戦国ちょっと悪い話26
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0001人間七七四年
2011/05/03(火) 03:46:40.51ID:bO+mpFnO戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
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戦国ちょっと悪い話25
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1298639461/
姉妹スレ
戦国ちょっといい話26
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1302853897/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0764人間七七四年
2011/06/25(土) 16:46:21.87ID:hIIeBjYi効果は猫科属性の敵に大ダメージだな、鍋島さんが喜びそうな武器だ
0765人間七七四年
2011/06/25(土) 17:13:51.88ID:LMM+bejzあと「猫切丸」っていまいち強そうじゃないよね・・・
0766人間七七四年
2011/06/25(土) 17:26:52.59ID:iIXHFcvKイメージキャラの黒猫は可愛いのに。
0767人間七七四年
2011/06/25(土) 17:59:50.15ID:i4u/sEmt0768人間七七四年
2011/06/25(土) 22:13:06.84ID:XdLaq3iVそこにあるのが猫魔スキー場。伝説にあやかったねこまんまが食堂メニューにある。
0769人間七七四年
2011/06/25(土) 23:15:48.50ID:LMM+bejz0770人間七七四年
2011/06/26(日) 01:19:47.23ID:Jyw2RwsQ京都を追放された足利義昭は河内の三好氏の下に落ち延びることになった。
その際、信長は羽柴秀吉を護衛として義昭に付けた。戦に負けてろくな戦力のない義昭一行の道中は危険極まりないからである。
秀吉の護衛のおかげで、義昭は大過なく目的地の若江城まで向かっていた。
「秀吉dクス。このまま城まで頼む。」
「悪いけど信長さまにこの辺で帰っていいって言われてんだwwwあと自力で頑張ってwww」
「えっwwwちょwwwおまっwwww」
なんと秀吉の軍勢は三好に義昭を引き渡す前にさっさと帰ってしまった。
あたりには山賊まがいの荒くれ者がうようよしていた時代である。
義昭一行がようやく三好の下にたどり着いた時には身ぐるみはがれてぼろぼろだったとさ。
教授の言うところによれば、秀吉はこの件を気にしていたので天下を取ってから義昭を悪いように扱わなかったとかなんとか。
0771人間七七四年
2011/06/26(日) 06:42:40.74ID:PCFq7I1k0772人間七七四年
2011/06/26(日) 10:16:19.29ID:I1ieeZ7O担ぐ者や従者はわざと貧相な者を選んで暗君・暴君ぶりを演出し
見物人の怒りを煽り信長の正当性を認めさせようとしたとか
何かで読んだ覚えがある
0773人間七七四年
2011/06/26(日) 17:23:54.46ID:tdjm7QRm永禄12年(1569)4月、新将軍・足利義昭が新御所である二条城に入った。
1月の三好三人衆の本圀寺襲撃を受け、70日あまりで建築された急造品だが、金の瓦が軒を連ね、銘木・巨石が
庭園を飾り、桜並木が馬場に並ぶ豪壮な御所に義昭は満足し、手づから信長に杯と太刀を下賜した。
それから間もなくしての事、御所の門前の石畳の上に、割れたハマグリの貝殻が九つ置かれていた。
「どういう意味だろう」とみな首をひねったが、ただ一人信長のみは、この話を聞いて苦笑いを漏らした。
つまり、
九つの貝が欠ける→くかいかける→公界欠ける(世間の常識に欠ける)
の意味であり、
『 世間知らずのボンボンが新宅もろうたからて、成り上がりの尾張者に良うも騙されるわww 』
という京童一流の皮肉で、落書の様に直接的な批判でないだけに責任者の追及もできず、信長は苦笑したのだ。
(戴恩記より)
0774人間七七四年
2011/06/26(日) 18:25:42.26ID:qa114GoSもしそのまま世襲して存続してれば江戸幕府もなかったかも
徳川も関白になったかもしれん
0775人間七七四年
2011/06/26(日) 18:54:46.19ID:V6rKFqJA義昭があまりにも面倒な動きをするから足利幕府を潰す形になったけど
ありゃ信長としても不本意な結果らしいから不思議
0776人間七七四年
2011/06/26(日) 19:06:43.34ID:oRN2n1N1「御輿は軽くてパーがいい」
と思ったかどうか。
0778人間七七四年
2011/06/26(日) 19:28:54.56ID:RJtwKEpJ0779人間七七四年
2011/06/26(日) 20:35:16.98ID:BohoYIwT0780人間七七四年
2011/06/27(月) 16:54:32.22ID:BCizEo5Pしかし上の者(清正)が全て手入れして自分で何でもやってしまっては下の者は、
全く学べない・失敗しない で人材が全く育たない悪い話し
0781人間七七四年
2011/06/27(月) 20:17:49.35ID:q8ygSXuU0782人間七七四年
2011/06/28(火) 01:20:19.43ID:R3Ex85MO世界史板某スレで「楽をするなら」理想の上司 、と言われてたな
ただし息子に代替わりする前にお暇しないとw
0783人間七七四年
2011/06/28(火) 08:41:02.08ID:i7Sb0jlp黒田如水は心安い御伽衆の者たちだけとで、こんな話をした。
「我が家中の子供たちは皆、利発そうに見えるな。甲斐守(長政)は本当に幸せだ。」
そんな事を言って喜び、御伽衆の者たちもそれぞれに能いと思うところを誉めて、座敷の空気に
合った話をした。
と、そんな所に如水
「ところで誰々の子の何某は見かけがとても鈍重そうだ。あれは内心、うつけじゃないかと思っている。」
と言い出した。これには御伽衆の者たち、何某を気の毒に思い
「御意のとおり、見かけはいささか鈍重で、うつけた様に見えるかも知れません。ですが内心はとても
活発な方で、少しも物事をぬかるような事はなく、底堅い性格でございます。」
如水これを聞くと
「さてさて、惜しいことかな。
既に主人の心を知り、主人にも心底を能く見られた者ならば、見かけが鈍重で実は底堅いと言うのも、
主人に愛され、その身のためにも良いだろう。
だがそういう主人との信頼関係が出来ないうちから、見かけがたわけているのは損の多いことだ。
内面に利発さを持っているのなら、その表面と内面をひっくり返せと言ってやれ!
内心の利発さなんてものは、後から入ってくるよ。
まずは表面に見える人品が確かであることが重要なんだ。
だいたい惜しむべき利発を心の底に隠していちゃあ、一体何の用に立つんだい?」
そういって笑ったそうだ。
黒田如水の語る、見かけと内面についての話である。
(古郷物語)
0784人間七七四年
2011/06/28(火) 21:41:11.93ID:M5sOdbQv0785人間七七四年
2011/06/28(火) 21:58:04.68ID:1OzaalEx0786人間七七四年
2011/06/28(火) 22:00:19.52ID:MDHvXnls0787人間七七四年
2011/06/28(火) 22:02:36.05ID:f/TKZhK2如水って絶対友達少ないタイプだな。嫌味ったらしくてたまらん
0788人間七七四年
2011/06/28(火) 22:22:11.90ID:hUoiLMkO馬鹿者こそ、われに仕えよ。神算鬼謀の人に育てよう。
愚鈍なる者こそ、わが元で励め、三国一の賢者にして見せよう。
by 立花道雪
クロカンは捻り過ぎて、失敗するタイプ
0789人間七七四年
2011/06/28(火) 22:31:17.08ID:8uopLK89「内面が優れてても、外面がダラしないんじゃ意味無いよ」って。
0790人間七七四年
2011/06/28(火) 23:55:10.84ID:qpiPS7kbと紛う事無きブサメンが呟いてみる。
つかやっぱ第一印象ですよ、色々と。
0791人間七七四年
2011/06/29(水) 00:06:12.34ID:DXSMICdfいや、考えがポンポン出てきて話がややこしくなるタイプではないかな
猛烈な論理と発想力があるんだけど、思考が高速で飛躍しすぎちゃうんだよね
小早川に「お前さんは賢いけど即断癖があるね」みたいなこと言われてたし
0792人間七七四年
2011/06/29(水) 00:32:19.43ID:uxckojW9知恵は有り余ってるけどこいつ一人に全部任せるのは危うい、みたいな。
0793人間七七四年
2011/06/29(水) 01:15:43.66ID:yk+nYHkhこれかな?
