戦国ちょっと悪い話26
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0001人間七七四年
2011/05/03(火) 03:46:40.51ID:bO+mpFnO戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
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鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
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このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0202人間七七四年
2011/05/16(月) 06:33:03.62ID:NVyjWxx+0203人間七七四年
2011/05/16(月) 07:04:08.49ID:bXJ2L/pv別に失態じゃ無くて三歳は秀吉が家康を試した話と結論づけてるようだが・・・?
前半部がけなしてるようになってるのは>>179により>>175の意図的改変なのが分かってるし。
0204人間七七四年
2011/05/16(月) 07:14:26.97ID:OM5dLkfG「稲荷殿の知音かと申す事に候」(意訳:頭どーかしてんじゃね)
と残したのはgb
0206人間七七四年
2011/05/16(月) 07:42:33.48ID:0RmVhPhF毛利元就が毎朝日の出を拝んで、念仏唱えてたのは有名。
神道なのか仏教なのかはっきりしろと言いたい。
0208人間七七四年
2011/05/16(月) 08:17:45.21ID:wE047Atd0209人間七七四年
2011/05/16(月) 08:20:13.42ID:CES5O28m0210人間七七四年
2011/05/16(月) 11:10:31.06ID:OM5dLkfG出雲は月信仰が盛んだったらしい。都久豆美命(つくづみのみこと→月読命と同じか?)というらしい。
昔の山陰は海上交易で盛えてた。夜の星は方位を知るのに重宝。星々の代表として月なんじゃないかな
0211人間七七四年
2011/05/16(月) 17:54:50.21ID:tK+5Qme5後から話が作られた、ってわけではないのか
0212人間七七四年
2011/05/16(月) 18:26:22.83ID:DWOx75mk0213人間七七四年
2011/05/16(月) 18:51:37.71ID:bzKIgrCF0214人間七七四年
2011/05/16(月) 19:14:58.21ID:XO/iSYnJ心血注いで完成も間近の松江じゃなくそっちに葬るようわざわざ遺言してまで。
0216人間七七四年
2011/05/17(火) 00:01:30.81ID:VuWajU97慶長19年(1614)、大阪冬の陣。
11月29日、大阪の水口方面にて佐竹義宣の軍は後藤又兵衛・木村重成率いる大阪勢と激戦となる。
両軍に多くの死傷者を出し、大阪方は「後藤・木村を討たせてはならない!」とさらに千四・五百の
軍勢を繰り出す。
これを察した義宣は待ち受け向かい討たんと自ら長刀を手にし堤の影に軍勢を隠し敵の到来を待つ。
その時の佐竹義宣の姿は虎が風に毛を振るい、獅子が獲物を喰らわんと歯噛みするようであった、と伝えられる。
敵が、来た。今や掛からん!と、その時である
並びの陣に控えていた、当時若干15歳の堀尾山城守(忠晴)勢が突然、横から大阪勢に斬り込んできたのだ!
堀尾勢は大阪の新勢を散々に切り乱す。
さらに上杉景勝勢が堀越に押し寄せ鉄砲を激しく打ちかけたため大阪勢はたまらず、城内へと引き返した。
この時大阪勢は、三千人余りが討ち死にしたという。
さて、この結果に佐竹義宣は激怒した。
自分が待ち構えていた敵を横から奪われたのだ、それも当然であろう。義宣は堀尾忠晴に使者を立て抗議した
『城の内から敵をあぶり出し討とうという作戦であったのに、あなたが横合いから勝手に槍を入れられたため
敵を再び城内に追い込んでしまった!あなたは軍法に背くおつもりか!?
