家康の実子に対する態度は「厳しい」というより、
むしろ「冷たい」という方がしっくりくるね
家康の息子に対する冷遇といえば秀康や忠輝が有名だが、
晩年に生まれた御三家の当主たちも実際はさして変わらない
将軍家を支える藩屏としての役割を期待し
さしたる功績もないのに外様大名から
恨みを買うくらいの大封を与える一方、
彼らに対する率直な愛情を伝える逸話や
書状といったものが極端に少ない
まあ信康のように権力争いの末に
殺されないだけマシだったとも言えるかも知れないけど