15:55:09.81ID:RL77yoMh「和弓は馬上では大陸の弓と違って真横、それも左向きにしか射られない糞仕様」
という「通説」は完全に誤りだと言うことはわかるな。
俺もわざわざ好き好んでパルティアンショットしてたとは思わないけど。
0555人間七七四年
2012/03/06(火) 18:04:25.67ID:5+yL6dto0556人間七七四年
2012/03/06(火) 18:29:46.54ID:GxzCJKfPhttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/18/The_Siege_of_Osaka_Castle.jpg
下部中央にパルティアンショットの騎馬武者が描かれている
その他、騎馬戦闘や刀で戦闘する様子が多数描かれている
0558人間七七四年
2012/03/06(火) 20:17:00.04ID:6rspkhEm合戦がなくなって久しい泰平の世の人間が想像で描いた合戦ってわけではないしね。
あんまりじっくり見たことなかったから騎射があったことは完全に知らなかった。
つか、よく見つけたもんだ。
0559人間七七四年
2012/03/06(火) 20:24:26.85ID:kTSCmm680560人間七七四年
2012/03/06(火) 20:43:32.63ID:aDqn2egLそれって弓道の型から外れてるから駄目って話ってだけじゃない?
弓術ならそれなりにいろんな射ち方があると思う
0561人間七七四年
2012/03/06(火) 21:39:27.47ID:k+PBAVe3通説でも何でもない。15年以上前に馬鹿が垂れ流したただの珍説
近藤氏らによって完全に一蹴されてる
0563人間七七四年
2012/03/07(水) 01:17:20.94ID:8FbG+aDlと言うか普通に考えて「じゃあなんでそんなクソ仕様の弓を使っていたのか」って疑問に思い当たらないのかな。
0564人間七七四年
2012/03/07(水) 08:34:59.13ID:EfJTpZU40565人間七七四年
2012/03/08(木) 21:50:31.36ID:aEzm1LlQそういや我らが鈴木も防衛庁出身とかでまんざら無関係というわけでもないな。
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1317279982/l50
0566人間七七四年
2012/03/08(木) 22:33:06.58ID:ECx7x0q70567人間七七四年
2012/03/08(木) 23:49:11.25ID:rXdgE1kVなんか歪な流れだな
0568人間七七四年
2012/03/09(金) 00:35:21.82ID:/taBiBz+0569人間七七四年
2012/03/09(金) 10:51:30.24ID:4ZdEcZvjいらないなら無くなるわな。
0570人間七七四年
2012/03/09(金) 11:06:48.30ID:9bSJpHyb0571人間七七四年
2012/03/09(金) 11:12:47.73ID:xutQ4l4K751 :名無し三等兵:2012/03/09(金) 06:59:52.78 ID:???
足軽に日本刀は不要なのさ
秀吉は短槍を持たせて突くより振り回せと教えた
普段は百姓、毎日修練積んでるわけじゃない
最強の足軽になりてぇと思った足軽がいた=武蔵は日本刀での戦闘を極める
0572人間七七四年
2012/03/09(金) 11:18:07.42ID:9bSJpHyb0573人間七七四年
2012/03/10(土) 19:43:32.63ID:5+KAS7a0万石も無ければ、将軍にも媚びない喜連川氏
1万500石でも苗木城持ち遠山氏(金さんの親類)
家光側室の町人だった増山氏 米が取れない松前氏など
【陪臣・喜連川ほか】 「小大名」スレ 2 建てました
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329412330/l10
0574人間七七四年
2012/03/10(土) 20:57:34.08ID:PjNzrYtX冤罪で無期限ブロックするから触らぬが吉
0575人間七七四年
2012/03/12(月) 00:29:58.98ID:3T34Ul0S鎧着てた時代に切れ味の良さに主眼を置いて作られた
言ってみりゃ打刀と同じ目的で作られた刀剣があるのに
なんで日本刀だけ鈴木説みたいな珍説が出てくるんだろうね?
やっぱ大戦中の軍刀と日本刀に関するいろんな話(真実かデマかわからんが)も背景にあるんかね?
ほらよくネットで見かけるじゃん。「うちの祖父から聞いた話なんですが実は日本刀は云々」みたいなの。
和包丁や日本の冶金技術の高さを考えると日本刀がポンコツだったとは思えないがね。
0576人間七七四年
2012/03/12(月) 02:08:56.98ID:k4LMrrhX0577人間七七四年
2012/03/12(月) 08:16:20.22ID:ynT+RP3Q0578人間七七四年
2012/03/13(火) 06:50:01.06ID:Y7SQL1SC0579人間七七四年
2012/03/14(水) 15:18:50.04ID:kV2Jn7DI火繩銃と三八式歩兵銃くらいには関係あるんじゃね?w
0580人間七七四年
2012/03/14(水) 15:23:28.14ID:gOeel7V30581人間七七四年
2012/03/15(木) 05:52:33.25ID:UL1dW9o00582人間七七四年
2012/03/15(木) 14:49:12.68ID:fD4xG8np0583人間七七四年
2012/03/15(木) 14:50:04.66ID:f0QIPCPK0584人間七七四年
2012/03/15(木) 16:25:24.29ID:5WfoR8PT0585人間七七四年
2012/03/16(金) 19:42:15.46ID:vvMjS80l何かの漫画にでも出たのかな?
木刀って真剣よりも怖いよな
http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1331889016
0586人間七七四年
2012/03/16(金) 20:43:43.70ID:9tiX+6YN悪いこと言わないからやめとけ
0587人間七七四年
2012/03/16(金) 20:46:27.30ID:5ZZCDHye業者のアンケートスレなんじゃないかと思うけど。
0588人間七七四年
2012/03/16(金) 20:54:29.23ID:9tiX+6YN0589人間七七四年
2012/03/16(金) 22:19:12.05ID:5ZZCDHye業者ってのは刀剣商とかじゃなくて転載目的のアフィブロガーのことよ。
スレタイで「日本刀ってどうなの?」とか釣っておいて誘導したレスを
さらに自分の都合のいいように編集してブログに転載するだけのお仕事です。
0590人間七七四年
2012/03/16(金) 22:45:05.23ID:7nW6vYgj間違い無く刀を打つより遥かに製作コストが安くて済む木刀や鉄棒を携帯してただろうがw
そうじゃない時点で刀は少なくとも木刀や鉄の棍棒よりは遥かに役に立つ武器と見なされてたって事だろw
それともシグルイの権佐右衛門が持ってるカジキマグロでも使ってたのかよwwww
0591人間七七四年
2012/03/16(金) 22:58:30.01ID:qtH2ljfzきっちり訓練積んだレベルなら木刀や鉄棒でも殺傷力は出せるけど
普段農耕やってる人間にそれをやれといっても無理w
そんな訓練をしなくてもそれなりの殺傷力をもてるのが刀剣のいいところだw
0592人間七七四年
2012/03/16(金) 23:25:15.96ID:7nW6vYgj刀使った方がより効率的に人殺せるしなw
0593人間七七四年
2012/03/17(土) 00:16:59.84ID:Qa6GQjEhどちらが勝つかって話だよな
0594人間七七四年
2012/03/17(土) 00:24:23.19ID:grxf51d40595人間七七四年
2012/03/17(土) 01:56:30.67ID:RBJC/svbまぁ、鍬や鋤の重量のある打撃を御貸しのナマクラ刀でしのぐのは至難の業だろ。
逆はアリだろうが。
0596人間七七四年
2012/03/17(土) 01:59:06.90ID:74hlz0N3剣道やってて鍔迫り合いになったときとかこれ真剣だったら勝ってもズタボロだなー
ってよく考えたわ
0597人間七七四年
2012/03/17(土) 02:09:59.70ID:grxf51d40600人間七七四年
2012/03/17(土) 02:31:52.86ID:74hlz0N3軸棒にそって刀滑らされると指斬り落とされて負けだな
0601人間七七四年
2012/03/17(土) 08:22:45.21ID:EiUdf+NFその「重い一撃」にはそれなりの予備動作も必要なわけだし。
0603人間七七四年
2012/03/17(土) 09:03:53.57ID:grxf51d4鍬や鋤の一撃を受け止めたらそうなったの?
それとも無闇やたらに力任せに甲冑に斬りつけてそうなったの?
0604人間七七四年
2012/03/17(土) 09:18:16.23ID:6f/yOTG/ttp://yoshiok26.p1.bindsite.jp/bunken/cn14/pg516.html
>刀を抜て敵の手と足をねらつて切めされい。
>真向をぶてば、鈍物は鍋の釣の様になるべい。
0605人間七七四年
2012/03/17(土) 09:31:43.95ID:ygtTVxkz0606人間七七四年
2012/03/17(土) 09:53:35.75ID:EiUdf+NFこれ見る限りでは標準的な鍬の柄は三尺。
定寸の刀が刃渡りニ尺三寸+八寸なので単純な長さでは互角だが、重心の関係上刀のように
柄の端を両手で持つ持ち方が難しく、長柄のように持つ事になる鍬は実際のリーチでは劣るんじゃないのか?
http://www.nagainokuwa.com/kuwa/
0607人間七七四年
2012/03/17(土) 10:43:00.45ID:grxf51d4甲冑相手に無闇やたらに真ん前からぶったたいたらダメですよってことだろ?
そんなん当たり前じゃん、何のための糞重い鎧着てるんだよw
0609人間七七四年
2012/03/17(土) 20:10:09.69ID:EiUdf+NF3.2尺が一番多かったから大体の意味で書いたんだが。
刀の方だって足し算すれば三尺一寸になるけど端数で競ったってしょうがないし。
0610人間七七四年
2012/03/18(日) 11:35:20.59ID:5NqUAVpjそもそも参照するサイトを間違えてるだろ。
使った経験がないのだろうが、柄長90cmの鍬なんかは中腰の
細かな作業用やら家庭菜園やら用で、立ち姿勢で田畑の耕作に
使うようなのは当然1mを超える。
ttp://www.hounen.com/engei/engei-07.html
0611人間七七四年
2012/03/18(日) 12:49:05.35ID:62j2u44E越えてるものばかりではないですか。
0612人間七七四年
2012/03/18(日) 14:10:28.95ID:FyefHfRA倒れた鎧武者にとどめさすにはよさそうだけど
0613人間七七四年
2012/03/18(日) 15:27:34.79ID:5dBt3h8Oもしかして韓国人並に数字に弱いのかな? >一メートルを五ミリも越えてるものばかりではないですか
0614人間七七四年
2012/03/18(日) 16:48:01.18ID:V+34L8HDいちいちこういうこと書いてやらんと何一つまともに理解できないのか?w
0615人間七七四年
2012/03/18(日) 20:01:26.10ID:DLPcaB3o室町時代の土一揆では殆どの農民が刀などを装備してたのを考えても
農具のが刀より役に立つってのは無いだろう
0617人間七七四年
2012/03/19(月) 05:08:19.45ID:D5sQuySM0618人間七七四年
2012/03/19(月) 12:07:35.52ID:88X+ALV90619人間七七四年
2012/03/19(月) 13:31:15.29ID:vOA/LwOr0620人間七七四年
2012/03/20(火) 08:02:13.41ID:3g1qQ0Ku竹槍で落ち武者狩りとかどうなんだろう?
0621人間七七四年
2012/03/20(火) 08:49:10.28ID:DkRnLwtW百姓の竹槍程度でも簡単に負けるらしい
0622人間七七四年
2012/03/20(火) 11:40:11.58ID:3g1qQ0Ku0623人間七七四年
2012/03/20(火) 22:42:12.14ID:yfQ7cepS0624人間七七四年
2012/03/20(火) 23:35:53.26ID:gcVhx78f0625人間七七四年
2012/03/21(水) 00:25:07.08ID:k8m2M/Kvわざわざ竹槍なんか使わなくても。
合戦があった場所に行けば槍の先端部なんていくらでも落ちてるだろ。
0626人間七七四年
2012/03/21(水) 02:02:46.44ID:FBESue8dバカ丸出しだぞw なんで矛じゃなく鑓なのか考えてみような。
0627人間七七四年
2012/03/21(水) 08:05:19.42ID:s/1oHk8jなんで替えの鑓が用意されるのか考えてみような。
0628人間七七四年
2012/03/21(水) 08:31:25.20ID:UPZIzV/y日本刀の戦場での使用方法のひとつに槍の穂先を切り落とすってのがあったわけだから、激しい戦闘が行われた場所なら、そうやって破損させられた槍の残骸見つけることもそう難しい話しではないだろうかと。
0629人間七七四年
2012/03/21(水) 10:35:28.08ID:H1/IgiYH0630人間七七四年
2012/03/21(水) 13:07:48.27ID:FBESue8d折れないとは言うておらんが、替え鑓のある名のある武士ならともかく、足軽が鑓が
途中で折れたら単なる棒棒と化した手元の柄と、鑓先(しかもかなりの柄付き可能性大)の
どちらを持ち運ぶかを考えてみような。
>>628
切り落とされないために鑓は茎が少なくとも刀身と同等、普通は2〜3倍あるわけだが。
袋鑓や茎の短かった鑓の発生初期ならともかく、茎ごと刀で切り落とすなんてのは非常に
困難だし、そもそも刀で鑓と渡り合うなんてのはすでに危機的な状況だろ。
0631人間七七四年
2012/03/21(水) 13:10:20.38ID:FBESue8d大事なことなので、じゃなく単なるペーストミス。
0632人間七七四年
2012/03/21(水) 14:06:05.29ID:s/1oHk8j>流祖・佐々木哲斎徳久は槍の名手であり、関ケ原の戦いにおいて、九尺の槍を使い激戦中槍先が折れ、柄をもって奮戦。
持ち運ぶのは棒棒ですね、わかります。槍足軽だって穂先がついた短い鑓でなく
号令に合わせて叩く戦術のために長い柄を選ぶだろうよ。
0633人間七七四年
2012/03/21(水) 14:22:59.47ID:FBESue8d勇敢に戦った足軽が前世なのはよくワカッタ
0636人間七七四年
2012/03/21(水) 14:50:15.58ID:FBESue8dそれはあるなw じゃ、632の前世はそれということで。
しかしまぁ、手柄もあげずに鑓先だけ無くして帰りゃ、殿様なり御館様なりに
どやされるのは必定なので、三八式歩兵銃ほどじゃないにせよ、鑓足軽も
折れた鑓先は探して持って帰ったんじゃないかね?
0637人間七七四年
2012/03/21(水) 14:58:52.63ID:gbl1YI+d0639人間七七四年
2012/03/21(水) 15:55:10.81ID:s/1oHk8jお前の説だと鑓を折った足軽は少し柄のついただけの穂先を持って何してるのかね?
武器無くしたことを怒られるのを防ぐため穂先を持ってそのまま本陣に撤退?
それと槍の折れた足軽はすべて探して回収?
一刻を争う戦場で何バカなこと言ってるんだ?つかいきなり前世とかわけわからんこと言い出して
なんか薄気味悪いわw
0640人間七七四年
2012/03/21(水) 21:31:59.54ID:FqQjEy77要は戦場稼ぎと同じ要領だろう?
問題があるとすれば、他の戦場稼ぎの縄張り絡みの利権争いだろうがな。
0641人間七七四年
2012/03/23(金) 23:59:18.45ID:Vd0rDICZ刃物部分を戦場とかで拾ってそれを適当な棒に繋ぎ合わせた簡易な槍が存在してもおかしくない。
0642人間七七四年
2012/03/24(土) 00:15:01.14ID:fl4hPyXn農村でもちゃんとした武器を山ほど持ってた時代。
0643人間七七四年
2012/03/24(土) 01:17:52.23ID:bUQ5Oc/60644人間七七四年
2012/03/24(土) 08:36:46.35ID:sbmYM6C0普通に刀、槍、鉄砲で武装しておる。
0645人間七七四年
2012/03/24(土) 08:59:52.41ID:dpTKRXsO・関白のこれらの役人が徴収した刀・脇差・槍・鉄砲・弓・矢は、長崎の村で発見されただけでも、
刀剣が四千振り、槍が五百本、弓が五百張以上、矢は無数、鉄砲三百挺、および鎧百領以上(に達し)、
有馬領からは、一万六千以上の刀剣と、その他無数の武器が(徴収された)。
0646人間七七四年
2012/03/24(土) 09:20:04.12ID:sbmYM6C0そりゃ天草一揆の結果としての武器没収だろ。
それにそれだけやっても島原の乱じゃみんな武装してるし。
0647人間七七四年
2012/03/24(土) 13:48:08.44ID:a/kwAmV90648人間七七四年
2012/03/24(土) 17:02:11.77ID:sbmYM6C0天草国人一揆 :天正17年(1589年)
秀吉が関白位を秀次に譲り太閤となる :天正19年(1591年)
何か問題が?
0649人間七七四年
2012/03/24(土) 17:32:42.30ID:fl4hPyXn勘違いする人も居るだろう
0650人間七七四年
2012/03/24(土) 17:45:05.34ID:fl4hPyXn研究者が刀狩に「農村の武装解除」という言葉を当ててるから勘違いされるわけで
(勘違いしてる研究者もちらほら居るけど)
武装権を剥奪されてる訳ではないので、
実態は「農村の軍縮」であった。とすれば理解しやすいやね
0651人間七七四年
2012/03/24(土) 18:17:05.46ID:dpTKRXsO問題があるとすれば、フロイスはこの段において秀吉が関白ではなかった1592年のことであろうが
関白と呼んでいることと、>>645の武器没収が>>646のいう天草一揆の結果ではないってことかな。
中央公論社版フロイス日本史の182〜183に載ってるからちゃんと自分で見てみるといいよ。
0652人間七七四年
2012/03/24(土) 18:17:50.78ID:dpTKRXsO0653人間七七四年
2012/03/25(日) 07:53:27.18ID:TCC+JbNa0654人間七七四年
2012/03/26(月) 11:36:42.76ID:DwWnvvex江戸中期以降も数十万丁の鉄砲が民間にあったよ
主に農家の防獣駆除でね。
対馬藩など百姓に火縄銃を持つよう奨励していたところもある。
0656人間七七四年
2012/03/26(月) 19:00:27.10ID:xgEBtwIE0657人間七七四年
2012/03/28(水) 11:14:31.86ID:lDDfOlAu0658人間七七四年
2012/03/28(水) 20:00:37.64ID:ZbrdIg8Iごんぎつねも鉄砲で撃たれて死んだしな
0659人間七七四年
2012/03/28(水) 20:31:01.25ID:4b5S4iXW今、日本各地にある火縄銃隊のほとんどは観光用に「復活」させたもんだけど。
他所の火縄銃術をコピって、僅かな資料から付け足してオリジナルと主張。
0660人間七七四年
2012/03/28(水) 20:32:13.72ID:JasWW2Fc0661人間七七四年
2012/03/28(水) 23:10:20.22ID:mwVDf6KF0662人間七七四年
2012/03/28(水) 23:47:50.38ID:lDDfOlAuそこで止まっちゃう。
厳密に言えば、子供向けに分かりやすく端折ったものなんだろうけど。
他にも世界史のカノッサの屈辱とかマグナカルタとか。
0664人間七七四年
2012/03/29(木) 00:56:23.53ID:5b5Hm32w0665人間七七四年
2012/03/29(木) 03:03:26.36ID:xzs8aSIy鉄炮は、島津みたいに士筒を持つような例外を除いては下士、雑兵の
領分という意識が幕末に至るまでは普通じゃないの。
0666人間七七四年
2012/03/29(木) 03:09:19.51ID:+dDRRvpH0667人間七七四年
2012/03/29(木) 08:58:19.90ID:kGc99C1+『雑兵物語』にも「持筒」は出てくる。
0668人間七七四年
2012/03/29(木) 18:31:18.39ID:Hhu/3HTZ0670人間七七四年
2012/03/29(木) 22:24:52.30ID:YAJE7KrI0672人間七七四年
2012/03/30(金) 10:21:00.31ID:UrzH78mY雑兵物語
持筒 筒平
此おれがひつ擔だ鉄炮は、自分ではじくべいとはおもわぬ。
旦那の御手筒だ所で、口薬入も首にひつかければ鞘がよごれて、
旦那の襟にひつかくる時慮外だ。
0673人間七七四年
2012/03/30(金) 10:43:11.59ID:H5cI9xU1足軽用の鉄砲より大口径で破壊力重視
0674人間七七四年
2012/03/30(金) 23:58:31.88ID:wZk+ETaS騎馬組のいわゆる騎士身分も装備品に鉄砲を持っていることは多いよ
平井山合戦では、別所方の近習150騎が馬上から10mの距離で一斉射撃し
秀吉方の騎馬150〜160人を撃ち落したとあるね。
0675人間七七四年
2012/04/01(日) 07:37:39.58ID:d8D05ZGy0676人間七七四年
2012/04/02(月) 08:52:48.88ID:wWMJddC5死体の首を取るのにあんな長いモノを腰に差していったのか。
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1333238455/
421 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/04/01(日) 13:46:42.51 ID:ZUL1dFJH0
実際、戦国時代でも刀なんて死体の首を切る以外ではまず使わなかったらしいじゃないか
0677人間七七四年
2012/04/02(月) 09:55:52.88ID:sOnKEmEO0678人間七七四年
2012/04/04(水) 14:43:14.16ID:bu/FRUmm0679人間七七四年
2012/04/15(日) 21:02:52.61ID:5ejUnpSfここにもいるよ。刀と槍に拳銃と自動小銃ほどの差なんてないってのに。
0680人間七七四年
2012/04/15(日) 23:47:14.53ID:mgM8Kbd0まぁ差というか使いどころが違う
0681人間七七四年
2012/04/16(月) 02:10:35.32ID:e9cxLw53すげー。こんな天然モノは久々に見た
0682人間七七四年
2012/04/16(月) 06:39:54.65ID:BiP4wWAP大太刀だと手槍より長かったりw
0683人間七七四年
2012/04/16(月) 08:49:10.14ID:URTJD1L9「ボクが考えた最強武将ランク」とかにしかならんわなw
0684人間七七四年
2012/04/16(月) 10:39:05.71ID:e9cxLw53そもそも刀は鎧に対して無力と言う一方で、刀より
鋼の部位が少なく細い槍が有効とする理屈がわからない。
そもそも鎧が切れないから刀は役に立たないという理屈がわからない。
0685人間七七四年
2012/04/17(火) 14:30:11.96ID:CZw1EhxB所詮は動物最弱クラスの人間だもの。
0686人間七七四年
2012/04/17(火) 17:30:42.02ID:sA/PFRdjそもそも足軽の使うような長槍は実際の乱戦になると役に立たない。
ちゃんとした侍は、槍を使うにも短めの手槍を使ったことからもそれはよく分かる。
0687人間七七四年
2012/04/17(火) 17:34:08.46ID:9GC83tUL0688人間七七四年
2012/04/17(火) 18:17:30.78ID:EbGvjHfAなんか雑兵物語の足軽の口調みたいで笑ってしまったw
0689人間七七四年
2012/04/17(火) 19:09:07.96ID:poSTkfpr0690人間七七四年
2012/04/18(水) 16:34:01.84ID:anWr8Z/s・刀のそりよきころなるはあたりつよし、高麗陣に加藤肥後守、軍兵どもの
てきをきりあぐみたる時、肥後守いさましめて、馬上にて幾人きりたをし候や、
かぞへみよと申さるに、刀の直なるにてはあたりよはくて敵たをれず、
そりたるにてはきれずといへどもたをれぬはなし
0691人間七七四年
2012/04/19(木) 04:13:32.65ID:y+9nf5sh騎射は、人数が多く、戦闘の激しい時代になると身を護る実用性が低いから、
廃れたんでないか?
那須与一のような当たらなそうな的を、
「願掛け」して神に祈り、
当てることで、
神のご加護を証明する。
自分達は加護を受けているんだ、と雑兵を味方に付けて煽る。
鎧兜を目立たせて戦場に出るのも、
勝てば神の加護と正当性として現れてくるから。
謙信はソレが行き過ぎて自らが「毘沙門天」だと言ったらしいね。
俺が神だから先頭で突っ込んでも死なないってこと。
0692人間七七四年
2012/04/19(木) 07:01:51.74ID:1BHgm9bA日本で平らな土地あったら、まずは田んぼにしそうだがw
0693人間七七四年
2012/04/19(木) 07:23:52.86ID:ozqURuq1>>691
端的に言うと、
・馬上騎射は実際には先ず馬を狙っていたのだが、南北朝期には馬鎧が普及して、人間の鎧の進歩もあり
致命傷を与えにくく成ったこと。
・そしてその影響もあって、騎射はそもそも、馬の機動力を利用してある程度敵に接近して攻撃する兵種だったが、
ダメージを与えにくくなると太刀、薙刀、持ち槍などの「馬上打ち物」を使う騎兵にカウンター攻撃を食らうように
なった。一回射るとどうしても隙ができるしね。
・さらに遭遇戦から要害をめぐる戦いに合戦内容が変化し、弓も攻城戦のためのより強力なものが求められ
馬乗で射つには適さなくなっていったこと。(弓射の徒歩化)
まあざっと上げると騎射の減少はこんなところが理由とされているな。
0694人間七七四年
2012/04/19(木) 12:55:11.06ID:npOL24N5城砦の発達による戦闘様式の変化だろ。
0695人間七七四年
2012/04/28(土) 14:32:57.88ID:pp3brItj実際のほとんどは城攻めだろ。
0696人間七七四年
2012/04/28(土) 23:00:03.94ID:PNZNASJF0697人間七七四年
2012/05/01(火) 07:08:36.64ID:6GkF+hk0合理的思考を武器にこれまでの胡散臭い通説(講談・小説由来)を次々と撃破し、
新説を広めていく
古いやつら(斯波・斉藤・今川・武田・浅井・朝倉・比叡山・本願寺・上杉・毛利・・・)
を次々と撃破していった織田信長のようだ
日本史界の天下布武・天下統一は鈴木真哉先生によってなされるであろうと思う
0698人間七七四年
2012/05/01(火) 07:41:45.65ID:ftkgtx620699人間七七四年
2012/05/01(火) 08:08:16.46ID:TB+tvX3l死んでいった天才的革命クラスの戦下手
0700人間七七四年
2012/05/01(火) 11:04:07.79ID:iOv/PzzR0701人間七七四年
2012/05/01(火) 15:36:07.34ID:2TClR7vx0703人間七七四年
2012/05/01(火) 19:48:58.23ID:kX72XzrT0704人間七七四年
2012/05/06(日) 00:29:20.10ID:gBEmUnDChttp://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150781368/
0707人間七七四年
2012/05/06(日) 14:38:40.26ID:nEp3BZYuあらかた論破されて消えたみたいだけど。
拘っている人なんてもういないでしょ。
0708人間七七四年
2012/05/07(月) 11:57:43.21ID:+/coc1a70709人間七七四年
2012/05/07(月) 13:08:15.47ID:6+H2jp22・蹄鉄や去勢の習慣がない
・明治時代の騎兵隊設立までの経緯
・外国人の「日本の馬は軍事用に向かない」系の記録
・集団運用の訓練をした記録がない
以上の理由により日本に騎馬隊は存在しない
ってのが鈴木信者の根拠だったな。
あとなんかあったか?
