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天正10年の武田攻めを語るスレ 3

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0001人間七七四年2011/03/29(火) 22:15:05.50ID:w+Csi68T
2万の軍勢を率いて新府城を出陣した武田勝頼が1ヶ月後には
わずか40人とともに山中を彷徨うことになった、日本史上でも
稀に見る裏切り劇について語ろう。

【初代スレ】
天正10年の武田攻めを語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192166319/
【前スレ】
天正10年の武田攻めを語るスレ 2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1296903576/
0716人間七七四年2011/12/26(月) 12:55:06.05ID:CWhgPhmA

>>711
京からの観測で天あかくと書かれ
浅間山までの距離は約400キロであり
西国なら広島の原爆の爆発を京から視認できたのに相当する。
さらに雪ことことしきなどと書かれているのは
京に噴火の粉塵が降ってきたということ。
和仁親王が体調を崩されて天に祈祷をしているなど
浅間山噴火は京でも只事でない状況になってる。
>>713
被害記録がちゃんと残ってるか、残ってないかで
大噴火か噴火かを気象庁が判断してるだけで、
寺社を通して庶民の戸籍登録が為されている
江戸時代の天明3年大噴火は
川越松平藩と幕府勘定奉行所の記録も去ることながら
かなり詳しい絵図付きの記録が残っているから大噴火認定をされており、
浅間山噴火での詳細記録と言うのは残念ながら非常に珍しい。
武田滅亡の混乱から噴火の状況記録は京での視認記録しかないのが現状であり
武田滅亡という大事件を誘発した以上は大噴火の可能性は大いにありうる。
>>715
事実の羅列に過ぎないが。
0717人間七七四年2011/12/26(月) 13:14:29.45ID:CWhgPhmA
1108年(天仁元)の浅間山噴火が大噴火認定されているかについて
藤原宗忠の日記で天仁元年8月25日に京から東方天色甚赤と視認される。
9/5に上野国の国司から朝廷に浅間山噴火とその被害詳細について報告を受けている。
この朝廷への報告詳細により大噴火認定を受けている。
京で浅間山噴火が視認されている共通点が見出せる。
0718人間七七四年2011/12/26(月) 21:21:17.77ID:5DztXtfK
それだけの大噴火が起きれば武田だけじゃなく徳川、織田も相当やばい。

風向き次第では関東全部やばい。
なのにどうして他の国が全く被害を受けていないのか?
0719人間七七四年2011/12/26(月) 21:26:59.76ID:+MazXnCo
京から視認できるほどの大噴火なら織田も攻めこまないだろ
当時の武田に、わざわざリスクを犯してまで即攻めしなければならな脅威はないし
噴火で大混乱してるのに岩櫃行きを薦める馬鹿もいない
0720人間七七四年2011/12/26(月) 21:37:35.09ID:ZMSD+msX
>>716
「可能性がある」
針小棒大とはまさにお前のためにあるような言葉だなw
京都から観察できるほどの大規模な噴火なのに、武田領土に集中して被害が出ている
そして影響があるといいつつ、軍事行動のオクレをあげているが、それ以外の被害記録はその他の国どころか武田家にも残されていないと

ちょっと考えてみなよ?
君の家が大爆発しました
神奈川県だから名古屋あたりからもその模様が観察できました
でも他に記録はありません
あったのは電車が遅れたということだけ
これでさあ・・・大噴火?可能性?w
面白い思考だよなw
0721人間七七四年2011/12/27(火) 03:10:26.32ID:WBi5iNQu
>>709
何を勘違いしているのかは知らんが、木曽討伐に派遣されたのは武田信豊、今福筑前といった信濃衆だぞ。
積雪で思うように進軍できないうちに織田の援軍を得た木曽義昌と鳥居峠で接触して敗北。
だから甲斐本国の連中と比べて信濃国の連中の寝返りが多いんだよ。実際戦って負けてるから。
0722人間七七四年2011/12/27(火) 03:30:23.06ID:KWWVj+b/
駿河もかなり侵食されてるとは言え武田攻め始まるまでは甲斐信濃上野駿河半国持ってたんだからなぁ
こんな大勢力があんなに簡単に崩れるとは信長自身思ってなかっただろうな
0723人間七七四年2011/12/27(火) 07:21:34.06ID:cNhEIrvT
>>721
ソースは?
0724人間七七四年2011/12/27(火) 17:04:21.15ID:mhunsbe2
>>721
武田信豊は父の信繁を継いでるから信濃に領地なんて無いだろ。
兄弟は信濃国佐久郡の望月氏を継いでるが、
そこは浅間山に激近いし上野国に隣接してる。
それと今福筑前守は駿河国久能城主だし。
信濃衆とする根拠はなんだ?
だいたい武田信豊が木曽討伐に向かったのと
今福筑前守が織田を迎撃した話は完全に別物なのに見事に混同してるし。
まず信豊が鳥居峠で木曽に敗北って甲陽軍鑑の話だろ・・・
しかもその時はまだ織田軍は来てないし
後詰の勝頼2万は諏訪で軍議をするが
信廉は派遣先の伊那から無断で甲府に帰るし
諏訪に帰ってきた信豊も病気と言って軍議欠席がちで勝頼は諏訪で立ち往生。
そのうち織田軍がやってきたが、やはり諏訪で動けずにいたら
穴山が謀反した報が入り、勝頼を見捨てる者続出し軍は崩壊。
この武田軍の混乱ぶりは、すでに余震や小規模噴火が多発していたので
諏訪から動けない状況になっていたのではなかろうか。

公記の記事に従うと2/2に木曽討伐に15000で勝頼が出陣したとされる。
2/6に木曽が信長に援軍を求めてるのが史料でわかる。
それを受けて信忠が2/11に岐阜を出陣してるのも史料でわかる。
2/14火山噴火
公記に従うと14日に信忠は岩村に到着して滝川や川尻を差し遣わせる。
公記によれば14日に松尾城の小笠原が織田に味方すると言うので
団や森らが先陣として木曽峠を越えて松尾城落城させ(飯田地域平定)
さらに進んで2/16に今福筑前守が織田と交戦して鳥居峠で敗北とされる。

公記によれば伊奈口節所に滝が沢要害を構えて下条伊豆守が守備してたが
2/6に下条伊豆を裏切り家老の下条九兵衛が逆心
し川尻与兵衛を岩村口に引き入れたとする。
2/7に高倉永相が村井貞勝から信濃半分をすでに制圧したと聞いている。

これについては2/6に武田軍が木曽氏討伐に出撃を受けて
木曽氏が織田に援軍要請している段階なので非常に怪しい記述。
事実としても岩村口に位置してると思われるので最前線の一砦が
侵攻前の調略段階ですでに内通してたのだろうし
こんなところが落ちたレベルは大した問題じゃないのはわかる。
信濃半国制圧は2/14の松尾城を落としてもまだまだ達成できない話で
2/7現在でそれはありえないし、それに付随したウソが滝が沢要害話ではなかろうか。
やはり14日がターニングポイントになってるのは認めざるを得ない。
0725人間七七四年2011/12/27(火) 17:41:45.61ID:M+4jMW0p
>>724
疑問なんだけど、
「噴火の粉塵とか火砕流とかそう言う影響は微細
一番影響を与えたのは噴火が起きたという事そのものが与えた精神的ショックで、武田軍は崩壊した
決して織田軍の影響ではない」
っていう理解でいいのかな?
0726人間七七四年2011/12/27(火) 20:31:27.20ID:Cpzxl3ac
迷信が幅利かしてた時代だし「あー武田ももう終りだわ」って思わせる効果はあっただろうね
0727人間七七四年2011/12/27(火) 20:40:40.40ID:u3X5xFRp
信長は黄金の安土城を築いたのに平気でいられて、勝頼はボロ新府城を築いただけで領民から総スカンを食らったのは何故?
0728人間七七四年2011/12/27(火) 20:47:19.43ID:LC2t5mFs
>>727
新府城を築いただけで総スカンのソースは?
0729人間七七四年2011/12/27(火) 22:17:20.45ID:WjnkoY7a
武田は貧乏だからなあ。
0730人間七七四年2011/12/27(火) 22:25:00.44ID:x/mD7Nwj
新府城ってより戦線拡大で経済的に行き詰まったんだろ。

織田側は強大な経済力を背景に年中軍隊を無理なく動員出来るのに対し、
甲信駿上程度の経済力で年中軍を動かすには限界がある。

織田徳川に対抗すればする程、武田はやせ細っていき最後は折れる。
そういう運命。

0731人間七七四年2011/12/27(火) 23:42:17.40ID:u3X5xFRp
武田の滅亡が運命だったような論調もあるが、長篠での勝頼の采配ミスが最大の要因。
0732人間七七四年2011/12/27(火) 23:51:31.74ID:cPBpyvHL
>731
ミッドウエーで大敗しなくても結局はというのと同じじゃ?
0733人間七七四年2011/12/28(水) 00:03:07.99ID:RT6PT3X/
>>723
信長公記や甲陽軍鑑
つか、この時の大筋の流れしってりゃわかる話なんだけども

