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戦国ちょっと悪い話26

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0001人間七七四年2011/05/03(火) 03:46:40.51ID:bO+mpFnO
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話25
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1298639461/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話26
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1302853897/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0399人間七七四年2011/05/29(日) 06:13:25.72ID:ORxRwcTp
これは前に、願望入りすぎて
自分で考えた創作パートメインの逸話?を投稿してた人か。
なんか最上を題材にしてのこの書き方は。

カッコ内とかなんだかなあ。
0400人間七七四年2011/05/29(日) 07:07:10.50ID:Snk7CkIU
大名が部下に好かれる人格者だとドンドン家臣がメンドクサイ性格になっていく説
0401人間七七四年2011/05/29(日) 08:37:26.91ID:34vaQxsB
こないだ、見ればすぐわかるニュース記事のURLを貼りつけてから
記事内容を捏造したレスを見て以来
>>398みたいなのも粘着アンチの自演だったのかと納得した
0402人間七七四年2011/05/29(日) 08:38:49.80ID:EFV00kPa
捏造ってより改変っぽかったけど
0403人間七七四年2011/05/29(日) 09:50:37.80ID:A41QTDyt
お前マンドクセと言いたいだけじゃないのかと
0404人間七七四年2011/05/29(日) 10:07:31.93ID:rRgDQXTC
こういうの見ると最上が好きになる メディア戦略というか近頃のバサラとか
戦国ゲームとかで戦国時代がこうやって人気を得ているんだろうなぁ
0405人間七七四年2011/05/29(日) 10:41:01.82ID:8egXdsHi
最上まで嫌いになる可能性のほうが高いだろ
0406人間七七四年2011/05/29(日) 11:00:52.41ID:zcrz6hvQ
台詞形式って、書くときあんまり頭使わないでいいから楽なんだよね〜
0407人間七七四年2011/05/29(日) 11:06:32.44ID:k4MVpi4Q
投稿しようとしたら行数制限以内なのに本文が長すぎとか言われた。
なんだこりゃ?w;
0408人間七七四年2011/05/29(日) 11:11:05.80ID:bVRiF51C
>>407
大人しく2つに分けて投稿しよう
04091/22011/05/29(日) 11:14:00.23ID:k4MVpi4Q
文禄元年(1592)、朝鮮の役が始まり、日本軍は続々と釜山港へ上陸すると、早速進軍を始める。
加藤清正の軍も攻略地点への移動を開始しようとするが、この時、日本から馬を輸送する船が
未だ到着しておらず、50人余りが馬に乗れない状況に居た。

彼らは船を待つべきか、それとも現地で、駑馬でもいいからそれを求めて乗るべきかと相談していると
船頭たちが、「日本では風波悪しく、5日も10日も港から船を出せない状況のようです」と言うので、
これはもう現地で馬を徴収するしか無いと、馬を探したものの、あるいは敵が乗り、もしくは
荷を付けて逃げ出したものと見え、馬は一頭も見つからなかった。
かといって騎馬の士が、徒歩で軍勢に付いて行くわけにも行かない…

と、この時現地に牛は残されていることを発見。彼らはこれを奪い、牛に乗って進軍に付く事とした。
0410人間七七四年2011/05/29(日) 11:16:03.83ID:p804O9dF
sienn
04112/22011/05/29(日) 11:16:06.66ID:k4MVpi4Q
これを見て清正軍の中の、若く不良じみた連中は面白がり

「方々は騎馬とは言いがたい、騎牛衆と申すべきだ!いつも馬乗りより遅いですぞ!」

と戯言をいう。牛に乗った者たち、最初はそれに付き合い一緒に笑っていたが、その戯言があまりに度々なので終に腹を立て

「さてはお主達は冗談ではなく本気で笑っているようだ!
それならば牛の乗った者が遅いか、馬に乗った者がどれほど早いか、勝負いたすべし!」

と、決闘に及ぼうとしたところ、これを聞きつけた清正の家老たちが慌てて間に入って色々と扱いを入れ、悪口を言った若者たちから謝罪をさせ、どうにかその場を無事に済ませたという。

朝鮮の役、「騎牛衆」のお話(續撰清正記)
0412人間七七四年2011/05/29(日) 11:53:09.87ID:QXEiNf0o
慶次さんなら牛でも問題なし
0413人間七七四年2011/05/29(日) 12:56:10.83ID:NdAkaJKX
最終形態 火牛衆
0414人間七七四年2011/05/29(日) 14:35:48.44ID:l/zJrVXJ
>>407
忍法帳システムが不具合発見のためにリセットされたらしい。
どうもその影響ではないかと。
0415 忍法帖【Lv=1,xxxP】 2011/05/29(日) 14:51:38.74ID:Q2oMtbX2
まじか・・・
0416人間七七四年2011/05/29(日) 17:34:47.37ID:oI2S4ys7
本当に最上オタの創作はへたくそだから勘弁して欲しい。
まとめ管理人さんにも毎回スルーされているのにしょうこりもないなw
0417人間七七四年2011/05/29(日) 17:43:21.70ID:tR/usN5G
劉秀「牛も悪くないよ」
0418人間七七四年2011/05/29(日) 17:49:52.60ID:/wDKrcIH
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5299.html
「陣中に於いて、いかに竹中半兵衛とは言え、いつも心静かに牛に騎す事など出来はしない。
あれはたまたま一度、竹中殿が牛に騎した事があったのを、後の人が話を大きく、面白おかしく
したのだ。」