0710人間七七四年
2012/05/07(月) 14:50:40.44ID:MWQU8A8z0711人間七七四年
2012/05/07(月) 23:41:17.81ID:1yGjCPR20712人間七七四年
2012/05/08(火) 02:53:37.84ID:3svO5PpS0713人間七七四年
2012/05/08(火) 06:15:39.32ID:LSLmcgwL0714人間七七四年
2012/05/09(水) 00:08:01.70ID:/4IcNFa20715人間七七四年
2012/05/09(水) 11:13:18.51ID:uI48WYY3ましてやそれが四百年以上前となると
0716人間七七四年
2012/05/09(水) 11:32:57.08ID:7SXxCHhZいているのもあったりする。
原書にそう書いてあるのか、翻訳者が間違えているのかはわからないが、
それだけを読むと16〜17世紀にも現代と同じサラブレッドが存在していた
のかと思わされる。
0717人間七七四年
2012/05/09(水) 11:49:39.55ID:+wtecscM0718人間七七四年
2012/05/09(水) 21:45:24.46ID:vO8vbmYFマスケット銃が同時代の欧州にはあって、欧州では騎兵があったよ、と言ったら、
鈴木信者に、マスケット銃の音は、火縄銃に比べて遥かに小さく、無音に近い、と反論された。
マスケット銃って、サイレンサー付きだったんだろうか。
私にはとてもそうは思えないのだけど。
0719人間七七四年
2012/05/09(水) 23:37:07.34ID:jnMBblIO鈴木も参考として引いている宣教師の報告に日本刀の活躍がいっぱい出てくると
教えてやったら、イエズス会は商人だから日本刀を商品として扱ってたんだろ、
だから売るために大げさに書いてたんだ、みたいなこと言われて唖然としたわw
0720人間七七四年
2012/05/10(木) 00:40:24.23ID:L6RC471Yだからサラブレッドの足の脆さ舐めんなって。
サラブレッドを軍馬にするだなんて、マラソンランナーに
キックボクシングやらせるようなもんだぞ。
0721人間七七四年
2012/05/10(木) 02:17:24.48ID:4ogxsfHjヨーロッパでもっぱら用いられた軍馬は、もっとでかい
0722人間七七四年
2012/05/10(木) 08:07:27.46ID:3Za1V0RJ巨大な軍馬はフルプレートアーマーが登場した後だろ。
馬に乗るのにロープで引き上げてもらわないと駄目なレベルの。
あんな奇形化した鎧をまとうのが前提の騎士なんて実戦性がまるでない。
0723人間七七四年
2012/05/10(木) 08:32:54.26ID:Bs/j0ppz日本の馬がサイズ的に騎兵に向かないなんてのは成り立たないわけで。
0724人間七七四年
2012/05/10(木) 20:57:25.59ID:L/pvefck余り強く言うと、日本の馬は虚弱云々に転がりそうだしな、対応がつらくなってくる。
ユーラシア大陸に名をはせたチンギスカンのモンゴル騎兵が乗っていた馬も、日本馬と大したサイズ差はないのだが。
更に西部劇に出てくる馬も、史実重視だとポニーが主役で、日本馬と同サイズなのだが。
日本人より体格が大きい西部劇時代の白人がポニーを主に乗っていたのに、
日本馬に日本人が乗るのは無理、というのはありえない、と私には思えるな。
0725人間七七四年
2012/05/10(木) 21:02:24.31ID:L2SdEhXmこういう奴が必死で鈴木は馬鹿と言ってるんだから笑えるw
0726人間七七四年
2012/05/10(木) 22:59:14.40ID:g/J4N0lYどうせ尻尾撒いて逃げ回ることしか出来ないんだから
ひっそり暮らせばいいのに
0727人間七七四年
2012/05/10(木) 23:55:56.22ID:JQ5ooD7Yというか日本馬は大陸から移入した蒙古馬。
もともと日本にいた野生馬は数十万年前に絶滅し、弥生時代に再び人為的に入ってきた。
0728人間七七四年
2012/05/11(金) 00:01:40.68ID:6gbDb5D/0729人間七七四年
2012/05/11(金) 00:19:21.43ID:6nngprm1海の向こうでは戦国時代の情報不足で、長槍足軽すらほとんど知られていない。
備で列を組んで戦っていたことはまったく知られていない。
ほんとにひでえなと・・・
0730人間七七四年
2012/05/11(金) 00:41:49.75ID:y+gdF2rD認識してるだけ向こうの連中のなかではマシな方だよ。
冗談抜きで、日本が150年前にいきなり石器時代から近代に超進化したと信じてるアホも多いし。
センゴクは所詮、底辺DQN御用達雑誌で連載してるからなあw
0731人間七七四年
2012/05/11(金) 00:49:30.62ID:6gbDb5D/0732人間七七四年
2012/05/11(金) 01:08:30.34ID:dJEQD8+hwikiに項目ができてからじゃない?備が知られるようになったのは
0733人間七七四年
2012/05/11(金) 01:31:49.78ID:vilRTV4f外国の歴史に関しては今でもお花畑史観と暗黒史観で電波飛ばしまくってるがw
0734人間七七四年
2012/05/11(金) 01:59:49.63ID:y+gdF2rD不勉強で済まないが、備について詳しく書いてある一次史料って何があるかな?
ウィキペの記事には出典が記されてないから。
0735人間七七四年
2012/05/11(金) 02:35:30.38ID:6nngprm1備は各大名、藩によって編成は異なるから
個々の軍役状や陣立で知ることができるよ。
例えば1577年に北条氏直が岩付衆にあてた御朱印状(出典:歴史群像アーカイブ)。
このとき宮城四郎兵衛個人に届いた着到状では、
騎馬8騎(含本人)、槍17人、歩者4人、旗持4人、鉄砲2人、弓1人連れて来い、と動員が割り当てられてるんだが、
備を編成する段階では、武田氏と同様に一旦バラバラに解体され
槍600、騎馬500、歩者250、小旗120、鉄砲50、弓40、と兵科ごとに奉行が割り当てられ編成されてる。
0736人間七七四年
2012/05/11(金) 03:20:25.93ID:y+gdF2rD0737人間七七四年
2012/05/11(金) 07:47:31.51ID:QjvCTjEH0739人間七七四年
2012/05/11(金) 15:14:30.95ID:GcFl8uGn漫画ソースってvipの厨房並みかよww
0740人間七七四年
2012/05/11(金) 15:18:25.52ID:UuWEQ4yL0741人間七七四年
2012/05/11(金) 18:05:16.73ID:c0MzwOs8専門にやる連中を連れてきてそいつらに持たしてんの?
・ノコギリ 木を切って柵・盾・はしごを作る
・スコップ 炊事用や便所用の穴を掘る 堀を掘ったり埋めたりする 山城を築く
0742人間七七四年
2012/05/11(金) 18:14:23.15ID:GcFl8uGn蜂須賀家はこんな工具兼用の刀を持たせて陣地攻略に
役立てたようだけど。
http://www.jrt.co.jp/tv/ohayo/furusato/020507.htm
http://www.jrt.co.jp/tv/ohayo/furusato/image/0507F.JPG
>海部刀を振りかざした蜂須賀軍は敵の陣地をなぎ倒し、
ふところ深くまで斬り込みました。
蜂須賀軍は、斬り合う刀で敵の要塞の壁や
柵の破壊もおこないました。
海部刀は、まさに戦のなかでその力を最大限に
発揮するよう、つくられていたのです。
0743人間七七四年
2012/05/11(金) 18:20:42.33ID:FpwYnF0T必要に応じて足軽はもちろん武士でも手伝うが
0744人間七七四年
2012/05/11(金) 18:46:26.78ID:CHpnVP360745人間七七四年
2012/05/11(金) 19:11:40.40ID:y+gdF2rD武田の金堀衆なんかが有名だけど、そういう工作専門の部隊もあったよ
0746人間七七四年
2012/05/11(金) 20:08:50.87ID:ogYn6bCV0748人間七七四年
2012/05/12(土) 04:25:11.62ID:WrGQwVRb0749人間七七四年
2012/05/12(土) 07:06:02.72ID:icOZBnF20750人間七七四年
2012/05/12(土) 07:30:38.13ID:9mVx6n/Wと「カッバなんかいねーよw何本気にしてんだよマジウケるwww」とか
草はやして喜んでるようにしか読めなかったりする。
まあ、見出しだけ読んで本気にする人がおかしいだけなんだが。
絵描きとして当時の絵画資料漁れば、自然と疑問に感じてしまうんじゃな
いかな?>センゴクの作者
0751人間七七四年
2012/05/12(土) 07:36:11.58ID:1JFeruxf「誰」とか言ってる時点でダメだわ。思考を人任せにしてる。
戦国史研究の主流説を丹念に自分で調べろ。
0752人間七七四年
2012/05/12(土) 20:46:48.70ID:BP072O82当時の人間が記した文献にも出てくるしねえ。
『信長公記』
西は賀鳥口、佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊予守、同右京助、
蜂屋兵庫頭。松の木の渡り、一揆相支へ候を、どつと川を乗り渡し、
馬上より数多切り捨て候なり。
0753人間七七四年
2012/05/13(日) 11:55:50.51ID:cqaUAUq5また血油で切れなくなると言うが
そういったときは一度鞘に刀を納めることによって解消する
数人切ったら素早く一度鞘に刀を納め
抜き様にまた切りつける
居合いで抜き身の刀が死に剣だというのは
抜いて一度切りつけた刀をそのまま使うのは
刀の切り味を損ね死んだ刀になるという意味もある
現代の人を切ったことの無い人間は言葉を哲学的に捕らえ
勘違いしている
剣術とは如何に効率よく人を切り殺すかといった
いたって単純なものである
0754人間七七四年
2012/05/13(日) 13:20:24.84ID:axcV8hnD血脂ついて斬ったり突き刺したり出来なくなるんちゃうんかと。
0755人間七七四年
2012/05/13(日) 16:46:51.08ID:w7Q4s7/v納めたくらいで血なんか取れるかよ。
0756人間七七四年
2012/05/13(日) 17:15:50.92ID:AHxSSwgY0758人間七七四年
2012/05/13(日) 19:38:12.79ID:I1Y8GKen0759人間七七四年
2012/05/13(日) 22:13:19.67ID:axcV8hnD0760人間七七四年
2012/05/14(月) 09:45:03.45ID:NLSL/lsp実際は無理らしい。
49 :おたく、名無しさん?:2012/04/29(日) 16:46:50.59
日本刀って手入れをおこたらなかったら
20人ぐらい斬れるらしいななまくら刀ならすぐ
さびてつかいものにならなくなるらしいが
それと血油で斬れなくなっても手入れすれば
また斬れるようになるらしいな
でも百人切りはむりらしいさびるから
0761人間七七四年
2012/05/14(月) 16:29:08.25ID:cK9JxKjg0762人間七七四年
2012/05/14(月) 16:56:36.64ID:RKuDsma00763人間七七四年
2012/05/14(月) 17:03:21.44ID:hAJjWPbG0764人間七七四年
2012/05/14(月) 17:20:01.84ID:uevJcaQ80765人間七七四年
2012/05/14(月) 17:23:50.59ID:RLlht0cO嫁にして子供産ませてぇ〜
0766人間七七四年
2012/05/14(月) 22:08:20.46ID:0/1AESzc0767人間七七四年
2012/05/15(火) 00:12:05.80ID:aetGWdAoそのまま鞘に納めると不思議なことにまた元の切れ味になる、というわけ。
0769人間七七四年
2012/05/15(火) 04:42:15.13ID:Ogg6pt2E0770人間七七四年
2012/05/15(火) 08:45:49.94ID:5i+5nnSQ0771人間七七四年
2012/05/16(水) 02:15:57.06ID:tMrT0nmD0772人間七七四年
2012/05/16(水) 20:25:25.89ID:7YQu4pYZttp://www.yosensha.co.jp/book/b100757.html
0773人間七七四年
2012/05/16(水) 20:32:03.53ID:tMrT0nmD0774人間七七四年
2012/05/16(水) 20:54:43.45ID:maRbswRy煽り屋としては優秀だよな
0775人間七七四年
2012/05/16(水) 22:38:37.48ID:rveLLyxN今は煽り屋としても正直出がらしじゃない?
