【徳川家総合】 徳川家康 公スレ その12
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001家臣団の話題も可です
2011/02/18(金) 09:46:30ID:HlJow5mC重荷を負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし
人はただ 身の程を知れ 草の葉の
露も重きは 落つるものかな
※下賎の者(百姓)は過疎時のみ構って当て馬にしましょう!
0713人間七七四年
2011/04/28(木) 22:30:11.38ID:de2y5SRM新・徳川家康のドラマを作るべきだと思うんだ
0714人間七七四年
2011/04/28(木) 22:40:42.22ID:0hhdzAK4その後は肩身の狭い人質生活
こういう境遇で育った奴がアットホームなパパになるのは戦国時代といえど厳しいものがあるだろう
0715人間七七四年
2011/04/28(木) 22:51:01.56ID:wFQAv3j3>>711 も素晴しい組織構築と思うが、前例はいくらでもあるのだろうか?
0716人間七七四年
2011/04/28(木) 23:35:27.96ID:rrX6crUI>>712
家康の場合、それでも親族へ宛てた書状が残っているので、ある程度はそこらへんの感情を察することが出来るんじゃないか?
0717人間七七四年
2011/04/28(木) 23:44:38.83ID:lFowg+LS祖父は、他の男の嫁を寝取る
生みの母親は離婚させられ、生き別れ
祖父も父も親も部下に殺される
義母の父親(「義理の祖父)により、尾張に
売り飛ばされる。
実家の権勢を盾に、上から目線の2歳上の
妻を娶る。
0718人間七七四年
2011/04/29(金) 01:58:11.13ID:Ik1jdwBq秀忠を種付けしたのかな?
それとも偶々か
0719人間七七四年
2011/04/29(金) 11:51:38.27ID:/WVkbDZX関東周辺に10万石くらいの不穏な国が無きゃ
長続きできない気がするのだが、、、
0720人間七七四年
2011/04/29(金) 12:16:13.22ID:NRVl1g+dそうなんだよ「厳しい」ではなく「冷たい」という印象。
次男の結城秀康とか忠輝のエピソードを知るとこの人って根っこの所は冷たいだろうなあと思った。
0721人間七七四年
2011/04/29(金) 12:51:43.98ID:lF2TLPNu0722人間七七四年
2011/04/29(金) 13:10:49.57ID:js9okayu0723人間七七四年
2011/04/29(金) 16:54:10.87ID:py/YOt5G0724人間七七四年
2011/04/29(金) 18:18:54.15ID:1ItE25mC長男 信康 家康が粛清 教育を間違えた俺が悪かった。神君大反省の長男
次男 秀康 俺の子じゃない? 好きじゃない子1号
三男 秀忠 愛妾西郷ちゃんの子 お気に入り1号、俺の跡継ぎ!
四男 忠吉 愛妾西郷ちゃんの子 お気に入り2号(先立つなよ))
五男 信吉 於都摩ちゃんの子 お気に入り3号(先立つなよ))
六男 忠輝 茶阿の子 好きじゃない子2号
七男 松千代 茶阿の子 6歳で死んだ。可愛がったんじゃない?
八男 千千代 お亀ちゃんの子 6歳で死んだ。可愛がったんじゃない?
九男 義直 お亀ちゃんの子 お気に入り4号(忠吉の領土上げるよ)
十男 頼宜 お万ちゃんの子 お気に入り5号(信康にしてやれなかったじきじきの教育してあげる)
十一男 頼房 お万ちゃんの子 お気に入り6号(信吉の生まれ変わりだ、水戸をあげる)
どう見ても、冷たい父親って感じがしないのだが?
信康の件は、俺が悪かったって後悔してるし、秀康は実子疑惑があるし、忠輝は行状が問題ありすぎだろう。
0725人間七七四年
2011/04/29(金) 19:17:34.49ID:f4trRrdV領土を沢山挙げた、っつうだけなら秀康や忠輝も功績以上のものを貰ってるんだけど
つーか君にとって父親の愛情とは物質的恩恵オンリーなのかな
0726人間七七四年
2011/04/29(金) 19:35:57.39ID:B3VhSyy9そうじゃなかったのか
0727人間七七四年
2011/04/29(金) 19:51:13.70ID:1ItE25mCまず、秀忠と忠吉は実の兄弟で、お母さんは家康が最も愛した女性ですよ。
秀忠は、跡継ぎなんで厳しく教育したでしょうが、愛情がなきゃ、駿府城での侍女デリヘルなんかしないでしょう。
忠吉の奥さんは、自分の一番の腹心井伊直政の娘、どう見ても身内人事でしょうが、政略的結婚の意味がない。
信吉にしても、愛情がなきゃ、武田再興のために、わざわざ名跡を継がせないでしょう。
もし武田再興だけが目的なら忠輝に継がせても良かったわけで、それをしなかったのは忠輝に愛情がなかった証拠では?
義直が生まれたときに、徳川の礎になってくれて期待を込めて五郎太丸って名前を付けたのに愛情がないとは思えませんが
頼宜、頼房は自ら手元で育てましたが、そしてその思い出を頼宜が愛情を込めて育てられたと息子に語ってますが?
0728人間七七四年
2011/04/29(金) 20:15:31.65ID:f4trRrdVあやふやな根拠に基づく推測ばかりだね
政略的要素で身内を優遇しても、それって父親の愛情の証左にはならないと思うよ
既に述べた通り領土や官位におけるネポティズムの恩恵は、秀康や忠輝でさえ受けている
資料に基づいて自分が家康の息子に対する好き嫌いを判断するなら以下の通り
長男 信康 実父である家康が殺害、好き嫌いとかそういう次元じゃない
次男 秀康 自分の子供じゃないと疑い冷遇、この辺りの逸話は多いので割愛、明確に好きじゃない
三男 秀忠 二代将軍、厳しく叱責されることもあったが、多分お気に入り
四男 忠吉 秀忠の同母弟、『慶長日記』に忠吉を治癒した医師に褒賞を与える記事がある、明確にお気に入り
五男 信吉 特に家康との逸話はないが、『藩翰譜』に拠れば死亡時に諸大名が家康の顔色を伺いに参上してる、判断保留
六男 忠輝 容貌が醜かったため冷遇し、その後不良化、明確に好きじゃない
七男 松千代 家康の詳細な一代記である『東照宮御実紀』『東照宮御実紀附録』に記述なし、完全に無関心
八男 千千代 同上、養子に出したとは言え息子が夭折してるのにその嘆きを伝える資料が一つもないのは異常と言える
九男 義直
十男 頼宜 晩年の息子たちで、それまでの子供と違いある程度の年齢になるまで手元で養育、これが普通なんだけどね
十一男 頼房
西郷局の二人の息子と晩年の庶子を除けば明らかに父親失格レベルだと思うね
0729人間七七四年
2011/04/29(金) 20:16:40.52ID:/WVkbDZX愛情云々言い始めたら、子孫繁栄の為の経産婦ばかりじゃん。
0730人間七七四年
2011/04/29(金) 20:32:30.54ID:ri7t+M1h扱いに差がでて当たり前じゃね
0731人間七七四年
2011/04/29(金) 20:38:17.36ID:B3VhSyy9名前ないけど更にいっぱいいたと聞くけどそうなの?
0732人間七七四年
2011/04/29(金) 20:57:14.81ID:1ItE25mC七男と八男については資料に記述がないので愛情がないって言うのはどうかな?
若くして死んだ子に対する記述がないから、無関心=愛情がないっていうのは乱暴すぎると思いますよ。
母親との関係でみれば、茶阿の局の子供(忠輝)を嫌ってる家康なら七男を好きではないかもしれない。
しかし八男は、九男の義直を生んだお亀の方の子供、義直に対する家康のコメントから推測するに、
嫌っていたとは考えにくい。養子先も人質時代からの腹心、平岩親吉だし
あと信康の件は、明確に自分の子育て失敗だと反省してるから親としての愛情はあったでしょう。
秀忠、忠吉、御三家は父親合格レベル
信吉 実母死亡後、見性院(穴山の正室)に養育を依頼、この配慮を見れば父親合格レベルだと思いますよ。
秀康、忠輝は父親失格レベル
松千代は母親から類推して、失格レベルかも、しかし仙千代は母親から類推して失格レベルかは判断保留かな。
家康と息子たちの件は、私としてはこれで終わりにします。
家康と娘たちの関係はどうだったか?父親失格レベルだったのか合格レベルだったのか?
あほかw 大名の娘は、政略結婚の道具なんだよというテンプレのコメントはご勘弁を
0733人間七七四年
2011/04/29(金) 21:55:11.16ID:f4trRrdV当時は正式な婚姻関係にあった正室&側室の他に、
大名がその女性に仕える侍女と肉体関係を結ぶ例が多かったと言われてる
秀康の母親である長勝院もその例
そういう「お手付き」の女性の数となるとこれは不明だね
ただ正式に側室扱いされた女性ならちゃんと記録に残ってるはず
無類の漁色家であったとされる秀吉でさえ、『伊達世臣家譜』によれば
特別に愛情を注いだ女性は16人だったとされているわけで
>>732
家康の嫡男として大過なく戦功を積み上げてきた信康を保身のため処断しておきながら、
後になってから「自分の子育て失敗だと反省」つうのは何かおかしいと自分は思いますよ
一見謙虚に自分の過失を認めてるようでありながら、実はそうではない
松千代と仙千代に関しては「資料に記述がないのでわからない」じゃなくて
「資料に残ってないこと自体が異常」だと思ってますので
まあお互い言いたいことはあるだろうけど、こちらからはこの辺で
娘についてはよく解らないが、孫娘である千姫には素朴な愛情を持っていたらしい痕跡がある
『大坂御陣覚書』や『老人雑話』といった資料には、大坂の陣で
秀頼の助命嘆願を行う千姫に心を動かされる話が記録されている
娘に対し「(武家の娘なんだから)夫の秀頼と一緒に死んでこい」と突き放した秀忠と対照的
0734人間七七四年
2011/04/29(金) 22:57:45.45ID:B3VhSyy9武勇に富んではいただろうけど、自己が強すぎたので
「小さい頃からちゃんとしつけていなかったから、親の言うことを聞かない子になってしまった…」
みたいな内容を言っていたような
信康は小さい頃は虚弱だったから、無事成長すればそれでいい、と思ってちょっと甘やかしてしまったらしいよ
0735人間七七四年
2011/04/30(土) 00:25:24.28ID:fLq5qIEA信康は家康にしてみれば初めての我が子。
一人っ子で早くから父母と引き離された家族縁の薄い彼からしてみれば
本当に無事育ってくれればと願ってただろうにね。。。。。
0736人間七七四年
2011/04/30(土) 11:12:05.27ID:8xddMQwR0737人間七七四年
2011/04/30(土) 11:24:59.86ID:+yhe2C95決して望んで殺したわけではないと思う
口うるさい酒井忠次へのあてつけのために言ってるだけ…ってこともないよね
0738人間七七四年
2011/04/30(土) 12:16:14.21ID:nLP3uy7t晩年の家康が信康の死を悼んだからといって、若い頃の家康の決断選択がどうこうとは言えない
0739人間七七四年
2011/04/30(土) 13:33:18.05ID:fLq5qIEA0740人間七七四年
2011/04/30(土) 15:12:24.75ID:vXHk5IPu0741人間七七四年
2011/04/30(土) 21:30:32.20ID:AdA6Giy6自分は、福島正則の部下達についての逸話が好きだなー
歴戦の武士として有名な部下達を家康の小姓が見たとき
それぞれが戦の激しさに目や腕を欠損したりと、障害が酷くて
あれでは禄に戦えまい、と影で小姓が笑っていたら
「笑うな! あの者たちは勇者だ あれを見てお前たちにはそれが分からんのか!」
と叱責した話が家康らしくて好き
0742人間七七四年
2011/04/30(土) 21:51:07.41ID:fLq5qIEA人質生活が長かったから自分を押し込める術でコントロールしてたんだろうけど。
0743人間七七四年
2011/04/30(土) 21:58:41.30ID:Q/0Ta5XC0744人間七七四年
2011/05/01(日) 01:49:21.69ID:S48UF4G20745人間七七四年
2011/05/01(日) 02:44:12.27ID:dKIcplzSその千姫ネタがあったから
加熱具大河でのやりとりにすげー違和感があった
まるで家康のせいで千姫が秀頼とまとめて殺されるような書かれ方だったから
0746人間七七四年
2011/05/01(日) 03:14:19.42ID:dKIcplzS信玄・義信親子と同じと思えばべつに徳川にかぎった騒動ではないと思うけどね
あそこだって実質殺しちゃってるし
他の武家ではどこかあるのかな、よく知らないんで
>>742
家康は短気というのは決定事項
短気と我慢は両立できるし
>>744
2カンベエって何か分からんけど鳥居元忠は戦の怪我で足が悪くてちゃんと座れなかったけど
それを家康は功臣の証として自分の前で足を投げ出してもいいと許したという泣ける逸話も
・・・が、確認のため情報源を探そうとしたら見つからなかったwww
別の主従の話と勘違いしてるのかな俺・・・
0747人間七七四年
2011/05/01(日) 14:32:23.94ID:KGeeRxkF0748人間七七四年
2011/05/01(日) 18:21:28.61ID:zaJSUqbjハンベエは病弱?
0749人間七七四年
2011/05/01(日) 19:31:43.42ID:XiGikRxu勇気秀康かだれか梅毒で鼻もげてるとか、山岡壮八の小説にあったな
名前が残るような武将は指揮官で、前線で獲物振り回す機会もそうないんじゃないか
0750人間七七四年
2011/05/01(日) 19:39:00.26ID:zaJSUqbjwiki見たら、本当に不随だったのか分からないって文もあったけど、実際どうだったんだろう
結城秀康は、絆創膏みたいなの鼻に当てたら、家康に怒られたんだっけ
そんなの一々隠すんじゃねえ って
0751人間七七四年
2011/05/01(日) 20:20:45.66ID:Kq4F5Kdc鳥居元忠であってる
確か諏訪原城の戦いの時、乗馬偵察してて鉄砲で腰の辺り撃たれてから >歩行不自由
京都の血天井で、元忠の場所と説明されるものも、片足投げ出してる
程度はどうあれ、戦傷てのは戦わせた者が誉れとしてやらんと、
傷つくことが無意味になっちまうからなぁ
若い?頃の家康は、見舞って遺言聞いたり、手ずから薬塗ってやったりと、
家臣に対してマメだなぁと思うわ
0753人間七七四年
2011/05/01(日) 22:36:19.38ID:zPbJKnv9大谷は症状をよく見るとハンセン病でなく梅毒が当てはまるという人もいるね
諏訪原城は静岡空港見に行った帰りに寄ったなあ
城の中が茶畑、場所が場所だけにwww
それと下の方から大井川鉄道のSLの汽笛が聞こえてきた
夕方でいい感じだった
0754人間七七四年
2011/05/01(日) 23:04:53.61ID:/q+sVW1Rだからおかしな話なんだよなぁ。
重臣が格闘はおかしいから、
その辺の武将が酷い戦傷を負ってまでの名誉の負傷で
たまたま重臣に成れたとかしか無い気がする、、、
0755人間七七四年
2011/05/01(日) 23:10:20.25ID:mUjgM7Cq通信機もなく、声の届く範囲で戦闘する必要があるので斬り合いになって
負傷する場合はある
後、指揮官になる前に負傷したとか
0756人間七七四年
2011/05/02(月) 00:00:34.00ID:/bRBG1Kg一向一揆との戦いで銃弾受けたんじゃなかった?
0757人間七七四年
2011/05/02(月) 00:39:30.48ID:JpeAfSXr天下人に目通り出来るのは、万石陪臣クラスか。
0758人間七七四年
2011/05/03(火) 01:20:16.41ID:kAWLERVs徳川幕藩体制を磐石にしたのも天下泰平を願ったからではなく、単に徳川の世を永続させたかっただけ。
が、それが結果的に二百六十年の太平の世になったのだから、個人の欲得や野心も、世の流れに沿えば偉業となるわけだ。
つまり悪事はでっかければでっかいほど成就した暁には偉業として称えられ英雄扱いされるわけだな。
ちんけな殺人や強盗では所詮小者の犯罪者止まり。
これは織田家を簒奪した秀吉にも言えることだがさ。
0759人間七七四年
2011/05/03(火) 02:42:25.38ID:4FH+/JwL秀吉と家康はどちらが悪者か? その3
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1208595761/
0760人間七七四年
2011/05/03(火) 09:03:17.76ID:B3b/p1db大声で主張することでもないやねw
周の武王、戦国の五覇、秦の始皇帝、漢の高祖、後漢の光武帝、チンギス:ハーン、フビライ
明の朱元璋、永楽帝、清のヌルハチ、ローマのカエサル、カール大帝、ナポレオンなど
皆、私利私欲、権力欲で動いて偉業を達成したんであって、私利私欲や権力欲云々で英雄の
評価はできないぜ。
0761人間七七四年
2011/05/03(火) 09:24:23.55ID:BO4gHPeKその理屈よく聞くんだけどね。
ではキミのいう偉大な英雄、って例えば誰?
まず、権力欲に寄らないのが大前提か。
0763人間七七四年
2011/05/03(火) 14:52:56.62ID:fLep68j1織田から豊臣への移行は移譲って理屈みたけど
どっちもやってること一緒だよね
0764人間七七四年
2011/05/03(火) 16:41:04.35ID:T+13ZdEN百姓が天下人ってのがそもそも間違いw
0765人間七七四年
2011/05/04(水) 00:08:04.60ID:Kowjo90Fシバリョの作品を何となく避けて未だに一冊も読んでいないんだが
実際はどんな風に書かれているんだろう
0766人間七七四年
2011/05/04(水) 00:47:31.37ID:NIqDIeCj俺は「覇王の家」「関ヶ原」を読んで家康が好きになったけどな。
覇王は評価が分かれてるけど、俺はかなり好きで、3回は読んだ。
司馬遼太郎も家康の特徴をつかみかねてる感じで、自問自答しながら進んでいくようなところがすごくいい。
0767人間七七四年
2011/05/04(水) 01:00:51.47ID:Kowjo90Fで、家康は悪役も悪役で、それはそれで魅力的だという感想もあったけど
でもシバリョだから、単なる秀吉ageの家康sageなんてしないだろうから
そろそろ読んでみようかな とりあえずその二つを購入してみる
0768人間七七四年
2011/05/04(水) 01:30:00.34ID:sb4zy5BZ家康と彼が創始した江戸幕府については否定的言説が目立つね>司馬遼
晩年はエッセイとか読むに割と肯定的に評価してたみたいだよ
『関ヶ原』も『覇王の家』も歴史小説としては間違いなく傑作なので読んで損はない筈
0769人間七七四年
2011/05/04(水) 01:35:06.31ID:Kowjo90Fそういう経緯があるんだな 年月が経つと考え方も変わってきたんだろうか
他の作家の話になるが、星新一の「城の中の人」を読んで
なんかこの人も徳川否定派なんだろうかと感じた
表題作は秀頼主人公だからともかくとして
他の話も「幕府が出来てからおかしくなってしまった」と何の脈絡もなくこんな台詞も出てきて
所々に、幕府批判的な印象を受けて何だかもやもやしてしまった
0770人間七七四年
2011/05/04(水) 01:39:24.26ID:1blOhPJM鷹狩と薬以外趣味が無い人間だとか
0771人間七七四年
2011/05/04(水) 06:34:50.57ID:sC0lN67l0772人間七七四年
2011/05/04(水) 08:05:44.43ID:hTVj/cwP0774人間七七四年
2011/05/04(水) 11:05:04.66ID:hTVj/cwP0775人間七七四年
2011/05/04(水) 11:20:17.94ID:1blOhPJM将棋は指したんだろうか
0776人間七七四年
2011/05/04(水) 11:39:46.48ID:GbrBLP/L剣術、水練、馬術、射撃、吾妻鏡などの実学的文献研究
香道、囲碁、薬学、医学、栄養学、房中術、写経など多趣味
0777人間七七四年
2011/05/04(水) 16:00:51.71ID:X4B2dpp1どれも趣味らしい趣味じゃないな
武芸は学問は今で言えば義務教育みたいなものでどの大名でもやってる事だし
健康法は・・・まあ、趣味かな?
0779人間七七四年
2011/05/04(水) 16:54:46.49ID:FLj+/Jgk0780人間七七四年
2011/05/04(水) 17:12:12.91ID:GbrBLP/Lそんな仕事は、お抱えの医者がやる仕事で、大名がやることじゃない。
家康の恐ろしさは、法印クラスの医者しか入手できない中国渡りの本草学の本や
医学書を入手してきっちり学んだってこと。晩年は幕府お抱えの医者が、自分の仕事は
大御所様の薬箱持ちだって嘆いたくらいの腕利きの医者になっていた。
薬にしても自作しては、病気の部下に飲ませて、経過観察してるほど。栄養学にしても
木食上人や長生きした幻術家の食生活を、直接対話で聞き出して記録させているほど。
おそらく解剖学に関しては、戦国時代の人だから、死体を扱うのは日常茶飯事のはず
なので、かなりのレベルだたっと思われる。
0781人間七七四年
2011/05/04(水) 18:04:11.83ID:UHVtSGFJ0782人間七七四年
2011/05/04(水) 18:51:41.97ID:XViv1lqR奥州仙台おもてなし集団【伊達武将隊】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1303050305/l15
ってスレ行ったんだけど、合戦や家臣団の話題とか皆無で
ワケ分からん流れなんだけど、あのスレってどういうスレなの?
板違いな歴史ゲームみたいな雰囲気で会話が成立たない(′・_・`)
0783人間七七四年
2011/05/04(水) 18:54:53.12ID:XViv1lqR繁栄の花 で興味あるから、もっと詳しく!
0784人間七七四年
2011/05/04(水) 19:39:46.15ID:Kowjo90F星新一的なショートショートな話ではなく、普通に時代劇
でもやっぱり星新一テイストが滲み出る話ばかりだったので、説明が難しいわw
SFショートショートで馴染みがあるので、こういう時代劇も書くんだーと意外な印象を受けたけど
「城の中の人」は豊臣秀頼が主役で、家康が秀頼の世界の悪の象徴扱いされてて
まあそれは仕方ないよね、と思ったけど、なんかもやもやしてしまったんだ
これはもう実際読んだ方がいいと思います
0785人間七七四年
2011/05/04(水) 21:00:10.08ID:X4B2dpp1何がと言うより動機の問題だね
趣味というのは基本的に本人が楽しくてやるものだけど家康の場合は利益の為にやってる感が強い
鷹狩りだけは本気で好きだったのは間違いないけど
0786人間七七四年
2011/05/04(水) 21:13:13.17ID:GbrBLP/Lはあ?利益のためにやってる=本人が楽しくてやるものって場合もあるんだが
貴殿の価値観が普遍的なもののように語るのは如何なものか?
趣味が利益を生み出して商売化した例など、目の前で貴殿がキーボードで
文字を打ち込んでいる箱の創世記には、ごく当たり前に起きてたことだぞ。
林檎とかが典型的な例だろう。
0787人間七七四年
2011/05/04(水) 21:15:21.28ID:Kowjo90F囲碁は浅野長政と楽しんで交流深めたような雰囲気だけど
0788人間七七四年
2011/05/04(水) 21:43:43.85ID:sC0lN67l多分>>785の中にある家康のイメージを守りたいんじゃね?
家康は無趣味であるべしという
だからそんな頓珍漢なことを言ってんだろ
0789人間七七四年
2011/05/04(水) 21:55:45.81ID:1blOhPJM司馬の作った設定が歴史だと信じる奴がいるから
0790人間七七四年
2011/05/04(水) 22:00:14.37ID:Kowjo90F医学を扱うものは、穢れに触れるから普通の人からは忌み嫌われている職業であり
家康が好んで医学に触れている為に、周りの人は影で失笑していたと書いてあったんだが
戦国時代の医学ってそんな認識だったっけ?
0791人間七七四年
2011/05/04(水) 22:10:25.54ID:Ecx+lVzG文武両道で免許皆伝多数、芸事にも通じて多趣味、そして最大の敵は 司 馬 遼 太 郎
0792人間七七四年
2011/05/04(水) 22:11:19.93ID:hTVj/cwP0793人間七七四年
2011/05/04(水) 22:14:38.93ID:lxyapBZ1(そもそも和歌や連歌なんかも当時の社会では充分実用的だったけど)
0795人間七七四年
2011/05/04(水) 22:28:50.66ID:sb4zy5BZ別に大筋では同意なんだけどさ
「剣術、水練、馬術、射撃」というのは上手下手こそあれ
当時の武家がすべからく身につけておくべき基本スキルだし、
「吾妻鏡などの実学的文献研究」をしていたのは
林羅山で家康は彼の研究を耳学問で聞いていただけ、
「薬学、医学、栄養学、房中術」っつうのは
現代のように学問が高度に専門化された時代における
実証的科学とは異なり、養生を目的とした素朴な「本草学」でしょ
何か無理くり羅列してるような気がするんだよね
家康の趣味といえば香道囲碁写経の他に能楽があるね
あと、自ら研究するまでは行かなかったが、向学の志は高く、
天海羅山梵舜ら文化人に儒仏神道の講義を受けていたのも
まあ趣味と言えるかもね
0796人間七七四年
2011/05/04(水) 22:29:52.24ID:GbrBLP/L家康が自分で医学を研究し始めたのは、当時の医者のレベルがかなり低くて、
いいかげんな治療で死ぬ人間が多かったかららしい。
だから家康が医学を学び始めたとき、周りの人間が、役に立たない道楽を始めたと
陰で笑っていたのは事実かもしれない。
しかし、本場の中国から医書を取り寄せたり、漢方薬の材料を入手して薬を調合
したりするうちに、法印クラスの知識を得たのも事実。
穢れ云々で笑われていたのではないと思う。
0797人間七七四年
2011/05/04(水) 22:30:41.00ID:hTVj/cwP吾妻鏡の再構成は家康の指示だったはず
0798人間七七四年
2011/05/04(水) 22:32:35.10ID:sb4zy5BZ島津義弘が金創の術(現代で言う外科)を学んでいたと聞いたことはある
他に古河公方の重臣である豊前山城守も医術を修め、
後北条の一族を診察した記録が残っている
あと如水の父親である黒田重隆も薬売りをやってたそうな
まあちょっと考えないと出てこないくらい珍しいのは間違いない
0799人間七七四年
2011/05/04(水) 22:34:49.66ID:sb4zy5BZ家康の指示で羅山がしたのは事実
本人は当然ながら研究の内容にはノータッチ
この辺りの流れは八代国治氏の『吾妻鏡の研究』 に詳しい
まあ学問的なパトロンといった感じじゃね
0800人間七七四年
2011/05/04(水) 22:38:35.54ID:Kowjo90Fd なるほど 医学自体がまだ未熟でみなもあまり関心無い分野に
積極的になっているのが異様に見られてしまったのか
家康はある意味医療の最先端を行っていたのかね
そういや小牧長久手の逸話で、背中に出来物が出来て死にかけているのに
異国の薬を勧めた時「異国の薬なんて使うくらいなら死んだほうがマシ」とダダこねて
作左に怒られたって話があるけど
中国から医療を積極的に学ぶ家康じゃ、むしろありえない話だなこれ(異国がどこかによるけど)
0801人間七七四年
2011/05/04(水) 22:41:34.35ID:Kowjo90F割と医学に関わった大名も多いんだね 勉強になった
義弘は唐入り後だろうか 島津の戦法が酷すぎるから、治療というのに違和感があるわ イメージだけど
後北条なら、北条の歴史書にも載ってるだろうか
北条五代記を今度読んでみようと思ってるが、それも念頭に入れてみるわ
0802人間七七四年
2011/05/04(水) 22:45:20.56ID:GbrBLP/L当時の大名が学問に興味を示さなかった中、論語の説話を聴くだけでも物好き=趣味と
思われていた時代に学者の研究内容を聴くだけでも、物好きを通り越した趣味人と言ってもよいだろう。
本草学を趣味とした戦国大名って家康以外に知らないのだが、もしかすると松永久秀や宇喜多直家
が実益を兼ねて学んでいたのかな?
0803人間七七四年
2011/05/04(水) 22:50:50.57ID:Kowjo90Fあれ曲直瀬先生だった
0804人間七七四年
2011/05/04(水) 22:58:26.05ID:sb4zy5BZ『北条五代記』には豊前山城守の記載はないよ
『豊前氏古文書』という文書群に、北条氏政が
豊前に対して氏照に対する診察の礼を述べる書状が残ってたりするくらい
高い地位にある武士だったことは事実だが、少なくとも大名ではないだろうね
この時期の後北条に骨抜きにされた古河公方の家臣とか、殆ど文化人扱いっぽい
>>802
偉い学者先生による古典の講義は、例えば秀吉なんかも聞いてたり
もちろんその古典教養レベルで比較するなら、晩年まで積極的に学問を修め、
伏見版の編集を命じたりなど文化事業でも功績を残した家康には遠く及ばない
ただ「家康の特異な趣味」とまで言われれば微妙だとは思う
本草学に耽溺した戦国大名というなら家康以外には思いつかない
これは否定していないが、「薬学、医学、栄養学を身につけた」なんて書いたら
まるで異なった学問をそれぞれ別に学んだみたいじゃね?
そうじゃなくて長生きをするために色々試してみた、つうのが実際のところでは
現代の卑近な言葉で言うなら「健康オタク」というのが近いと思う
0805人間七七四年
2011/05/04(水) 23:14:20.62ID:GbrBLP/Lおお、健康オタクという言葉がありましたね。
その伝でいくと射撃マニアという言葉が家康にはぴったりかも
普通の人が持てない狭間筒を構えて城の櫓に止まっていた
鳥を撃ち落としたりしているしな。
0806人間七七四年
2011/05/04(水) 23:16:34.19ID:Kowjo90F載ってないのか 残念 載ってても良さそうなのに
それでも北条五代記は読んでみようと思います
>>805
家康は本当に何でもできるなあ…
秀忠も鉄砲の名手と言われていたというけど、やはり父親の方が凄かった
0807人間七七四年
2011/05/04(水) 23:20:17.20ID:sb4zy5BZ武士の基本スキルである武術を爺さんになってからも
好き好んでやっていたのも家康の特徴で、
ここまでくれば「趣味」と呼んでもそう可笑しくはないと思う
このスレでは評判の悪い司馬遼だが、その小説(たしか『城塞』だと思うが)の中で
「運動が健康に良い影響を及ぼすことを認識し実践した初めての日本人は家康だろう」
という意味のことを書いてた
初めては言い過ぎだろうが(根拠のない断定は司馬遼の悪癖)、けだし卓見と言うべき
0808人間七七四年
2011/05/05(木) 00:55:14.69ID:e9F8wGwJ歴史書を研究して、どう役に立つのか分からん (´・ω・`)
0809人間七七四年
2011/05/05(木) 02:07:16.81ID:IQdJ6y8T本当に好きでやってた人達は自分の流派起こしたり名作を残したりしてるけど家康はそういうの何もないし殿様の手習いの域を出てない
医学に関しても自分の健康の為にやっていただけで医学その物に興味があったとは思えないし
接待ゴルフとか血圧下げる薬を飲んでるのが趣味って言ってるのと同じレベル
0810人間七七四年
2011/05/05(木) 03:36:29.08ID:RxCz8rirその切り口で天下人の評価が下がるなら、ある意味新しいかもしれない。
0812人間七七四年
2011/05/05(木) 09:21:38.61ID:URn3FpNRまあ、>>809のように家康を落としたいだけの人に何を言っても無駄だろう。
彼の理論によると、幕府の医師(もち専門医だな)が裸足で逃げ出す知識と
技術を有する家康の医薬に関するレベルが、
「接待ゴルフとか血圧下げる薬を飲んでるのが趣味って言ってるのと同じレベル」
と決めつけるとは笑止の限りだな。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています