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戦国ちょっと悪い話26

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0001人間七七四年2011/05/03(火) 03:46:40.51ID:bO+mpFnO
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話25
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1298639461/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話26
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1302853897/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0274人間七七四年2011/05/20(金) 00:21:54.48ID:t9E3gFGk
天文10年(1541)のこと。
甲斐の武田晴信はその父武田信虎を駿河に追放。クーデターにより武田家の実権を
奪い取る、という事件があった。

さて、その事を聞いた近江の浅井亮政(久政の父、長政の祖父)は大いに憤り
こう批判した

「人々は皆こう言う、武田晴信は良将である、と。
しかしそれがどうして、此の様な乱暴なやり方で父親を追放するのか!?
実に憎むべきこと甚だしい所業である!

その武田家というのは、自身の武に奢るというものであろうか。
これは人望に背き天道に捨てられる行いである。

私はこう断言しよう、武田晴信を良将と呼ぶべきではない、と!」
(浅井日記)


まあ後年、そんな事を言ってた亮政の息子の久政が孫の長政から、武田とほぼ同じような
クーデターされて強制引退食らうんですけどねw
0275人間七七四年2011/05/20(金) 00:23:23.72ID:obBdsFpE
戦国時代はハゲて髭面なのがカッコイイとされていた

だからフッサな奴はわざわざ毛を抜き、髭が薄い奴は付け髭をしてた
0276人間七七四年2011/05/20(金) 00:48:38.58ID:T+5uMFvV
あと戦国末期はモミアゲを長ーく伸ばすのが最新の流行だったらしい。
なので豊臣秀次、蒲生氏郷、福島正則なんかは肖像でも頭を大きく剃り上げ
モミアゲが頬まで長く書かれているなw
0277人間七七四年2011/05/20(金) 00:51:12.97ID:lNQK4ZDS
正則のあれって流行だったのか
0278人間七七四年2011/05/20(金) 00:57:22.85ID:M5/nOUUW
やっぱ鑑虎のころだと太平の世になって荒々しさや実力より官僚的なものが求められたんだろうな
ハゲてマゲ結えないと、今なら「プッ、あいつスーツ着てねぇww職場で失礼すぎワロタwww」とか
0279人間七七四年2011/05/20(金) 05:21:11.83ID:vOh19/0L
>>273
件の立花さんは、何か他に表沙汰に出来ない理由(家中のゴタゴタとか)があって、
タテマエに禿げ問題を挙げたんじゃないかと思ったが……勘繰りすぎか?
政治の為に、変なタテマエかかげるのって定番だからさ。
0280人間七七四年2011/05/20(金) 09:58:03.36ID:hXqwW/rG
仮に建前だとしてもその建前が受け入れられる素地があったということで。
0281人間七七四年2011/05/20(金) 10:32:31.22ID:sgNQqCzk
>>262
弓道かじった者としては、この勝負、長政は不利どころか有利だと思えます。
照星のおかげで的に狙いを付けやすく、指一本動かせばある距離までなら火薬の威力でほぼ直線に撃ち出される鉄砲
(火薬炸裂時の衝撃やら重い銃身を支えるなどの大変さももちろんありますが)
一方、弓には照星のようなここで狙えばいいという装置がないので、
弓手に隠れて透けて見える視界の中で的に当たりをつけるしかない。
弓自体も竹や木、麻などの植物で出来てるので僅かな湿気や気温の変化で弓のコンディションが変わる。
しかも自らの弦引きの強さ次第で威力が変動するという不安定さ。

笄なんていう小さく細いものを的にして2度も笄のど真ん中にあてるのはすごい。
昭和の弓聖・阿波研造は目をつぶって射ても同じ場所に当てる
(一本目の矢尻に2本目が突き刺さる)ことが出来たそうですが、
宗茂は恐らくそれ以上の技量の持ち主だったのではないでしょうか。

しかし腕前勝負とは別に、上記のように弓は習熟・取り扱いが非常に難しいので
大量動員可能な遠距離兵器という軍隊における鉄砲の利点にはやはりかなわないという、
当初の論点wに関しては長政の言うとおりですが、なんでこんなオチになってしまったのやらw
0282人間七七四年2011/05/20(金) 11:10:20.99ID:QlKynUP4
>>274
なんか浅井亮政がギレンで再生された

あえて言おうカスであると! 

