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戦国ちょっと悪い話26

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0001人間七七四年2011/05/03(火) 03:46:40.51ID:bO+mpFnO
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話25
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1298639461/

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戦国ちょっといい話26
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鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0230人間七七四年2011/05/18(水) 00:22:47.48ID:UMPYXRvJ
老武者憐れwww
0231人間七七四年2011/05/18(水) 04:58:58.30ID:jPeIdf/4
死にたがりでもあるまいに
挑発したあとむしろその場に残ってるほうが馬鹿で
引き際としてはいいタイミングだったんじゃねえかと。
0232人間七七四年2011/05/18(水) 06:59:41.41ID:AXPMCx5L
謙信、秀吉、家康とそのバカをやって伝説になってるからなー。
引き際の演出がまずいと思う。
0233人間七七四年2011/05/18(水) 07:09:32.56ID:tk4HQ0bI
戦国時代ってつくづく鉄砲の精度が悪くてよかったなーというか
そのおかげでいろんな逸話が生まれてよかった
0234人間七七四年2011/05/18(水) 08:49:46.84ID:z9GiJ5z2
>>233
西洋ではその後もナポ戦争辺りまで逸話を生み続けるんだが
日本では次に実戦をやる頃にはライフリングが本格的に実用化されちゃってたからな
0235人間七七四年2011/05/18(水) 15:38:15.00ID:VMAGaKia
このとき政宗、ヤンチャ盛りの47歳。
0236人間七七四年2011/05/18(水) 17:15:33.97ID:bLLEs2re
戦国時代の鉄砲の命中精度は高かったと聞いたような・・・

一揆衆の子供でも鉄砲は良く当たったとか。
0237人間七七四年2011/05/18(水) 19:18:36.20ID:gpSRNCA7
戦国時代の鉄砲は精度がよかった、いやよくなかった、いやいや使い手がパネェだけだった、
みたいにどうも定見がなくて困る。どれがホントやねん、と思うわ
0238人間七七四年2011/05/18(水) 19:25:19.90ID:kjW0hAG5
弾幕張るだけなら農民でも出来るだろ
スナイパー的使用方法は熟練しか出来ん
0239人間七七四年2011/05/18(水) 19:46:37.94ID:tyUpIlmj
>>236
弓と違って反動そらす技術さえ教えれば非力な子供でも何とかなったからとか?
0240人間七七四年2011/05/18(水) 19:53:55.48ID:3/YEM8g8
ライフリングされていないんだから、安定性は低いでしょ
0241人間七七四年2011/05/18(水) 20:04:24.49ID:LCieWrB8
稲富一夢「これだから素人は・・・」
0242人間七七四年2011/05/18(水) 20:14:25.48ID:K/0acZou
今の銃と比べちゃいけないのは確かだけど、有効射程内ならそれなりに当たったみたいだよ。
つーか、現在の射撃競技で使われてる火縄銃をみるにそれなりに当たる。
逸話を残してる人たちは、狙える距離を見きってやってるんだと思う。
ライフリング刻んてない銃弾は長距離での精度も問題だけど、それ以上に長距離だと威力が落ちるし。
0243人間七七四年2011/05/18(水) 20:38:35.47ID:72WTh4WK
あの時代の日本に弾幕張るような戦術はなかった
西洋でももっと後世のこと
0244人間七七四年2011/05/18(水) 21:04:16.78ID:729HwKa+
弓よりは練習いらないんじゃない?
0245人間七七四年2011/05/18(水) 21:11:42.35ID:bjlNHpHY
西洋のマスケットだと「相手の瞳あたりが見える距離まで引き付けろ」だそうな
筋力ないと安定して撃つことすらできないから、狙って撃つ>>(壁)>>単純に発砲する らしい

まあ、神父がよく当たるように弾丸を聖別してたくらいだから、狙撃は技術じゃなくて天運扱いだったんでしょう
0246人間七七四年2011/05/18(水) 21:14:55.82ID:T4UAbWGa
>>244
鉄砲も槍も戦国期に広まったのは、刀や弓に比べて比較的練習が必要なく、極端な話
女子供でも扱えるから、らしいね。
0247人間七七四年2011/05/18(水) 21:51:23.45ID:UMPYXRvJ
この板では「熟練がいらないから女子供の武器だった」などと語られることがある火縄銃だが
朝鮮の役の時、朝鮮兵に鳥銃の調練を行ったところ、普通の訓練ではいつまでたっても物にならず、
昼夜を問わず半年間みっちりしごいてようやく日本兵と同レベルの水準に達したそうな。

子供の頃から10年も修行してようやくものになる弓術に比べりゃ簡単とも言えるが
ド素人が扱える武器では全くないね。
0248人間七七四年2011/05/18(水) 21:52:34.52ID:3/YEM8g8
http://mousouroku.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/1_2_3_4_5.html
この漫画のソースは中に書いてあるとおり、常山紀談というものらしい。

当時の合戦の組織的な火縄銃の運用術っていうのを>>241の人あたりが
遺してくれても良かったのにね。折角命拾いしたんだから
0249人間七七四年2011/05/18(水) 22:18:13.37ID:qKTBz7Kp
>>247
あの国だからじゃね?
0250人間七七四年2011/05/18(水) 22:27:55.73ID:TIHM0SMk
鉄砲つっても、博物館にあるようなちゃんとした火縄銃ばかりとは限らんのや。
それこそ石ころを火薬で飛ばすようなのまでバリエーションがやたら豊富だった
石ころ飛ばす程度のは鍛冶やらんでも作れるしな
0251人間七七四年2011/05/18(水) 22:35:34.35ID:bjlNHpHY
ぶっぱなすだけなことと、組織的な運用は、習得において別次元な困難さでしょう
雑賀とか根来が有名だったのは後者としての習熟度が高かったから

マウリッツ・フォン・ナッサウみたいに兵士を規格化して効率的に運用した大名はほとんどいない
兵農分離って大切だ
0252人間七七四年2011/05/18(水) 22:42:04.96ID:qPfWQwGb
>>245
>狙撃は技術じゃなくて天運扱いだったんでしょう

鬼武蔵「え?」
0253人間七七四年2011/05/19(木) 02:37:41.99ID:g7ZGOgGW
そーいや2chで「鉄砲は反動も少なくて簡単だから女子供の武器」って見て
腑に落ちた逸話があるんだけど
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2622.html
↑この逸話の詳細が違うバージョン

とりあえず逸話の本筋から書いて行く

立齋舊聞記より
碧蹄館の戦いの後の事、総大将秀家の主催で慰労会が開かれることになり
諸将が秀家の陣営に集まった。
食事が終わって物語りしていると、黒田長政が言い出した。
「鉄砲ってマジ最高だよね。昔は百歩も離れた敵は討てなかったらしいけど
鉄砲使ったら何百歩離れててもあてられるじゃん
まして的が近かったら絶対外さないし」
他の将も同意する。
加藤光泰「本当に、希代の重宝と言うべきだな。今度の戦で勝てたのもまた、
       鉄砲のよさが発揮されたからだ」
大谷吉隆「ていうか鉄砲最強じゃね?俺もう他の武器買わないわ」

余談だが、思うにここで大谷が極端な事を言うのが話をややこしくしていると思う。
良くも悪くも「思った事は絶対言う」人なのだ。
それで失敗しても、反省も後悔もしてなさそうなのが変に爽やかだが。

とにかく、これを聞き咎めた小早川隆景が口をはさんだ。
「防ぐには鉄砲がいいと思うけど、例えば破るには弓だな。鉄砲だけとか言いなさんな」
立花宗茂もこれを聞いていて
「武器は臨機応変に使い分けないとな。
鉄砲しか持ってなかったら雨の日と闇夜は戦できねえ」と続いた。

焦ったのは長政で、「俺は別に鉄砲だけで戦するとか言ってないし」と訂正したあと、
こう続けた。
「たださー弓を貴んで鉄砲が否定されるのは違うと思うわけ」
↑↑↑
 ここ

これずっと「今誰もそんな話してないんじゃ?
長政のいつもの被害妄想にしても唐突すぎる」と違和感あったんだけど、
鉄砲に「誰でも扱える、あまり男らしくもかっこよくもない武器」というイメージがあったとすると
本人も鉄砲の名手で鉄砲大好きだった黒田長政からしたら
普段から「鉄砲を擁護したい」とか「こいつも鉄砲の悪口言うつもりか」って気持ちがあっての
この発言なのかもしれないなー、と、なんとなく疑問がとけた気がした。
0254人間七七四年2011/05/19(木) 02:38:59.14ID:g7ZGOgGW
で、せっかくここまで書いたんでその後の顛末も書くと

