戦国時代の食事5膳目
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0001人間七七四年
2011/02/06(日) 20:40:18ID:Te+zE3dVhttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1179215482/
戦国時代の食事3膳目
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167143245/
戦国時代の食事・2
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1163347244/
戦国時代の食事
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150323475/
005749
2011/07/31(日) 18:17:54.90ID:D86rNBlX俺に聞くなよ。
>>47に対して向こうのスレの趣旨を要約しただけなんだから
0058人間七七四年
2011/07/31(日) 21:08:38.27ID:/iwneKLt0059人間七七四年
2011/07/31(日) 21:50:42.23ID:D86rNBlXリアルなやつは現代人には無理だろ。
0060人間七七四年
2011/07/31(日) 21:54:55.48ID:teM+MuCM池波正太郎の描写だとすごいおいしそうに思えるから困る
>>59
そうでもない、てか、時代とどの階級の料理を再現するかによるだろうけど
0061人間七七四年
2011/07/31(日) 22:06:32.47ID:mGWieI3J子供の頃、よく食べてたよ。
ネタでなくて、ガマカエルやヘビ(まむし、シマヘビ)も食べたよ。
今でも捕まえて食べている。
そう言う俺は東海地方の新幹線の駅から車で15分のところに住んでいる。
0062人間七七四年
2011/07/31(日) 22:10:58.07ID:D86rNBlXだから、スレの流れから言って、戦国時代の庶民の食事のことだろ。
土だの、タガメだの、ゴミムシダマシの幼虫だの、俺には食えないよ。
0063人間七七四年
2011/07/31(日) 22:19:20.13ID:mGWieI3J長野だと川虫とか食べるらしい(現在でも食べられている。)
カエルは、穴の中にいるから手を突っ込んで採る。
ナイフの柄で頭をたたいて仮死状態にして、頭、手を取り皮を剥いではらわたを出す。
それを川で洗って、七輪で炭火焼き。塩や醤油で味付けすると美味。
ヘビは口から裂いて、皮とはらわたを出す。
岩の上で干して(カラスに持ってかれないよう注意)炭火焼き。
サバイバルでなく、俺の地元では普通。
高校時代は、弁当のおかずにも入っていたな。
0065人間七七四年
2011/07/31(日) 23:28:28.20ID:vdQ370jK宮城県の御弥陀羅施の池の伝承(山火事から仏をタニシが守ったから食べてはいけない)みたいに
当時タニシを普通に食用にしていたから成立する”仏教説話”が日本各地に残ってるし
戦国時代”も”普通の食材だったと考えるのが普通だと思う
…つか、動物性タンパクにこだわる前提に突っ込みたいのだけど……
必須アミノ酸のナニが植物食で取れないというの?
0066人間七七四年
2011/07/31(日) 23:40:59.30ID:D86rNBlXちゃんと読んだの?
0067人間七七四年
2011/08/01(月) 00:13:13.24ID:oZvssje+「どう考えても不足してる、タニシを取って食うくらいじゃ不足分は補えない」って書いただけなのに
ID:vdQ370jKはなぜ、必須アミノ酸とか意味分からんこと言い出すのだろう?
そもそも>>38も「植物性では絶対摂取出来ない必須アミノ酸」なんて一言たりとも言ってないが
>>47でなぜか発言したことにされてるw
006854
2011/08/01(月) 00:17:19.70ID:oZvssje+当時の食事は現代の感覚では超しょっぱい上に、
おかずはもとより、米も汁も大概冷え切っていたので美味しくはないと思うよw
0069人間七七四年
2011/08/01(月) 00:44:44.09ID:ge4dWLoc0070人間七七四年
2011/08/01(月) 02:48:31.95ID:kESLBRPz魯山人も「ごちそうだ」と発言している。
あと昆虫食やカエル食いも確かにあったろうね。
ただ、こういうのを現代人の感性で「そんなゲテ物料理が一般的であるわけがない」
と決め付けるのは間違ってるぞ。
現代人にとって「マトモな動物性タンパク食」とは
「肉(哺乳類、鳥類の)、魚、乳製品、鶏卵」ってことか?
0071人間七七四年
2011/08/01(月) 03:51:03.59ID:fMK+/Tvv0072人間七七四年
2011/08/01(月) 08:21:47.15ID:HpdJC6Xf病み、死亡の記録が少なくない。
・現代の完全菜食主義者も生きていけてるんだから
動物たんぱくは意地でも取らなきゃいけないもんでもない(無論何が何でもとっちゃいけないわけでもない)
・穀物(主食)が有限である以上副食になりそうなものは色々漁る
てだけの話な気もするがなぁ。
それはそれとして川の管理権は合戦になるくらい強烈だったが川から取れる獲物の扱いは
どうだったんかね。
タニシ取ってて隣村の領域までいっちゃって訴訟とかあったんだろうか
0073人間七七四年
2011/08/01(月) 09:27:47.94ID:kESLBRPzただ、それ以外にも下水や小川や貯水池、沼地などからもタニシは取れるからな。
それは基本的に五人組の範囲とか村の範囲なんだろう。
タニシの採取範囲でもめるって事はあったと思う。
0074人間七七四年
2011/08/01(月) 18:20:49.99ID:kW2CWzgq0075人間七七四年
2011/08/01(月) 18:31:04.67ID:kESLBRPz別に不思議ともいえないが現代人みたいに
安定供給がなされてるわけでもないし、
食う量も少ないだろう。
0076人間七七四年
2011/08/01(月) 18:38:44.32ID:kESLBRPz確かに「昔は獣や鳥はほとんど食べられてなかった」という説は間違いだったろう。
だからといって、それが即座に「現代人なみに豊富に獣や鳥や魚を食べてた」になるのは違うだろう。
まあ、魚に関しては「漁業」というものがあるので、ある程度は安定供給されてたろう。
ただ、山奥とかは流通に難しいとこもある。まあ川魚という手もあるけどな。
しかし、獣や魚は当時の日本では安定供給はちと無理だろうと。
0077人間七七四年
2011/08/01(月) 19:05:50.89ID:u+/sLObm>ていうかタニシを「ゲテ物料理」と決め付けるのが現代人ならでは。
上でゲテモノと言われているのは、テッポウムシとか、ゲンゴロウとか、蚕の蛹とかのこと。
100年ぐらいまでは、全国的にごく普通に食われていた質の高いタンパク源なのに。
田螺は戦国時代の農民にしたら、むしろご馳走の部類じゃないの?
稲刈りのシーズンに取れる恵みの食材だからね。
0078人間七七四年
2011/08/01(月) 19:10:28.69ID:u+/sLObm>当時の食事は現代の感覚では超しょっぱい上に、
そうだっけ?
塩を味付けにたくさん使っているってこと?
0079人間七七四年
2011/08/01(月) 19:13:55.71ID:u+/sLObmフロイスが日本人の食事についているのって、ほとんど武士についてだったと思ったけど。
一般庶民の食生活は、さらにだいぶ酷いでしょ。
0081人間七七四年
2011/08/01(月) 19:29:01.24ID:PcNI/eeaそこまで酷くないよ
あと当時の最先端の料理技術を持っていた寺社が
信徒を集める為にお料理会などを開いて
積極的に料理法を広めた
もちろん精進料理だけどね
武士は食事すらも作法や縁起担ぎなどで厳しい取り決めがあって
庶民のような食生活はままならなかった
0082人間七七四年
2011/08/01(月) 19:34:11.19ID:PcNI/eea野菜類は今のような品種改良もされておらず
ほとんど流通もしていない
あと大豆が大変な貴重品だった
理由は馬の餌として使われていたからで
大豆で作った味噌などというものは
戦に参加しなければ口にする事などはできない贅沢品だった
0083人間七七四年
2011/08/01(月) 19:37:13.19ID:PcNI/eeaこれは白米に昆布でとった出汁をかけて食うもので
箸の先でご飯だけをつまんで食う公家や武家の食事だった
箸の中ほどまで濡らしたり
口をつけてすすったり
出汁を飲むなどは無作法とされ禁止されていた
0084人間七七四年
2011/08/01(月) 19:41:02.26ID:u+/sLObmただ、年間を通してみると、極めて不安定だったと思う。
農民の場合、親は農作業が忙しいので、狩猟的なことは子供が遊びの一種として
取ってくる分が多かったんじゃないかと思う。
この辺り、戦国時代の記録があるわけじゃないんで、あくまで推測しかできないんだけど、
幕末から明治初期の話を読むと、そんな感じなんで。
0086人間七七四年
2011/08/02(火) 01:16:58.66ID:Q6zcYg/Z0087人間七七四年
2011/08/02(火) 02:03:15.73ID:kMjtNhl2室町時代の一般的農家には弓と槍(害獣駆除目的)は常備されてたよ(罪人の押収記録にある)
田舎暮らしだと今でも年中動物はやってきて駆除しているわけで
手に入れる頻度はかなりあったと思えるけどね
つか昭和の時代でも、うなぎ(川魚)は取ってくる、ってな状況は田舎では普通だったわけで、
禁猟区(神域や鷹狩)以外狩猟権の設定がなかった時代に、
それをしなかった前提は無理があると思うよ
>>85、86
”珍しいこと”のほうが記録に残りやすいんだけど……日常だから「毎日」なんて言葉がないんだよ
つか「記述がないからない」って論法なら、平安時代は(記録がないから)イワシは食べてない、と極論できちゃう
あと「豊かでない農民」の定義をはっきりさせないと……
自作農が中心だった戦国時代でどこらがその階層当たるか、そしてそれは人口のどれくらいを占めたか
…をはっきり決めないと、水掛け論になる気がする
0088人間七七四年
2011/08/02(火) 04:12:30.24ID:QHI5iuJnこれは質素倹約を表した言葉だが、
貧農や下級武士の食事に毎食魚がついたとは思いにくい。
0089人間七七四年
2011/08/02(火) 06:10:20.96ID:lskJTi8B山の幸も豊富とは到底いえない状況だったのでは
0090人間七七四年
2011/08/02(火) 15:15:57.86ID:lF32joQa昔のギャグマンガで「今日のオカズはメザシ一匹」みたいな表現がある。
まあメザシって事はないかもしれんが、小さな魚だった可能性はあるぞ。
ていうか「少量」って書いてあるし、指くらいの魚じゃね?
0091人間七七四年
2011/08/02(火) 19:42:55.39ID:QcDE7OvZほかに食事の話が出てる文献ていうと「おあむ物語」かな。佐和山城の300石の知行の武士の娘。
貧乏で朝夕雑炊が主、ときどき兄が鉄砲で猟に出かけ、その時は菜飯おにぎりが食べられて嬉しいとのこと。
ザビエルの報告集ではこんな感じ。
「日本人は彼らの飼う家畜を屠殺することも喰べることもしない。
彼らは時々魚を食膳に供し、米や麦を食べるのであるがそれも少量である。
しかし彼らの採る野菜は豊富であり、僅かではあるが、種々の果物もある」
「雑兵物語」で足軽に与えられている食料は水一升、米六合、塩が一勺、味噌が二勺。
(ただし戦場におもむくまで・短期戦においては手弁当が原則)
でも戦国時代って身分もそうだけど場所・細かな時期によって大きく食事内容変わると思うから
ある記述だけとってこうだ! って主張することもむずかしいね
0092人間七七四年
2011/08/02(火) 20:38:15.04ID:SzbbmFcm>自作農が中心だった戦国時代でどこらがその階層当たるか、そしてそれは人口のどれくらいを占めたか
>>91
>戦国時代って身分もそうだけど場所・細かな時期によって大きく食事内容変わると思うから
やっぱり簡単なマトリックスが無いと駄目かもね。
一次資料を参照にする場合でも、その資料が指しているのはどの部分、自分が実際に知りたいのは
どの部分、という風にずれがあることをまずは認識できてないと。
0093人間七七四年
2011/08/02(火) 20:40:51.97ID:SzbbmFcm>理由は馬の餌として使われていたからで
これは軍馬限定?
なんか人間より馬の方がいいもの食ってるって、変な気がしたんで。
0094人間七七四年
2011/08/02(火) 21:35:16.43ID:K57faLED力仕事させるにはいっぱい食わせねばならんのよ
人間より馬の方がいいもの食ってるように見えるが
人間の5倍の荷物運んでくれるなら投資も十分理にかなってる。
ついでに太平洋戦争でも荷馬は兵隊よりある意味待遇がよかった
まぁ人間と違って馬はストレスですぐ死んじゃうからなんだけど
0095人間七七四年
2011/08/02(火) 22:24:11.07ID:SzbbmFcm馬の餌は大豆と藁ぐらい?
0096人間七七四年
2011/08/02(火) 23:48:22.81ID:HEo8Ei4K0097人間七七四年
2011/08/03(水) 02:34:27.48ID:+vixLu5q戦国時代の馬糧は、蒸し大豆とヌカや藁や雑草の細かく裁断したものと塩の混合物、かな
オオムギも日本では盛んに栽培されてたけど、これはよそんちと違って人間用だったよ
余談だけど、大豆が西欧に伝わったのは17世紀くらい(イギリスに輸入されてた)
しかも栽培は18世紀になってから
もっと早く伝わっていたら、西欧でも大豆を馬に食わせてたかもね
0098人間七七四年
2011/08/03(水) 03:53:33.77ID:whAyJtWa0099人間七七四年
2011/08/03(水) 04:05:58.12ID:mhoYK5hl「魚はそこまで珍しくないわりとポピュラーなおかず」って説に対して
「魚は貴重でめったに食べられなかった」って説で反論が出た、っていうのが議論の流れじゃなかったか
0100人間七七四年
2011/08/03(水) 08:05:40.88ID:S6K4QzpT>>38
>当時の食事は(庶民含めて)おかずに魚が付いているのが普通
>(現在の戦国食も必ず入ってる)
>だったので「動物性タンパクの不足」は心配しなくていいと思うよ
0102人間七七四年
2011/08/03(水) 10:43:58.72ID:r1wRZeOi「食える時に食えるものを食う。魚肉等動物性タンパクもその範囲である。」と考えるべきだわ。
0103人間七七四年
2011/08/03(水) 15:51:25.08ID:+vixLu5q>「毎食まともに食う」事も難しい時代
>>91の記述の通りなら、少ないなりにも毎日なにかしら食ってたような
室町末期って農業技術的には革命が起こった時代で生産物量も人口も増加してるから
その時代に「食えなかった理由」ってのがちょっと思いつかないけど
0105人間七七四年
2011/08/03(水) 21:29:20.65ID:djHHjMwP0106人間七七四年
2011/08/03(水) 23:53:15.87ID:vZbPBzRh今のように物流と保存が進んでない当時としては
内陸に住んでる人にとって魚は貴重だったのは想像に難くない。
0107人間七七四年
2011/08/04(木) 00:08:01.25ID:txWHNO8T山で畑を耕す農民は、たまにしか手に入れられなかったのではないだろうか?
0108人間七七四年
2011/08/04(木) 01:02:43.47ID:dhIHiSje>不作・飢饉・戦争
これはいつの時代もあったんじゃ? なぜ戦国時代だけ”特別視”する必要が……
(白土三平の漫画じゃあるまいし)
>>106
内陸への水産物の流通って平安時代からけっこう記録のこってたりするのよね
室町時代には、近江商人が加賀に商談で出かけた戻りに塩鯖買ってもどった記録がある
山梨には煮貝、会津には身欠きニシンの山椒煮、昆布スルメなんて鎌倉時代には都で普通に消費されてたし
”生魚”でなければ、内陸でも手に入れることは難しくなかった、と思われるよ
0109人間七七四年
2011/08/04(木) 01:40:20.22ID:iHdpEIlJ保存技術と入手経路の関係で、生で食える鯉が最上扱いとか
光秀が家康の饗応で出した鯉は琵琶湖のだっけ?
逆に言うとそれ意外は塩漬けが主かな
魚=沿岸部ってわけじゃなく、川や湖でとるのもけっこう割合としては大きかったと思う
あの時代の漁労で使える船なんてそうそう沖には出られないだろうし
0110人間七七四年
2011/08/04(木) 06:07:23.61ID:+lfAvaMJ現代でこそ、割とどこでも釣りが楽しめるが
昔はよそものが魚とりとかしたら騒ぎになりそう。
0111人間七七四年
2011/08/04(木) 06:53:30.78ID:QZ3dJyp60112人間七七四年
2011/08/04(木) 10:39:59.83ID:gjgsfj31> >不作・飢饉・戦争
> これはいつの時代もあったんじゃ? なぜ戦国時代だけ”特別視”する必要が……
> (白土三平の漫画じゃあるまいし)
敵軍が侵入してきて収穫物の劫奪どころか、今後生産できないように田畑の掘り返しを
行うような時代が戦国以外にあったとでも?w
0113人間七七四年
2011/08/04(木) 14:59:01.22ID:dhIHiSje>今後生産できないように
それって雑兵物語の「敵地じゃ来年の収穫下がっても稲の根っこもほじくりかえせ!」のこと?
原文見る限り「敵地での兵量確保には温情かけるな」って意味にしか取れないけど
対象になる稲株とか普通に馬糧に使われた話(常山紀談)も残ってるしなぁ
つか日本じゃ、敵地の生産能力の根絶する戦略をとった行動
たとえば水路破壊水源汚染社会システムの根本的破壊(大陸じゃ普通な作戦)
そういう軍事行動に伴う永久的に生産能力に打撃与えた記録はないよ
0114人間七七四年
2011/08/04(木) 18:57:41.27ID:txWHNO8T>内陸への水産物の流通って平安時代からけっこう記録のこってたりするのよね
内陸に住んでいる上流階級の話じゃなくて、山の畑で生活する農民の話。
平地で稲作している農民と違って、水田や小川に住む雑多な魚介類を取ることができないってこと。
一般の農民が金を出して、おかずの魚を買っていたとは考えがたいよ。
0116人間七七四年
2011/08/04(木) 20:15:47.85ID:gjgsfj31天正2年5月付け上杉謙信書状
『明石、新田、足利まで田畑は全て掘り返した。
百姓はもちろん武士たちもすべて、妻子を引き連れ利根川の南(北条領)に逃げ込んだ。
今利根川以北は無人の荒野となっている。今日は桐生も掘り返した。』
0117人間七七四年
2011/08/04(木) 20:58:31.59ID:txWHNO8T>これはいつの時代もあったんじゃ? なぜ戦国時代だけ”特別視”する必要が……
藤木久志の『飢餓と戦争の戦国を行く』でも読んだら?
そもそも戦国期、他国に戦争を仕掛けていた一番の目的は、物資や労働力が欠乏したことによる略奪だというのに。
0118人間七七四年
2011/08/04(木) 22:18:08.38ID:iR8BquRI一般庶民も鶴を捕らえて食っていたのかね?
戦国では鶏を食わなかった事は知っているけど
0119人間七七四年
2011/08/04(木) 22:49:34.58ID:86vVobln鷹と鉄砲必須
0120人間七七四年
2011/08/04(木) 22:50:59.40ID:AZ8SJlGUいうことなのかね。
卵取るために飼ってたろうしオスなんかは食べててもおかしくはないと
思うのだけど、江戸期の本でもよくそうやって書かれてるから
いつも不思議に思ってた。
0121人間七七四年
2011/08/04(木) 22:58:49.12ID:vvUb4GKAある程度経済力のある地域なら干物やなんかも入手が容易なのでは
そもそも水田で耕作するには大量の水が必要なわけで
よほど有力な領主が水樋とかの上水道の整備とかしないかぎり
ある程度の規模の河川に近い場所ってのがデフォみたいなもんじゃないのかね
つまり川魚や川蝦ザリガニ、タニシなんかは冬季は除くと
毎日とはいわないでも週何回かは口にできてると考えても問題ないんじゃないかね
逆に頻繁に氾濫しまくる濃尾平野なんか家も人も流されまくってるのに集落はなくならないもんな
水利ってのは常に争いの元になるくらい重要で身近なものなんじゃないの?
0122人間七七四年
2011/08/04(木) 23:11:47.89ID:AZ8SJlGU信長の前ぐらいから静岡、愛知、岐阜なんかの争いというのは
ほとんど水運、海運争いと言う感じじゃないのかな。
自領でなにかあっても海運握ってれば米とか食料輸入できるし
海魚だけだってべらぼうに捕れる。
あのあたりから三英傑が出たのも地の利という意味でなんとなく
理解できるしね。
0123人間七七四年
2011/08/04(木) 23:14:05.72ID:vvUb4GKA逆に甲信地方なんか常に飢饉のイメージ
だから信玄が必死こいて対外戦争で略奪しまくったんだろうけど
0125人間七七四年
2011/08/04(木) 23:18:38.93ID:txWHNO8T>庶民に狩猟技術はないだろうw
鶴を捕まえる技術はどうかわからんが、百姓でも狩猟はやるよ。
江戸期の話だが、耕地の開発がよりすすんだため、鹿、猪によるの農作物被害が大きくなり、
村々には「農具」として、鉄砲が備えられていたらしい。
ソースは塚本明『生類をめぐる政治』
あと、丹沢山系の山間部の村では、藩や代官から鳥獣対策用に貸し出される鉄砲が、
一つの村に平均6、7挺あったらしい。
0126人間七七四年
2011/08/04(木) 23:19:55.36ID:txWHNO8T>鰯が稲作の肥料としてある程度流通してたわけだしなぁ
それって、江戸期に入ってからの話じゃなくて?
0128人間七七四年
2011/08/04(木) 23:25:46.48ID:vvUb4GKAピンポイントで種類絞って狩猟ってしないでしょ
それこそ有力者の依頼とか特別な目的でもない限り
仕掛けが体長○○位の〜鳥専用 みたいな区別はあるだろうけど
0129人間七七四年
2011/08/04(木) 23:30:31.12ID:vvUb4GKAただ本格的な流通は江戸期だねぇ
0130人間七七四年
2011/08/04(木) 23:33:44.24ID:iR8BquRI鶏は確か戦国期には神の鳥?とかで尊ばれていたような・・
卵でも食ったら神罰下りそうだが
でも待てよ
宣教師かポルトガル商人がカステラを信長に献上したっけ?
それとも江戸期だったか?
カステラは卵、まぁ牛乳もないと作れないけど
0131人間七七四年
2011/08/04(木) 23:41:20.20ID:txWHNO8Tいやだから、特に鉄砲について書いているんだけど。
捕獲手段は結果的に持ってはいたんだよ。
そういう使い方が許されるかどうかは別の話だが。
0132人間七七四年
2011/08/04(木) 23:44:32.84ID:txWHNO8T戦国期には、基本的には家畜は食べなかったようなんで、鶏も同じ理由で食べてないのかもしれない。
卵も食べない、肉も食べない、となると、現代人の発想ではなんのために飼ってるんだ、
ってことになるけど、朝を告げるとか、実用・非実用的な存在理由があったんだろう。
0133人間七七四年
2011/08/05(金) 06:44:32.14ID:3eyRQDuzみんなありがとう。
卵食べる習慣がなかったとは思えなかったもんでね。
江戸期には、朝を告げる、というのが飼ってる理由とか
あったなぁ。
鶴を捕まえる話だけど、網、みたいなのだと思ってた。
それと、技術、というか隠れてて素手でたまたま捕まえたから
領主のとこもってった、とかそういうのもあったかもね。
キジなんかはうちのじ〜さん素手で捕まえてたから
むつかしい話じゃなくて、昔の農民ならそういう根性は
普通にあったかもしれん。
0134人間七七四年
2011/08/05(金) 09:08:04.29ID:fXaoQfVh【御汁】 鶴・竹の子・しゐたけ
【焼鳥】 ごい?
はともかく
【御汁】 白鳥
にはたまげた
鶴だけでなく白鳥も食ってたのか
呪われないか?
0135人間七七四年
2011/08/05(金) 09:35:29.06ID:3eyRQDuz参勤交代の接待の時は鶴の吸い物だったらしいが。
0137人間七七四年
2011/08/05(金) 11:22:28.40ID:ZkXKqrfb> 卵も鶏も含まれていました。しかし、庶民
> は利口者、鶏は大事な「時告烏」と称して飼育し、雉(きじ)肉と偽って食べていたといいます。
> また、先人達は、卵が栄養の塊(か
> たまり)であることも知っており、病人や病後の体カ回復の妙薬として密かに賞味して、
> 殻は土中に埋めたといいます。
> .
> それが、室町時代になると、誰言うことなく卵は生きものでないとの風評が世間に広がり、待ってましたとばかりに鶏の飼育も急激
> に増えました。朝廷からの「殺生戒」のお咎め(おとがめ)もなく、またたく間に日本各地に卵の食習慣が広まり、卵の生産量も増加
> しました。
http://homepage3.nifty.com/takakis2/rekishi.htm
食ってたんだろ
0138人間七七四年
2011/08/05(金) 11:28:14.25ID:ZkXKqrfb> 仏教の殺生を禁じる思想もあって、日常的に鳥獣や鳥卵を食べる習慣はなく、
> 鶏肉や卵料理が徐々に武家の料理にとりいれられたのは室町時代以降である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E5%AD%90%E8%B1%86%E8%85%90
室町期には既に食ってたってことだな。当然戦国にも。
0140人間七七四年
2011/08/05(金) 12:13:41.37ID:3eyRQDuz世界史的にも普通に食べてたと思うし
習慣がない、というだけで実際は食べられていたとは
思うのだよな〜。たまごね。
それと鳥獣というのも飼育したり養殖のを
食べる習慣がなくても、野生で捕れたものは食べてたと
思うんだ。
武家はともかくそこらの農村なんか絶対に食べてたんじゃないか。
魚も貝もなんでもかんでも。
0141人間七七四年
2011/08/05(金) 19:57:42.10ID:Qohgf5ih例えば、フランスではカタツムリを食うし、
そのためにエスカルゴに通常用いられるリンゴマイマイとプティグリだけではなく
アフリカマイマイというカタツムリの最大種の最大に気持ち割るカタツムリも食う。
俺は今でもエスカルゴは食えないし、ナメクジはもっと苦手だ。
鶏卵とかも昔だったら「気持ち悪くて食えない」とか言う人もいると思う。
「魚でも貝でもなんでも」って・・・・
日本人は「足のある物は机と椅子以外なんでも食う」という中国人じゃないしな。
0142人間七七四年
2011/08/05(金) 21:35:51.07ID:5QEZG+uF個人的には、「あの本の読み取りかたがソレ??」 という感想
略奪、とは言うけど、あの時代どこの国でも軍の現地補給は常識、どこでも戦場は荒れた(本の通り)
でもそれと社会全体で生産不足(飢えていた)というのとは、話は別
あの本でも、戦争での人狩りの記述があるjけど、人=生産力な時代では、
その獲物を吸収する(労働力を欲する地域)背景なければ商売ならないわけで
そんな土地は(飢えても)食い扶持ふやしてた、って、あなたの主張はいってるようなものだよ?
0143人間七七四年
2011/08/05(金) 21:48:59.62ID:3eyRQDuz反論じゃないが、気持ち悪い、とかそういうのが現代人の感覚であって
限りある食料とか栄養とかそういう意味での話ね。
生だと気持ち悪いなら火を通すだけのこと。
食べ物を捨ててる現代が異常なだけであって
あくまで人間の生存への常識の話だよ。
ちなみに、貝は貝塚じゃないが古代から食べてるよね。
魚だって命懸けでとってきて食べてる。
そういう意味でおかしくはないでしょう。
それとうちの実家では狸でも普通に食べてたが
こないだ若い歴史好きの人が、あるわけないだろ、と
これが全然話が合わない。
そしてやっぱり、現代の感覚で話さないでください
と言われたんだが少し不思議な感じがする。
0144人間七七四年
2011/08/05(金) 22:03:34.64ID:EHYtkbqlなんかお互い話が噛み合ってないような。
その本の中身はあんまり覚えてないんで、ちょっと話が変わるかもしれないけど、
江戸期にせよ戦国時代にせよ、飢餓の大きな原因は流通や分配がうまくいってないことだね。
0145人間七七四年
2011/08/05(金) 22:14:47.86ID:EHYtkbql>鶴を捕まえる話だけど、網、みたいなのだと思ってた。
罠使ったんじゃないの?
自分の田圃に仕掛けとけば、結構簡単に取れると思うけど。
鶴の恩返しの原型となる話は、すでに室町期にはあったはずだけど、狩猟対象で、
料理の重要な材料でもあったことを知った後では、話の意味合いもちょっと違って見えてくるね。
>>135
そうそう、鶴と白鳥って最初読んだときはびっくりするね。
まあ白鳥なんて攻撃性の強い凶暴な鳥でもあるから、文学に縁のない人間からすると、
特別扱いする理由もないんだろうけど。
0146人間七七四年
2011/08/05(金) 22:17:19.25ID:j/GB1viq肉や魚といったたんぱく質は色々あったみたいだけど
果物についてはあまり聞かないけど。
0147人間七七四年
2011/08/05(金) 22:25:40.75ID:3eyRQDuzそそ、網も広義の罠ってね。
どうも捕ってからしばらくは飼育してたような感じだから
比較的傷つけない網かなって。
>>146
こないだマキムク発掘で桃の種が山のように
出てきたけど栗とか山イチゴ、柿、こういうのは普通に
あったんでしょ。
卵もだけど当たり前すぎて記録には残らない
なんてのがかえってありそうだな。
0148人間七七四年
2011/08/05(金) 22:52:53.66ID:HkmhqwUX桃や柿なども他所に流通出来るくらいに栽培されてたのかねぇ
0149人間七七四年
2011/08/05(金) 23:37:35.02ID:yJdxjP8d一切中華を取り入れなかったのは不思議な気がするよ
0150人間七七四年
2011/08/05(金) 23:42:13.14ID:1MJyKgCb南部家では城内に林檎を植えていたようだし一部の支配者層の食卓には
デザートが登っていたと思われる。だけど庶民にとっては甘味は高値の花だろう。
0151人間七七四年
2011/08/05(金) 23:50:19.43ID:EHYtkbql水飴の方が安そうな気はするが。
0152人間七七四年
2011/08/06(土) 00:05:15.94ID:kGxzI7P/西瓜なんかも普通にあるだろうね、無論高級品だろうけど
0153人間七七四年
2011/08/06(土) 04:14:50.99ID:CeUrOntY0154人間七七四年
2011/08/06(土) 08:02:21.84ID:qq2mBFkL鯛、ウナギ、今のわしらがかえって普通に食べられない。
マグロなんかあまって馬に食べさせてたというからな。
江戸期だけど。
0155134
2011/08/06(土) 09:19:10.07ID:hEQr0/qO白鳥以外に青鷺、雲雀(ひばり)も食ってたみたいだ
0156人間七七四年
2011/08/06(土) 09:32:06.61ID:Sh1ZFs/x特に農作物は品種改良や農薬の恩恵が大きい
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