戦国ちょっと悪い話26
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0001人間七七四年
2011/05/03(火) 03:46:40.51ID:bO+mpFnO戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
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戦国ちょっと悪い話25
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1298639461/
姉妹スレ
戦国ちょっといい話26
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1302853897/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0353人間七七四年
2011/05/25(水) 02:42:09.36ID:e/Bk1vnC女の再婚も多いから平気だろ。
むしろ経産婦は石女じゃないと判っているだけ歓迎されたような話も聞くが。
0355人間七七四年
2011/05/25(水) 03:00:39.73ID:9/SVmQhP最近だと、普通の弟だった説が有力らしいな
0356人間七七四年
2011/05/25(水) 06:30:35.77ID:JdWKgAgQ0357人間七七四年
2011/05/25(水) 10:27:54.71ID:MYE9pJba0359人間七七四年
2011/05/25(水) 15:13:09.77ID:ZhYEM9Lohttp://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/stadium/1284945746/l50
オマイが知ってる悪人を教えろや!
0360人間七七四年
2011/05/25(水) 21:12:51.05ID:LFcpA/Wn信虎「略奪の定番アイテムでもあるんだよなこれが」
正昌「しかも返品交換の対象でもあるんだよな、御屋形」
0364人間七七四年
2011/05/26(木) 01:10:14.55ID:bQC6Y/jz花井三九郎って連れ子の姉の夫でしょ?
余談だけどググってみたら「捨て童子」ってタカラヅカになってんのなw
0365人間七七四年
2011/05/26(木) 05:26:36.60ID:T/1x5PXR市松や坂崎さんにはそこが後一歩足りない
的確に時代の勝利者を見抜く感覚はあるのに
0366人間七七四年
2011/05/26(木) 05:47:09.27ID:oMjZ3AjG0367人間七七四年
2011/05/26(木) 08:42:15.81ID:Eh/D9loi0368人間七七四年
2011/05/26(木) 18:53:35.03ID:KTOeap1Ghttp://w3.bs-tbs.co.jp/no2/backnumber.html
第5回からの4人が全員徳川家康の「ナンバー2」な件
というか家康は何人ナンバー2がいるんだ?そもそもナンバー2は何人も居るものなのか?w
0369人間七七四年
2011/05/26(木) 19:22:38.19ID:aGYQVjI6あれだ、野球で言う左のエースみたいなもんだ
若手ナンバー2が直政、古参のナンバー2が正信、外様のナンバー2が高虎みたいな感じで
0371人間七七四年
2011/05/26(木) 19:25:19.23ID:QycOB8dK0372人間七七四年
2011/05/26(木) 19:46:15.88ID:/IrAXtXm景勝≒アンスナバッハ
フェザーン≒一向宗
多分、当てはめていけば、きりがないだろうな
0373人間七七四年
2011/05/26(木) 19:48:34.62ID:/vfN1YbQ0374人間七七四年
2011/05/26(木) 19:52:52.26ID:LZSdL2Zo秀吉にも、奉行系のナンバー2と大老系のナンバー2がいるんですね・・・秀吉にとってのナンバー2って、秀長でその死後は家康なんじゃないかなあ?
0376人間七七四年
2011/05/26(木) 21:46:03.98ID:jmqhAb78この時遠州井伊家当主、井伊直盛も共に討死をする。
井伊家の家督は直盛の養子、井伊直親が継いた。
さて、同5年(1562)春、井伊直親の家臣である小野但馬という者、主人を恨むこと有り
今川氏真の元に参って密かに告げる。
「肥後守(井伊直親)は織田徳川と通じ、御屋形様に叛こうとしております!」
氏真はこれを信じ、大いに怒った。「井伊が叛いた!急ぎ井伊を退治すべし!」
しかし今川氏の一族であり、直親の友人でもある新野左馬之助は興奮する氏真を強く諌めた
「私は直親と長年親しくしており、彼の心の中も良く存じております。
直親は当家に二心を持つような人間ではありません!これはおそらく、讒人の申したことに
違い有りません。どうか、事の真偽を究明あるまで、御追討はお止めください!」
そして左馬之助は井伊の元に使いを出し、かくかくと状況を知らせる。
直親もこれに大いに驚き
「直親は先祖以来、今川殿の被官となってよりこのかた、累代において後ろめたき事は有りませんでした。
中でも養父である直盛は、故義元公のお供をして、桶狭間の合戦で討ち死にしました。
であれば、あの信長はご主君の仇というだけでなく、この直親にとっても父の仇であるのに、どうして御屋形様に
叛いて、君父重讐の相手に組するのでしょうか!?