あなたは未だ15歳であり、若気の至りということもあるでしょう。であれば1度だけは許してあげましょう。
が、重ねて此の様な振る舞いは、一切御無用でござる!』
堀尾忠晴はこれを聞くと直ぐに、その使者に佐竹義宣への返事を託した。それに曰く
『あなたの仰せは尤もです。ご存知のように私は此の様な若輩であり、軍法のことも詳しくは存じておりません。
ただし目の前に敵を見れば、いつ何時であってもそれへの攻撃を我慢するということが出来ません。
なので今後も私は、粗忽なことをしてしまうでしょう。どうかその度に、お許しいただけるようお頼みします。』
この言葉に義宣は絶句し
「頼みきっていた家の子郎党たちを数多く敵に討たせながら、その敵を人の手柄にさせてしまい、
損の上に損をしてしまった!」
と嘆いたという。
さて翌日。堀尾忠晴は将軍秀忠の御前へと伺候し、前日の手柄を賞された。
と、この時軍奉行である安藤次右衛門(正次)が進みでて、荒々しく言い放った
「山城守殿(忠晴)の昨日の働きですが、手柄はたしかにその通りですが、佐竹軍がわざと誘いだした敵を
横から入り討ったのは軍法を破っており、狼藉であると考えます。佐竹殿も大変不本意に思っておられることでしょう。
山城守殿、あなたは未だ御若年なので今回は見逃しましょう。
ですが、重ねて此の様な粗忽なことをされれば過失として軍法に照らし罰を与えねばなりませんぞ!」
この安藤の強い言葉に、忠晴はニッコリと笑って
「仰せのように私は若輩ですから、軍法も詳しく理解しておりません。…ですが昔から、源平の合戦や
元弘建武の乱に置いても、目の前に進む敵を『これは誰々の受け持ちだから』などと言って
討たないで見過ごすという法があったでしょうか?珍しいことを承るものです。
私は手近に敵が居れば、いつでも粗忽な合戦をするでしょう。そしてその度に、その事についてのご容赦を求めるでしょう。」
と、爽やかに言い放った。これにその場に居た人々
「天晴、山城守はなんと器量骨柄が優れているのだろう。若年の今ですらこうなのだから、
将来は一体どのような人物に育つのか」
と、感嘆したという。
若輩の堀尾忠晴、大阪冬の陣で多くの諸先輩を唸らせる、と言うお話(大阪物語)
0217人間七七四年
2011/05/17(火) 00:09:35.43ID:DfQ0Ba89堀尾忠晴は不肖の子孫じゃなくて有能だったのに、家が絶えたのは残念
0218人間七七四年
2011/05/17(火) 00:44:21.70ID:cXlo0ZrX先陣だとか、後だとか、むきになるだろうなあ・・
0219人間七七四年
2011/05/17(火) 01:05:58.20ID:VuWajU97その頃、古田織部といえば天下の数奇者の宗匠と呼ばれていた。
大阪城攻めの合戦騒ぎの中でも、織部は「数寄の友だから」とわざわざ佐竹義宣の陣に
訪ねて行った。
が、その時佐竹義宣はちょうど城攻めのための仕寄に付いていたが、しばらくして矢弾避けの
竹束の内に入り、そこで織部と対面、義宣は兜を脱いで織部とつもる話をし、またそこで風呂を炊かせ
もてなし、その後茶を飲むなどしていたところ、織部は突然、竹束の方をキッと見て
「この竹束の中に、茶杓になるべき竹がある!!」
と、竹束の側まで寄って顔を打ち傾けながら熱心に見始めた
時にこの頃古田織部は僧形であり、頭は当然だが、見事にそり上げていた。
あまりに熱心に竹を見ていたため、ついうっかり頭を竹束の影から出してしまった。
その頭に日光が当たる。ピカーッ!彼の禿頭は日光を反射しキラキラと輝いた!
これを見た大阪方
「佐竹陣の竹束のところから、なにやら光り輝くものが現れました!」
「何だと怪しい、怪しすぎる!撃て、撃てー!!!」
大阪方の放った銃弾は、あやまたず織部のハゲ頭に命中した!
…が、運が良かったのか、頭から血は流れていたもののかすった程度で済んだらしい。
しかし織部はすっかり肝を潰し頭を抱え
「我、手負いたり!」
と叫び、その場に居た茶坊主が茶巾袱紗などでその血をぬぐった。
これをその場に居た人々「数奇者に似合いのぬぐい物である」と囁いたとか。
そして織部は
「ああ、この初めての手傷を自分の担当する仕寄で負ったなら、少しは御感に入ることも出来ただろうに、
よりにもよって他所の仕寄で負うとは、これでは丸損ではないか。」
と嘆いたという。
この後、自分の陣屋に帰ると家臣たちに
「武士が付けておくべきは兜である!今後わしは数寄屋においても兜をつけるぞ!」
と宣言したそうだ。
以上、古田織部が微妙に間違った教訓を得た話である(大阪物語)
0220人間七七四年
2011/05/17(火) 04:49:03.56ID:sYhf+P8e微妙にってか、豪快に間違ってないかな、その教訓・・・
0221人間七七四年
2011/05/17(火) 06:19:54.52ID:0QcYz3Ew結局切腹するわけで兜は役に立たないわけだが
0222人間七七四年
2011/05/17(火) 09:04:41.44ID:/P7+tcMIなんだこのコント
0223人間七七四年
2011/05/17(火) 14:49:25.68ID:ZBHgIIeB禿げ頭が光ってうおまぶしっ!ってなんてコントだよ。
最初の茶杓がどうとかもう放り投げっぱなしだよ。
所でそのあと、ゲヒさんはお目当ての竹を見つけ出せたの?
それとも見つけられないままハラキリ直行?
0224人間七七四年
2011/05/17(火) 19:34:14.02ID:pUod8rVZ0225人間七七四年
2011/05/17(火) 21:09:44.12ID:iHKEneIC0226人間七七四年
2011/05/17(火) 21:22:45.37ID:rZMLgl780227人間七七四年
2011/05/17(火) 21:39:53.37ID:SjxQU2JRと、バサラ見てるとつくづく思う
0229人間七七四年
2011/05/18(水) 00:07:21.83ID:frFeDv+Yさてさて大阪冬の陣。伊達政宗は大阪城の外格を打ち破ろうと思い、物に慣れた侍六・七騎を率いて
攻め口を探しているうち、城の直ぐ近くにまで出てしまった。
しかしその付近の大阪方は、どうも政宗なんかに関わりたくないと思っていたのか、伊達一行を見ても
見て見ぬふりをしていた。
と、ここで政宗、(よせばいいのに)馬の鞍の上に立ち上がって大声で城方に叫んだことには
「どうして城内の奴らは鉄砲を撃ってこないんだ!?玉薬が尽きたのか?それならわしが
(そこに弾丸を打ち込むという意味で)取らしてやろうぞ!」
この露骨極まる挑発に、城内から鉄砲が二発撃たれた。
が、その弾は政宗の頭上遥かを飛んでいく。これに政宗カラカラと笑い
「飛んでいる鳥などには、ああやって空に向かって討つものだ!
よいか?目の下にいる敵には手股を上げ、筒先を下げて撃つのだ…」
この言葉が終わる前に、今度は城方より鉄砲十挺程がつるべ撃ちをした!
しかしこれも政宗には当たらない。だが、後陣に控えていた伊達家の老武者の、右頬から左の耳の付け根に
弾丸が貫いた!彼は馬からどうと倒れ落ちる。
これに政宗
「…!
はっはっは、お前たちは器用だな。今教えたら直ぐに腕が上達しおった!稽古に神変あり(稽古によって
腕が格段に上達する)とはこの事だな!」
と威勢のいいことを言い、その場に留まるようなふりをしながら(たぶん馬の鞍に立ったまま)ズリズリと下がり、
ついにそこから退いたと言う。
これを見た人々
「あら不思議の政宗や、只今の鉄砲が一つだけの目に当たったならば、この重要な戦の前に
もうお目にかかることはなくなったのに」
と、笑ったそうである。
大阪冬の陣の始め、カッコつけようとした政宗のカッコ悪い逸話である。
0230人間七七四年
2011/05/18(水) 00:22:47.48ID:UMPYXRvJ0231人間七七四年
2011/05/18(水) 04:58:58.30ID:jPeIdf/4挑発したあとむしろその場に残ってるほうが馬鹿で
引き際としてはいいタイミングだったんじゃねえかと。
0232人間七七四年
2011/05/18(水) 06:59:41.41ID:AXPMCx5L引き際の演出がまずいと思う。
0233人間七七四年
2011/05/18(水) 07:09:32.56ID:tk4HQ0bIそのおかげでいろんな逸話が生まれてよかった
0234人間七七四年
2011/05/18(水) 08:49:46.84ID:z9GiJ5z2西洋ではその後もナポ戦争辺りまで逸話を生み続けるんだが
日本では次に実戦をやる頃にはライフリングが本格的に実用化されちゃってたからな
0235人間七七四年
2011/05/18(水) 15:38:15.00ID:VMAGaKia0236人間七七四年
2011/05/18(水) 17:15:33.97ID:bLLEs2re一揆衆の子供でも鉄砲は良く当たったとか。
0237人間七七四年
2011/05/18(水) 19:18:36.20ID:gpSRNCA7みたいにどうも定見がなくて困る。どれがホントやねん、と思うわ
0238人間七七四年
2011/05/18(水) 19:25:19.90ID:kjW0hAG5スナイパー的使用方法は熟練しか出来ん
0240人間七七四年
2011/05/18(水) 19:53:55.48ID:3/YEM8g80241人間七七四年
2011/05/18(水) 20:04:24.49ID:LCieWrB80242人間七七四年
2011/05/18(水) 20:14:25.48ID:K/0acZouつーか、現在の射撃競技で使われてる火縄銃をみるにそれなりに当たる。
逸話を残してる人たちは、狙える距離を見きってやってるんだと思う。
ライフリング刻んてない銃弾は長距離での精度も問題だけど、それ以上に長距離だと威力が落ちるし。
0243人間七七四年
2011/05/18(水) 20:38:35.47ID:72WTh4WK西洋でももっと後世のこと
0244人間七七四年
2011/05/18(水) 21:04:16.78ID:729HwKa+0245人間七七四年
2011/05/18(水) 21:11:42.35ID:bjlNHpHY筋力ないと安定して撃つことすらできないから、狙って撃つ>>(壁)>>単純に発砲する らしい
まあ、神父がよく当たるように弾丸を聖別してたくらいだから、狙撃は技術じゃなくて天運扱いだったんでしょう
0246人間七七四年
2011/05/18(水) 21:14:55.82ID:T4UAbWGa鉄砲も槍も戦国期に広まったのは、刀や弓に比べて比較的練習が必要なく、極端な話
女子供でも扱えるから、らしいね。
0247人間七七四年
2011/05/18(水) 21:51:23.45ID:UMPYXRvJ朝鮮の役の時、朝鮮兵に鳥銃の調練を行ったところ、普通の訓練ではいつまでたっても物にならず、
昼夜を問わず半年間みっちりしごいてようやく日本兵と同レベルの水準に達したそうな。
子供の頃から10年も修行してようやくものになる弓術に比べりゃ簡単とも言えるが
ド素人が扱える武器では全くないね。
0248人間七七四年
2011/05/18(水) 21:52:34.52ID:3/YEM8g8この漫画のソースは中に書いてあるとおり、常山紀談というものらしい。
当時の合戦の組織的な火縄銃の運用術っていうのを>>241の人あたりが
遺してくれても良かったのにね。折角命拾いしたんだから
0250人間七七四年
2011/05/18(水) 22:27:55.73ID:TIHM0SMkそれこそ石ころを火薬で飛ばすようなのまでバリエーションがやたら豊富だった
石ころ飛ばす程度のは鍛冶やらんでも作れるしな
0251人間七七四年
2011/05/18(水) 22:35:34.35ID:bjlNHpHY雑賀とか根来が有名だったのは後者としての習熟度が高かったから
マウリッツ・フォン・ナッサウみたいに兵士を規格化して効率的に運用した大名はほとんどいない
兵農分離って大切だ
0253人間七七四年
2011/05/19(木) 02:37:41.99ID:g7ZGOgGW腑に落ちた逸話があるんだけど
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2622.html
↑この逸話の詳細が違うバージョン
とりあえず逸話の本筋から書いて行く
立齋舊聞記より
碧蹄館の戦いの後の事、総大将秀家の主催で慰労会が開かれることになり
諸将が秀家の陣営に集まった。
食事が終わって物語りしていると、黒田長政が言い出した。
「鉄砲ってマジ最高だよね。昔は百歩も離れた敵は討てなかったらしいけど
鉄砲使ったら何百歩離れててもあてられるじゃん
まして的が近かったら絶対外さないし」
他の将も同意する。
加藤光泰「本当に、希代の重宝と言うべきだな。今度の戦で勝てたのもまた、
鉄砲のよさが発揮されたからだ」
大谷吉隆「ていうか鉄砲最強じゃね?俺もう他の武器買わないわ」
余談だが、思うにここで大谷が極端な事を言うのが話をややこしくしていると思う。
良くも悪くも「思った事は絶対言う」人なのだ。
それで失敗しても、反省も後悔もしてなさそうなのが変に爽やかだが。
とにかく、これを聞き咎めた小早川隆景が口をはさんだ。
「防ぐには鉄砲がいいと思うけど、例えば破るには弓だな。鉄砲だけとか言いなさんな」
立花宗茂もこれを聞いていて
「武器は臨機応変に使い分けないとな。
鉄砲しか持ってなかったら雨の日と闇夜は戦できねえ」と続いた。
焦ったのは長政で、「俺は別に鉄砲だけで戦するとか言ってないし」と訂正したあと、
こう続けた。
「たださー弓を貴んで鉄砲が否定されるのは違うと思うわけ」
↑↑↑
ここ
これずっと「今誰もそんな話してないんじゃ?