土井利勝、人の印象
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4143.html
0794人間七七四年
2011/06/29(水) 01:51:23.45ID:9BXiDO33「能ある鷹は爪を隠す」のように爪を隠しているつもりなのに
爪がでか過ぎて隠しきれていないという感じのどこかひょうきんな所があるw
0795人間七七四年
2011/06/29(水) 15:41:45.27ID:0tuxD236今の就職活動でも面接で一番大事なのは
外見含めた第一印象だっていうからな
如水さんがどこかひょうきんなのは同意w
0796人間七七四年
2011/06/29(水) 17:21:05.98ID:hoKJeHpr宣教師の何かで「日本人は傷痕が残るのを誇る」みたいなのを読んだ覚えがあるけど
歴戦の武士の外見は現代からすると
かなりおどろおどろしかったんだろうか。
0797人間七七四年
2011/06/29(水) 18:12:57.25ID:hoI4lCBT井伊直孝というと、自身や家臣達に質素倹約を徹底した事が度々いい話・悪い話スレに上がっている。
そんな彼の価値観を偲ぶ逸話がある。
ある日、とある幕臣が金に困り、手持ちの高麗茶碗を七十両で手放したいと直孝の元にやってきた。
この幕臣は直孝に憚ったのか、茶碗と共に小堀遠州の書翰を数冊渡した。
直孝は承知してこれらを買った。だが幕臣が帰った後、高麗茶碗を手に取って語った。
「わしはこの茶碗が欲しくて七十両を払ったわけではない。あの男の貧窮を助けねばならぬと思ったから買い取ったのだ。
そもそも、こんなものがなければ、かの者はこんな目に合わずに済んだのだ。」
そう言うと直孝は茶碗を庭石目がけて投げつけ、小堀遠州の書翰も火にくべて燃やしてしまった。
(家光・。十一名臣/徳永真一郎より 出典元不明)
>>796
現在進行形で引きこもってるが、たまに社会復帰セミナーで出会う奴は大概肌が荒れてたりする。
日光が当たらなかったり、運動不足なんかで新陳代謝が悪くなるきらいはあるな。
0798人間七七四年
2011/06/29(水) 18:16:26.67ID:tIRRXuOS0799人間七七四年
2011/06/29(水) 19:31:08.90ID:58mWrJu60800人間七七四年
2011/06/29(水) 19:54:19.62ID:9BXiDO33>>797殿、見事な破調の美にて候」
0801人間七七四年
2011/06/29(水) 21:27:56.14ID:g4WGZn07(´●ω・`) 小十郎よ…、わしの隻眼はものを見ることは出来ぬ…。
(`●ω・´) だが!
833 名前:新しい名無し案投票受付中@自治スレにて[sage] 投稿日:2009/12/06(日) 05:10:46 ID:4X2XJOM/
(`●ω●´) 何も見bヲぬ!
