天正10年の武田攻めを語るスレ 3
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0001人間七七四年
2011/03/29(火) 22:15:05.50ID:w+Csi68Tわずか40人とともに山中を彷徨うことになった、日本史上でも
稀に見る裏切り劇について語ろう。
【初代スレ】
天正10年の武田攻めを語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192166319/
【前スレ】
天正10年の武田攻めを語るスレ 2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1296903576/
0363人間七七四年
2011/07/13(水) 02:10:47.01ID:o/Ky8ufYさらに不落の小田原城もある。
0364人間七七四年
2011/07/13(水) 05:54:29.40ID:a5bAqSek0365人間七七四年
2011/07/13(水) 08:08:08.07ID:IG1UyMBo0366人間七七四年
2011/07/13(水) 10:20:43.27ID:0O0poNdy何が問題って駿河任せてる穴山が対応できてないのが問題
まぁこの頃には内通してたんだろうけど
0367人間七七四年
2011/07/13(水) 14:41:00.80ID:j9dFBeQTこの時点で穴山や信廉、信豊を粛清しようとしたら、武田はその時点で滅ぶ。
0368人間七七四年
2011/07/13(水) 22:21:11.35ID:9v16sCz70369人間七七四年
2011/07/13(水) 23:47:59.13ID:fbH1JwhE義信付きの老将飯富兵部みたいなのはいなかったっけ
0370人間七七四年
2011/07/14(木) 00:42:29.33ID:jUvRTa46勝頼には高遠時代に付属された家臣(安部勝宝、小原兄弟、秋山紀伊守など)がおり、彼らは
やはり勝頼との結びつきも堅固だったようで、最期まで行動を共にしているな。有力な家臣で
勝頼期というと、竜朱印の奏者を多く務める跡部勝資あたりが目立つかな。
その勝資にしても、動向をみると信玄子飼いという感が強いが。
0371人間七七四年
2011/07/14(木) 02:34:06.37ID:xCHdUFfu甲陽軍艦でディスられてるけど跡部は諏訪で戦死してるんだから
勝頼に殉じた数少ない武将の一人だろうね
0372人間七七四年
2011/07/14(木) 07:16:00.79ID:R+j7jN03高坂家と仲良くなかったとか?
0373人間七七四年
2011/07/14(木) 07:18:34.02ID:q+3tGkXG信玄と重臣を持ち上げて、勝頼とその取り巻きが駄目だったから武田が滅んだ、
ってことにしたかったんじゃね?
徳川家内旧武田家臣団としては。
0374人間七七四年
2011/07/14(木) 08:19:19.46ID:AY04tHcg0375人間七七四年
2011/07/14(木) 09:05:15.91ID:JAXQcT3h北条氏政もそうだがこの世代はディスられ過ぎだな
0376人間七七四年
2011/07/14(木) 10:13:58.45ID:OElQQwxw武田家の歴史は内訌とクーデターの歴史であり、そんな甘くは無い。
0378人間七七四年
2011/07/14(木) 14:28:55.79ID:tgfd7aQ7土屋や真田、石田小山田、仁科の家は、あり得ないレベルの出世をしたり、それなりの地位を得て、
穴山、郡内小山田、木曽の家は、揃って散ってるあたりだと思う。
0379人間七七四年
2011/07/14(木) 14:52:16.37ID:JAXQcT3h穴山に至っては死んで誰も惜しんでないというのがw
穴山に期待されたポジションは依田さんがこなしてくれたし
0380人間七七四年
2011/07/14(木) 18:52:26.15ID:Iq8dKrLL森長可に連れ去られたまま戻って来なかったら良かったのに
0381人間七七四年
2011/07/14(木) 18:54:34.50ID:R+j7jN03あの鬼武蔵が生かしておいてもいいかwと思った程度の器量だったと考えるんだ
0382人間七七四年
2011/07/14(木) 22:09:44.01ID:qp5V+sAU0383人間七七四年
2011/07/14(木) 22:19:07.61ID:mk2Cs48A0384人間七七四年
2011/07/15(金) 18:51:07.56ID:LPjdVdsu0385人間七七四年
2011/07/15(金) 19:08:13.65ID:1bj43Qxe0386人間七七四年
2011/07/15(金) 20:03:14.22ID:hsy2b/if0387人間七七四年
2011/07/17(日) 09:38:02.79ID:HGpbVFa10388人間七七四年
2011/07/18(月) 16:31:21.52ID:fY4EupWa謙信死後に信長の甥にあたる武田信勝に家督譲ったり人質の勝長を返還したりしたけどもう相手にされなかったんだよね。
0389人間七七四年
2011/07/19(火) 00:35:21.61ID:+/jnzoKt0390人間七七四年
2011/07/19(火) 00:41:03.03ID:Jor12QjH信玄は群雄割拠の時代で砥石崩れとか上田原の敗戦後でもまだ建直しの余裕があったけどさ
勝頼はなんかいかにもジリ貧って感じだったもんな
信玄でも苦戦した謙信相手に戦っても勝ち目はないと思ったのかな
0391人間七七四年
2011/07/19(火) 06:22:11.43ID:Kitl4s6w0392人間七七四年
2011/07/19(火) 10:10:03.70ID:BDkj7K/N0393人間七七四年
2011/07/19(火) 11:14:20.97ID:Y5fGett0その頃が戦歴の始まりの勝頼もどうにかなると思ったんだろう。
逆に言えばぐるりと強国に囲まれた武田家は信玄も同様に
危ない橋をわたらなければ勢力拡大できない地勢だったと言えると。
0394人間七七四年
2011/07/19(火) 11:26:39.75ID:uu/yVUguあの時点で織田と組んだ場合北条も織田に接近すると思うけど
奥信濃と西上野で上杉と激突するだけじゃね?
0395人間七七四年
2011/07/19(火) 12:31:36.64ID:BDkj7K/N0396人間七七四年
2011/07/19(火) 20:12:33.53ID:+F9FfPXf0397人間七七四年
2011/07/19(火) 20:18:08.35ID:lpy7PH5t0398人間七七四年
2011/07/19(火) 20:38:06.64ID:UJtCa8UI義信の場合、粛正に走りかねない。
0399人間七七四年
2011/07/19(火) 22:38:35.32ID:+mc55GvE実際はどうだかよくわからんみたいだけど
0400人間七七四年
2011/07/20(水) 00:55:32.37ID:YKsGnYOeあくまでも北進して上杉と戦うか、斉藤氏末期の美濃へ向かうか
まあ信濃や信玄恩顧の武将の反乱とかでそれどころじゃなくなる可能性大だが
あの時点は信玄をして危険をはらんだ南進をするしかないくらい手詰まりだったのでは
0401人間七七四年
2011/07/20(水) 01:01:05.27ID:j4BmgzJW飛騨を攻略したあと美濃に攻め入るかもしくは越中に進出して一向宗を傘下に収め上杉を挟撃するか
0402人間七七四年
2011/07/20(水) 02:45:14.18ID:FqLWYjly実際駿河を得たけど貴重な時間を失ったわけだし
ただ美濃に直接攻め入るのは兵站面で無理がありそうだが
0403人間七七四年
2011/07/20(水) 03:01:45.96ID:YKsGnYOe飛騨なんて獲っても得られる物が少ないだろうし
今川の機嫌損ねるのを覚悟で三河攻めとか駄目だったのかな
駿河侵攻で今川・北条とガチバトルよりはマシな気がするが
0404人間七七四年
2011/07/20(水) 03:09:24.85ID:FqLWYjlyなんか今川攻めて北条とも戦って上野にも手を出した頃って西進する気配なかったのにさ
なんで包囲網に参加したんだろうね
0405人間七七四年
2011/07/20(水) 18:47:58.18ID:51t/AYPn0406人間七七四年
2011/07/22(金) 21:02:44.33ID:FvudLsGd0407人間七七四年
2011/07/22(金) 21:44:06.08ID:dA8Nkcq00408人間七七四年
2011/07/22(金) 22:06:20.35ID:AzZEOSld信玄時代のワンセットで最後まで戦った感じだし
0409人間七七四年
2011/07/22(金) 22:11:23.01ID:1ww5tTzH信玄政策の踏襲などせずに織田徳川と戦わなければよかった。
0410人間七七四年
2011/07/23(土) 00:52:56.98ID:ESYL9fsW0411人間七七四年
2011/07/23(土) 07:08:44.45ID:KYY8iHIG残さなかっただろうから、んなこたぁ無理ですな
ムリムリカタツムリですな
0412人間七七四年
2011/07/23(土) 07:41:24.55ID:tGAp+9Lqいや、穴山とかの分家筋はみんな甲斐源氏だろ。
江戸時代まで穴山が残ったら、武田に改姓してたんじゃないかね。
0413人間七七四年
2011/07/23(土) 08:23:43.08ID:xNzwgoHW0414人間七七四年
2011/07/23(土) 11:15:52.58ID:s4WCNXzv上田原で板垣、甘利がラッキーにも戦死してくれて後は婚姻で懐柔していっただけの話で
勝頼時代になってその矛盾が噴出しただけとも言える
勝ってる内はなり潜めてたみたいだけどさ
0415人間七七四年
2011/07/23(土) 14:20:47.73ID:POIsctBM個人としては優しい人だったんだろうなあとは思う。
戦も父親の信玄や信長よりも上手かったとは思うけど、いかせん戦略面
というか外交面がダメダメだからなあ。
信長は戦上手ではないが戦略面でそれをカバーしてあそこまで行った。
よく言われる戦術<<戦略を見事に体現した2人だよね。
0417人間七七四年
2011/07/24(日) 00:12:42.47ID:tH1uHJPJ0418人間七七四年
2011/07/24(日) 00:33:18.86ID:tw3uP27z0419人間七七四年
2011/07/26(火) 01:24:35.45ID:FJDJ9e7zそれでも織田軍が侵攻してきたら、甲斐、信濃の守護は武田であり、侵略の不当性を信長に訴えるべき。
0420人間七七四年
2011/07/26(火) 03:20:41.08ID:XcldNZOU0421人間七七四年
2011/07/26(火) 05:30:12.10ID:OKLGF3ej攫ってった幼児を人質にしてる奴が大義名分とか、テラワロス
あと、勝頼の代でも守護職貰えてるの?
朝廷優先の信長論理だと、国司の方が守護より優先な気もするな。
0422人間七七四年
2011/07/26(火) 21:14:29.14ID:WJM5bmgn官位すら大膳大夫を自称したもものの正式な官途を得られず
死ぬまで無位無冠の悲哀を味わった
ぶっちゃけそうなったの信玄のせいだけだけどね
0423人間七七四年
2011/07/28(木) 14:25:54.62ID:gwA7MSHd0424人間七七四年
2011/07/28(木) 16:48:03.49ID:82JMGhTC尾張と美濃の平野を抱えた織田とは、最初から質が違いすぎる。
0425人間七七四年
2011/07/28(木) 18:35:07.89ID:dDVDtQon飽きた
0426人間七七四年
2011/07/28(木) 18:40:05.43ID:Vu8k2daG0427人間七七四年
2011/07/28(木) 19:17:02.58ID:f0PIPDu+0428人間七七四年
2011/07/28(木) 19:51:11.03ID:B+HN1HcXしかし、徳川があっという間に整備したものがなんで北条にはできなかったのかね?
戦闘で手一杯だったから?
0429人間七七四年
2011/07/30(土) 07:36:30.99ID:yPcMWF9sそんな事はあるまい。
幕末近くにすら「池袋村の女」という怪異話しがある。
近代以前の東京なんて池袋すらポツンとした村であるほどで、
関東はそこまで発展してない。
0430人間七七四年
2011/07/30(土) 17:54:33.21ID:URfXFBFu0431人間七七四年
2011/07/30(土) 23:02:46.23ID:uG9ey9470432人間七七四年
2011/07/30(土) 23:33:11.61ID:xtXmFaCF0433人間七七四年
2011/07/30(土) 23:49:32.94ID:Qpow4bVy0434人間七七四年
2011/07/31(日) 19:12:06.55ID:C4NxGSKw0436人間七七四年
2011/08/01(月) 06:03:22.56ID:5qnrkJRK京都で
武田幕府ひらく
気がする
関東は、北条と同盟を結び直しそうだな
0437人間七七四年
2011/08/01(月) 09:37:12.09ID:C9ZEo/Fr大義名分が無くなって織田が武田に変るだけ
0438人間七七四年
2011/08/03(水) 23:04:47.09ID:glUvX7Ix0439人間七七四年
2011/08/05(金) 03:37:14.06ID:mhKdRfLi0440人間七七四年
2011/08/05(金) 04:25:11.28ID:GeF+SGuj0441人間七七四年
2011/08/05(金) 10:31:54.86ID:qg7LE4j+ただし大部隊を率いるのには不向きなのは事実で
関ヶ原の秀忠隊も難儀している。
0442人間七七四年
2011/08/05(金) 12:21:00.46ID:ilF6b1IS0443人間七七四年
2011/08/05(金) 14:35:54.26ID:3MrNJjtZ大軍での侵攻に失敗、カウンターが正しい。
0444人間七七四年
2011/08/05(金) 19:47:33.05ID:hEoylKUpなんかいまだに駿河攻めが武田主導で始まったと思っているようだが
実際は今川が上杉と組んで武田を包囲する戦略を進めていたのであって、
最後通牒ともいうべき三河共同出兵(家康倒すの協力するから、三河半分を武田に、という話)
も拒否されて塩止めも起こり、今川上杉の同盟と武田包囲戦略が固まってきた1568年末の段階では
もう武田には先制攻撃で今川を撃たなければ、逆に武田が撃たれる状況でしかなかった
それから北条は当時上杉と関東諸侯連合相手の戦いを有利に進めており、
関東方面では詰めの段階にまで入っていたから
武田としても北条が介入してこれない、もしくは事情を話せばわかってくれるかもしれない、という
観測があったようだ
ここら辺の事情は北条側でも「氏真が武田に攻められたのは上杉に通じたせいかも。仕方ない事だね。」と言ってる書状がある事や
武田が深沢書状で「そもそもなんで俺らが戦ってるわけ?これまで武田と北条は上杉相手に各地で一緒に戦ってきたでしょ?
もともと今回の戦いは氏真が上杉に通じて武田を撃とうとしたのが原因でしょ?こっちは随分と今川に兵を出すのを我慢してたんだよ!」
って述べている事から裏付けられる
んで結局北条氏康が有利に進めていた関東戦線の権益を上杉に丸ごと渡して
対武田戦争に入った事はかなり意外な事だったはず
0445人間七七四年
2011/08/05(金) 19:50:27.29ID:hEoylKUpそりゃ入り口の木曽が敵になってたからだろ
出口入り口が味方になってれば十分可能
現に織田勢は木曽を手引きとしてそこから入ってきてる
武田も信玄死後の東美濃攻防では
信玄時代に美濃方面の入り口である岩村を押さえてあったから
特に難儀しないで東美濃まで入っている
0447人間七七四年
2011/08/05(金) 20:24:36.02ID:jRf8QDY9守護は家じゃなくてあくまで個人に与えられるものだから、自動的には継承されないよ。
義昭に連絡が付けば継承させてもらえただろうけど、なんせはるか広島の鞆にいるからなー。
0449人間七七四年
2011/08/05(金) 21:00:15.17ID:qg7LE4j+>>442
だから進路に選んだんでしょ。
当初の作戦では美濃を制した井伊が合流する手はずになっていて
出口の安全も確保出来てる予定だった。
難儀したって言うのは遅参で秀忠は強行軍したけど、増水で軍が動かなくなって
結局わずかな供回りだけで家康の元に出向いたってこと。
0450人間七七四年
2011/08/05(金) 21:17:20.64ID:qg7LE4j+先鋒の今福が木曽で破れてその報告で、
すでに織田の先鋒が木曽に入って固めてることを知ってあきらめただけ。
信玄時代にも一度は運よく侵攻を防いでるし、
長久手のときは上田以上の戦力差で徳川の別働隊を破ってたりと
木曽は要害であり大軍にとっては難地。
0451人間七七四年
2011/08/05(金) 22:45:28.08ID:3MrNJjtZ0452人間七七四年
2011/08/05(金) 23:48:51.69ID:qg7LE4j+そこから交戦不可になる理由である穴山の寝返りがいかに重大事だったかと言うことです。
0453人間七七四年
2011/08/06(土) 02:53:19.87ID:OwBkbJ7Y信豊や信廉は裏切ったとまでは言えないけど城捨てて逃げてるからなぁ
0455人間七七四年
2011/08/07(日) 14:26:49.60ID:CYkcva1j0456人間七七四年
2011/08/07(日) 14:27:14.06ID:TIQkhTmT0457人間七七四年
2011/08/08(月) 21:18:32.63ID:2eDloEAU0458人間七七四年
2011/08/09(火) 09:55:01.31ID:vOkJkxTe0459人間七七四年
2011/08/09(火) 10:19:01.57ID:kHjxqCQx上杉滅亡しなくて良かったね
0460人間七七四年
2011/08/09(火) 14:49:37.89ID:9J6a9PpZほとんどが自害してる。なかには空腹で動けないところを討ち死にした人まで。
0461人間七七四年
2011/08/09(火) 16:36:03.87ID:jVmKAWxF0462人間七七四年
2011/08/09(火) 19:21:17.71ID:HqPsJ+PW■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています