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戦国時代の食事5膳目

レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
0001人間七七四年2011/02/06(日) 20:40:18ID:Te+zE3dV
戦国時代の食事4膳目
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1179215482/
戦国時代の食事3膳目
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167143245/
戦国時代の食事・2
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1163347244/
戦国時代の食事
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150323475/


0818人間七七四年2012/05/25(金) 19:09:07.92ID:5emJwIXJ
>>817
江戸から犬が〜云々てのは蜀山人じゃなくて
大道寺友山重祐の落穂集だね

「我等若き頃迄は、御當代の町方に於て、犬と申すものはまれにて、見當り不レ申候。
若したまさか見當り候へは、武家町方共に下々のたべものには犬にまさりたる物は無レ之とて、
冬向になり候へば、見掛け次第に打ち殺し、賞翫仕るに付まゝの義に有之事也」

(江戸の町方に犬はほとんどいなかった。というのも、武家方町方ともに、
下々の食物としては犬にまさるものはないとされ、冬向きになると、
見つけ次第撃ち殺して食べたからである。)


蜀山人の方は一話一言補遺の中で薩摩のえのころ飯の紹介してるね
0819人間七七四年2012/05/27(日) 14:59:50.55ID:b1u70iIU
なるほどですな…。犬はまた狩猟道具として使われてたイメージもあるし。猪や豚やらを追いかけるための道具で。

だけど戦国時代なら狼になるのかな?日本狼も犬扱い?
0820人間七七四年2012/05/27(日) 15:26:04.97ID:b1u70iIU
と言うか日本狼は食用にされ過ぎて絶滅したんだろうな。
0821人間七七四年2012/05/27(日) 20:04:05.57ID:fbKspWy0
家犬も相当いただろうから、食うには困らなかっただろう
むしろ骨が信仰の対象になってたってほうがなんかそれらしい
0822人間七七四年2012/05/29(火) 20:57:34.46ID:CqNJUSZW
古事類苑データベースで飲食部が公開されてるぞー (^o^)ノ
http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/
0823人間七七四年2012/05/29(火) 22:42:26.80ID:sPZ2hmjX
>>822
こんなサイトあるのか。すごいなPDFまで付いてる。
0824人間七七四年2012/05/30(水) 00:29:07.85ID:CoSeF/pq
>>822
情報感謝
0825人間七七四年2012/06/07(木) 05:40:06.51ID:OO1uiFtl
戦国時代は寿司は安かったらしい
0826人間七七四年2012/06/11(月) 01:50:37.94ID:fvxs281x
ドラマでフナずしが出ていたが
0827人間七七四年2012/06/12(火) 18:55:41.46ID:6G+kzjuH
なんかこの当時なんかは麦飯や味噌汁なんかも贅沢品だったらしいと
聞いたんですが、本当ですか?
0828人間七七四年2012/06/12(火) 19:21:19.73ID:8TaqR9OO
そういう訳のわからん史観をどっから得てくるんだ。
極貧史観か?
0829人間七七四年2012/06/12(火) 19:28:17.66ID:Nhpkca/1
麦はともかく豆味噌は江戸時代に比べれば贅沢品だわな
0830人間七七四年2012/06/12(火) 19:31:00.94ID:04HsTHnM
味噌なんか大豆茹でて塩と麹混ぜるだけなんだしね
もちろん質のいいもの作るのには手間隙かかるが
0831人間七七四年2012/06/12(火) 19:45:03.30ID:u/5deGz4
>>827
甲斐の記録だと
1505年(冷害と干害で不作)には米一升(甲州升大体30合)70文大豆50文粟60文稗50文
1512年(大雪で交通遮断)には米80文小麦70文塩40文
1516年(駿河との戦)には米100文大麦28文大豆60文小豆70文
1519年(永正の大飢饉)には米100文大豆70文粟80文

安い(豊作)時期だと
1515年には米40文大豆20文小豆32文粟20文稗12文

麦飯は大麦(この時代でも粉にする→小麦、そのまま使う→大麦、と区別されてた)で
値段的には米の3割の値段、大豆は米の5-7割、粟5-7割、稗3-5割、小麦9割、塩5割
そして味噌は大豆と塩の加工品

…↑を踏まえて、麦飯、味噌がそれぞれ「贅沢品」かどうかは、ご自身で判断を……
0832人間七七四年2012/06/13(水) 04:06:01.88ID:jJgpy6KV
当時は舐め味噌から調味料の味噌への転換点だったのかもね
08332012/06/13(水) 22:31:21.68ID:TxMn4+bm
そばって奈良時代からあるみたいだけど、出汁がなんだったのか疑問。まさか味噌?

醤油は江戸以降として味付けや出汁は何だったんだ?カツオ出汁なんか既にあったの?
0834人間七七四年2012/06/13(水) 22:34:55.41ID:hhKXQnsW
麺にしてないから
そばがきだから
0835人間七七四年2012/06/14(木) 04:35:56.07ID:wayOQlm1
今の鰹節の製法ができたのは江戸時代中ごろだけど、
それ以前から乾燥させた鰹を珍重していて、煮汁にしたり、兵糧にしたりしていたようだ
0836人間七七四年2012/06/14(木) 10:56:20.19ID:kjKAQkZz
鰹煎汁のことか? 麺類に使われた記録はなかったと思うけど……

蕎麦に関して言えば、蕎麦切り(戦国時代成立)までは米の代用品(和名類聚抄は麦の扱い)だったので
米と同じ調理法(粥)の時代が長かったよ
そば粉が作られるようになってから(鎌倉以降)蕎麦がきや蕎麦焼き(麸の一種)に調理法が広がった

ところで、日本で一番古い麺と思われる索餅(さくべい)は、煮込みか茹でたのを醤(ひしお)や酢をつけて食べてた
たぶん昔の麺類(まぁ他には索麺くらいですが)はすべてこの食べ方だったと推察していいと思う

で、室町末(戦国時代)に「垂味噌」( 味噌一升に水三升入、もみたてふくろにてたれ申候也:料理物語)
「煮貫」(煮貫は 味噌五合、水一升五合、かつほ二ふし入せんじ、ふくろに入たれ候、汲返し汲返三返こしてよし:料理物語)
が発明され、江戸時代までは麺類といえば味噌(+鰹出汁)ベースだったよう
0837人間七七四年2012/06/14(木) 22:32:37.86ID:BQ1uAtf3
ふな寿司
0838人間七七四年2012/06/29(金) 14:21:59.69ID:b/+HKYH8
奈良時代から魚醤があったらしい
大豆醤油のような万能調味料ではなかったと思うけど
0839人間七七四年2012/06/29(金) 14:24:14.96ID:b/+HKYH8
貼るの忘れてた
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%86%A4
0840人間七七四年2012/06/29(金) 18:16:43.53ID:adgKlMms
>>838
それは現在の「液体魚醤」じゃなくて、塩辛の類だよ
(もともと醤は塩蔵した発酵物を示していた言葉)
というか中国で魚醤が廃れ味噌(穀醤)に変わったのも
調味料メインな使われ方とは違ったから、じゃないかなぁ

で、中国では固体のまま使われた穀醤だけど、日本ではちょうど戦国時代に液体化が進んだ
(金山寺味噌→溜まり醤油、味噌→たれみそ)
だから今残る東アジアの液体魚醤のルーツは日本の醤油かもしれないよ

ちなみに日本の現在で言う「魚醤」(しょっつるとか)の発祥は全部江戸期に入ってから
0841人間七七四年2012/07/13(金) 12:08:40.85ID:EYm0pjip
「安土饗応膳」近江八幡で試食会
http://www.asahi.com/food/news/TKY201206200366.html

…このメニューって、なにが元ネタなんだろ……
0842人間七七四年2012/07/13(金) 14:07:03.84ID:yeWNwHlE
ちょっと調べた所、「続群書類従」第663巻の天正10季安土御献立ってのが元ネタらしい。
国会図書館のデジタル資料で目録は見れたんだが、本編はそこに無かったので内容は分からん。
0843人間七七四年2012/07/14(土) 08:35:58.97ID:GlojIwer
『信長のシェフ』って漫画がけっこうおもしろいね
現代の料理人が戦国時代にタイムスリップするんだけど、
戦国時代になかった料理を当時の材料で工夫して作ってたりして面白い

あと読んでないけど『秀吉の接待』って本に当時の饗応メニューが載ってたりするそうで気になる
0844人間七七四年2012/07/14(土) 20:43:04.81ID:3LnB9J9W
>>891>>893
当時の食事の作法だよ。

当時は今と違って会食・宴席でもご飯をお代わりしていた。
そして招待した人間は、客にお変わりを勧める。
客の方は、最後の一杯という合図の意味で、汁かけ飯にする。

0845人間七七四年2012/07/17(火) 23:55:18.95ID:Bm1OEWTi
>>891>>893のロングパスに期待しておこう
0846人間七七四年2012/07/18(水) 00:42:29.82ID:sUB0ZF2l
宇喜多直家が丹精込めて作った手料理
0847人間七七四年2012/07/24(火) 09:37:55.84ID:xfYEMtry
直家の手料理・・・・・・・弟が兄と会うときは下着の上に鎖帷子着込んで
さらに丸薬を懐に入れてから出発したらしいが。
たしか直家って2,3年かけて交流して仲良くなった豪族を宴会に誘いこんで闇討ちにしたとか聞いたが・・・・
唐突に話変わるけどこの時代甲斐とか山のほうの人たちの主食って粟、蕎麦、キビとかになるのかな?
粟は粥や飯にして、蕎麦、キビは粉にして湯でこねて塩つけてたべるとか?
0848人間七七四年2012/07/24(火) 14:40:13.75ID:etmmQc4a
1515年豊作だった甲斐の食料価格は甲州升で一升米40文その時粟20文稗12文
市場価格からすると、ある程度ごはん主食だったと考えていいかと

ちなみに当時の粟キビ蕎麦は”粥”で食われてた(平安時代から変わらない)
戦国末江戸初頭に個人での石臼所有が広がってから”粉食”が広まったんじゃないかな
0849人間七七四年2012/07/24(火) 18:22:50.95ID:KJIvHxHB
そうか石臼が普及するのは江戸ぐらいからなんだっけ、じゃあ江戸時代の年貢率がきつい
領地の農民たちより戦国時代の農民の方がまだ米が食えたのかな?
0850人間七七四年2012/07/24(火) 22:45:20.04ID:iuGjTGDu
お酒はどんなの飲んでいたのかな
0851人間七七四年2012/07/25(水) 01:02:25.41ID:wUSKct/J
ザビエルが「酒は米より作り、その他に酒はなく」って手紙に書いてるので
米から作る酒、ってのが当時は一般的だったらしい

で、基本的に酒屋(蔵)で売ってる品は現在の清酒とほぼ変わらない製法で作られてた
ただ精米度合いが低かった(糠が残る)ので、味醂のような風合いだったかと
ただし当時でも超高級品だった僧坊酒(南都諸白)は現在と同じく透明度の高い清酒と考えられてる
で、庶民向け安酒として広くにごり酒(どぶろく)も作られてた

蒸留酒(泡盛とか焼酎とか)は、当時は「南蛮酒」のひとつ扱い(都でも1534に取引の記録が見られる)
焼酎(当時の呼び名は焼酒)は、ポルトガル商人が「日本では米から作る蒸留酒が飲まれている」と手紙残してるので
たぶん米焼酎のみ(ほかの焼酎は江戸時代に入ってから作られ始めた)
でも鹿児島の神社に大工が飲めなくて文句落書きしたり、けっこう庶民的飲料だったよう
というか、鹿児島では清酒作りは全く無く焼酎しか作ってなかったんだけどね……

もちろん南蛮酒にはワインや中国の薬用酒も含まれるけど、こっちは超高級品に分類されてたと思う
0852人間七七四年2012/08/04(土) 15:33:50.56ID:TjHfm57V
焼肉食いながら白飯うめえな・・・
0853人間七七四年2012/08/05(日) 07:48:07.31ID:yAXPKXQK
肉には麦飯にしとけ
0854人間七七四年2012/08/05(日) 09:29:01.16ID:d5SzAVwQ
麦飯のが高い現代。
稗とか粟も下手すりゃ米より高い。
現代の米を石高に換算するとどうなるんだろう
0855人間七七四年2012/08/05(日) 19:06:10.42ID:S4iwJPwG
麦飯って特有の臭いがあるので苦手。
刑務所の臭い飯ってのはこの麦飯臭からきているらしいな。
0856人間七七四年2012/08/05(日) 19:18:32.00ID:yAXPKXQK
>>855
多分麦を水につけすぎてる。麦飯たく時は麦はあまり水に浸すな。
そして保存は冷凍で。
臭くない麦飯食えるぞ
0857人間七七四年2012/08/05(日) 20:03:57.41ID:S4iwJPwG
レシピ見て炊いてるけど、臭い。
特に冷めた状態だとヤバイ。
チンで温め直すと更に激臭。
麦の含有量がやや多いのかも知れんが・・・
0858人間七七四年2012/08/05(日) 20:14:33.44ID:yAXPKXQK
>>857
それなら麦が悪いのかもしれん。押し麦使え
0859人間七七四年2012/08/05(日) 20:42:03.03ID:DsyvnHXu
>現代の米を石高に換算するとどうなるんだろう
よくわからないけど、戦国期の米一石を現在の価値に換算するといくらかという事ならここで解決すると思う

戦国時代と現在の年収を比較すると?
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1211559939/14
0860人間七七四年2012/08/06(月) 13:22:37.97ID:afPOo8cz
>>851
鹿児島名物、酒ずし用の酒は赤酒(醸造酒)だから
そうでもないんじゃない?
そもそも蒸留したらかさも減る品。
0861人間七七四年2012/08/06(月) 14:40:32.81ID:vFkDalqO
>>860
薩摩の灰持酒(地酒)は18世紀から作られはじめた(伝承)から
戦国時代には無かったと思うよ
0862人間七七四年2012/08/06(月) 22:17:19.81ID:/LwYUI78
>>857
麦飯が臭くなったこと一度も無いんだが。。
ちなみに、刑務所の臭い飯と麦飯には直接関係はない。
0863人間七七四年2012/08/06(月) 23:07:54.55ID:Q1Cwm+nO
直江兼次みたいに塩だけで飯は喰えないし
三成のように『味噌汁一杯』で一日走り回るのは無理だな
0864人間七七四年2012/08/07(火) 13:07:32.35ID:ZC8Sq+dw
>>861
へ-18世紀からなの、あんがと。

>>857
務所の臭い飯って、古米を使用してるからだと思う
昔は保存状態が悪いから、アンモニア臭いんだよ(実食経験)
0865人間七七四年2012/08/07(火) 23:42:43.32ID:cKZNeDc5
今は、団体のヒステリーがあるからかまともな飯らしい。
ホームレスになるくらいならムショに入った方がいいレベル
0866人間七七四年2012/08/08(水) 05:11:40.28ID:o0PrhNbp
>>865
カレーとか煮物とか、一度に大量に作った方が美味しい料理は
出所後に作ってみても再現できないらしい
0867人間七七四年2012/08/10(金) 00:13:11.36ID:cN3cQ4x+
刑務所の飯がくさいのは真横に仕切りも何もない便器がある横で食うからだと聞いたけど。
そういえば菜飯って当時は大根飯のことなのかな?
たしか中級くらいの武士は普段は雑炊、訓練がある日は弁当(握り飯)にする必要があるから
菜飯を炊いたとかあった気がするけど
0868人間七七四年2012/08/10(金) 09:28:11.14ID:A8NxHFdf
菜飯ったら青物刻んで混ぜた飯だろ
0869人間七七四年2012/08/10(金) 10:05:21.63ID:ZfC0qa9S
>>868
いわゆる炊き込みご飯のことだよ>菜飯
0870人間七七四年2012/08/12(日) 20:03:12.85ID:l+ACkxcU
>>866
あと味の素を大量に入れてるからなんだと
0871人間七七四年2012/08/12(日) 20:14:05.74ID:DrNBkFgP
>>83
ただの湯じゃないのな
美味しそうだ
0872人間七七四年2012/08/13(月) 17:17:10.03ID:ml0tlZR7
>>867
うーん
おあむ物語ですね
でも300石取りがそこまで貧窮だったのだろうか^^

作中でも聞き手の子供たちに今の若い連中は贅沢だっていって
子供らが婆さんまた始まったwwwって反応してるので
かなり貧乏表現盛ってるんじゃないですかね^^
0873人間七七四年2012/09/18(火) 20:00:21.00ID:1hBPrbdg
>>867
菜飯はある種ごちそうなんでない?

>>83
足利義政が好きだったとか。
片栗粉か何かでとろみをつけて一種のアン状にした
のをメシにかけて食うとか
0874人間七七四年2012/09/18(火) 20:07:59.10ID:1hBPrbdg
>>329
子孫の14代将軍も京都と江戸を往来中に各地にお菓子を食いつぶしてるな。
政治は慶喜に任せて自分は道中お菓子を食いまくり。おかげで虫歯が悪化して
死んだようなもんだ。

実は長州征伐も本当は献上されてくる西日本各地のお菓子を食いまくりが目的だ
ったんじゃないか?

0875人間七七四年2012/09/18(火) 20:46:32.25ID:ldNx0TTE
>>874
江戸時代の虫歯って大変そうだなー。治療法って抜くだけなんでしょ
0876人間七七四年2012/09/18(火) 21:14:56.54ID:1hBPrbdg
>>875
だろうな。むかしのハブラシって楊枝みたいなやつだったし。
メシ後に年寄りがお茶でブクブクってのは虫歯予防?だったんでない
0877人間七七四年2012/09/18(火) 22:50:05.08ID:89I2nKpx
田舎では数十年前まで人差し指に荒塩山盛りにして指でワシワシ磨いてたわ。
おそらく戦国時代でも同じ事をやってただろうな。一番簡便なやりかただし。
0878人間七七四年2012/09/18(火) 22:57:45.53ID:VXUT13yw
塩って研磨剤として優秀だよな
琺瑯鍋磨いたら良く落ちる上に傷つかん
0879人間七七四年2012/09/19(水) 09:18:17.39ID:LNpanG14
>>875
江戸っ子はマメに歯磨きしたって話だけどな
江戸っ子にとって"臭い""臭う"は最上級の屈辱だったらしいから
風呂や歯磨きはマメにした
歯磨き粉なんて何種類もあったからな
0880人間七七四年2012/09/19(水) 20:17:19.21ID:+LGHtbXh
一方で入れ歯(木製)の技術もあの当時は発達してたみたいで。
あれが欧州にあればルイ14世ももう少しまともな食生活できただろうに
しかし何にしても日本人は木を使った工作はうまいみたいだ、
0881人間七七四年2012/09/20(木) 19:51:18.31ID:0wvHBvOB
臭いというのにはかなり寛容とか
思ってたけどそうじゃないのか。
昔は普通にくさかったろうけどなぁ。
0882人間七七四年2012/09/20(木) 23:59:06.91ID:2MVIPJ5I
江戸時代の江戸に関して言えば一日に何度も風呂に入れたからね
それ以外の場所は風呂は集落中でもらい湯をしあうものだったらしい。

衣類に関しては綿入れは温かいけど基本洗えないので臭うと文化人類学の雑誌に乗ってた
08832012/09/21(金) 03:34:48.99ID:Z4/DvceN
歯が痛くて切腹したやつもいると聞いたな。

ところで話は変わるけど、かき氷って戦国時代では何をかけたの?シロップなんて最近でしょ?ただ氷を砕いて夏に食ってただけ?それとも何かをかけて味付けしたのかな?
0884人間七七四年2012/09/21(金) 05:05:54.64ID:vDXUc0sX
氷室の氷なら平安時代は酒にいれたりしてたそうだが
0885人間七七四年2012/09/21(金) 10:29:17.68ID:O5TwiY8z
甘葛(あまづら)
でぐぐれ
0886人間七七四年2012/09/21(金) 17:03:22.80ID:DTxbV/qG
水飴もあるでよ
0887人間七七四年2012/09/21(金) 21:01:44.69ID:SkyolPDP
カキ氷は平安時代しか記録ないんだよね。京と江戸の違いかもしれないが
江戸時代には冷水売りというのが砂糖水を売っていた
一般庶民が氷を口にできるようになったのは明治20年前後からだね
0888人間七七四年2012/09/21(金) 21:09:18.87ID:S0wErNzZ
冷蔵庫の普及はもっと遅くからと思ったが。
0889人間七七四年2012/09/21(金) 21:11:32.66ID:vZs555o2
>>887
「ひゃっこい、ひゃっこい」が売り言葉
椀に白玉団子と水を入れてお客の注文に応じて砂糖を入れる
0890人間七七四年2012/09/21(金) 21:42:44.42ID:quX1jijj
ちなみに「ひゃっこい」
は奴言葉
いまでいう不良の言葉
0891人間七七四年2012/09/22(土) 03:48:40.55ID:Yp844utD
衛生的でない冷や水もあったらしく、「年寄の冷水」の語源になったとか
0892人間七七四年2012/09/22(土) 09:27:42.30ID:PNUq5WZP
>>888
製氷機が登場したのが16年。氷を使った冷蔵庫が普及するのはずっとずっと後年です
0893人間七七四年2012/09/22(土) 12:22:15.24ID:GAOi8ec0
製氷会社から氷買ってきて
石綿つかった箱にいれて、な冷蔵庫だから
衛生的な氷は中々
0894人間七七四年2012/09/22(土) 12:25:55.72ID:2GOH9ZGx
軽トラかミゼットの氷屋のおじさんが、ノコで氷を切り売りしてたな。
0895人間七七四年2012/09/22(土) 18:54:10.17ID:h3S9/X5f
江戸時代に加賀藩が飛脚で将軍家に届けてた氷はかき氷用じゃないのかな?
0896人間七七四年2012/09/23(日) 00:10:34.86ID:QO7F+XWr
届いた頃には、カケラが少し、って状態ね。
0897人間七七四年2012/09/23(日) 08:28:51.65ID:8WI0Qp1J
それは御下げ渡しの氷な
0898人間七七四年2012/09/23(日) 21:30:51.88ID:oPp5dGg6
>>880
江戸の入れ歯は咀嚼用ではなく見た目を綺麗にするため
木工で物は噛めないよ
0899人間七七四年2012/09/23(日) 21:57:42.02ID:Wm2qN1LW
>>898
木製義歯のほうが上だったみたいですけど。
入れ歯昔話
http://www.geocities.jp/dentist_ks/irebamukasibanasi.html
歯の博物館
http://www.dent-kng.or.jp/chishiki/museum/hakubutukan/seiyougishi/seiy3.htm
0900人間七七四年2012/09/24(月) 10:38:07.60ID:p3i0xl6D
馬琴も甘いもの好きだったのか
09012012/10/09(火) 12:46:34.47ID:0/NverbF
戦国時代に蛇は食っていたのでしょうか?
0902人間七七四年2012/10/09(火) 12:53:23.79ID:9n8c3N+r
何を持って食べていたとするかによる。

一般的な食材ではないはずだけど、今ほど忌避されていたとも思えない。
昆虫食と同程度の受け入れ方だと思うけど、
身分や地域、困窮度によってまちまちじゃないだろうか。

誰かの日記で、蛇を食う話に対する感想か何か書いてれば一番いいんだが。
0903人間七七四年2012/10/09(火) 13:10:39.58ID:J9hpGWnz
あの時代だと「長虫」って書いてあるかも。
現代よりはよっぽど身近な生き物だったろうなあ。
09042012/10/09(火) 13:13:25.09ID:0/NverbF
>>902
俺もイメージ的に戦国の一般庶民レベルでは蛇を捕まえては食べてたと思うんだよ。蛇を祀り始めてからは食わなくなったとだけで。
文献とか無いのかな?秀吉や家康が蛇を食ったとか、蛇を揚げただの、刺身にしたなど…。実際に蛇は美味いって言うし。
0905人間七七四年2012/10/09(火) 14:08:08.62ID:JeDCw7lz
>>904
焚き火にくべて丸焼きにして皮を剥いて食べたけどホクホクしてたんぱくで美味しかったぞ。

日本酒に良くあうよ。
0906人間七七四年2012/10/09(火) 20:28:20.41ID:78xsHATR
蛇は火を通さないと寄生虫がヤバいけどな
09072012/10/09(火) 23:45:52.49ID:0/NverbF
>>905
小骨があるが、鶏肉みたいだって聞いた時ある。

まあ、昔の日本人は食ってたと思うんだけど、どうだか…
0908人間七七四年2012/10/09(火) 23:53:20.64ID:JeDCw7lz
>>907

鳥のササミみたいだったな。弾力があるけどな…。
09092012/10/10(水) 00:08:18.22ID:SGiHx9YW
>>908
味付けはしたの?唐揚げでもいける?
0910人間七七四年2012/10/10(水) 00:19:56.62ID:kvyif+8U
少なくとも、海蛇は食べていたろうな。
マムシ酒なんて今でもあるぐらいだから、マムシそのものも
昔は食べていた可能性は非常に高いとは思うが。
0911人間七七四年2012/10/10(水) 09:59:38.71ID:gHBAVczF
沖縄の海蛇は燻製で持ってるな。
食べ方は知らないが普通の食材だったでしょう。
うなぎやどじょうを食べるからヘビだって
普通だって聞いたことある。
今でもゲテモノ屋行くとあるんじゃないか。
20年前にはハマスタのすぐ横にもあった。
0912人間七七四年2012/10/10(水) 19:39:10.73ID:CfI90773
>>909

塩胡椒して油で素揚げすれば小骨ごと食べられるよ。
0913人間七七四年2012/10/10(水) 20:25:24.30ID:UNolMfCj
>904
神話の時代から蛇は神として祀られています。
蛇に限らず、飛鳥時代あたりからあまり動物性たんぱく質はとってなかったんじゃないかな。
0914人間七七四年2012/10/10(水) 20:34:06.93ID:gzq4PjIl
日本人の骨格が貧弱になるのは江戸時代からじゃなかったかな。
それ以前はそこそこ肉も食べてたかも。
0915人間七七四年2012/10/10(水) 20:36:14.77ID:gvrmjlsN
昔からマムシそのもの(焼いて喰う)は薬だったよ
宇治拾遺物語の魚の干物の代わりに蛇の干物を売ってた物売りの話とか
昭和まで新潟の方で干物が存在したり、蛇を特別視する必要はないと思うけど
0916人間七七四年2012/10/10(水) 22:33:45.20ID:9bJL9z9h
マムシ、現在でも酒につけてつかうよね?
使い道が判らなかったけどうちにもあった。
09172012/10/10(水) 23:53:34.63ID:SGiHx9YW
サンショウウオもじゃあ食ってたのかも知れないな。
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。