戦国時代の食事5膳目
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0001人間七七四年
2011/02/06(日) 20:40:18ID:Te+zE3dVhttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1179215482/
戦国時代の食事3膳目
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167143245/
戦国時代の食事・2
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1163347244/
戦国時代の食事
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150323475/
0405人間七七四年
2011/09/04(日) 16:44:08.77ID:w18rASul0406人間七七四年
2011/09/04(日) 18:27:34.65ID:3c5yqundローマの時代からスパイスはいくらでも使われているんだが。胡椒も含めてな。
胡椒が防腐剤とかそういう目的ってのは俗説。100%味付けのため
0407人間七七四年
2011/09/04(日) 18:29:34.43ID:iB03LhiB0408人間七七四年
2011/09/04(日) 18:59:42.56ID:/29PxSvN生姜は醤油がなかった時代から合わせ酢にして食卓に
でもニンニクは一般に広まったのは戦後だったりする……それ以前は漢方薬
0409人間七七四年
2011/09/04(日) 19:05:40.70ID:5cVtUytW>100%味付けのため
これのソースは何?
>ローマの時代からスパイスはいくらでも使われているんだが。
ローマのことはよく知らないが、もし使われていたとしたらその時代だけが
特別だったんじゃないの?
金に匹敵するぐらい高価だったものを、いくらでも使えるわけがない。
>胡椒が防腐剤とかそういう目的ってのは俗説。
それは明らかに俗説だな。
0410人間七七四年
2011/09/04(日) 19:08:12.80ID:5cVtUytW>日本の話だと、胡椒はよく使われてた(レシピだと胡椒飯とか汁物の味付けに)
いつの時代か書かないと、全然意味がないよ。
少なくとも、戦国時代は一般的ではなかった。
ザビエルが、換金目的で胡椒を持っていたが、日本では需要が無かったため
役に立たなかった、という記録があるし。
0411人間七七四年
2011/09/04(日) 19:17:20.86ID:i0k4tUol0412人間七七四年
2011/09/04(日) 19:42:51.91ID:/29PxSvNむ、その情報(戦国時代は胡椒は一般的でない)どこから?
江戸時代だけど料理物語に「室町には素麺に胡椒を添えたが今は云々」って記述はあるけど
よく出る雑兵物語にも、足軽が戦場に(生水対策で)胡椒もってく話なかったっけ
0413人間七七四年
2011/09/04(日) 19:57:13.40ID:5cVtUytW>江戸時代だけど料理物語に「室町には素麺に胡椒を添えたが今は云々」って記述はあるけど
料理物語はちゃんと読んだこと無いけど、ちょっと信じがたいな。
そもそも室町時代って、にゅうめんはポピュラーだったけど、素麺って食べてたんだっけ?
>む、その情報(戦国時代は胡椒は一般的でない)どこから?
具体的にどの本に書いてたかはすぐに思い出せないけど、ヤジロウに関する研究書だったと思う。
>雑兵物語にも
確かにこういう記述はあるな。
「梅干は在陣中一つで賄へども、胡椒粒は在陣中日数程は入べいぞ。夏も冬も、朝一粒づゝかじれば、
冷にも熱にもあてられない物だ程に、是は梅干とはちがひて、がいに入べいぞ。」
0414人間七七四年
2011/09/04(日) 20:22:44.25ID:4xE7f96g山椒とかの可能性は無いのかな?
0415人間七七四年
2011/09/04(日) 20:51:15.12ID:4xE7f96g素麺のCMとかで上に飾りみたいに乗せてるのも山椒の葉じゃないか。
0416人間七七四年
2011/09/04(日) 21:26:41.99ID:7oM5xILy0417人間七七四年
2011/09/04(日) 22:05:35.12ID:5cVtUytWヒンディー語でも、唐辛子はMirch。
黒胡椒はKali Mirch、白胡椒がSafed Mirchというように、頭に色の名前付けて区別してるだけだしね。
0418人間七七四年
2011/09/05(月) 02:57:30.80ID:EFUfNwxZローマの料理レシピが残ってる。少なくとも金持ちは胡椒をふんだんに調味料として使ってる。
胡椒を粒のまま表面にびっしり貼り付けて焼いた一種のケーキもあったくらいだ。
0421人間七七四年
2011/09/05(月) 10:16:48.46ID:MYkEi6oPまあ自分の名前かけるだけでヒンディー語を習ったわけではないんだけど
0422人間七七四年
2011/09/05(月) 11:26:44.33ID:IV6/COiSありがとう
たしかに>>415の指摘は否定できないけど、でも基本日本料理の香味ってだいたい同じ使い方をするんだよね……
(三つ葉然りしょうが然り)
日本での胡椒の使い方は西欧とちがって”薬味”なので、使う量が決定的に違うから
自分は、ザビエル(>>410)の話は胡椒を高く多量に購入するものがいなかった、って理解してた
ここらは決定的な証拠も無いので正誤の判断難しいよなぁ……
0424人間七七四年
2011/09/05(月) 19:38:05.92ID:laIpJQUrとか。
0425人間七七四年
2011/09/05(月) 19:51:15.82ID:CZCYOe6Kただ胡という字を使っているから、土着ではなく、外来のものだろうね。
少なくとも、山椒=胡椒の可能性は低いと思う。
0426人間七七四年
2011/09/05(月) 21:29:52.68ID:rPjncRBZ>中国では花椒(かしょう)と呼び・・・、漢方では健胃、鎮痛、駆虫作用があるとされ、
英名はJapanese pepper。
山椒は元々日本に有って、別名のハジカミとか、当時はそれまで別の名前で呼ばれていたが、
中国名の呼び名、花椒(かしょう)が伝わったとき、(こしょう)に変化したと考えられるかも。
0427人間七七四年
2011/09/05(月) 22:12:49.20ID:CZCYOe6K0428人間七七四年
2011/09/05(月) 22:15:42.55ID:9+97yTCv0430人間七七四年
2011/09/05(月) 22:58:01.62ID:rPjncRBZ正倉院に有るのは今、知ったのですが、時代が下がって室町、戦国時代でも当然本物の胡椒は希少な物で、
>>412-413に書かれているように一般に広く出回るような物では無いでしょう。
しかし山椒の実(種)を乾燥させた物は黒胡椒に見た目には似ているので、
一般の間で、両者が混同された可能性も捨てきれないのでは。
0431人間七七四年
2011/09/05(月) 23:22:08.72ID:CWyPqJ1q0432人間七七四年
2011/09/05(月) 23:28:20.76ID:IV6/COiSそれを「一般に広く出回るような物では無い」って判断するのはいかがなものか
知られて数百年たってるものを「混同した」と断言するには、それなりの確証が必要だとは思うけどな
0433人間七七四年
2011/09/06(火) 00:40:13.70ID:ENb67BAe地面に植わってる状態でも見ればすぐにわかるほどぜんぜん違う
混同したというのはありえないと思う
0434430
2011/09/06(火) 10:47:44.80ID:X9394BwAこの話題についての書き込みは終わりたいと思います。
431さん、料理物語は江戸時代の物では、つまり>>413の
>「室町には素麺に胡椒を添えたが今は云々」の部分は、
江戸時代の著者が、伝え聞いた物をそのまま書いたと考えられます。
他の記述で、胡椒と山椒が区別されていても、問題はないと思いますが。
432さん、正倉院に納められた本物の胡椒を一般の人々が目にする機会は、まず無いのでは。
香辛料でなく薬としての用途に限られているので、同じように胃の効能がある胡椒と山椒、
そして、日本で自生している山椒で薬として代用できるなら、輸入でしか手に入らない胡椒が一般に普及していたとは考えにくいのでは。
433さん、山椒の実を乾燥させた物と、粒胡椒とは似ていませんか?
また当時の物と、現在の栽培されたり品種改良された物が、大きさ、見た目などが違う事も有るのでは。
0435人間七七四年
2011/09/06(火) 15:01:58.74ID:Nx3rUJsm見かけが似ていても”口にした時点”で山椒と胡椒を間違えるとは思えませんけど……
まぁ鎌倉室町戦国は中国文化が日本におおきく影響した時代なので
中華料理に使われていた”胡椒”だけが除外された、と強論するには、疑問を呈するだけではちょっと……
胡椒を入手するルート、中国貿易は私貿易も入れれば歴史上止まったことはありませんので
「胡椒使用が日本では中断した」という仮説の根拠のほうが、自分は気になります
ただ素麺も元々中国料理なので、日本に来た当時胡椒と一緒に出された、という話は信憑性があると思います
0436人間七七四年
2011/09/06(火) 15:21:07.96ID:0mwnOTW3どれだけ違いがあろうが、知識の無い人間にはどっちがどっちかなんてわからんでしょ。
0437人間七七四年
2011/09/06(火) 15:26:26.62ID:Nx3rUJsm胡椒も山椒も「漢方薬」としての歴史は古いんですよ
個人的な勘違いは別にして、漢方医は区別できるわけで
0438人間七七四年
2011/09/06(火) 20:10:52.93ID:2+0yhdJm1. 戦国時代、胡椒がどれだけ希少性があったか
2. ザビエルが来日した1550年頃のエピソードと、雑兵物語の記述に矛盾がある
3. 同じ「胡椒」という名称を使っていても、別の香辛料を指しているんじゃないか
という話の流れだが、、
16C後半の日本というのは、初めてのヨーロッパ人との接触が起き、その後
急速にいろんな文物が入ってきているんで、普及度については10年か20年
ぐらいに細かく区切らないと、話が全然噛み合わないってことがある。
ザビエルが来た当初は、希少なものだったのが、その後数10年で供給量が
一気に増えた可能性を考えた方がいいかと思う。
0439人間七七四年
2011/09/06(火) 20:36:07.72ID:2+0yhdJm赤胡椒のように、胡椒と似ていても全然別種のものもあったりするんで、その辺りも注意が必要。
0441人間七七四年
2011/09/06(火) 21:27:46.19ID:DnPcunJI0442人間七七四年
2011/09/07(水) 03:34:01.58ID:5GuBIncIさらに「胡椒が料理に使われていたか」てな問題もあるよ
ニンニクなんて漢方薬として古くから知られていたけど
料理に使われることが広まったのは戦後最近なんて例もあるし
0443人間七七四年
2011/09/07(水) 09:13:46.73ID:nCoWVbxp柚子胡椒とかそうだし。
0444人間七七四年
2011/09/07(水) 14:10:27.64ID:5GuBIncI大和本草(江戸時代)では唐辛子のことを「高麗胡椒」って記述があり
朝鮮の芝峰縲絏では「南蛮椒」って書かれてる
つまり当時の”呼び名”は似ていても「胡椒とは別物」扱い
だから戦国時代でも、唐辛子と胡椒は混同しなかった、と考えていいと思うよ
もちろん山椒と胡椒もね
0445人間七七四年
2011/09/07(水) 15:20:51.36ID:ShgMeNv+0446人間七七四年
2011/09/07(水) 19:48:07.23ID:9GZQvx8/0447人間七七四年
2011/09/07(水) 20:01:34.42ID:be1KAHYIつまりピーマン
0448人間七七四年
2011/09/07(水) 22:22:48.77ID:lzfdOJ4g0449人間七七四年
2011/09/08(木) 01:12:21.87ID:2JpbI9CQ0451人間七七四年
2011/09/09(金) 21:13:03.95ID:ZXXow06W>>438で、いったん仕切り直しだな
0452人間七七四年
2011/09/10(土) 02:35:36.07ID:W53MTNysいい香りだもんな。
0453人間七七四年
2011/09/10(土) 08:51:42.12ID:Q87Vu3V60454人間七七四年
2011/09/10(土) 10:53:08.07ID:FgxTN5EO0455人間七七四年
2011/09/10(土) 11:06:14.51ID:y6IzDPr9カレーとかラーメンだったら何とかなるかな?
0456人間七七四年
2011/09/10(土) 14:24:20.04ID:/ZR7c5e40457人間七七四年
2011/09/11(日) 07:35:30.56ID:FUSYUV/k”甘味”は江戸時代になってから広がった味付けだけど
それが主流な今の味は、当時でも「うまい」部類になると思う
0458人間七七四年
2011/09/11(日) 09:21:19.73ID:wEBrc3x50459人間七七四年
2011/09/11(日) 10:09:05.80ID:PQc1itCw0460人間七七四年
2011/09/11(日) 11:53:05.15ID:M/nZuTMLわしも月に1こがせいぜいで2こめは気分が悪くなる。
カレーは下っ端武士なら喜んだかもしれないが
公家みたいな人たちにはどうだろうなぁ。
0461人間七七四年
2011/09/11(日) 13:18:28.80ID:Fcfd8sWv濃すぎて受け付けないだろうな。
0462人間七七四年
2011/09/11(日) 13:54:28.62ID:iMcYXpjm0463人間七七四年
2011/09/11(日) 15:31:58.74ID:flS53RUC> 今でも爺婆でカップ系は食べられない人多いし
カップラーメン?
0465人間七七四年
2011/09/11(日) 18:26:04.68ID:AWnF3dp60466人間七七四年
2011/09/11(日) 18:52:42.79ID:FUSYUV/k酒はみりん系(忍冬酒とか)あったけど、料理にくわえた例はあんまりないんじゃないかな(レシピが残ってない)
>>460
今の爺婆は年齢的に完全にアジノモト世代だぜ、カップ麺はそれより油が……
何でも”使い方”、戦前の美食家、魯山人も自分でアジノモトつかってたし
全くなかった戦国時代でも化調は受け入れられる、と思うけどね
まぁ中国本土の中華ぐらいつかったらだめだろうけど……
0467人間七七四年
2011/09/11(日) 18:53:46.87ID:ivTxWt540468人間七七四年
2011/09/11(日) 21:45:50.89ID:M/nZuTML化調ってか、インスタントってなんというか
人工品だし独特のまずさがあるじゃない。
一口目は確かに「美味しいね」みたいには言ってくれるけど
よくて3口目には変な顔するものね。
もちろん爺婆でも出始めた頃に食べてれば慣れてるだろうけど
戦国時代の人に食べさせたらやっぱり最初は気持ち悪いって言うと
思うよ。
ところでコーラはどうだろう。
知人で小学校になるまで炭酸飲ませなかったのがいるけど
「まずい」って言って中高生ぐらいになってもコーラ嫌いだったそうな。
好き嫌いはまた別の話だろうけどカレー嫌いとかチョコ嫌いとか
いるものね。
戦国の人にキンキンに冷えたコーラ飲ませたら「喉が焼ける、毒だ」
ってこっちが斬られかねんな。
0469人間七七四年
2011/09/11(日) 22:31:47.03ID:2NYFZg17慣れてる人は何とかなるんじゃないかな。
まぁなにより個人差が大きいだろうけどね。
好きな人は好きだろうし嫌いな人は嫌い、
という今と余り変わらない結論に落ち着きそうな予感。
0470人間七七四年
2011/09/11(日) 22:40:29.33ID:fJfZFWIm0472人間七七四年
2011/09/11(日) 23:17:00.42ID:EsR1MLgZ0473人間七七四年
2011/09/11(日) 23:35:46.72ID:M/nZuTML戦国期ならかなりのごちそうって感じがするが
とれる場所が限定されてるか。
0474人間七七四年
2011/09/12(月) 00:08:13.54ID:z/EZ5cgl現在主流の糖度が高いミカンはほとんど江戸時代に発見輸入されたのよね
それ以前のミカンは酸っぱいのが主流(漢方薬として利用)
今だと、ゆず、キンカン、ダイダイとかが該当するかと
0475人間七七四年
2011/09/12(月) 00:09:12.39ID:FPIWFeaR0476人間七七四年
2011/09/12(月) 03:22:18.22ID:3p3hJWd/0477人間七七四年
2011/09/12(月) 07:56:09.54ID:KjZcWKHe竜造寺隆信はどっちのタイプのデブ?
0478人間七七四年
2011/09/12(月) 12:11:02.29ID:vGGWbGV70479人間七七四年
2011/09/12(月) 14:41:35.43ID:YjrMyL6bふむふむ。
柿でも甘いというのは現代の感覚で
昔は干し柿にするぐらいしか食べ方がなくて
それが少し甘くなってくれるしどこにでもあるから
貴重って聞いたもんで。
四国の方でミカンはたくさん取れてたのかな、
薬としてなら贈答として貴重だもんな。
0480人間七七四年
2011/09/12(月) 14:59:59.52ID:z/EZ5cgl普通の干柿の糖度は和菓子だと羊羹ぐらいなんだぜ(70%砂糖水くらいのやつもある)
ちなみに果実の糖度は、桃14%ぶどう17%メロン16%に対し渋柿は21%くらい、これを乾燥して糖度を高くしてるのよ
で、はちみつは76-80%くらいなので、現在でも、干柿はむちゃくちゃ「甘いもの」になるよ
0481人間七七四年
2011/09/12(月) 15:08:07.00ID:YjrMyL6bほ〜。
干し柿食べたことないので、美味しんぼに書いてある
「干し柿の甘さをこえてはいけない」を信用してた。
あれは甘くないというより、より人工的に甘すぎてはいけない
という高級和菓子のことだったか。
婆たちから進駐軍にもらった「ガムのあまくて美味しかったこと」は
よく聞かされたがあれは干し柿と比べてどうなんだろう。
やっぱり人工物でより甘さが強調されてたんだろかな。
0482人間七七四年
2011/09/12(月) 18:28:47.55ID:CWbeilq40483人間七七四年
2011/09/12(月) 18:40:35.31ID:HxCieyUQ0484人間七七四年
2011/09/12(月) 21:10:43.42ID:YjrMyL6bそのまま食べたものだよ、美味しかったなぁ。
・・当時は普通だったよな、な、な・・
0485人間七七四年
2011/09/13(火) 05:32:44.12ID:z+PyFFEB0486人間七七四年
2011/09/13(火) 11:38:06.64ID:DrHpaxFU0487人間七七四年
2011/09/13(火) 11:52:44.05ID:7Y7r6vkl郡山八幡神社の大工の落書きに「一度も焼酎ヲ不被下候」(永禄2年(1559)8月11日)ってあるから確実だけど
全国に広まったのは明治以降かなぁ
>>486
つスルメ
0490人間七七四年
2011/09/13(火) 21:51:49.47ID:NQfMGNpV蒸留酒の伝播経路としては14世紀後半にタイから琉球に伝えられ泡盛に
んでそれが九州へとって説があるみたいね
11世紀にはヨーロッパで確立されたから、種子島のように欧州人から直接だったり
シルクロード、中国を経て伝播と諸説あるみたいだけど
0491人間七七四年
2011/09/13(火) 23:52:42.94ID:MYVr/a9hへ〜、ありがと。
古代ってのはヒミコとかまでさかのぼっちゃう?
それとも奈良時代ぐらいなのかな。
0495人間七七四年
2011/09/14(水) 14:32:08.09ID:fAMc1JW30496人間七七四年
2011/09/14(水) 17:00:12.71ID:hV3ftg+xと思ったんだがものすごく小さいしそれでも
残るのかなって。それを見つけるのが考古学者の腕
なんだろうけどすごいな。
0497人間七七四年
2011/09/14(水) 18:46:13.62ID:SdpJdJEehttp://kagoshima.suigi.jp/ayumi/book/01/a01_01_17.pdf
>縄文期の貝塚からコウイカ類の甲羅片が相当数出土していることから,イカ類の漁獲の歴史は新石. 器時代まで
>遡ると考えられている。
>指宿市の橋牟札川遺跡から、たこつぼ型土器が見つかった。この土器は弥生時代(約二千年前)に登場し
>古墳時代に大阪湾から瀬戸内海沿岸、北部九州におよんだと考えられる。
0499人間七七四年
2011/09/17(土) 13:19:16.31ID:U5dEqSBL0501人間七七四年
2011/09/17(土) 17:44:51.73ID:gzYoFAx9>だから卵食う習慣は当時ないってw
こういうのがあるんだけど、、
>46 名前:人間七七四年 投稿日:2011/08/09(火) 23:26:41.62 ID:Togfk+uu
徳川家康が未だ竹千代と呼ばれ、駿府で人質生活を送っていた頃のことである。
ある日竹千代は駿府の大祥寺という禅寺に、20羽程の鶏が走り回っているのを見て、
そこの僧に
「あの中から1羽貰えないだろうか?」
と尋ねる。するとこの僧
「どうぞどうぞ。1羽と言わず全部でも差し上げますよ!
全くこいつらは、菜園を荒らす困った連中なのですが、勝手に生まれ育ってしまい、
しかたなくこのように飼っているのです。」
と、心底困ったように答えた。
竹千代はこれを聞いて笑いつつ
『ああ、この僧は鶏卵を食べるということをしないのだ』
と、心のなかで感心した。
のち、竹千代が徳川家康と名乗り、駿河も支配するようになったころ、
家康はこの僧を召し出し、殊勝な者であるとして寺領を寄進したそうである。
(徳川実紀)
そんな、竹千代と鶏と僧侶のお話
0502人間七七四年
2011/09/17(土) 18:01:17.95ID:8/Fg2TPb坊さんの口から鶏の頭が出てて、尻尾まで生えてるやつ。
0503人間七七四年
2011/09/17(土) 18:37:27.32ID:MIwLEsn9味噌汁に卵入れて食うようになった。
0504人間七七四年
2011/09/17(土) 19:13:09.32ID:4AJfKiDD室町戦国時代、雉をたくさん食べてる記録があるのだけど、供給元は何か、と考えると
一般にニワトリは雉に名を借りて食われてたと思うなぁ
当時の日記でも「さすが中納言の雉はうまかった」とかあったりして
”雉”自体市場でたやすく手に入れられ、さらに等級があったようだし
あと南蛮菓子カステラが日本人にすぐ受け入れられたから「卵の禁忌」はなかったと思うな
でも、”薬”ではなく”料理”として卵が一般化したのは江戸時代だね
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