まあそういうギレンさんも妹にやられちゃったわけですけど
0283人間七七四年2011/05/20(金) 11:15:17.69ID:xeGvBhXz
>>282
ギレンさんはオヤジ殺してるんだが、コイツは何を言ってるんだ?
0284人間七七四年2011/05/20(金) 11:33:44.28ID:xi7NsWIk
>>281
うん、最初に大谷吉継が「鉄砲以外いらない」とか極端な事言っちゃったせいで
鉄砲の有用さを主張したい黒田長政と
鉄砲のみに頼る事に反論したい立花宗茂との間で議論が噛み合ってないよねw
そこに、とりあえずイベントにしようという秀家が乱入してうやむやになってるけど
0285人間七七四年2011/05/20(金) 17:11:16.80ID:IKhYfTe+
>>275
戦国時代の流行りってどうやって生まれるんだろうな?

たまたま大坂城内で待女にモテモテな奴がモミアゲロングで口髭だったのを、太閤殿下が
「わしもやる!モミアゲ伸ばして付け髭つける!」
で、各大名が
「おい、アレ俺らも真似しなきゃヤバくね?」
「マジかよモミアゲだせぇって・・・」


って感じだろか。
0286人間七七四年2011/05/20(金) 17:17:48.09ID:nC18uwri
土井利勝「どこかで聞いたような話だな」
0287人間七七四年2011/05/20(金) 18:55:34.25ID:c7CCic90
>>285
そんなナンパな理由じゃないと信じたいw
0288人間七七四年2011/05/20(金) 19:27:08.05ID:rklj0PMC
公家なら江戸初期にナンパな奴もいたみたいだが武家はどうなんだろうね
0289人間七七四年2011/05/20(金) 20:02:55.76ID:LEMCF2+n
>>281
弓の方が技術的には難しいという所には同意しつつ
残念ながら、極めても生じてしまう仕方ない誤差がありまして
そっちは多分鉄砲の方が大きい
0290人間七七四年2011/05/20(金) 20:12:17.47ID:Zd2Wrnlo
そもそも立花さんちは鉄砲隊の運用では一目置かれてた存在だもんなあ。
0291人間七七四年2011/05/20(金) 20:45:27.51ID:M5/nOUUW
>>290
そうなんだよね、立花鉄砲隊は「早合」(弾薬カートリッジ)を使ってて他隊の三倍の速さで
連射できたらしいし。良く聞くのは、蛍大名の大津籠城戦で立花隊に面した銃眼だけ
閉め切られてた(=銃眼から撃とうとすると三倍返しされる)とか。
0292人間七七四年2011/05/20(金) 21:09:00.77ID:M5/nOUUW
しかし長政の鉄砲に付けられた「墨縄」(=直線を引くもの、定規)という名前、
これって「百姓でもまっすぐ飛ばせるこの道具で外した長政(笑)」っていう皮肉だったら
宗茂の悪い話にできるんだがw 碧蹄館の英雄、そのぐらい傲ってほしいものである。
0293人間七七四年2011/05/20(金) 21:26:31.54ID:c7CCic90
どっかの鷹匠じゃあるまいし、宗茂さんはそこまで根性悪じゃないぜ
0294人間七七四年2011/05/20(金) 23:02:31.88ID:t9E3gFGk
豊臣秀吉が、その晩年に出来たわが子秀頼を溺愛したことは有名だが、
彼はこんな事も言ったそうだ

「秀頼が成長し、男子でも女子でも、子供を設けるほどになるまでこの世に長らえれば、
初めて秀頼の子を産んだものには、どんなに身分の低い者の娘でも構わない、
先ず黄金千枚を、当座の引き出物として取らせようぞ!」


さて慶長20年(1615)5月8日豊臣秀頼切腹。大阪夏の陣が終わる。

当時未だ7歳であった豊臣秀頼の子国松は、大阪城より脱出し伏見の町家に
潜伏していたが、幕府の探索により程なく捕縛され、二条城に連行された。そして

「未だ幼児であり、今回の戦争に対して何を知るというわけもないが、
大敵の子であり、また男子である以上、助けおけば将来の患ともなるだろう。」

と、処刑されることに決まり、その身柄は京都所司代・板倉勝重の屋敷に移された。
勝重は国松を風呂に入れ衣服を与えるなど丁重に扱う。そしてこの少年に話しかけた

「お名前はなんと言われるのですか?」

国松はこの問に不思議そうに

「名前…?私に名前はありません。」

「お名前が無い?それは…」

「はい。皆は私のことを、殿様とばかり呼びます。」

これを聞いた人々は皆、思わず涙したという。
そして5月23日、国松は市中引き回しの上、京都六条河原で斬首された。

豊臣秀頼の子、国松についての逸話である
(大阪物語)
0295人間七七四年2011/05/21(土) 08:13:31.68ID:Q0nwCkLS
えぐいなぁ、こんな超ボンボンが将来の災いになるはずもないのに・・・
0296人間七七四年2011/05/21(土) 08:23:55.93ID:xQwuvk/k
本人はその気がなくても周りの奴が担ぐから
0297人間七七四年2011/05/21(土) 11:53:50.66ID:sxuPEsPJ
国松公が処刑されるとき徳川家が豊臣家に対する数々の背信行為を弾劾
したとか言う話もあったなどこで見たか忘れたけど
0298人間七七四年2011/05/21(土) 11:54:53.21ID:mWINSonv
曾呂利新左衛門さん話

肥前名護屋の陣営でのこと。
ある日、曾呂利新左衛門が外から秀吉の本陣に入ってくると、突然語ることには

「殿下!世にも不思議なるものがあるものですね!
臣はただいま陣の手前でとても奇妙なものを見ました!」

秀吉、これに興味を持ったか
「新左衛門は慌ただしいのう。奇妙なものとは一体、何を見たのだ?」

「さればでございます。『キウリ』が胡瓜を食っておりました!」

「なにっ?胡瓜が胡瓜を食っておったと?新左衛門、たわけたことを申すな。
口のない胡瓜がどうして胡瓜の共食いをするものか。たわけにも程があるわ!
まあ、これもお前のいつもの戯れだろうが。」

しかし曾呂利引き下がらない
「いや、確かに食っておりました!これは相違ございません!」

秀吉と曾呂利は食わない食ったと言い争ったが、これでは埒が明かぬと秀吉、
傍らに居た家臣に「誰ぞある!?まこと、果たして胡瓜が胡瓜を食っておるか、急いで行って
見て参れ!」

家臣の一人、「ははっ」と答え陣の外まで出て、あたりを見回す。当然のことだが
胡瓜が胡瓜を食っている様子は、ない。それでも、何事も見落としてはならぬと
キョロキョロと見回す。
「しかし胡瓜が胡瓜を喰うなどとあるわけが…、 はっ!?」


この家臣が戻ってくると、秀吉は急かすように尋ねた

「どうじゃ!?胡瓜が胡瓜を食っておったか!?」

「それがでございます。胡瓜が胡瓜を食っている様子は見えませんでした。」

秀吉、そら見たものかという顔を曾呂利に向ける。が、家臣続けて

「それは無かったのですが…」

「ですが?」

「ははっ、陣営の外では、背中に薪を背負っている薪売り(きうり)が胡瓜を食って
おりました。」

秀吉あきれ返って
「なんじゃと!?薪売り(きうり)が胡瓜を食っておったと!?
さては新左衛門めにたぶらかされたか!なるほど、胡瓜が胡瓜ではなく
薪売りが胡瓜か!」

曾呂利、澄ました顔で
「仰せの通りにございます」

これに秀吉
「おのれ、また誑かしおったな!」
と笑って叱りつけたという。

『太閤之腰巾着曾呂利新左衛門』より、曽呂利頓知話の一席
0299人間七七四年2011/05/21(土) 12:13:56.94ID:+dczATAl
>>298
いやこれ誰も損しないし、とんちのきいたいい話だろw
0300人間七七四年2011/05/21(土) 12:25:44.51ID:sh/tXUV1
腰巾着ってまんまだなw
0301人間七七四年2011/05/21(土) 12:58:28.09ID:evIZoeIn
>>299
見に行かされた家臣が疲れるじゃないか!
0302人間七七四年2011/05/21(土) 13:11:56.46ID:nId1lM+d
しかしひとこと言いたい

コレ、頓知じゃなくて駄洒落じゃね?
0303人間七七四年2011/05/21(土) 13:29:55.09ID:6g+Bu522
宮廷道化師その物だな
0304人間七七四年2011/05/21(土) 13:43:00.60ID:hfmandWt
ただの小話になっちゃってるな
曾呂利の演出家として伊達政宗を呼んだらどうか
0305人間七七四年2011/05/22(日) 10:04:00.67ID:fTQO4bU+
>>295
「親の因果が子に報い」ってこと
0306人間七七四年2011/05/22(日) 10:58:43.42ID:pREYxGOs
秀頼の因果って何だよ
0307人間七七四年2011/05/22(日) 11:36:37.05ID:uaq2z6sG
それくらい自分で考えろ
0308人間七七四年2011/05/22(日) 12:39:12.84ID:iND0nGHn
秀頼の因果なんてないよ、秀頼・国松ともにお爺ちゃん秀吉の因果を受け継がされてしまっただけ
0309人間七七四年2011/05/22(日) 13:41:37.42ID:dD1qMWd/
*「赤子とて容赦せぬ殺せ!
  源氏の血筋を皆殺しに!」

これが出来なかった平家は見事に滅んだからな
源平が基礎教養である以上殺すしかない。
殺さなければ天下の持ち主として資質不足とみなされる。
0310人間七七四年2011/05/22(日) 15:12:10.98ID:G/DuGe87
徳川幕府の将軍が異常者ばっかりなのも初代将軍家康の因果ですか?
0311人間七七四年2011/05/22(日) 15:15:33.22ID:OslqlfV4
足利将軍家に比べたら、全然まともですよ
0312人間七七四年2011/05/22(日) 15:17:37.23ID:1J67Q7wl
>>310
君の徳川将軍認識が著しく歪んでいることだけは解った。
0313人間七七四年2011/05/22(日) 15:56:36.84ID:+NxwGV0h
広忠が若死にしたのも、清康の因果だから仕方ない。
0314人間七七四年2011/05/22(日) 16:20:55.72ID:OslqlfV4
筋を通せば、因果は解消できるんだよ。秀家さんみたいに
0315人間七七四年2011/05/22(日) 18:38:27.08ID:uaq2z6sG
お家取り潰しなのに因果解消とな
0316人間七七四年2011/05/22(日) 18:41:10.36ID:WyJXsj8a
資清「息子たちが名家を継ぎ所領を増やしたのも、僭越ながら私の所業の因果なのでしょう^^」
0317人間七七四年2011/05/22(日) 19:19:14.33ID:azWmqE0V
永正九年(1512年)北條早雲は、古くから三浦半島一帯を支配下に置く
三浦一族を滅ぼさんと、一族が立て篭もる新井城を攻めた
名将と言われた三浦同寸と、豪傑で知られたその息子義同は
鉄壁の守りの構えを崩すことなく奮戦したが、
足掛け七年の篭城の末、早雲に退路も兵糧も断たれ
永正十五年七月、ついに華々しい血戦に討って出で、親子共に自害した

ところがこの時自害し、落とされた義同の首は、落とされた途端空に舞い上がり
小田原にまで飛んで行き、とある街道沿いの松の木の枝に引っ掛かった
既に首だけとなったにも関わらず、義同は両眼を爛々と見開き、怒髪天をつく恐ろしい形相で
松の木の近くを通った者は、その首を見ただけで死んでしまう

その話を聞いた総世寺という寺の住職であった忠室存孝という人が
小田原を訪ねると、首に向かって静かに歌を詠んだ

「うつつとも夢とも知らぬひとねむり憂世のひまをあけぼのの空」

すると、生きているようだった義同の首は音を立てて落ち
忽ち目を閉じたかと思うと白骨化してシャレコウベとなった
落ちる時、天から誰の声とも知れぬ声で

「今より永く当所の守護神となるべし」

と聞こえた
その話を聞いた当地の人々は、松の下に祠を建て、義同を祭ったという
今も小田原に残る「居神神社」の由来話である

武家の歴史は潰し潰され
一人の武士生きるに一人の武士の血を吸う…
なーんてね
0318人間七七四年2011/05/22(日) 19:22:55.29ID:eZVnhGlS
将門といい関東の武者はすぐ首で飛ぶから困る
生きてるうちに飛んどけっての。
0319人間七七四年2011/05/22(日) 19:27:48.48ID:pYDzCk1F
ちなみに油壺の由来は新井城で玉砕した城方の血が湾内に油のよう
に漂ったから

子供の頃油壺マリンパーク行った時は知らんかったが
0320人間七七四年2011/05/22(日) 19:41:30.89ID:AqlVluHQ
>>317
んまぁ、早雲時代の伊勢氏の居城は伊豆韮山だけどね
0321人間七七四年2011/05/22(日) 20:28:23.15ID:hOvIpklR
元オカ板住人として、>>317>>319の油壺から小桜物語を真っ先に思い出たよ

ちなみにこれhttp://www.paperbirch.com/sakura/
0322人間七七四年2011/05/23(月) 07:02:13.60ID:g+pA5ibc
>>321
リンクは踏んでないが、カッパッパー♪って奴だっけ?
0323人間七七四年2011/05/23(月) 21:16:29.36ID:mwdms74Z
うわああああああああ
0324人間七七四年2011/05/23(月) 23:22:58.99ID:qLiEMwnL
>>321
同寸の息子は、リンク先の霊界通信によると 荒次郎義光とあるし
wikiでは荒次郎義意となっているね
0325人間七七四年2011/05/24(火) 00:10:47.01ID:WEJ8qK8w
>>318
あ、謝っとけ!将門公に!
例えこの程度でもちっさい不幸が訪れるぞマジで!
近いうちに足の小指を強打するぞマジで!
0326人間七七四年2011/05/24(火) 10:15:18.83ID:CsLy+1Vo
阿波、三好実休の後を継いだ三好長治は非常に厳格で強権的な統治をしたという。

元亀3年(1572)春、かれは讃岐において鷹狩をした。
木太郷の深江と言う場所で長治自ら、鴨の群れにあわせて鷹を放つ。
鷹は鴨を掴み、そのまま真部の見勇利権之助という者の家の前に落ちた。

この時、権之助の家に使えていた若松というまだ幼い少年がこれを見つけ、恐ろしい物が
落ちてきたと思ったのであろうか、火焚き棒で鷹、鴨ともども打ち殺してしまった。

長治はこれを知ると激怒し、その少年を捕らえさせ「牛裂きにせよ!」と命ずる。
少年は両足を牛二匹に縄で結び付けられ、牛を左右に追分け両足を二方に引き裂いた。

人々はこれを見て恐れ震え

「あの子供は是非をわきまえてあんな事をしたわけではないのに、その刑罰は
あまりに暴虐にして無道である。」と口々に語り、多くの人心が三好氏から離反した、と言われる。

三好長治讃州鷹狩での逸話である。
(南海治乱記)
0327人間七七四年2011/05/24(火) 20:05:43.43ID:r5NEHAt8
ちょっと悪いどころじゃねーな!
0328人間七七四年2011/05/24(火) 23:04:52.39ID:pCDoygft
>>326
ん、被ってるけど一応内容が少し違うな
しかし流石やな長治さんは
まだまだ長治で出てない逸話あるし、暫くしたら悪い逸話で埋め尽くしてやるから覚悟しろよ
0329人間七七四年2011/05/24(火) 23:07:35.92ID:QL0FZWax
長治「牛裂きは怖いですねえ、恐ろしいですねえ」
0330人間七七四年2011/05/24(火) 23:08:58.01ID:LhxhfTtG
山内容堂も子供だった竜馬の友達を斬り殺すよう命じてたな

おーい竜馬の話だが
0331人間七七四年2011/05/24(火) 23:13:33.20ID:grK3Fn9f
DQN四天王序列

森 長可
伊達政宗
細川忠興
島津忠恒
坂崎直盛 New!
三好長治 New!
0332人間七七四年2011/05/24(火) 23:26:27.14ID:2kgyWBz/
おいおい越前の狂犬はどーした?
0333人間七七四年2011/05/24(火) 23:29:27.33ID:GP3W6zr3
富田長繁さんは序列とは別枠なの?
0334人間七七四年2011/05/24(火) 23:30:58.09ID:sqJuy1mP
DQNに納まりきらないから狂犬枠でいいと思う
いまいち仲間が思いつかないが
0335人間七七四年2011/05/24(火) 23:32:51.06ID:S9u8Kl4+
DQNにはある種の親しみやすさが有るけど富田さんはただ狂ってるだけなんだよな。
0336人間七七四年2011/05/24(火) 23:33:51.73ID:r6/TZ2Th
このころの鷹って高級品で、贈答、献上、下賜の定番アイテムなので、
価値を知らない人に打ち殺されたらブチギレるのも当然かという気もするが。
今の感覚だと高級車や時計をボコボコに壊されるようなもんでしょ。
0337人間七七四年2011/05/24(火) 23:40:17.75ID:/rEAToCL
時代が違うのを同列に語るのはどうかと思うけど、
どこぞの知事の高級車を子どもがふざけて傷つけてしまった時に、
その知事が子供をボコボコにしたら問題になると思わんか?

領主の器じゃないってことじゃないの?
0338人間七七四年2011/05/24(火) 23:54:47.06ID:vUG+5j5i
おれたちにできない事を平然とやってのける、
そこにしびれるあこがれる部分が無いと四天王には入れない
0339人間七七四年2011/05/24(火) 23:56:25.51ID:FmgHjZnm
木沢長政さんは?
0340人間七七四年2011/05/24(火) 23:57:43.66ID:qoO2jXLS
四天王入りするには○○だから仕方ないと思わせる数々の実績が無いとな
0341人間七七四年2011/05/25(水) 00:03:21.41ID:zp87iu3X
>>339
どっちかといえば松永弾正と同じ部類かな
0342人間七七四年2011/05/25(水) 00:06:56.31ID:sJIc8+44
>>340がとてもいいことを言ったと思います。いや、まじでそうだよ

>>341
大関さんもそっちに分別かな
0343人間七七四年2011/05/25(水) 00:13:10.01ID:bFLd78p/
四天王になってる人たちは武将や領主としては優秀なんだよな
優秀なはずなのになんで…っていうのが他の人には足りない
0344人間七七四年2011/05/25(水) 00:59:25.87ID:ze8QBCKh
「五人目のDQN四天王」こと福島正則を忘れないでいて
0345人間七七四年2011/05/25(水) 01:04:15.24ID:BdT7rFeQ
市松は酒入らないと意外といい奴だし
DQNというより酒乱枠だと思う
0346人間七七四年2011/05/25(水) 01:08:33.57ID:ZJ1xku1n
あと、基本的にヘタレだしなぁ
0347人間七七四年2011/05/25(水) 01:36:14.24ID:T4zBUTx8
天正12年(1584)冬、大阪の羽柴秀吉は小牧長久手講和の証しとして、徳川家康に
人質を要求する。この時家康の次男、於義丸(後の結城秀康)が送られたことは有名であるが、
実は秀吉方が最初人質として要求していたのは、この於義丸ではなかった。
秀吉が望んだ人質は、家康の異父弟、松平定勝であった。

この秀吉からの要求を家康も基本的に受け入れた。
が、大阪に定勝を出すことに強硬に反対する人物が現れた。家康の実母、於大の方である。

彼女は家康に向かって深く嘆き、

「三郎四郎(定勝)の兄である源三郎(久松俊勝)は最初今川家の人質となり、
その後武田信玄の駿河侵攻で甲斐に連れて行かれ、そこからどうにか脱走してきたものの
雪山の中を逃げたため手足の指が東証により皆落ち、世に交われるような体では
なくなってしまいました。
今またこの子まで、人質として都に送らずともよいではありませんか!」

と、泣き口説いた。
家康が人質として苦労したことは皆知るところであるが、於大の再婚相手の子も
このように人質で不幸な目にあっていた、どうもこの人の子は、人質運が悪いというべきであろうか。

ともかくも実母にこのように泣かれ、さすがの家康もこれを無視することもできず、
仕方なく定勝に変わり、我が子於義丸を秀吉の人質にすることになったのだという。

この後しばらく家康は、「これは三郎四郎(定勝)が人質に行きたくなくて母上に訴えたからに
違いない!」と、定勝に対して大いに怒っていたが、そのうちにそれが誤解だと解り、家康の怒りも
溶けたのだそうだ。