この旨を持って、私に誤りの無いことをどうか、申開きしてください。」
そう、左馬之助の使いに託した。
ところが、これを聞いた氏真は
「いやいや、領地に居ながらにして陳じるというのでは疑いを解くことは出来ない!
駿府に参って申開きをせよ!」
と言う。直親もこれを受け入れる。このとき直親は「現在不信を被っている身が
郎党を多く引き連れていくのは宜しくない」と、主従わずか20人にて駿府へと向かった。
途中、掛川に差し掛かった所での事である。
完全武装した掛川城主・朝比奈備中守の軍勢2,300騎が突然、この井伊家の一行を襲った。
彼らは一行を大勢で取り巻き、一人も残さず討ち果たした。
この時井伊家は事実上、壊滅した。
直親にはこの時僅か2歳の男子・虎松があり、これも氏真により誅殺されるところを、井伊討伐に反対していた
新野左馬之助がその身だけはなんとか守り、命を助けた。
この時助けられた虎松こそ、言うまでもなく井伊家を再興する、後の井伊直政である。
今川氏真による、井伊家粛清についての話である。
(藩翰譜)
0377人間七七四年
2011/05/26(木) 21:50:14.74ID:MYzACahMというか、直政さんってオレの中では急に登場する感じなんだよな〜
0378人間七七四年
2011/05/26(木) 21:53:25.83ID:xFONMq26松永「三好家で重鎮の立場にいたわしもNO.2みたいなもの」
直家「浦上家随一の実力者のわしもNO.2と呼ばれてもいいですな」
0379人間七七四年
2011/05/26(木) 23:01:13.55ID:WURHk3pIttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E5%B0%BE%E9%80%A3%E7%AB%9C
ここに新野親矩という名前でちょこっとだけ出てるよ
0380人間七七四年
2011/05/26(木) 23:50:57.45ID:4EgGwTpbマザー2のモグラみたいなことになってきたなwww
0381人間七七四年
2011/05/27(金) 01:17:17.61ID:2Zd6Kyeu0382人間七七四年
2011/05/27(金) 01:58:33.30ID:/kq3CsKx関白豊臣秀次謀反の噂高まった頃、当時京の徳川家の屋敷には、当時16歳の徳川秀忠があった。
秀次はこれに目をつけ、たばかって秀忠の身の上を確保し、その上で人質を盾に
徳川家康を頼って太閤秀吉に申開きをすべし、と考える。
4月3日の早朝、徳川家の屋敷に秀次よりの使者が来た
これに対応したのは徳川家重臣、多くも忠隣である。
「今朝は朝食をご馳走したい。どうぞ聚楽へと参るように。本来なら昨夜のうちに
伝えておくべきだったが、いささか事にまぎれてしまい、今になった。」
使者はそう忠隣に語り、直ぐに秀忠をつれてくるよう要求する。が、忠隣これに
「仰せ、承りました。ですがその…、秀忠様はまだ幼く、いつも日が高く上がってから
漸く起きだすのです。
関白殿下へのご返事が遅れるのは大変憚るべきことですので、お使いの方々は
一旦お帰りになって、この事を関白殿下にお伝え下さい。
忠隣は秀忠様が目覚められましたら仰せのことを伝え、必ず聚楽に参らせます。」
と、使者を返す。勿論秀忠が未だ寝ているなど、嘘である。忠隣はすぐさま土井利勝をお供に、
秀忠を密かに伏見の屋敷へと移し、その上で自身は京屋敷に留まった。
そのうちに秀次の使者が再び、催促のためであろう、徳川屋敷に訪れた。
忠隣これに対面して、曰く
「いやはやそれが、秀忠様ですが、かねてから茶会の約束があったそうで、今日の早朝、
伏見に行かれたそうなのです!私はその事をまるで知りませんでしたから、又いつものように
日が高くなってから起きる事よとばかり思っていたところ、たった今この事を知らされ、
返す返すも恐れ入ることでございます。」
と、心底恐縮している体で謝罪する。時間は既に午の刻あたり(正午ごろ)、追いかけて戻すことも
もはや無理であり、使者は如何とも出来ずそのまま戻っていった。
秀次は大変口惜しく思ったが、程なく切腹し果てられた、とのことである。
大久保忠隣の、秀忠脱出作戦についての逸話である。
(藩翰譜)
0384人間七七四年
2011/05/28(土) 09:23:09.06ID:wLFW8SKW0385人間七七四年
2011/05/28(土) 09:30:05.03ID:2ZosS/5K0386人間七七四年
2011/05/28(土) 10:16:54.44ID:nEAHzUyL0387人間七七四年
2011/05/28(土) 13:06:46.45ID:TXNHSauW0388人間七七四年
2011/05/28(土) 13:46:40.62ID:iummxbJf0389人間七七四年
2011/05/28(土) 13:51:52.97ID:huhU27Lb0390人間七七四年
2011/05/28(土) 13:53:55.94ID:VYXN62xT0391人間七七四年
2011/05/28(土) 14:48:16.13ID:l9T1HUGP0393人間七七四年
2011/05/28(土) 18:53:01.21ID:lqmyVF/80394人間七七四年
2011/05/28(土) 20:36:58.04ID:mJ177SaO志岐鎮経・天草種元・大矢野種基・上津浦種直・栖本親高といった国人たちが反発、蜂起する。
いわゆる天草国人一揆の勃発である。
さて小西行長はこの一揆の中心人物である志岐鎮経を滅ぼさんと、伊地知文太夫を大将として
その居城、志岐城を攻めさせた。
が、この軍は志岐鎮経の夜襲に会い、一人残らず討ち取られる。文字通りの全滅となった。
この敗戦に驚いた小西行長は自ら六千の軍を率い、さらに加藤清正より千五百の援軍を得、
都合八千で、船により海上から、志岐城近くの袋の裏に上陸した。
すると志岐城から早速人数が出て、干潟を駈けて小西の陣の直ぐ側まで来ると
こう歌って挑発する
『京衆京衆、なぜ鑓せぬぞ、臭橙の皮のすもりか!?』
(京衆よ京衆よ、どうして我々と戦わないのか?お前たちはダイダイの皮の番人か!?)
これに小西・加藤の軍は怒り、力攻めで志岐城の城際まで押し寄せる。
が、志岐城は南は深山、西北は士町に続いている道はあるがその他は全て海、
東は深い谷、堀際は厚い岩盤という天然の要害であり、小西・加藤軍は谷間まで仕寄りを仕掛け
敵を城内に押し込めたものの、攻め落とすまでには至らず、小西は志岐鎮経の縁者である
有馬晴信を通して和平の道を探った。
と、小西・加藤の軍勢は先に自分たちを侮辱した歌を大変憎く思っており、この頃志岐城に向かって
こんな囃し歌を歌いかけ、その溜飲を下げていたという
『城衆城衆、なぜ切って出ぬぞ 志岐じゃしきじゃ、へのこしきじゃ!』
説明しよう。「しき」には「城」という意味があります。そして『へのこ』、これは睾丸や陰茎、
すなわちオチンチンの事です。すなわち
「城衆よ城衆よ!どうして城から討って出ないのか!?志岐城はチンコ城じゃ!」
と歌って笑ったのです。…レベル低いですねw
そんな小学生レベルのチンコチンコの悪口で溜飲を下げるのもいかがなものかと思わなくもない、
天草国人一揆、志岐城攻めの逸話。
(續撰清正記)
0395人間七七四年
2011/05/28(土) 22:24:56.94ID:SEnTZOd/0396人間七七四年
2011/05/29(日) 05:38:32.23ID:k5FAetCg最上義光「ほう、その方なかなか面白い歌を詠むな」
江口道連「べ、別に殿の為に詠んだんじゃないんだからね!(え?殿に褒められた?嬉しい!)」
義光「五兵衛(道連の通称)、京都に一緒に行く?」
道連「か、勝手にすればいいじゃないの!(え?殿と旅行?それも京都??)」
義光「五兵衛、満延が斃れた・・・」
道連「と、殿が不甲斐ないからそうなるんだからね!(え?延沢殿が倒れた・・・殿の心配を払拭しないと!)」
義光「五兵衛、尽くしてくれたから畑谷城あげる」
道連「こ、これで拙者を追い出したとは思わないでね!(え?一城の城主とは言え、殿と離れないといけないなんて・・・)」
義光「五兵衛、山形城の普請奉行やってくれる?」
道連「べ、別にお城が好きだからやってあげるんだからね!(え?本城の普請も任せてくれるの?)」
0397人間七七四年
2011/05/29(日) 05:42:18.12ID:G9QJFKzh改変しない方が面白いのに
0398人間七七四年
2011/05/29(日) 05:42:24.32ID:k5FAetCg慶長出羽合戦
義光「五兵衛、畑谷は小城だから山形で篭城しよう」
道連「殿、直江風情に舐められてはなりませぬ
(え?殿が拙者を安じてくれてる?」
義光「五兵衛、一緒に山形城で篭城しよう」
道連「拙者が畑谷守備を命ぜられたのはこの日のため
(え?一度ならず、二度までも気にしてくれてる??)」
義光「五兵衛、もう時間が無いから戻ってきて・・・義光、一生のお願い」
道連「最上武士の生き様、天下に知らしめん
(・・・・・・)」
直江兼続「江口殿、開城降伏すれば命は助けよう」
道連「だが、断る
(殿、お世話になりました)」
江口道連討ち死に
最上武士はマンドクセ
0399人間七七四年
2011/05/29(日) 06:13:25.72ID:ORxRwcTp自分で考えた創作パートメインの逸話?を投稿してた人か。
なんか最上を題材にしてのこの書き方は。
カッコ内とかなんだかなあ。
0400人間七七四年
2011/05/29(日) 07:07:10.50ID:Snk7CkIU0401人間七七四年
2011/05/29(日) 08:37:26.91ID:34vaQxsB記事内容を捏造したレスを見て以来
>>398みたいなのも粘着アンチの自演だったのかと納得した
0402人間七七四年
2011/05/29(日) 08:38:49.80ID:EFV00kPa0403人間七七四年
2011/05/29(日) 09:50:37.80ID:A41QTDyt0404人間七七四年
2011/05/29(日) 10:07:31.93ID:rRgDQXTC戦国ゲームとかで戦国時代がこうやって人気を得ているんだろうなぁ
0405人間七七四年
2011/05/29(日) 10:41:01.82ID:8egXdsHi0406人間七七四年
2011/05/29(日) 11:00:52.41ID:zcrz6hvQ0407人間七七四年
2011/05/29(日) 11:06:32.44ID:k4MVpi4Qなんだこりゃ?w;
04091/2
2011/05/29(日) 11:14:00.23ID:k4MVpi4Q加藤清正の軍も攻略地点への移動を開始しようとするが、この時、日本から馬を輸送する船が
未だ到着しておらず、50人余りが馬に乗れない状況に居た。
彼らは船を待つべきか、それとも現地で、駑馬でもいいからそれを求めて乗るべきかと相談していると
船頭たちが、「日本では風波悪しく、5日も10日も港から船を出せない状況のようです」と言うので、
これはもう現地で馬を徴収するしか無いと、馬を探したものの、あるいは敵が乗り、もしくは
荷を付けて逃げ出したものと見え、馬は一頭も見つからなかった。
かといって騎馬の士が、徒歩で軍勢に付いて行くわけにも行かない…
と、この時現地に牛は残されていることを発見。彼らはこれを奪い、牛に乗って進軍に付く事とした。
0410人間七七四年
2011/05/29(日) 11:16:03.83ID:p804O9dF04112/2
2011/05/29(日) 11:16:06.66ID:k4MVpi4Q「方々は騎馬とは言いがたい、騎牛衆と申すべきだ!いつも馬乗りより遅いですぞ!」
と戯言をいう。牛に乗った者たち、最初はそれに付き合い一緒に笑っていたが、その戯言があまりに度々なので終に腹を立て
「さてはお主達は冗談ではなく本気で笑っているようだ!
それならば牛の乗った者が遅いか、馬に乗った者がどれほど早いか、勝負いたすべし!」
と、決闘に及ぼうとしたところ、これを聞きつけた清正の家老たちが慌てて間に入って色々と扱いを入れ、悪口を言った若者たちから謝罪をさせ、どうにかその場を無事に済ませたという。
朝鮮の役、「騎牛衆」のお話(續撰清正記)
0412人間七七四年
2011/05/29(日) 11:53:09.87ID:QXEiNf0o0413人間七七四年
2011/05/29(日) 12:56:10.83ID:NdAkaJKX0416人間七七四年
2011/05/29(日) 17:34:47.37ID:oI2S4ys7まとめ管理人さんにも毎回スルーされているのにしょうこりもないなw
0417人間七七四年
2011/05/29(日) 17:43:21.70ID:tR/usN5G0418人間七七四年
2011/05/29(日) 17:49:52.60ID:/wDKrcIH「陣中に於いて、いかに竹中半兵衛とは言え、いつも心静かに牛に騎す事など出来はしない。
あれはたまたま一度、竹中殿が牛に騎した事があったのを、後の人が話を大きく、面白おかしく
したのだ。」
牛のほうが乗りにくいってことなのかな
0419人間七七四年
2011/05/29(日) 17:56:20.32ID:3wXxC4Mg国境と定めたなんてのもあったな。
ウサギと亀じゃないけど、速いが長時間移動が苦手な馬と遅いけど歩き続ける牛
で丁度真ん中くらいのいいところに落ち着いたとかそんな感じの
0420人間七七四年
2011/05/29(日) 18:58:04.90ID:3WKECmfO0422人間七七四年
2011/05/29(日) 23:37:39.37ID:p804O9dF0423人間七七四年
2011/05/29(日) 23:57:48.53ID:tR/usN5G0424人間七七四年
2011/05/30(月) 05:53:00.79ID:xcGAJzTh0425人間七七四年
2011/05/30(月) 07:08:32.96ID:8Ckvy4m4大変だったんだろな。コンクリートとかアスファルトとかマジ感謝
でも戦国時代でも砂利を敷きつめたりくらいはあったのかな?
0426人間七七四年
2011/05/30(月) 12:23:55.94ID:ijGoTgYk0427人間七七四年
2011/05/30(月) 20:57:00.09ID:7hJyY6vR0428人間七七四年
2011/05/30(月) 21:15:19.13ID:wrjG+g3k> 285 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/22(日) 20:58:54.70 ID:laKpGgoA
> 葉隠物語読んでるんだが、直茂って依怙贔屓ばっかしてんのな
>
> 成富兵庫が加藤清正から駆け落ちした姫を奪還した話は痺れたわ
> 286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 22:31:58.55 ID:2sD0nmYg
> >>285
> 面白そうな話なので
> もう少し詳しくお願いします
> 287 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/24(火) 18:58:58.98 ID:Ac7hpaHl
> >>286
> 鍋島茂治の娘が夜中に若侍と駆け落ち
> その数年後、加藤家の家老の側室になっていることが判明
> 茂治の家来が連れ戻しに行ったが、本人も加藤家も拒否する
>
> で、成富兵庫の出番となる
> 大勢の共を連れて熊本入りした兵庫だが清正は仮病を使って会わない
> 兵庫は慌てず、そのまま居座り物見遊山よろしくあちこちを見て回る
> その内、噂が広まり仮病で会わないのは卑怯だという世論に負けた清正は兵庫に会う
> そこでも女の引き渡しを渋る清正だが兵庫が朝鮮での借りを持ち出すと一も二もなく陥落
> かくして姫は佐賀へ連れ戻されたとさ
> そいでばっきゃあ
龍造寺氏と、たまには鍋島氏を語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1271704721/
0429人間七七四年
2011/05/30(月) 21:26:43.33ID:Vb5Y2uzl嫁いだ頃よりの母付きの侍女が国元にあった政宗に挨拶に来て
「御曹司におかれては相も変らずご健勝で何より」と述べた
今や幕府にも一目置かれる大藩の藩主であり子や孫も大勢いる政宗も
かつてを知る老女にとっては未だにおぼっちゃん扱いである
そこで昔を懐かしんでつい気が緩んだのか
「いやあ、俺は父ちゃんには良い思い出ばかりだが
母ちゃんのことはぶっちゃけ恨んでるんだよね」などとついこぼしてしまった
政宗に関する逸話や書簡は数多く残されているが、こんな些細な愚痴まで
後世に残ってしまっているちょっとバツの悪い話
0431人間七七四年
2011/05/30(月) 22:08:44.79ID:WCnIekCmでも
政宗:陸奥のマザコン大名。ママンあての手紙が多数残る。
ツンデレのため「母上には恨みがあるからね!」と記録に残すが、
その実大量のママンへのレターやお土産記録がある。ママンの位牌はお手製。
(中略)
・母子再会の歌。
政宗:年月久しう へたたりける母にあいて
あいあいて 心のほとや たらちねの ゆくすゑひさし 千とせふるとも
保春院:母ノ返し
二はより うへしこまつの 木たかくも えたをかさねて いく千世のやと
・政宗が母の死を悼んだ和歌。
鳴く虫の 声をあらそふ 悲しみも 涙の露ぞ 袖にひまなき
七周忌に詠んだ歌。
七夕の 逢瀬(おうせ)ながらも 暁の 別れはいかに 初秋の空
毒殺未遂はアヤシイにしても、愛憎半ばというかなんというか
0433人間七七四年
2011/05/30(月) 22:21:04.75ID:DnMhRMXVこの話は続きがひどい。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3175.html
0435人間七七四年
2011/05/30(月) 22:54:28.53ID:EQZ6c5QC葉隠物語は依怙贔屓ばっかり→それに引き替え成富△はいいんだけど、
葉隠のどこがどう依怙贔屓なのか触れてないから比較されても・・・って感じ
0436人間七七四年
2011/05/30(月) 23:04:53.51ID:lFPDkSZ2こんなにママンが大好きなオレをおいて、実家に戻るなんてひどいよー!
ってことかもしれんなw
無断出奔だったそうだし、そのせいで政宗がプレゼントした小袖が届かなかったらしいしw
0437人間七七四年
2011/05/31(火) 01:08:52.81ID:Axa6xMSk怨み…ヤらせてくれなかった
的なキモい想像
0438人間七七四年
2011/05/31(火) 01:39:21.67ID:6ou96sCR天正6年(1578)黒田官兵衛が摂津有岡城にて荒木村重に捕らえられ幽閉される。
さて、この事が姫路の黒田家に伝わると、黒田家の家臣たちは皆すぐにこう思った。
「これは御着にある主君、小寺政職が荒木に頼んでそうさせたのだ!」と。
織田に付くか毛利に付くかで官兵衛と対立していた小寺政職は、黒田家の者からは
そのくらいのことはする、と確信されていた程、関係が悪化していたのである。
黒田家の重臣たちは官兵衛幽閉の一報を聞くやいなや官兵衛の父宗円のもとに集まり、
「官兵衛様の今回の事、最初からこうなるのではと予想はしておりました。
なので差し出たことを申すようですが、今更驚くことはありません。
そしてこの上は弔い合戦として、今回のことを主導したに違いない小寺の殿のある御着へ攻め寄せ、
彼を討ち果たすことがかなわねば討ち死にする、我らはそう決めました!」
と、口々にこう申し上げた。これを聞いた黒田宗円
「皆の者達がこのように忠義の心を持ってくれているのは、今に始まったことではないが
実に感じ入っている。だが、聞いてほしい
官兵衛が腹を切らされるか、あるいは牢の中で病死するような事態になれば、私はそれを
許さない。その時はこの法師頭に兜を被り、主君である小寺の殿に対し弔い合戦を仕掛け
そこで討死をし、本望を遂げる覚悟である。
その時は勿論、お主達にも協力を頼むつもりだ。
しかし官兵衛のことだが、小寺の殿が荒木に頼んでこれを生け捕りにしたこと、それは間違い
無いだろう。
だが荒木が少しでも弓箭の道を知っているなら、拙速にこれを殺すような真似はするまい。
分別があるのならむしろ、良き弓箭の種を求めたと喜び、身体に危害を加えること無く
丁重に礼遇して置くであろう。そんな所に、お前たちが言うように合戦をしたらどうなるか?
御着の城を取るのは簡単な事だ。だがそれをすれば、荒木は残念だと思いながらも、官兵衛を
殺すだろう。これを良く考え、とにかく冷静になるのだ。その時が来れば、私が指図をする。
見よ、先日まで能をさせていた能舞台も、この上はいらぬ物であり、舞台も桟敷も打ち壊した。
この城は今や、戦備を整えることだけに集中している。
もともと1年2年籠城しても、兵量・弾薬・その他の武具であって事欠かないこと、皆知っている
通りだ。御着にも常々我等と心通じている者たちがある。御着からここに参りたいという者たちは
皆連れて来るといい。どれほど入城させても兵量は豊富に備蓄してある。
これから御着より使いが来るだろう。それまでは一切表立った行動をしてはならない。
使いが帰れば、御着の官兵衛の屋敷に火をかけ、留守居の者たちを急ぎ引き取らせよ。
こんなこともあるだろうと思って、官兵衛の妻はあらかじめこちらに越させておいた。
気遣いすることは何も無いぞ!
御着の官兵衛屋敷を自焼させ、留守居の者たちを引き取れば、御着と姫路との境を封鎖し
通行する者たちは切り捨てよ。
…さてこれからは、若者共が面白がる展開になるぞ。」
そう、法師頭を打ち振りながらそれらの方策を指示したという
(故郷物語)
0439人間七七四年
2011/05/31(火) 01:55:19.91ID:6ou96sCR0440人間七七四年
2011/05/31(火) 16:28:27.40ID:hpBciY+L0441人間七七四年
2011/05/31(火) 19:03:19.29ID:TL2rjv/D0442人間七七四年
2011/06/01(水) 10:33:05.80ID:nQ8YvOqN0443人間七七四年
2011/06/01(水) 10:37:50.31ID:0i9s4Xag0444人間七七四年
2011/06/01(水) 20:00:18.40ID:8r1ZGZju0445人間七七四年
2011/06/01(水) 20:41:47.33ID:lIUgISRI0447人間七七四年
2011/06/01(水) 21:50:55.94ID:qB9+a0r10448人間七七四年
2011/06/01(水) 22:18:28.69ID:BGXzuNAQこれを知った備中高松城攻め最中の羽柴秀吉はこの情報を秘し、急遽毛利との和睦を図る。
毛利家を預かる毛利両川こと吉川元春、小早川隆景からは、長門・周防・安芸・出雲・石見・伯耆・備後・備中半国、
この八カ国を安堵の条件ならば和議に応じる、との見解を、安国寺恵瓊を通して秀吉方に伝えた。
これを聞いた秀吉は
「その坊主、ここに連れてこい」
と安国寺を御前に呼ぶ。安国寺は秀吉にお目見えし、両川の所存を朗々と説明する。
安国寺はその語りも上手く頭の回転も非常に早いため、秀吉を始めその場に居た者たち、すっかり聞き入る
風情であったという。
説明を聞き終わると秀吉は
「ここは『信長公』のご好意もあり、いかにも両川の望みのようにいたそう。」
と、毛利側の条件を飲むと表明した。すると安国寺
「これはこれは、時の面目も保ち、国家の安泰も図れます。満足この上ない思いです。
…ですが、このありがたき上意の趣きを伝えるのに愚僧の口上だけでは、両川も心許なく思うことでしょう。
願わくば先の国々安堵の『信長公』のお墨付きを、頂戴いたしたいのですが…。」
秀吉苦笑いしながら
「坊主!お前は残る所も無い曲者だ!さりとて能き使いである。
さて、わしも今ここで墨付を遣わしたいとは思うが、お前も分別してみよ、この和睦条件は未だ仮初のものであり、
わしの方としても所領の事だけを取り上げて証文を出すわけにはいかない。
その方は一旦帰り、我々の申す所を両川に申し聞かせ、その上で重ねてここに来い。
それでもこの和平への考えが変わらないのなら、墨付などは、その上のことである。」
安国寺、これを心得たという表情で
「上意の旨、畏まりました。
されば両川が筑前守(秀吉)様の仰せの趣きをお請けした場合、その事を誓紙にして『信長公』に
差し上げるべきでしょうか?」
秀吉は『この坊主、わしの心を見定めようとする質問を、ズバズバとしてくる奴だ』と思ったが
「いやいや、誓紙など無用である!和睦の後にさらに保証を求めるなら、それは心次第である。
誓紙は、両川がその時心に懸けられること。今は無用である!」
この言葉に安国寺も納得した風情で、御前を下がろうとし立ち上がったがたがその時、こんな『独り言』を漏らした
「私の質問に心広く答えるようなことをせず、石に手を詰めたるように(動きがとれないように)されてしまっては、
もうどうにも出来ませんな。
さても良き『天下取り』の御下地かな。」
「坊主待て!」
秀吉は咄嗟にそう声をかけ、安国寺に大金を与える。さらに「坊主は良き武士の下地である」と
馬、具足、腰の物などを揃えて与え
「又来るときはその長衣ではなく、武士の格好をして来い!それが似合っていればこれからいよいよお前の事を
目を懸けることにするぞ。」
と、いかにも親しみを込めて語り聞かせる。
安国寺が毛利陣へと帰ると、秀吉は疲れはてたような表情で言った
「古狸の寄り合いは、恐ろしき事なり。」
秀吉と毛利の和睦交渉における逸話である。(古郷物語)
0449人間七七四年
2011/06/02(木) 01:45:25.92ID:G3FheDs9安国寺は狸といっても批評家みたいなもんなんだろうな
まあ社会に出ると、実戦力にならない批評家ってのが一番厄介者なんだがw
0450人間七七四年
2011/06/02(木) 06:23:58.59ID:sTsCY0xj0451人間七七四年
2011/06/02(木) 10:16:41.58ID:dzhM6Unw0452人間七七四年
2011/06/02(木) 17:48:53.57ID:6qiRdeTBもういない信長との約定なら好きな時機に破棄できるから、それを狙ってるように読めるが。
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