0776人間七七四年
2012/05/16(水) 23:11:04.64ID:G8LmGvRA0777人間七七四年
2012/05/17(木) 05:31:07.01ID:guXktNPf0778人間七七四年
2012/05/17(木) 15:14:07.16ID:TPyUrx5ghttp://engawa.2ch.net/test/read.cgi/otaku/1332316430/
63 :おたく、名無しさん?:2012/05/17(木) 11:22:01.33
肉屋で買った肉を実験の検証に使うのはおかしくないかな?
食肉とされるものの全ては血抜きされているもので
生物を実際に切るのと条件が異なる
時代劇等で相手の刀の切れ味を落とすために油を流したり
するシーンがあるが理にかなっていると思う
カッターナイフでリスカしてる知人がいるんだが
血を拭かずにほっとくとすぐ刃が錆びていた
0779人間七七四年
2012/05/17(木) 15:15:08.57ID:MiYy4jIx0780人間七七四年
2012/05/17(木) 15:41:30.91ID:s5K1xAE6刀身に溝があるのは何のためだと思ってるんだよw
0781人間七七四年
2012/05/17(木) 15:51:36.14ID:MiYy4jIx血や油が関係あるのか?
0782人間七七四年
2012/05/17(木) 17:58:45.55ID:arNZ7xX50783人間七七四年
2012/05/18(金) 00:29:11.09ID:FIg6zqhx「日本刀は人の油で切れなくなる」など デマに騙される人が増えたのはネットの大衆化が原因
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1337241285/
0784人間七七四年
2012/05/18(金) 17:01:35.39ID:0MtzHvauまさかグスタフアドルフのちっこい馬が基準ってこともないだろうし
スペインやフランスではもう少しデカい馬が産出してたんかね?
0785人間七七四年
2012/05/18(金) 17:03:03.25ID:3DKM1AwS0786人間七七四年
2012/05/18(金) 17:27:40.32ID:0MtzHvau「我々の馬は走っていてもぴたりと止まるが日本の馬はひどく暴れる」
0787人間七七四年
2012/05/18(金) 17:29:56.24ID:3DKM1AwSフロイスさんフィルターきついからあまり真に受けても
0788人間七七四年
2012/05/18(金) 17:58:56.12ID:0MtzHvau0789人間七七四年
2012/05/18(金) 18:11:04.35ID:SapKiZvq0790人間七七四年
2012/05/18(金) 18:22:05.61ID:ZA0HUwD+情報を取捨選択する必要があることには
みんな気付き始めたんだけど、
それでも誰か100%正しいことしか話さない人間がいるからそれを探す
という前提の人が多いよな
0791人間七七四年
2012/05/18(金) 19:10:04.49ID:mBUfNfS/0792人間七七四年
2012/05/18(金) 19:40:53.91ID:bYkU+Jpv中世の軍馬の大きさは、長い間議論の主題であった。伝説によれば、騎士の馬は頑丈な軍用馬であり、
これは、現代の荷馬車用の馬と同じぐらいの大きさがあったことを意味するが、そのような馬の遺物は
十四世紀以前には発見されていない。中世後期以前の考古学遺跡から出土した馬の遺物は、体高は、
せいぜい一四二・二センチであった。
J.クラットン=ブロック『馬と人の文化史』
752 :人間七七四年 [sage] :2009/06/20(土) 13:22:02 ID:6UuzqP+c
おまけ
ヘンリー八世(一四九二〜一五四七年)は、彼自身体重が決して軽くはなかったが、王国全域にいる馬
の大きさや体力を改良することに特別な関心をもっていた。彼は一五三五年、実質上の土地所有者は、
一三二センチかそれ以上の雌馬を最低でも二頭は飼わなければならないという布告を出した。そして
一五四一年には、イングランド中部および南部の州の所有地では、一四二センチ以下の種雄馬の放牧を禁じた
0793人間七七四年
2012/05/18(金) 20:22:01.29ID:mBUfNfS/聞けて面白いww
http://is.2ch.net/?ie=SJIS&q=%93%81
0794人間七七四年
2012/05/18(金) 21:26:04.50ID:3DKM1AwS基本的にフロイスも西洋人至上主義者であり、日本人に嫌悪感を持っていたことと。
ヴァリニャーノのフロイス評にあるように誇張癖のある人物でことと
最大のところは「蛮地」である日本を教化すべく派遣された、
宣教師という立場で書かれた報告書の記述であること等に
公平な第三者とはとてもいえる人物ではないので注意して読んだ方がいいよということやね
そもそも少年時代にアジアに移り住んだフロイスのヨーロッパ評も何処まで信用できるか
0795人間七七四年
2012/05/18(金) 22:04:41.55ID:bYkU+Jpv1548年(天文17年)、ゴアの聖パウロ学院長ニコラオ宣教師がインドに来た日本人(アンジロー)から聞き取った『日本の世俗的な事柄について』のインド総督宛ての報告書。
私が日本の情報について閣下に送付した第一の文書においては、甚だ簡略にですが、私はその土地において行なわれている宗教と神の礼拝に関する主要な事柄のみをいくつか書き認めました。
その他の世俗的な事柄は、私の職業にそれほど相応しくなく、また必要であると私には思われないため、余り熱心に知ろうとしませんでした。
しかし、閣下が、私が前述の世俗的な事柄に関して質問するように私に命じていますので、私はたくさんの恩義を受けている方に従わない訳にはまいりません。
閣下の質問、日本人の間に、戦いが行なわれるかということについて、彼(アンジロー)が言うところによると、 ・・・・・
日本には、鎖帷子、胸当、兜、頤甲及び腕章があります。
彼等はまた腿や脚部に鉄でできた具足を付ける習わしがあります。
彼等は、エスピンガルダ(小銃)、弓、矢及び槍を持っています。
彼等はまたたいそう幅が広くてかなりの長さがある一種の鉾をも所持しており、それは私達のものと同様に柄に付いています。
彼等は私達が片手や両手で剣を持っているように、小刀と大刀とを帯びています。
彼等には卵型の革製の盾はありませんが、その代わりに金属の薄片で被われた革を常用しています。
それは左肩の上に、そしてその箇所に楯の代わりに結び付けられます。それは長さ三パルモ(66cm)、幅はそれよりも少し短くなっています。そして、左手は戦闘のために空いています。
これらの日本人が戦争に赴く時には、土着の兵士(現地人兵士)は各々胸当、兜及び革のあの手楯のようなもの、刀、槍、弓矢を持っていきます。
彼等は武器を運搬するのを手伝う小者一人、あるいは、私達の間に見られるように、彼等の地位に応じてそれ以上の数の小者を連れていきます。
この島のある地域では山がちな土地であるためにすべての者は徒歩で戦いますが、土地が平地である他の地域では弓矢や両手を使う刀を持って騎馬で戦います。
そして敵を幾人か殺した時には、その首を斬って大将のところへ持っていくのが習わしです。そして、首を持参することができない時には、勇しさの証拠及びしるしとしてその耳を切り取って持っていきます。
日本の馬は、私達の馬と同じほどの大きさでがっちりしており、フランスの馬に似て太い脚を持っています。領主達は自分達の牧場に飼育のために数え切れないほどの雌馬を持っていることを誇りにしています。
日本の船はすべて小型であり、その最大のものでもカラヴェラ船ほどであり、丈が短く、私達の船とは別の様式です。すべての船は櫂で漕ぎ、ござ帆を持っています。あの土地に見られる強い風の時には、投錨する度毎に帆柱がおろされます。
日本の商人達はシナ人達と取引を行なっています。彼等は日本からシナに銀、武器及び硫黄や扇子をもたらし、シナからは硝石や多量の生糸を持ってきます。また同様に陶磁器、水銀及び麝香の固まりをも持って来ます。
日本人達はまたシナの下方、東にあるコレー(高麗)と呼ばれる別の人びととも取引を行なっています。
彼等はそこにも銀や貂の皮を持っていきますが、それは、同島にはそれが多量にあるからです。彼等はまた扇子をも持参し、朝鮮からは綿布を招来してきます。 ・・・・・
この島のいくつもの地方に大量の銀があり、僅かではありますが、金山も幾つかあります。また多量の銅、鉛、錫、鉄があり、鋼鉄も非常に豊富にあります。また水銀若干量と硫黄がたくさんあります。 ・・・・・
0796人間七七四年
2012/05/18(金) 22:08:32.89ID:PygDFtWKこれは薙刀のことかな
0798人間七七四年
2012/05/19(土) 00:49:32.17ID:doqifoRr16世紀半ばの時点ではまだ騎射や馬上での野太刀が現役だったのか
0800人間七七四年
2012/05/19(土) 08:24:51.22ID:DLvapdDs騎射は信長公記とか三河物語にも載っている程度には現役。
この人は関東についての報告も受けてるのかなって感じで
ザビエルたちとは違うね。
0801人間七七四年
2012/05/19(土) 13:28:53.83ID:5zjZgNq0やっぱり当時のヨーロッパも日本と似たようなものか
0802人間七七四年
2012/05/19(土) 13:46:24.10ID:doqifoRrここまで正確に当時の日本について書けるもんなのか。
特に鎧の袖が盾の役割を果たすだなんて実際に日本の合戦を見ないと絶対わからない。
彼に色々教えたこのアンジローって日本人は確か人殺して海外逃亡した人だったと思うが
これだけ詳しく色々語れるって事は、実際に戦場に出た経験がある武士身分の人だったんだろうか?
0803人間七七四年
2012/05/19(土) 15:07:06.85ID:+baJzwx60804人間七七四年
2012/05/21(月) 02:55:25.83ID:9jLVQnPI彷彿とさせるような神事が現代まで伝わってる時点で
「日本に騎兵はなかった(キリッ」なんて詭弁以外の何者でも無いな
0805人間七七四年
2012/05/21(月) 03:18:08.23ID:W5u0WOqi馬追い
http://kotobank.jp/word/%E9%A6%AC%E8%BF%BD%E3%81%84
1 牧場で、放牧の馬を柵(さく)内に追い入れること。また、野生の馬を柵内に追い込んで捕らえること。
馬追いとは馬を狩ることだ
犬追物の親戚のようなもんだな
0806人間七七四年
2012/05/21(月) 06:04:03.44ID:kEsG4ml9http://kotobank.jp/word/%E9%87%8E%E9%A6%AC%E8%BF%BD%E3%81%84
こっちだろ
どこの三国人だよ…
0807人間七七四年
2012/05/21(月) 08:27:02.01ID:W5u0WOqi野馬追の検索したらすぐに分かることなのにわざわざそんなリンクを引っ張ってくるって
アホか?
0809人間七七四年
2012/05/21(月) 16:03:06.68ID:BQFhRrJt鈴木以外の本は大して読んだこと無いんじゃないか?
0810人間七七四年
2012/05/21(月) 19:08:53.08ID:vbA8gq1cでは取れたて天然モノをどうぞ。
でも多分この手のヤツは鈴木の本すらまともに読んでないと見た。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1337375940/
740 :名無しさん@12周年:2012/05/21(月) 19:00:28.47 ID:wTnUNvqr0
日本刀の端的な殺傷力より
ピストルの射撃やナイフや包丁の携帯性隠密性を携えて
かつ相当の殺傷力がある方が怖いけどな、
秋葉通り魔のアーミーナイフなんて気づかれないうちの一刺しで人が死ぬ
>>720
合戦の主力は一に投石、二に弓矢、三に槍、刀は合戦後の敵の首獲り用
屋内戦が多い幕末京都と、弾切れのあった同時期には携帯性の優れる刀は活躍したけれど
現在は軍用ナイフしか使ってないでしょ、多対多の近接戦なんて想定する意味ないから
もし刀に対抗したいなら、刀を持つより三叉の方がいい
0812人間七七四年
2012/05/21(月) 20:32:00.30ID:7flgOHbx0813人間七七四年
2012/05/21(月) 20:55:03.81ID:9jLVQnPI0814人間七七四年
2012/05/21(月) 21:17:28.68ID:O6gbCy1P0815人間七七四年
2012/05/21(月) 22:18:22.23ID:9jLVQnPI0816人間七七四年
2012/05/21(月) 22:18:23.33ID:4YLaMOFEみつまただし、戦争でも使ったらしいし
0817人間七七四年
2012/05/22(火) 01:23:34.14ID:l3Qs9wUT0818人間七七四年
2012/05/22(火) 04:20:14.34ID:YFeDZE40長槍隊も互いの肩が触れる位の間隔で並んだそうだ
0820人間七七四年
2012/05/22(火) 08:34:35.07ID:1ehzRm9f0821人間七七四年
2012/05/22(火) 08:52:45.45ID:4Cd4qDZQカキコのバカさから言ってたぶんそういうのは知らないだろうと思う。
素でさすまたと間違えてるよ。
0823人間七七四年
2012/05/22(火) 13:06:28.97ID:4Cd4qDZQ軍事に関して色々知っててもおかしくない。
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/25/pub_kaigai-iezusu-genbun-01.html
0824人間七七四年
2012/05/22(火) 17:15:16.93ID:Khjlyyipそしたら買うのにw
0825人間七七四年
2012/05/22(火) 19:33:11.17ID:lgC1FgSt0827人間七七四年
2012/05/23(水) 16:30:18.09ID:eEkAoerG0828人間七七四年
2012/05/24(木) 22:40:20.50ID:PKu8Lqz0http://blog.livedoor.jp/nwknews/article/4202640/comments?guid=ON
0829人間七七四年
2012/05/24(木) 23:00:50.52ID:4+4hjbf4この記事は存在しないか、すでに削除されています。
0830人間七七四年
2012/05/25(金) 19:46:14.70ID:fDLQ0FCvhttp://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4202640.html
0831人間七七四年
2012/05/31(木) 11:37:33.41ID:g3GwZj+Qあれマグロ包丁だってさ
0832人間七七四年
2012/05/31(木) 13:25:39.76ID:nRmNST3Y解体職人の方が手並みは鮮やかだろう、とオモタ
0833人間七七四年
2012/05/31(木) 22:30:35.06ID:iQmU+f/l0834人間七七四年
2012/06/01(金) 00:20:04.76ID:NuxpP/+7そりゃマグロ解体の手並みは鮮やかでしょうな。
0835人間七七四年
2012/06/08(金) 20:33:38.53ID:l5g8O86ihttp://shop.gakken.co.jp/shop/order/k_ok/bookdisp.asp?code=1340530400
http://shop.gakken.co.jp/goods_img/book/jpeg/4054053041.jpg
ここに組衆編制が東国から起きたって実証的に書いてあるけど・・・
騎馬武者
騎馬隊
騎兵
騎兵隊の定義って何ナノ科ね?
そこがはっきりしないから、みんなで、正しいことを言っているのにもめてる感があります。
0836人間七七四年
2012/06/08(金) 23:58:49.42ID:UybD+u7K正しいことを言っているのにもめてるのではなく、
正しいことを話題作りのために煽りとミスリードで粉飾するから揉めた。
0837人間七七四年
2012/06/09(土) 00:02:49.55ID:tz6i3GaP藤本の仲間系じゃなかったかな。
0838人間七七四年
2012/06/09(土) 05:16:07.14ID:qbOkXxfl>>735の岩付衆だと馬上500騎とかなりの規模だ。
馬廻衆も、百騎単位規模の例は信長の母衣衆や三木合戦の別所氏などちらほら見る。
ただし諸大名ごとに武装の種類・サイズ・色などの統一を図ることがあったとはいえ、
到底近世欧州のような騎兵隊ではない。
中世騎士や共和制ローマの騎士のように、個人的な従者を引き連れた前近代的な騎馬隊だった、ということじゃね。
0839人間七七四年
2012/06/09(土) 07:47:57.51ID:crxXeW/pもちろん運用や形態などは近世欧州の騎馬隊とは似て非なるものだが。
0840人間七七四年
2012/06/09(土) 08:31:59.83ID:z+qrJG8V0841人間七七四年
2012/06/09(土) 10:20:51.73ID:30eFIkA6(各武将の私兵の寄せ集めで兵科毎の分類をしていない)
で語る輩がいるからなあ。
0842人間七七四年
2012/06/09(土) 11:26:09.75ID:wAv3FkIr兵科ごとに分類したのは一部の制度的に進んだ東国の戦国大名くらいで、
織田も含めて西日本の戦国大名は、近世に入るまで、軍役で集まった兵士の、兵科別の再構成は
行なっていなかったようだからな。
0843人間七七四年
2012/06/09(土) 12:48:35.30ID:lWpwzGva常に行っていたかは正直疑問
0844人間七七四年
2012/06/09(土) 14:24:47.47ID:xpOatshj近世前期(17世紀)の西欧諸王朝の騎馬隊と同じだよ
おまえらが言ってるのは近代以降の騎兵隊
0845人間七七四年
2012/06/14(木) 03:46:44.57ID:Luuti9m7>>243
>>鎧着けた侍が銃撃戦ってコレはホントに時代劇か?って思わずツッコミそうになったけど
戦国時代には火縄銃はかなり普及してる。
あの時代鉄砲を一番保有していたのは日本とも言われている。
元々日本は遠距離で戦う傾向が強くて、今の大河の清盛の時代だと主力は弓兵で
どちらの時代においても刀は首と獲るときか接近戦に持ち込まれたときにしか使わない。
まあテレビで良く見るような時代劇か?と言う意味なら
そうかもしれないかなともいえるくらい画期的な演出の回だったと思う。
0846人間七七四年
2012/06/14(木) 05:59:37.17ID:yFktksR5> 戦国時代には火縄銃はかなり普及してる。
> あの時代鉄砲を一番保有していたのは日本とも言われている。
ウソウソ。東アジアではもしかして一番多かったかもしれんがヨーロッパの大国やオスマントルコには
まったくかなわん。
> 元々日本は遠距離で戦う傾向が強くて、今の大河の清盛の時代だと主力は弓兵で
> どちらの時代においても刀は首と獲るときか接近戦に持ち込まれたときにしか使わない。
これも嘘。源平の時代も戦国時代も戦い「始める」のは遠距離だが、とどめを刺すのは刀剣での突撃。
刀が首取りの道具とか、鈴木信者かよw
0848人間七七四年
2012/06/14(木) 09:09:08.53ID:7ju3ldCi0849人間七七四年
2012/06/14(木) 09:17:10.53ID:8cQmUeUX0850人間七七四年
2012/06/14(木) 09:52:28.36ID:GvjlpPt7>>846
実際のところ鉄砲はどんだけあったんだろうな?
常備軍の数ならスペインの3倍以上いたみたいだが。
0851人間七七四年
2012/06/14(木) 11:26:01.63ID:GvjlpPt7「長ったらしい名乗りを上げてから一騎打ちをしていました。集団戦の概念が無かったので元軍に一方的に敗退しました」
ってふざけた言説がまかり通ってた時代よりはマシになったんじゃない?
0852人間七七四年
2012/06/14(木) 11:50:05.49ID:mHzKj2xh人口だって多い人の説と少ない人の説のじゃ倍違うし。
16世紀当時、ひとつの戦場に10万人以上動員することができたのは、西か
らオスマン朝、ムガール、明、日本の四ヶ国だけ。
ヨーロッパ諸国あたりは一万人以上動員の記録もあまり多くない。
0853人間七七四年
2012/06/14(木) 18:37:14.27ID:qxDdgOnO16世紀末のスペインや仏王国の総兵力が8万〜9万
火縄銃やモスケットの装備率が3割前後
大大名なら一家で上回っちゃうレベル、白人コンプも程々にな
0854人間七七四年
2012/06/14(木) 20:06:39.17ID:GvjlpPt716世紀末期の行政記録から全軍の半数〜3分の2くらい鉄砲装備してたのがわかるよ。
因みに常備軍はイングランドは8万、スペインはヨーロッパに展開してた保有戦力全て足して15万。
まあ、兵力に関しては日本は九州+毛利だけで普通に15万はいくっぽいけど。
0855人間七七四年
2012/06/14(木) 20:31:53.99ID:OoOaTfW416世紀末のスペインで言えば、中核のスペイン兵イタリア兵部隊の
火縄銃・モスケットと槍兵の比率が4:5、正規兵と雑兵の比率が2:1
全てひっ包めた全軍の3割が火器装備、槍兵と雑兵が3割強。
英王国の常備軍は1万5千程度、傭兵を含めて最大6万5千
スペイン王国が同じく最大限9万弱、当時は既にドイツが別個の国として分家。
よって>>854の主張はどちらもまちがい
0856人間七七四年
2012/06/14(木) 20:36:36.46ID:7ju3ldCi0857人間七七四年
2012/06/14(木) 20:38:38.95ID:hYPisjty0858人間七七四年
2012/06/14(木) 20:41:50.02ID:OoOaTfW4仏王国は火砲はスペインより豊富で火縄銃・モスケットは同程度
西欧諸王朝のどれをとっても、織田・豊臣・徳川以下、最盛期の島津や毛利と同じ水準。
0860人間七七四年
2012/06/14(木) 23:52:29.77ID:jkWsBVpX騎兵や砲兵、非戦闘員は含めない数字だ。フランドル方面軍だけでも歩兵56,265人 騎兵3,650騎の計59,915人を擁している。
対して1588年当時無敵艦隊を迎え撃つイングランド軍も大規模な動員を行なっていて、
トレーニーバンドで動員された兵力は歩兵79,798人、騎兵5,461騎。
歩兵の装備は、ビル10,967人、ロングボウ14,209人、パイク21,178人、キャリバー28,742人、マスケット4,702人。
銃装備率は歩兵の42%で、騎兵も大半がピストル以上の銃を装備している。
これ以外に、低地地方に派遣したベテラン兵と女王の親衛隊、貴族、聖職者の義勇兵が加わる。
0861人間七七四年
2012/06/14(木) 23:57:29.45ID:jkWsBVpXあとスペイン歩兵の兵力はあくまで常備軍で民兵は当然含まれてない。
0862人間七七四年
2012/06/15(金) 00:03:50.03ID:dPj16A4J856の話は繰り返し出てくるけど、朝鮮役に参戦した諸家は間違いなく
銃の装備率は上がってるけど、半島での実戦経験のない伊達家に
そんな先見の明があったのかどうかはやっぱり疑問だわな。
0863人間七七四年
2012/06/15(金) 00:18:16.68ID:vLx7eQxM兵力の記録も誇張ばかりだから、実質動員できる兵力は多分スペインより少ない。
0864人間七七四年
2012/06/15(金) 00:28:22.82ID:ChUWGyde>これ以外に、低地地方に派遣したベテラン兵と女王の親衛隊、貴族、聖職者の義勇兵が加わる。
いや、加わらない。
低地諸国の反乱に加担したライチェスターは成果が上がらず
オランダ地方の民衆からも反感を買って、スペイン艦隊が小競合いと嵐と
天候不順で大きな損失を出した一連の軍事行動の時には英国へ引き上げている。
スペイン艦隊との戦いに参戦した英王国艦隊の戦闘員は約30000万人
そのうち火器を装備していた歩兵は、スペイン軍の8000人に対して
半分に近い5000人弱でしかなく、艦隊の半数前後14500人は水兵から構成された。
一方のスペインも低地諸国から英上陸の為に集めた兵が27000人、留守の守備隊が22000人
これは当時のスペイン軍の大半を占め、攻勢が頓挫しスペインと和平していた
仏王国に対する伊、西本土は8000人、6000人と少なく、艦隊の水兵8250人を含めた31000人
これらを総て合算しても94000人、反乱と遠征を行った時期の最大限の数字で
当然ながら、一時雇用の傭兵や雑兵が大量に含まれていて
英遠征の戦闘員で言えば約11000人が雑兵。
0865人間七七四年
2012/06/15(金) 00:33:11.06ID:ChUWGyde西欧の中では最も進んでいたスペインですら、日本と違いろくに兵科も分けず
大量の傭兵と雑兵がごっちゃ、兵力は渡海遠征して行われた朝鮮征伐と比べても
半分にも満たない兵力でしかない、しかも譜代の軍が大半の日本と異なり
未だに傭兵が多くを占めていた。
瞬殺された李朝軍に比べれば遥かに進んでいたが
日本と比べてしまうと足下にも及ばない。
0866人間七七四年
2012/06/15(金) 00:43:04.44ID:2knrW5DN日本の比じゃないな。これはもう日本側分が悪すぎるわ。
0867人間七七四年
2012/06/15(金) 00:46:30.24ID:ChUWGyde0868人間七七四年
2012/06/15(金) 00:52:48.21ID:2knrW5DN北条宗哲が永禄四年三月二十四日、大藤式部丞に出した書状には
配備した鉄砲五百丁をもって敵の軍勢を堀端へ寄せ付けてはいけない、というような
指示が出されているから割と早い時代(長篠合戦の14年前)からそれなりの量があって
運用されていたらしい。
0869人間七七四年
2012/06/15(金) 00:53:44.49ID:88+o0qGF>いや、加わらない。
加わるよ。少なくともティベリーに4,000人の低地地方派遣軍がいる。
あと、女王の親衛隊、貴族、聖職者の義勇兵はそもそも国内から出てないから居ないはずがない。
人数も正確にわかってるしね。
>スペイン艦隊との戦いに参戦した英王国艦隊の戦闘員は約30000人
それは、海軍の水兵と、それに乗船した陸兵の話。
30,000人という数字が正しいかは知らないが
>>860で挙げたのはあくまで陸上で迎え撃つ兵士。主にイングランド南部に配備された。
ケント州だけでも7,124人が動員されてる。
ケント州兵の銃装備率は、約36%。
>一方のスペインもry)
スペイン人部隊と、スペイン軍を勘違いしてるのだと思う。
スペイン人歩兵部隊は1588年当時、アルマダに4個テルシオ+独立32個中隊の約18,000人。
フランドルに4個テルシオ8,712人、イタリアに3個テルシオ7,000人、アジアに5,000人、
スペイン本国に多数の独立中隊29,000人、アメリカに8,000人の約76,000人。
>>860でも書いたとおり、フランドルには56,265人の歩兵がいた。
そのうちスペイン兵は8,712人に過ぎない。
ちなみにフランドル方面軍の出身地構成は、
スペイン人8,712人
イタリア人5,339人
ブルゴーニュ、アイルランド、スコットランド人3,278人
ワロン人17,825人
ドイツ人19,925人
守備兵1,180人(人種は不明)
0870人間七七四年
2012/06/15(金) 03:05:49.98ID:CMAbvQ22まず英王国軍の4000人というのはライチェスターに歩兵5000人騎兵600人と
多数の王国公認略奪兵を率いさせデーンハーグへ送った部隊の成れの果てで
オランダの住人に嫌われ、スペインが英遠征を計画する何年も前に帰国している。
また英遠征と低地諸国鎮圧には当然多数のスペイン兵とイタリア兵が動員されている。
1580年に起きたポルトガル王族の反乱ではフェリッペ王自ら親征したが
内戦中の低地諸国からは勿論フランダースからも兵を集めず
数か月掛けてスペイン内のみで準備してもその数は18000人でしかなかった。
1580年の段階での低地諸国戦線の同地方人の兵士18000人は、カトリック側の封建諸侯が
反乱を起こした新教側のオランジュ公に対抗して自前の金で徴募した自前の軍であって
スペイン軍の数には当然入らず使えない、パルマ公の指揮権もゲント合意に縛られた物。
それ以外の歩兵25部隊と騎兵12部隊が西軍で数は約31000人、うち約16000人が伊・西出身。
仏王国軍で積極派のアンジューが死んだ後は講和し、その結果として
イタリアとフランダースの兵を回せるようになり英遠征が企図された
当然ながらスペイン本国と伊には守備兵はあまり居らず合わせても1万を少し超えるに過ぎない。
結論、>>869は同じ物をいくつも重複して数えてしまっている
0871人間七七四年
2012/06/15(金) 03:23:37.41ID:uyfxqFMj日本の3分の1程度だったイングランドはともかく
イベリア半島と属領を足したら日本と同じかそれ以上のスペインは
10万以上の常備軍がいても不思議ではない気はする。
0872人間七七四年
2012/06/15(金) 04:31:44.75ID:CMAbvQ22その上、オスマン帝国や大明や日本と比べ行政組織も未整備
それでもスペインと仏は行政機構の整備して16世紀の100年で
徴税能力と国家財政規模を3倍に増やしてはいるけど
0873人間七七四年
2012/06/15(金) 05:37:49.29ID:88+o0qGF重複してないよ。
だからわざわさ1588年の時点と特定してるわけだ。
はっきりしてるのは、1588年4月29日の時点でのフランドル方面軍約60,000人、これにはアルマダに乗船した兵士は一人もいない。アルマダに乗船した兵士はスペイン人とポルトガル人しかいないからだ。
本国兵にしても、カタルーニャと併合間もないポルトガルにいた兵士が中心。アメリカ、アジア、イタリアにいた兵士は、重複するわけがない。
具体的にどこのどのテルシオが重複してると言いたいんだ?
重複してると自信をもって言うなら言えると思うが?
0874人間七七四年
2012/06/15(金) 13:21:59.68ID:vLx7eQxM0875人間七七四年
2012/06/15(金) 13:24:15.16ID:wYrZcV960876人間七七四年
2012/06/15(金) 15:19:14.82ID:vLx7eQxM日本が小競り合いしかやってなかった時代に
タウトンの戦いで両軍合わせて10万の軍勢が激突してるのに
常備軍が一万くらいしかいなかったとか頭悪すぎ
0877人間七七四年
2012/06/15(金) 16:30:05.36ID:XAdBEzwFいや、重複してるよ。
英遠征時の中核部隊火縄銃・モスケット兵8000と装甲槍兵10000はスペイン人12000、伊人6000、他に雑兵約13000。
フランドル軍は仏王国との戦争当時24000人、英遠征時は8000人残留、伊半島の守備隊は6000人。本土に8000人。
低地諸国からは、遠征を準備出来た兵が27000、諸侯の義勇軍18000と西軍4000は残留。
ここまでに総ての本土軍が含まれ、欧州での総兵力は約85000。 完
0878人間七七四年
2012/06/15(金) 16:54:48.04ID:XAdBEzwF長島の一向一揆軍は30000人、たったの1国のそのまた一部にも拘らずね。
全国統一した日本軍なら200万人の常備軍を備える事など造作も無かっただろうねw
0879人間七七四年
2012/06/15(金) 17:00:47.10ID:vLx7eQxMしかもあれは後世に算出した数で荷駄隊などの非戦闘員含めての数な上実数は更に少ないという。
更に戦国オールスターとも言える朝鮮侵略軍で漸く戦闘員が10万に届くかという所。
0880人間七七四年
2012/06/15(金) 17:01:42.03ID:vLx7eQxM0882人間七七四年
2012/06/15(金) 17:33:48.20ID:XAdBEzwF関ヶ原の軍勢数に夫丸や口取りなどの非戦闘員は含まれない。
>>880
タウトンの戦いは殆どが非戦闘員の農民。
在チョンの願望捏造史観は要らない
0883人間七七四年
2012/06/15(金) 17:55:47.96ID:XAdBEzwF長篠後の勝頼や北条氏が出した防衛戦限定の民兵動員令と一緒で
当然常備軍でもなければ戦慣れや訓練を受けた農兵ですらない
一時的に掻き集められた徴募の烏合の衆というのが現実。
0884人間七七四年
2012/06/15(金) 18:02:30.57ID:88+o0qGF何度も言うが、昨日から出している数値は、1588年のもの。もし文句があるなら、対仏戦やその他の時ではなく1588年当時の兵力を出せよ。
あと、重複した部隊はどの部隊だ?わかるんだろ?
あと、1588年4月29日のパルマ公の報告によるフランドル方面軍の総数を否定する具体的な史料は何?
こちらは当時の一次史料の英訳から出してるから、それ以上のものを出してくれ
0886人間七七四年
2012/06/15(金) 18:16:25.11ID:xVheIxNmかなりの被害が出るんだな。
其中に心ある者どもはだかになり、抜刀ばかりにて七・八百ばかり切て懸り、
伐り崩し、(織田家)御一門を初め奉り歴々数多討死。
(『信長公記』伊勢長嶋一揆成敗の記述)
0887人間七七四年
2012/06/15(金) 18:19:43.01ID:D6V7pQwL0889人間七七四年
2012/06/15(金) 19:19:06.09ID:8lrPXNao何度も教えた通りその数字はまちがい。
1588年に英遠征を実行した時の軍勢配置が>>877。英遠征の雑兵は約11000
重複していないと言い張るなら、英遠征軍に参加した旗隊
低地諸国からの英遠征に加わる準備をしていた旗隊
本土・伊半島・フランドル・低地諸国に残留した旗隊を書き出せば済む話
無理だけどね、>>884が本土の部隊と錯覚している部隊と英遠征の部隊が
多数重複しているから。
パルマ公は書状を送った時点で遠征を知らず、むざむざと4月25日にカレーで
英軍と講和してしまい艦隊の艤装を解き、英軍はまんまと防衛の為に帰還した。
8月4日にパルマ公が報告した軍勢はフランダース人とドイツ人の傭兵(雑兵)を含めた
遠征軍27000と残留する4000人がスペイン軍の総てで、マンスフェルトを初めとする
フランダース諸侯の18000人は防衛の為だけの民兵に過ぎず
ゲント合意により対新教以外での指揮権は認められていない。
こちらは当時の一次史料から出してるから、それ以上のものを出してくれ
具体的な書簡群名と、どこの図書館の蔵かを書くか
二次史料の書籍でも具体的な書名なら英訳でも原本でも構わないよ
当然言い出しっぺなのだから快く実行してくれるはずだ。
0890人間七七四年
2012/06/15(金) 19:23:54.87ID:8lrPXNao長島の一揆勢を農民だとする定義を出せば
それをタウトンの戦いに適用して即大半を非戦闘員の農民だったと
定義出来るから、定義を出せばいいよ、ブーメランだけどねw
0891人間七七四年
2012/06/15(金) 23:07:31.38ID:88+o0qGFスペイン公文書1587-1603
278頁 1588年4月29日報告
288頁 1588年5月9日報告
あなたが出した数字は、スペイン公文書1587-1603の何日付の何頁?
一次史料を持っているなら同じものを見ているだろうから、教えてもらえればすぐにわかる。
流石に量が膨大なの頁数か日付を教えてもらえると助かる。
0892人間七七四年
2012/06/15(金) 23:43:44.08ID:OJslx1AI>スペイン公文書1587-1603
日本語じゃ曖昧だから、載せてる英訳の二次資料名か
書簡集のそのままのタイトルで書いてね、発音記号無しのラテン文字でいいから。
モンスーン文書、書簡集の日本語訳ならそれはそれでいいけど。
0893人間七七四年
2012/06/15(金) 23:45:43.48ID:88+o0qGFタウトンで動員された兵士は、一応武装が定められてる。
武装が基準を満たしてない者は兵士として扱われないからね。
大半はロングボウ兵とビル兵だ。
0894人間七七四年
2012/06/15(金) 23:52:50.09ID:88+o0qGFもし、その日の報告書にそちらの言う数字があったなら謝る。
あと、一次史料を持っているなら1587-1603の部分でどの公文書かわかるはずだが?
ちなみに英訳されたのは1899年のもの。編者は…わかるよね?
0895人間七七四年
2012/06/15(金) 23:59:15.47ID:88+o0qGF0896人間七七四年
2012/06/16(土) 00:35:14.34ID:MWup8n5Y唐入りはオールスターどころか
九州の中堅大名達+小早川&宇喜多くらいしか実際の戦いには参戦してないぞ。
0897人間七七四年
2012/06/16(土) 01:20:24.31ID:S483dnlU関が原で東軍7万、西軍8万
朝鮮の役で16万
大坂冬の陣で徳川20万、豊臣10万
といったところだろう
0898人間七七四年
2012/06/16(土) 01:32:44.27ID:S483dnlUよくマーストンムーアで双方合わせ4万人動員できたなと感心するわ。
こいつらのNew Armyは大砲がある上、ピストル騎兵とパイク兵は日本の備の騎馬組、長柄組を上回るだろう。
マスケット銃は正直微妙すぎるが・・・
0899人間七七四年
2012/06/16(土) 01:50:01.82ID:MWup8n5Y源平の合戦(大きい戦いで双方5〜6万程度)とか
弘安の役の幕府軍(九州軍4万、長門軍2万、幕府本隊6万の合計12万)とか
筑後川の戦い(南朝方4万、北朝方6万)とか
応仁の乱(細川方16万、山名方11万)とかは当時の人口から考えて割と妥当な数字だと思う。
0900人間七七四年
2012/06/16(土) 02:06:22.46ID:MWup8n5Y日本も幕末の戊辰戦争なんかは戦国時代の規模が嘘みたいに兵数少ないよね。
西南戦争はそれなりに多いけど。
0901人間七七四年
2012/06/16(土) 05:26:34.01ID:gpEec/Wiピストル騎兵はまずドイツとスペインで普及して仏にも広がったけど
英軍の普及はもっと後だよ、艦船は大陸諸国と違い戦闘専用の最新鋭の大型船を建造し
大砲も破壊力は弱いが長射程の軽量砲が主体で海戦に最適化されてるけど
陸上戦力は微妙の一言、空き巣狙いで沿岸部を略奪した時も少数の相手に結構負けてる。
0902人間七七四年
2012/06/16(土) 06:40:43.82ID:MEQFHb/Lそりゃ兵器弾薬の数による。
あの当時すでに新鋭の武器を持っていないものは兵隊として役に立たなかった。
銃弾の的をたくさん集めてもしょうがあるまい
0903人間七七四年
2012/06/16(土) 09:34:10.35ID:9w9fswZRそして役に立たなかったからそれ以降は極端に言えば洋式ライフルの数+抜刀隊だけが
まともな戦力として数えられるようになったからな
0904人間七七四年
2012/06/16(土) 11:42:21.98ID:9HV4NDsB結局、あなたが言う一次史料って何だったんだ?
公文書以外に正確な数字がわかるものってよく分からないんだが。
イングランド側の公文書か何か?
0905人間七七四年
2012/06/16(土) 11:56:30.74ID:9HV4NDsBイングランドでは、1588年の時点で騎兵の15%がピストル騎兵だよ。それ以外の騎兵にもピストルを装備したものが結構いる。
0906人間七七四年
2012/06/16(土) 12:56:52.13ID:OGl9BuAi【同時代】欧州、オスマン、中国、日本の兵たち【比較】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288455624/l50
いや個人的には興味深いんだが、さすがに残り100を切った状態で
スレ違いのことが続くのはちょっとね。鈴木さん藤本さんも怒ってるよ。
0907人間七七四年
2012/06/16(土) 13:40:06.62ID:MWup8n5Y鈴木真哉じゃなくて鈴木眞哉だよね。
0908人間七七四年
2012/06/16(土) 13:46:48.95ID:wUGsP73Sまあ頻繁にID変わってる時点で怪しかったけどさ。
>>906
まあ、比較したら日本の武士のあまりのしょぼさに泣けてくるよな。
どう見ても16世紀末期の日本は戦術でも装備の質でもヨーロッパより100年くらい遅れてる。
まあ、それ以前は300年くらい(鎌倉末期〜室町時代で11〜12世紀のヨーロッパレベル)遅れてたから
少しはましになったが。
0909人間七七四年
2012/06/16(土) 14:05:51.56ID:9HV4NDsB何日か前から煽ってる奴だと思うが、お前に>>864を罵る資格はない。
自分自身は史料も出さず、人の書き込みに便乗してるだけのお前には。
>>864は若干挑発的な書き方だったが、内容は結構正しいことも多い。
多分、史料の読み方が少し違ったんだろう。
どっちにしろ、ちゃんと数字を出してきただけ議論できる。
お前は、ひとつでも史料や数字が出せたのか?
>>906
申し訳ないね。
0910人間七七四年
2012/06/16(土) 14:16:31.10ID:MWup8n5Y0911人間七七四年
2012/06/16(土) 15:36:57.94ID:gpEec/Wi一気呵成に勝敗を決する日本勢の戦術は
だらだらと砲撃による睨み合いと小競合いを繰り返していた西欧諸王国の2世紀以上先を
5人10人、20〜30人の小部隊を基礎として自在に運用出来た諸大名の軍編成は
区切りが大きく硬直した隊列を保持し展開するにも1日掛けるのが日常的で
下士官と士官の数が少なかった西欧諸王国の半世紀くらい先を
装備も、工夫された火縄銃を量産し支給防具や武具を量産していた日本が少し上だよ。
>>905
スペイン軍は16世紀末には大半の騎兵がピストル装備だから
それに比べると普及は遅れてる、まあ馬上ピストル自体が結構微妙だけど。
0912人間七七四年
2012/06/16(土) 15:47:11.41ID:9w9fswZRまぁ射程が違うから落ち着いて対応されればどうしようもないんだけど。
0913人間七七四年
2012/06/16(土) 17:11:57.36ID:9g2W8RxO0914人間七七四年
2012/06/16(土) 17:15:06.91ID:9HV4NDsB許してね。
次のスレでは書き込みません。
>>911
>5人10人、20〜30人の小部隊を基礎として自在に運用出来た諸大名の軍編成
正直、戦国時代の軍編成はまだまだ研究段階だからそんなことは言えないと思うが?
あと、
>下士官と士官の数が少なかった西欧諸王国の半世紀くらい先を
何をもって多い少ないとするのかわからない。
戦国時代の軍隊の士官比率って何%と考えてるんだ?
1575年の上杉家軍役張から見ると、騎馬を全て士官と考えれば10.3%。
対して1571年のフランドル軍の4つのスペイン人テルシオの士官比率は6%。
騎馬兵をすべて士官とみなしてこれだから、実際どっちが多かったかなんて言えないと思うが?
因みに、1596年のフランス侵攻時は11%に達してる。こんなに多くてどうするんだろう。
>>912
ピストル騎兵のピストルは飛び道具ってより、ランスの代わりだからね。
10mも有効射程があれば十分だよ。重騎兵のランスやパイク兵をアウトレンジ出来て威力も高い。
逆に歩兵の銃兵の射撃や軽快な騎兵の抜刀突撃には不利だから、こちらが主体になると廃れていった。
0915人間七七四年
2012/06/16(土) 17:19:14.97ID:MWup8n5Yアンリさんの頃からサーベルでの騎兵突撃が復活して
それがグスタフさんの三瓶戦術に繋がっていくんじゃなかった?
0917人間七七四年
2012/06/16(土) 17:29:42.62ID:UJe5Hj+n対重装騎兵◎(速度勝ち、コスト安い、射程勝ちで完勝できる)
対マスケット×(射撃兵科としては無意味)
結果重装騎兵とともにパイクが要らない子になった
0918人間七七四年
2012/06/16(土) 17:37:54.20ID:9HV4NDsB計算し直したら10.8%だった。
>>915
ピストル騎兵は重騎兵やパイク兵には有効だったけど、騎兵本来の突撃力を失ってしまったんだね。
だから、重騎兵を駆逐した時点でカラコールは不要だったんだろうけど、中々変えられなかったんだろう。
16世紀末の各国軍の銃装備率は35%から45%に達していて、17世紀初めにはパイク兵との比率を逆転する部隊も出てきてる。
こうなってくると益々、ピストル騎兵の出番は無くなるんだけど暫く続いたやり方を変えるというのは中々難しいんだろう。
このへんの話は、火器の誕生とヨーロッパの戦争って本に書かれてなかった?ちなみにこの本Amazonで今買おうとするとえらい高いな
0919人間七七四年
2012/06/16(土) 19:52:34.29ID:bHaUrnqH軍末端での下士官は、永禄年間の北条家の編成が14人当たり1騎
16世紀末のスペイン軍の編成が、火器兵槍兵共に24人に1人の下士官で
時代の遅い16世紀末で比較しても、日本と比べ下士官の割合が少ない。
その頃の西・仏軍の主力は火器装備率4割5割になるけど
一時雇用の雑兵も依然多く均すと3割強程度。
>>916
孫子曰く軍を囲むには空きを残せって言うじゃん、言質も取れたし浜松城は囲まなくてもw
0920人間七七四年
2012/06/16(土) 20:02:29.29ID:MWup8n5Yあんたら二人の意見の食い違いは一体どこから生まれたのかな〜って。
見たところ読んでる史料は同じっぽい感じだし。
0921人間七七四年
2012/06/16(土) 20:12:29.16ID:MWup8n5Y銃騎兵なんかは三木城攻防戦の一例や伊達さんのアレを除くと
あまり一般的ではなかったみたいだが。
0922人間七七四年
2012/06/16(土) 20:50:13.61ID:9HV4NDsB>16世紀末のスペイン軍の編成が、火器兵槍兵共に24人に1人の下士官で
12個中隊編成のテルシオの場合、士官定数は159/3000で5.2%、10個中隊編成のテルシオの場合、137/3000で4.7%。
ところが、これは定数上の数字で実際はもっと多かったようだ。
上でも書いたとおり、1596年のフランス遠征でのテルシオは4,910人中530人が士官だった。
これは、10.8%に達するし、1601年のフランドル方面軍のあるテルシオでも10.8%。
1622年のテルシオオブロンバルディアでは12.6%。
>その頃の西・仏軍の主力は火器装備率4割5割になるけど 一時雇用の雑兵も依然多く均すと3割強程度。
フランス軍の編成は手元にないからすぐにはわからないが、スペイン軍は定数上で46.6%、実数はこれ以上。
比較的陸軍の軍備が遅れていたイングランドでも>>860で書いたとおり、33,444/79,798でおよそ42%。
>孫子曰く軍を囲むには空きを残せって言うじゃん、言質も取れたし浜松城は囲まなくてもw
それは、ちゃんと勝ってる側が言うこと。
逃げ回っているうちは、ただの敗走だぞ。そちらが一次史料を出せば対等になる。
出せてない時点で、脱糞して敗走した家康と同じ状態だぞ。
まぁお互い煽っても何も生まれないし、せっかく興味を持ってくれてる人もいるからスレが終わる前に
一次史料の名前を出してくれ。
0923人間七七四年
2012/06/16(土) 21:06:42.76ID:9HV4NDsBせっかくこういったことに興味を持ってるなら少しでも新しい知識が欲しくなるものじゃないか?
あんたがもし面白い史料を持ってるなら興味あるし、調べてみたい。
スペインの公文書は、量が膨大だから読めばいろいろ出てきて面白いぞ。
同時期のイングランド側の公文書と比較すると、お互いどういった情報をどう分析してたのかといったこともわかるだろう。俺はまだ、そこまで調べてはいないが。
それにこんだけスレ違いなネタを続けて、正直迷惑してる人もいるだろう。
それでも、この話題に多少なり興味を持ってくれている人が居るみたいだから
せめてどういった資料を見ているのか教えてあげるのが礼儀じゃないか?
0924人間七七四年
2012/06/16(土) 21:23:34.62ID:9HV4NDsB正直、戦国日本で装備まで分かっている詳しい兵数がのった史料がほとんど無いから
一般的な装備率を出すのは難しいと思う。
比較的、史料が残ってる北条家でも何人かの武将の着到状から推測に留まっている。
上杉家軍役張は、1575年時点での全軍が載っているという意味でよくまとまっているけど弓がいないなど謎が残る。
あと、一体どこから出てきたのかわからないが歴史群像の大阪の陣190頁に
夏の陣の伊達勢の兵数が載っていて、それによると騎馬628、鉄砲3,420、槍1,360、弓100とある。
もしこれが本当なら、少なくとも伊達勢の戦闘員に対する鉄砲比率は60%を超えてるね。
0925人間七七四年
2012/06/16(土) 21:53:57.24ID:bHaUrnqHあーあ、大人しくしてればこれ以上突っ込まないでやろうと思ったのにw
>>894-895に関して、何度も言った通り英語訳か日本語訳された物や
スペインで公文書集として出された本ならその書籍名を
素の書簡集なら元のままの表記を書いてくれと言ってるよね
16世紀後半に限ったって公文書集はいくつも出されてるのだから。
あとフェリペ2世関係の公文書集はマドリーとサラマンカの所蔵の物が多い
シマンカスはフェリペ2世と関係薄いから公文書集出すほど所蔵が無く
フェリペ2世やパルマ公関連でシマンカスに所蔵されてる公文書集が出される事は無い。
ちなみに俺「も」公文書集は持ってないからそこは安心していいよw
0926人間七七四年
2012/06/16(土) 22:09:38.52ID:bHaUrnqHフェリペ2世時代後半の歩兵の基本編成は火器兵8(192):槍兵9(216)
雑兵の割合は金と戦況の見通し次第だけど大体全軍の1/3。
給与面での待遇上の下士官扱いと実際の役割は別
脱走や損失や補充不足で下士官の割合が上がることはあっても
スペイン軍の歩兵部隊の制度は24人毎に1人の下士官を置くもの
その上の下士官も含めると割合は上がるが、それは戦国大名の軍隊も同じ。
0927人間七七四年
2012/06/16(土) 22:16:59.46ID:9HV4NDsBBritish History Online にシマンカスの全文があるよ。
見てご覧。
そこの、1587-1603の1588年4月29日のものを見たらフランドル方面軍の総数が載ってるよ。
ちなみにこれはパルマ公が一ヶ月にフランドル方面軍にいくらの資金が生じているか報告したものね。
他にもいろいろあるので興味があるなら見てみることをおすすめする。
二次資料というか、16世紀のスペイン関連の本でもシマンカスの文章は引用されてるよ。
正直、出どころのわからない数字も結構あって一次史料を見つけるのはかなり困難だから
シマンカスの公文書を見つけたときは嬉しかった。
あなたは一体何を見ていたわけ。別に公文書集じゃなくてもいいので知りたいんだが。
0928人間七七四年
2012/06/16(土) 22:18:42.85ID:MWup8n5Yその話は知ってる。
多分、島津家文書とかも島津義弘とかの編成が載ってると思うんだが
あれは実物読むのは結構面倒な手続きいるっぽい。
>>925
その手の記録は英訳版とか結構気軽にネットのデータベースで見れなかった?
俺は英語苦手だからパスするけどw
0929人間七七四年
2012/06/16(土) 22:54:19.39ID:9HV4NDsBincluding infantry, cavalry, mercenaries of all nations, artillery, navy, stores, &c. ;
together with a Statement of the Strength of the Forces at the last muster of 29th April 1588 :―
Spanish Infantry.
Crowns.
8,718 men in 89 standards62,239
Italian Infantry.
5,339 men in 59 standards35,225
Burgundian, Irish, and Scotch Infantry. (fn. 4)
3,278 men in 29 standards20,591
Walloon Infantry.
17,825 men in 144 standards79,341
High German Infantry.
11,309 men in 50 standards86,691
Low German Infantry.
8,616 men in 34 standards51,195
Light Horse (Italian and Spanish).
3,650 men in 41 standards38,631
Castles.
Antwerp 600 men, Ghent 350 men, Charlemont 230 men = 1,180 men
Statement from the Duke of Parma to the King, showing the Cost of Maintenance for a month of the Army in Flanders,
適当にコピーしたので見にくいかもしれないけど許して。
0931人間七七四年
2012/06/16(土) 23:05:11.70ID:9w9fswZR大坂の陣、関ヶ原、豊臣諸役、北条武田軍役と逆算していけばその姿は明確になっていくだろう
ただし戦史の地位が低い(と言うか学問じゃないらしい)日本じゃ
まともにやってる学者ので文献には頼れない
ちょっとづつ調べてはいるがなかなかはかどらないな
0935人間七七四年
2012/06/17(日) 00:19:14.48ID:nU8Lpmv9>>931
個人的には尼子経久とか北条早雲が活躍してた
15世紀後半〜16世紀初めの編成についても色々知りたいな。
更に言えば南北朝〜応仁の乱もだけど流石にスレチか。
0936人間七七四年
2012/06/17(日) 01:11:03.64ID:6OAS1qAQおーいいね、ありがとう
>16世紀のスペイン関連の本でもシマンカスの文章は引用されてるよ。
いや、あまり引用されないよ。
まずシマンカスの文章というのが意味不明、シマンカスは文書を所蔵している文書館の名前。
そして王室に関係する書簡や文書は主にマドリーやサラマンカの図書館・文書館所蔵で
スペイン王国本の参考史料にはそれらの出した公文書集が多く引用される。
低地諸国に展開する軍の情報が精緻な割に、前後や周辺の情報を知らないのは
てっきり戦史関係の書籍に局部的に詳しいい情報が乗っていて
それを論拠にしてると思っていたけど、これは勘違い。ただまあ、結論は同じで
何度も云う様に、そこにワロン人と書かれてるフランダース人の兵18000は低地諸国戦線における
対新教のみの条件、ドイツ兵も雑兵。
一番のネタ本は「スペイン黄金の世紀の虚実2 」「ブローデル歴史集成1」
0937人間七七四年
2012/06/17(日) 01:48:38.22ID:6OAS1qAQ全軍が低地諸国に出張った鎮圧軍から英遠征へ転用する予定だった27000人と
リスボンから出航した英遠征軍31000、低地諸国、フランダース、本土、伊半島に残した
守備隊4000人、8000人、8000人、6000人に含まれる、これは上の2冊からの数字。
低地諸国の軍が41000から32000へ減っているのは
遠征の前後に略奪三昧で評判の悪いイタリア兵を伊半島へ戻し留守番にした事と
パルマ公が英軍との講和によって一時雇用のドイツ人雑兵を整理した結果。
結局>>927の勘定だと平時の常備軍と英遠征・反乱鎮圧部隊のうちの常時雇用分が重複。
0938人間七七四年
2012/06/17(日) 01:57:32.04ID:TVTFi9yI0939人間七七四年
2012/06/17(日) 02:05:12.68ID:Sz2cOiQZ薀蓄のある人に好きに使ってもろーとけ
0940人間七七四年
2012/06/17(日) 02:08:44.87ID:TVTFi9yI0941人間七七四年
2012/06/17(日) 02:13:04.02ID:6OAS1qAQ自重します。
0942人間七七四年
2012/06/17(日) 02:45:19.96ID:nU8Lpmv90943人間七七四年
2012/06/17(日) 09:43:10.40ID:I7L15ooP>>931
それすごく興味深そうなテーマだな。そういう本読みたいわ
0944人間七七四年
2012/06/17(日) 10:37:32.11ID:7qcK1aKE>>936、937
色々言いたいことはあるけど、取り敢えずここでお開きでw
こちらの資料は上記のBritish History Onlineの他は、
The Army of Flanders and the Spanish Road, 1567 1659
The Grand Strategy of Philip II
ospray seriesのいくつか
1588年のスペイン軍はテルシオサイトのこの一文からとった
In 1588, an exceptional year when the monarchy was using all his resources for the english invasion, the Spanish had 4 Spanish Tercio in Flanders (8720 men), 3 Spanish Tercios in Italy (7000 men),
5 Spanish Tercios with 32 independent companies in the Armada (18 000 men), some 29000 men in independent companies to garrison Spain, Portugal and the North African presidios (garrisons),
at last with have some 8 000 men with the Armada of America and 5 000 men in Asia, well in total we find some 134 000 men of which 76 000 are probably Spanish or Portuguese.
スレ住民には本当にご迷惑おかけしました。
0945人間七七四年
2012/06/17(日) 21:02:40.00ID:sjdGvl46ここまで無駄にスレ消費するとはね。
0946人間七七四年
2012/06/18(月) 00:13:54.45ID:R8nhKEDMみんな戦国以外にかじった分野ってある?
俺は古代カルタゴとモンゴル帝国、ナポレオン戦争はかなり執心したな。
0947人間七七四年
2012/06/18(月) 00:56:18.82ID:CbfFk/kX自重しろ。
0948人間七七四年
2012/06/23(土) 20:11:08.24ID:YTQPZzWv0949人間七七四年
2012/06/23(土) 20:40:41.23ID:ngUm5mEl0950人間七七四年
2012/06/23(土) 21:50:05.72ID:Xbf9xxB9http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1309683242/
鈴木眞哉史観を疑う 参太刀目
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1288138555/
合流しようかと思ったらあっちも次スレの時期だった
0951人間七七四年
2012/06/23(土) 23:48:36.89ID:YTQPZzWvじゃあバイバイだな。なんかスレ違いの話題も多かったし。
>>950
合流ってことでいいんじゃない?藤本氏の話題も大分少なくなってたから。
0952人間七七四年
2012/06/24(日) 07:52:30.84ID:i74paTz00953人間七七四年
2012/06/24(日) 07:57:15.36ID:iqNQHlhIくらいのド直球なスレタイならどんどんお客さん来そうだけど、
煽るのが楽しいだけでレベルの低いスレになりそうだな。
0954人間七七四年
2012/06/24(日) 22:03:08.24ID:FoLBkLQj>>953
それだと一時的に人は来てもすぐ廃れそうだな。
0955人間七七四年
2012/06/24(日) 22:29:10.03ID:5jf7RkM+0956人間七七四年
2012/06/25(月) 02:07:09.67ID:iqWMEKIk次々と珍説・妄言を垂れ流す鈴木眞哉について
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1340557514/
0957人間七七四年
2012/06/25(月) 21:03:47.89ID:idaFkuId0958人間七七四年
2012/06/30(土) 12:25:10.04ID:febJPb1g0959人間七七四年
2012/06/30(土) 21:47:07.53ID:Nn8Wh2Dfhttp://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1341014191/
339 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/06/30(土) 11:04:56.78 ID:M0Zfq0ib0
槍と刀剣では槍のほうが圧倒的に有利
東西問わず槍の種類が豊富なのはまあそういう事
安いし手入れもほとんどいらないし軽いし速いし力も強い
刀剣では馬上の敵に致命傷すら与えられないからな
また元寇の時に日本刀は蛮刀(青竜刀)に文字通り太刀打ちできなかった
大陸の刀は打撃武器だから重い
その重さに勝てなかった
斧と剣でやったら斧のが勝つだろう
棍棒と剣でも棍棒のが勝つだろう
素人同士が剣と短剣で戦っても短剣が有利だろうな
刀剣が有利な相手は素手くらいのもの
410 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/06/30(土) 11:49:54.22 ID:M0Zfq0ib0
>>401
検死だよ
関が原が終わったあとで転がってる遺体を医師が調べたんだよ
有名だろ
刀傷は一太刀二太刀だよ
全遺体中でだ
0960人間七七四年
2012/06/30(土) 22:49:36.11ID:bGUHSJwM0961人間七七四年
2012/07/14(土) 19:37:54.98ID:erags2jT0962人間七七四年
2012/07/15(日) 00:22:26.53ID:5LFHeYzS0963人間七七四年
2012/07/15(日) 11:41:24.68ID:uowk1SXf0964人間七七四年
2012/07/23(月) 22:01:52.53ID:OwxbdqXhという説は、もう絶滅したかと思っていたら、
数日前のバラエティー番組でもろに再現フィルムでやってた。夜7時からの
有名?番組。タイムスリップして、武将が記者会見を開いたりする番組。
バラエティーだから、それでべつにいいけど。
0965人間七七四年
2012/07/23(月) 22:56:20.67ID:26EptZ1w信長記がアレなせいでわかりにくくなっているよなぁ。
桶狭間が起きたのは1560年で信長はすでに尾張を統一して上洛し
将軍に謁見している尾張の国主なのに、なぜか信長公記では1552年と書かれていて、
その時の信長の勢力に合わせた兵力を持つように描写されているし。
んで、信長記ではそんだけ兵力少なければ、当然奇襲だったでしょって感じで
書かれていて…
0966人間七七四年
2012/07/24(火) 07:36:42.58ID:UI0Zkepp桶狭間も文献史学の手法みたいなのに
耐えられるとは思わないけど、なぜかどえりゃぁ
細かくみんな検証してるわなぁ。
0967人間七七四年
2012/07/24(火) 14:47:05.57ID:GfaPs2Sj勝ったとかあるわ。奇襲説はかなり流布してたんじゃない?
0968人間七七四年
2012/07/24(火) 17:19:08.42ID:06HEpbvc斉藤を無視して全軍を今川に回せる根拠を教えてくれよw
0969人間七七四年
2012/07/25(水) 07:01:49.69ID:bCFleot2首巻は、あとになってから、信長が若い頃の話のメモをまとめ書きした形式だろ。
つづり間違えちゃったんだよ。時間列が狂っちゃった。だから、
「信長公記」が桶狭間の合戦年を「天文21年」(1552年)と「記述を誤っている」ことに対して、
単に「永禄3年(1560年)の誤り。後世の加筆であろう。」
ということにされてしまってる。
0970人間七七四年
2012/07/26(木) 00:37:49.95ID:fm1Qo0Ezそりゃ、信長記では奇襲って描写されているんだから、江戸時代初期には奇襲説は広く
流布されていたでそ。
>>968
斉藤への抑えの兵を残しておいたとしても、それでも信長公記に書かれている動員兵力
では少なすぎるわけだが。
0971人間七七四年
2012/07/26(木) 00:42:29.42ID:7uT4Rbk/0972人間七七四年
2012/07/28(土) 11:29:46.97ID:DkQ9hBrE正面にしろ奇襲にしろ実際は兵数にはそんなに差はなかったんだろう。
それだけのこと。
勝ったほうが大げさにいうのは当然だしまさか45000を信じて
いるのはいないだろうし。
奇襲というのはなんかそれらしくて逆に卑怯とかいう
イメージにもなるしそんなに褒めた今風の意味もないかもしれない。
0973人間七七四年
2012/07/29(日) 18:42:33.57ID:wGYadxZ0今川軍は、45000と過大な数だと思っていたのは一つ。
一騎がけの道(狭い道)を信長が行こうとしたのを、家老たちが、引き留めている。敵から丸見え
なのもあるが、兵の数が優勢ならとめるわけがない。劣勢なのだから、とりすがって止めようとするだろう。
敵が攻めたら引け、敵が引いたら押せ、という訓示は、やはり劣勢。でもこの表現からは
そんなに少数でもない。
前線での兵力は五分五分でなく、4;6ぐらいか。
0974人間七七四年
2012/07/29(日) 18:46:37.65ID:wGYadxZ0黒煙あげて走り出す描写を見ると、この時点で
優勢、勝てる!と兵たちが思っているのがわかる。
熱田神宮の御加護つまり、ものすごい追い風、風雨があったことが勝因。明白ですね。
0975人間七七四年
2012/08/10(金) 10:37:25.96ID:B1T2Bpzu0976人間七七四年
2012/08/17(金) 21:59:07.55ID:3wSh/+SY0977人間七七四年
2012/08/17(金) 22:07:43.08ID:3wSh/+SY桶狭間の戦いと六角氏
永禄三年(一五六〇)五月二十日の桶狭間の戦い(田楽狭間の戦い)で、
六角氏が織田信長方に援軍を出して協力したという記事が『江源武鑑』にある。
そのときの六角義秀軍功状(17)が『甲賀郡志』に紹介されている。
前年信長が上洛した時に密約ができていたのかもしれない。
『六角佐々木氏系図略』や沙々貴神社本、さらに『江源武鑑』によれば、
この義秀が徳川公に相当する人物である。
去月八日於清州織田上総介加勢池田前田両将差越處、同十九日
三尾之境於桶羽佐間為下知、義元四万余騎乗崩之働不可勝計、
為其賞甲賀之内二千貫之所、別有目録、仰付候上者、専可抽
忠義者也、仍如件、
永禄三年六月五日 義秀(花押)
馬杉丹後守殿
この書状によれば、永禄三年(一五六〇)の桶狭間の戦いで、義秀は
甲賀武士の池田氏や前田氏を織田信長方に派遣している。『江源武鑑』では
六角義秀が池田恒興や前田利家を援軍として派遣したと伝えている。
たしかに旧家に伝わる義実直状や義秀直状には偽文書と判断されるものが多く、
この文書も慎重に真偽を判断する必要がある。
0978人間七七四年
2012/08/17(金) 22:14:54.86ID:qM2zftlZ手伝い戦で頑張ったから、二千貫の恩賞って高すぎるだろ、常識的に考えて。
今川の4万の軍勢ってのもどう考えても軍記物の影響だし。
0979人間七七四年
2012/08/17(金) 23:24:31.13ID:tQPxsk4K0980人間七七四年
2012/08/19(日) 00:49:49.90ID:H+xnRFsVとのことで、調べてみた。
要約
記録に残っていて確認できる範囲になりますが、朝廷に献金した金額ランキング。
1 織田信秀 四十万疋 天文十二年(1543) 内裏修理
2 大内義隆 二十一.四万疋 天文四年(1535) 即位費
3 大内義隆 十万疋 天文六年(1537) 不明
4 三好長慶 六万疋 弘治三年(1557) 大葬費
5 今川義元 五万疋 天文十二年(1543) 内裏修理
ぶっちぎりのトップは信長の父親である織田信秀で、彼は何と「ライバル」である
今川義元の10倍近い金額を献金しています。
「四十万疋(=4千貫)」っていくらだよ??ということになりますが、
石高に換算しますと、おそらく2万石相当の収入を一度に献金したことになります
手伝い戦で、1万石の恩賞を与えた、というのは、高いな。
0981人間七七四年
2012/08/19(日) 01:34:27.91ID:oZD7bVla0982人間七七四年
2012/08/19(日) 08:44:37.55ID:6Ddg7qZA0983人間七七四年
2012/08/19(日) 16:37:20.68ID:mobnZZVfレス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。