もし長篠の合戦で信長、家康が討ち死にしていたら
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0001人間七七四年
2011/05/18(水) 03:41:43.98ID:WzRlh9fV武田の損害は史実通りとします
0154人間七七四年
2011/06/27(月) 23:56:08.00ID:CRm/uAWbhttp://www.youtube.com/watch?v=QzU5i-OGWlg&feature=related
0155人間七七四年
2011/06/29(水) 02:17:43.74ID:p5Sklkfb突っ込むだけアホらしいかもしれんが、
信長は家督相続時点では尾張の1/4以下しか実効支配してないだろうが
0156人間七七四年
2011/06/29(水) 08:13:36.54ID:PEQ7SAuP0157人間七七四年
2011/06/29(水) 12:18:23.11ID:ecxCEE4I0158人間七七四年
2011/06/29(水) 13:08:51.21ID:FZwxf24j一国すら支配出来てなかったんだし
0159人間七七四年
2011/06/29(水) 13:38:54.04ID:qoVLoblM従属豪族を従えてただけだよね
0160人間七七四年
2011/06/29(水) 14:52:14.06ID:WXiMNsG50161人間七七四年
2011/06/29(水) 16:23:22.49ID:4NQQoQVc→今まで各戦線に引張り凧だった尾張衆・美濃衆が対武田戦線に注力できるようになる
→それどころか他の戦線から援軍が派遣されて、手薄だった美濃の戦力が充実
→余裕ありすぎて、飛騨から越中に侵攻する織田軍
長篠前ですら、信玄・勝頼が徳川・織田から城一つ奪う間に、織田家は十倍の速さで勢力拡大してた
硝石も満足に取れないような土地で粘り続けた勝頼は信長からも家康からも絶賛された名将なのに、後世では愚将扱い
なんていうかそういう本て昔の人を馬鹿にするところから始まるよね
0162人間七七四年
2011/06/29(水) 19:51:54.00ID:qoVLoblM余力が有り余ってるというか、
新規武将を統率するために上杉に意識を向けさせた感じだよね
0163人間七七四年
2011/06/30(木) 08:35:44.08ID:G0BNfFVG信玄が信長家康を滅ぼしかけた(という見方がある)のに
勝頼は家康を滅ぼすどころか逆に滅ぼされたから
信玄マンセーし過ぎた余波を勝頼が諸に受けてるんだよ
戦犯は江戸に捏造した奴等だ
0164人間七七四年
2011/06/30(木) 09:35:49.25ID:X3Ss12eU0165人間七七四年
2011/07/03(日) 03:33:17.79ID:KTOLd1r2仮に長篠のとき、織田の援軍が三方原と同じ3千だとしたら勝頼でも勝てただろう
0166人間七七四年
2011/07/03(日) 11:26:01.60ID:txzUFUpdわざわざ不利な状況で決戦に挑んだ事が勝頼の低評価たる所以だし
0167人間七七四年
2011/07/03(日) 23:12:32.16ID:9DVrQXMg0168人間七七四年
2011/07/03(日) 23:36:00.05ID:rBFPYKCQ大軍持って調子に乗ってチョッカイ出したらボコボコされちゃっただけ
0169人間七七四年
2011/07/04(月) 06:20:15.46ID:3RYCOuMG0170人間七七四年
2011/07/04(月) 08:14:33.56ID:LcBnxpkv優れていそうだけどね。
0171人間七七四年
2011/07/04(月) 10:48:10.18ID:K/CiiLhY当時の人間と比較したら現代人は神にも近い能力がある
低学歴DQNは問題外だが
0172人間七七四年
2011/07/04(月) 16:39:12.20ID:R2mZA/qh0173人間七七四年
2011/07/09(土) 11:40:22.89ID:3Fh61SfDでこの前提の場合岡崎派の信康が武田に臣従で織田は信忠中心に防勢一方だろ
決戦で信長家康討ち取ったとか武田の地位は完全に抜けてるし
謙信がとち狂って上野、信濃に出兵してきたら笑うけど
0174人間七七四年
2011/07/09(土) 12:18:58.23ID:TZwLgdzD0175人間七七四年
2011/07/10(日) 08:46:27.31ID:kMz/63pNそりゃ信長も警戒してるけど野戦陣地に突っ込むよりは余程マシだろう
雨で鉄砲も使えないし
0176人間七七四年
2011/07/10(日) 10:42:28.04ID:OlDF7H0l劣勢な武田側こそ陣を張って待ち構えるべきかと
0177人間七七四年
2011/07/10(日) 11:20:55.71ID:kMz/63pNあの時点でどうにかするなら長篠を強襲で落として後顧の憂いを無くすしかないんじゃないか?