長政がナイーブになっているところに、宗茂が
「でもさー近接で鋒とかで切りあってる時でも切り損じる時ってあるだろ?
鉄砲はあたるあたるって言うけど、火薬で玉飛ばすような武器
そこまであてにできない気がするんだよね俺は
別に鉄砲がダメって言うんじゃないけど、そればっかり好きでもしょうがないと思う」
などと言ってしまい、微妙な雰囲気になっていると、
秀家が「話は聞かせてもらった!」と現れた。
「これはあれだ、甲州(黒田)が鉄砲、立花が弓使って勝負すればいいんじゃないかな!
的を用意して皆で見物しようぜ!」
この御曹司ノリノリである。

長政と宗茂からしたら、別にそこまでの騒ぎにしたいわけでもなかったのだろう。
辞退しようとしたが、隆景が仲裁に入った。
「まあまあ、勝ち負けとかじゃなくてさ、
立花は弓の名人って評判だし、甲州は飛ぶ鳥も落とす鉄砲の上手だろ。
実際撃ってるところを、是非見てみたいなあ」
そうまで言われては、強いて拒む方がおとなげない。
二人は十五間離れた場所に立てた笄を撃ちあうことになった。
大谷と加藤が「勝った方が負けた方の道具もらっちゃえよ」と囃す。
こいつらも悪ノリしている。

長政の秘蔵の鉄砲から、笄に見事に命中、これを打ち折った。
次に、宗茂は普通よりも大きな塗籠の弓を使っていたが、
これで放った雁股の矢が笄の真ん中を射切った。
周りはやんやの喝采を送る。
両方があててしまったので、もう一度。
ところが二度目の射撃で長政の狙いが反れ、笄の端を削っただけに終わった。
宗茂はといえば、最初に射た矢と同じ場所を、少しも過たず射切って見せた。
立花宗茂聞きしに勝る射手であると人々は大いに誉めた。
約束は約束なので、長政の大事な鉄砲は宗茂の手に渡った。

秀家「あっ、じゃあ立花の弓は俺にちょうだい」

なにがじゃあなのかわからないが、宗茂の強弓は秀家の手に渡った。



…まあなんていうか、戦勝祝いで行き違いがあった悪い話ではあるんだけど、
出席者は盛り上がって帰ったみたいだから、終わりよければすべてよし?
戯言から発展して変な喧嘩にならなくてすんで幸いだった。

隆景からは場をなごませしこりを残すまいという気遣いが感じられる。
秀家はちょっとよくわからない。天然かもしれない。
0255人間七七四年2011/05/19(木) 03:12:39.55ID:vLE0dyFo
天然だろうな
主催者権限のつもりか知らんがちゃっかり立花の弓貰っても
事が穏便に済んでるのを見ると結構大物かもしれない
0256人間七七四年2011/05/19(木) 03:40:38.59ID:0fx7IhwC
秀家はそういう徳と格があったのかね
バージョン違いの逸話も面白い
0257人間七七四年2011/05/19(木) 06:07:30.90ID:wyYkYslW
秀家さんは真っ黒い父上と従兄弟に恵まれて、家が栄えたけど
本人は天真爛漫だよね。秀秋と比べて屈折したところがないし
秀吉にかわいがられたんだろうね
0258人間七七四年2011/05/19(木) 06:32:17.76ID:ViFf/6zq
秀家さんかわいいです
0259人間七七四年2011/05/19(木) 07:33:36.73ID:8Sis/NMS
ところで、銃弾を当てるのと、でっかい雁股の矢を当てるのでは難易度が全然違うと思うのだが、どうだろう?
0260人間七七四年2011/05/19(木) 07:46:29.50ID:onIdjmnX
秀家は天然に見えるが、GJでは?
長政の鉄砲だけ取られると遺恨が残りそうだから、自分が宗茂の弓をいただいて「おあいこ」と
0261人間七七四年2011/05/19(木) 07:53:29.36ID:piIGlA4J
>>259
槍投げならもっと楽だと思うか?
弓と鉄砲の性能の差、
ないしは当人たちの実力の差の方がはるかに影響が大きいんだから
その辺は問題じゃないんじゃね
0262人間七七四年2011/05/19(木) 09:35:19.02ID:qwJ6DckA
>>259
ぜんぜん違うねw
まあ長政が不利な勝負をあえて受けたのだから、結果は仕方ないのかも
0263人間七七四年2011/05/19(木) 10:00:24.40ID:SF3UlNgW
15間って27メートルくらいだぞ
ほぼ今の弓道場と同じだ。
鉄砲で外した長政がミスしただけだろ
0264人間七七四年2011/05/19(木) 10:14:21.99ID:umDt/y00
あやうく死ぬような目にあった後の
猛者の話、各人の個性が出て面白いね。

この場にもし小西、清正がいたら何て言ったかな・・
0265人間七七四年2011/05/19(木) 10:24:31.42ID:7JbMHhIy
確か、秀秋は自分名義で貰った宗茂の弓を、改めて長政に贈ったんですよね。
0266人間七七四年2011/05/19(木) 11:06:15.96ID:CFl8Rx3G
「小早川 加藤小西が 世にあらば 今宵の月を いかに見るらむ」
0267人間七七四年2011/05/19(木) 11:57:02.59ID:23zzbH/N
思いっきり遅レス>>229
そういや、こういう銃で狙われている前でのパフォーマンスという話になれば
たいてい南北戦争のセジウィック将軍の逸話ネタがあった気がするが
まああれは戦国とは関係ないか
0268人間七七四年2011/05/19(木) 12:25:51.16ID:4eXx1OQ9
>>265
おい、秀家と秀秋と間違ってるぞ
天真爛漫な貴公子はともかく、屈折した貴公子って友達いたのかなあ?
関が原の後、江戸城では諸大名や旗本からバカにされ、無視された様子が
大河ドラマの葵三代にあったよなあ。そこいらも本当のところはどうだったんだろうね
0269人間七七四年2011/05/19(木) 12:37:21.25ID:U/T/JL0N
あのシーンは大坂城だろ?そのご井伊直政が出てきてこれで大坂城も見納めだと言ってたから
0270人間七七四年2011/05/19(木) 12:55:53.76ID:4eXx1OQ9
>>269
訂正トン
0271人間七七四年2011/05/19(木) 13:35:48.05ID:ObwOxLwF
秀秋「小十郎たんとお友達になりたいお!」
0272人間七七四年2011/05/19(木) 15:28:58.01ID:8m9kDxAo
>>254
最後、宗茂の弓を貰ったのは秀秋だと思ったけど。
この逸話、いくつかバージョンあるのかな?
0273人間七七四年2011/05/19(木) 23:29:53.76ID:Jcwz0sod
>>253, 265, 272
立花家資料館では弓は長政に渡ったと書いてあるね。
ttp://www.muneshige.com/column/03.html
残っていれば黒田家ゆかりのものが多い福岡市博物館にでもあるかも。

ところで今日のタイムスクープハンター、ハゲて髷が結えずに公務に出られなくなった
実例として立花鑑虎(柳川藩第三代。宗茂の養子とDQNの孫娘の子)が挙がって吹いたw
男性ホルモン濃そうだもんなぁ
0274人間七七四年2011/05/20(金) 00:21:54.48ID:t9E3gFGk
天文10年(1541)のこと。
甲斐の武田晴信はその父武田信虎を駿河に追放。クーデターにより武田家の実権を
奪い取る、という事件があった。

さて、その事を聞いた近江の浅井亮政(久政の父、長政の祖父)は大いに憤り
こう批判した

「人々は皆こう言う、武田晴信は良将である、と。
しかしそれがどうして、此の様な乱暴なやり方で父親を追放するのか!?
実に憎むべきこと甚だしい所業である!

その武田家というのは、自身の武に奢るというものであろうか。
これは人望に背き天道に捨てられる行いである。

私はこう断言しよう、武田晴信を良将と呼ぶべきではない、と!」
(浅井日記)


まあ後年、そんな事を言ってた亮政の息子の久政が孫の長政から、武田とほぼ同じような
クーデターされて強制引退食らうんですけどねw
0275人間七七四年2011/05/20(金) 00:23:23.72ID:obBdsFpE
戦国時代はハゲて髭面なのがカッコイイとされていた

だからフッサな奴はわざわざ毛を抜き、髭が薄い奴は付け髭をしてた
0276人間七七四年2011/05/20(金) 00:48:38.58ID:T+5uMFvV
あと戦国末期はモミアゲを長ーく伸ばすのが最新の流行だったらしい。
なので豊臣秀次、蒲生氏郷、福島正則なんかは肖像でも頭を大きく剃り上げ
モミアゲが頬まで長く書かれているなw
0277人間七七四年2011/05/20(金) 00:51:12.97ID:lNQK4ZDS
正則のあれって流行だったのか
0278人間七七四年2011/05/20(金) 00:57:22.85ID:M5/nOUUW
やっぱ鑑虎のころだと太平の世になって荒々しさや実力より官僚的なものが求められたんだろうな
ハゲてマゲ結えないと、今なら「プッ、あいつスーツ着てねぇww職場で失礼すぎワロタwww」とか
0279人間七七四年2011/05/20(金) 05:21:11.83ID:vOh19/0L
>>273
件の立花さんは、何か他に表沙汰に出来ない理由(家中のゴタゴタとか)があって、
タテマエに禿げ問題を挙げたんじゃないかと思ったが……勘繰りすぎか?
政治の為に、変なタテマエかかげるのって定番だからさ。
0280人間七七四年2011/05/20(金) 09:58:03.36ID:hXqwW/rG
仮に建前だとしてもその建前が受け入れられる素地があったということで。
0281人間七七四年2011/05/20(金) 10:32:31.22ID:sgNQqCzk
>>262
弓道かじった者としては、この勝負、長政は不利どころか有利だと思えます。
照星のおかげで的に狙いを付けやすく、指一本動かせばある距離までなら火薬の威力でほぼ直線に撃ち出される鉄砲
(火薬炸裂時の衝撃やら重い銃身を支えるなどの大変さももちろんありますが)
一方、弓には照星のようなここで狙えばいいという装置がないので、
弓手に隠れて透けて見える視界の中で的に当たりをつけるしかない。
弓自体も竹や木、麻などの植物で出来てるので僅かな湿気や気温の変化で弓のコンディションが変わる。
しかも自らの弦引きの強さ次第で威力が変動するという不安定さ。

笄なんていう小さく細いものを的にして2度も笄のど真ん中にあてるのはすごい。
昭和の弓聖・阿波研造は目をつぶって射ても同じ場所に当てる
(一本目の矢尻に2本目が突き刺さる)ことが出来たそうですが、
宗茂は恐らくそれ以上の技量の持ち主だったのではないでしょうか。

しかし腕前勝負とは別に、上記のように弓は習熟・取り扱いが非常に難しいので
大量動員可能な遠距離兵器という軍隊における鉄砲の利点にはやはりかなわないという、
当初の論点wに関しては長政の言うとおりですが、なんでこんなオチになってしまったのやらw
0282人間七七四年2011/05/20(金) 11:10:20.99ID:QlKynUP4
>>274
なんか浅井亮政がギレンで再生された

あえて言おうカスであると! 

まあそういうギレンさんも妹にやられちゃったわけですけど
0283人間七七四年2011/05/20(金) 11:15:17.69ID:xeGvBhXz
>>282
ギレンさんはオヤジ殺してるんだが、コイツは何を言ってるんだ?
0284人間七七四年2011/05/20(金) 11:33:44.28ID:xi7NsWIk
>>281
うん、最初に大谷吉継が「鉄砲以外いらない」とか極端な事言っちゃったせいで
鉄砲の有用さを主張したい黒田長政と
鉄砲のみに頼る事に反論したい立花宗茂との間で議論が噛み合ってないよねw
そこに、とりあえずイベントにしようという秀家が乱入してうやむやになってるけど
0285人間七七四年2011/05/20(金) 17:11:16.80ID:IKhYfTe+
>>275
戦国時代の流行りってどうやって生まれるんだろうな?

たまたま大坂城内で待女にモテモテな奴がモミアゲロングで口髭だったのを、太閤殿下が
「わしもやる!モミアゲ伸ばして付け髭つける!」
で、各大名が
「おい、アレ俺らも真似しなきゃヤバくね?」
「マジかよモミアゲだせぇって・・・」


って感じだろか。
0286人間七七四年2011/05/20(金) 17:17:48.09ID:nC18uwri
土井利勝「どこかで聞いたような話だな」
0287人間七七四年2011/05/20(金) 18:55:34.25ID:c7CCic90
>>285
そんなナンパな理由じゃないと信じたいw
0288人間七七四年2011/05/20(金) 19:27:08.05ID:rklj0PMC
公家なら江戸初期にナンパな奴もいたみたいだが武家はどうなんだろうね
0289人間七七四年2011/05/20(金) 20:02:55.76ID:LEMCF2+n
>>281
弓の方が技術的には難しいという所には同意しつつ
残念ながら、極めても生じてしまう仕方ない誤差がありまして
そっちは多分鉄砲の方が大きい
0290人間七七四年2011/05/20(金) 20:12:17.47ID:Zd2Wrnlo
そもそも立花さんちは鉄砲隊の運用では一目置かれてた存在だもんなあ。
0291人間七七四年2011/05/20(金) 20:45:27.51ID:M5/nOUUW
>>290
そうなんだよね、立花鉄砲隊は「早合」(弾薬カートリッジ)を使ってて他隊の三倍の速さで
連射できたらしいし。良く聞くのは、蛍大名の大津籠城戦で立花隊に面した銃眼だけ
閉め切られてた(=銃眼から撃とうとすると三倍返しされる)とか。
0292人間七七四年2011/05/20(金) 21:09:00.77ID:M5/nOUUW
しかし長政の鉄砲に付けられた「墨縄」(=直線を引くもの、定規)という名前、
これって「百姓でもまっすぐ飛ばせるこの道具で外した長政(笑)」っていう皮肉だったら
宗茂の悪い話にできるんだがw 碧蹄館の英雄、そのぐらい傲ってほしいものである。
0293人間七七四年2011/05/20(金) 21:26:31.54ID:c7CCic90
どっかの鷹匠じゃあるまいし、宗茂さんはそこまで根性悪じゃないぜ
0294人間七七四年2011/05/20(金) 23:02:31.88ID:t9E3gFGk
豊臣秀吉が、その晩年に出来たわが子秀頼を溺愛したことは有名だが、
彼はこんな事も言ったそうだ