長政のいつもの被害妄想にしても唐突すぎる」と違和感あったんだけど、
鉄砲に「誰でも扱える、あまり男らしくもかっこよくもない武器」というイメージがあったとすると
本人も鉄砲の名手で鉄砲大好きだった黒田長政からしたら
普段から「鉄砲を擁護したい」とか「こいつも鉄砲の悪口言うつもりか」って気持ちがあっての
この発言なのかもしれないなー、と、なんとなく疑問がとけた気がした。
0254人間七七四年
2011/05/19(木) 02:38:59.14ID:g7ZGOgGW長政がナイーブになっているところに、宗茂が
「でもさー近接で鋒とかで切りあってる時でも切り損じる時ってあるだろ?
鉄砲はあたるあたるって言うけど、火薬で玉飛ばすような武器
そこまであてにできない気がするんだよね俺は
別に鉄砲がダメって言うんじゃないけど、そればっかり好きでもしょうがないと思う」
などと言ってしまい、微妙な雰囲気になっていると、
秀家が「話は聞かせてもらった!」と現れた。
「これはあれだ、甲州(黒田)が鉄砲、立花が弓使って勝負すればいいんじゃないかな!
的を用意して皆で見物しようぜ!」
この御曹司ノリノリである。
長政と宗茂からしたら、別にそこまでの騒ぎにしたいわけでもなかったのだろう。
辞退しようとしたが、隆景が仲裁に入った。
「まあまあ、勝ち負けとかじゃなくてさ、
立花は弓の名人って評判だし、甲州は飛ぶ鳥も落とす鉄砲の上手だろ。
実際撃ってるところを、是非見てみたいなあ」
そうまで言われては、強いて拒む方がおとなげない。
二人は十五間離れた場所に立てた笄を撃ちあうことになった。
大谷と加藤が「勝った方が負けた方の道具もらっちゃえよ」と囃す。
こいつらも悪ノリしている。
長政の秘蔵の鉄砲から、笄に見事に命中、これを打ち折った。
次に、宗茂は普通よりも大きな塗籠の弓を使っていたが、
これで放った雁股の矢が笄の真ん中を射切った。
周りはやんやの喝采を送る。
両方があててしまったので、もう一度。
ところが二度目の射撃で長政の狙いが反れ、笄の端を削っただけに終わった。
宗茂はといえば、最初に射た矢と同じ場所を、少しも過たず射切って見せた。
立花宗茂聞きしに勝る射手であると人々は大いに誉めた。
約束は約束なので、長政の大事な鉄砲は宗茂の手に渡った。
秀家「あっ、じゃあ立花の弓は俺にちょうだい」
なにがじゃあなのかわからないが、宗茂の強弓は秀家の手に渡った。
…まあなんていうか、戦勝祝いで行き違いがあった悪い話ではあるんだけど、
出席者は盛り上がって帰ったみたいだから、終わりよければすべてよし?
戯言から発展して変な喧嘩にならなくてすんで幸いだった。
隆景からは場をなごませしこりを残すまいという気遣いが感じられる。
秀家はちょっとよくわからない。天然かもしれない。
0255人間七七四年
2011/05/19(木) 03:12:39.55ID:vLE0dyFo主催者権限のつもりか知らんがちゃっかり立花の弓貰っても
事が穏便に済んでるのを見ると結構大物かもしれない
0256人間七七四年
2011/05/19(木) 03:40:38.59ID:0fx7IhwCバージョン違いの逸話も面白い
0257人間七七四年
2011/05/19(木) 06:07:30.90ID:wyYkYslW本人は天真爛漫だよね。秀秋と比べて屈折したところがないし
秀吉にかわいがられたんだろうね
0258人間七七四年
2011/05/19(木) 06:32:17.76ID:ViFf/6zq0259人間七七四年
2011/05/19(木) 07:33:36.73ID:8Sis/NMS0260人間七七四年
2011/05/19(木) 07:46:29.50ID:onIdjmnX長政の鉄砲だけ取られると遺恨が残りそうだから、自分が宗茂の弓をいただいて「おあいこ」と
0261人間七七四年
2011/05/19(木) 07:53:29.36ID:piIGlA4J槍投げならもっと楽だと思うか?
弓と鉄砲の性能の差、
ないしは当人たちの実力の差の方がはるかに影響が大きいんだから
その辺は問題じゃないんじゃね
0263人間七七四年
2011/05/19(木) 10:00:24.40ID:SF3UlNgWほぼ今の弓道場と同じだ。
鉄砲で外した長政がミスしただけだろ
0264人間七七四年
2011/05/19(木) 10:14:21.99ID:umDt/y00猛者の話、各人の個性が出て面白いね。
この場にもし小西、清正がいたら何て言ったかな・・
0265人間七七四年
2011/05/19(木) 10:24:31.42ID:7JbMHhIy0266人間七七四年
2011/05/19(木) 11:06:15.96ID:CFl8Rx3G0267人間七七四年
2011/05/19(木) 11:57:02.59ID:23zzbH/Nそういや、こういう銃で狙われている前でのパフォーマンスという話になれば
たいてい南北戦争のセジウィック将軍の逸話ネタがあった気がするが
まああれは戦国とは関係ないか
0268人間七七四年
2011/05/19(木) 12:25:51.16ID:4eXx1OQ9おい、秀家と秀秋と間違ってるぞ
天真爛漫な貴公子はともかく、屈折した貴公子って友達いたのかなあ?
関が原の後、江戸城では諸大名や旗本からバカにされ、無視された様子が
大河ドラマの葵三代にあったよなあ。そこいらも本当のところはどうだったんだろうね
0269人間七七四年
2011/05/19(木) 12:37:21.25ID:U/T/JL0N0271人間七七四年
2011/05/19(木) 13:35:48.05ID:ObwOxLwF0273人間七七四年
2011/05/19(木) 23:29:53.76ID:Jcwz0sod立花家資料館では弓は長政に渡ったと書いてあるね。
ttp://www.muneshige.com/column/03.html
残っていれば黒田家ゆかりのものが多い福岡市博物館にでもあるかも。
ところで今日のタイムスクープハンター、ハゲて髷が結えずに公務に出られなくなった
実例として立花鑑虎(柳川藩第三代。宗茂の養子とDQNの孫娘の子)が挙がって吹いたw
男性ホルモン濃そうだもんなぁ
0274人間七七四年
2011/05/20(金) 00:21:54.48ID:t9E3gFGk甲斐の武田晴信はその父武田信虎を駿河に追放。クーデターにより武田家の実権を
奪い取る、という事件があった。
さて、その事を聞いた近江の浅井亮政(久政の父、長政の祖父)は大いに憤り
こう批判した
「人々は皆こう言う、武田晴信は良将である、と。
しかしそれがどうして、此の様な乱暴なやり方で父親を追放するのか!?
実に憎むべきこと甚だしい所業である!
その武田家というのは、自身の武に奢るというものであろうか。
これは人望に背き天道に捨てられる行いである。
私はこう断言しよう、武田晴信を良将と呼ぶべきではない、と!」
(浅井日記)
まあ後年、そんな事を言ってた亮政の息子の久政が孫の長政から、武田とほぼ同じような
クーデターされて強制引退食らうんですけどねw
0275人間七七四年
2011/05/20(金) 00:23:23.72ID:obBdsFpEだからフッサな奴はわざわざ毛を抜き、髭が薄い奴は付け髭をしてた
0276人間七七四年
2011/05/20(金) 00:48:38.58ID:T+5uMFvVなので豊臣秀次、蒲生氏郷、福島正則なんかは肖像でも頭を大きく剃り上げ
モミアゲが頬まで長く書かれているなw
0277人間七七四年
2011/05/20(金) 00:51:12.97ID:lNQK4ZDS0278人間七七四年
2011/05/20(金) 00:57:22.85ID:M5/nOUUWハゲてマゲ結えないと、今なら「プッ、あいつスーツ着てねぇww職場で失礼すぎワロタwww」とか
0279人間七七四年
2011/05/20(金) 05:21:11.83ID:vOh19/0L件の立花さんは、何か他に表沙汰に出来ない理由(家中のゴタゴタとか)があって、
タテマエに禿げ問題を挙げたんじゃないかと思ったが……勘繰りすぎか?
政治の為に、変なタテマエかかげるのって定番だからさ。
0280人間七七四年
2011/05/20(金) 09:58:03.36ID:hXqwW/rG0281人間七七四年
2011/05/20(金) 10:32:31.22ID:sgNQqCzk弓道かじった者としては、この勝負、長政は不利どころか有利だと思えます。
照星のおかげで的に狙いを付けやすく、指一本動かせばある距離までなら火薬の威力でほぼ直線に撃ち出される鉄砲
(火薬炸裂時の衝撃やら重い銃身を支えるなどの大変さももちろんありますが)
一方、弓には照星のようなここで狙えばいいという装置がないので、
弓手に隠れて透けて見える視界の中で的に当たりをつけるしかない。
弓自体も竹や木、麻などの植物で出来てるので僅かな湿気や気温の変化で弓のコンディションが変わる。
しかも自らの弦引きの強さ次第で威力が変動するという不安定さ。
笄なんていう小さく細いものを的にして2度も笄のど真ん中にあてるのはすごい。
昭和の弓聖・阿波研造は目をつぶって射ても同じ場所に当てる
(一本目の矢尻に2本目が突き刺さる)ことが出来たそうですが、
宗茂は恐らくそれ以上の技量の持ち主だったのではないでしょうか。
しかし腕前勝負とは別に、上記のように弓は習熟・取り扱いが非常に難しいので
大量動員可能な遠距離兵器という軍隊における鉄砲の利点にはやはりかなわないという、
当初の論点wに関しては長政の言うとおりですが、なんでこんなオチになってしまったのやらw
0282人間七七四年
2011/05/20(金) 11:10:20.99ID:QlKynUP4なんか浅井亮政がギレンで再生された
あえて言おうカスであると!
まあそういうギレンさんも妹にやられちゃったわけですけど
0284人間七七四年
2011/05/20(金) 11:33:44.28ID:xi7NsWIkうん、最初に大谷吉継が「鉄砲以外いらない」とか極端な事言っちゃったせいで
鉄砲の有用さを主張したい黒田長政と
鉄砲のみに頼る事に反論したい立花宗茂との間で議論が噛み合ってないよねw
そこに、とりあえずイベントにしようという秀家が乱入してうやむやになってるけど
0285人間七七四年
2011/05/20(金) 17:11:16.80ID:IKhYfTe+戦国時代の流行りってどうやって生まれるんだろうな?
たまたま大坂城内で待女にモテモテな奴がモミアゲロングで口髭だったのを、太閤殿下が
「わしもやる!モミアゲ伸ばして付け髭つける!」
で、各大名が
「おい、アレ俺らも真似しなきゃヤバくね?」
「マジかよモミアゲだせぇって・・・」
って感じだろか。
0286人間七七四年
2011/05/20(金) 17:17:48.09ID:nC18uwri0288人間七七四年
2011/05/20(金) 19:27:08.05ID:rklj0PMC0289人間七七四年
2011/05/20(金) 20:02:55.76ID:LEMCF2+n弓の方が技術的には難しいという所には同意しつつ
残念ながら、極めても生じてしまう仕方ない誤差がありまして
そっちは多分鉄砲の方が大きい
0290人間七七四年
2011/05/20(金) 20:12:17.47ID:Zd2Wrnlo0291人間七七四年
2011/05/20(金) 20:45:27.51ID:M5/nOUUWそうなんだよね、立花鉄砲隊は「早合」(弾薬カートリッジ)を使ってて他隊の三倍の速さで
連射できたらしいし。良く聞くのは、蛍大名の大津籠城戦で立花隊に面した銃眼だけ
閉め切られてた(=銃眼から撃とうとすると三倍返しされる)とか。
0292人間七七四年
2011/05/20(金) 21:09:00.77ID:M5/nOUUWこれって「百姓でもまっすぐ飛ばせるこの道具で外した長政(笑)」っていう皮肉だったら
宗茂の悪い話にできるんだがw 碧蹄館の英雄、そのぐらい傲ってほしいものである。
0293人間七七四年
2011/05/20(金) 21:26:31.54ID:c7CCic900294人間七七四年
2011/05/20(金) 23:02:31.88ID:t9E3gFGk彼はこんな事も言ったそうだ
「秀頼が成長し、男子でも女子でも、子供を設けるほどになるまでこの世に長らえれば、
初めて秀頼の子を産んだものには、どんなに身分の低い者の娘でも構わない、
先ず黄金千枚を、当座の引き出物として取らせようぞ!」
さて慶長20年(1615)5月8日豊臣秀頼切腹。大阪夏の陣が終わる。
当時未だ7歳であった豊臣秀頼の子国松は、大阪城より脱出し伏見の町家に
潜伏していたが、幕府の探索により程なく捕縛され、二条城に連行された。そして
「未だ幼児であり、今回の戦争に対して何を知るというわけもないが、
大敵の子であり、また男子である以上、助けおけば将来の患ともなるだろう。」
と、処刑されることに決まり、その身柄は京都所司代・板倉勝重の屋敷に移された。
勝重は国松を風呂に入れ衣服を与えるなど丁重に扱う。そしてこの少年に話しかけた
「お名前はなんと言われるのですか?」
国松はこの問に不思議そうに
「名前…?私に名前はありません。」
「お名前が無い?それは…」
「はい。皆は私のことを、殿様とばかり呼びます。」
これを聞いた人々は皆、思わず涙したという。
そして5月23日、国松は市中引き回しの上、京都六条河原で斬首された。
豊臣秀頼の子、国松についての逸話である
(大阪物語)
0295人間七七四年
2011/05/21(土) 08:13:31.68ID:Q0nwCkLS0296人間七七四年
2011/05/21(土) 08:23:55.93ID:xQwuvk/k0297人間七七四年
2011/05/21(土) 11:53:50.66ID:sxuPEsPJしたとか言う話もあったなどこで見たか忘れたけど
0298人間七七四年
2011/05/21(土) 11:54:53.21ID:mWINSonv肥前名護屋の陣営でのこと。
ある日、曾呂利新左衛門が外から秀吉の本陣に入ってくると、突然語ることには
「殿下!世にも不思議なるものがあるものですね!
臣はただいま陣の手前でとても奇妙なものを見ました!」
秀吉、これに興味を持ったか
「新左衛門は慌ただしいのう。奇妙なものとは一体、何を見たのだ?」
「さればでございます。『キウリ』が胡瓜を食っておりました!」
「なにっ?胡瓜が胡瓜を食っておったと?新左衛門、たわけたことを申すな。
口のない胡瓜がどうして胡瓜の共食いをするものか。たわけにも程があるわ!
まあ、これもお前のいつもの戯れだろうが。」
しかし曾呂利引き下がらない
「いや、確かに食っておりました!これは相違ございません!」
秀吉と曾呂利は食わない食ったと言い争ったが、これでは埒が明かぬと秀吉、
傍らに居た家臣に「誰ぞある!?まこと、果たして胡瓜が胡瓜を食っておるか、急いで行って
見て参れ!」
家臣の一人、「ははっ」と答え陣の外まで出て、あたりを見回す。当然のことだが
胡瓜が胡瓜を食っている様子は、ない。それでも、何事も見落としてはならぬと
キョロキョロと見回す。
「しかし胡瓜が胡瓜を喰うなどとあるわけが…、 はっ!?」
この家臣が戻ってくると、秀吉は急かすように尋ねた
「どうじゃ!?胡瓜が胡瓜を食っておったか!?」
「それがでございます。胡瓜が胡瓜を食っている様子は見えませんでした。」
秀吉、そら見たものかという顔を曾呂利に向ける。が、家臣続けて
「それは無かったのですが…」
「ですが?」
「ははっ、陣営の外では、背中に薪を背負っている薪売り(きうり)が胡瓜を食って
おりました。」
秀吉あきれ返って
「なんじゃと!?薪売り(きうり)が胡瓜を食っておったと!?
さては新左衛門めにたぶらかされたか!なるほど、胡瓜が胡瓜ではなく
薪売りが胡瓜か!」
曾呂利、澄ました顔で
「仰せの通りにございます」
これに秀吉
「おのれ、また誑かしおったな!」
と笑って叱りつけたという。
『太閤之腰巾着曾呂利新左衛門』より、曽呂利頓知話の一席
0300人間七七四年
2011/05/21(土) 12:25:44.51ID:sh/tXUV1■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています