戦国時代の食事5膳目
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0001人間七七四年
2011/02/06(日) 20:40:18ID:Te+zE3dVhttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1179215482/
戦国時代の食事3膳目
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167143245/
戦国時代の食事・2
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1163347244/
戦国時代の食事
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150323475/
0775人間七七四年
2012/05/12(土) 17:20:02.92ID:jYTtZxhQ0776な
2012/05/13(日) 00:59:01.65ID:khqRokLEなるぼど、ありがとうございます。臭い川魚を生で食えるのはスゴいですね。
>>774
>>775
謙信は朝型の便所で踏ん張ってたらぶっ倒れた。これって低血圧に多いって聞いた事がある
0777人間七七四年
2012/05/13(日) 01:42:21.42ID:njOUBz2uショック死した
0778人間七七四年
2012/05/13(日) 02:20:56.59ID:N1rTIqyO高血圧かどうか、は別にしてね
痔の出血で死んだ人、ってのも聞いたこと無いな
あれって内核に溜まった血が出てくんだよね、量が多くて驚くけど……
0779人間七七四年
2012/05/14(月) 14:30:40.80ID:eGAQEP5z0780人間七七四年
2012/05/15(火) 21:22:44.61ID:RssZ0EBH0781人間七七四年
2012/05/16(水) 05:58:52.86ID:xg3SB2yM0782人間七七四年
2012/05/16(水) 13:14:32.61ID:4rtDugNu中国で宋代に川魚の刺身(たぶん鯉)がさかんに食われてたらしいが
臭みよけに専用の酒を飲んだり柑橘類の果汁であえるとかしたらしい。
こっちの戦国時代はどうしたんだろ?
0784人間七七四年
2012/05/16(水) 13:50:46.42ID:7YqHwoQr0785あ
2012/05/16(水) 20:21:39.60ID:98rIxdcq>>784
どうなんだろうね…。光秀が家康接待用の魚を腐らせた、みたいな話があるけど、この魚もやはりでは川魚?フナとかコイだったのかなやはり…。そもそも川魚を刺身で醤油に浸けたかも疑問…
0786人間七七四年
2012/05/17(木) 03:25:52.97ID:rCLkZ3cZ(当時では超高級品で”ヅケ”なんて出来ないと思う)
中国では刺身を魚鱠と呼んでて、明代の本(本草綱目)には「ニンニク生姜酢からしをつけて食べる」とある
たぶん日本でも似たようなものだったかと
で、当時琵琶湖は海扱いで、そこで取れる魚を光秀は出したんじゃないかな
「腐った魚」は鮒ずしって話もあるし
0787人間七七四年
2012/05/17(木) 21:19:38.21ID:138/PK//0788人間七七四年
2012/05/17(木) 23:34:38.19ID:BwEeLe+50789人間七七四年
2012/05/17(木) 23:37:11.31ID:Li07/W9k0791人間七七四年
2012/05/18(金) 16:16:44.52ID:Od4qicRyそれを見た氏康が嘆いたという話は有名だけど、
氏政が食べていたものは今でいう汁かけご飯なわけ?
それとも湯漬け?
汁かけご飯だったらどうしても
「いい大人がはしたない・・・」と思えてしまうけど
当時は大人、それも高貴な身分の大人が普通に食するものだったの?
0792人間七七四年
2012/05/18(金) 16:42:16.47ID:Q26yRBrlそれだけに早くから汁かけ飯の食べ方にもマナーがあり、汁は吸わずに
箸でコメだけをすくって食うものだった。
ちなみに汁は味噌汁ではなく出汁汁。
0793人間七七四年
2012/05/18(金) 17:59:27.93ID:mUChBSE3かなり昔、某国営放送で足利義輝が三好三人衆&松永久秀に
招かれた宴会の話があったが、三献の儀の後最初に出たのが
汁かけ飯で、大きな深皿に中が窪んだドーナツ状に飯を盛り、
別の深皿に二種類の汁が用意されてるというものだったな。
0794人間七七四年
2012/05/18(金) 20:08:55.63ID:bYkU+Jpv0795人間七七四年
2012/05/19(土) 00:19:39.05ID:m16y0HHw出し汁だったら今の感覚ではむしろお茶漬けに近いものじゃないの?
0796人間七七四年
2012/05/19(土) 23:39:16.44ID:+skpesgx戦国時代は?
0798人間七七四年
2012/05/20(日) 02:01:02.40ID:18K5Szmmhttp://www.jidaigeki.com/forum/sozairecipe/recipe13.html
刺身に醤油、ってのが一般的になったのは、けっこう近代になってからの模様
0799人間七七四年
2012/05/20(日) 02:05:14.45ID:JhMjMLtJ江戸時代の半ばくらいまではそれで刺身を食っていたらしい
タモリがテレビのロケで試してみて「ああ、これは刺身に合うね」って言ってた
でも戦国時代当時はそこまで日本酒も一般的ではなかったか
0800人間七七四年
2012/05/20(日) 06:47:31.58ID:GieSsTg7梅干しだろ、肉、魚は干したのが中心だったはずだ
保存技術がなかった当時で。生野菜はふつうに食っていただろ。
調味料はまだ醤(ひしおと読む。米や麦、豆などを発酵させてから塩を含ませたもの)
だったんじゃねえか。ちなみにこれからとれる汁が醤油なんだけど。
もともと、武家と公家は食事内容からして違っていただろ、ひとつに平家が源氏に負けたのは
その貴族趣味の食事にあったとされている
まだその伝統をひいていたんじゃねえかな。戦国時代だろ、だってさ。
公家の伝統食を述べると数種類の干し物、白米だった。
0801人間七七四年
2012/05/20(日) 07:30:14.14ID:GieSsTg7味噌は室町時代からあったはずで、建長元年(1249)信州の禅僧、覚信(かくしん)が金山寺味噌
の製法を持ち帰って、溜り醤油ができたらしいけれど、普及はどうだろね
一般的にはまだ味噌、醤油未分化の醤じゃないかしら。専門家がいたら
教えてもらえると思うけれど。俺も調べただけだから
0802人間七七四年
2012/05/20(日) 07:44:00.95ID:U7fMdN55その差分で想像するのがいいな。
0803人間七七四年
2012/05/20(日) 13:36:44.64ID:h5hU+fot0804人間七七四年
2012/05/20(日) 17:35:25.49ID:18K5Szmm口伝だと鎌倉時代には発明されてる(たまり醤油)
まぁ16世紀に紀州湯浅から大阪に出荷した記録は残ってたり日葡辞書に載ったり
戦国時代に商品化されたのは確実かと
http://www.yuasasyouyu.co.jp/mottsiritai1.htm
でも当時は”超高級品” 庶民はめったに口にできなかったと思われ(生産量から推察)
江戸期になって関東(下総銚子)で生産が始まり濃口醤油発明(1697)されてからが
本格的な醤油の一般化の始まりではないかと
http://www.yuasasyouyu.co.jp/mottsiritai1.htm
それに対し魚醤は、しょっつる(秋田)いしる(能登)いかなご醤油(讃岐)全部江戸期になって製造が始まってる
…日本では、伝統的に魚は乳酸発酵が普通なんだよな……
0805人間七七四年
2012/05/20(日) 18:48:20.98ID:U7fMdN55アカデミックな研究者でもやるのに
0806人間七七四年
2012/05/20(日) 18:57:46.71ID:GieSsTg7あんまうるさく言われてもさ、でもごめんね、一次資料といわれると焦るかな
出典は一次でなかったかな、ウィンペギア、ちょっと違った、ネットの百科事典で二次だろ
一次は信長公記とかと思うけど、ここに乗っけた資料の元は二次いいとこかなあ
スイマセンデシタ
>>804
ありがとう、鎌倉時代あたり、平安の食生活を調べた経緯があったの。
感謝します。
0807人間七七四年
2012/05/21(月) 03:54:40.27ID:MFrt+Zeoたとえば「水飴」
日本書紀の時代から記録に残り平安末の京では店頭で売られてたけど
お菓子(固い飴)となって広まるのは江戸時代(砂糖が庶民に広がるとともに定着してる)
じゃぁ鎌倉室町戦国時代には実際にどのように水飴が使われていたか、なんて
一次資料なんて全然ない(推察するしかない)
まぁ現在の「食」の始まりは17世紀に入ってからが多くて、それ以前の食い方なんてさっぱりなんだよな……
0808人間七七四年
2012/05/21(月) 15:13:35.96ID:Q9ohG3e9失敗した。
0809あ
2012/05/21(月) 16:17:13.28ID:aOPNrxShだけど、古代の天皇で犬は食うな、って御触れを出したような天皇も居た気がしたが…?
0810人間七七四年
2012/05/21(月) 20:59:44.59ID:26rMwx2y>食い物スレだから一次資料じゃなくソースって言うべきだったな、、、
アホか。
まったく違うじゃないかよ
0811人間七七四年
2012/05/22(火) 05:48:05.70ID:8AwQMPq6なんか微妙な違和感あるけど、明治維新まで「肉食は薬(滋養とか医療、朝鮮人参と同じ扱い)」であって”普通の食事”ではないよ
で、それを踏まえて、「日欧文化比較」(フロイス1585)には
「彼らは牛を食べず、家庭薬として見事に犬を食べる」って書かれてる
というか、「犬追い」(広場に犬を放して射る)の後、死んだ犬は料理されて皆で楽しむ
とも蔭涼軒日録に書かれてるから、武士文化の中に犬を喰う習慣は存在してた
猫肉は、幕末には店頭に並んでいた記録がある(戦国時代に忌避されたと推測はできないと思う)
0812人間七七四年
2012/05/22(火) 12:38:18.70ID:S2/RsffV後、大仏様のときに期限付きで出されているね
詔諸国曰 自今以後 制諸漁猟者 莫造檻穽 及施機槍等之類
亦四月朔以後 九月卅日以前 莫置比弥沙伎理 梁
且莫食牛馬犬猿鶏之宍 以外不在禁例 若有犯者罪之
読んでもらったらわかるけど、鹿とイノシシがなぜかぬけているよな
後農耕期間に限定しているんだよね
0813あ
2012/05/23(水) 00:59:21.93ID:4S7eBGVr獣肉ってのは薬みたいなイメージだったんですね…。熊の手とかも中国だけなのかな?昭和初期でも熊を食ってたみたいだし、戦国時代の熊肉も薬かもね。秀吉の虎みたいに。
0814あ
2012/05/23(水) 01:02:49.69ID:4S7eBGVr犬をペットとしてた天皇って誰でしたっけ?雄略とか応神?シロだったか名前のある犬。
つまり、犬は日本では初めからペット扱いでしょうか?
0815人間七七四年
2012/05/23(水) 05:00:36.73ID:3B/lSfVs熊掌(熊の手)は孟子も大好きだった珍味
でも日本では食用されず安産の御守として使われてたくらい
ツキノワグマの手は小さいので食材としてむいてなかったのよ
で、秀吉の虎肉話は、江戸時代の作り話ではないかな
虎皮の献上はあるけど、肉は当時の正式記録がないのよ
ちなみに漢方では虎骨、虎肝、虎鞭(ペニス)、虎睛(眼)、虎血、虎脂なんてあるけど
肉そのものは薬としては使わないよ
0816人間七七四年
2012/05/23(水) 08:44:41.61ID:+FQ2FbIgしっかり埋葬されているの。弥生時代になってくると出土もバラバラで食用に転化したね
「元犬」って落語あるけど、お前の言うのはこれ?
宮中でも猫はうちで、犬は外でよく飼われていたよ。
聖武天皇が新羅よりチンを二頭送られている。これが狛犬の発祥らしいけれど
名前までは知らない。「続日本紀」室内犬はこれがはじめかな?
「国々に犬飼部を置く」という文章が日本書紀にみられることから奈良時代には犬のブリーターらしき官職もあったらしいね
0817人間七七四年
2012/05/24(木) 00:11:53.45ID:IFoaR3Dl冬になるとみんな捕まえちゃうから江戸の町から野良犬が消える代わりに
家々から犬を煮る悪臭がしたと蜀山人だかの作品に残ってる
綱吉の生類憐みの令はこの悪臭が原因っていう説を唱える人までw
0818人間七七四年
2012/05/25(金) 19:09:07.92ID:5emJwIXJ江戸から犬が〜云々てのは蜀山人じゃなくて
大道寺友山重祐の落穂集だね
「我等若き頃迄は、御當代の町方に於て、犬と申すものはまれにて、見當り不レ申候。
若したまさか見當り候へは、武家町方共に下々のたべものには犬にまさりたる物は無レ之とて、
冬向になり候へば、見掛け次第に打ち殺し、賞翫仕るに付まゝの義に有之事也」
(江戸の町方に犬はほとんどいなかった。というのも、武家方町方ともに、
下々の食物としては犬にまさるものはないとされ、冬向きになると、
見つけ次第撃ち殺して食べたからである。)
蜀山人の方は一話一言補遺の中で薩摩のえのころ飯の紹介してるね
0819人間七七四年
2012/05/27(日) 14:59:50.55ID:b1u70iIUだけど戦国時代なら狼になるのかな?日本狼も犬扱い?
0820人間七七四年
2012/05/27(日) 15:26:04.97ID:b1u70iIU0821人間七七四年
2012/05/27(日) 20:04:05.57ID:fbKspWy0むしろ骨が信仰の対象になってたってほうがなんかそれらしい
0822人間七七四年
2012/05/29(火) 20:57:34.46ID:CqNJUSZWhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/
0825人間七七四年
2012/06/07(木) 05:40:06.51ID:OO1uiFtl0826人間七七四年
2012/06/11(月) 01:50:37.94ID:fvxs281x0827人間七七四年
2012/06/12(火) 18:55:41.46ID:6G+kzjuH聞いたんですが、本当ですか?
0828人間七七四年
2012/06/12(火) 19:21:19.73ID:8TaqR9OO極貧史観か?
0829人間七七四年
2012/06/12(火) 19:28:17.66ID:Nhpkca/10830人間七七四年
2012/06/12(火) 19:31:00.94ID:04HsTHnMもちろん質のいいもの作るのには手間隙かかるが
0831人間七七四年
2012/06/12(火) 19:45:03.30ID:u/5deGz4甲斐の記録だと
1505年(冷害と干害で不作)には米一升(甲州升大体30合)70文大豆50文粟60文稗50文
1512年(大雪で交通遮断)には米80文小麦70文塩40文
1516年(駿河との戦)には米100文大麦28文大豆60文小豆70文
1519年(永正の大飢饉)には米100文大豆70文粟80文
安い(豊作)時期だと
1515年には米40文大豆20文小豆32文粟20文稗12文
麦飯は大麦(この時代でも粉にする→小麦、そのまま使う→大麦、と区別されてた)で
値段的には米の3割の値段、大豆は米の5-7割、粟5-7割、稗3-5割、小麦9割、塩5割
そして味噌は大豆と塩の加工品
…↑を踏まえて、麦飯、味噌がそれぞれ「贅沢品」かどうかは、ご自身で判断を……
0832人間七七四年
2012/06/13(水) 04:06:01.88ID:jJgpy6KV0833あ
2012/06/13(水) 22:31:21.68ID:TxMn4+bm醤油は江戸以降として味付けや出汁は何だったんだ?カツオ出汁なんか既にあったの?
0834人間七七四年
2012/06/13(水) 22:34:55.41ID:hhKXQnsWそばがきだから
0835人間七七四年
2012/06/14(木) 04:35:56.07ID:wayOQlm1それ以前から乾燥させた鰹を珍重していて、煮汁にしたり、兵糧にしたりしていたようだ
0836人間七七四年
2012/06/14(木) 10:56:20.19ID:kjKAQkZz蕎麦に関して言えば、蕎麦切り(戦国時代成立)までは米の代用品(和名類聚抄は麦の扱い)だったので
米と同じ調理法(粥)の時代が長かったよ
そば粉が作られるようになってから(鎌倉以降)蕎麦がきや蕎麦焼き(麸の一種)に調理法が広がった
ところで、日本で一番古い麺と思われる索餅(さくべい)は、煮込みか茹でたのを醤(ひしお)や酢をつけて食べてた
たぶん昔の麺類(まぁ他には索麺くらいですが)はすべてこの食べ方だったと推察していいと思う
で、室町末(戦国時代)に「垂味噌」( 味噌一升に水三升入、もみたてふくろにてたれ申候也:料理物語)
「煮貫」(煮貫は 味噌五合、水一升五合、かつほ二ふし入せんじ、ふくろに入たれ候、汲返し汲返三返こしてよし:料理物語)
が発明され、江戸時代までは麺類といえば味噌(+鰹出汁)ベースだったよう
0837人間七七四年
2012/06/14(木) 22:32:37.86ID:BQ1uAtf30838人間七七四年
2012/06/29(金) 14:21:59.69ID:b/+HKYH8大豆醤油のような万能調味料ではなかったと思うけど
0839人間七七四年
2012/06/29(金) 14:24:14.96ID:b/+HKYH8ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%86%A4
0840人間七七四年
2012/06/29(金) 18:16:43.53ID:adgKlMmsそれは現在の「液体魚醤」じゃなくて、塩辛の類だよ
(もともと醤は塩蔵した発酵物を示していた言葉)
というか中国で魚醤が廃れ味噌(穀醤)に変わったのも
調味料メインな使われ方とは違ったから、じゃないかなぁ
で、中国では固体のまま使われた穀醤だけど、日本ではちょうど戦国時代に液体化が進んだ
(金山寺味噌→溜まり醤油、味噌→たれみそ)
だから今残る東アジアの液体魚醤のルーツは日本の醤油かもしれないよ
ちなみに日本の現在で言う「魚醤」(しょっつるとか)の発祥は全部江戸期に入ってから
0841人間七七四年
2012/07/13(金) 12:08:40.85ID:EYm0pjiphttp://www.asahi.com/food/news/TKY201206200366.html
…このメニューって、なにが元ネタなんだろ……
0842人間七七四年
2012/07/13(金) 14:07:03.84ID:yeWNwHlE国会図書館のデジタル資料で目録は見れたんだが、本編はそこに無かったので内容は分からん。
0843人間七七四年
2012/07/14(土) 08:35:58.97ID:GlojIwer現代の料理人が戦国時代にタイムスリップするんだけど、
戦国時代になかった料理を当時の材料で工夫して作ってたりして面白い
あと読んでないけど『秀吉の接待』って本に当時の饗応メニューが載ってたりするそうで気になる
0844人間七七四年
2012/07/14(土) 20:43:04.81ID:3LnB9J9W当時の食事の作法だよ。
当時は今と違って会食・宴席でもご飯をお代わりしていた。
そして招待した人間は、客にお変わりを勧める。
客の方は、最後の一杯という合図の意味で、汁かけ飯にする。
0846人間七七四年
2012/07/18(水) 00:42:29.82ID:sUB0ZF2l0847人間七七四年
2012/07/24(火) 09:37:55.84ID:xfYEMtryさらに丸薬を懐に入れてから出発したらしいが。
たしか直家って2,3年かけて交流して仲良くなった豪族を宴会に誘いこんで闇討ちにしたとか聞いたが・・・・
唐突に話変わるけどこの時代甲斐とか山のほうの人たちの主食って粟、蕎麦、キビとかになるのかな?
粟は粥や飯にして、蕎麦、キビは粉にして湯でこねて塩つけてたべるとか?
0848人間七七四年
2012/07/24(火) 14:40:13.75ID:etmmQc4a市場価格からすると、ある程度ごはん主食だったと考えていいかと
ちなみに当時の粟キビ蕎麦は”粥”で食われてた(平安時代から変わらない)
戦国末江戸初頭に個人での石臼所有が広がってから”粉食”が広まったんじゃないかな
0849人間七七四年
2012/07/24(火) 18:22:50.95ID:KJIvHxHB領地の農民たちより戦国時代の農民の方がまだ米が食えたのかな?
0850人間七七四年
2012/07/24(火) 22:45:20.04ID:iuGjTGDu0851人間七七四年
2012/07/25(水) 01:02:25.41ID:wUSKct/J米から作る酒、ってのが当時は一般的だったらしい
で、基本的に酒屋(蔵)で売ってる品は現在の清酒とほぼ変わらない製法で作られてた
ただ精米度合いが低かった(糠が残る)ので、味醂のような風合いだったかと
ただし当時でも超高級品だった僧坊酒(南都諸白)は現在と同じく透明度の高い清酒と考えられてる
で、庶民向け安酒として広くにごり酒(どぶろく)も作られてた
蒸留酒(泡盛とか焼酎とか)は、当時は「南蛮酒」のひとつ扱い(都でも1534に取引の記録が見られる)
焼酎(当時の呼び名は焼酒)は、ポルトガル商人が「日本では米から作る蒸留酒が飲まれている」と手紙残してるので
たぶん米焼酎のみ(ほかの焼酎は江戸時代に入ってから作られ始めた)
でも鹿児島の神社に大工が飲めなくて文句落書きしたり、けっこう庶民的飲料だったよう
というか、鹿児島では清酒作りは全く無く焼酎しか作ってなかったんだけどね……
もちろん南蛮酒にはワインや中国の薬用酒も含まれるけど、こっちは超高級品に分類されてたと思う
0852人間七七四年
2012/08/04(土) 15:33:50.56ID:TjHfm57V0853人間七七四年
2012/08/05(日) 07:48:07.31ID:yAXPKXQK0854人間七七四年
2012/08/05(日) 09:29:01.16ID:d5SzAVwQ稗とか粟も下手すりゃ米より高い。
現代の米を石高に換算するとどうなるんだろう
0855人間七七四年
2012/08/05(日) 19:06:10.42ID:S4iwJPwG刑務所の臭い飯ってのはこの麦飯臭からきているらしいな。
0856人間七七四年
2012/08/05(日) 19:18:32.00ID:yAXPKXQK多分麦を水につけすぎてる。麦飯たく時は麦はあまり水に浸すな。
そして保存は冷凍で。
臭くない麦飯食えるぞ
0857人間七七四年
2012/08/05(日) 20:03:57.41ID:S4iwJPwG特に冷めた状態だとヤバイ。
チンで温め直すと更に激臭。
麦の含有量がやや多いのかも知れんが・・・
0859人間七七四年
2012/08/05(日) 20:42:03.03ID:DsyvnHXuよくわからないけど、戦国期の米一石を現在の価値に換算するといくらかという事ならここで解決すると思う
戦国時代と現在の年収を比較すると?
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1211559939/14
0860人間七七四年
2012/08/06(月) 13:22:37.97ID:afPOo8cz鹿児島名物、酒ずし用の酒は赤酒(醸造酒)だから
そうでもないんじゃない?
そもそも蒸留したらかさも減る品。
0863人間七七四年
2012/08/06(月) 23:07:54.55ID:Q1Cwm+nO三成のように『味噌汁一杯』で一日走り回るのは無理だな
0864人間七七四年
2012/08/07(火) 13:07:32.35ID:ZC8Sq+dwへ-18世紀からなの、あんがと。
>>857
務所の臭い飯って、古米を使用してるからだと思う
昔は保存状態が悪いから、アンモニア臭いんだよ(実食経験)
0865人間七七四年
2012/08/07(火) 23:42:43.32ID:cKZNeDc5ホームレスになるくらいならムショに入った方がいいレベル
0866人間七七四年
2012/08/08(水) 05:11:40.28ID:o0PrhNbpカレーとか煮物とか、一度に大量に作った方が美味しい料理は
出所後に作ってみても再現できないらしい
0867人間七七四年
2012/08/10(金) 00:13:11.36ID:cN3cQ4x+そういえば菜飯って当時は大根飯のことなのかな?
たしか中級くらいの武士は普段は雑炊、訓練がある日は弁当(握り飯)にする必要があるから
菜飯を炊いたとかあった気がするけど
0868人間七七四年
2012/08/10(金) 09:28:11.14ID:A8NxHFdf0872人間七七四年
2012/08/13(月) 17:17:10.03ID:ml0tlZR7うーん
おあむ物語ですね
でも300石取りがそこまで貧窮だったのだろうか^^
作中でも聞き手の子供たちに今の若い連中は贅沢だっていって
子供らが婆さんまた始まったwwwって反応してるので
かなり貧乏表現盛ってるんじゃないですかね^^
0873人間七七四年
2012/09/18(火) 20:00:21.00ID:1hBPrbdg菜飯はある種ごちそうなんでない?
>>83
足利義政が好きだったとか。
片栗粉か何かでとろみをつけて一種のアン状にした
のをメシにかけて食うとか
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