「秀頼が成長し、男子でも女子でも、子供を設けるほどになるまでこの世に長らえれば、
初めて秀頼の子を産んだものには、どんなに身分の低い者の娘でも構わない、
先ず黄金千枚を、当座の引き出物として取らせようぞ!」


さて慶長20年(1615)5月8日豊臣秀頼切腹。大阪夏の陣が終わる。

当時未だ7歳であった豊臣秀頼の子国松は、大阪城より脱出し伏見の町家に
潜伏していたが、幕府の探索により程なく捕縛され、二条城に連行された。そして

「未だ幼児であり、今回の戦争に対して何を知るというわけもないが、
大敵の子であり、また男子である以上、助けおけば将来の患ともなるだろう。」

と、処刑されることに決まり、その身柄は京都所司代・板倉勝重の屋敷に移された。
勝重は国松を風呂に入れ衣服を与えるなど丁重に扱う。そしてこの少年に話しかけた

「お名前はなんと言われるのですか?」

国松はこの問に不思議そうに

「名前…?私に名前はありません。」

「お名前が無い?それは…」

「はい。皆は私のことを、殿様とばかり呼びます。」

これを聞いた人々は皆、思わず涙したという。
そして5月23日、国松は市中引き回しの上、京都六条河原で斬首された。

豊臣秀頼の子、国松についての逸話である
(大阪物語)
0295人間七七四年2011/05/21(土) 08:13:31.68ID:Q0nwCkLS
えぐいなぁ、こんな超ボンボンが将来の災いになるはずもないのに・・・
0296人間七七四年2011/05/21(土) 08:23:55.93ID:xQwuvk/k
本人はその気がなくても周りの奴が担ぐから
0297人間七七四年2011/05/21(土) 11:53:50.66ID:sxuPEsPJ
国松公が処刑されるとき徳川家が豊臣家に対する数々の背信行為を弾劾
したとか言う話もあったなどこで見たか忘れたけど
0298人間七七四年2011/05/21(土) 11:54:53.21ID:mWINSonv
曾呂利新左衛門さん話

肥前名護屋の陣営でのこと。
ある日、曾呂利新左衛門が外から秀吉の本陣に入ってくると、突然語ることには

「殿下!世にも不思議なるものがあるものですね!
臣はただいま陣の手前でとても奇妙なものを見ました!」

秀吉、これに興味を持ったか
「新左衛門は慌ただしいのう。奇妙なものとは一体、何を見たのだ?」

「さればでございます。『キウリ』が胡瓜を食っておりました!」

「なにっ?胡瓜が胡瓜を食っておったと?新左衛門、たわけたことを申すな。
口のない胡瓜がどうして胡瓜の共食いをするものか。たわけにも程があるわ!
まあ、これもお前のいつもの戯れだろうが。」

しかし曾呂利引き下がらない
「いや、確かに食っておりました!これは相違ございません!」

秀吉と曾呂利は食わない食ったと言い争ったが、これでは埒が明かぬと秀吉、
傍らに居た家臣に「誰ぞある!?まこと、果たして胡瓜が胡瓜を食っておるか、急いで行って
見て参れ!」

家臣の一人、「ははっ」と答え陣の外まで出て、あたりを見回す。当然のことだが
胡瓜が胡瓜を食っている様子は、ない。それでも、何事も見落としてはならぬと
キョロキョロと見回す。
「しかし胡瓜が胡瓜を喰うなどとあるわけが…、 はっ!?」


この家臣が戻ってくると、秀吉は急かすように尋ねた

「どうじゃ!?胡瓜が胡瓜を食っておったか!?」

「それがでございます。胡瓜が胡瓜を食っている様子は見えませんでした。」

秀吉、そら見たものかという顔を曾呂利に向ける。が、家臣続けて

「それは無かったのですが…」

「ですが?」

「ははっ、陣営の外では、背中に薪を背負っている薪売り(きうり)が胡瓜を食って
おりました。」

秀吉あきれ返って
「なんじゃと!?薪売り(きうり)が胡瓜を食っておったと!?
さては新左衛門めにたぶらかされたか!なるほど、胡瓜が胡瓜ではなく
薪売りが胡瓜か!」

曾呂利、澄ました顔で
「仰せの通りにございます」

これに秀吉
「おのれ、また誑かしおったな!」
と笑って叱りつけたという。

『太閤之腰巾着曾呂利新左衛門』より、曽呂利頓知話の一席
0299人間七七四年2011/05/21(土) 12:13:56.94ID:+dczATAl
>>298
いやこれ誰も損しないし、とんちのきいたいい話だろw
0300人間七七四年2011/05/21(土) 12:25:44.51ID:sh/tXUV1
腰巾着ってまんまだなw
0301人間七七四年2011/05/21(土) 12:58:28.09ID:evIZoeIn
>>299
見に行かされた家臣が疲れるじゃないか!
0302人間七七四年2011/05/21(土) 13:11:56.46ID:nId1lM+d
しかしひとこと言いたい

コレ、頓知じゃなくて駄洒落じゃね?
0303人間七七四年2011/05/21(土) 13:29:55.09ID:6g+Bu522
宮廷道化師その物だな
0304人間七七四年2011/05/21(土) 13:43:00.60ID:hfmandWt
ただの小話になっちゃってるな
曾呂利の演出家として伊達政宗を呼んだらどうか
0305人間七七四年2011/05/22(日) 10:04:00.67ID:fTQO4bU+
>>295
「親の因果が子に報い」ってこと
0306人間七七四年2011/05/22(日) 10:58:43.42ID:pREYxGOs
秀頼の因果って何だよ
0307人間七七四年2011/05/22(日) 11:36:37.05ID:uaq2z6sG
それくらい自分で考えろ
0308人間七七四年2011/05/22(日) 12:39:12.84ID:iND0nGHn
秀頼の因果なんてないよ、秀頼・国松ともにお爺ちゃん秀吉の因果を受け継がされてしまっただけ
0309人間七七四年2011/05/22(日) 13:41:37.42ID:dD1qMWd/
*「赤子とて容赦せぬ殺せ!
  源氏の血筋を皆殺しに!」

これが出来なかった平家は見事に滅んだからな
源平が基礎教養である以上殺すしかない。
殺さなければ天下の持ち主として資質不足とみなされる。
0310人間七七四年2011/05/22(日) 15:12:10.98ID:G/DuGe87
徳川幕府の将軍が異常者ばっかりなのも初代将軍家康の因果ですか?
0311人間七七四年2011/05/22(日) 15:15:33.22ID:OslqlfV4
足利将軍家に比べたら、全然まともですよ
0312人間七七四年2011/05/22(日) 15:17:37.23ID:1J67Q7wl
>>310
君の徳川将軍認識が著しく歪んでいることだけは解った。
0313人間七七四年2011/05/22(日) 15:56:36.84ID:+NxwGV0h
広忠が若死にしたのも、清康の因果だから仕方ない。
0314人間七七四年2011/05/22(日) 16:20:55.72ID:OslqlfV4
筋を通せば、因果は解消できるんだよ。秀家さんみたいに
0315人間七七四年2011/05/22(日) 18:38:27.08ID:uaq2z6sG
お家取り潰しなのに因果解消とな
0316人間七七四年2011/05/22(日) 18:41:10.36ID:WyJXsj8a
資清「息子たちが名家を継ぎ所領を増やしたのも、僭越ながら私の所業の因果なのでしょう^^」
0317人間七七四年2011/05/22(日) 19:19:14.33ID:azWmqE0V
永正九年(1512年)北條早雲は、古くから三浦半島一帯を支配下に置く
三浦一族を滅ぼさんと、一族が立て篭もる新井城を攻めた
名将と言われた三浦同寸と、豪傑で知られたその息子義同は
鉄壁の守りの構えを崩すことなく奮戦したが、
足掛け七年の篭城の末、早雲に退路も兵糧も断たれ
永正十五年七月、ついに華々しい血戦に討って出で、親子共に自害した

ところがこの時自害し、落とされた義同の首は、落とされた途端空に舞い上がり
小田原にまで飛んで行き、とある街道沿いの松の木の枝に引っ掛かった
既に首だけとなったにも関わらず、義同は両眼を爛々と見開き、怒髪天をつく恐ろしい形相で
松の木の近くを通った者は、その首を見ただけで死んでしまう

その話を聞いた総世寺という寺の住職であった忠室存孝という人が
小田原を訪ねると、首に向かって静かに歌を詠んだ

「うつつとも夢とも知らぬひとねむり憂世のひまをあけぼのの空」

すると、生きているようだった義同の首は音を立てて落ち
忽ち目を閉じたかと思うと白骨化してシャレコウベとなった
落ちる時、天から誰の声とも知れぬ声で

「今より永く当所の守護神となるべし」

と聞こえた
その話を聞いた当地の人々は、松の下に祠を建て、義同を祭ったという
今も小田原に残る「居神神社」の由来話である

武家の歴史は潰し潰され
一人の武士生きるに一人の武士の血を吸う…
なーんてね
0318人間七七四年2011/05/22(日) 19:22:55.29ID:eZVnhGlS
将門といい関東の武者はすぐ首で飛ぶから困る
生きてるうちに飛んどけっての。
0319人間七七四年2011/05/22(日) 19:27:48.48ID:pYDzCk1F
ちなみに油壺の由来は新井城で玉砕した城方の血が湾内に油のよう
に漂ったから

子供の頃油壺マリンパーク行った時は知らんかったが
0320人間七七四年2011/05/22(日) 19:41:30.89ID:AqlVluHQ
>>317
んまぁ、早雲時代の伊勢氏の居城は伊豆韮山だけどね
0321人間七七四年2011/05/22(日) 20:28:23.15ID:hOvIpklR
元オカ板住人として、>>317>>319の油壺から小桜物語を真っ先に思い出たよ

ちなみにこれhttp://www.paperbirch.com/sakura/
0322人間七七四年2011/05/23(月) 07:02:13.60ID:g+pA5ibc
>>321
リンクは踏んでないが、カッパッパー♪って奴だっけ?
0323人間七七四年2011/05/23(月) 21:16:29.36ID:mwdms74Z
うわああああああああ
0324人間七七四年2011/05/23(月) 23:22:58.99ID:qLiEMwnL
>>321
同寸の息子は、リンク先の霊界通信によると 荒次郎義光とあるし
wikiでは荒次郎義意となっているね
0325人間七七四年2011/05/24(火) 00:10:47.01ID:WEJ8qK8w
>>318
あ、謝っとけ!将門公に!
例えこの程度でもちっさい不幸が訪れるぞマジで!
近いうちに足の小指を強打するぞマジで!
0326人間七七四年2011/05/24(火) 10:15:18.83ID:CsLy+1Vo
阿波、三好実休の後を継いだ三好長治は非常に厳格で強権的な統治をしたという。

元亀3年(1572)春、かれは讃岐において鷹狩をした。
木太郷の深江と言う場所で長治自ら、鴨の群れにあわせて鷹を放つ。
鷹は鴨を掴み、そのまま真部の見勇利権之助という者の家の前に落ちた。

この時、権之助の家に使えていた若松というまだ幼い少年がこれを見つけ、恐ろしい物が
落ちてきたと思ったのであろうか、火焚き棒で鷹、鴨ともども打ち殺してしまった。

長治はこれを知ると激怒し、その少年を捕らえさせ「牛裂きにせよ!」と命ずる。
少年は両足を牛二匹に縄で結び付けられ、牛を左右に追分け両足を二方に引き裂いた。

人々はこれを見て恐れ震え

「あの子供は是非をわきまえてあんな事をしたわけではないのに、その刑罰は
あまりに暴虐にして無道である。」と口々に語り、多くの人心が三好氏から離反した、と言われる。

三好長治讃州鷹狩での逸話である。
(南海治乱記)
0327人間七七四年2011/05/24(火) 20:05:43.43ID:r5NEHAt8
ちょっと悪いどころじゃねーな!
0328人間七七四年2011/05/24(火) 23:04:52.39ID:pCDoygft
>>326
ん、被ってるけど一応内容が少し違うな
しかし流石やな長治さんは
まだまだ長治で出てない逸話あるし、暫くしたら悪い逸話で埋め尽くしてやるから覚悟しろよ
0329人間七七四年2011/05/24(火) 23:07:35.92ID:QL0FZWax
長治「牛裂きは怖いですねえ、恐ろしいですねえ」
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