そのまま睨み合ってれば後詰めの意味が無くなって撤退する連合軍を追撃する事も出来そうだが
0178人間七七四年
2011/07/10(日) 12:51:17.31ID:uX2Je+Ju後詰めがあるのは分かり切った事だし、間に合わなかった時の事を考慮すべきだったんだよ
武田勢の方がずっと前に布陣していたわけだし準備する時間はいくらでもあった
そして武田側は自由に好きな場所に普請できると言う利点がある
3000〜5000で長篠城を包囲し、残りの部隊は周囲の要害に陣城を築いて固く守る
武田側はただ守っていれば、いずれ長篠城の兵糧が尽きて落城する
一方、織田側は突破しなくては後詰めの目的が果たせない
つまり織田方は否応なしに武田の陣城に攻めかかるしかなく、武田方はそれに矢弾を降り注ぎ続ければよい
史実と逆展開になる
0179人間七七四年
2011/07/10(日) 17:05:25.95ID:PcUHopQV信長公記でも言っているように
武田軍は寒狭川を前に陣を張れば良かった。
>>176
俺もそう思う。
それでも武田軍が突撃したのは後方の長篠城攻撃部隊が
連合軍別働隊によって急襲されたからだと思う。
0180人間七七四年
2011/07/10(日) 18:15:37.03ID:fXnGlQs/酒井が5000で急襲してもそうそう落ちるものではない
退路を確保すれば整斉と退却するも良し、織田・徳川がしびれを切らせて退却するのを追撃しても良い
武田にとっては長篠を落城させて奥平の首を取れば目的は達成されるわけだし
ちょっと気になるのは長篠の目と鼻の先に陣を張った織田・徳川が長篠落城後にどう行動するか
長篠奪回に動くのか後詰め失敗で退却するのか
どちらにしろ織田・徳川にとっては有利な話ではないな
0181人間七七四年
2011/07/10(日) 20:32:01.79ID:AUcE0TlEおお!素晴らしい策だ!
長篠包囲の5000に織田徳川軍がせめこめないような場所に陣城つくることが出来ればパーフェクト!
0182人間七七四年
2011/07/10(日) 20:48:35.70ID:fXnGlQs/織田徳川が仕掛けてくるとは到底思えないんだが
あと長対陣すれば経済力に劣る武田側が不利になるだけ
兵站線見ても岡崎経由でいくらでも運び込める織田徳川に対して
武田軍は信濃からはるばる伊那、飯田を経由して運ばなければならない
0183人間七七四年
2011/07/11(月) 09:33:33.54ID:B67hnvIS幸い長篠城は兵糧が欠乏していたと言う
それほど長期間囲まなくても城は落ちる
織田徳川方が仕掛けて来ないなら武田方も損害を受けずに長篠城を獲られるのだから悪い話しではない
それに織田徳川方が黙ってそれを見ていたのでは、4万近い大軍を発して後詰めに来た意味がないし士気の低下も避けられない
織田家の主力が東方に釘付けになり、しかも城も落とされたとあっては
それでなくても苦心している西方の戦線は不利になるし
各地で燻っている反織田勢力も勢いを増すのは必至
長期戦は織田徳川方にとっても不利になる
少なくとも長篠城の落城後に織田の主力が留まり続けるとは考え難い
0184人間七七四年
2011/07/11(月) 09:54:00.86ID:A4H5M/ZE長篠に入った武田が撤退するまでは動けないだろ
0185人間七七四年
2011/07/11(月) 20:00:19.76ID:A26ubUFX0186人間七七四年
2011/07/11(月) 20:06:29.76ID:C2YKcP0C結局長篠の後詰めには失敗するわ3倍の兵力持ってながら
武田に手出しできないわじゃ織田の威信に関わるから
逆に野戦陣地出て強襲するハメになるのかな
0187人間七七四年
2011/07/11(月) 21:46:05.82ID:OtFTWecY武田と直接戦ってるのは徳川だから、そこまでして属国のために老を尽くすタイプじゃないかと
0188人間七七四年
2011/07/11(月) 23:22:03.29ID:Pq6tvwQzそうなれば前後から挟撃され武田軍は壊滅する
また酒井別働隊に兵力を割くと織田徳川主力か長篠城包囲に当たっている部隊を回さねばならず
敵主力が強襲してくるか長篠城城兵が打って出てきてこれまた大ピンチに
やはりどう考えても兵力が足りなすぎる
0189人間七七四年
2011/07/12(火) 02:04:33.92ID:AnW1rV02徳川が武田に寝返る可能性があったと言われているが
岡崎派の信康だけでも寝返ったらもう浜松は孤立する
信長も尾張の防衛に兵力裂かれるわけでそれだけはどうしても避けたい
やはり長篠奪回するために陣を出る可能性もありそうだが
3倍の兵力持ってて後ろ見せる訳にはいかんでしょあの状況で
0190人間七七四年
2011/07/12(火) 08:54:26.90ID:CmIisNqrどーせ後で北条も敵に回すのに活路があるか?
あと信康寝返るってなんぞ
0191人間七七四年
2011/07/12(火) 11:54:53.25ID:I2gjZetQ織田・徳川はどうにもならなかった。
そんな事は、設楽原の地形を見れば素人でも分かるのだが。。。
しかし何故、武田軍は川を渡ったのか?
そこが最大の謎だと思う。
0192人間七七四年
2011/07/12(火) 12:43:06.00ID:JrRzUB3M0193人間七七四年
2011/07/12(火) 14:03:49.90ID:EPpQvGwR長篠城の前面の大通寺山や天神山と、宇連川対岸の鳶ノ巣山を中心として陣を張るべきだった
0194人間七七四年
2011/07/12(火) 15:26:39.86ID:za7hTS+Kだからこそ設楽が原に軍進めたんだろ武田は
主力が対陣しつつ織田・徳川が出てこないなら城に対する攻撃を強めてさっさと落とすべきだったとは思うが
なんにせよ武田に勝ち目がなかった訳じゃないのは確かだわな
酒井の別働隊に退路絶たれたから形勢逆転したけどそれまで戦いの主導権を握ってたのは武田だし
0195人間七七四年
2011/07/12(火) 17:05:14.55ID:aD9uU4H1宇連川対岸の重要性を理解していなかったのが武田側の敗因
0196人間七七四年
2011/07/13(水) 01:18:57.15ID:LVe6Z5Rt武田にとって必要だったのは設楽が原に進出するより長篠城強襲してさっさと落とすことだよ
後詰め失敗で退却させるだけでも武田の勝ちなんだから
0197人間七七四年
2011/07/13(水) 05:10:48.58ID:oJTbPnz0もし武田が、後詰めを無視(備えはするが軍を進めて決戦をしない)して、そのまま長篠城を落とすと、織田徳川軍は長篠城奪還に城に迫ってくるかな
0198人間七七四年
2011/07/13(水) 08:09:39.39ID:3kLkLkArのではないかと。
0199人間七七四年
2011/07/13(水) 08:48:36.78ID:i/8AZxIU甲斐から長篠までどんだけ山越えないといかんのかと。
こんなとこに拘って決戦までやらかした勝頼の戦略眼のなさが敗因。
もっと言えば、浅井朝倉が滅んだ時点で織田とは和睦するべき。
上杉とも和睦して北条を攻めるのが最善。
0200人間七七四年
2011/07/13(水) 10:18:33.02ID:0O0poNdyこの時期の徳川の立場や3倍近いの兵力持ってきた信長の立場考えると
長篠が落城しました。後詰めの意味が無くなりました。じゃあ退却します。
とはなりづらいんじゃないかな。
あえて城の開放に向かわずに設楽が原に野戦陣地なんか作ってるわけで。
見方によれば武田を恐れて陣地に引き籠もって後詰め失敗して逃げたみたいな宣伝に使われそうだし
武田は長篠の整備を終えれば兵站的な面から退却せざるを得ないわけで
兵站に勝る織田・徳川が野戦陣地で対陣し続けて武田撤退後奪回に動くのもあり得そうだが
あとは西方の動き次第だろうね
対陣が長引くようなら岩村の秋山に突かせても良いだろうし
0201人間七七四年
2011/07/13(水) 10:19:45.76ID:KhU24uRf長篠城が力攻めで落ちないから、どうするのが最善かを議論しているのだが
だから宇連川対岸を固める事が重要
鳶ノ巣山を中心に砦を築いて最低でも3000は配置するべき
0202人間七七四年
2011/07/13(水) 11:16:33.10ID:0O0poNdy通説だと武田軍15000の内長篠包囲で城と周辺砦に2000残して
残り13000が設楽が原で対陣したんだよね?
その3000ってのは砦にってこと?
だと4000を包囲に回して本隊11000で連合軍は38000なんだけど
というかそこまで退路絶たれる危険を事前に予想してるなら設楽が原に進出しないんじゃね?
0203人間七七四年
2011/07/14(木) 04:08:34.56ID:c5RGMJh8秋山軍が岐阜で撹乱すれば信長も長篠にかかりきりにはなれないのでは と思うけど、実際は岐阜も空っぽなわけじゃなかっただろうな
浅井朝倉がいれば、やりようもあっただろうが、将棋で例えれば、飛車、角とられて王と金銀桂馬でつっこんだら、王以外全部とられたって感じ
0204人間七七四年
2011/07/14(木) 08:10:52.93ID:AY04tHcgほんと不思議だわ。
0205人間七七四年
2011/07/14(木) 08:51:29.58ID:YBoXmlEc勝頼がこれを好機と捉えるのは不思議ではないよ
結局これだけ戦力差がついてしまっては、どこかで決戦して敵主力を壊滅させるしかない
ただ、不利な状況で決戦を挑むにはそれなりの準備が必要だけど
勝頼は何の策もなく進んで行った辺りが人々の目に不可解に映る
やはり通説のように敵を甘く見ていたと言う事なのだろう
0206人間七七四年
2011/07/14(木) 09:01:53.36ID:JAXQcT3h15000って事は要するに勝頼も織田が出てくるとは思ってなかったわけでしょ
3倍近い相手が出てきて好機と捉えるものなのかな
3倍の兵力を持つ織田徳川が城を目の前に野戦陣地にこもったまま有効な後詰めが打てず
長篠城は陥落したってシナリオにした方が織田徳川の威信失墜には好都合だったと思うけど
武田でいう高天神の失陥並にインパクトあると思うが
0207人間七七四年
2011/07/14(木) 12:13:07.68ID:35WWOMqq織田が援軍を過小に、例えば一万程度に見せていたとか。
0208人間七七四年
2011/07/14(木) 12:31:59.23ID:lsXZh3GV0209人間七七四年
2011/07/14(木) 12:36:34.36ID:AY04tHcgまあ、山間だし把握できていなかった可能性もあるけど、その辺はどうなの
かなぁ。
記録とかが残っていればいいのだけね。
0210人間七七四年
2011/07/14(木) 13:42:00.29ID:JAXQcT3hいくら見誤っても5000程度の誤差じゃないか?
どこまで史実かは知らないけど連合軍の着陣直後に夜襲か昼間強襲の進言があったような
3段撃ちが史実ではないとはいえ鉄砲の大量使用が武田封じの秘密兵器だったんだろうから
雨の降る中で陣も完成前に突っ込まれたらかなりの乱戦になっただろうね
3倍の敵に武田が勝ったとも思わないけどさ
0211人間七七四年
2011/07/14(木) 14:31:38.96ID:5snCVHB1酒井別働隊の動きも全く察知出来なかったし
武田の情報収集力が元々ダメダメだったのかそれとも勝頼が無能で活用出来なかったのか
0212人間七七四年
2011/07/14(木) 16:04:26.99ID:sSsId1lJそれをせず逆に敵側へ進出したと言う事は初めから決戦して勝つつもりであった事は間違いないだろう
織田方の正確な数は把握していなくても自軍より多い事は予想していたものと思われるが
我々があくまで「勝てない」と思うのは結果を知っているからであって、勝頼が「勝てる」と見込んでもおかしくはない
いつの時代の戦争も状況を選べる事は少なく、戦力差の開いた戦いは珍しいものではない
圧倒的寡兵で勝利した例も数多く存在する
だから勝頼が勝負に出た事は特別不審な行動ではない
ただ、恐らく勝頼は野戦での短期決戦のつもりで進出したのだと思う
だが進出した先で織田方が大規模な陣城を築いていた事が大きな誤算であり、仕掛けずに陣を敷いて対峙したのだと思う
そこで織田方は別動隊を回り込ませて宇連川南岸の敵を一掃して長篠城の包囲を崩すと共に武田本隊の背後を脅かした
こうなっては武田勢の撤退は叶わず前面の敵を破る事で活路を見いだそうとしたのだろう
0213人間七七四年
2011/07/14(木) 16:23:38.21ID:JAXQcT3h設楽原に進出した時点で罠に落ちたのは間違いないね
0214人間七七四年
2011/07/14(木) 21:17:32.58ID:CVZofK710215人間七七四年
2011/07/14(木) 22:02:46.39ID:mk2Cs48A武田の本隊が動いたら織田徳川が陣前出撃してくるだけじゃね?
こう考えるとやはり設楽原に進出したのが全ての間違いのような・・・
0216人間七七四年
2011/07/15(金) 01:02:51.23ID:mVl2Zove本隊から2千ぐらい割いて背後から挟撃すれば逆に壊滅させられた
0217人間七七四年
2011/07/15(金) 01:42:14.02ID:Q2/218Xu少なくとも退路絶たれる前に脱出できたと思うが
そこで追撃してくる織田を返り討ちに出来るかどうかは何とも言えないけど
0218人間七七四年
2011/07/15(金) 06:51:29.43ID:PGFic31G0219人間七七四年
2011/07/15(金) 06:51:41.18ID:A4RvKcW3別働隊はもっもと効率的な朝駆けをしてたから索敵なんて無理だろう。
あと鳶の巣砦は砦なんかじゃない。平地に縄を張った程度。
0220人間七七四年
2011/07/15(金) 07:31:14.70ID:pQilu8AE0221人間七七四年
2011/07/15(金) 08:09:59.53ID:mpWVblr+正面突破って、方向が逆だしW
三増峠だって突破方向は自国。
関ヶ原の島津みたいな絶望的な状況じゃないだろ。
退路断たれたから正面突破説は机上の空論。
やはり状況判断の甘さから、勝てると思って仕掛けたんだろ。
0222人間七七四年
2011/07/15(金) 08:16:43.68ID:mpWVblr+むしろ三方ヶ原のように、引くと見せて追ってくるのを待ち伏せるべき。
やはり、よほどの好機と思い込まされてたとしか思えない。佐久間信盛内応謀略説ってどうなんだっけ。
0223人間七七四年
2011/07/15(金) 08:23:24.90ID:pQilu8AEどっちにしろ主導権奪われた状況で野戦陣地に突っ込むのはちょっと
酒井の別働隊が襲撃した時点で逡巡したのが命取りになったのかな
0224人間七七四年
2011/07/15(金) 11:21:07.41ID:KoMAXTFU見張り台設けておけば少なくとも奇襲は防げる
恐らく城兵のみに気をとられて後詰めが来るとは思わず歩哨すら立ててなかったのだろう
いくらなんでも油断し過ぎ
鳶ノ巣山の砦群はちゃんと山頂付近を平削してあるし、土塁や掘切も残っている
砦と呼ばれているくらいだから、それなりの形にはなっていた
0225人間七七四年
2011/07/15(金) 13:39:22.56ID:a5wTusDP後ろから奇襲されたんだから何の役にも立たないのは明白
あの地域で攻勢を食い止めるなら一刻も早く長篠を落とさないと
0226人間七七四年
2011/07/15(金) 15:48:58.81ID:5vjCIifi長篠城を落とすには
1、後詰めを破る
2、長期戦に持ち込む
の二択しかない
そして勝頼は1を選択したと
0227人間七七四年
2011/07/15(金) 17:25:15.24ID:wRKa6EX7本丸の防御力はどの程度のものだろうか?