835 名前:新しい名無し案投票受付中@自治スレにて[sage] 投稿日:2009/12/06(日) 05:47:15 ID:jhpLGOp1
┌●―●┐
(`3ω3´)
0802人間七七四年
2011/06/30(木) 00:49:54.08ID:kfCKUXv9元の場所にないし、ググったら来月発売の2巻に(完)って……
まだ出てきてない逸話いっぱいあるのに
0803人間七七四年
2011/06/30(木) 02:06:10.63ID:4vvT1gjs媒体自体なくなるらしいね。
キガタも終わっちまったのに。
0804人間七七四年
2011/06/30(木) 13:47:42.40ID:v9LWLSip確かに彦根藩って大藩の割に伝来の茶器に名物は少ないんだよな。
(幕末には有名な茶人大名が出てるけど)
直考がらみの茶器ってこれくらいかな。
http://longlife.city.hikone.shiga.jp/museum/items/index.html
0805人間七七四年
2011/06/30(木) 13:49:12.04ID:v9LWLSip「宮王肩衝茶入れ」
0806人間七七四年
2011/06/30(木) 17:08:07.51ID:hFy0+Ryrだが同年5月、熊本に帰る船中で体調を崩し、それから病状は日々悪化。熊本に着城して2,3日過ぎた頃には
舌が不自由になり物を言うことさえ出来なくなった。
医師たちは加藤家の重臣たちに「脈も宜しくなく、回復されるのは難しいと思います」と伝える。
これにより加藤家一門、並びに城代を勤める重臣たちが緊急に集まり話し合いをした。そして
『清正が本復されるということはもはや、十に一つと言うのも難しいほどの状況である。
未だ生きておられるうちに、駿河まで使者を遣わして、清正の言葉として
「私の病状は次第に重くなり、今回ばかりは助からないものと考えています。私が相果てた場合、
我が嫡男である虎藤(加藤忠広)は未だ若年(当時10歳)でありますれば、どうか宜しき様にお頼み申し上げます。」
これを本多上野介(正純)殿まで申し遣わすべきだ』
一同そうするのが良いと皆賛成し、これは決まった。
ところがである。一体誰を使者として遣わすべきか、という所でこの話はいきなり行き詰まった。
皆このように思い、自分が行くと言い出すものが居なかったのだ。
『もし殿が回復なされた場合、「自分に勝手に、誰の指図でこの者を遣わしたのだ!?」と尋ねられたら
一体どうすればいいのか?』
これには理由がある。清正は常々、家の運営を任せる家老というものを置かなかった。
自分に近い一門衆にももっぱら支城を任せており、全ての仕置は清正が自身で言いつけていたのだ。
加藤家では、清正の命令によらずに何かをするという事が、ありえなかったのである。
一門・重臣の者たち困り果て、ついに入札(投票)によって使者を決めよう、と言うことになった。
そして入札の結果、飯田覚兵衛、和田備中の両名に、その場の全ての票が集まった。
そこで飯田覚兵衛には駿府への使いを、和田備中には、当時清正と同じく重病に陥っていた紀州の
浅野幸長の元への見舞いに遣わせる、と決まった(この程度のことすら清正の命令なしには決められなかったのである)
しかし和田備中はこれに
「皆様の仰せに背くわけではありませんが、私は長いあいだ江戸詰めをしていて、それから紀州に使いに行き、
ようやく熊本に帰ったばかりの所です。その上今度は大事の御使でありますから、皆様方どうかこの事は
御免あるように。」
達てその役を辞そうとした。だが一門の者たちは
「皆が入札によって、そなたと角兵衛を遣わせると決めたのだ。この上はもし殿が御本復されたとしても、
その是非を仰せになるような事はない!一刻も早く支度をして、出発するのだ!其方の帰ってくるのを
首を長くして待っている」
こうして飯田・和田の両名は支度をして5月18日卯の刻(午前5〜7時)、清正の病床に伺候して枕元近くに寄り、
今回の使者の件を申し上げる。これに清正は一言も発すること無く、目を少しだけ開き、ただ頷きながら
涙ぐんでいた。
これを見て両名も、今回の使いが清正との、長き別れの暇乞いとなると察し涙をぬぐい、
その場から使いに出発した。
加藤家、使者を入札で決める。というお話。
(續撰清正記)
0807人間七七四年
2011/06/30(木) 17:16:56.85ID:Jy5VB5Be0808人間七七四年
2011/06/30(木) 17:17:19.11ID:lXeY4ZXM0809人間七七四年
2011/06/30(木) 17:56:55.68ID:hLvWxR/90810人間七七四年
2011/06/30(木) 18:01:24.67ID:4F7OT/lLつーか二条城会見が3月、清正の発病が5月、死んだのが6月24日だから、
そんな異常な遅効性の毒薬はこの時代存在しないわなw
0811人間七七四年
2011/06/30(木) 18:03:55.36ID:oEytGaTb0812人間七七四年
2011/06/30(木) 19:57:40.61ID:S+aTFjav0813人間七七四年
2011/06/30(木) 20:07:24.22ID:4F7OT/lLこの当時の清正の一門(血縁)は加藤正方、片岡吉方、加藤正直、加藤正次、
中川寿林斎、中村将監あたりか。
0814人間七七四年
2011/07/01(金) 00:16:12.21ID:KX1RcR6S彼の権威はまさに絶頂にあった。
が、その一方で2月には千利休を切腹させ、8月には愛息鶴松が夭折するなど、その陰りも見せ始めた
頃である。
さて、その年の11月、「長せ河忠実」という人物が、京で詠まれた落首を書き写したとされるものが
今に残っている。それは、以下のようなものである。
・石普請城こしらえも要らぬもの 安土小田原見るにつけても
・寺々の夕べの鐘の声聞けば 寺領取られて何としようや
・村々に乞食の種も尽きずまじ 搾り取らるる公状の米
・まつせ(末世)とはべち(別)にはあらじ木の下の さる関白を見るにつけても
・おしつけてゆえばゆわるる十らく(聚楽)の 都の内は一らくもなし
・十ぶんになればこぼるゝ世の中を 御存知なきはうんのすへ哉
秀吉の絶頂期において、彼の政権への批判の声の記録である。
0815人間七七四年
2011/07/01(金) 01:06:37.23ID:xt0rHY0p0816人間七七四年
2011/07/01(金) 02:22:58.67ID:RxK47LUQ★リンクアンドモチベーション★
* 新卒内定辞退強要事件。被害者の間宮理沙さんはベイカレント本を出版。
* 執行役員が、休職・退職強要、産業スパイ実行を指示。
* ハイリスクの違法事前面接が事業存続(BCP)の絶対条件。
0818人間七七四年
2011/07/01(金) 04:03:06.72ID:bFBErjJD破傷風なら確実では無いが狙って発病させる事は可能だとは思う
それなりに条件が必要だけど発病方法とかは当時でも分かってんだよな
0819人間七七四年
2011/07/01(金) 13:50:36.74ID:K5lLW/SQ0820人間七七四年
2011/07/01(金) 14:14:56.29ID:Jevijf8l0821人間七七四年
2011/07/01(金) 19:04:12.12ID:ky7G3nda実際にはあの時清正に死なれて困ったのは豊臣よりも幕府の方だわな。
清正は二条城会談という、豊臣が徳川に屈服する儀式の実現に奔走し、成功させたわけで、
つまり豊臣を徳川の下位に位置付け、抑えこむことが出来たのが清正だった。
清正の死で幕府は豊臣家をコントロールする最大のツールを失った。
0822人間七七四年
2011/07/01(金) 19:14:24.18ID:B1EpI9XY豊臣65万石という巨大な不安要素をそのまま保存してコントロールする気だったとは到底・・・
清正が死ぬ死なぬに関わらず大阪が潰されるのは既定路線だっただろ
0823人間七七四年
2011/07/01(金) 19:26:14.54ID:Y0uM5vyEかと言って毒殺っは飛躍しすぎだけどな、清正クラスの大物暗殺なんて万が一にでも露見したら
それこそただじゃ済まんだろう。紀州徳川頼宣の義父でもあるわけだし身内にも容赦ねえ、って思われたら
その後の豊臣との戦で豊臣に傾く奴も出るかもしれんだろう。
0824人間七七四年
2011/07/01(金) 19:46:25.58ID:7/KU4e+h豊臣を一公家として生かしておく道もあったから
何が何でも潰す方針じゃあなかったと思うよ
清正生きてたら渋々でもその方向に尽力した可能性高いし
0825人間七七四年
2011/07/01(金) 21:13:36.55ID:qQMNH/zQ0826人間七七四年
2011/07/01(金) 21:15:38.65ID:JTgzC9mD0827人間七七四年
