慶長6年(1601)5月、徳川家康が伏見城において、関が原の戦いで戦功のあった大名を招き、宴会を開いた。
宴席後に設けた茶会の席で家康は、かたわらに西軍諸将より没収した名物茶壷の数々を並べ、出席者のひとり
黒田如水に呼びかけた。

「他人の手を借りず、一人で持って行くことが出来れば、どれでも一つ差し上げよう!」
摂津有岡城での幽閉以来、歩行も不自由という如水に対する、天下人の戯れである。

「では、遠慮なく。」
ところが如水は、家康の言葉を聞くが早いか、すぐに立ち上がり、居並ぶ名物茶壷の中でもひときわ大きな
『南条の茶壷』を抱えると、スタスタと足が不自由とは思えぬ身ごなしで帰ってしまった。

これにはさすがの家康も、出席していた諸大名も、開いた口が塞がらなかったという。



家祖が体を張って(?)稼いだ『南条の茶壷』、桑田忠親氏によると
現在も旧黒田侯爵家が所蔵しているはずだというが、はてさて。