戦国ちょっと悪い話26
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0488人間七七四年
2011/06/05(日) 03:10:05.29ID:VUAJlTdL弱小とみなしていた信長に敗死したのがよほど悔しかったのであろう、その死後、
古戦場にはさまざまな怪異が起きるようになった。
曰く、
義元の墓の横に義元が馬を繋いだ枯れ木が立っているが触れると熱病に罹る
曰く、
義元の霊が巨大な蛍となって現れ、京都を目指して飛んでいく(妖怪「氏蛍」)
曰く、
毎年5月19日の合戦の日になると、白馬に乗った武将が辺り一帯を駆け巡り、その姿を見、
そのことを人に口外すると狂い死にする
などなど
江戸の終わりには、亡霊鎮魂のため、通称「お化け地蔵」なる地蔵が建てられている。
それでも義元の霊は鎮まらなかった。
明治の半ば頃、地元の大工某が義元の墓近くを通り掛かると、松食い虫により食い倒された
松の木の根元から白蛇があらわれるのを見つけた。大工は白馬に乗った武将の伝説のことと
考え合わせ、自分ひとりの心にしまっておけず、そのことをを人に語ってしまった。
するとその日から三日三晩高熱にうなされたあげく死んでしまったという。
怖ろしくなった地元の人々は、高徳院という寺の住職に依頼して加持祈祷をしてもらい、
義元の霊を「三角池」という池に封じ込めてもらった。そして、毎年義元の命日5月19日に
なると木刀や酒、飯、肴を石に縛り付けて池に沈め、お経を唱えて供養するようになった。
昭和30年代に入って、学校建設のため、池は埋め立てられることとなり、義元の霊魂は高徳院
境内にある池に祀り直され、池のほとりにお堂が建てられた。
しばらく後、知多半島から来た霊能力者の女性がお堂でお参りしていると、体が宙に浮き神憑り
状態となってこう告げた。
「我は400年間蛇身となり苦しんできたが、神としてここに祀られて身も安泰となった−−−
ここに鳥居を奉ぜよ−−−さすれば我白龍となりて諸人の願いを叶えようぞ−−−」
こうして義元の霊は「一願成就徳親竜神」となって今では近在の人々の信仰を集めています。
毎月19日と正月15日がご縁日、ご祈祷料は一回3000円です。
文明開化の世になっても呪い殺す義元さんデラオソロシス という訳で悪い話へ投下
もっと早く祀ってあげなよ('A`)
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