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戦国ちょっと悪い話26

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0001人間七七四年2011/05/03(火) 03:46:40.51ID:bO+mpFnO
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
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このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
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逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0002人間七七四年2011/05/03(火) 09:08:51.78ID:tL9OGZel
>>1乙!
0003人間七七四年2011/05/03(火) 13:07:26.58ID:yZiUMPKa
一杯の茶を所望
0004人間七七四年2011/05/03(火) 13:43:34.13ID:TKGzHm+R
>>3
|  |
|_| ∧∧
|松|(´・ω・`) ドウゾー
|永|o   ヾ
| ̄|―u'   旦 <コトッ
""""""""""""""""
0005人間七七四年2011/05/03(火) 16:14:48.86ID:ymsLxnOB
いちおつ

あ、お茶は要らないです。
0006人間七七四年2011/05/03(火) 18:59:46.20ID:eRCVAFXx
にぎりめしじゃな、しばし待たれよ
0007人間七七四年2011/05/03(火) 20:38:08.17ID:pj6PTojf
酒を瓶でくれ。あ、濁酒じゃなく焼酎で頼むわ
0008人間七七四年2011/05/03(火) 20:38:30.37ID:2EFBm5Go
うわあああああああああ・・・。
0009人間七七四年2011/05/03(火) 20:43:30.26ID:TKC1Lyvd
>>7
ニート乙
0010人間七七四年2011/05/04(水) 00:13:03.92ID:nnu4rXcF
慶長5年(1600)9月15日、関ヶ原の決戦が終わる。

東軍に属した九鬼守隆は家康に必死に嘆願を行い、西軍として動いたその父、九鬼嘉隆の助命を
ついに求めさせた。が、この報が届く前に、九鬼嘉隆は切腹をして果てた。
これには、このような事情があったとされる。

九鬼守隆は家康に従って上杉征伐へと向かう時、九鬼家の重臣である豊田五郎右衛門をその居城、鳥羽城の
留守居として置いた。
が、関ヶ原戦役が勃発すると九鬼嘉隆は石田三成らに与し、鳥羽城を奪わんとする。
この大殿の行動に、豊田も流石に敵し難く、戦わずに鳥羽城を明け渡した。
ところが、この豊田の行動は九鬼家の同僚たちから嘲笑された。

『おおよそ留守居として兵を持ち城を守るというのは、こういう事態の為ではないか。
いかに主君の御父君とは言え、なんと生ぬるい豊田の振る舞いであろうか!』

彼らは集まるとよってたかってこの話をし、豊田を爪弾きにした。豊田はこれを深く口惜しく思った。

さて関ヶ原が東軍の大勝に終わると、九鬼嘉隆はその身を隠した。
豊田は密かに嘉隆の行方を探り、嘉隆と行動を共にした熊野水軍の将、堀内氏善がその居場所を
知っていると聞くと、彼は早速新宮の堀内のところへ行き、こう語った

「この度のこと、長門守様(九鬼守隆)が内府公に必死の嘆願をされ、この度の軍功に変えて嘉隆様の罪を許す、
と言うことになりました。
わたくしは長門守様の命により、嘉隆様を急ぎ迎え、帰国のお供をするように命ぜられこちらに参ったのです。」

堀内からこれを聞いた九鬼嘉隆はその言葉を信じ、隠れていた答志島より出て豊田と共に帰国の途に付いた。
…と、

途中、志摩の和具と言う場所までくると、豊田は嘉隆に突然言い放った

「堀内殿に言ったこと、あれは全て嘘です。
実際には内府公の嘉隆様への怒りは殊の外深く、当家は既に滅びることに決定いたしました。
…どうか嘉隆様、ご子孫の後の栄を期せるよう御計らい給って下さい。」

嘉隆は豊田の言う事を正確に理解した。

「さらば我が首取りて、徳川殿に参らせよ!」

そして近くの洞仙庵と言う寺で切腹して果てた。

さて豊田は嘉隆の首をとって鳥羽へと帰路を進める。ところが伊勢の明星の茶屋にて、本当の嘉隆御赦免の
御教書を持った使いと行き会った。
まさか本当に許されるとは!豊田は大いに驚いたが、それは表に出さず何も知らぬ体でこの使者に応接した。
そして鳥羽に戻ると守隆の御前に参上し

「私は熊野まで行き、大隅守様(九鬼嘉隆)のお供仕ると申し出ました。
所が大隅守様は、『いかに親子の仲とは言え、一度敵となって再び対面に及ぶなどあり得る事ではない。』と
おっしゃいました。私はそれに、なにも問題の有ることではございませんと様々にお諌め申し上げ、『それならば』と
私と一緒に帰国の途につきました。ところが、ご心中では納得されていなかったのでしょう、私の気づかぬうちに
密かにお腹を召され、その上で私を呼ばれ、ご自身の首を私に与える、と仰せになりました。
そうなった以上もはや力なく、お言葉に従って此の様に…」

そう言って嘉隆の首を差し出した。

これには九鬼守隆も唖然としたが、致し方なく嘉隆の首と共にこの事を徳川家康に報告。家康も「不憫の次第である」と
首を返したという。

このしばらく後、豊田五郎右衛門の所業が発覚。九鬼守隆は激怒し豊田を鋸挽きにしたそうである。

九鬼嘉隆切腹の顛末である。
0011人間七七四年2011/05/04(水) 02:11:15.88ID:cYrjQdhY
どうしてバレた・・・って人の口に戸は立てられぬもの。
しかし、大殿じゃなくて笑った同輩に復讐すべきだろ、普通は
0012人間七七四年2011/05/04(水) 10:25:16.61ID:CX5ggUOf
ちょっと悪い話ところか、かなり悪い話だな……。
0013人間七七四年2011/05/04(水) 10:49:07.42ID:hi4U/LRf
これでは鋸挽きにされてもしかたないわな。
0014人間七七四年2011/05/04(水) 12:09:38.99ID:kPdA4y9I
こりゃひどい
0015人間七七四年2011/05/04(水) 12:50:21.49ID:sgc4N9xr
これってつまり、主君をだまし討ちにしたんだよな
いったい何がしたかったのやら
0016人間七七四年2011/05/04(水) 13:01:00.57ID:fTGb8jWK
家中で嘲笑される原因となった嘉隆への意趣返しじゃねーの
0017人間七七四年2011/05/04(水) 14:24:38.60ID:Owk1gkJk
自分のちょっとした言動が、相手を予想以上に傷つけるんだよな
そして痛いしっぺ返しを喰らう
九鬼親子はとんだ災難だけどさ

豊田は忠臣ぽいのに、まわりは追い込むような真似をしちゃいかんわな
あとでまわりの連中はどう思ったんだろうな
0018人間七七四年2011/05/04(水) 14:38:31.09ID:CX5ggUOf
忠臣……かぁ?

メンタル弱くて保身第一な様にしか思えない。
上手に嘘をついて事態を好転させられる技量があるならともかく、
その技量が無いのに嘘を重ねたせいで、自爆しただけっぽい。
0019人間七七四年2011/05/04(水) 15:26:34.40ID:+M2qyL64
後の成り行きはアレだけど、発端の城明け渡しの件は実際問題として
考えたら判断難しくはあるな。
特に九鬼なんてほとんど嘉隆一代で成り上がったんだし、真田の小松さん
みたいな鬼嫁くらいじゃないとなかなか突っぱねるというわけにもなあ。
0020人間七七四年2011/05/04(水) 16:00:59.27ID:9NeyyLrr
せめて一当て程度でも戦ってれば多少の名分も立つもんだけどね
0021人間七七四年2011/05/04(水) 16:27:38.76ID:yV0/qDoC
城の明け渡し自体は仕方ないかもだけど、
結局、嘉隆の為に動いているわけでも守隆の為に動いてるわけでも、
自分に明確な目的(大関、宇喜多系でもいいから)があるわけでもなく、
向ける相手の違う恨みと保身のために動いてるから、人間らしいっちゃらしいんだが、
自業自得で同情できない気がする。
0022人間七七四年2011/05/04(水) 20:03:07.23ID:J7lx2oFV
慶長6年(1601)5月、徳川家康が伏見城において、関が原の戦いで戦功のあった大名を招き、宴会を開いた。
宴席後に設けた茶会の席で家康は、かたわらに西軍諸将より没収した名物茶壷の数々を並べ、出席者のひとり
黒田如水に呼びかけた。

「他人の手を借りず、一人で持って行くことが出来れば、どれでも一つ差し上げよう!」
摂津有岡城での幽閉以来、歩行も不自由という如水に対する、天下人の戯れである。

「では、遠慮なく。」
ところが如水は、家康の言葉を聞くが早いか、すぐに立ち上がり、居並ぶ名物茶壷の中でもひときわ大きな
『南条の茶壷』を抱えると、スタスタと足が不自由とは思えぬ身ごなしで帰ってしまった。

これにはさすがの家康も、出席していた諸大名も、開いた口が塞がらなかったという。



家祖が体を張って(?)稼いだ『南条の茶壷』、桑田忠親氏によると
現在も旧黒田侯爵家が所蔵しているはずだというが、はてさて。
0023人間七七四年2011/05/04(水) 20:05:50.50ID:jC61cxdx
(・3・)アルェー

そんな馬鹿な・・・
0024人間七七四年2011/05/04(水) 20:09:40.10ID:sgc4N9xr
如水の足なえはフェイクだったのか・・・?w
彼なら治っているのに治ってないふりぐらいはやってのけそうだし
0025人間七七四年2011/05/04(水) 20:10:52.78ID:hJ3Syvxr
クロカンwww
伊良子清玄みたいに態と足が悪いのを強調して見せてたのか?
0026人間七七四年2011/05/04(水) 20:31:00.99ID:+M2qyL64
元が南条氏の物なら家康よりもむしろ黒田家が持ってる方が自然だし
まあ、ぶっちゃけ創作だろうけど、そうだとしても作者のセンスは褒められるべきw
0027人間七七四年2011/05/04(水) 20:31:05.15ID:Hgc59vRQ
家康さんなんで意地悪なことをいったんだろ、足が世評どおり悪かったら恥をかかすようなことだし
0028人間七七四年2011/05/04(水) 21:23:24.48ID:LuTzLbkh
家康らしくないね
0029人間七七四年2011/05/04(水) 22:42:20.16ID:1hplMvPE
勝手に秀吉だと思って読んでた。
0030人間七七四年2011/05/04(水) 22:46:30.16ID:fTGb8jWK
名物は大きさが価値を決めるわけじゃないのも、不自然さの一因
0031人間七七四年2011/05/04(水) 23:47:53.09ID:LESfSna5
教訓
ウソの上塗りは身を滅ぼす







明日からマジメに生きるわ
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