牛のほうが乗りにくいってことなのかな
0419人間七七四年2011/05/29(日) 17:56:20.32ID:3wXxC4Mg
たしか中国の昔話でお互いの都から馬車と牛車でで出発して出会った所を
国境と定めたなんてのもあったな。
ウサギと亀じゃないけど、速いが長時間移動が苦手な馬と遅いけど歩き続ける牛
で丁度真ん中くらいのいいところに落ち着いたとかそんな感じの
0420人間七七四年2011/05/29(日) 18:58:04.90ID:3WKECmfO
ここまで重治の出番なし
0421人間七七四年2011/05/29(日) 19:00:26.46ID:3WKECmfO
>>418をうっかりスルーしてしまった(汗
0422人間七七四年2011/05/29(日) 23:37:39.37ID:p804O9dF
つ  ==ニニフ
0423人間七七四年2011/05/29(日) 23:57:48.53ID:tR/usN5G
≡ ==ニニフ   ( * )
0424人間七七四年2011/05/30(月) 05:53:00.79ID:xcGAJzTh
==ニニ* ) アッー
0425人間七七四年2011/05/30(月) 07:08:32.96ID:8Ckvy4m4
こんな大雨のたびに当時の治水できてないところは水浸しになって
大変だったんだろな。コンクリートとかアスファルトとかマジ感謝
でも戦国時代でも砂利を敷きつめたりくらいはあったのかな?
0426人間七七四年2011/05/30(月) 12:23:55.94ID:ijGoTgYk
砂利なんか敷いたら裸足が痛いしワラジの寿命もマッハだろ
0427人間七七四年2011/05/30(月) 20:57:00.09ID:7hJyY6vR
堤防に防水林とかでしょ
0428人間七七四年2011/05/30(月) 21:15:19.13ID:wrjG+g3k
面白かったので転載

> 285 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/22(日) 20:58:54.70 ID:laKpGgoA
> 葉隠物語読んでるんだが、直茂って依怙贔屓ばっかしてんのな
>
> 成富兵庫が加藤清正から駆け落ちした姫を奪還した話は痺れたわ

> 286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 22:31:58.55 ID:2sD0nmYg
> >>285
> 面白そうな話なので
> もう少し詳しくお願いします

> 287 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/24(火) 18:58:58.98 ID:Ac7hpaHl
> >>286
> 鍋島茂治の娘が夜中に若侍と駆け落ち
> その数年後、加藤家の家老の側室になっていることが判明
> 茂治の家来が連れ戻しに行ったが、本人も加藤家も拒否する
>
> で、成富兵庫の出番となる
> 大勢の共を連れて熊本入りした兵庫だが清正は仮病を使って会わない
> 兵庫は慌てず、そのまま居座り物見遊山よろしくあちこちを見て回る
> その内、噂が広まり仮病で会わないのは卑怯だという世論に負けた清正は兵庫に会う
> そこでも女の引き渡しを渋る清正だが兵庫が朝鮮での借りを持ち出すと一も二もなく陥落
> かくして姫は佐賀へ連れ戻されたとさ
> そいでばっきゃあ

龍造寺氏と、たまには鍋島氏を語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1271704721/
0429人間七七四年2011/05/30(月) 21:26:43.33ID:Vb5Y2uzl
政宗の母保春院が仙台に引き取られ、亡くなってしばらくした後に
嫁いだ頃よりの母付きの侍女が国元にあった政宗に挨拶に来て
「御曹司におかれては相も変らずご健勝で何より」と述べた
今や幕府にも一目置かれる大藩の藩主であり子や孫も大勢いる政宗も
かつてを知る老女にとっては未だにおぼっちゃん扱いである
そこで昔を懐かしんでつい気が緩んだのか
「いやあ、俺は父ちゃんには良い思い出ばかりだが
母ちゃんのことはぶっちゃけ恨んでるんだよね」などとついこぼしてしまった
政宗に関する逸話や書簡は数多く残されているが、こんな些細な愚痴まで
後世に残ってしまっているちょっとバツの悪い話
0430人間七七四年2011/05/30(月) 21:47:08.10ID:EQZ6c5QC
>>428
どの辺りが依怙贔屓なのかようわからん・・・
0431人間七七四年2011/05/30(月) 22:08:44.79ID:WCnIekCm
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-585.html
でも

政宗:陸奥のマザコン大名。ママンあての手紙が多数残る。
ツンデレのため「母上には恨みがあるからね!」と記録に残すが、
その実大量のママンへのレターやお土産記録がある。ママンの位牌はお手製。
(中略)

・母子再会の歌。
政宗:年月久しう へたたりける母にあいて
あいあいて 心のほとや たらちねの ゆくすゑひさし 千とせふるとも
保春院:母ノ返し
二はより うへしこまつの 木たかくも えたをかさねて いく千世のやと

・政宗が母の死を悼んだ和歌。
鳴く虫の 声をあらそふ 悲しみも 涙の露ぞ 袖にひまなき
七周忌に詠んだ歌。
七夕の 逢瀬(おうせ)ながらも 暁の 別れはいかに 初秋の空

毒殺未遂はアヤシイにしても、愛憎半ばというかなんというか
0432人間七七四年2011/05/30(月) 22:13:11.93ID:9gOYw3IQ
>>429
とーちゃんは自らの指揮で撃ち殺しておいて、良い思いでばかりと
いうのも、なんかあれだな
0433人間七七四年2011/05/30(月) 22:21:04.75ID:DnMhRMXV
>>428
この話は続きがひどい。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3175.html
0434人間七七四年2011/05/30(月) 22:23:18.43ID:wrjG+g3k
>>430
「葉隠の直重の話は依怙贔屓ばかりだ」って事で、成富さんの話はそれとまた別だぞ?
0435人間七七四年2011/05/30(月) 22:54:28.53ID:EQZ6c5QC
いや文脈的に別じゃないでしょ
葉隠物語は依怙贔屓ばっかり→それに引き替え成富△はいいんだけど、
葉隠のどこがどう依怙贔屓なのか触れてないから比較されても・・・って感じ
0436人間七七四年2011/05/30(月) 23:04:53.51ID:lFPDkSZ2
>>429
こんなにママンが大好きなオレをおいて、実家に戻るなんてひどいよー! 
ってことかもしれんなw
無断出奔だったそうだし、そのせいで政宗がプレゼントした小袖が届かなかったらしいしw
0437人間七七四年2011/05/31(火) 01:08:52.81ID:Axa6xMSk
父ちゃんの良い思い出…母ちゃんの回りを飛んでる蝿を撃ち殺せた
怨み…ヤらせてくれなかった


的なキモい想像
0438人間七七四年2011/05/31(火) 01:39:21.67ID:6ou96sCR
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5450.html の直前のお話。

天正6年(1578)黒田官兵衛が摂津有岡城にて荒木村重に捕らえられ幽閉される。

さて、この事が姫路の黒田家に伝わると、黒田家の家臣たちは皆すぐにこう思った。
「これは御着にある主君、小寺政職が荒木に頼んでそうさせたのだ!」と。
織田に付くか毛利に付くかで官兵衛と対立していた小寺政職は、黒田家の者からは
そのくらいのことはする、と確信されていた程、関係が悪化していたのである。
黒田家の重臣たちは官兵衛幽閉の一報を聞くやいなや官兵衛の父宗円のもとに集まり、

「官兵衛様の今回の事、最初からこうなるのではと予想はしておりました。
なので差し出たことを申すようですが、今更驚くことはありません。
そしてこの上は弔い合戦として、今回のことを主導したに違いない小寺の殿のある御着へ攻め寄せ、
彼を討ち果たすことがかなわねば討ち死にする、我らはそう決めました!」

と、口々にこう申し上げた。これを聞いた黒田宗円

「皆の者達がこのように忠義の心を持ってくれているのは、今に始まったことではないが
実に感じ入っている。だが、聞いてほしい

官兵衛が腹を切らされるか、あるいは牢の中で病死するような事態になれば、私はそれを
許さない。その時はこの法師頭に兜を被り、主君である小寺の殿に対し弔い合戦を仕掛け
そこで討死をし、本望を遂げる覚悟である。
その時は勿論、お主達にも協力を頼むつもりだ。

しかし官兵衛のことだが、小寺の殿が荒木に頼んでこれを生け捕りにしたこと、それは間違い
無いだろう。
だが荒木が少しでも弓箭の道を知っているなら、拙速にこれを殺すような真似はするまい。
分別があるのならむしろ、良き弓箭の種を求めたと喜び、身体に危害を加えること無く
丁重に礼遇して置くであろう。そんな所に、お前たちが言うように合戦をしたらどうなるか?

御着の城を取るのは簡単な事だ。だがそれをすれば、荒木は残念だと思いながらも、官兵衛を
殺すだろう。これを良く考え、とにかく冷静になるのだ。その時が来れば、私が指図をする。

見よ、先日まで能をさせていた能舞台も、この上はいらぬ物であり、舞台も桟敷も打ち壊した。
この城は今や、戦備を整えることだけに集中している。
もともと1年2年籠城しても、兵量・弾薬・その他の武具であって事欠かないこと、皆知っている
通りだ。御着にも常々我等と心通じている者たちがある。御着からここに参りたいという者たちは
皆連れて来るといい。どれほど入城させても兵量は豊富に備蓄してある。

これから御着より使いが来るだろう。それまでは一切表立った行動をしてはならない。
使いが帰れば、御着の官兵衛の屋敷に火をかけ、留守居の者たちを急ぎ引き取らせよ。
こんなこともあるだろうと思って、官兵衛の妻はあらかじめこちらに越させておいた。
気遣いすることは何も無いぞ!

御着の官兵衛屋敷を自焼させ、留守居の者たちを引き取れば、御着と姫路との境を封鎖し
通行する者たちは切り捨てよ。

…さてこれからは、若者共が面白がる展開になるぞ。」

そう、法師頭を打ち振りながらそれらの方策を指示したという
(故郷物語)
0439人間七七四年2011/05/31(火) 01:55:19.91ID:6ou96sCR
うわ、最後書名間違えてる。(古郷物語)ねw;
0440人間七七四年2011/05/31(火) 16:28:27.40ID:hpBciY+L
最後のセリフに一番古強者の匂いを感じるw
0441人間七七四年2011/05/31(火) 19:03:19.29ID:TL2rjv/D
渋いね。この親にしてあの子あり、か。
0442人間七七四年2011/06/01(水) 10:33:05.80ID:nQ8YvOqN
それに比べて若殿は
0443人間七七四年2011/06/01(水) 10:37:50.31ID:0i9s4Xag
50万石の大大名
0444人間七七四年2011/06/01(水) 20:00:18.40ID:8r1ZGZju
その時左手はなにをしていた!
0445人間七七四年2011/06/01(水) 20:41:47.33ID:lIUgISRI
ティッシュを広げて発射に備えてました
0446人間七七四年2011/06/01(水) 21:46:56.00ID:vpEgk3ra
>>444
それって創作なんだよな
0447人間七七四年2011/06/01(水) 21:50:55.94ID:qB9+a0r1
でも如水が関ケ原のとき大暴れしてたのは本当なんだろ?
0448人間七七四年2011/06/01(水) 22:18:28.69ID:BGXzuNAQ
天正10年(1582)6月2日、本能寺の変、起こる。
これを知った備中高松城攻め最中の羽柴秀吉はこの情報を秘し、急遽毛利との和睦を図る。
毛利家を預かる毛利両川こと吉川元春、小早川隆景からは、長門・周防・安芸・出雲・石見・伯耆・備後・備中半国、
この八カ国を安堵の条件ならば和議に応じる、との見解を、安国寺恵瓊を通して秀吉方に伝えた。
これを聞いた秀吉は

「その坊主、ここに連れてこい」

と安国寺を御前に呼ぶ。安国寺は秀吉にお目見えし、両川の所存を朗々と説明する。
安国寺はその語りも上手く頭の回転も非常に早いため、秀吉を始めその場に居た者たち、すっかり聞き入る
風情であったという。

説明を聞き終わると秀吉は

「ここは『信長公』のご好意もあり、いかにも両川の望みのようにいたそう。」

と、毛利側の条件を飲むと表明した。すると安国寺

「これはこれは、時の面目も保ち、国家の安泰も図れます。満足この上ない思いです。
…ですが、このありがたき上意の趣きを伝えるのに愚僧の口上だけでは、両川も心許なく思うことでしょう。
願わくば先の国々安堵の『信長公』のお墨付きを、頂戴いたしたいのですが…。」

秀吉苦笑いしながら
「坊主!お前は残る所も無い曲者だ!さりとて能き使いである。
さて、わしも今ここで墨付を遣わしたいとは思うが、お前も分別してみよ、この和睦条件は未だ仮初のものであり、
わしの方としても所領の事だけを取り上げて証文を出すわけにはいかない。
その方は一旦帰り、我々の申す所を両川に申し聞かせ、その上で重ねてここに来い。
それでもこの和平への考えが変わらないのなら、墨付などは、その上のことである。」

安国寺、これを心得たという表情で
「上意の旨、畏まりました。
されば両川が筑前守(秀吉)様の仰せの趣きをお請けした場合、その事を誓紙にして『信長公』に
差し上げるべきでしょうか?」

秀吉は『この坊主、わしの心を見定めようとする質問を、ズバズバとしてくる奴だ』と思ったが
「いやいや、誓紙など無用である!和睦の後にさらに保証を求めるなら、それは心次第である。
誓紙は、両川がその時心に懸けられること。今は無用である!」

この言葉に安国寺も納得した風情で、御前を下がろうとし立ち上がったがたがその時、こんな『独り言』を漏らした

「私の質問に心広く答えるようなことをせず、石に手を詰めたるように(動きがとれないように)されてしまっては、
もうどうにも出来ませんな。
さても良き『天下取り』の御下地かな。」

「坊主待て!」

秀吉は咄嗟にそう声をかけ、安国寺に大金を与える。さらに「坊主は良き武士の下地である」と
馬、具足、腰の物などを揃えて与え

「又来るときはその長衣ではなく、武士の格好をして来い!それが似合っていればこれからいよいよお前の事を
目を懸けることにするぞ。」

と、いかにも親しみを込めて語り聞かせる。

安国寺が毛利陣へと帰ると、秀吉は疲れはてたような表情で言った

「古狸の寄り合いは、恐ろしき事なり。」


秀吉と毛利の和睦交渉における逸話である。(古郷物語)
0449人間七七四年2011/06/02(木) 01:45:25.92ID:G3FheDs9
豊臣政権下で毛利は秀吉の内部工作で引っ掻き回されて弱体化してるんだから、
安国寺は狸といっても批評家みたいなもんなんだろうな
まあ社会に出ると、実戦力にならない批評家ってのが一番厄介者なんだがw
0450人間七七四年2011/06/02(木) 06:23:58.59ID:sTsCY0xj
田嶋先生の事を言ってるのか?
0451人間七七四年2011/06/02(木) 10:16:41.58ID:dzhM6Unw
おまいの頭の中には批評家は一人しかいないのか
0452人間七七四年2011/06/02(木) 17:48:53.57ID:6qiRdeTB
恵瓊は本能寺の情報をつかんでるの?

もういない信長との約定なら好きな時機に破棄できるから、それを狙ってるように読めるが。
0453人間七七四年2011/06/02(木) 17:57:16.61ID:fpbrc/am
慶長14年(1609)の盂蘭盆会のこと。
肥後熊本では加藤清正の家臣たちが踊り興行を催し、清正のお目にかけようと言うことになり、
それぞれの組に分かれて異類異形の事を巧み、美々しい踊りを企画した。

と、ここに児小姓組の者たち、こんな事を考えた。

まず狩人に扮装した者が出てきて狸を狩ろうとする。すると狸に扮した者狩人に手を合わせ、
『私には子孫が多くあります。ここで私が殺されてしまえば、子や孫たちも大変不憫な目に合うでしょう。
どうかご慈悲を持って私を助けていただければ、子や孫ともども、あなたを有難く存ずるでしょう。」
狩人も木石ならぬ人なれば『誠に畜類も我が子を思うことは、人間に変わりなきと見えたり。
我も子供持ちたることなれば、一命を助けるなり』とこれを狩ることを諦めた。
そのうえで

『しからばここにこや孫たちを残らず呼び出し、ここで腹鼓を打ってほしい。』

と頼む。これに狸『さてさて有難いお情けです。一体どんなお礼をすればいいかと考えていた折、
子供たちの腹鼓で良いとは何より安きこと。』

と、ここで予め作っておいた山の張りぼての中から、狸の扮装をした30人ほどが出てきて
歌を謡い拍子を踏み、鼓太鼓三味線に乗せて腹鼓を打つ、

そんなショーの内容であった。


さてさて7月10日、その踊り興行の当日がやって来た。
児小姓組の者たちは卯の刻(午前5時)から準備をし、狸の扮装をした者たちを
早々に山の張りぼての中に入れ、これを城の追手の門際に置いて、先の組の者たちの歌が
終わるのを待った。

だがしかし、先の組の踊りも中々終わらない。一番組、二番、三番、大小姓組の踊りが終わり、
児小姓組の順番が回ってきたのは、なんと未の刻(午後1時)であった。

ここで先の山のハリボテを広間の庭に木遣りのようにして引き入れ、清正の御前で早速、
先の狩人と親狸の茶番を始める。そしていよいよ仔狸を呼び出した、この時である!

仔狸の扮装をした者たちは、変にリアル感を出そうとしたのであろう、タヌキやウサギなどの毛皮で
身を包みそこに狸の面をかぶっていた、そう、着ぐるみのようなものである。
この姿で早朝から午後1時まで、狭く密封された山の張りぼての中に、30人もギュウギュウ詰めに
されていた。しかも時期はまさに夏!炎天の日に照らされ続けていた!するとどうなるか?

山がひらくと、異様な熱気と共にタヌキの扮装をした半死半生の者共、這いずるように外に出てくる。
腹鼓を打つなど勿論思いもよらず、それどころかそこら辺中で気分を悪くしてゲーゲー吐瀉を
するなど大変な状況。

これを見た見物の老若、「児小姓組の踊りは他とは違い、上品で風流な事をやって諸人の
耳目を驚かせる見世物をすると思っていたのに!これwwwはwwwwwひどいwwwwwwwwwww」

と大爆笑。さすがの清正すら
「踊り子たちは腹鼓を打たないのに、見物人が腹を抱えてるwwwwwwwwwww」

と、変なところがツボに入ったらしく笑い転げる。ここでお側に居た御伽衆の一人が一句

『腹鼓 うたん狸はさもなくて 見る人いたき腹の皮かな』

と狂歌を詠む。これにも清正「ちょwwwwwおまwwwwww当意即妙wwwwwwww」
と、ますます爆笑したとのことである。
(續撰清正記)
0454人間七七四年2011/06/02(木) 18:10:18.08ID:1buKfsAh
あんまり草生やすな
0455人間七七四年2011/06/02(木) 18:17:53.89ID:Ykl0gVN5
いいじゃないか。
なんか自称御意見番が増えたな。
0456人間七七四年2011/06/02(木) 19:39:15.81ID:GhLQixHB
草生やしてると馬鹿っぽい
0457人間七七四年2011/06/02(木) 19:44:56.40ID:hNNm9r2j
そりゃー馬鹿みたいに笑い転げてるからな
0458人間七七四年2011/06/02(木) 23:05:22.26ID:cDb8lqUO
山だけに草がいっぱい生えるってかwwwwww
0459人間七七四年2011/06/02(木) 23:09:27.65ID:H3WXngpv
信玄「山にも厠にもくさきは絶えぬのお」
0460人間七七四年2011/06/02(木) 23:26:10.73ID:XN6HTCTX
草の是非で争う事を、いくさという
0461人間七七四年2011/06/03(金) 01:06:25.74ID:JpLH1vmD
くさくさした気分
04621/22011/06/03(金) 10:36:39.13ID:LpO8x5Od
天正17年(1589)、黒田官兵衛は息子長政に家督を譲り隠居、入道し如水軒を名乗る。

ところが豊臣秀吉はそれにもかかわらず如水を側近くで召し使い続ける。如水はそれが
本当に嫌であった。しかも秀吉に召し使われる様子を見て、諸人からのもてなしはひっきりなし
である。これでは隠居したかいもない。

そして考えるほど恐ろしいのは、如水隠居の原因となった、秀吉の「官兵衛ならわしが生きている間でも
天下を取るよ」との発言である。『狡兎死して走狗煮らる』の言葉もある。
このままでは甲斐守(長政)のためにもよくない。
如水、決意する

「何としても御前を仕損じ、逼塞させられなければならない!」

そこで目をつけたのは、石田治部少輔三成である。
如水は三成が側小姓として利発で、秀吉の上意にもかなっているのを見立てて、
種種様々に心を付け引き回し、彼が秀吉側近として出頭するように仕掛けたのだ!

三成はこれを大いに喜び、如水を親のように丁重に扱った。
秀吉も三成を重用するようになり、三成はどんどんその立場を強くしていく。
そして元々石田三成という人は大変謙虚な人だったのだが、このように出世すると、
これも世俗の習いというものであろう、日増しに驕慢の心が強くなる。

「良き時分なり」

如水は次の行動を起こす。
04632/22011/06/03(金) 10:37:27.78ID:LpO8x5Od
ある時秀吉に緊急の用が出来「この事は跛(如水)めに聞け、あいつの存分を聞いてこい」
と、三成を派遣した。三成が如水の館を訪れると、「お待ち候え、行水の最中です」と伝え
退屈するほど待たせ、そうなってから漸く湯殿に入って行水し、上に着物をつけながら
帯も締めずに三成の前に現れ、立ちながら尻を拭き拭き「なんと、御使であるとか。
どう言った御用であるか?」と、いかにも怠慢な体で問う。

三成は『これはとんでもないことだ』と思いながらも上意の趣きを伝えると、如水は両足を投げ出して
座り、下人に物を申し付けるかのように、三成に返答を伝えた。

又ある時は如水が碁を打っているところに、三成が上使としてしてやってくる。
如水はその場に呼び入れ、、碁を止めることもなく「御使は何の御用か?」と尋ねれば
「隠密に是々の事を内談するように、と申し付けられています。如何仕りましょうか?」
これに如水

「何だ、そんな事か。それならこの碁は今相手の首を刎ねかけている(勝負がつきかけている)
ところなので、こちらを続けよう。なあに、直ぐに終わるさ。」

と、碁ばかりやって、終に御用のことにはまるで構わない。このような事が何度もあったので
三成もとうとう腹を立て、秀吉に「如水は殊の外奢っております!彼は上様のことを何とも
思っていないようであります!この時にはこのような、あの時にはこんな無礼な態度でありました!」
と言上つかまつった。その上念のいったことに如水は、三成以外の近習衆にも同じ態度を
とっていたので、皆三成の発言を裏付けし、さすがに秀吉も「そんな事は穿鑿するな」と言うわけにも
いかず、終に如水に罰を与え、当面御前にまかり出ることを禁止した。

如水は表面上、非常に驚き迷惑なる体であったが、内心

『計画通り』

と大いに喜び、その後も「唐瘡頭が痛む、跛臑が疼く」などと言って、終に秀吉の御前に出ることは
なかったそうである。
(古郷物語)
0464人間七七四年2011/06/03(金) 14:47:21.59ID:AcHOWPT6
これはいい悪い話だ
0465人間七七四年2011/06/03(金) 15:00:56.49ID:elEhUxqq
長じて関ヶ原の一方の大将に成り上がる遠因を作ったのも如水だったのか
0466人間七七四年2011/06/03(金) 16:56:12.85ID:ewD6at41
治部少輔がいいように使われる悪い話だ
0467人間七七四年2011/06/03(金) 17:20:12.26ID:C7/k+SVr
如水と三成で天下取りを狙った遠大な計画の序章にすぎない
0468人間七七四年2011/06/03(金) 17:25:34.22ID:NccIhjcK
如水マジ悪党だなw
0469人間七七四年2011/06/03(金) 18:51:43.65ID:D/rfI6Tq
ほんとは本多正信的ホジションで豊臣家を支える立場にいなきゃおかしいひとだよねえ
0470人間七七四年2011/06/03(金) 20:24:45.61ID:ZiwAnPEO
睨まれちゃったらどうしようもないだろ
下手したら頸が飛ぶ
0471人間七七四年2011/06/03(金) 20:37:06.21ID:6FbDZvjt
如水が根っからの譜代の立場なら、
献身的に差さえもしようが、所詮一代限りの縁だからねぇ。
秀吉の家柄が家柄だから仕方ないけど。
0472人間七七四年2011/06/03(金) 20:41:26.75ID:WSUYH85p
ヶヶ中さんみたいなキャラだったら、ここまで警戒されることも
なかったんだろうけどね。
ヶヶ中さんの子供も親父さんの功績の割りにむくわれていない気がするけど
0473人間七七四年2011/06/03(金) 21:23:43.20ID:ocHXKSgX
>>471
そもそも秀吉のほうから若い頃からの家来を追放してる気がするが
まあ如水に関してはキャラなんだろうな、秀吉って三成とか秀家とか直情系のほうが好きそうだし
0474人間七七四年2011/06/03(金) 21:39:55.80ID:A7UyG5Ox
>>473
追放だけじゃ済まずに切腹されられたりもするしなぁ。
そう考えると、仙石はあんだけ大失敗を、しかも2回もしておきながら、
本当に上手いことやった。
0475人間七七四年2011/06/04(土) 01:28:10.57ID:HIo0/7VE
>>472
親父さんの功績っていうのも怪しいみたいじゃん
他の没落や処断されている人の功績が竹中さんに加味されている形跡もあるとかないとかで
0476人間七七四年2011/06/04(土) 09:53:22.19ID:DPVS9A7s
有名な逸話ではありますが

上方における石田三成の反乱が、黒田如水のある豊前中津に聞こえたのは、慶長5年(1600)
7月初めのことだったという。

如水はこれを聞くと重臣たちを集め、緊急に兵を募集し、城の破損箇所の修理などの戦争の準備を
申し付けた。

と、そんな事をしている最中に、石田三成から如水の元に密かに使者が訪れた。
使者が如水に伝えるに

『徳川家康は何事も我意に任せ、秀頼様を蔑ろにされ、万事太閤様の御遺言に背きました。
そのため家康に腹を斬らせ秀頼様を取り立て申し上げようと、太閤様お取立て御重恩の者共の間で
意見の一致を見ました。

如水殿のこと、もとより太閤様からの御恩の厚さは世に隠れない事ですので、まさか我らの行為を
悪く思われる事はないでしょう。ですので是非、我々と一味同心していただきたいのです。

ご同心いただけるなら急ぎ上洛してください。あなたは古くからの武功の士なので、今後の方針など、
諸事あなたのご指図次第にしたいと考えています。

秀頼様の天下となれば、所領としてどこの国を欲されてもお望み次第です。
甲州殿(長政)は家康に付いて関東へ下られましたが、彼も急ぎ呼び戻されるべきでしょう。』

如水、これを聞いて使者に

「治部殿(三成)の今回の企ては尤もな事だと考えている。
この愚老、太閤様より受けた重恩は他人を超えた、古今稀なるものであること、治部殿も既に
ご存知のことであれば申すまでもあるまい。
秀頼様の御為とあらば、何事においても粗略にはいたぬ。

…ところで、先に国は望み次第と言われたが、こう言う事は今のうちに話を決めておかないと、
後で違却だの何だのと問題になってしまうものだ。そこで、我々としては九州のうち7ヶ国を
給わることが出来るのなら、そちらにお味方仕り、家康退治のご計略に粉骨いたそう。
であれば、これを確実とするため誓紙を頂きたい。
その誓紙が治部殿直筆であることを確認させるため、その方に我が方からの使者を添えて
上方に送る。そこで治部殿の内意を直接、我が使者に申し聞かせていただきたい。」

と、宇治勘七というものを上方に派遣させた。

これを聞いて困惑したのは、黒田家の重臣たちである

「治部少輔に内通するなどすべきではありません!既に甲州様は家康公にご同心して、関東に
お下りになっているのです!そこで大殿が治部少輔一味となれば、甲州様のご身体、一大事と
なることでしょう!」

彼らはそろって如水に諫言する。が、如水いかにも意外そうな顔をして

「お前たちも不合点な事を言うものだな。周りの状況をよく見てみろ、隣国は皆敵(西軍方)と
なっておる。ここで三成の言葉に従っておく姿勢を見せないと、すぐに周りから攻められるぞ?
こっちは未だ戦備が整っていないのだ。

向こうも、わしを騙しに来たのだ。ならばわしも向こうを騙し、せいぜい戦備のための時間稼ぎを
させてもらうのさ。わしとて未だ、耄碌はしておらんぞ?」

と、笑ったという。(古郷物語)
0477人間七七四年2011/06/04(土) 10:28:50.30ID:XAxAqlhX
やっぱり如水はこうでなければ
0478人間七七四年2011/06/04(土) 10:52:06.80ID:uzERrkUZ
大義名分を全面に押し出す三成とあくまでマキャべリストの如水
この二人らしいっていえば二人らしいやりとりだ
でも如水って黒田家の書物でもこういう食えない男なんだなw
0479人間七七四年2011/06/04(土) 12:18:38.58ID:AKaLFed7
戦国三大マキャベリスト
如水、直家、元就

部下になるなら直家さんがいいな
0480人間七七四年2011/06/04(土) 13:18:40.84ID:BM1ZDDrD
>>478
古郷物語は黒田家の元家臣の視点から見た本だが
堂々と「如水は変人で、わけのわからないことを言うことが多かったけどいい人だった」
とか書いてある
0481人間七七四年2011/06/04(土) 14:04:14.55ID:nc/m17dV
黒田家家臣はなー…徳川とはまた違う視点での面倒くささ
0482人間七七四年2011/06/04(土) 17:15:12.49ID:ixNkp9Qr
敵を欺くにはまず味方から、か
如水の場合、敵も味方も欺きすぎて何が本当の目的だったのか分かりづらくなってるのがアレ
0483人間七七四年2011/06/04(土) 17:31:31.62ID:lA1RO6UX
>>482
安部龍太郎の「風の如く 水の如く」がそんな小説だったなあ。
関ヶ原で如水が例によって東軍西軍双方に複雑怪奇な謀略を仕掛けて、三成はそれで
訳が分からなくなって茫然自失のまま敗亡するんだけど、
家康の方は直感で「ピコーン!なんだかよく解らないけどこれは黒田如水の謀略!」って悟って、
それで如水の天下取りの野望は潰えましたとさ、って内容w
0484人間七七四年2011/06/04(土) 17:54:31.81ID:R2y5KoFG
腹黒田w
0485人間七七四年2011/06/04(土) 17:58:46.24ID:AKaLFed7
如水さんのおばかな孫はどうしてああなったんだろうな?
0486人間七七四年2011/06/04(土) 19:12:40.29ID:sRxxewz5
>>484

誰が上手いことを言えとwww
0487人間七七四年2011/06/04(土) 21:43:21.96ID:ZnGfWuE5
うむ。
0488人間七七四年2011/06/05(日) 03:10:05.29ID:VUAJlTdL
永禄3年、今川義元は桶狭間の戦いで織田信長にまさかの敗北を喫し討死してしまう。
弱小とみなしていた信長に敗死したのがよほど悔しかったのであろう、その死後、
古戦場にはさまざまな怪異が起きるようになった。

曰く、
義元の墓の横に義元が馬を繋いだ枯れ木が立っているが触れると熱病に罹る
曰く、
義元の霊が巨大な蛍となって現れ、京都を目指して飛んでいく(妖怪「氏蛍」)
曰く、
毎年5月19日の合戦の日になると、白馬に乗った武将が辺り一帯を駆け巡り、その姿を見、
そのことを人に口外すると狂い死にする

などなど

江戸の終わりには、亡霊鎮魂のため、通称「お化け地蔵」なる地蔵が建てられている。
それでも義元の霊は鎮まらなかった。

明治の半ば頃、地元の大工某が義元の墓近くを通り掛かると、松食い虫により食い倒された
松の木の根元から白蛇があらわれるのを見つけた。大工は白馬に乗った武将の伝説のことと
考え合わせ、自分ひとりの心にしまっておけず、そのことをを人に語ってしまった。
するとその日から三日三晩高熱にうなされたあげく死んでしまったという。
怖ろしくなった地元の人々は、高徳院という寺の住職に依頼して加持祈祷をしてもらい、
義元の霊を「三角池」という池に封じ込めてもらった。そして、毎年義元の命日5月19日に
なると木刀や酒、飯、肴を石に縛り付けて池に沈め、お経を唱えて供養するようになった。

昭和30年代に入って、学校建設のため、池は埋め立てられることとなり、義元の霊魂は高徳院
境内にある池に祀り直され、池のほとりにお堂が建てられた。
しばらく後、知多半島から来た霊能力者の女性がお堂でお参りしていると、体が宙に浮き神憑り
状態となってこう告げた。
「我は400年間蛇身となり苦しんできたが、神としてここに祀られて身も安泰となった−−−
ここに鳥居を奉ぜよ−−−さすれば我白龍となりて諸人の願いを叶えようぞ−−−」

こうして義元の霊は「一願成就徳親竜神」となって今では近在の人々の信仰を集めています。
毎月19日と正月15日がご縁日、ご祈祷料は一回3000円です。


文明開化の世になっても呪い殺す義元さんデラオソロシス という訳で悪い話へ投下
もっと早く祀ってあげなよ('A`)
0489人間七七四年2011/06/05(日) 07:10:54.43ID:8jxlvI5q
なにげに今川義元も人気あるよなw
アピールし続けるってのは大事なことだ
0490人間七七四年2011/06/05(日) 10:23:11.96ID:5Srg4wEO
>>488
ホームページまで有るのか。


http://www.koutokuin.jp/kitou.htm
 縁   起
 今川義元公の亡霊
0491人間七七四年2011/06/05(日) 10:34:13.49ID:lBxSoyRv
今川といえば杉並区今川にある観泉寺
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E6%B3%89%E5%AF%BA
0492人間七七四年2011/06/05(日) 16:54:10.53ID:5Pz5SZ1r
>>488
そういえば今日古戦場祭りだったね
0493人間七七四年2011/06/05(日) 17:00:14.57ID:17l4UgIM
無念度でいったら、天下獲りまであと数年ってところで謀反にあった信長の方が無念だろ
信長の怨霊とかおらんがな
0494人間七七四年2011/06/05(日) 17:04:15.84ID:PFRc0W67
そういや信長の祟り話ってあるのかな?
0495人間七七四年2011/06/05(日) 17:10:12.68ID:VDqYr/MW
秀吉の夢に出てきて苦しめてた的な逸話はあったような。
0496人間七七四年2011/06/05(日) 18:01:38.43ID:7MYKeY4Y
>>493
是非もなし、な人だからねぇ
0497人間七七四年2011/06/05(日) 18:14:09.12ID:jtbD9mRt
「是非も無し」を大阪弁で言うと「しゃあない」w
0498人間七七四年2011/06/05(日) 18:37:54.34ID:0sCrZdHW
>>494
まとめサイト(有名な話だけど)にあると思うが
乱丸殺して信長を挿した安田作兵衛が腫れ物で発狂して信長命日に自刃してるな
まあ、本能寺から死ぬまでの20年間にヒャッハーしまくってるから怨念にしては悠長だが
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