織田・徳川が後詰め失敗で退却しないように手加減したみたいな説もあるみたいだけど
その割に鳥居強右衛門に降伏勧めさせたりもしてるんだよな
このあたりの勝頼の内面が見えないとなんとも言えないね
0228人間七七四年
2011/07/15(金) 19:15:23.26ID:5vjCIifi少なくとも後詰めが来るまでには落とせないと思わせるぐらいの防御力が残っていたと言う事だな
0229人間七七四年
2011/07/15(金) 20:51:46.95ID:R0rW7Xl6少なくとも数日は持ちこたえるだろうと判断してもおかしくはない
0230人間七七四年
2011/07/16(土) 16:31:03.18ID:1BlAfg2P0231人間七七四年
2011/07/16(土) 17:01:55.78ID:gYfGEll7これ見る限り空堀じゃなくて水堀だったみたいね
実際現地で縄張り見てみたいね
0232人間七七四年
2011/07/16(土) 17:11:58.50ID:gYfGEll7武田側に残った山家三方衆もいたんだからそれを使って調略できなかったのかな?
落とすなら落とすで後詰めが来てるのに包囲で兵糧攻めしてる場合じゃないだろうと思ったり
本丸まで追い込んでおきながらそこからの武田側の動きが緩慢じゃね?
織田・徳川を退却させないために手加減した説の根拠はここなんだろうけど
0233人間七七四年
2011/07/16(土) 17:13:48.69ID:gYfGEll7すまん
0234人間七七四年
2011/07/17(日) 12:24:25.43ID:kq9adiPH0235人間七七四年
2011/07/17(日) 18:10:37.58ID:tXGt/7PA信長をさそいだすために手加減したかどうかは分からないけど、少なくても当初、この戦いの目的はは長篠城攻略及び奥平制裁だったと思う。
0236人間七七四年
2011/07/17(日) 18:53:32.68ID:oJRZDByJ俺も初めは信長や家康を誘き出す為に長篠を攻めたのかと思ったけど
その割りには準備が不十分だし、高天神城や明智城が後詰めがくる前に落とせた事をふまえると
単に今回も後詰めが来る前に落とせると見込んでたと考えるのが自然だと思う
0237人間七七四年
2011/07/17(日) 21:44:00.18ID:/umxC+bF0238人間七七四年
2011/07/18(月) 11:50:24.90ID:u2cjocNl0239人間七七四年
2011/07/18(月) 13:53:03.72ID:rzy2VWH/近くに行ってから初めて堅固な陣地築いているのを知って、退くも攻めるもできず陣を張って対峙していたら
鳶ノ巣山を落とされ背後を脅かされて、もはや前に進むしかなくなったと
0241人間七七四年
2011/07/21(木) 17:41:41.43ID:f1c6Vjo9そんな砦があったらさすがに攻撃しかけないかと。
あの周辺、湿地帯だったようだから、そもそも攻め口は限定されていたんじゃないかな。
その攻め口が竹広、柳田激戦地だったんでしょう。
攻め口が限定されているなら防御箇所も限定的で柵も街道を封鎖する程度であったと推察。
また兵力差3倍も本当にあったかも疑問。
信長、家康が討死していたらってということですが、この戦いで武田が勝つには大砲でも
なかったら無理だったんじゃないかな??
でも勝頼は遠江ぐらいは平定したかも知れない。。あとは織田家、徳川家内でどんな争いが
起こるか・・
0242人間七七四年
2011/07/21(木) 18:12:27.67ID:+EnxOhe3ここで織田軍が壊滅するならもうあの領国は維持できないだろうね
0243人間七七四年
2011/07/21(木) 20:56:18.31ID:x/ybZj6vどちらかと言うと信長だけ討ち死にした場合の方が面白いかも
0244人間七七四年
2011/07/25(月) 19:33:31.03ID:t37AAIxY0245人間七七四年
2011/07/25(月) 22:34:21.75ID:z94CeYl9よく言われている以下の事は、針小棒大に言われているのじゃないか?と、思わなくもない。全くの事実無根ではないだろうけどね。
三倍差
三段撃(鉄砲3千挺)陣城(馬防柵)
信長の勝利を誇張し、勝頼を貶めるために大袈裟に話を作った可能性あり。
武田家の重臣が沢山討ち死にしているから、戦自体の勝敗は武田方の負けだろうけど。
あと、微妙に疑問に感じるのだけど、山県や馬場や真田などが討ち死にした事が、武田の力を弱めたって説。
山県や馬場と勝頼の関係次第では、戦のどさくさにまぎれて消したって考えられないか?。
信玄時代からの重臣で、勝頼にしたら目の上のタンコブで邪魔な存在だった可能性もある。
0246人間七七四年
2011/07/26(火) 03:19:03.14ID:XcldNZOU晴信時代の板垣、甘利と違うんだから
御親類衆とのバランスを取るためにも重臣連中は勝頼には必要でしょ
勝頼は上野侵攻あたりから対北条戦、対徳川戦の三方原等で実際力を示してる訳で
甘く見られてたとも思えないが
0247人間七七四年
2011/07/26(火) 16:17:40.61ID:2NBl817I織田徳川合わせたものかちょっと分からない。
織田勢の侍大将は、丹羽、佐久間、滝川、羽柴、信忠、信雄が主な面々か?
信雄は連吾川よりかなり西方。
徳川勢は本隊、西三河衆、東三河衆(酒井)で東三河衆(酒井)は鳶ノ巣へ
迂回攻撃。徳川の総数はおおよそ八千は妥当な兵数でしょう。
伝承地を信用した場合になるけど、連吾川沿いに展開したのは織田勢が
丹羽、佐久間、滝川、徳川勢が本隊と西三河衆で総数一万三千程度かと思う。
地形的にもそれが精一杯だったのかもしれない。
突破・迂回されることも想定して茶臼山本陣左右に羽柴勢や信忠が配置。
織田軍の鉄砲は信長本隊がおおよそ千五百挺、それぞれの備にも鉄砲があったと
思われるので総数としては二千挺近くなったかもしれない。
徳川勢は多くて五百挺程度か?
武田勢も千挺以上の火縄は有していたでしょう。
三段撃ちはテレビや漫画で見られるようなものではなかったはず。
せまってくる敵に応じて発砲したと思いますが、その際に三段撃ちに見えるもの
もあったかもしれない。だたそれは数百以上で一斉射撃という組織的なものでは
なかったでしょう。
武田譜代の重臣達は撤退戦で多くが討ち取られたと思いますが、撤退となれば
一門・御親類衆が先だと思います。譜代・外様は要所で撤退を援護する役目だったかと。
さすがに仮に邪魔な存在であったとしても合戦の最中に・・は難しい気がします(笑)
0248人間七七四年
2011/07/26(火) 18:06:40.13ID:Ffw9Evlh山にも布陣したと考えれば、あの地に連合軍3.8万、武田軍1.2万は
布陣できた。
0249人間七七四年
2011/07/26(火) 18:20:11.56ID:s7y4hcso織田からすりゃ謙信や毛利がいるから絶対に負けられないし
織田との国力差や徳川にさえ手こずってたんだからそんな余裕ないと思うが…
0250人間七七四年
2011/07/27(水) 15:41:41.02ID:4fPfd/LM200〜250メートル程で南北大久保隊の布陣伝承地から県道21号線
あたりまで約2キロ。
仮に平地で草木がなくても三万八千の軍勢が入るには狭いかと。
当然馬も荷物もあるわけで・・
機動的に備や組が動き、攻撃を加えるにはその半数ぐらいと考えますが、
伝承地より連吾川沿いに布陣したとされる備の大将は丹羽、佐久間、滝川で
彼らがそれぞれ三千以上の兵を指揮したとは考えにくい。
八時間近く設楽が原で合戦が続いたとされているので、最中に羽柴勢や信忠勢が
押し出てくる可能性はあったかも知れないけど、織田軍が布陣した場所では
ほぼ鉄砲組で仕寄りしながらせまってくる武田軍を追い散らしたようであるから
後方部隊が出る必要はなかったと思います。
0251人間七七四年
2011/07/27(水) 19:59:58.69ID:C90uX0t6説っていうか事実だろう。
いや、天下に名を轟かした山県や馬場が死んで一気に武田はナメられる存在になった。
ていうか、その理屈では武田は長篠の戦いで衰退してないってことになるぞ。
もしも勝頼が私情で山県や馬場を粛清したのなら、
自分だちの勢力を弱めただけだと思うんだが。
0252人間七七四年
2011/07/27(水) 23:42:47.81ID:6zGuRKSSあの辺りが踏ん張ってればあんだけ酷い負け方にはならんかったような気もするが。
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