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戦国時代の食事5膳目

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0001人間七七四年2011/02/06(日) 20:40:18ID:Te+zE3dV
戦国時代の食事4膳目
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1179215482/
戦国時代の食事3膳目
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167143245/
戦国時代の食事・2
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1163347244/
戦国時代の食事
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150323475/


0405人間七七四年2011/09/04(日) 16:44:08.77ID:w18rASul
えっ
0406人間七七四年2011/09/04(日) 18:27:34.65ID:3c5yqund
>>404
ローマの時代からスパイスはいくらでも使われているんだが。胡椒も含めてな。
胡椒が防腐剤とかそういう目的ってのは俗説。100%味付けのため
0407人間七七四年2011/09/04(日) 18:29:34.43ID:iB03LhiB
味噌で煮込めば大丈夫そうだけど
0408人間七七四年2011/09/04(日) 18:59:42.56ID:/29PxSvN
日本の話だと、胡椒はよく使われてた(レシピだと胡椒飯とか汁物の味付けに)
生姜は醤油がなかった時代から合わせ酢にして食卓に

でもニンニクは一般に広まったのは戦後だったりする……それ以前は漢方薬
0409人間七七四年2011/09/04(日) 19:05:40.70ID:5cVtUytW
>>406
>100%味付けのため

これのソースは何?

>ローマの時代からスパイスはいくらでも使われているんだが。

ローマのことはよく知らないが、もし使われていたとしたらその時代だけが
特別だったんじゃないの?
金に匹敵するぐらい高価だったものを、いくらでも使えるわけがない。

>胡椒が防腐剤とかそういう目的ってのは俗説。

それは明らかに俗説だな。
0410人間七七四年2011/09/04(日) 19:08:12.80ID:5cVtUytW
>>408
>日本の話だと、胡椒はよく使われてた(レシピだと胡椒飯とか汁物の味付けに)

いつの時代か書かないと、全然意味がないよ。
少なくとも、戦国時代は一般的ではなかった。

ザビエルが、換金目的で胡椒を持っていたが、日本では需要が無かったため
役に立たなかった、という記録があるし。
0411人間七七四年2011/09/04(日) 19:17:20.86ID:i0k4tUol
CiNiiの「江戸料理本に見る香辛食品利用の調査研究」は面白いんでおすすめ
0412人間七七四年2011/09/04(日) 19:42:51.91ID:/29PxSvN
>>410
む、その情報(戦国時代は胡椒は一般的でない)どこから?

江戸時代だけど料理物語に「室町には素麺に胡椒を添えたが今は云々」って記述はあるけど
よく出る雑兵物語にも、足軽が戦場に(生水対策で)胡椒もってく話なかったっけ
0413人間七七四年2011/09/04(日) 19:57:13.40ID:5cVtUytW
>>412
>江戸時代だけど料理物語に「室町には素麺に胡椒を添えたが今は云々」って記述はあるけど

料理物語はちゃんと読んだこと無いけど、ちょっと信じがたいな。
そもそも室町時代って、にゅうめんはポピュラーだったけど、素麺って食べてたんだっけ?

>む、その情報(戦国時代は胡椒は一般的でない)どこから?

具体的にどの本に書いてたかはすぐに思い出せないけど、ヤジロウに関する研究書だったと思う。

>雑兵物語にも

確かにこういう記述はあるな。
「梅干は在陣中一つで賄へども、胡椒粒は在陣中日数程は入べいぞ。夏も冬も、朝一粒づゝかじれば、
冷にも熱にもあてられない物だ程に、是は梅干とはちがひて、がいに入べいぞ。」
0414人間七七四年2011/09/04(日) 20:22:44.25ID:4xE7f96g
なんとなく思ったんだが、その胡椒って現代の俺たちがイメージする胡椒じゃなくて、
山椒とかの可能性は無いのかな?
0415人間七七四年2011/09/04(日) 20:51:15.12ID:4xE7f96g
連投になるが、山椒飯とかも調べたらあるみたいだし、お吸い物にも葉を浮かべたりする、
素麺のCMとかで上に飾りみたいに乗せてるのも山椒の葉じゃないか。
0416人間七七四年2011/09/04(日) 21:26:41.99ID:7oM5xILy
地域によっては、「胡椒」と「唐辛子」がほぼ同じ意味で使われていたりするからぁ・・・。
0417人間七七四年2011/09/04(日) 22:05:35.12ID:5cVtUytW
>>416
ヒンディー語でも、唐辛子はMirch。
黒胡椒はKali Mirch、白胡椒がSafed Mirchというように、頭に色の名前付けて区別してるだけだしね。
0418人間七七四年2011/09/05(月) 02:57:30.80ID:EFUfNwxZ
>>409
ローマの料理レシピが残ってる。少なくとも金持ちは胡椒をふんだんに調味料として使ってる。
胡椒を粒のまま表面にびっしり貼り付けて焼いた一種のケーキもあったくらいだ。
0419人間七七四年2011/09/05(月) 08:03:39.45ID:XE9aSeRM
>>417
ヒンディー語ってアルファベット使うの?
0420人間七七四年2011/09/05(月) 08:44:02.40ID:t+sCvwSM
>>419
デーヴァナーガリー文字読める奴がここに何人いるんだよw
0421人間七七四年2011/09/05(月) 10:16:48.46ID:MYkEi6oP
大学でデーヴァナーガリー習ったよ
まあ自分の名前かけるだけでヒンディー語を習ったわけではないんだけど
0422人間七七四年2011/09/05(月) 11:26:44.33ID:IV6/COiS
>>413
ありがとう
たしかに>>415の指摘は否定できないけど、でも基本日本料理の香味ってだいたい同じ使い方をするんだよね……
(三つ葉然りしょうが然り)
日本での胡椒の使い方は西欧とちがって”薬味”なので、使う量が決定的に違うから
自分は、ザビエル(>>410)の話は胡椒を高く多量に購入するものがいなかった、って理解してた

ここらは決定的な証拠も無いので正誤の判断難しいよなぁ……
0423人間七七四年2011/09/05(月) 19:35:44.04ID:laIpJQUr
>>420
じゃ、カタカナで。
0424人間七七四年2011/09/05(月) 19:38:05.92ID:laIpJQUr
ツランセクショー
とか。
0425人間七七四年2011/09/05(月) 19:51:15.82ID:CZCYOe6K
>>416
ただ胡という字を使っているから、土着ではなく、外来のものだろうね。
少なくとも、山椒=胡椒の可能性は低いと思う。
0426人間七七四年2011/09/05(月) 21:29:52.68ID:rPjncRBZ
wikiより抜粋
>中国では花椒(かしょう)と呼び・・・、漢方では健胃、鎮痛、駆虫作用があるとされ、
英名はJapanese pepper。

山椒は元々日本に有って、別名のハジカミとか、当時はそれまで別の名前で呼ばれていたが、
中国名の呼び名、花椒(かしょう)が伝わったとき、(こしょう)に変化したと考えられるかも。
0427人間七七四年2011/09/05(月) 22:12:49.20ID:CZCYOe6K
こんなとき、邦訳日葡辞典が手元にあれば、、
0428人間七七四年2011/09/05(月) 22:15:42.55ID:9+97yTCv
民明書房
0429人間七七四年2011/09/05(月) 22:26:06.34ID:IV6/COiS
>>426
胡椒は正倉院に収められたくらいから”胡椒”表記だったよ
0430人間七七四年2011/09/05(月) 22:58:01.62ID:rPjncRBZ
胡椒=山椒説を強く押す材料は無いんですが。
正倉院に有るのは今、知ったのですが、時代が下がって室町、戦国時代でも当然本物の胡椒は希少な物で、
>>412-413に書かれているように一般に広く出回るような物では無いでしょう。
しかし山椒の実(種)を乾燥させた物は黒胡椒に見た目には似ているので、
一般の間で、両者が混同された可能性も捨てきれないのでは。
0431人間七七四年2011/09/05(月) 23:22:08.72ID:CWyPqJ1q
料理物語では山椒と胡椒は区別して書かれてるけどねー
0432人間七七四年2011/09/05(月) 23:28:20.76ID:IV6/COiS
胡椒が雑兵が用意できる(毎日二粒)くらいの一般的な「薬」ではあった、のは事実じゃない?
それを「一般に広く出回るような物では無い」って判断するのはいかがなものか

知られて数百年たってるものを「混同した」と断言するには、それなりの確証が必要だとは思うけどな
0433人間七七四年2011/09/06(火) 00:40:13.70ID:ENb67BAe
調理師の俺が知ってる範囲だと山椒と胡椒は見た目も味も使い方も別物
地面に植わってる状態でも見ればすぐにわかるほどぜんぜん違う
混同したというのはありえないと思う
04344302011/09/06(火) 10:47:44.80ID:X9394BwA
私には、これ以上説を唱える根拠が無いので、>>431-433さんの疑問の反論で、
この話題についての書き込みは終わりたいと思います。

431さん、料理物語は江戸時代の物では、つまり>>413
>「室町には素麺に胡椒を添えたが今は云々」の部分は、
江戸時代の著者が、伝え聞いた物をそのまま書いたと考えられます。
他の記述で、胡椒と山椒が区別されていても、問題はないと思いますが。

432さん、正倉院に納められた本物の胡椒を一般の人々が目にする機会は、まず無いのでは。
香辛料でなく薬としての用途に限られているので、同じように胃の効能がある胡椒と山椒、
そして、日本で自生している山椒で薬として代用できるなら、輸入でしか手に入らない胡椒が一般に普及していたとは考えにくいのでは。

433さん、山椒の実を乾燥させた物と、粒胡椒とは似ていませんか?
また当時の物と、現在の栽培されたり品種改良された物が、大きさ、見た目などが違う事も有るのでは。
0435人間七七四年2011/09/06(火) 15:01:58.74ID:Nx3rUJsm
>>434
見かけが似ていても”口にした時点”で山椒と胡椒を間違えるとは思えませんけど……

まぁ鎌倉室町戦国は中国文化が日本におおきく影響した時代なので
中華料理に使われていた”胡椒”だけが除外された、と強論するには、疑問を呈するだけではちょっと……
胡椒を入手するルート、中国貿易は私貿易も入れれば歴史上止まったことはありませんので
「胡椒使用が日本では中断した」という仮説の根拠のほうが、自分は気になります

ただ素麺も元々中国料理なので、日本に来た当時胡椒と一緒に出された、という話は信憑性があると思います
0436人間七七四年2011/09/06(火) 15:21:07.96ID:0mwnOTW3
口にした時にどんだけ違いがあろうが、すでにそれについて知識のある人の目には
どれだけ違いがあろうが、知識の無い人間にはどっちがどっちかなんてわからんでしょ。
0437人間七七四年2011/09/06(火) 15:26:26.62ID:Nx3rUJsm
>>436
胡椒も山椒も「漢方薬」としての歴史は古いんですよ
個人的な勘違いは別にして、漢方医は区別できるわけで
0438人間七七四年2011/09/06(火) 20:10:52.93ID:2+0yhdJm
これまでの流れをまとめると、

1. 戦国時代、胡椒がどれだけ希少性があったか
2. ザビエルが来日した1550年頃のエピソードと、雑兵物語の記述に矛盾がある
3. 同じ「胡椒」という名称を使っていても、別の香辛料を指しているんじゃないか

という話の流れだが、、

16C後半の日本というのは、初めてのヨーロッパ人との接触が起き、その後
急速にいろんな文物が入ってきているんで、普及度については10年か20年
ぐらいに細かく区切らないと、話が全然噛み合わないってことがある。

ザビエルが来た当初は、希少なものだったのが、その後数10年で供給量が
一気に増えた可能性を考えた方がいいかと思う。
0439人間七七四年2011/09/06(火) 20:36:07.72ID:2+0yhdJm
あと、胡椒も加工方法の違いで黒胡椒(比較的安価)と白胡椒(高価)の違いがあったり、
赤胡椒のように、胡椒と似ていても全然別種のものもあったりするんで、その辺りも注意が必要。
0440人間七七四年2011/09/06(火) 20:46:05.71ID:2+0yhdJm
>>413
この「入べいぞ」ってどういう意味なんだろう?
誰か解説してもらえませんか?
0441人間七七四年2011/09/06(火) 21:27:46.19ID:DnPcunJI
「(持ち物に)入れておくべきだ。」という位の意味だね。
0442人間七七四年2011/09/07(水) 03:34:01.58ID:5GuBIncI
>>438
さらに「胡椒が料理に使われていたか」てな問題もあるよ

ニンニクなんて漢方薬として古くから知られていたけど
料理に使われることが広まったのは戦後最近なんて例もあるし
0443人間七七四年2011/09/07(水) 09:13:46.73ID:nCoWVbxp
昔は唐辛子を胡椒って言ってたジャン。
柚子胡椒とかそうだし。
0444人間七七四年2011/09/07(水) 14:10:27.64ID:5GuBIncI
九州で唐辛子を「胡椒」と呼ぶ地方では、胡椒のことは「洋胡椒」とよんで”区別”してるよ
大和本草(江戸時代)では唐辛子のことを「高麗胡椒」って記述があり
朝鮮の芝峰縲絏では「南蛮椒」って書かれてる
つまり当時の”呼び名”は似ていても「胡椒とは別物」扱い

だから戦国時代でも、唐辛子と胡椒は混同しなかった、と考えていいと思うよ
もちろん山椒と胡椒もね
0445人間七七四年2011/09/07(水) 15:20:51.36ID:ShgMeNv+
青椒が入ってきたのも戦国期だな
0446人間七七四年2011/09/07(水) 19:48:07.23ID:9GZQvx8/
あおしょう?
0447人間七七四年2011/09/07(水) 20:01:34.42ID:be1KAHYI
青椒肉絲
つまりピーマン
0448人間七七四年2011/09/07(水) 22:22:48.77ID:lzfdOJ4g
ちんじゃーらおしょー
0449人間七七四年2011/09/08(木) 01:12:21.87ID:2JpbI9CQ
しろうと家庭菜園だとやたら辛いピーマンたまにできるよな
0450人間七七四年2011/09/08(木) 01:57:23.87ID:ESYgwwiu
>>430はなんでそんなに山椒と胡椒が混同されてたことにしたいの?
0451人間七七四年2011/09/09(金) 21:13:03.95ID:ZXXow06W
もうその話は終わってるよ。
>>438で、いったん仕切り直しだな
0452人間七七四年2011/09/10(土) 02:35:36.07ID:W53MTNys
うちに庭でも山椒はすぐにできるけど
いい香りだもんな。
0453人間七七四年2011/09/10(土) 08:51:42.12ID:Q87Vu3V6
独り言?
0454人間七七四年2011/09/10(土) 10:53:08.07ID:FgxTN5EO
戦国の人間に添加物バリバリの現代食を食わせたら吐くかな?
0455人間七七四年2011/09/10(土) 11:06:14.51ID:y6IzDPr9
「塩味がまったく感じない、不味い」とか。
カレーとかラーメンだったら何とかなるかな?
0456人間七七四年2011/09/10(土) 14:24:20.04ID:/ZR7c5e4
秀吉はそばがきが好きだったらしいな
0457人間七七四年2011/09/11(日) 07:35:30.56ID:FUSYUV/k
>>455
”甘味”は江戸時代になってから広がった味付けだけど
それが主流な今の味は、当時でも「うまい」部類になると思う
0458人間七七四年2011/09/11(日) 09:21:19.73ID:wEBrc3x5
戦国時代は、甘みを料理に加えること無かったの?
0459人間七七四年2011/09/11(日) 10:09:05.80ID:PQc1itCw
戦国後期には味醂とかあった気が
0460人間七七四年2011/09/11(日) 11:53:05.15ID:M/nZuTML
今でも爺婆でカップ系は食べられない人多いし
わしも月に1こがせいぜいで2こめは気分が悪くなる。
カレーは下っ端武士なら喜んだかもしれないが
公家みたいな人たちにはどうだろうなぁ。
0461人間七七四年2011/09/11(日) 13:18:28.80ID:Fcfd8sWv
インスタントやレトルト食品の化調がガッツリ効いた味つけは
濃すぎて受け付けないだろうな。
0462人間七七四年2011/09/11(日) 13:54:28.62ID:iMcYXpjm
俺らが外国の料理に違和感感じるのと同じになるかもね
0463人間七七四年2011/09/11(日) 15:31:58.74ID:flS53RUC
>>460
> 今でも爺婆でカップ系は食べられない人多いし
カップラーメン?
0464人間七七四年2011/09/11(日) 15:39:29.92ID:M/nZuTML
>>463
ヤキソバもね。
0465人間七七四年2011/09/11(日) 18:26:04.68ID:AWnF3dp6
粉末ソースを半分くらいにしたらいいのに
0466人間七七四年2011/09/11(日) 18:52:42.79ID:FUSYUV/k
>>459
酒はみりん系(忍冬酒とか)あったけど、料理にくわえた例はあんまりないんじゃないかな(レシピが残ってない)

>>460
今の爺婆は年齢的に完全にアジノモト世代だぜ、カップ麺はそれより油が……

何でも”使い方”、戦前の美食家、魯山人も自分でアジノモトつかってたし
全くなかった戦国時代でも化調は受け入れられる、と思うけどね
まぁ中国本土の中華ぐらいつかったらだめだろうけど……
0467人間七七四年2011/09/11(日) 18:53:46.87ID:ivTxWt54
甘いものって当時は干し柿くらいだろ。
0468人間七七四年2011/09/11(日) 21:45:50.89ID:M/nZuTML
>>466
化調ってか、インスタントってなんというか
人工品だし独特のまずさがあるじゃない。
一口目は確かに「美味しいね」みたいには言ってくれるけど
よくて3口目には変な顔するものね。
もちろん爺婆でも出始めた頃に食べてれば慣れてるだろうけど
戦国時代の人に食べさせたらやっぱり最初は気持ち悪いって言うと
思うよ。
ところでコーラはどうだろう。
知人で小学校になるまで炭酸飲ませなかったのがいるけど
「まずい」って言って中高生ぐらいになってもコーラ嫌いだったそうな。

好き嫌いはまた別の話だろうけどカレー嫌いとかチョコ嫌いとか
いるものね。
戦国の人にキンキンに冷えたコーラ飲ませたら「喉が焼ける、毒だ」
ってこっちが斬られかねんな。
0469人間七七四年2011/09/11(日) 22:31:47.03ID:2NYFZg17
炭酸水自体は天然炭酸の温泉があったりするから、
慣れてる人は何とかなるんじゃないかな。
まぁなにより個人差が大きいだろうけどね。
好きな人は好きだろうし嫌いな人は嫌い、
という今と余り変わらない結論に落ち着きそうな予感。
0470人間七七四年2011/09/11(日) 22:40:29.33ID:fJfZFWIm
日本酒でも微炭酸のなかったっけ
0471人間七七四年2011/09/11(日) 23:15:15.71ID:wEBrc3x5
>>467

>>151辺りの話が出てきて、無限ループが始まるような気が
0472人間七七四年2011/09/11(日) 23:17:00.42ID:EsR1MLgZ
南蛮渡来の滋養強壮薬ですと言えば、甘味も有るしコーラとか炭酸飲料は受け入れやすいかもな。
0473人間七七四年2011/09/11(日) 23:35:46.72ID:M/nZuTML
みかんってのは昔から今みたいに美味しかったのかな。
戦国期ならかなりのごちそうって感じがするが
とれる場所が限定されてるか。
0474人間七七四年2011/09/12(月) 00:08:13.54ID:z/EZ5cgl
>>473
現在主流の糖度が高いミカンはほとんど江戸時代に発見輸入されたのよね

それ以前のミカンは酸っぱいのが主流(漢方薬として利用)
今だと、ゆず、キンカン、ダイダイとかが該当するかと
0475人間七七四年2011/09/12(月) 00:09:12.39ID:FPIWFeaR
光秀ェ・・・
0476人間七七四年2011/09/12(月) 03:22:18.22ID:3p3hJWd/
濁酒とか酒は甘口じゃないかに
0477人間七七四年2011/09/12(月) 07:56:09.54ID:KjZcWKHe
>>324-325
竜造寺隆信はどっちのタイプのデブ?
0478人間七七四年2011/09/12(月) 12:11:02.29ID:vGGWbGV7
とりあえず戦国期すでに、伊豆、静岡、和歌山、愛媛ではみかんが名物だった。その地域を支配した大名が贈答でせっせと送っている。
0479人間七七四年2011/09/12(月) 14:41:35.43ID:YjrMyL6b
>>474
ふむふむ。
柿でも甘いというのは現代の感覚で
昔は干し柿にするぐらいしか食べ方がなくて
それが少し甘くなってくれるしどこにでもあるから
貴重って聞いたもんで。
四国の方でミカンはたくさん取れてたのかな、
薬としてなら贈答として貴重だもんな。
0480人間七七四年2011/09/12(月) 14:59:59.52ID:z/EZ5cgl
>>479
普通の干柿の糖度は和菓子だと羊羹ぐらいなんだぜ(70%砂糖水くらいのやつもある)
ちなみに果実の糖度は、桃14%ぶどう17%メロン16%に対し渋柿は21%くらい、これを乾燥して糖度を高くしてるのよ
で、はちみつは76-80%くらいなので、現在でも、干柿はむちゃくちゃ「甘いもの」になるよ
0481人間七七四年2011/09/12(月) 15:08:07.00ID:YjrMyL6b
>>480
ほ〜。
干し柿食べたことないので、美味しんぼに書いてある
「干し柿の甘さをこえてはいけない」を信用してた。
あれは甘くないというより、より人工的に甘すぎてはいけない
という高級和菓子のことだったか。

婆たちから進駐軍にもらった「ガムのあまくて美味しかったこと」は
よく聞かされたがあれは干し柿と比べてどうなんだろう。
やっぱり人工物でより甘さが強調されてたんだろかな。
0482人間七七四年2011/09/12(月) 18:28:47.55ID:CWbeilq4
あれは甘味とかに限らず食糧難で〜てのがあるように思うけど
0483人間七七四年2011/09/12(月) 18:40:35.31ID:HxCieyUQ
夏場の体育のあとの水はたとえ水道水でもめちゃくちゃうまかったな
0484人間七七四年2011/09/12(月) 21:10:43.42ID:YjrMyL6b
ガキの頃はパンの耳がおやつでよくこまぎれを
そのまま食べたものだよ、美味しかったなぁ。
・・当時は普通だったよな、な、な・・
0485人間七七四年2011/09/13(火) 05:32:44.12ID:z+PyFFEB
焼酎は戦国時代ぐらいから薩摩あたりにあったらしいな
0486人間七七四年2011/09/13(火) 11:38:06.64ID:DrHpaxFU
イカやタコってのは食べたんでしょうか?
0487人間七七四年2011/09/13(火) 11:52:44.05ID:7Y7r6vkl
>>485
郡山八幡神社の大工の落書きに「一度も焼酎ヲ不被下候」(永禄2年(1559)8月11日)ってあるから確実だけど
全国に広まったのは明治以降かなぁ

>>486
つスルメ
0488人間七七四年2011/09/13(火) 15:15:25.20ID:ipR7QIQ0
>>486
古代の朝廷への貢物にも入ってる
0489人間七七四年2011/09/13(火) 21:37:43.56ID:38rp/TtO
>>485
それ以前は無かったの?
0490人間七七四年2011/09/13(火) 21:51:49.47ID:NQfMGNpV
>>489
蒸留酒の伝播経路としては14世紀後半にタイから琉球に伝えられ泡盛に
んでそれが九州へとって説があるみたいね
11世紀にはヨーロッパで確立されたから、種子島のように欧州人から直接だったり
シルクロード、中国を経て伝播と諸説あるみたいだけど
0491人間七七四年2011/09/13(火) 23:52:42.94ID:MYVr/a9h
>>488
へ〜、ありがと。
古代ってのはヒミコとかまでさかのぼっちゃう?
それとも奈良時代ぐらいなのかな。
0492人間七七四年2011/09/14(水) 13:34:38.31ID:fAMc1JW3
>>491
タコ、イカは縄文時代から食べられてるぞ。
0493人間七七四年2011/09/14(水) 13:48:58.83ID:hV3ftg+x
>>492
ほ〜、骨とかでわかるのかな、骨ってあったっけ・・?
0494人間七七四年2011/09/14(水) 13:51:47.54ID:Da3dI3AV
>>493
タコとイカは嘴が残るんじゃない?
0495人間七七四年2011/09/14(水) 14:32:08.09ID:fAMc1JW3
>>492だが、スルメ自体は戦国時代以前から、あるみたいだぞ、実際に陣中食として、食べてたかは微妙な所だな。まぁ、推測だが、沿岸部の所領の大名や武将は食べてたんでね?

0496人間七七四年2011/09/14(水) 17:00:12.71ID:hV3ftg+x
>>494
と思ったんだがものすごく小さいしそれでも
残るのかなって。それを見つけるのが考古学者の腕
なんだろうけどすごいな。
0497人間七七四年2011/09/14(水) 18:46:13.62ID:SdpJdJEe
[PDF] 第 17 節 いか・たこ漁業
http://kagoshima.suigi.jp/ayumi/book/01/a01_01_17.pdf

>縄文期の貝塚からコウイカ類の甲羅片が相当数出土していることから,イカ類の漁獲の歴史は新石. 器時代まで
>遡ると考えられている。

>指宿市の橋牟札川遺跡から、たこつぼ型土器が見つかった。この土器は弥生時代(約二千年前)に登場し
>古墳時代に大阪湾から瀬戸内海沿岸、北部九州におよんだと考えられる。
0498 忍法帖【Lv=10,xxxPT】 2011/09/17(土) 06:57:43.82ID:OQ3Ba+tI
夜に庭先の縁側で謙信がスルメを肴に一人酒を飲む情景が思い浮かぶ
0499人間七七四年2011/09/17(土) 13:19:16.31ID:U5dEqSBL
謙信女説は
0500 忍法帖【Lv=10,xxxPT】 2011/09/17(土) 15:22:03.88ID:OQ3Ba+tI
女でも酒は飲むだろ
0501人間七七四年2011/09/17(土) 17:44:51.73ID:gzYoFAx9
>>124
>だから卵食う習慣は当時ないってw

こういうのがあるんだけど、、

>46 名前:人間七七四年 投稿日:2011/08/09(火) 23:26:41.62 ID:Togfk+uu
徳川家康が未だ竹千代と呼ばれ、駿府で人質生活を送っていた頃のことである。

ある日竹千代は駿府の大祥寺という禅寺に、20羽程の鶏が走り回っているのを見て、
そこの僧に

「あの中から1羽貰えないだろうか?」

と尋ねる。するとこの僧

「どうぞどうぞ。1羽と言わず全部でも差し上げますよ!
全くこいつらは、菜園を荒らす困った連中なのですが、勝手に生まれ育ってしまい、
しかたなくこのように飼っているのです。」

と、心底困ったように答えた。
竹千代はこれを聞いて笑いつつ

『ああ、この僧は鶏卵を食べるということをしないのだ』

と、心のなかで感心した。

のち、竹千代が徳川家康と名乗り、駿河も支配するようになったころ、
家康はこの僧を召し出し、殊勝な者であるとして寺領を寄進したそうである。
(徳川実紀)

そんな、竹千代と鶏と僧侶のお話
0502人間七七四年2011/09/17(土) 18:01:17.95ID:8/Fg2TPb
水木しげるの妖怪図鑑で、鶏食って呪われた?坊さんの絵が載ってたの思い出した。
坊さんの口から鶏の頭が出てて、尻尾まで生えてるやつ。
0503人間七七四年2011/09/17(土) 18:37:27.32ID:MIwLEsn9
まんが日本昔話で婆さんと狐が一日おきに鶏卵食う話を見てから
味噌汁に卵入れて食うようになった。
0504人間七七四年2011/09/17(土) 19:13:09.32ID:4AJfKiDD
…仏教説話になる、ってのは一般庶民がそういう習慣を持っていたわけで……

室町戦国時代、雉をたくさん食べてる記録があるのだけど、供給元は何か、と考えると
一般にニワトリは雉に名を借りて食われてたと思うなぁ
当時の日記でも「さすが中納言の雉はうまかった」とかあったりして
”雉”自体市場でたやすく手に入れられ、さらに等級があったようだし
あと南蛮菓子カステラが日本人にすぐ受け入れられたから「卵の禁忌」はなかったと思うな
でも、”薬”ではなく”料理”として卵が一般化したのは江戸時代だね
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