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戦国ちょっと悪い話26

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0001人間七七四年2011/05/03(火) 03:46:40.51ID:bO+mpFnO
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話25
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1298639461/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話26
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鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0504人間七七四年2011/06/05(日) 23:26:16.35ID:z9iSULpw
大水牛脇立兜って黒田家の武士他にもやたらかぶってなかったっけ
後藤又兵衛もかぶってた気がするが、ありゃ講談かな?
0505人間七七四年2011/06/05(日) 23:31:11.66ID:u1TarYbO
>>503
家臣を目立たせることによって、戦場において長政を狙われにくくする狙いがあったと思われ
どこの家のものかさえわかれば、活躍がわかるからな
0506人間七七四年2011/06/05(日) 23:34:11.09ID:Xc2z/5Xm
でも兜とかは手柄立てた際の目印って意味合いもあるから
同じ兜が大量にあると評価される部下はには困るだろうなぁ。
0507人間七七四年2011/06/06(月) 00:08:12.40ID:mY246nII
ちなみにある黒田二十四騎図において一成だけは横向きに描かれています。
ええ、もちろん兜が大きすぎて縦には入らなかった模様
あまりにでかすぎたために大砲の標的になったという逸話もありますね
0508人間七七四年2011/06/06(月) 00:10:39.44ID:uG2iF8F5
>>498
兄貴のせいで蘭丸の怨霊が真価を発揮できず
20年かかったんじゃないか
0509人間七七四年2011/06/06(月) 02:19:08.18ID:Ts3VbiKQ
蘭丸って世間一般では美少年の小姓みたいなイメージだけど、
Q太郎以上に機転が利いてさらに、森家の血筋という末恐ろしいスペック
なんだよな
0510人間七七四年2011/06/06(月) 03:08:30.36ID:gWjcIVy9
信長ー秀吉ー家康のリレーが
信長ー信忠ー欄丸のリレーになる可能性もあったか
0511人間七七四年2011/06/06(月) 04:55:50.32ID:Ac8yVA2F
ないと思う
乱丸のイメージは作られたモノで能力は未知数でしかないもの
0512人間七七四年2011/06/06(月) 12:27:12.27ID:vCUAX9Vf
森可成の息子であり森可成の弟であるのだから蘭丸も当然に
マッチョ系な若者であったろう、とは良く言われているね
0513人間七七四年2011/06/06(月) 12:28:26.33ID:vCUAX9Vf
× 森可成の息子であり森可成の弟
○ 森可成の息子であり森長可の弟

失礼した
0514人間七七四年2011/06/06(月) 13:00:32.77ID:P/j6qSkb
長可が鬼武蔵と呼ばれる前は、鬼百合と呼ばれていたっていう話をこのスレでみたけど、あれはマジ?
0515人間七七四年2011/06/06(月) 17:41:44.78ID:jajyHKQw
長可の200年忌に詠まれた、鬼百合や あたら盛りを 塚の陰
の句に由来してるだけで実際には呼ばれて無いと思う
まあ、長可は小柄な体格だったらしいから無きにしもあらずだが
0516人間七七四年2011/06/06(月) 19:22:30.31ID:/WujR3c5
チビマッチョだと思うw
0517人間七七四年2011/06/06(月) 19:33:15.40ID:U5zPu1Mh
小柄な体格なのに初陣でたった一人で十数人惨殺とか……
鬼にも程があるだろ
0518人間七七四年2011/06/06(月) 19:36:02.53ID:jURECGad
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1307339036
これは悪い話かな。実物に近づけたのか貶めようとしたのか不明だが
朱元璋の二種類の肖像画のようにどちらが正しいのか今後も論議されそう
0519人間七七四年2011/06/06(月) 19:43:17.37ID:2ZqKvL5w
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5000.html
この>>196の肖像画がもし実物に近いのなら、
服はともかく顔は良くしたんじゃないか
0520人間七七四年2011/06/06(月) 21:41:20.10ID:XSGXRaZt
テルの肖像画はまるで天下人のように威厳に満ちているが
かなり金を積んで修正してもらったに違いない

http://www.busyo.org/media/mouri_terumoto.jpg
0521人間七七四年2011/06/06(月) 21:44:56.74ID:qCGgWr/T
まあ似顔絵ってのは実物より凛々しく画く物ですわな
0522人間七七四年2011/06/06(月) 21:45:48.44ID:ikPMXndP
>>520
修正というか、この時代肖像ってのは本人の死後描かれるもの。
基本理想的に美化して描かれる。
0523人間七七四年2011/06/06(月) 21:51:55.37ID:zADLa7fp
>>522
その点権現様のしかみ像は二重に特殊ということか
0524人間七七四年2011/06/06(月) 21:55:35.17ID:f1XN+m3M
輝元は容貌「だけ」は大将の風格があったとか
0525人間七七四年2011/06/06(月) 22:01:56.55ID:ikPMXndP
>>523
そう、この時代大名の生前の肖像と言うのはほとんど例がない。
当時肖像を描かせると「魂が吸われる」という迷信があったが、家康はそれを気にしてなかった模様。
これが家風だったのか家康の影響なのか知らないが、本多忠勝や榊原康政も生前に
肖像描かせてるな。
0526人間七七四年2011/06/06(月) 22:04:38.60ID:FX7k6O2+
忠勝は何度もダメ出しをしたらしいね
絵師は生きた心地がしなかっただろう
0527人間七七四年2011/06/06(月) 22:27:16.36ID:oppv0O5r
秀吉も生前の肖像画があったよね?
0528人間七七四年2011/06/06(月) 22:30:39.69ID:+HEpo2nJ
肖像画見てがっかりする武将第1位


伊達政宗
0529人間七七四年2011/06/06(月) 22:32:44.59ID:iuL9gL4B
正宗は片目つぶってる肖像画もあるよ
0530人間七七四年2011/06/06(月) 22:33:25.27ID:iuL9gL4B
あ…やってはいけない誤字しちまった
0531人間七七四年2011/06/06(月) 22:37:25.65ID:oppv0O5r
信虎さんは凛々しく描いてあれか…
0532人間七七四年2011/06/06(月) 23:47:22.60ID:7JI2HRmX
信虎さんはぬらりとして掴み所がなく
それでいてひょんなところにお邪魔する
戦国時代のフーテンの虎さん
0533人間七七四年2011/06/06(月) 23:53:36.42ID:+HEpo2nJ
理想
http://www.free-style.biz/book/img/maeda3.jpg

現実
http://www.busyo.org/media/maeda_toshiie.jpg
0534人間七七四年2011/06/06(月) 23:59:35.57ID:4DVT0ReI
>>519の信長と>>533の犬千代が若い頃
臥所でちちくりあって・・・・・・オエエ

0535人間七七四年2011/06/07(火) 00:03:50.72ID:r7awRK4o
毛利元就も寿像が残っている。
謙信も現存はしてないけど晩年に自身を描かせてたはず
0536人間七七四年2011/06/07(火) 00:26:36.13ID:sq0YmuY/
>>532
確かにどう見ても妖怪ぬらりひょんだよなw
0537人間七七四年2011/06/07(火) 00:39:38.97ID:EE+9r9yY
今宵、貴方の枕元に信虎様が立っているよ・・・
0538人間七七四年2011/06/07(火) 00:41:59.00ID:Tyh0DgxN
>534
相手は犬ではなくて三方原で死んだ弟だと言ってる人もいる
0539人間七七四年2011/06/07(火) 03:58:38.35ID:RQKXf4ry
>>533
山田芳裕は後者の肖像からアレ作ったのかw 前者も理想ってほどじゃないようなw
0540人間七七四年2011/06/07(火) 13:24:22.93ID:pstm/cO1
大阪冬の陣でのこと
天王寺口では城の中から、彼らを包囲する攻め手に向かってこんな言葉を投げかけた

「大御所(徳川家康)が御馬を我々に向けられたので、華々しい軍勢を見物いたすぞ!」

挑発である。さて、この言葉に反応したのは藤堂高虎の陣であった。
藤堂陣からはこんな言葉を返す

「見物くらいがお前たちにはお似合いだ!お前たちのような牢人共は金銀に目がくらんで
籠城したが、金を受け取ったからにはさぞかし命は惜しいだろう。
そんな軍は比丘尼にも劣る!
命が惜しければ逃げ道をこしらえてさっさと落ちろ牢人共よ!
今回は特別にその広言を許してやろう!」

これに城方答えるに

「天下分け目の戦に、そんな雑言は無用である!
お前たちは、忠臣二君に仕えずという侍の本分を知っているか!?
我々牢人は今まで、違う主君に仕える事を潔しとしなかったために牢人をして
時節を待っていたのだ。

お前たちの主人和泉守(高虎)のような内股膏薬の間に合いの如き者に、
我らが如き本来の武士が成ることは無いのだ!

命が惜しければそこから逃げこの城に入れ!その生命、助けて取らせるぞ!」


主人高虎を馬鹿にされたこの言葉に藤堂陣の者たちは激怒、一斉に鉄砲を打ちかけたが、
これに城の中からはどっと笑い声が上がった、という。

大阪冬の陣における、挑発合戦のヒトコマである。
(大阪物語)
0541人間七七四年2011/06/07(火) 14:23:57.63ID:ZxgYNRdz
藤堂って確かボコられてたよな 正論言われて痛い目に合されて泣きっ面に蜂だね
0542人間七七四年2011/06/07(火) 15:03:29.63ID:InfeVLob
挑発したのは長曽我部隊なのかな?w
0543人間七七四年2011/06/07(火) 15:06:32.78ID:L5zSn+q6
ありえそうな話だ。長曽我部は田舎もあって割りと古風な家風だしな
0544人間七七四年2011/06/07(火) 16:08:59.69ID:EE+9r9yY
有名な話だがまとめに載っていないようなので。
もし既出だったらすまぬ。


奥平貞昌(信昌)は長篠の戦で長篠城を守り抜き、戦後、徳川家康の長女亀姫を嫁に貰い、
目覚しい出世を遂げるに到ったが、実は亀姫を迎える以前に既に妻がいた。
先妻は一族である日近奥平貞友の娘でおふうと云った。

元亀年間の奥三河地方は、武田信玄の侵攻により揺れ動いたが、信昌の父貞能は武田に
降ることを決意、その証として人質を要求され、おふうは信昌の千丸(千千代)らと共に
甲斐へ差し出された。

元亀4年4月、武田信玄没。信玄の死を察した貞能父子は密かに旧主家康と連絡を取り、
徳川家帰参を決意する。しかし貞昌はおふうに未練があったのだろう。土壇場になって
貞昌はおふうを離縁する。最早、自分の行動には無関係だから助けて欲しい、という
想いからであった。だが、そんな理屈が通る訳も無く、おふうは千丸らと共に奥平氏の
本拠にほど近い鳳来寺口で処刑されることとなった。天正元年9月のことである。

処刑の前、おふうはこう述べたという。

「来世で自分は畜生に生まれたいと思います。
 畜生はおのれに正直に生きていけますが、人は互いに騙し合わねば生きていけません。
 人は畜生以上に浅ましいものでございます。」

そして、義弟とともに二人とも取り乱すこともなく磔になったという。
この時、おふう16歳、千丸13歳。

おふうの言葉を貞昌らはどのような思いで聞いたのだろうか。
一説によると、おふうは貞昌の妻と偽って人質として差し出されたともいわれるが、
それが事実だとすると、より一層重く感じられる。


おふうの首は彼女の乳母らの働きにより、故郷の日近城まで運ばれて供養された。
よって、墓は処刑地と故郷との二つ残っている。
0545人間七七四年2011/06/07(火) 19:36:51.52ID:BloaH9dB
武田勝頼の小説で同じの読んだな
0546人間七七四年2011/06/07(火) 19:38:15.63ID:N4zy4Swr
山岡徳川家康でも読んだ気がする
…あれ?畜生がどうののくだりあったっけかな…
0547人間七七四年2011/06/07(火) 20:09:47.14ID:TToERA0w
悲しす…。
0548人間七七四年2011/06/07(火) 22:06:45.98ID:dXyWWEq/
宇喜多直家 <なんと酷いことを・・・
0549人間七七四年2011/06/08(水) 00:11:15.21ID:upmz04nA
宇喜多さん、暗殺した相手の子供や暗殺の実行者に気を使ってるからなぁ
0550人間七七四年2011/06/08(水) 00:21:32.07ID:PoAllp5c
って、世間に思わせるのが宇喜田の実に巧みなところ
0551人間七七四年2011/06/08(水) 00:47:02.74ID:wdbSehIQ
印象操作も万全とは直家恐るべし
大悪人と呼ばれて開き直ったあげく、爆死した弾正とは一味違った腹黒さ
0552人間七七四年2011/06/08(水) 01:03:45.42ID:wZQevNR4
心しらぬ 人は何とも 言はばいへ 身をも惜まじ 名をも惜まじ

こんな清々しい心境だったのかもな
0553人間七七四年2011/06/08(水) 03:36:14.40ID:oEEbxcpv
>>540
立花宗茂はこれをどんな気持ちで聞いてたんだろうな
0554人間七七四年2011/06/08(水) 04:09:46.12ID:i6mo1kAZ
>>553
宗茂に関しては、関が原の後、豊臣家は立花家を見殺しにしようとしたからなあ。
05555442011/06/08(水) 07:51:29.39ID:lZHbW13g
訂正

おふうは信昌の千丸

おふうは貞昌の弟の千丸


ごめんなさいm(__)m
0556人間七七四年2011/06/08(水) 08:03:14.75ID:vCKzNtt+
関ヶ原当時の豊臣家って誰がトップなん?淀殿?
0557人間七七四年2011/06/08(水) 08:08:13.26ID:FyUU9oWf
マジレスすると家康
0558人間七七四年2011/06/08(水) 08:54:17.47ID:mJgqwUK5
他の五大老はみんな自領へ戻ってたんだっけ
各家それぞれ事情があって長く領地から離れてるのは難しかった
家康だけ全てを任せられる息子がいた
0559人間七七四年2011/06/08(水) 09:01:56.84ID:vCKzNtt+
豊臣家が家康に乗っ取られてたから、家康のやりたい放題だったわけか
耄碌してたんだろうけど秀吉も馬鹿だねぇ
0560人間七七四年2011/06/08(水) 09:24:47.12ID:8Na+Ks+J
豊臣家、というのなら淀かね
豊臣政権、というのなら利家死去・七将襲撃・三成引退以降は家康
0561人間七七四年2011/06/08(水) 09:30:55.93ID:RJpf3ei7
どうも日本史は権力構造を把握するのが面倒だよな
朝廷内の一貴族である足利将軍の管領の細川氏の宿老三好家の家来の松永久秀が真の支配者とか
傍から見たら訳が分からんぞ
0562人間七七四年2011/06/08(水) 09:33:48.93ID:eYDIUQvS
現代に至るまで
日本じゃ一番有能な奴がトップに立つことが少ないし。
0563人間七七四年2011/06/08(水) 11:08:31.01ID:SyJAfvx0
どの国もそうなのかもしれないけど、トップが御輿になっちゃうんだよな
皇室ー藤原家
鎌倉幕府ー北条家ー長崎家
尊氏にしたって、高兄弟が足利家を飲み込みそうな場面があったもんな
0564人間七七四年2011/06/08(水) 11:24:03.72ID:WmDUoNU+
>>553
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4873.html
の逸話とか見てると「義を捧げ賭ける場所で全てを出し切らずに今更何やってんだ」みたいに思ってるかもね。
0565人間七七四年2011/06/08(水) 11:29:12.50ID:PoAllp5c
偉い人は神棚に、みたいなとこがあるからなぁ日本は
位の高い人が有能とは限らないから権威だけもたせるっていう知恵なんだろう
今では偉くて有能な人って待ち望まれてる気配があるけどw
0566人間七七四年2011/06/08(水) 11:40:00.09ID:WRD7uC62
実は徳川幕府はかなり将軍に権力が集中する仕組みだった。
鎌倉幕府における得宗家、室町幕府における京兆家のような、将軍家を越える
門閥家系はついに現れなかったし、機構上の責任者である老中よりも、将軍の近習である
側用人等のほうが権力を持ち得たのも、将軍の君主権が仕組みとしても強大だったため。
0567人間七七四年2011/06/08(水) 15:53:44.74ID:YXjjWnkM
推古天皇の時代に建立され、饅頭の社として有名な漢国神社にあった由緒略記より。

慶長19年11月15日、大坂の陣の際、徳川家康は木津の戦い(木津川口の戦い?)に敗れ、
漢国神社まで落ちのび、境内の桶屋に隠れて、九死に一生を得た。
翌日、報祭祈願のため、神社に参拝、御召鎧一領を奉納し、
その後、鎧蔵を建立して、累世の将軍家は年々使者を立てた、という。

天下人なのに桶屋に隠れることになった家康の悪い話。
調べたら、別の話では真田幸村の軍勢の追われて隠れた話になっているみたい。

ちなみに、奉納した鎧は国立奈良博物館に出陳中らしいだが、展示替えのため見学できなかった。
HPのデータベースで検索してもでなかったです。残念。
0568人間七七四年2011/06/08(水) 17:43:22.61ID:lSwk/msh
何人いるんだ家康の命の恩人
0569人間七七四年2011/06/08(水) 18:36:58.26ID:F5hUGZMY
>564
十万石ちょっとで豊家にも徳川家にもきっちり義理立てする
コストパフォーマンスのいい話
0570人間七七四年2011/06/08(水) 18:40:58.38ID:c963Ect+
>>568
家康が最も恐れた男と同じ数だけいるんじゃないかな?w
0571人間七七四年2011/06/08(水) 19:05:24.75ID:RJpf3ei7
別に恩人は何人いてもいいだろw
0572人間七七四年2011/06/08(水) 19:28:13.26ID:CsgnjNOi
問題は影武者が何人いたかだろ
0573人間七七四年2011/06/08(水) 19:31:54.01ID:IOfl7ek5
>>567
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-567.html

細川高国さんも藍染屋じゃなくて桶屋にすればよかったのにね
0574人間七七四年2011/06/08(水) 19:45:10.85ID:IEpmbcwQ
黒田如水といえば徳川家康や前田利家などとともに、当時吝嗇と呼ばれた代表的な
大名である。そんな如水が秀吉によって備前中津川を与えられた頃のこと

この頃黒田家の家臣たちは、城に詰める者たちを除いた小身者は皆知行地に行き
そこに小屋掛け同然の家を作り、百姓同様の暮らしをしたという。
そして米の初穂、あるいは手作りの野菜が出来たといえば、如水へのお目見えの際
少しづつでもこれを如水に献上すると、殊の外喜び、

「茄子などは最近になって取り寄せ植えたのだろうが、実ってからも『早く太く育て、
如水に見せるのだ』と、朝も晩も心を尽くして育ててくれたのだろう、まことに執着である。」

などと心から感じ入った様子で言葉をかけた。

そんな中、雉、鳩、小鳥、あるいは鮎といったものを購入して、如水に献上する者があった。
これを如水は喜ばないどころか、その者を叱りつけた

「お前は恐ろしい曲者だ!
こんな物をわしに献上するのなら、その資金で何故田畑を広げ、新田を開発しないのか!?

我らは主従の関係ではあるが、このように浪費させるのはお主に家に申し訳ない。
こんな物を貰ってもわしは喜ばぬぞ!
平素は慎ましく暮らしていても、必要な時には人馬を違い無く軍役通りに取り揃え
傍輩に遅れず乗り出してくるものを、わしは良き士、良き藝者だと考えている。
絶対に無駄な浪費はするな。

わしが若い頃浪費が続いたため家計が逼迫し、仕りたいような奉公も出来ず、非常に難儀をしたものだ。
身分の上下にかかわらず、自分の能力の限り勤めてさえ、主人に気に入られるのは難しく、
また傍輩に褒められることも難しいこんな世の中で、自分がこうするべきだと思ったことさえ
経済的理由で断念し黙っていては、どうして周りから評価されるだろうか?

そのころ『貧の盗みに恋の歌』(貧しければ人の物を盗むようになり、恋をすれば歌を詠むようになる。
必要に迫られればどんなことでもすることのたとえ・デジタル大辞泉)という戯言を傍輩が言っているのを
聞いたときは、よほどこいつと喧嘩してやろう、と思ったよ。

だがその時は、いやいやコレは俺のことを言っているのではない、世にありふれた昔から使われている
慣用句に過ぎない。少しも腹をたてるべき物ではないぞ、と自分を説得しどうにかスルーしたのだ。
『貧の盗』などという言葉は今でもうかつに使ってはならぬぞ。時と場合によってはその言葉が、
士を傷つけることに成る。

とにかく浪費にはこんなに害が多い。どうか油断無く稼ぎ、常に倹約し、身体が長く続くようにせよ!」

と、子供に教え諭すように聞かせたという。

黒田如水が吝嗇だったのはどうやら若い頃、金に困った経験からのトラウマのためらしい、と言うお話
(古郷物語)
0575人間七七四年2011/06/08(水) 20:11:10.37ID:PoAllp5c
理屈が多い人だなw
こんなことしてる暇あったら槍具足に金かけろ!でいいじゃん
0576人間七七四年2011/06/08(水) 20:53:49.29ID:akUcInkL
一言で済ませると叱責された気分になるけど
理屈をこねてると何か身になる事を言ってくれてる気がするだろw
多分
0577人間七七四年2011/06/08(水) 21:05:11.72ID:Avgh7XwL
如水軒も徳栄軒と一緒で例え話とか駄目出しのような話が好きですね
一々尤もなところが聞く側にも素直に得心させるのでしょうが。
0578人間七七四年2011/06/08(水) 21:21:33.90ID:LK/bGA6e
秀吉亡きあとに家康に対抗できるのは、如水だけだな
秀吉が大封を与えず、いびりまくった理由が分るわ
秀吉より小早川隆景の方が数年長生きしたら、隆景の如水が
そそのかして、もっと違った歴史になっていたかもと空想してしまった
0579人間七七四年2011/06/08(水) 21:38:08.09ID:IEpmbcwQ
>>574
> 備前中津川

間違えました!当然ですが「豊前中津川」ですw;
0580人間七七四年2011/06/09(木) 00:05:23.24ID:XxlFmr1w
>>574
前田利家公がお呼びです。
0581人間七七四年2011/06/09(木) 02:06:46.06ID:PY1SJLin
なんか古郷物語って理屈っぽい話ばっかで読むの疲れそうだね・・
0582人間七七四年2011/06/09(木) 13:32:10.08ID:VGcgRZ4e
>>578
隆景は保守的だから、家康の対抗馬にならないよ。
0583人間七七四年2011/06/09(木) 17:21:55.00ID:Y/Ahi+vA
>>582
戦術戦略は好戦的
政略は保守的
そんなイメージがある
0584人間七七四年2011/06/09(木) 17:38:13.47ID:jc2HofmX
動くまでが凄く慎重でいざ戦が始まったらイケイケなのが隆景、逆が元春って話が前にあったね
隆景生きてたら関ヶ原が起こるかどうかすら怪しくなりそう
0585人間七七四年2011/06/09(木) 17:54:38.54ID:7tyevdz2
>>581

大久保忠教「どれ、ワシが理屈抜きに楽しめる疲れない書を貸してやろう」




つ「三河物語」
0586人間七七四年2011/06/09(木) 18:42:38.43ID:/fNr06yG
慶長の終わりの江戸城天下普請において、福島正則は巨大な石垣の角石の積み上げを任され、
福島家では1500人体制でこれに臨んだ。が、

「おら、どいたどいた!」
「・・・・・・」
小石・砂利石の積み上げを任された藤堂家中の4〜500人が、ひっきりなしに車で福島家が大角石を
引く先々を行き交い、まったく作業がはかどらなかった。

「もうガマンならん。おい、綱をよこせ!」
ついに限界に達した奉行の真鍋五郎右衛門が、石を乗せたソリを引く綱を取り寄せると、地面に打ち広げた。

五郎右衛門は藤堂家の車を待ち受け、車が綱をまたいだ瞬間、
「そぉい!!」
一気にたぐり寄せた。ものの見事に藤堂家の者たちはひっくり返り、将棋倒しとなって倒れ散った。

「な、何をなさる・・・って、ぬわ―――っ!?」
「ヒャッハー!大漁だあああ!!」

ハイになったのか、福島家中はなぜか梃子に使う棒を振り回して藤堂家中に襲い掛かって乱闘を始め、
これまたなぜか江戸城下へ飛び出した上、本多佐渡守屋敷にまでなだれ込む大喧嘩になったそうな。
(福島太夫殿御事より)

※その頃の市松さん

「ちっとも石が上がって来ぬではないか。どうしたのだ?」
「実は・・・・・・」
「そうか!!」
ニッコリ笑うと(太夫殿機嫌能御笑)、番小屋に引っ込んだきり終日出てきませんでしたとさ。
0587人間七七四年2011/06/09(木) 18:54:38.90ID:TPD/U8Aw
藤堂家っていつでもこういう扱いだな
0588人間七七四年2011/06/09(木) 18:58:14.07ID:HS0YBv4U
>>587
じゃあある意味関連した、藤堂家にとっていい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2613.html
0589人間七七四年2011/06/09(木) 19:22:14.55ID:UG7HMgxU
高虎本人は置いといて、藤堂家となるとやられ役とか、
裏切り者って扱いだよなぁ。幕末にいたるまで。
0590人間七七四年2011/06/09(木) 22:00:41.10ID:S1QQ+ozn
まぁそれは仕方ない。ある意味自業自得
山内家だって関ケ原武功ゼロっすかwwwって300年ディスられてたし
0591人間七七四年2011/06/09(木) 22:32:02.52ID:4dZgJChl
>>584
TERUさんの軽はずみな行動を腕づくでも抑えそうだから
関ヶ原の様相はかなり変わっただろうねえ
0592人間七七四年2011/06/10(金) 02:10:18.32ID:QDTSp5Ew
如水には、キチガイのような可笑しい振る舞いが多かったが、
(如水は、気違の様なる可笑しき事共多き中に)
ある時、龍若という草履取りが悪戯を度々したので終に如水は罰を与え、
彼を大黒柱に縛り付けた。

翌朝、如水の側に仕える御伽衆の者たちが、龍若を許してもらうために詫び言を申し上げようと
話し合いをしていたところ、書状を書いた如水が、こう言ってきた

「城から一里半ばかり離れたところに相原村という、瓜をよく作る所がある。
そこには代官も置いてある。
この代官に瓜を差し出すようにと申し付けるので、それを龍若が城に持ち帰れ。」

この命により縄を解かれた龍若は程なく相原村より瓜を持ち帰る。
すると如水は龍若を御前に呼び出し、手ずから瓜2つを与え、「これを喰らえ」と言った。

御伽衆の者たちこれを見て
「詫び言を申し上げようと思っていたところに、そうするまでもなく許された!
如水様も何のかんの言って、龍若がいないと不便だったのだろう。
そのお陰でこんなに早く埒が開けた。」

良かった良かった、と喜んだ。が、そこで話は終わらない。
龍若が瓜を食べ終わると如水、彼を再び大黒柱に縛り付けたのだ。

そして「家中の者に使いがある」と言っては再び龍若の縄を解き使いにやって、戻ってくればまた縛り、
特に用もないのに「居間の掃除をしろ」と縄を解き、掃除が終わればまた縛り、
1日に1,2度づつは許してはまた縛ると言うことを繰り返し、終に3日間こんなことをした挙句、
ようやく完全に許した。

この事を見聞きした者たちはいずれも可笑しい事だと思い、伽坊主の一人が
「それにしても珍しい御折檻でございました、世間にまれな囚人でありましたことよ。」
そう笑って申し上げると如水

「まあ龍若は徒者だからな。教育のためとは言え、縛ったまま使わないのはわしの損だ。
だからと言って悪戯者のままであっても困るので、折檻はしないといけない。
そうではあるが、縛ったままにしておいたら体に縄が食い込んで、そりゃあ苦しいだろう、
時々休ませて用などもさせて、そんなふうに緩々と折檻したら、普通の折檻より
懲り方も強くなるんだよ。」

と言って如水もまた大笑いしたという。
(古郷物語)
0593NGMS2011/06/10(金) 07:53:46.85ID:/ZOO0KMz
こんな親の息子なんだけど、何をしても家臣にDISられます
どう振る舞ったら尊敬されますか?
0594人間七七四年2011/06/10(金) 08:21:52.64ID:PI6LRClA
監禁された経験者の言葉と思うと重いな
0595人間七七四年2011/06/10(金) 08:23:37.58ID:SoZFEHhN
いい話でも悪い話でもホント理屈っぽいなこの人
0596人間七七四年2011/06/10(金) 08:43:20.27ID:cjUyIcj0
>草履取りが悪戯を度々したので
ご隠居でなく長政さんだったら癇癪おこしてたいへんなことになりそうだ
0597人間七七四年2011/06/10(金) 12:39:05.85ID:GsXJ4Gtv
>>593
そんなこと聞かなきゃ分からない時点で若殿はだめなのじゃ
0598人間七七四年2011/06/10(金) 16:36:48.62ID:pUqi00nD
>>592
これっていい話なのでは?
少なくとも悪い話ではないと思う
0599人間七七四年2011/06/10(金) 18:42:39.04ID:8lbvU9V9
>>598
悪い(事をして処罰された)話
0600人間七七四年2011/06/10(金) 19:02:51.94ID:oUiFraPE
>如水は、気違の様なる可笑しき事共多き中に



サラっとひどいこと書いてる筆者の悪い話だろw
0601人間七七四年2011/06/10(金) 19:13:31.55ID:/kSGUCYz
でもこう言うことを書かせてくれる家風は素晴らしいですね。
ささ、今日も腹立てずの異見会を開きましょうかNGMS様
0602人間七七四年2011/06/10(金) 19:26:54.66ID:sCy7q2dy
現代でもやればいいのに、腹たてずの会
課長って有限不実行ですよねwとか、手柄横取りの巧みさ見習いたいです!とかね
うーん、刃傷沙汰になりそうだ
0603丁ο児 ◆Kd2TSsZIFU11 2011/06/10(金) 20:21:40.82ID:bbfsZ2FV
>>35はもっと評価されてもいいはず。

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