200万石の蔵入地から直接挙がる租税だけでなく、
日本各地で米の独占販売を行い、そこから巨利を得ていたらしい
その他には金山銀山の収入、金融業・物流業・製造業からの運上金、
堺のような都市からの献上金などなど
千利休や本阿弥光悦のような怪しい文化人とつるんで
タダ同然の値段で取引されていた茶道具や刀剣、古筆を高く売ったりもしてた
余りに金儲けが上手すぎたので、伝記作家である小瀬甫庵からも苦言を呈されていた