2011/07/01(金) 21:22:25.88ID:+/xzZJ/T御所柿は 独り熟して 落ちにけり 木の下に居て 拾ふ秀頼
御所柿=家康 木の下、拾ふ=秀頼 を指していて、
秀頼は家康が死んで天下が自分のところに来るのを待っているんだよ、という歌
家康が死んだら秀頼がなんかやるぞ、みたいな空気(期待?)があったんだろうね
0828人間七七四年
2011/07/01(金) 21:45:45.71ID:GazOVS3G残ってる逸話から考えても挙兵して天下を取ろうなんて考えてなさそうだけど
0829人間七七四年
2011/07/01(金) 21:48:51.52ID:KhCDjEWI0830人間七七四年
2011/07/01(金) 21:59:12.42ID:KX1RcR6Sただ大坂の陣の時の、豊臣家内の対幕府主戦派、過激派はみんな秀吉の側近、近習の
連中なんだよね。逆に淀殿周辺はみんな徳川との和平を第一に考えている現実派。
秀頼がそういう過激派連中の頭目だったということは、秀頼自身もそういう考えだったんだろう。
0831人間七七四年
2011/07/01(金) 22:04:45.48ID:dq3Z6mUL仮に野心はなくとも存在するだけで厄介だと思う。
反徳川の核になり得る(と考えられる)勢力が大阪にいたんじゃやりにくくてしかたがない。
0833人間七七四年
2011/07/01(金) 22:47:00.84ID:qQMNH/zQ0834人間七七四年
2011/07/02(土) 00:59:02.70ID:KRwNhop2現実家はあんな無茶な寺道楽やまわりを内通した近親者で固めるなんて馬鹿はやらない
0835人間七七四年
2011/07/02(土) 02:31:01.83ID:icFUGA7K徳川家康の敗走伝説というものがある。
三方ヶ原で負けて逃げる、本能寺の変から逃げ帰る、真田幸村に追われる、など様々な種類がある。
この手の伝説は家康に所縁のある現静岡県や現愛知県に限らず、各地に広がっている。
これとか→http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5284.html
これとか→http://iiwarui.blog90.fc2.com/category54-2.html
しかし、そんな中でもひときわインパクトがある話が愛媛県温泉郡重信町(現東温市)にある。
家康はとある人物に追われていた。そう、その人物とは!
佐 々 木 高 綱 である。
…うん、色々ツッコミたいことがあるのは分かる。とりあえず、焼き味噌でも食って落ち着いてくれ。
佐々木高綱に追われる家康。しかし、仕事中の桶屋が桶の中に家康を隠すことによって、家康は助かる。
そこで家康は桶屋に褒美を出す。それは何と!
『仕 事 の 後 片 付 け 免 除 の 特 権』
…うん、もっといい権利与えろよって思うよね。ドストレートな名字もらう方がまだいいよね。
何にせよ、鎌倉武士にまで追いかけられてしまう家康の悪い話。
この話の出典は、森正史著の『えひめ昔ばなし』という本らしいので、持ってる人いたら、補足お頼み申す。
0836人間七七四年
2011/07/02(土) 02:40:35.43ID:icFUGA7K家康伝説の類似話としては、源頼朝が桶屋に助けられると言った、江戸時代より前の人物が主人公の話もあるそうです。
つまり、江戸時代に家康の権威が高まるにつれて、元々の物語の主人公と家康が入れ替わった話もあるのではと県史で指摘されています。
そうなると、この話の家康も佐々木高綱も元々別の人物だった可能性はありますね。
何故、この組み合わせになったかは今となっては分からないだろうけど。
0837人間七七四年
2011/07/02(土) 02:53:19.60ID:JoPeoq3l佐々木高綱と伊予の関係もよくわからないな
もとより家康は四国に行ったことなんてない筈だし
元ネタが気になる・・・
0838人間七七四年
2011/07/02(土) 03:36:30.10ID:GqJNvJDE0839人間七七四年
2011/07/02(土) 04:38:53.10ID:veQIGHKc0841人間七七四年
2011/07/02(土) 05:33:35.80ID:MLQu8W0t0842人間七七四年
2011/07/02(土) 06:21:47.04ID:VXe1zNWM0843人間七七四年
2011/07/02(土) 10:22:07.15ID:sl6kd5ih0844人間七七四年
2011/07/02(土) 10:26:40.18ID:m3f4JD32戦国ファンが読んだら「打ち切りにしてほしい」と書いたアンケートハガキを出したくなるくらい酷い。
と言うか、ヤングジャンプ読んでたらアンケート出してほしいです。
これこそ戦国の悪い話。スレ違い?失礼しました。
0845人間七七四年
2011/07/02(土) 10:30:55.18ID:veQIGHKcヤンマガのセンゴクと比べると余計に酷いな
素材人気は逆なのに・・・
0846人間七七四年
2011/07/02(土) 11:15:56.93ID:974zx9pP0847人間七七四年
2011/07/02(土) 12:15:45.41ID:7lv0ngZv0848人間七七四年
2011/07/02(土) 12:17:13.77ID:12QBTWzY0849人間七七四年
2011/07/02(土) 12:42:43.74ID:lchUnVK3秀吉追っかけてればいいから
ネタに困らないし
0850人間七七四年
2011/07/02(土) 14:42:27.37ID:sCJrW8yk秋田藩の角館で魔術を使う老婆がいるという噂が流れた。
取り調べの結果この老婆は家中の矢野八兵衛の母であり
キリシタンだということが判明した。
召し捕られた老婆は拷問にかけられて棄教を申し出たため、この一件は収束した。
が、少しのしこりが残った。
件の矢野家は秋田藩のキリシタン取り締まりの中心人物である梅津憲忠の妻の実家だったのである。
この後矢野家と梅津家は明和の頃まで交際を絶ったという。
0851人間七七四年
2011/07/02(土) 15:41:48.92ID:rIzHbpi00852人間七七四年
2011/07/02(土) 20:17:17.64ID:IlHjBDrJ秀吉、それを見ると側に居た細川幽斎に向かって
「さあ何と?何と!?」
と、その菓子への感想を催促。これに幽斎
「君が代は 千代に八千代にさざれ石の 巌となりて苔のむすまめ」
当意即妙だが今ひとつ食欲のわかない答えであるw
(醒睡笑)
0854人間七七四年
2011/07/02(土) 21:34:53.99ID:+iesvHwb「この店の鶉は、良い声で鳴くのう。値はいか程じゃな?」と、店主に尋ねてきた。
しめたカモだ、と思った店主、「へい、百五十両にございます!」と答えると、老人は憮然として
懐紙を取り出し、何やら書きつけて「これを鶉の鳥カゴに結んでおけ。」と言って去ってしまった。
呆然と駕籠を見送った店主が懐紙を開くと、そこには
“立ちよりて 聞けば鶉の ねも高し さてもよくには ふけるものかな
(鶉の結構な『音』色に誘われて来てみれば、『値』段も結構なものだったとはね。
鶉も笛の如く良く吹くが、店主もまぁ調子良く吹っかけたものだ。)
幽斎玄旨”と書かれていた。
「・・・さては細川幽斎公であられたか!!」
驚いた店主は言われた通り、和歌の書かれた紙を鳥カゴに結びつけると、
『幽斎公お声掛かり』と称して、二百五十両で鶉を売り出した。(幽斎公歌集より)
0855人間七七四年
2011/07/02(土) 21:41:42.88ID:12QBTWzY鳴き声を愛玩するためにウズラ飼うとは驚き
0856人間七七四年
2011/07/02(土) 22:06:07.49ID:DskiZQ4l見た目の地味さにそぐわないかわいい声で、だけど美声すぎないのがいいんだとかなんとか
0857人間七七四年
2011/07/02(土) 22:10:41.99ID:f8g9uGXX鶉の鳴き声
鳴き声が「ご吉兆」と聞こえることから古くから鳴き声を楽しむ愛玩鳥として大名や商人達の間で
買われていた鶉。
確かにゴキッチョーと聞こえます。
ご吉兆とは吉の兆しすなわち、良いことが起こる前触れを意味する。
http://www.youtube.com/watch?v=Nt95H0AFeYs
0860人間七七四年
2011/07/03(日) 02:21:20.74ID:UrMNa2FDこいつは間違いなく大阪商人
0861人間七七四年
2011/07/03(日) 02:25:07.18ID:Es06wH7x■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています