ザビエルが「酒は米より作り、その他に酒はなく」って手紙に書いてるので
米から作る酒、ってのが当時は一般的だったらしい

で、基本的に酒屋(蔵)で売ってる品は現在の清酒とほぼ変わらない製法で作られてた
ただ精米度合いが低かった(糠が残る)ので、味醂のような風合いだったかと
ただし当時でも超高級品だった僧坊酒(南都諸白)は現在と同じく透明度の高い清酒と考えられてる
で、庶民向け安酒として広くにごり酒(どぶろく)も作られてた

蒸留酒(泡盛とか焼酎とか)は、当時は「南蛮酒」のひとつ扱い(都でも1534に取引の記録が見られる)
焼酎(当時の呼び名は焼酒)は、ポルトガル商人が「日本では米から作る蒸留酒が飲まれている」と手紙残してるので
たぶん米焼酎のみ(ほかの焼酎は江戸時代に入ってから作られ始めた)
でも鹿児島の神社に大工が飲めなくて文句落書きしたり、けっこう庶民的飲料だったよう
というか、鹿児島では清酒作りは全く無く焼酎しか作ってなかったんだけどね……

もちろん南蛮酒にはワインや中国の薬用酒も含まれるけど、こっちは超高級品に分類されてたと思う