天文10年(1541)のこと。
甲斐の武田晴信はその父武田信虎を駿河に追放。クーデターにより武田家の実権を
奪い取る、という事件があった。

さて、その事を聞いた近江の浅井亮政(久政の父、長政の祖父)は大いに憤り
こう批判した

「人々は皆こう言う、武田晴信は良将である、と。
しかしそれがどうして、此の様な乱暴なやり方で父親を追放するのか!?
実に憎むべきこと甚だしい所業である!

その武田家というのは、自身の武に奢るというものであろうか。
これは人望に背き天道に捨てられる行いである。

私はこう断言しよう、武田晴信を良将と呼ぶべきではない、と!」
(浅井日記)


まあ後年、そんな事を言ってた亮政の息子の久政が孫の長政から、武田とほぼ同じような
クーデターされて強制引退食らうんですけどねw