>>724

>>それと今福筑前守は駿河国久能城主だし

それ親父の方じゃなかったか?親父も筑前守とかで混同したとかならすまんが。

>>木曽氏が織田に援軍要請している段階なので非常に怪しい記述。

別に怪しくもなんともない。
そもそも織田にとっては木曽救援は甲斐征伐の一環で、武田征伐と木曽救援が同時に行われている。

それが証拠に信長公記で木曽御加勢の人間は織田源五、織田、織田孫十郎、稲葉彦六、梶原平次郎、塚本小大膳、水野藤次郎、簗田彦四郎、丹羽勘助で
既に信濃方面の各所で展開していた森勝蔵、団平八、河尻与兵衛の名前はなく、もちろん主力たる織田信忠、滝川一益の名もなし。
村井が色をつけて「しなの半分」と言ったのも、既に武田征伐そのものが行われると決まっていたからこそだろ。
0734人間七七四年2011/12/28(水) 01:27:51.57ID:0bm8mf67
>>725
京都まで見えるような噴煙が上る噴火でも、火砕流や火山灰は大した事ない
可能性はあるものなぁ。特に浅間山の場合はしょっちゅうそういう噴火を起こしているし。

たとえば、1947年の噴火は噴煙の高さ12kmもある噴火だったけど、死者はあまり
多くなく11人、農作物への被害もそれほど大きくはなかった模様。
1958年の噴火は噴煙の高さが7〜8kmだったけど、死者はなし。ってな具合。
0735人間七七四年2011/12/28(水) 08:15:35.97ID:ax4lKcLn
信長公記や甲陽なんて軍記なんだから
信用性ゼロだろ。
公記は攻め滅ぼした側の正当化だし、
甲陽は何から何まで勝頼が悪いと無理くり理由を考えてる。
そんなのが悪政なんて書いてたとかでソースになるかよ。
一次史料だせよ。
軍記ものは滅びた原因に悪政と書くのは常套句だし。
金がないってのも、本を読むと御館の乱で景勝側に買収された勝頼を根拠にしてるくらい。
しかし政治外交で利害が絡むのは当たり前。
そんなのは根拠にならない。
美濃の臨済宗の大動員かけて斉藤義龍と対抗したほどの人望ある快川紹喜が、
甲斐を離れなかったのは
勝頼が取り立てて悪政をしてたと言い切れない証拠だと思うが。
0736人間七七四年2011/12/28(水) 10:01:50.76ID:FAY9EEYr
>>734
しょっちゅう被害の少ない噴火を起こしてて武田征伐の時もそうだったなら、噴火と滅亡の関連性は薄いってことだな
0737人間七七四年2011/12/28(水) 10:11:56.74ID:ax4lKcLn
>>734
京都から赤い空と噴煙が観測されたが、
大したこたとなかったとする実例ソースは?
そもそも京で観測された浅間山噴火は天仁元年(1108年)と天正10
年の噴火だけだろが。
0738人間七七四年2011/12/28(水) 11:16:01.19ID:qh1/uV/f
何で大災害だ!って言ってる人は>>725に応えられなかったの?
0739人間七七四年2011/12/28(水) 11:37:32.51ID:Mmf0ptPy
>>737
前から聞いてるんだが、それなら信濃甲斐大混乱の実例ソースを早く出せよ
噴火が武田滅亡に関わる大事件なら、史料が残ってない事自体がおかしい



0740人間七七四年2011/12/28(水) 12:06:57.95ID:1fgJPa7O
武田が滅んで資料が無くなったので無理です(キリッ
0741人間七七四年2011/12/28(水) 13:16:39.93ID:DOu4gWGF
信長って武田が持ってた伊勢物語の原本を「武田の住居と一緒に燃やすのは惜しい。」とか言って武田攻めの前に穴山を通じて掠め取ったのに、結局、安土城と一緒に灰になったらしいね。
0742人間七七四年2011/12/28(水) 13:39:56.38ID:2yoCETeW
>>737
また織田厨のウソだったのか。
デタラメばっかり吐いて、
ほんとタチ悪いよな。
0743人間七七四年2011/12/28(水) 19:18:25.90ID:N3LLRzwl
これまでだがさんが武田攻めの時の噴火の被害について具体的に提示できたものは
>>716

