栗山備後守利安と言えば、軍陣にての高名は11度、そのうち5度は槍働き、6度は采配をとって人を使っての働き
であり、また仕物(命令で人を斬ること)も4度、このうち2人は豊臣秀吉が黒田如水に仰せ付けられた者を
利安が実際に斬った。
これほどの戦働きをしたが合戦で怪我を負ったということはなく、ただ一度、朝鮮の役で左の小脇に矢がかすり、
血が少し滲んだ事のみが例外であった。
このように大剛の栗山利安であったが、普段は自身の戦の話など、まるですることの無い人であったという。

時に彼は81歳で死ぬ。その前日のことである。

利安はすでに、呼吸をするのがやっと、という状態であり、子どもたちをはじめとした看病をしている者たちは皆、
枕元でその時を覚悟していた。と、この時

利安は不意に、カッ目を見開いた。そして

「馬だ!鉄砲だ!
あそこに敵が出たぞ、味方の人数をここに出せ!あちらに出せ!
鉄砲をあの山に上げて撃たせろ!
敵は馬で駆け寄ってくるぞ!味方は馬から降り芝生に座れ!采配次第に、いかにも静々と懸かれ!」

うわ言に、合戦での指揮を叫び始めたのだ。

看病の者たちは皆大いに驚いたが、そのうちの一人が利安の耳元で

「かしこまり候」

と答えれば、おとなしくなり再び寝入った。

栗山利安はその一晩の間に5度合戦の指揮を叫び、夜明け頃、儚くなった。


戦国の世に生まれ育ったいくさ人の、臨終の模様である。
(古郷物語)