家康が秀吉の元に於義丸を人質に出すまでの過程である。
(藩翰譜)
0348人間七七四年2011/05/25(水) 02:09:11.55ID:l/Xv3Cph
家康「お前でも我が子がかわいいか?」
0349人間七七四年2011/05/25(水) 02:13:32.60ID:bFLd78p/
>>348
お前も我が子だろうがww
0350人間七七四年2011/05/25(水) 02:14:36.03ID:YeMg+mJ8
何故か松平を名乗る事になった久松家
0351人間七七四年2011/05/25(水) 02:16:48.58ID:G9X/zWnQ
>>350
歴史が動いたのか
0352人間七七四年2011/05/25(水) 02:28:05.89ID:9/SVmQhP
当時は側室がいっぱいいたから、異母兄弟は全然珍しくないが
異父兄弟だとなんか嫌な感じがするな・・・
母ちゃんビッチかよって思われるし
0353人間七七四年2011/05/25(水) 02:42:09.36ID:e/Bk1vnC
>>352
女の再婚も多いから平気だろ。
むしろ経産婦は石女じゃないと判っているだけ歓迎されたような話も聞くが。
0354人間七七四年2011/05/25(水) 02:56:01.19ID:ZJ1xku1n
>>352
そもそも家康が後家さん大好きなわけで。晩年はロリ好きになったけどさ。
0355人間七七四年2011/05/25(水) 03:00:39.73ID:9/SVmQhP
そういえば昔は太閤殿下と大和大納言は異父兄弟って言われてたけど
最近だと、普通の弟だった説が有力らしいな
0356人間七七四年2011/05/25(水) 06:30:35.77ID:JdWKgAgQ
秀忠も忠輝も、異父兄が居るんだよね、確か。久松兄弟のように厚遇はされなかったようだけど
0357人間七七四年2011/05/25(水) 10:27:54.71ID:MYE9pJba
ここで家康が冷徹に突っぱねてたら二代将軍秀忠は無かったんだろな。
0358人間七七四年2011/05/25(水) 12:02:19.32ID:F8U7Whul
>>354
そもそも家康の祖父からして
水野忠政の奥さんの於富の方をもらって継室にしてるしな
0359人間七七四年2011/05/25(水) 15:13:09.77ID:ZhYEM9Lo
微妙にツボを押す人名のみを書いて立ち去るスレ↓

http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/stadium/1284945746/l50

オマイが知ってる悪人を教えろや!
0360人間七七四年2011/05/25(水) 21:12:51.05ID:LFcpA/Wn
>>336
信虎「略奪の定番アイテムでもあるんだよなこれが」
正昌「しかも返品交換の対象でもあるんだよな、御屋形」
0361人間七七四年2011/05/25(水) 23:00:39.43ID:UCq6xldZ
>>356
忠輝は姉だったような
兄がいるのは母親の茶阿局
しかもこの伯父さんは石田三成の家臣
0362人間七七四年2011/05/25(水) 23:04:06.53ID:TL32/uQ6
>>361
家老の花井三九郎が兄だったと思う
0363人間七七四年2011/05/25(水) 23:08:39.46ID:Ht3V1DuP
>>360
氏綱「あのときはメニューをすぐに決められない男みたいなゴネ方だったよね」
0364人間七七四年2011/05/26(木) 01:10:14.55ID:bQC6Y/jz
>>362
花井三九郎って連れ子の姉の夫でしょ?

余談だけどググってみたら「捨て童子」ってタカラヅカになってんのなw
0365人間七七四年2011/05/26(木) 05:26:36.60ID:T/1x5PXR
DQN四天王の条件に世渡りは割と上手ってのはあると思う
市松や坂崎さんにはそこが後一歩足りない
的確に時代の勝利者を見抜く感覚はあるのに
0366人間七七四年2011/05/26(木) 05:47:09.27ID:oMjZ3AjG
ただ勝手に呼ばってるだけだろ
0367人間七七四年2011/05/26(木) 08:42:15.81ID:Eh/D9loi
尾張の竹腰さんも義直のお兄さんだね。
0368人間七七四年2011/05/26(木) 18:53:35.03ID:KTOeap1G
THEナンバー2 〜歴史を動かした影の主役たち〜 過去の放送一覧
http://w3.bs-tbs.co.jp/no2/backnumber.html

第5回からの4人が全員徳川家康の「ナンバー2」な件
というか家康は何人ナンバー2がいるんだ?そもそもナンバー2は何人も居るものなのか?w
0369人間七七四年2011/05/26(木) 19:22:38.19ID:aGYQVjI6
>>368
あれだ、野球で言う左のエースみたいなもんだ
若手ナンバー2が直政、古参のナンバー2が正信、外様のナンバー2が高虎みたいな感じで
0370人間七七四年2011/05/26(木) 19:24:53.85ID:peKcQjNC
>>368
ワラタw
もはや全員野球みたいなノリだw
0371人間七七四年2011/05/26(木) 19:25:19.23ID:QycOB8dK
No,2不要論者のあの人が喜んじゃうよ^^
0372人間七七四年2011/05/26(木) 19:46:15.88ID:/IrAXtXm
正信≒オーベルシュタイン
景勝≒アンスナバッハ
フェザーン≒一向宗

多分、当てはめていけば、きりがないだろうな
0373人間七七四年2011/05/26(木) 19:48:34.62ID:/vfN1YbQ
千利休も秀吉のナンバー2w
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