>さらに雪ことことしきなどと書かれているのは
>京に噴火の粉塵が降ってきたということ。

と、「雪=火山灰だ!」という強引な話しか無いんですが。
0744人間七七四年2011/12/28(水) 19:24:33.18ID:bVu0rL0b
天気つき日記じゃないから
特別な大雪とかで無い限り
天候の話は書かれてないよ。
0745人間七七四年2011/12/28(水) 20:48:14.31ID:qh1/uV/f
なら京都で大雪だったんじゃね
0746人間七七四年2011/12/28(水) 22:56:09.48ID:RT6PT3X/
大体織田軍が攻めなきゃ武田が滅びることなんてなかった
噴火厨はいい加減に武田は織田に滅ぼされたことを強く認識するべき
0747人間七七四年2011/12/29(木) 00:27:59.32ID:rUwZU0bf
>>746
>>725
0748人間七七四年2011/12/29(木) 00:34:09.43ID:XhpKf5gx
勝頼が謀反や一揆で殺されたとかならともかくwwww
0749人間七七四年2011/12/29(木) 00:45:40.72ID:F+5iQ+oE
勝頼に火山弾でも当たったかのような言い方だなw
0750人間七七四年2011/12/29(木) 01:31:26.62ID:c9cIjoTd
その後の展開を知ってるだけに上杉領に逃げ込んで信長の自滅を待って欲しかったね
もし本能寺が起こると仮定するならば上杉から3000くらい兵借りて川中島経由で信濃に乱入
真田昌幸が呼応して甲斐信濃切り取ってた可能性も
0751人間七七四年2011/12/29(木) 01:54:24.64ID:51ZYrfic
勝頼が死ななきゃ本能寺も起きん
0752人間七七四年2011/12/29(木) 01:54:40.48ID:WJdcp+jP
信長に討たれるより猿の家臣となる事を望むなら、それもいいだろうな。
真田に裏切られて上杉・北条・徳川いずれかへの手土産にされる可能性もあるが…
0753人間七七四年2011/12/29(木) 02:06:48.76ID:c9cIjoTd
>>752
甲信抑えてればどうなるか分からんよ
実際には甲信も抑えた徳川が北条との同盟のお陰で背後の憂いなく西に集中できたけど
武田・上杉が堅固に同盟維持してるわけで柴田、徳川、織田、羽柴の力関係にかなり影響出るでしょ
0754人間七七四年2011/12/29(木) 03:39:30.96ID:F+5iQ+oE
朝倉に与した斎藤龍興のごとく
上杉家臣として甲信で勢力伸ばす勝頼の姿がありそうだ
0755人間七七四年2011/12/29(木) 06:06:07.56ID:c9cIjoTd
その場合もまぁ嫁の兄貴だし景勝も勝頼の再興独立認めるしか無いのでは?
0756人間七七四年2011/12/29(木) 08:12:13.70ID:3fMHFhTa
>>735
まあ法度の条文見る限り農民には容赦ないとは思えるが
例えば逃散した農民の分は村で補ってはらえとか
農民との話し合いには応じない村が崩壊するようだったら一応応じるとか
棟別銭が異常に高いとか
勝山記の民の嘆きとか
一次史料にもある農民の逃散とか身売りとか

ただそれじゃあ他の大名はどうなのってなると逃散身売りなんて探せば見つかるし
話し合いには応じないと規定しながら訴訟があったり訴訟じゃ埒があかないと勝頼に直訴したり
棟別銭が高いのも甲斐は貨幣の価値が低い可能性もあるしなんともいえん
0757人間七七四年2011/12/29(木) 08:18:41.44ID:3fMHFhTa
歴史上浅間山は噴火しても
基本火山灰は上野などに向かって
甲斐方面に向かったことなんてなかったと思うが

それに1582年は大噴火じゃないだろ
死者を出した噴火の時のような噴火堆積物は見つかっていないんじゃ
0758人間七七四年2011/12/29(木) 09:17:33.73ID:BWlJMdgZ
>>757
天正後半の武田家は上野が主戦場だから、
主力が動けないのは致命傷だろう。
0759人間七七四年2011/12/29(木) 09:50:32.55ID:F+5iQ+oE
上野に向かった武田軍って真田昌幸とか矢沢薩摩くらいじゃないの?
むしろ駿河方面の方が戦闘多かった気もするけどな
0760人間七七四年2011/12/29(木) 10:03:02.85ID:X6VUrkW4
駿河方面は信長と講話をするために積極的な行動は控えたとあるが、
実際は劣勢になったので慌てて講話しようとしたとしか思えん
0761人間七七四年2011/12/29(木) 11:10:41.98ID:3fMHFhTa
>>758
1582年に噴火した時は主力は既に信濃に移動していたんじゃ
更に言うなら火山灰で動きが封じられるような噴火でもないんだから
動けないってことはないだろ
もし交通が阻害されるようなら真田なんか実際には領国に戻れないわけだし
それほどの噴火だったなら夏になっても移動不可で北条が信濃に侵入すること出来なかったはずだし

まあ仮にそうだったなら最後に勝頼が真田じゃなく小山田選んだのは必然とも言えるか
0762人間七七四年2011/12/29(木) 12:11:03.55ID:CGmv5az3
>>753
勝頼が生きているだけでなぜ甲信を抑えられるのか
そんな事ができるんだったらそもそも武田攻めの時ああいう事になっていない
武田と上杉が同盟結んでいようが、秀吉が織田家を乗っ取るのを阻止しない限り、国力からして史実通りの展開しかありえない
0763人間七七四年2011/12/29(木) 14:43:13.09ID:BWlJMdgZ
>>761
領地で災害起きたのに帰らないで戦争し続ける領主なんて、
現在でも失脚だろ。
信豊、真田、内藤、小幡、木部、和田、安中、依田、
みんな上野衆
0764人間七七四年2011/12/29(木) 14:47:09.76ID:CgBe+nwQ
>>762
武田が再興されると仮定するなら秀吉にとってはプラスだろうね
武田的には秀吉と同盟して徳川を挟撃できる絶好のチャンスだし
0765人間七七四年2011/12/29(木) 15:30:03.26ID:HQbIH/8b
高天神城って、もう少しはやく破棄できなかったんだろうか
要害だといっても、戦略的な価値がそこまで高いとは思えんのだけど
0766人間七七四年2011/12/29(木) 15:44:06.73ID:51ZYrfic
維持にも多大な労力がかかるわ、街道を厄してるわけでも無いわ
諏訪原城を取られてるから防衛線としては機能して無いわで
純軍事的には無益なところではあるが
対織田徳川戦の唯一残った成果であり、徳川にとっては精神的楔だから
破棄するにはおしいわな
0767人間七七四年2011/12/29(木) 16:09:09.65ID:CGmv5az3
>>763
いいや。
主家が大規模な攻撃を受けてるってのに、それを見捨てて、実害もない災害のために領地に帰る方がおかしいw
0768人間七七四年2011/12/29(木) 17:10:40.27ID:exayN7x4
そもそも噴火したってだけだから実質的な被害はないだろ。
火山灰が降り積もるぐらいなら少しぐらいはその痕跡が残っているはず。
0769人間七七四年2011/12/29(木) 20:19:32.95ID:5uIi7c4O
実際に京から観測されたほどの規模の浅間山噴火は、
1108年の大噴火と武田征伐の時だけ。
1108年の時は上野国司が大被害をのちに朝廷に報告。
これは動かない事実。
0770人間七七四年2011/12/29(木) 23:19:13.04ID:xV461J94
>>767
噴火が始まるのと被害が出るのとで時差があることすら知らないような無知っぷりを
晒すのが大好きな変態なのか、お前は。
0771人間七七四年2011/12/29(木) 23:36:03.49ID:rpCWBdHW
噴火の直接的被害よりも精神的打撃のほうがデカそうだけどなぁ
ただでさえ落ちぶれ出してた武田が攻撃受けてる時に何キロにも昇る噴煙眺めてたら
「もう勝頼終わりじゃね?」って気分になるでしょ
現代でも大津波見て「菅直人はやっぱり疫病神」って思うんだし
0772人間七七四年2011/12/29(木) 23:45:16.99ID:XhpKf5gx
噴火がそんなに大きな要因なら様々な書物で取り上げられてそうなのに、声を大にしてるのは噴火厨ばかり
0773人間七七四年2011/12/30(金) 00:00:00.76ID:sf2KmjOu
そもそも浅間山噴火記録自体がごく少ない。
0774人間七七四年2011/12/30(金) 00:51:47.91ID:3zWax0Gt
>>771
そんなもんはあくまでメンタル面の後付設定だよ
噴火がなければ元気100倍で織田軍を撃退できたと言えるのか?
0775人間七七四年2011/12/30(金) 01:00:50.95ID:QF4gIMwe
>>774
噴火は滅亡の要因の一つでいいんじゃねーの?
噴火で滅亡ってのも噴火は何の影響もないってのも極端な結論だろ
0776人間七七四年2011/12/30(金) 02:06:51.76ID:uTCVrNwi
>>774
いいえ事実です。
噴火が無かった場合は、史実よりもマシな戦いになり、やはり織田に敗れるでしょう。
0777人間七七四年2011/12/30(金) 07:02:50.54ID:qcC5OVcb
まああの状況じゃ噴火があろうとなかろうとさほど変わらないだろな
0778人間七七四年2011/12/30(金) 08:16:11.55ID:TE0PdU2F
士気に関わると言うのは致命的でしょ。
浅間山噴火で東空が赤いことに、
京では武田滅亡の予兆だと考えられていたし、
平山優氏の同時代史料からみた武田勝頼の評価の中でも、
浅間山噴火は東国異変の象徴と考えられていて、
武田の家臣達は天に見放された勝頼を
支えようとはしなかったと書いているし。
0779人間七七四年2011/12/30(金) 08:28:04.78ID:aVG3Fwed
まぁそういう凶兆を吉兆に変えるような機転が利く部下を持ってなかったのがな
こんなの解釈の仕方で何んとでもなる話
0780人間七七四年2011/12/30(金) 11:46:52.48ID:ke+CWghb
武田の崩れ方は信長でさえ驚いてる。
噴火が無ければもう少し違ってたろうな。
0781人間七七四年2011/12/30(金) 11:57:59.17ID:fCuid9Ez
>780
京でも観測できるような噴火が理由なら何で信長は驚いたんだ?w
崩れて当然と思うのが普通だろww
0782人間七七四年2011/12/30(金) 12:57:18.01ID:E33jn4C3
当時は吉凶を占う軍配者が
城から立ち上る気や天候・天文が地上に与える影響
悪日や大凶日や易や暦
呪術やクジ引きおみくじの神託とか
人為を越える自然界の意思を恐れ祈祷してた時代だからね。
そりゃあ火山なんて噴火した日にゃあ
武田滅亡の天意だって驚いただろうね。
もう勝頼なんてどうでもいいやって離散するのもわかる。
0783人間七七四年2011/12/30(金) 13:14:08.08ID:KGfcy9/u
軍艦の記者も書いて無いのに?
絶好じゃね?
噴火するほど勝頼は天命にも見放された
なんでかかなかったの?
まさか知らなかったわけでもなかろうに
上杉も記していない、徳川も記していない、織田もしかり
敵の凶事は味方の吉事
宣伝しないわけが無い
0784人間七七四年2011/12/30(金) 13:25:56.84ID:8QASyYQU
もし噴火がそんなすごくて民心への影響もでかかったなら
攻めいる方も攻めいる方で不安に駆られると思うが
0785人間七七四年2011/12/30(金) 13:28:15.95ID:E33jn4C3
>>783
だから噴火という天意=武田の悪政が原因で天が怒ったに違いない
こういう図式でロクに根拠も述べられず
ただ悪政だ悪政だと記される羽目になってるじゃん。
0786人間七七四年2011/12/30(金) 14:18:57.70ID:8QASyYQU
だったら噴火という天意が示されたって書くんじゃね?
いやでも信虎追放の時も妙法寺記によるなら100年に一度の天災なのに
軍鑑には書いていないから、勝頼の時も書いていなくてもおかしくないのか?

考えてみれば、
他にも軍鑑は50年代後半の飢饉や60年代後半の飢饉のこともないし、
洪水のこともない。
それらに対する武田家の行動も書いていないし。

とはいえ軍鑑以外の織田徳川北条系にも書いていないがな。
家忠日記とか地震とかの災害事項もいろいろ記録しているのに、
この噴火のことは書いていない。
0787人間七七四年2011/12/30(金) 14:41:11.28ID:KGfcy9/u
>>785
意味が分からない、主に等号の前後の関係が
もう一回書き直してくれ
噴火という天意=武田の悪政?
噴火という天意=武田の悪性が原因で天が怒ったに違いない?

>>786
信玄上げが目的だからじゃね
0788人間七七四年2011/12/30(金) 14:41:58.93ID:KGfcy9/u
ってID:E33jn4C3はだがかよ
悪い>>787はもういいや、忘れてくれ
0789人間七七四年2011/12/30(金) 14:58:46.14ID:gbgD4A4F
書いてない書いてないと
いくら喚いても、
公家の日記から噴火の記述が消えるわけではありませんけど…
0790人間七七四年2011/12/30(金) 15:13:22.72ID:8QASyYQU
まあ噴火そのものはあったかもしれないけど、
それの物理的な影響となるとほとんどゼロに近いかと。

人間への精神的な影響にしても良く分からない程度。
仮に武田家の人間にのみ影響があったとして、もし噴火が無ければと考えても、
戦略的にはほぼ詰み状態でどうにもならない、武田の滅亡は確定的、
織田の本隊が来るまで持ちこたえられればいい程度じゃないか?
木曽穴山の寝返りが無ければの方が影響は大きいと思う。
0791人間七七四年2011/12/30(金) 17:43:10.83ID:E33jn4C3
穴山の謀反は決心は噴火の後じゃねぇか。
しかも諏訪まで出陣した勝頼は謎の軍隊崩壊を起こして
木曽討伐どころじゃなくなってしまった。
その謎が火山噴火しか考えられないじゃん。
0792人間七七四年2011/12/30(金) 18:00:21.19ID:KGfcy9/u
それしか考えられない小さな脳みそしかもって無いって自慢げに語らなくてもいいよ、だがさんw
0793人間七七四年2011/12/30(金) 19:59:26.57ID:8CAXp5v3
>>791
穴山の謀反なんて前年あたりから用意周到に調略されて交渉もしてるだろw
0794人間七七四年2011/12/30(金) 20:21:29.87ID:3zWax0Gt
穴山の謀叛なんて直接的には関係ない
強いて言うなら徳川家の駿河侵攻が捗ったくらいか

木曽に謀叛を起こされ、討伐しようとしたら既に織田軍が侵入
勝頼が諏訪に立ち往生している間にポンポン信濃衆が寝返り武田家終了
0795人間七七四年2011/12/30(金) 20:56:26.18ID:ke+CWghb
過去の火山でコレだけ盛り上がるとは。
お前ら時代を先取りしてておいらは安心だ。


大噴火対策を本格検討
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20111230ddm001040056000c.html
「平和な時代が続きすぎた。日本の火山は今後活発化する」。多くの火山学者の
共通した見方だ。小山氏は言う。「『3・11』で災害に想定外があることを
大きな犠牲を払って皆が理解した。確率が低くても規模や被害が非常に大きい
現象には備えが必要だ」
0796人間七七四年2011/12/31(土) 09:01:53.91ID:WGenGiM4
>>793
駿河方面の外交もやっていた穴山が織田と接触したのと、
実際に謀反を決意するのは、
全く違う。
0797人間七七四年2011/12/31(土) 15:33:04.17ID:y6Pp+Eo0
まあ山梨の坊主猿が病気にも係わらず遠征しちまったのが間違いじゃねえのw
簡単に息子殺すしw
まあ山梨を高速から見りゃこりゃダメだわとか解るけどな。
まあ精々信濃の佐久辺りで我慢して信長に臣従してれば保身が出来たはずなのにw
オヤジ追い出す→息子殺す→無駄な戦を何度も長野で→病気なのに無理に遠征
珍玄の実情は余りそう能力無いだろうさ 
0798人間七七四年2011/12/31(土) 16:04:42.79ID:gloeHvY/
富士山の噴火と天正の武田攻めが関係あるかはおいておいて、
2012年2月号の日経サイエンスの地震の特集記事に富士山の活動の年表が出てるぞ(P42)参考にしてみてくれ。

これだと16世紀の初期に噴火してて、次の大噴火まで200年のスパンがあるな。
富士山の噴火と南海トラフや相模トラフの関連性が見られるから、天正期に巨大地震若しくは大地震の記録が出てくれば、武田攻めの時の武田の脆さの理由が見えてくるのかも。災害が滅亡の原因とするならばだけど。

ライトな歴史好きだが、自分の専攻分野(防災・地震)絡むと楽しいな。
0799人間七七四年2011/12/31(土) 16:49:21.73ID:aEVH4OsC
>>797
遠征前からすでに病の体だとするのは甲陽軍鑑のネタ。
実際には突然の容態変更による
急死に近かったのではないかと思われる。
0800人間七七四年2011/12/31(土) 17:03:51.00ID:DN56EAjp
天運にも見放されてたんだな
0801人間七七四年2011/12/31(土) 17:44:03.41ID:aMm5tRDY
>>798
小牧長久手前後で大地震はあったらしいが、天正期とすると幅が広すぎやしないか
0802人間七七四年2011/12/31(土) 18:07:39.73ID:UYdQL6DB
>>801
地震と噴火が同時に起こるとも限らんし、だいたいプレートの歪みによるエネルギーの蓄積が放出されまで時間差もあるから、

むしろ天正期だと狭すぎて俺のできる計算じゃあ、16世紀に噴火を引き起こす地震があったんじゃないかと言えるレベルで・・・

ごめん、引っ込みます。
08032011/12/31(土) 18:20:49.09ID:PFSwDUDG
>>797
下から山梨まで走ってもダメだこりゃって思うわw
あの地形じゃな
近畿地方も走ったけど美濃〜近江までは障害無かったぞ
0804人間七七四年2011/12/31(土) 22:58:43.60ID:VckicZIK
>>794
勝頼の防御構想は、北条や毛利と比べると酷すぎた。
織田の進入経路は、木曽谷、伊那、駿河方面と3つあるのに、
伊那方面と駿河方面しか固めず手落ちもいいところ。
挙げ句に新府城とか意味不明な立地。
どうせなら諏訪湖畔に巨大陣地でも造れば組織的な防衛ができた。

結局木曽谷抜かれて、伊那谷に集めた信濃衆は降伏、上野衆は天災か何かで逃亡。
勝頼とその側近たちには根本的に防衛の軍事センスが欠落していたと思う。
0805人間七七四年2011/12/31(土) 23:38:39.83ID:VKaltv/F
>>799
でも最後の遠征、最初は夏には出兵するはずだったのが、
最終的に10月になってしまったから、何らかの体の不調でもあったんじゃないか?
0806人間七七四年2012/01/01(日) 02:12:09.89ID:oflSjFEv
1575年(長篠)〜1582年の7年間は状況に振り回されて悲惨だったな
0807人間七七四年2012/01/01(日) 04:37:15.81ID:Z4VP74Yo
>>804
駿河は一国がほぼ健在だったし、木曽路はかって織田軍を撃退したこともある要害
しかもどちらも主将は一門
新府築城以前の防御構想に手抜かりはない
どんな堅城も門番が裏切ったら無力
0808人間七七四年2012/01/01(日) 07:49:56.71ID:RemgNBFE
人望無かったんだな…
0809人間七七四年2012/01/01(日) 08:00:55.35ID:86IZD0bX
>>805
夏とは明言してなくね?
飛騨攻略と美濃調略、越中の武田派支援と
信玄が上洛戦前の準備に念を入れてたからね。
>>806
謙信が生きていた時は、
まだ余裕あった。
ホントにヤバくなったのは北条との同盟崩壊と石山本願寺が信長と和睦してから。
0810人間七七四年2012/01/01(日) 08:08:46.32ID:86IZD0bX
新府城は武田領国の中心地に位置しており、
街道が駿河や諏訪や上野、北信濃に行くのに都合がよい場所と研究家には評価が高いわけだが。
諏訪では上野戦線や北信濃戦線を放棄すると
誤ったシグナルを該当国人に与えてしまうだけだろ。
木曽谷は親類の木曽氏に任せてたんだから、
勝頼が固めないといけない理由は無い。
0811人間七七四年2012/01/01(日) 09:56:37.31ID:6PKC9PJd
信長も武田攻め前は、まさかここまで勝頼の人望がないとは思わなかったんだろうな。
0812人間七七四年2012/01/01(日) 10:40:06.25ID:QQNN8t36
>>805
>>809
武田が夏に出兵すると明言しているのは浅井朝倉側だな
事前での調整ではそうなっていたのが遅れたのか
ただの宣伝文書か

あと武田自身出兵が遅れたがとか書状で言っているので
最初の計画ではもっと早めの時期だった可能性は高い
0813人間七七四年2012/01/01(日) 11:51:43.29ID:pdHilBYi
>>811
勝長の返還をてこにした和睦を申し込んだ時点で信長に「武田弱し」と
見切られてはいたんだろうな。
0814人間七七四年2012/01/01(日) 12:12:24.34ID:6mHv87zS
>>813
勝頼も和睦を申し込むくらいなら信長に臣従誓うくらいの覚悟がないとな。
当時の織田と武田の力関係で対等の和睦なんて無理だろ。
まぁそんなことしたら臣従する前に武田があっという間に空中分解してしまうだろうけど。
0815人間七七四年2012/01/01(日) 12:23:37.81ID:jNeW+xps
>>801
内ヶ島氏が滅亡したという天正地震だっけ?

>>811
信長は勝頼が最後の決戦を挑んでくるとみていたようだけど、
実際はそれすらできなかったからなあ
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